わんこめ映画評ら【な行】


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21世紀映画評入り口
 

ナイトメアー・ビフォア・クリスマス デジタル・リマスター版』

「ハロウィン」というイヴェントと「ミューヂカル」という芸能がある国を羨ましく思うほど、このいぢり方は楽しい! 造形が秀逸で映像が見事で、なるほど、ティム・バートンって『マーズ・アタック』と『ビッグ・フィッシュ』しか観たことないけど、こーゆーの作らせたら本当に気違いじみて天才なのだ(にこにこ)。よくぞこんなこと考えついて、映像化したものだ。この完成度のものが作れるなんて、映画も捨てたもんではないと思った。
 

ナインスゲート』

“悪魔”の本を巡るお話です。世界に現存する3冊の本のうち本物はどれか、ってのを判定するのがジョニー・デップの役で、最終的に恩恵に預かるのもジョニー・デップですね。…でも、ジョニー・デップを導いてくれる女の子が守護天使とかって名称で出てくるのだけどさ、魔女ちゃうのか? ラストで光り輝くお城に入って行くシーン…これがナインスゲートをくぐるってことなんだろーけど、“悪魔”の本のお蔭でどこいくつもりやねん。なぁ。でもまぁ、楽しく観れました。路線的には『エンド・オブ・デイズ』とかの方向なんだろうけどね。…あ、あとこの映画を観ると蔵書マニアになりたくなりますね(笑)。にこ。
 

ナイン・ソウルズ』

9人の脱獄犯が、それぞれ違う9通りのエンディングを迎える話。なるほどねって感じ。そもそも脱獄犯なんだから、なに綺麗ごと言ってもねえって思ってずっと観てた。みんなただ単に自分勝手やってるだけぢゃん。感銘も感動もしねえぞ。
 

『長崎ぶらぶら節』

実在した芸者の、明治末期から昭和初期までのお話です。まー見応えのある邦画ではあった。けど、実話だからなんだろうけど、起こる事件が単純に編年体になっているだけでそんなに盛り上がらない。「別にどーってことのない話」なのだ。でもそれはきっと演出とかシナリヨの不備にちまいないのね(またはつまんない人の人生を選んでしまってって失敗)。エリン・ブロコビッチが「実話なんだからアメリカ訴訟史上最高額の和解金を貰っても当然」、ミュージック・オブ・ハートが「実話なんだからひょんなきっかけでカーネギーでコンサートが開けても当然」なんて作りだったら、どう思うよ?ってことだ。もうちょっと、なんとかできなかったものか。
 

『殴者』

映像的には独特な創造がなされていて評価すべきものがある。のだけど、物語の根幹をなすバトルが、全然迫力がない(笑)。本物の格闘家をキャスティングしちゃったせーで、変なリワリティを導入した結果、ちっとも面白くない。この格闘家たちのファン向けに作られているのでしょう。知らなきゃつまらないです、これ。がっかりだ。
 

『なごり雪』

役者に台詞を棒読みさせてどんな効果を狙っているのか、演出意図が全く解らない。もっと稚拙ななにか(ストーリィとか)を隠そうとでもしているのか。
 

『ナショナル・セキュリティ』

難儀でおしゃべりな黒人に引っ掻き回されつつペアになって任務に当たる白人、とゆうコメディもののジャンルにカテゴライズされるでしょう。しかし、この話の黒人は、黒人であることを盾にとって言い掛かりをつけてくるので難儀度はなおさらアップだ。「まー、黒人であることを盾にとられちゃあなあ」とでも思って人の不幸を楽しんで観る、とゆうスタンスが、正しいかな。
 

『茄子 アンダルシアの夏』

たしかに空が綺麗。観てて楽しめた。でも、宮崎駿の手垢がついた表現法を、踏襲しちゃってるんだよねー。宮崎駿は超えられない(少なくとも同じヂブリの社内にいては)ってのを証明するための映画なのか。
 

『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』

ギャグが下品でレヴェルが低い。エディ・マーフィーは9人も要らない(しかもエンドクレヂットには8人分の名前しかなかったし、観てて判ったのは7人でした)。
 

『夏休みのレモネード』

ユダヤ教徒を、天国に導いてあげるためにキリスト教に改宗させてやろうとする少年の物語。主人公が接するユダヤ教のラビも、消防士である父親も、ともに頭のいいキャラクタに設定してあるので観てて大変気分がよいです。いっそキリスト教の神父が杓子定規で、ちょびっと少年に言い負かされたりとかしてるしね。他者の信仰を認める信仰、とゆうのが解り易く提示されていて、世界がこんなに物わかりのよい人たちばかりだったらどんなにいいか!と思うのでありました。
 

『ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説』

インド映画のパロディ。インドまで行って「新春隠し芸大会」を撮ってきた感じ。主演している南原清隆は、ナトゥではなく南原です。演技が出来ないんだからしかたないが<ってゆうか「演技が出来ないのに頑張る」ってのがウンナンの売りなのだから、それが気に入らない人は観てはイケナイってことなのだろう。例えば、これがとんねるずだったら(多少は好意的に見るので)『そろばんずく』だったとしても「とんねるずは、しょうがねーなー(笑)」って認めた上で映画を楽しめる、ってことになるのだからね。ウンナンのレヴェルってのはこの程度で、それを好きな人が観るための映画です。
 

『ナビィの恋』

ナビィに捨てられるおじいの、ずれたボケが秀逸! おじいに救われている映画だ。セクハラまがいの歌が必聴だよ。
 

『名もなきアフリカの地で』

こんな、21世紀にもなって、「見下していたヨーロッパ以外の文化を持つ地に移り住み、その地に慣れて溶け込んでゆく」物語が映画として作られるとは思わなかったです。“ナチスドイツが台頭してきた時代のユダヤ人の話”って括れば、およそどんな設定でもあり得るんだなあ、と、その地平の広さを思い知るのであった。
 

『南極日誌』

さぶさと恐怖を両方演出しようとして大失敗しているよ(笑)。恐怖が、妄想だとしか思えないってのはなあ。「氣違いをリーダに、言うことを聞かねばならない」恐怖をやりたかったのか? にしても詰めが甘い。“到達不能点”は、かつて誰かが来た痕跡があって、ちっとも不能っぽく迫ってこないし。「逃げ場がない」感が出てないのよ。白夜で広大で、ってのはホラーにそぐわないという、判りきった予想の証明であったのかもね。誰もやったことがないテーマってのの中にはやっても無駄だから、っつー場合があることを教えてくれるぞ(笑)。
 

『ナンナーク』

タイでは知らない者がいないという、タイ式『牡丹灯籠』の伝説を映画にしたものです。幽霊となったナークを祓うのに近所の人ではダメ、お坊さんでもダメ、幽霊退治の男でもダメ、そこに高僧が現れて…ってゆー盛り上げ方を解った作りがしてあるよ。19世紀のタイの村の風俗とかも興味深く観れてよかったよかった。
 

『≒森山大道』

写真家森山大道を描いたドキュメンタリィ。この人の写真のよさが解らないので全く萌えないまま、しかし「被写体に木にされることなく街の風景を撮る」とゆう行為は面白かった。しかし出来上がった写真がいい写真とは思えないのです(笑)。
 

『肉屋』

精力絶倫の肉屋さんと不倫をする(不倫と言っても旦那の出張旅行中に肉体関係を持ちまくる、だけ)映画。なんかベストセラー小説の映画化らしい。でも見るべきものは、ない。配給会社もやる気がないのか、パンフレットも作っていないというテータラクです。推して知るべし。
 

『ニコラ』

厳格で他人を信じさせない父親に育てられたニコラが、スキー合宿にゆくお話です。…違うな(笑)。ニコラは「子供をさらって腎臓を摘出する救急車に乗った連中」に怯えるあまりに、夢を見たり空想をしたり、大騒ぎだ(精神的にね)。こうゆう、精神の内面の映像と現実の映像がまぜこぜになっている映画は大好きなのです(らんらん)。
 

『二重スパイ』

本当っぽく作ったのか、せっかくスパイなのに割りとミッションが地味なの。もっと荒唐無稽な方がきっと面白かったろうよ。
 

『ニューオーリンズ・トライアル』

陪審員の中に人心掌握術を会得した者が紛れ込んでいたら!とゆードラマですね。そいつが、原告側被告側の双方に「評決を売る」との連絡をするのであった。まぁ、いちおう、最後が近くなるまでは「人道的に正しいと看做されるであろう側」が勝つのか、「アメリカの体制が現在支持している側」が勝つのか、見せぬよう作られてもいますのでなかなかに具体的なことが言えないのですけども(笑)。陪審員のお仕事のお勉強にもなるので、細かいこと言わずに楽しんで観ればよいのではとは思うよ。→【C2】
 

