わんこめ映画評ら【ほ】


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21世紀映画評入り口
 

『ボイス』

“いかにも恐いホラー”っぽい画面の予告編を観て、すげー楽しみに赴いたらホラー映画ではありませんでした(笑)。先入観を持って映画を観て失敗した、よい例と言えましょう。観はぢめるや否や、恐くもなんともない、よくいろんなホラー映画で観る使い古された画がどんどん出て来ますので、その時点で「この映画に対峙する心構え」を軌道修正しないとなりません。「ああ、ホラーを撮ろうとして失敗した作品なのだ」では、そもそもないのだ。「え、ホラーじゃないんだったら、いったいこの映画はなにを訴えたいのか?」は最後まで観ると明かされますが、そこまで判らずにいると、上映時間がずっと無駄に費やされることになるのであった(笑)。まぁ、出演する女優さんが綺麗だから観てて嬉しいな、くないの態度で観るってのが無難なのかもしれません。
 

『亡国のイージス』

だからさ、『TUBE』の時にも言ったけどもさ、犯人が退路を確保してないってのが理解できないんですけど。そんなレヴェルの低い奴をやっつける映画作ってもらっても、なあ。
 

『抱擁』

150年前の詩人の足取りを、文献を探し求めることによって追う男女の物語。なんだけど、ひねりも何もなく、詩人の人生がドラマチックな訳でもない。「詩に著された表現はすべて実際に詩人が体験したこと」だとか、変なルールに基づいているし。わざわざこんな妙な構成にしてまで訴えたいことがある話では、はっきり言ってないのでは。
 

『ボウリング・フォー・コロンバイン』

インタビュをメインに構成した120分にも及ぶ記録映画なのに、全然退屈ではない。“アメリカ合衆国に於ける銃規制の必要性”とゆう訴えたいことを伝えるために、何を選んで観せ、どう並べれば楽しませられるかをよく解った監督が作っているのだ。 ラストで銃擁護派のチャールトン・ヘストンにインタビュする、そこに到るまでに「その場でヘストンが展開する理屈をすべて潰しておく」ように作り上げられているので、観ていて気持ちがよいです(にこにこ)。
 

『ポエトリー,セックス』

バーで開催される詩の朗読会が終わって車に乗り込んだ女の子が行方不明になった。女性の私立探偵が調査を依頼されるが、女の子は無惨な死体となって発見される。女の子を殺した犯人を見つけないといけない。手がかりは“被害者は詩人が好きだった”だ。…おいおいおい。だからっつってそんな狭い交友範囲だけ調べて、犯人を挙げるんぢゃねーよ。行き当たりばったりにもほどがある。創作物である詩に、意味を持たせ過ぎだし。全然納得出来んぞ。
 

『ボーイズ・ドント・クライ』

性同一性障害の女の子が、男性としてふるまって彼女を作ったりしていたのだけど、女であることが判った時に彼女のお兄さんらにレイプされて殺される…ってゆう後味の悪い、実話をもとにした映画です。テーマをどっちかに絞って欲しいですね、「性同一性障害」か「レイプ」か。
 

『ホーク B計画』

人が、「そんなに殺すな」っていうくない死ぬ(笑)。「よくこれだけ殺して、まだ生き残って殺される役の人がいるもんだ」と思うくらいどしどし死ぬ。日本のカルト教団の教祖が香港で逮捕されているので、その教団のテロや殺戮に手を焼いている日本側は死刑にするために引き渡しを求め、教団側は教祖の釈放を要求し、香港を舞台に闘いまくる…って映画なのです。教祖の見た目はまんま麻原です。もーちょっと宗教色を強く出してもよかったかな、って思う気がする。完璧テロ集団としての側面ばっかりが強調されていたのね。そうゆう映画なのだった。
 

『ホーホケキョ となりの山田くん』

売れないと思ったら案の定だ。テレヴィで昔やっていた『おじゃまんが山田くん』ほどのレヴェルすらも、ないのではない? まだしも、大昔映画でやっていた『がんばれタブチくん』の方がテンポが善かったでしょう? いったいターゲットは、どこよ?このアニメ。…ってっても、どこだったとしても失敗しているのだけどね。制作現場でみんなで「ケセラセラ」を合唱しながら作った、というのはしゃれのつもりかもしれないけど、涙を誘うよ。
 

