わんこめ映画評ら【つ】


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『再見〜また逢う日まで』

“お父さんはまぢめで、でも無職で貧乏”“お母さんは綺麗で優しくて、でも肺病”“子供たちは無邪気で可愛くていい子”な家族が両親の死によってばらばらになり、20年後に再会を果たすとゆーお話です。もう、あざと過ぎ。感動させよう、泣かせようとするあまりにそーゆーアイテムばっかりぎゅうぎゅうに詰め込んだもんだから、観ている方はもう辟易しますね(笑)。単なる寄せ集めで、映画として薄っぺらいのであった。
 

『追憶の上海』

革命家の中国人男女の恋愛に、アメリカ人が横恋慕をして結局振り向いてもらえない…ってゆう映画です。中国映画なのに全編英語だってことでちょっとオドロキよ。ラストで、革命成功ののち「ほらこんなに上海は今繁栄しているでしょう?」と言わんばかりに、俳優さんからロングで引いて行ってカメラクルーとか撮影スタッフを見切れちゃって、上海の街並にパンする…って手法は、どうよ(笑)。ちょっと、短絡過ぎるアイデアではないかい? いいけど(にこ)。
 

『追撃者』

弟の飲酒運転事故死に不審感を抱き、殺人ではないかと疑って真相の究明にあたった揚句にやっぱり殺人だったのでリベンヂをするスタローンの映画です。もともと71年にイギリスで作られた映画のリメイクだそうで、状況設定とかアイテムの「今さ加減」と不審感の持ち方だの倫理の線引きだのの「旧態依然加減」がどうにも、座りが悪いです。ええから裏なんかとらないでばんばん殺せば?って思うよ。
 

『ツイステッド』

自分がきよくを失っているうちに、自分と性交渉をもった相手が殺されているって事件が立て続けに起こった、からっつって「これは自分がやったのか?」なんて思わないって!(笑) そー思ってしまう理由の辺りをもっと緻密に描きましょう。真犯人に意外性はないけど解決には綺麗な伏線が使われていました。
 

『ツインズ・エフェクト』

アイドル映画。ラストの決着を主人公たち2人だけでつける、ってのに喝采。となると、冒頭の、まだ主人公たちが登場する以前の“設定を知らしめるため”のバトルシーンは不要だ(笑)。「すべてキャーだけで意志を伝える」ところか、「ぬいぐるみのくまを取り合って宙に浮いたところを脇腹にパンチを喰らわす」ところからスタートすると宜しい。とても萌えます(萌え〜)。
 

『月とキャベツ』

何の前情報も入れずに、同じ監督の『洗濯機は俺にまかせろ』が面白かったので行った映画。山崎まさよしのあの歌、好きになってしまいました(笑)。何がイイって、ラストでヒバナの姿を消さなかったのは、偉い! ああ、本当に設定もなにも知らずに観て、幸せでした。
 

『月のひつじ』

アポロ11号が月に着陸する映像を受けて、世界に配信したオーストラリヤの片田舎にあるパラボラアンテナのお話。原題は『ザ・ディッシュ』といい、これはそのパラボラアンテナの愛称を指すのであった。なんてゆうか、邦題ひねり過ぎだ(笑)。町の人たちが喜んで騒ぐさまや、(当然起こる)各種アクシデントなんかを、ゆうるりした雰囲気で見せてくれるのはいかにもオーストラリヤ映画って感じですね。出来合いのアポロ映像こそ挿入されるけれども、実際に撮り下ろしたのは町の人々の様子だけ、なぁんてとこは“怪獣が結局姿を見せなかった『大怪獣東京に現る』”みたいだなあ、と(笑)。適度にいい話なので安心して観られようゲ。
 

