わんこめ映画評ら【た】


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21世紀映画評入り口
 

ダーク・ウォーター』

そーだなー、『コープス・ブライド』のラストの裏返しだ。『コープス・ブライド』が氣持ちよく終わったのの真逆なので氣分はよくはないけども、ラストシーンにちょっとだけいいオチがありました。アメリカの寂れた町ってのを、本当にこんなふーではと思わせるリワリティで見せてくれるよ。
 

ダークネス』

ほとんど映画の最後近くまで、だれが殺られて、それをだれが殺るのかが、判らないように作ってあるホラーでした。推理しながら、はらはらして観てて楽しかったよ。帳尻があってないように思える箇所もあったけど、まぁ観てる間面白かったからいいかな。
 

ダーク・ブルー』

第二次大戦中に、イギリス空軍に入って戦ったチェコスロバキアの飛行機乗りたちを描いた話。「編隊飛行」「空中戦」の画の見事さのみならず、「飼い犬との別れ」「飛行機の形の星座」「天井に浮いた風船」などなどなど、“それを実写で観せられちゃあ嬉しい”ってものでふんだんに満たされた、いいバランスのセンスで組み上げられた映画でした。宮崎駿が推薦文を書き、スタヂヨヂブリが提供をするだけのことがあるレヴェルだったよ。
 

『ターザン』

せっかく描いた背景を、あんなスピードですっとばしちゃぁイヤ〜ンとゆうアニメータの悲鳴が聞こえるかの如き、スピード感あふれる迫力で魅せるターザンです。子供のゴリラの成長が遅いとか、仔象とのトリオ編成はいかにもディズニーっぽくって…とか、まぁ細かい文句もありましょうが、みぢかい映画で楽しいのでこれでよいことにしましょう。
 

『ターネーション』

フツーの若者が、自分と母親の身の不幸を発く自伝暴露的映画でした。ま、それなりに映画化しようと思う程度には屈折を経てきてはいるんだけどね。知らない人のブログ日記を読む、みたいな楽しみ方でいいのかも。この手のは生涯に一回だけ観て、二度とは、これに類するものも観ない、ってゆうつきわい方が合ってるかなと思います。なんだって映画になるのね以上の感想は抱けない訳だし。
 

『ターミナル』

スピルバーグでトム・ハンクスでキャサリン・ゼタ・ジョーンズなんだもの、鉄板で面白いに決まってんぢゃん!<そんな雑なレヴュウはどうか(笑) くすぐりあり、人情あり。起こす事件の程度と順番を、ちゃんとぎりぎりで制御し支持される側に留め提示しているのが力量なのだとつくづく思いますねー。観察者の視点ってのの導入も達者です。オチはまあ、こおゆう乖離したのもありっつーことで。「トレッキアン」の方が一般的だとばっかり思っていたら「トレッキー」みたいなのね、今ではね。ふぅん。→【きねま猫】
 

『ターミネーター3』

大馬鹿バトル(笑)と壮大なおっかけの間をギャグで埋めた、とても楽しい映画(笑)。ターミネータ以外のすべては壊れるために存在しているのだ!とゆー手法で、ターミネータの丈夫さを表現しています。戦闘用ヘリで人が轢かれる(!)なんて絵づらをはぢめて観たぞ! そうそう、「ここまでやんないと壊れないんだよね」ってのがよく解る、いい演出が施されていると言えよう。→【きねま猫】
 

『ターン』

交通事故に遭ったと同時に24時間前に戻ってしまう。しかしそこは人がひとりもいない世界だった。そして事故のその時間に到ると、また24時間戻されて、延々と同じ24時間の中に閉じ込められてしまう…とゆう北村薫原作のお話です。牧瀬里穂は相変わらずいい役者だねー。どこまでが原作にあるエピソードで、どこが映画としての演出かは判断がつかないけど、例えば“冷蔵庫を開けるとスライスチーズが落ちてくる”から同じ時間に戻っていることが知れる、なんてーのは巧いよね。独りの世界でもちゃんとお金を払ってたりする牧瀬がいい子過ぎるけど、まぁいい物語を観せてくれるために選ばれたのだと考えておきましょう(にっこり)。
 

