わんこめ映画評ら【ま】


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21世紀映画評入り口
 

『マーサの幸せレシピ』

いかにもな、ハートウォーミングな映画ですよ的なタイトルには参るが、食材や調理がとても綺麗に撮られていて(出来上がった料理を綺麗に撮ることだけだったらこれより遥かに容易いであろう)、キャラクタもエピソードも小気味よく選ばれていて、たしかにいい映画を観た!って満足感が得られるものであった。自分から「幸せ」って言っちゃう邦題に於いてだけ、かっこ悪くてちょっと減点ですけど(笑)。
 

『マーサ・ミーツ・ボーイズ』

「3人の男が女の子を取り合う」映画ですが、『メリーに首ったけ』よりよっぽど“女の子が好かれる理由”が描かれていて(ってゆうか女の子を好きになる男3人それぞれのココロの動き、かな)上等です。たぶん、ミステリィとして観ても充分に楽しめるのだった。そうか、そう持ってってそこでボケるか、みたいな…。構成も善く出来ております<偉そう?
 

『マーシャル・ロー』

「マーシャル・ロー」って何かって言うと“戒厳令”です。アメリカでテロが頻発したから、戒厳令が布かれて軍隊に依る統治が始まってアラブ系住民たちが片っ端に拘置されて、市民たちが怒ってデモをする、っていう映画ですね。結局テロリストのおおもとの一人を倒すことで事件は解決するのだけど、うーん…(笑)。そうそう、もともとの原題は“THE SIEGE”…って、これ「包囲網」って意味なんだけどそうゆうふだ。テロリストと軍隊との両方の包囲網をかけてるのかな。日本で公開するにあたって「戒厳令」の方が受けがいいと見越してのことなんだろうけど…どうかな。戒厳令が出てくるのってお話が半分以上進んでからだしね。ってことで、『マーシャル・ロー』ってタイトルの映画だと思って観にゆくとちょっとこれでいいの?って感じです。では、タイトルと関係なく映画の出来はどうかって言うと、フツー。つまり、総合評価で「ちょっとランクの低い映画」ってことになりますのだった。
 

『マイティ・ジョー』

でっかいでっかいゴリラがデズニーの動物園に連れて来られて、でも悪者の悪巧みで逃げ出しちゃって、遊園地へ行って観覧車の上に取り残されたコドモを救出して「なぁんだ、いいゴリラだったんぢゃん」って判った時には観覧車から落下したことで死んだ…と思ったら実は生きていた、とゆうデズニ−らしい映画。実写になっても悪者は悪者然としているのだなあって、感心したものです。まぁ、つまりは子供向けなのでしょう。
 

『マイ・ドッグ・スキップ』

映画の最初に「実話を基にしている」なんて出るけど、不要だ。えーとね、先天性の障碍(障碍?)をもたない『サイモン・バーチ』(代わりに犬を飼っている)だと思ってもらっていい。つまり、単に、子供が犬を飼ってだんだん成長してゆくとゆーだけの話だ。犬は可愛い。しかし犬が出てくるまではつまらないので、試写室で隣に座ったおぢちゃんは寝息をたてて寝ていた(笑)。
 

『マイノリティ・リポート』

つなぎのシーンがない。どのシーンにもすべて趣向が凝らされ楽しめるように作られている映画です。時にはキャラで、時には小道具で、時には動きで、時には“その特異な状況で起こりうる愉快な出来事”を描くことで。2時間25分をまったく飽きさせずに観せる、このサーヴィス精神はすごい。
 

『マイ・ハート、マイ・ラブ』

11人の人間が6カ所で起こす出来事を、時間順に片っ端に観せてラストでひとつにまとめる…っていうツクリの映画です。「蛙の落ちてこないマグノリア」ですね。蛙が落ちてこないので、登場人物たちは自分の問題を自分で解決しないといけません。『200本のたばこ』もこうゆうツクリだったけど最近流行りなのかしらん。冷静に、ちゃんと並べ変えてみれば“観るに値する”エピソードはせいぜい「エイズの男の子に恋した女の子」の話くらいで、他は観せ方で持たせているだけで、そんなにドラマチックではないぞ。…だったらなおのこと蛙降らせなきゃ(笑)。
 