『綴り字のシーズン』

フツーに行われているスペリング・ビーを舞台にした創作だから、主人公をあまりにも超人に描くこともできないのだ、せっかく感動的な(笑)映像表現を思いついたのに、フルに発揮する訳にもいかなかったようです。そしてドキュメンタリィであった『チャレンジ・キッズ-未来に架ける子どもたち』では障碍は「知らない単語が出題される」「不勉強だった」でしかなかったのを、やっぱき感動を演出するために無理矢理「家族に問題が勃発する」(笑)なぁんてのを導入しているよ! 苦労してるなあ(笑)。そうまでしてこの舞台を使いたかったのかーと感慨深いです(笑)。→【C2】
 

『翼をください』

綺麗な女優さんを起用して、女子高でのレズの話を描いているので騙されそうになるが、こんなの単に「振られたのにいつまでも相手に執着してよりを戻そうとし続け足掻く、難儀な厄介な人の話」に過ぎないやんか。邦題を「しつこい人」かなんかにしたらどうか。
 

『ツバル』

全編モノクロのセピア調の画面になっている映画です。ただ、緑がかっていたりブルーがかっていたり茶色がかっていたり、カットごとに色分けがなされています。セリフはほぼありません。喋ってもせいぜい単語程度なので字幕も出ません。ドイツ映画だというのもあとから調べて判りました。ストーリィは、さびれた室内プールを経営している家の息子と、親の遺産で船とツバルの地図を相続した娘の間でエンジンのシリンダだかピストンだかを盗りあう話…がメインなのかな。各キャラクタとエピソードのデフォルメ具合が素敵なのだった(はあと)。
 

『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』

シリーズの第13作(ナンバがずれるのは一編時代劇ヴァーヂョンが入るため)ともなると、こうまでなれあいで映画が撮れるものなのね。「この人はね、以前の作品でこうゆう性格設定だってのをもう、きちんと見せてきているんだから、一見さんは文句を言わないで観なさい」ってのが方々に。そして、ストーリィも陳腐。スーさんは今回全然釣りをしないし。どこが釣りバカ日誌? きっと常連さんで、何を作っても観に来てくれる人のためにだけ作っている映画であり、だから別段なにか新しいいい発見がある訳では全然ありません、と言いたいのだろう。もいっこ。この中途半端な終わり方は続きを作る気がありありってこと? だとしたら、このストーリィ一本だけで1時間50分もかけるのは長過ぎる。続きも含めて一本の、みぢかい映画にしなさい。
 

『釣りバカ日誌13 ハマちゃん危機一髪!』

今回は前回と違って一応ちゃんと釣りをしてました。そもそもこの話って「社長と平社員という立場の二人が釣りに関しては上下が逆転する」ってのを「会社の人たちはその関係を知らない」さまを面白がる、サラリーマンものだったはずだろうに、なんでこんなに「恋愛ごたごた」話に終始しちゃうのをよしとしているのだろうねえ。きっと解り易いストーリィの映画しか受けつけない層をターゲットにしているのだ。
 

『釣りバカ日誌14』

ほらほら、お馴染みのキャラクタが、今回も面白いことをしますよ的な、常連客向けの甘えたウエットなエピソードが極力抑えられていたのに好感が持てました。普通の邦画として観られるレヴェルでしたね。
 

『釣りバカ日誌15』

釣りはしないは、ゲストキャラの物語は中途半端だは、ってゆう低迷の時期があったみたいだけど、前作からこの監督になってからは、ちゃんと邦画として観られるレヴェルの出来にしわがっています。江角マキコとの出会わせ方も、接し方も、単純化こそされているけど筋の通った展開だし。“各都道府県を廻って”“ゲストキャラの恋愛問題を解決し”ってゆう縛りがあるシリーズもので、この話を創り上げるってのは大したもんでしょう。偉い偉い。
 

『釣りバカ日誌16』

くっだらねえなあ(爆笑)。『亡国のイージス』のパロディをやるとは思わなかった! 芯となる物語は、監督自らが昔ながらの松竹映画だと公言して憚らない「頑固な親父と年頃の娘」が出てくるお話で、いやあ、そこまで解って創っているってんだったら文句はありませんぞ。とても良質な娯楽映画でした。


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