『∀ガンダム I 地球光』

テレヴィシリーズをダイヂェストで2時間10分ほどにしたもの。しかも前編だとゆう。冒頭ははしょりまくり、終わりは決着がついていない。キャラクタはただ単に登場させただけで思い入れられない。「この映画だけを観る」ことには何の意味もない。
 

『ターンレフト ターンライト』

互いに惹かれあっている男女が物理的に、とにかくテッテー的にすれ違いまくる、スウィートなスウィートなラヴストーリィ。おそらく女子中高生をターゲットに作ったものだろう、裸やえっちはおろか、チューすら出てこない健全さです。こぉんな絵空事の、綺麗ばっかりの物語に、しかしこの世のものとは思えぬ美形の金城武が主演をしているのだ。ありえない展開にありえない美形、ってのはめっちゃマッチする、いっそ観れちゃうのであったぞ。
 

『タイガーランド』

ピントの微妙にぼけた映像が、実録っぽい感じを演出していて、戦争映画としては成功していると言えよう。主人公が「頭のいいキャラクタ」なのが一番好感が持てたところでしたね。この手の地味な戦争映画を、こんなに楽しく観られるとは予想外だったのだ。
 

大河の一滴』

自分のことを好いてくれている幼なじみの男にはわがまま放題自分勝手にふるまって振り回す主人公役を安田成美がやっている。どのくない自分勝手かというと、好きなロシア人がモスクワに帰ったから会いにゆくのでついてこい、ってロシアに連れて行くくらいだ(笑)。男の人の心を踏みにじって自分勝手していても、安田成美だったら幸せに終わることができるよ、とゆうテーマらしい(笑)。いかがなものか。あと、若いロシア人が出てきて、安田成美の父親役で三國連太郎が出てきたので嫌な予感がしたら、的中、案の定自分の戦争体験を語り出しちゃうよ、このぢぢい(苦笑)。なんで邦画って、この世代を出したら戦争の影を引きずらないと気が済まないのだ。くそくらえ(にっこり)。
 

『タイタス』

古代ローマを舞台にしたシェイクスピヤの戯曲を、好き勝手なヴィヂュアルデザインで映画にしております。舞台演劇が好きならば、手塚眞の『白痴』みたいなもんで、楽しく観られるのです。
 

『タイタンA.E.』

割りと上質のSFアニメでした。まぁ、日本人にとっては「これ松本零士が考えてたよね」って箇所がぽろぽろあるのは、ごわいきょうだ! あと、悪者が実は悪者であると判明するシーンが雑すぎますね(にっこり)。
 

『タイタンズを忘れない』

1971年に、人種差別が根強く残るヴァージニア州アレキサンドリアで白人黒人混交の高校ラグビィチームの活躍を発端に町の人種差別が消えてゆく、とゆ実話をもとにした映画です。デズニーらしく、後味がいいことこの上ないですね。アメフトのコーチが頭のいい黒人なのが好ましいです。
 

『大停電の夜に』

田畑智子がサイコーにいいなあ。他は並。思ったよりもドラマティックでもなく、逆に現実味も感じられない(笑)<どーせーっちゅうのか。停電が、別に活きてるふうでもないし。一般性とか多様性って方に拡がらないのは、登場人物の大多数が抱いている悩みがどれも不倫に起因しているからかも(笑)。なんてピンポイントにして矮小なテーマなんだろう! 「クリスマス・イヴの群衆劇」って、最大の強敵の『ラブ・アクチュアリー』って大名作があるから、喧嘩を売らない方がよいのではないかとこーゆーのを観るだにつくづく思います。
 