『ホームドラマ』

シュールで素敵な映画です。おやぢはネズミ喰ってネズミになるし(笑)。なんだそれは。車椅子の娘が包丁持って階段を、へび女のようによじあがってゆくのも素敵。
 

『ポーラー・エクスプレス』

絵柄が気持ち悪い(笑)ので、まず観ようと思わないんだけど、観ちゃうと面白いよ。但し物語は「総力を挙げてサンタクロースの存在を信じ込ませる」とゆーもので、洗脳商法やってるのと何も変わらない(笑)。「サンタの存在を疑うと、お前はここにいるみんなと違って不幸になるぞ」とあいなけ言われたら、そりゃあ、なあ。だから、もう、徹頭徹尾そもそもキリスト教を信奉している英語圏の人間に向けて作られたお話だと判って観るべき。乗車券のくだりなんて、英語が日常語でない限り楽しめないもの。
 

『ポーラX』

『ポンヌフの恋人』を作ったあの!監督の最新作!…って売り方をされる時点で、この作品自体に華がないというのは察知していただけるでしょうか? ふたまたをかけている青年が苦悩する話。自分が悪いんやんか! ばかちゃう?(嘲笑)
 

『ポーリーヌ』

「いっそ知的障碍者のお婆ちゃんの方が状況の変化に適応できるのだ」とゆうアイロニカルな落ちでした。ポーリーヌの愛らしいことといったら!ないわよ! ポーリーヌの心のお花畑は無限だしね(にこにこ)。この、ポーリーヌの入った施設だったら、入ってもオッケィってまで思った。
 

『ボーン・アイデンティティー』

記憶喪失の殺し屋が、自分が誰かも判らぬままその秘めた能力を如何なく発揮し、自分にまつわる真相に迫る!とゆう話。緩急のあるストーリィで、急の部分は本当に面白い。しかし緩の部分が本当に、たるい(笑)。きっと、面白いところだけを思いついて撮りたくなって、しかし「つなぎ」の部分までをも面白くしつらえる才能が、この監督にはなかったということなのでしょう。
 

『ボーン・コレクター』

安楽椅子探偵ならぬ、全身不随(人指し指と肩から上しか動かない)で寝たきりの車椅子探偵が出てくる話です。で、電話で指示して女の子のお巡りさんを自在に操って証拠集めをしたりするの。…と書くとすげー面白そうだよね! 実際、面白いです。でもでもこうゆうミステリィ仕立ての映画は、ラストの解決部分を観ちゃうとどうしても「オチがつまんない」って感じるのを何とかして欲しいよ。犯人が、警察側にアクセスしてきたから誰であったのかが判明する、っていう流れはどうもねー…。
 

『ボーン・スプレマシー』

『パニッシャー』+『TAXI』ぢゃん。『ボーン・アイデンティティ』よりは解り易く観易いんだけどさー、なんだかミッションがみみっちくなった感じ。
 

『ホーンティング』

これはダメだ。お屋敷の彫刻が動いたら怖いでしょう?って考えてCG使ってがんがんぐるんぐるん動かすんだけど、それぢゃあ『キャスパー』だよ。“滑稽なだけのホラー映画”に成り下がっております。
 

『ホーンテッドマンション』

「エディ・マーフィーのコメディ」としてではなく「みんな行ったことがあるよね? 東京デズニィランドにもあるホーンテッドマンションの映画」として宣伝して大ヒットしているっつーことは、そもそもそーゆー目で見る客を対象にしているってことだろうけど、生憎東京デズニィランドには行った経験がないので、そっち側の人間として観ましたが、なんだか、派手なシーンと派手なシーンの間の、繋ぎの部分の工夫が緩い。全然わくわくもどきどきもしない。
 