『ニュースの天才』

でっち上げの捏造記事を歴史と権威のあるニュース誌にばんばん載せた、実在したいんちき記者のお話です。事実に基づいているんだろうけど、ここで展開する編集長の交代劇が、またさらに物語を深くしているのであった。“器”ってものを教えてくれる映画だった訳だ。ほう。それにしてもこの記者の言い逃れは凄いね。まるで馘にするこっちが悪いような気にさせられるよ。見て、知っておこう。こおゆうタイプの人間が実在するのだ。
 

『ニューヨーク 最後の日々』

ウディ・アレンがやるよーな役をアル・パチーノが演じております。偉いのは、ウディ・アレンだったら冗談で台詞に入れるに過ぎない「老いぼれ」である状態を、きちんと表現しているところ。原題は“People I know”ってゆーんだけど『人脈』ってほどの意味だろーか、イヴェントを企画して、それを成功させるために今までに培ってきた人脈を駆使して著名人をそこに出席させるのに苦心する、ってゆー男がアル・パチーノ。若い頃からずーっとこーゆー著名人との関係を築き、保つことばっかし続けてきたのだ、もうくたびれまくっている。もうゴーユしたかろう、それ故の邦題『最後の日々』ってことなのだった。ああ、精力的な働きをしてる人も裏ではこんなに憔悴するのね、って、そー思いつつ観る映画であった。→【C2】
 

『ニューヨークの恋人』

メグ・ライアンのラヴストーリィです。いつもと同じく、「とにかくラストにハッピィになる」ためだけにすべてのお話が進む。あらゆるエピソードはただ起こっているだけで、恋の成就にふわんを抱くことは全くありませんね。メグ・ライアンのラヴストーリィが好きな人はこの映画が好きなことでしょう。
 

『ニライカナイからの手紙』

「沖縄を舞台に子供を登場させるとキジムナーがいるかいないか議論をする」のとか「島の、演技の出来ない素人を出演させる」とか、もういい加減やめろ。そーゆーステレヨタイプしか語れない人が作った映画っつーことなんだろう。この“手紙”のシステムにしても某映画の影響下にあるとしか思えないし。そんな映画で、島のウェットな人間関係が表現されるのだ、うえー。辟易ー。唯一いいところは絵が綺麗な点ですね、そこだけだけどそこは評価できました。
 

『ニワトリはハダシだ』

とても気持ち悪い。「障碍者は正しく心清く」「警察と政府はやくざと癒着し悪事を隠蔽しようと試み」「在日朝鮮人は弱者で虐げられ」「子供は純真で不思議な力を持っていて」「流されるボートを救いに行く時にはたとえモータボートがあっても一生懸命さを表すために泳いで行くべきであり」「最後には最下層たる民衆が勝利する」とゆう、偏向しきった思想ととんちんかんな演出に基づいて作られた映画だ。きっと監督の頭が悪いのだろう。なまじその場の盛り上げ方とゆうノウハウを知っているだけに、全般通してみると本当に映画作りが下手くそであることが強調されちゃっているぞ。整合性も辻褄もあったもんぢゃない。物語内ルールもキャラクタのスキルも場面に応じて変化するとゆう出鱈目さで、観ていて胸くそが悪くなりました。この監督に映画を作らせてはいけません、てゆーか公開すべきではない。これははっきりと公害です。
 

『ネバーランド』

『舞台よりすてきな生活』の『ピーターパン』版ですね。それにしてもこの劇作家は、一本芝居を書くたびにいちーちこんな出わいと経験を経ないとならぬとは、大変だろう。あと、奥さんが浮気をしていてくれて助かってるよね。もし貞淑な妻だったら、こいつはとんでもない、家庭を顧みない、一方で『ピーターパン』なんてゆう家族を大切にする物語を書き上げる、とんちんかんな創作者になるところであった! ってゆーか、奥さんの浮気云々以前にやってることはそのとーりなのだった。ラヴを入れてはいかんだろう。なんだかなー。
 