『大統領の理髪師』

2度の政変の合間の1960年代70年代の韓国史が、床屋の一家の暮らしを通して、おふざけをベースに語られます。陰惨な事件も起こるけど、とにかく軽く笑って楽しく観られるよう作ってあるぞ。日本史でもこれを作るといいよね。政情の交替があんまきないから無理かしら。
 

『ダイナソー』

草食恐竜がおちょぼ口なのが我慢できなく気持ち悪い。大口で牙がある、ってのは悪の象徴だと思っているのでしょう。ってことで、デザイン的にまず許し難い。ストーリィは大した話でもない。正確に言うと「デズニー映画に過ぎない」。CGを観てくれって言っているみたいだが、サルの皮膚感がヌイグルミの域を越えていないようでは、「苦労しないで着ぐるみでやったら?」って言ってあげたくなるレヴェルだ。
 

『タイムトラベラー きのうから来た恋人』

地下核シェルタに30年に亘って潜んで育ってきて、ついに地上に出てきた男性の物語です。ごみ同然かと思われた株券にものすごい価値が出ている、とか判り易いズレを楽しむ映画なのですね。そういう意味では期待以下にはならないし、でも期待を遥かに越えてバカ面白という訳にもなっていない…というそうゆう作品です。どーせハッピィエンドに決まっているしね。
 

『タイムマシン』

細かいチェックをすると変な点がいっぱいある(笑)が、ひとつもそれらに関しては触れるまい。そもそもタイムマシンが発明された話なのだ、その時点で十分に変だってば(笑)。時を超える表現はとてもかっちょいいです。そしてストーリィも、「目的があってタイムマシンを作動させたけど、当然行った先の世界は主人公の予想を遥かに超える所である訳だからその場その場で柔軟な対応を迫られ、行き当たりばったりに見えるかのような、展開に身を委ねた展開」になっているけど、それもオッケィ(にこにこ)。“あるひとつの未来の解釈”を楽しむのだと解って、面白がって観よう。
 

『タイムライン』

「三次元FAXを造っていたらワームホールが開いてタイムマシンになった」なんて代物に、説明を受けてすぐ乗り込む馬鹿がいるか?(笑) これは本当に、アホバカSF映画です。監督は『13ウォーリアーズ』の人だ、あーゆー時代の、甲冑つけて剣で戦ってみたいなのが描きたくてしょうがないばっかりだ。それに多少は売れる要素をつけ加えようと、現代から人間を送り込んだだけなのだ。あとすることと言ったら、現代に遺った遺跡から発掘したいろんなものの出自を過去で明かすとゆー遊び。でもそれもすべて見え見えだし。あまりにも何度も過去と現在を往復すると、FAXがコピィ劣化を起こすように、細胞組織にズレが生じて死に至る、とゆう禁忌も、主人公たちにはこれが最初の過去への旅だから全く機能しないし。捉えられ監禁された主人公たちは「我々には600年の、進歩した文明がある!」つって脱出を試みる、その方法ってのがわらぶき屋根の隙間を破って屋根の上に出る、だったり<それは600年の進歩した文明全然関係ない!(笑) タイムマシンが使えるタイムリミットまであと13分!つってからが長くて、お前は『ドラゴンボーユ』の「ラスト1分」か!(笑) 過去に行って権力の座に着こうと目論む悪者が、歴史上負けた側に与してるし<いや、勝つ方に荷担しろって。すべてがゆるゆる。きっと監督は600年前の合戦を描けて、満足なのだろう。
 

『タイムリミット』

世にも下らない理由でどきどきはらはらするサスペンスだ(笑)。本人にしてみれば死活問題なんだけどね。「保険金殺人の容疑者」にされたことよりも、それ以上に「愛人がいた」ことを奥さんに知られないようにする方が大切だもんね。くだらな面白いよおん(笑)。
 