『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』

「カメラを1m39cmの高さに据えて撮った」とか聞いたけど、言われるまで気づきもしなかったよ。だって、上から見下ろすカットだって多用してるし! ちーとも効果的ではなかったっつーこっちゃ。ジャック・タチふうのおとぼけ(つってもラップを剥いても剥いてツナサンドの中身が出てこないってシーンのことだが)もあり、アメリふうの展開(つっても電話帳で調べて人を訪ねるってだけだが)あり、なるほどフランス映画だねって思いました。やってることは子供たちの可愛い冒険譚に過ぎないのですが。
 

『僕の彼女を紹介します』

『猟奇的』ほどぢゃあないけど、恋愛に到るまでが都合よすぎる。ラヴい状態でいる間もぶっちぶちの細切れでエピソードが片っ端に提示され、そもそも最初から「僕が死んだら吹く風を僕だと思ってくれ」なんつってるのだ、当然死ぬだろう、その死に至る出来事までもがそれぞれ独立しちゃっている。こっちから望んでその波に乗りに行かないと、なんだか“お話を創ってるなあ”“とにかくいろいろ撮ってつなげてるなあ”ってのが鼻についちゃう…つーのは、これはいつものこと、で済ますしかないのか脳。細切れのワンエピソードごとに気に入る、とゆう好きになり方をした者だけがついてこられる映画なのね。
 

『ぼくの神さま』

ナチス占領下のポーランドへ疎開してきてかくまわれているユダヤ人少年が主人公の話…ではあるのだけど、描きたかったのはおそらく「自分がキリストとなって世界に平和をもたらそうとした最年少の少年」の側であり、「そもそもユダヤ人であるキリストが出現した場合には、やはり強制収容所へ送られるのか?」とゆうアイデアであろう。
 

『僕の恋、彼の秘密』

美少年のゲイのタイ映画です。悪ふざけ以外のナニモノでもない、気持ち悪い話だヨ!
 

僕のスウィング』

ジプシーの音楽を採りわげた映画を作りたい、ってのが前面に出てきていて、その音楽に興味がない者にとっては、そもそも“ジプシーとは何であるか?”から判らないんだから、かなりとっつきは悪い。価値観とかルールが不明なんだもの。少なくとも、我々日本人が観るための映画としては作られていません。そして、ストーリィは「ひと夏だけの恋」を演出するために、ラストでこてんぱんにケリをつけるとゆー救いも未来もない終わり方をするし。こんなに徹底的に、せっかく組み上げたものを壊さなくてもね、って思いました。
 

『ぼくの好きな先生』

フランスの片田舎で、全学年合わせてもひとクラスにしかならない少人数の小学校の実録映画。先生って、こんな強権なんだ、って思いました。大人にこう言われたら、ちいちゃい子なんて、従うしかないぢゃん脳。やりたいことをさせる教育の『こどもの時間』の方が、同じテーマなら何百倍も凄い映画だった。「ほら、こんな、マンツーマンな教育を施している学校なんてのがあるんだねえ」って言われても、『こどもの時間』を観ちゃってるからねえ、こちとら。
 

『ぼくの孫悟空』

優香が巧いように聞こえるのは今井恵理子が下手過ぎるからで、まぁ、アニメの声優としては並ってとこであろうゲ。お話は、そもそもみんなが知っている西遊記をベースにしているってことで、「どこをズラしたか」「どこを変えたか」ってとこばっかし目についちゃって。「え、金閣銀閣出ないのか」っつーことですごいところで話は終わるし。…って思うのも原作を熟知しているからですね。こんなに有名な物語をアニメにするってんだったら、なんてゆーかもっと換骨奪胎した方がいいものが出来たのだろうと思う。なんか、昔懐かしい手塚の絵のアニメィションの新作を今ごろ作ったよ、ってだけで、新鮮さなぞ微塵もないのであった。新鮮さを求めているアニメでは、もちよんなかった訳だが。ぢゃあ何のためにこれを観る?
 