『ネメシス/S.T.X』

『スタートレック』シリーズの新作。宇宙船の名前がエンタープライズだ、という以外になにも知らない、全然なぢみのない物語でしたが、まぁこれだけ観て充分に解るお話でした。結局のところ言いたいのは「強くて正しいアメリカは悪い宇宙人は殺しちゃうよ」だ(笑)。そーゆー意識の時代に構築された設定を、今もなお大事に作り続けているのだね>アメリカ。
 

『ノイズ』

ミステリィ・SF・ホラー仕立て(なにそれ)でどきどきします。が、ラストのクライマックスシーンで“敵”を画像として見せてしまっては、もう!興醒め!! CGが使えるんだよ〜って誇りたがる時代でもなかろうに…、ってひとつ穴を見つけると、それまでは目を瞑っていた“この敵は、『ヴァイラス』の敵みたいに宇宙空間で待つ必要性ってのは、どこにあった訳?”とかいっぱいいっぱい、不満が露出してくる…ってゆう悪循環を以て、ランクがここまで下がる訳なのでした。この手の(『ヴァイラス』とか『パラサイト』みたいな)が当然のように「ハッピィ・エンド」に終わるものなのに反し、せっかく「バッド・エンド」が用意されているというのに、惜しいの。
 

『ノー・グッド・シングス』

間抜けな「銀行強盗グループ」に、ひょんなことで拉致監禁されて、その強盗計画が失敗に終わるまでを縛られたまま観察し続ける刑事の物語(笑)、と書くと面白そうだなあ!(笑) しかし、この銀行強盗グループが、いかにも危なっかしくて破綻しそうな綱渡りをしているので、たとえ失敗しても全然はらはらとか、しません。失敗するだろうと思わせて、失敗を観せて、どーしたかったのか。
 

『ノー・マンズ・ランド』

「セルビア軍とボスニア軍の両兵士が中間地点の塹壕に取り残され、微妙なバランスの上で過ごす」さまを描いたコメディ映画、だと思って観るのが正しい。映画を観ている最中には思いもよらないであろうラストシーンで終わるのだ。キャラクタや、起こる出来事のタイミングが緻密に組まれ、巧くまとまっているのだった。このシチュエイションの発想は天才的である。
 

『ノ−ラ・ジョイス 或る小説家の妻』

ジェイムズ・ジョイスの奥さんを描いた映画。ジェイムズ・ジョイスが判らないと、興味がないと、面白くないだろう。
 

『ノー・ルッキング・バック』

婚約者がいる女の子の処へ元カレが戻ってきてちょっかいを出すので、心が揺れ動いた揚句にどっちつかずになって、結局その両方の男と別れて町を去って未来へ向かう(笑)っていうたるいたるい映画。ジョン・ボン・ジョビが出ているけど、それ以外に観る処もない、ねぶい映画です。
 

『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

『ラン・ローラ・ラン』のマニが、やはり同じようなちんぴら役で出ているのだ。前評判が高くって、すごく楽しみにして行ったのだけど、まぁ、普通に面白い映画でした。期待度をマイナスしてランクはこの辺です。
 

『ノッティングヒルの恋人』

楽しいねって言って観るのに適した映画。「そう簡単に恋に落ちんやろ」とか野暮は言いっこなし(にっこり)。こうゆう話の時に“腹立たしい存在”になりかねない「お喋りでお調子者の同居人」が、この映画に於いては巧いぐわいに“愛すべき人物”として描くのに成功しているのも、巧いと言えましょう。
 

『ノット・ア・ガール』

ブリトニー・スピアーズ主演の「女の子3人が男の子の車に乗せてもらって西海岸まで旅をする間に友情を再確認し成長する」青春映画、ですね(笑)。とてもありがちなステレオタイプな話なのだった。きっと、中学生とか高校生とかの女の子が観る映画なのかな、と思う。
 

『のど自慢』

歌っていうのは歌詞がついてて、さらに愛唱されているほど有名なものだと人々のアタマに既に刷り込まれているから、感情移入させるのにはウッテツケで、卑怯な技だよね(笑)。面白くなるに決まっている映画が現に面白かった、という例です。もちよん当然、続編なんて観ませんよ〜(にっこり)。
 

『ノロイ』

本気でこわ〜。すげこわ〜。手法勝ちって奴だ。まだまだホラーに可能性が残されていることを証明してくれました。素敵。サイトに到るまで徹底しているのもプロの仕業だと思います(ぽゎん)。


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