『太陽の誘い』

なんでこんなタイトルか解らないスウェーデン映画です(まぁ、白夜の夏に恋がどうたら、ってことでこの邦題らしいのだけど)。40歳にして文盲で童貞の農夫の男が、身の回りの世話をしてくれる女性…とゆう触れ込みで求人をかけて伴侶を得ようとするってゆー、まーそーゆー話。「文盲」がお話のキィになるので要チェックだよ(にっこり)。女性の出現で立場が危うくなる若いお兄ちゃん(友人の皮を被ってたかりをしている)が、一番解り易く複雑な精神構造をしている以外は、“いい歳をした純愛映画”なのだった。
 

『太陽は、ぼくの瞳』

冒頭から盲学校でのシーンです。これでもかっていうくらい盲の子供が出てきます。映像的に見慣れていないので入り込むまでにちょっとかかるけれど、入ってしまえば(この手の映画は常にそうだろうけど)優しい。唯一、主人公の父親だけが悪者として描かれていて、盲の主人公を疎ましがる役回りです。それ以外の登場人物は全員いい人なのだった。「みんなで優しくいようよ」ってのを確認するために観るとよいでしょう。
 

ダウン』

エレヴェータが人を襲う恐怖!を描いた映画(笑)。エレヴェータが、本当に分け隔てなく、盲人も妊婦も子供も、弱者だからってことで手を抜くことなく、隙あらば餌食にするってゆうさまを表現するってのは、この手の映画の製作スタンスとして完璧に正しい。嫌な奴だから死ぬ、善良な人だから助かる、ってんぢゃ怖くも痒くもないもの。やるなら弱いところから狙う、と捉えるのだって正しいだろうし。ってゆうことで、エレヴェータに乗った客がみんな酷い目に遭うシーンは楽しめました。こんなパタンを考えた、ってゆーアイデアを楽しむ映画なのですね。但し、どーせ「エレヴェータが人を襲う仕組み」までをも解明するのなら、「エレヴェータが人を襲う理由」も言うべきだと、その点は不満が残ったのだった。このエレヴェータ、人を襲っても何のメリットもないだろうにね。
 

『ダウン・イン・ザ・バレー

子供は、こーゆーちゃらんぽらんのお兄ちゃんに惹かれるんだよねー。ビーチに誘われるとガソリンスタンドの仕事を辞めてほいほいついてくる。君を選んだとか、巧いこと言ってるけど、女の子は騙されたりしちゃってるけど、単なる快楽主義者なんぢゃんねえ。誰が大変かって、子供を護らなきゃならないお父ちゃんが大変だ!(笑)
 

『誰がために』

最愛の人を殺された者の心の折り合いをどーつけるか、とゆう問題提起の映画ですね。独特なファクタがいっぱいあって、「美人(エリカ)を殺されたけど代わりの美人(池脇千鶴)がすぐ補充される」とか「出所した少年は更生している(!)」とか。周囲のすべてが仕返しをしてはいけません、と言っているケースでの話だ。だから、なんの参考にもならない(笑)。純粋に「仕返しに殺す」とゆーことが何を意味するのか、自分で考えて結論を出さなきゃねと教えてくれるってーとこが最大の価値ですね。
 

『タキシード』

「ハイパワーを発揮することが出来るタキシード」を着用することで可能だとされる動きってのを、ジャッキー・チェンが演じている訳だ。つまり微妙に、CGやあまりにも大袈裟なワイヤアクションなんてのは、ジャッキー・チェンである意味が喪失するので避けられている。「着るとジャッキー・チェンになれるタキシード」と表現するのが正しいのでしょう(笑)。いつものジャッキー・チェン映画に見られた、“中国人が重んじているのであろう血縁主義を重視するみたいな人間関係”が、この作品では出ていないので、ああ、こっちの方が行動規範が納得し易く観られてよかったです。
 