『ぼくの妻はシャルロット・ゲンズブール』

奥さんが女優なので旦那はキガキではない、とゆう話。周りも「物理的にキスをしているんだったらそれはキスだ」とか煽るのだ。それで苛ついた女優である奥さんは監督に「ラブシーンを撮る時に私を脱がせたいんだったらスタッフみんなも脱がなきゃ嫌だ」とか言うので、撮影所の全員が全裸で映画を撮るなぁんてシーンが出て来たりするよ! 久ヴぃさに股間のぼかしを見せてもらいました(笑)。まさに『デブラ・ウィンガー』で問題提起されている、その状況を映画にしたよーな映画です。男女が逆だったら問題にならないんだろーなーと思うよ。『女優はつらいよ』ですね。
 

『ぼくは歩いてゆく』

イランの、現実の子供を描いた映画です。イランには映画に検閲があって、『運動靴と赤い金魚』とか『太陽は、ぼくの瞳』なんかは検閲を通った“いい映画”だそうだ。でもこの『ぼくは歩いてゆく』の監督は検閲に通らないような映画ばっかり作っているのだ。これも、両親が麻薬中毒で、そのため生まれた時に戸籍を取ってもらえず、身分証もないまま学校にも通えない子供ってのが主人公の映画なのだった。実際のその子を主人公に使ってそうゆうのを描く、ってゆう半ドキュメンタリィ方式(シナリヨはちゃんと存在するからね)を採っているのだけど、さすがに使っている子供はシロトだけあって、セリフを方々とちっているのだ。きっと「とちっている部分もドキュメンタリィ」なんて思っているのかもしらんが、違うぞ(笑)。早い話が“映画としての完成度”が低いといえよう。“訴えたいこと”がたとえ、正しくともね。
 

『ぼくは怖くない』

言った時点でネタばれになりそうだけど、そう思ったんだから仕方がない、率直な感想は「なんだよ、直球かよ」でした(笑)。まだ先があるだろうと思ったのだ。てゆーか、だったら、ここでゴールだってゆーんなら、そのように、それと判るように描いた方がお互いのためではないかなあ。なんでも伏せておけばいい、だって主人公にはこの角度からしか見えてないんだし、ってゆーのは、観客がまったく主人公と同じ思考回路をしている時にのみ成り立つ手法だ。先読みして、要らん予測をたてる観客のことを考えて、もっと早いうちに「もう推理しなくていいから、映画に没頭してね」ってことを明かして頂きたいよ(笑)。
 

『僕はラジオ』

性欲もない、人畜無害の知的障碍者だから、こーやってみんなに愛されて溶け込んで過ごしてられた、とゆう実話に基づいた映画ですが、まぁ、くさすまい。好んで観に来た人が優しい気持ちになれるんだったら、こんなレワケースを観せることにも多少の意義はあるのかもしれないしね。
 

『ぼくんち』

西原理恵子の見開き2ペーヂ連載漫画を映画にしたもの。ギャグとはいえ、そもそも西原の漫画は毒が売りで、現実にいたら怖くて触れないキャラクタをへっきで漫画に登場させる、なぁんてことが行われている。それを映画化するにあたってどんな手法が採られたかとゆーと、全員を“デフォルメしたおもろいことをやる奴ら”にしてしまったのだ。その結果、「あまりに悪ふざけが過ぎる大人たち」と「台詞をマトモに言えない主人公たる子役」との物語に成り下がってしまった。ところどころ急にシリヤスになって、ここで感極まってくれったって、そのほかのシーンが地に足が着いていないんだから、ちょっと無理。「話の通じない、なんでもギャグの返ししかしないキャラクタ」ばっかり出てくる映画だ。つまり“レヴェルが低くてまとまっていない吉本新喜劇”を観せられているに過ぎない。
 

『星になった少年』

コオロギのシーンに代表されるように、幼稚っぽくて低レヴェルな映画。象は、特に芸を披露するところなんか、かあいかったんだけどね〜。
 

『星に願いを。』

今度は竹内結子の方が後に遺されることになる、逆『黄泉がえり』ですね。感動的にしようと思ったのだろう、かなり細かい点で出鱈目を通しています。一番許せないのは主人公の男がばかなこと<そもそも「盲目の人間がペンで書いた遺言を遺す」なんてあり得ないと、いくらなんでも気づけ、ばかっ。
 