『ダスト』

押し入った強盗に、金貨を沢山所有している婆さんが昔話を語る、という構成の映画。過去、実際にあった話をしているはずなのに途中で異議が挟まると内容を改竄するし、語り部の婆さんが死んだ後は聞き手の強盗が続きを考えて現在に到るまでの辻褄合わせをするし、何一つ信憑性のないストーリィに仕上がっている。なんだ、なにが起こってもなんでもありなんだ、と思って観るのでまったくはらはらしない。
 

『たそがれ清兵衛』

いつもながらの、真田広之主演の“しょぼくれた侍が実は強い”ものです(笑)。娘役の5歳と10歳の姉妹が可愛いです。
 

『黄昏に瞳やさしく』

76年にあった学生運動に巻き込まれてゆく(ってゆうか自らそっちへ入ってゆく)女の人とその小さい娘の話…で、義理のおぢいちゃんとのココロの交流を描いている。小さい娘は「自分がふたりいる」と思っている。おぢいちゃんは大学の先生…だっけ。設定だけ書くと面白そうに見える? でもつまらないよ。盛り上がりに欠けるし退屈だし。
 

『ただいま』

お母さん側の連れ子がお父さん側の連れ子をささいな諍いで殺してしまい、16歳で刑務所に入って17年後に仮出所してくる、しかし自宅は引っ越してしまっている…ってゆう中国映画です。女囚だから見れる、ってのもあるし、それにしても16+17=33歳にもなってそんなに親が大切かいっと思わされるほどよっかかりっぱなしなのだが、映画の中で言っているように「16歳からの17年間」ってのはそれほどにかけがえのない時期だとも言えるし脳>英題はだから『17年』なのだ。まぁ、無学でビンボで不幸な話が好きだったらいい感じで観れるのではないかな。ラストに救いはあるしね(笑)<言うかなあ。あと、主役の子を取り巻く“被害者である義姉妹”も“刑務所の主任さん”も美人だってのもミドコロです(笑)。
 

『奪還 DAKKAN ―アルカトラズ―』

つじつまが合っていないだろう。そんなことも確認できないほど、「とにかくセガールが活躍する舞台を作る」ためだけに事件が展開してゆくお話になっています。ってゆうかお話にならないのだが(苦笑)。
 

『タッチ』

やむなく、原作にあるものを出さざるを得なく、話を進めているって感じ。あの長いストーリィを一編の映画にしちゃあこーなるわな。それでいて観ている側はその「独特なエピソード」が出現するのを知って、待ちかまえて観ている訳で、こんな作りづらく観づらい映画はあるまい。やめとけばよかったね。
 

『タッチ・オブ・スパイス』

子供の頃、料理の天才だった男の話なんだから、そのままそっち方面に突き抜けてものすんげぇことになればいいのに、“国に遺してきた初恋の相手とおぢいちゃん”の方に思いを馳せちゃうんだよねー。タイトルと設定から期待したものがズレていたってだけなんだけど、うーん。“祖国に易々と帰れない状況”なんてのに現実味を感じないもんでそこで萎えちゃったのは仕方ない、か。
 

『タップ・ドッグス』

タップダンスチームを組んでショウを観せるまで、を描いたオーストラリヤ映画です。みぢかい上映時間(1時間34分)の中に、欲張ってなのか、すげー込みいったストーリィを詰め込むものだから、ワンシーンが2〜3分くないでくるくる変わってゆく…とゆう、忙しい作りになっております。こうなるとどうしても「ストーリィを説明するためのお話」化してくるのは否めないのかしら…。即ち感情移入ができないのです。ラストのタップショウのシーンは、ミドコロと言えましょうけどもね。
 

『堕天使のパスポート』

オドレイ・トトゥは主人公ぢゃないのに、日本語でのキャスト名の順ではトップにクレヂットされているなあ(笑)。本当の主人公のキウェテル・イジョフォーだって、『ラブ・アクチュアリー』でキーラ・ナイトレイと結婚するってゆうちゃんと著名な役をやっているのにねっ(笑)。あと、別段どっこも「堕天使」ぢゃないのにこんなタイトルがついたのは、原題“DIRTY PRETTY THINGS”からの音のもじりだと思いますがどうか。→【きねま猫】
 

『タナカヒロシのすべて』

狂気のパフォーマ、鳥肌実が「体温の低い」男性キャラを演じています。周囲もかなり異常で、でも“空色と白の鯨幕”に象徴されるようにどれも明るい方向の異常さで、爆発するほど追い込まれることはない。それをいいことにできるだけ深く関わらぬよう心がけ生きていくさまが語られるのでした。美人が片っ端に登場するけど誰にも手を出さなかったりとかね。身につまされつつ(笑)も、こんなキャラクタの生活が映画になったことが面白くてしょうがないんだけど、果たしてこれって観客のターゲットはどこに置いているんだろうかしらとちょっと心配になるほどの、なにもしなさ加減ではありましたが。→【きねま猫】
 

『ダニー・ザ・ドッグ』

ジェット・リーが首輪をつけた用心棒を演じていて、首輪を外して「殺せ」と命じられるとバトルもおどに入るとゆうシステムであった。わはは。でももちよん語られるのはそっからの脱却だ。“犬としてしつけ、育てられたから、物事をあまり知らず、口もろくに利かない”愚鈍とゆう設定だから、そおか、ジェット・リーの語学力でもこの役回りなら不自然なく出演できるってことかも、とちょっと思った(笑)。判らないけどね、ジェット・リーの英語が達者なのか拙いのか。
 

『旅するジーンズと16歳の夏』

体型の違う4人の仲良しの女の子たちの誰が穿いてもぴったりフィットする魔法のジーンズを、休暇中に方々へ散ってばらばらに過ごす4人がそれぞれ送り合って、穿いて起こった不思議な出来事を綴り合いましょう!ってゆう設定は素敵(ぽゎん)。なのに、はぢまってみらたらジーンズちっともカンケーねえぢゃん! ぷんすかぷん! ただ単に4つの話がやりたかっただけだったのだ。大がっかりです。変にファンタヂィ方面の期待を抱かせた分、落差がついて、フツー程度のエピソード群がどれもこれも並以下に映りましたとさ(笑)。もうちょっと拡げた風呂敷には責任を持とうよ。
 

『ダブリン上等!』

ヒゲの女の子とか、車椅子の王だと自称する身障者のぢぢいとか、面白いアイテムを片っ端に持ち寄って組み上げた映画でした。口煩いスーパの店長には罰が当たるし、好き放題やって酷い目にも遭う若者にはラストに救いが待っているし、若者ムーヴィなのだろう、若者に甘いなあ(笑)、すこぉしだけ不愉快ですね(笑)。“コーヒィにブラウンソースを入れる”ってのにはちょっと惹かれちゃったけどもー。
 

『ダブル・ジョパディー』

夫殺しの無実の罪を着せられた主人公が、アタマがいい。『逢いたくて、ヴェニス』の主人公みたいに頭に血が上ってイキヨイで突っ走る、なんてことをせず、きちんと“自分の目的を達成するためにどこで何をすればよいのか”を計算して、躊躇することなく大胆に実行してずんずん目標に接近してゆくサマは観ていてとても気持ちがいいのです。そうして本来はこの主人公による仕返しを止めるために追いかけるってゆー役割を与えられている“保護観察官”は、第三者の目、即ち観客の立場でこの闘いを観測するっていう立場にあるのでしょうかしらなーんちゃって!(笑) こうゆうキャラを設定することで視点に拡がりが出る、ってのはドラゴン・ボールの昔にブウとの闘いをヤジロベエが観察していたってことからもお解りですね(にっこり)。…ってゆうくらい、考えられてちゃんと面白く作られている映画でありました。
 