『ホステージ』

おうちのサイズの『パニック・ルーム』、そして案の定『ホーム・アローン』でもあった。にしても子供は傷つけないし女の子は犯さないし、大人の男に対する対応とえらい違いやな>犯人。甘い甘い映画だ。
 

『ホストタウン/エイブル2』

アイルランドで開催されるスペシャルオリンピックスの、日本選手団のホストタウンになったニューブリッジという町に住むダウン症の女の子、エイミーの生活が描かれます。なるほどね、知的障碍を持つ人たちとは、こう接すればいいのか。だれもがこーゆー気持ちで人と接すればだれも争わないだろー脳、とは思ったけど、日本選手団の中にウェットな人間関係を求めてくるメンバがいて、ああそうか、言葉が通じちゃうと鬱陶しいって感じることもあるよね、それはね、とも思い知らされたのであった。優しい気持ちはなかなかむづかしそうです。→【C2】
 

『ホタル』

特攻隊で生き残った高倉健の戦友が、昭和天皇の死をきっかけに自殺する。「会いに行って一緒に酒を呑んでやればあいつは死ななかった」なんて自分の責任を感じる健さんです。そんなところに責任を感じるっていうのはどうよ。なーんて思う人にはこの映画のよさは解らないことだろう。つまり『鉄道員』の時と同じく、“健さんルール”に同調出来るかどうかがこの映画を楽しめるかどうかの分かれ目になるでしょう。映画の中でも、健さんの前ではみんな本心を嘘偽りなく明かして正面から臆面もなくぶつかっていく、なんてキャラクタしか出て来ないしね。みんな健さんに叱られないよう必死と見たがどうか。
 

『ほたるの星』

どこの世界に「児童が飼っているほたるが羽化しなかったら児童の心にトラウマが残る」つー教頭がいたり、「ほたるが飛ばなかったら教師を辞める」なんて賭けをしたりする小学校があるでしょうか!(笑) 判りやすいペナルティを課すことで、大人の世界の“問題”を簡略化しデホルメしてあるのですね。作っている側はこれを子供向けだと思っているのだろうが、子供を舐めていると思います。大人が観ても不自然に思わないものをこそ子供に観せろっちゅーの(パイレーツ風)。→【きねま猫】
 

『鉄道員』

志村けんがいいね。あと一番小さい時の娘。可愛いね。ストーリィがどうも、許せないのでランク的にはこの位置だ。だって、「娘が死ぬ時も」「奥さんが死ぬ時も」仕事をしていました、って、もしこれ普通のサラリーマンだったら赦されると思う? 大バッシングされるっしょ? 雪深いJRの終着駅の駅員だったらオッケィでサラリーマンだったらダメって、職業に貴賎があるとでも言いたい訳? あと、見た目が高倉健だから「不器用ですから」で赦されているでしょう。そうゆう時は仕事を替わってもらいなさい! もしこの役が坂田利夫だったりしたら、みんな認めるかー? アホの坂田も結構不器用そうだぞ。…などと考えつつ観ていました(笑)。
 

『ホテル・スプレンディッド』

イギリス映画です。孤島のホテルが舞台で「便秘になるような料理(ただし健康にいいとのフレコミ)を出し、エステティシャンに依るマッサージとか浣腸を有料で行い、上からも下からもお金をとる」ってシステムなのだ。さらに「客がしたウンコからメタンガスをとりボイラーの燃料にする」とゆうのもやっている。そこへ“消化のよい料理を作る料理人がやってきて客がもりもりウンコをするのでボイラーが暴走する”って展開になってゆく(笑)、と書くと面白そうだが、観せ方がもったいぶってて謎めかしている(い過ぎる)ためにねぶいです。先にこれらのシステムを全部オープンにしてからキャラで魅せればよいものを、かなり途中寝ました(笑)。映画はもっと判り易く入り易く作りましょうね(にっこり)。
 