『ダブルタップ』

射撃大会で優秀な成績をあげる主人公が、銃を乱射しはぢめた男を射殺したことで人を殺すことの楽しさを覚え、殺し屋になるとゆうお話。主人公の殺人を止めようとした、護るべき愛する女性を蹴りとばしてでも追ってきた警官を殺すとゆう壊れ具合を見せてくれたのは、この手の殺人者を描く上で正しい演出でしょう。欲を言えば、もーちょっと大量殺戮をしてくれるともっと面白くなったのだが。
 

『ダブル・ビジョン』

被害者の死因が「呪い」かなんかになっているけど、それだったらなんでもありぢゃん、ねえ。オカルトホラーがやりたいにしても、もーちょっとルールをはっきり提示して頂かないと。謎が解かれてゆく爽快さが全く感じられませんでした。
 

『ダブルマックス』

アクションさえやればあとは愉しんで作れば佳しッ!とゆう判りやすいコンセプトのもと、タイで映画を作ってみたら、コントの長いのみたいな作品が出来ましたとさ、ってゆう感じ。悪ふざけと楽屋おちが満載です。
 

『たまゆらの女』

この映画を劇場で観られた者は幸せである。話は、口に出してしまったらなんとゆーこともない物語だが、その語り口、映像がとてつもなく美しい。「すべてのカットが絵になる」と思ったのは『アメリ』以来だ。一例を挙げると、至近距離からカメラで撮ったラヴシーンが、玉のれん越しなのだ。映像美をこれほどまでに大切にした映画には、そうは出会えまい。是非とも、スクリィンで、大画面で観るべきである。オシムラクは、こーゆーきよくってのは時が経つにつれて消えてゆくんだよね〜。それで、文字として伝達し易い部分であるストーリィだけを読み思い出して、「フツーによくある話だったよね」なんて、間違った判断を下しかねない。要注意だ。これは、画と、構成を観る映画だ。→【きねま猫】
 

『誰にでも秘密がある』

美人の三姉妹全員と体の関係をもつハンサムさんが現れる、とゆう物語です。面白がってはぢめた設定に、そもそも無理があるのだ、いったいどうやってこれを収めるのかニャーと思っていたら、案の定、ユルくてテキトーなオチでお茶を濁していたのであった。なんだかなー。これは、どのレヴェルで、面白がって観ればよい訳? 畳めない風呂敷を拡げた感のあるお話であったよ。
 

『誰も知らない』

YOUは「遊んでくれる理想の母親」だ。だけど「育ててくれる母親」ではないのだ。子供が凄くなついている。でも観る我々は、じかに顔をあわせて遊ぶ時には最高の相手だけど、姿が見えなくなった時にも自分を思いケワをしてくれと望む相手としては、YOUは違う、と知っている(笑)。よかった、この話の母親がYOUで。「仕方ないよ、母親がYOUだもん」「YOUはYOUなりにちゃんと好いていてくれたし、あれで十分だったよ」と、母親の肩すらもてるのだ。YOUのを陰で、この映画は成功した。重くて、悲しい話だけど決して暗くないのだ。
 

『単騎、千里を走る。』

日本のパートは、高倉健使いをよく解っている監督が撮っただけのことがある。周囲のすべてのキャラクタがみんな高倉健に氣を遣っているのだ。それを、高倉健を、言葉の通じない中国に飛ばすことで、カリスマ性がぶっとぶ(笑)。そのまんまでは誰一人として高倉健を有り難がる奴なんていねえ環境に置かれるのだ。それでこそ、俳優としての力のミセドコロではないか。威光の通じない中国人を相手に演技することで、役者・高倉健は活きたと思います。チャン・イーモウはええ映画を作ったし、高倉健はいい仕事をしたし、我々はええものを観せてもらったのだ。
 