『ホテル・ハイビスカス』

リアルな子供は本当に下品だ。それでこそ子供だ。おならとかを喜んでする。下品な替え歌を大声で歌って行進する。『トトロ』のメイが、現実世界で小学3年生まで成長したら、きっとこの主人公の美恵子になるのではないかと思ったよ。この映画で語られる沖縄の子供のパワフルさはとても素敵です。ひと夏だけのお話だったのだけど、もっと観たい。普通の映画だったら、ストーリィとキャラクタは密接に繋がっているって解ってるから、ただこのキャラクタで続きの話が観たいなぁんてそんなキャラ萌えみたいな欲求は絶対に抱くことはないんだけど、これに限ってはそんな理性も失ったぞ(笑)。美恵子が動き遊んでいるさまを、もっと永く観ていたかった。成長しちゃう前に続編とか作ってくれないものかなあ。→【きねま猫】
 

『ホテル ビーナス』

めぞん一刻だ、これ(笑)。さまざまな来歴の人が集い棲むアパートで、順繰りに住人の過去に迫る!ってゆう作りです。“全編韓国語で日本語字幕入り”つーのと“ラストの10分を除き、モノクロ”つーので、どうにかべたな話にならず、映画として観られるレヴェルを維持していたよ。
 

『ほとけ』

未だかつて怒ったことがない男、武田真治演じるライは鉄くずを集めてきて大仏を造っている。ライは、目が見えない女の子・ユマのことが好きなのだが、ユマはライの兄でちんぴらのリーダをやっているシバに熱をあげていて全然振り向いてくれない。最初の設定こそ“ちょっと異世界的かな”と思わせるが、やっていることは“いかに自分の愛を成就するか”でした。難儀な男に、しかし救いを求めて惚れ込んじゃった女の子って、難儀だなあと思わされるのだ(笑)。
 

『炎のメモリアル』

別段ドラマティックでもなく、ありきたりな消防士の日常と仕事が語られる。そりゃあ火事の現場だもの、危険もあれば殉職だってあろうよ。これで消防士に感謝しろと言われてもなあ。もうちょっと、映画にする甲斐のある独特なエピソードでも入れたらどうか。
 

『仄暗い水の底から』

最後の15分を言いたいがために作られたお話であろう。最後の15分に到るまでは、だからネタがばれて「絶対こうなるよね」とミエミエの展開であっても我慢して観続けないとならない。かなり辛い。主役の黒木瞳が、余計な恐いところに顔を突っ込まなきゃいいのに次々と自分からそっちへ進んでゆくのが不満でならないからだ。やむを得ずそういう行動に到るという展開をこそ、作り出して頂きたいものです。
 

『ポビーとディンガン』

妹の空想上の友達に町中の人がみんな乗っかるべき、というファッショなハートウォーミングを強制する気持ち悪い映画でした(げー)。ファンタヂィに行ってればまだ救いはあったろうに。“妄想癖があるなら法を犯しても無罪”ってゆう、それが結論だった。げー。死ねと思う。あ、エンドロールで披露される、いろんな子供が描いたであろう想像上の友達の絵の中に、きっと明らかに欧米人であろう子供が「雷徳」と、漢字の名前を添え書いたものが一枚あって、ちょっと萌え〜。漢字萌え〜。表意文字萌え〜。
 

『微笑みに出逢う街角』

『ライフ・イズ・コメディ!〜ピーター・セラーズの愛し方〜』以来の懸案であったソフィア・ローレン、本当に乳でかッ!! もうええ婆ちゃんなのに着衣の上からでもそれと知れる、でかッ! 3人の女性の物語が細切れで、交互に語られるとゆう形式になっています。そして、なるほどね、このタイトルに着地するってことでした。早く、この構成の意図するところを察知して、そうと知って観るスタンスを採らないと、いったい何が展開しているのか繋がりを理解しようともがき、意味不明なまま時間が過ぎていくであろうのだ。→【きねま猫】
 

『ポロック 2人だけのアトリエ』

絵描きの伝記映画は、見知った絵が出て来ると俄然面白くなる。のだけど、しかし男性画家を採りわげた場合にはどーしてこーも“女性関係”こそがストーリィのメインになるのか。浮気者の話としてしか脚本が書けぬとゆー、底の浅さを露呈しているのでしょうか。→【C2】
 

『ホワイトアウト』《2000年》

どうです、かっちょいいでしょう? 真冬の豪雪に閉ざされたダム! それが大放水する!(笑) ヘリは飛ぶ雪崩は起きるヘリ落ちる、でも悪者は死にませんよ〜、そのあとで取っ組み合いのバトルが待っている! キー! 観ているときは楽しい(我慢ならん処が多数あっても、「その内によくなるだろう」と期待して観続けているから)けれども、1回観たら二度と観んし、人には薦めん。
 

『ホワイト・オランダー』

母親が殺人を犯し禁固刑になるので、里親の間を転々とする女の子の話。行く先々でなんかかんか事件が起こって都合3軒の里親のとこに身を寄せることになるのだった。読んでいないから断言は出来ませんが、きっとこれは筒井康隆の『家族八景』ではないかとゆー印象を受けたよ。
 

『ホワイト・ライズ』

ブラックアメリだろう。オドレイ・トトゥがやると似わう役だと思いました。最大の問題は邦題だ。「白い嘘」って意味でつけたようだけどさ。原題のままの「ウィッカー・パーク」にしておけばよいのにッ!
 

『ポワゾン』

新聞広告で知り合って、今日はぢめて会う相手と結婚をする。しかし、やってきた女は送られてきた写真より美人だった。そして挙動がどうも不審だ…ってゆう、推理小説が原作の映画です。プレス資料なんかに依ると「官能の世界」を売りたいらしいが、そんなもんよりストーリィの展開だけで充分に、楽しく観られます。
 

『ホワット・ライズ・ビニース』

霊現象におびえる主役の奥さんは神経症だった(サスペンス)、若しくはその霊現象にみえるものにはトリックがあった(ミステリィ)、のどっちかだと思って観ていたので、まさか本当の霊現象だ(スリラー)と判った時はびっくりしたよ(笑)。映画が終わる時に判るのだけどね。とほゲ。スリラーをこんな見方していると、全然怖くないのだとゆうことも知った。つまり、ちょっと作り方が“思わせぶり過ぎ”なのだろう!
 

『ボン・ヴォヤージュ』

なるほど、齢50に近いのに化け物のように綺麗(笑)なイザベル・アジャーニは、こうゆう使い方が出来る訳か。“男に甘えてしたたかに思い通りに生きてゆこうとする美人女優”役だ。なんてゆーか、適材適所ですねー。ストーリィは、古きよきコメディを、よくぞここまで作り上げたものだと感心するよ、今観て楽しめるコメディでした。古く感じるのは、それはそーゆー意匠なの。そうか、ヒロインに今風の美人を起用するっていう意味があった訳だな。それでいて物語は昔風で、つまりは今観る用に昔風を作ったってことね。成功しています。
 

『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』

「姉妹を描いた映画」ではぢまって、「天才音楽家の映画」に移行して、最後は「闘病と慈愛の映画」に終わる…ってツクリです。ジャクリーヌは病気になったから、結論がついたけど、あのまま健康に生きていたらきっとすげータカビィなプライドまれけのヤな婆あになっていたかも…と思うね。『葡萄酒色の人生 ロートレック』と同じだ。つくづく“病気”とか、苦痛は人を改心させるね(笑)。ってことでこうゆう伝記もののラストは病気で締めるとキレイに終わる、というノウハウが解るのです。
 

『ボンベイtoナゴヤ』

これは商業映画ではない。金を採って観せるレヴェルの映画ではありません。撮影も、編集も。20年前の高校生でももっと“ヒトサマに観て頂く”誠意を持った映画を作っていました。画面にカメラのクレーンの影が映り込んだら撮り直せよ。「はしょった部分は観てる側で埋めてくれるだろう」でなくってちゃんとストーリィが判るように場面を繋げよ。


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