『丹下左膳・百万両の壺』

北野武が『座頭市』であそこまでの殺陣を見せてくれたのに、全然時代を逆行しているよ! なんだよ、その「斬ったふり」「死んだふり」は。小学校の学芸会のノリの時代劇ですね。子役のヅラの天頂の、本来は頭の地肌が見えているはずの部分がでこぼこで、それを映画の大画面に投影してへっきってゆう、その美的感覚ってゆーか創作姿勢が信じられません。シナリヨは昔ヒットした映画のリメイクだけあって楽しい。でもキャスティングも学芸会のノリだし、SEは滑稽を狙った揚げ句にださく安っぽく仕上がってるしなあ。何だろう、若い人に「時代劇ってちゃち」って思って貰うために作った映画?これ。唯一、和久井映見だけは収穫だ。「心根は優しいけど口が汚く、思ってもいない憎まれ口を始終叩いている」って役なんだけど、そもそも作ったみたいな顔の造作をしている和久井にこれはウッテツケ。表情と感情が乖離しているのをやらせたら、そりゃあ巧いよね。いいのを見つけてきたよね。
 

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』

ミュージカルが大好きな夢想癖のある女性がどんどこ目が見えなくなってゆく…って話です。現実世界で厭なことが起こっても、その現場で流れるリズムに乗って自分のアタマの中でミュージカルを組み立てて楽しくしてしまうのだ。逃避ですので現実はどんどんマイナスに向かってゆきます。ミュージカルシーンはラッキィでハッピィで楽しいのにね。ってことで、“ベースのお話が暗くて重くて救いがない”インド映画だと思って頂いて宜しい。現実世界では表情も暗くブスな主人公が、ミュージカルの場面では明るく可愛く見えるのもよい落差ですね。
 

『ダンジョン&ドラゴン』

人がやってるRPGを後ろから観ているくらい面白い映画です(にこにこ)。仲間が死んでめげて説得されて立ち直るとこは、“冒険”ぢゃあねえのでたるいけどね(笑)。
 

『ダンシング・ハバナ』

設定と展開はたるいけど、ダンスレッスンシーンはもちよん『しゃるいーだんす』の比ではないレヴェルの高さ、っつーか絵になりますね、さすがに。但し上達する表現に“モンタージュ”が使われていて、おかしくって仕方がなかった(笑)のは仕方がなかろう(笑)、『チーム★アメリカ/ワールドポリス』の功罪である。落ちのつけ方も、うん、これだったらありかなと思えるちょっとした独特さで、ちょっと甲斐がありました。
 

『箪笥』

ホラーであり、ミステリィであり、しかも映画の冒頭でどうやら登場人物の中に気違いがいることが示唆されるのだ、どっからどこまでが気違いの視点なのかってことまでをも予想しながら観なくちゃいけないよ!(笑) てゆーか、そこまで作り込むんだったら、“ホラー”はいっそ不要では?と思った。「霊が見える」ことが、“気がふれているから”なのか、“見える人だけに見えるもの”なのか、“そもそもそこにあるから誰にだって見える”のか、曖昧になってぼけるでしょう? ホラーのファクタを入れなくても十分に恐く作れているんだしさあ。
 

『探偵事務所5” 〜5ナンバーで呼ばれる探偵達の物語〜』

500番台のナンバリングを振られた探偵たち(つまり100人近くいる)を擁する探偵事務所、ってゆう設定を思いついただけで楽しい。当然第1話は新人が主役だ、慣れないそいつの目を通して観客はルールをインプットされるのね。あざといっちゃーあざといけど、喜んで作り込んでいるのも解って面白く観られました。やってる仕事はほとんど勧善懲悪に近くなっちゃってるけど、まあ、それはやむを得ないのか。古きよき探偵小説へのオマーヂュか。
 

『ダンボールハウスガール』

浮浪者との生活を「よいもの」「心の通ったもの」として描くために、それまでのフツーの生活で出会う人々を嫌な、不愉快な者ばかりと表現している。でも、だからっつってぢゃあ何故ここで浮浪者に到るか、とゆう辺りの説得力は全くない。まずお話ありきで人物が設定されているだけなのだ。つまり観終わった後に残る後味は“不愉快さ”と“甘さ”だけである。米倉涼子は綺麗だね、以外に観る価値はなにもない。


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