『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』

そうそう、『アバウト・シュミット』のヂャック・ニコルソンも、このヒロインの旦那役のよーに、ありのまますべて(面喰らいながらも)受け入れる、ってすればハッピィだったろーに。あらゆる“ギリシャ的”な風習が、単に滑稽さを産み出す前振りに使われているだけで、ひとつも結婚の障害になってないのが見易さです(>そーして考えると『ベッカムに恋して』は障害が多過ぎた)。結婚にブレィキがかからないってのは、観てて嫌な気分に一瞬たりともさせないってことだ。大衆に支持される所以だと思います。
 

『マイ・ビューティフル・ジョー』

気のいい、皆に好かれるジョーが窮地を切り抜けてゆくお話。こんなふうに、小ずるいことを考えなくって物事が進んでゆけば、そりゃあいいんだろうにね、などと夢物語と解って観る類いの映画でしょう。ジョーに救ってもらうシャロン・ストーンの方こそがこの映画の主人公だ、と設定されているらしいけど、別に、ジョーが主役だと思って観て支障はありませんでした(笑)。ま、確かに、ジョーはもっと別の人をも救いにゆけばよいのにシャロン・ストーンで引っかかったらそこにかかりっきりだったなあ、とは思ったけどもさ(笑)。
 

『マイ・ファーザー』

ナチスと親子の愛情を天秤にかけた物語だ。映画創作に於いて、絶対悪とされるものvs絶対善とされるものの対決です。わはは。面白いことを考えたものだ。だとしたら、しかしこのラストはちょっとなあ。面白みなく、手堅い方に荷担して終わるぞ。まあ、救いがないって点はとても評価できます。救いがない映画はレワだから、とても楽しい(にこにこ)。
 

『マイ・ブラザー』

先天異常である口唇口蓋裂をこーゆー使い方するのはいかがなもんかとちょっと引いたんだけど、考えてみたら韓国映画って重度脳性麻痺の女性をヒロインに据えた『オアシス』までをも作っているほどだったのだ、なんでもモチーフにならないものはない、のだろうよ。でもこの『マイ・ブラザー』の後味はとてつもなく悪かったけどもねー。滅入りました。
 

『マイ・ボディガード』

こーゆー復讐鬼ものはトラボルタとかバンデラスとかセガールとかザ・ロックとかがやるとはまると解っている、それをデンゼル・ワシントンが狂ったように問答無用の殺戮を繰り返しながら核心に迫ってゆくのが心地よいね〜(笑)。しかしこの結末には腰が砕けますけどねー。まぁ、ダコタ・ファニングが起用されてる時点で予想しなきゃならなかったのだろうが(にっこり)。
 

『マイ・リトル・ブライド』

女子高生と、その高校に教育実習で来る大学生が結婚していたら?とゆうラヴコメ。もっと障害があったりすんのかと思ったらすんなり籍を入れて、細かい事件が繰り広げられるさまを描いただけとゆーちゃちなシナリヨでした。
 

『マインド・ゲーム』

「神の造型」「空中を走れる理由」「足首の骨が折れた時の解決策」なぁんて、秀でているところをいちーち挙げはぢめてもきりがない。すべての展開とデザインが、パワーとアイデワに満ち溢れている。そもそもアニメィションってのは、自ら描いて出現させている訳だから、あらゆる隅々までもを自分のセンス一色で統一することができるんだよなー。映画芸術の最高峰には、実写ではなくアニメィションでこそ到達可能であろうって思っちゃいますね、これを観るとね。→【きねま猫】【C2】
 

『魔王』

ナチスの捕虜になったフランス人が、子供好きなとこを買われて、子供に兵隊としての教育を施すナチスの学校で働くことになる。子供好きなので馬を駆って近隣の村からどんどん子供を連れてきちゃうのだ。だもんだから母親らから「魔王が子供をさらいに来る」と恐れられるようになる…とゆうお話です。直接的な悲惨さをそんなに感じさせないままストーリィが進んでゆくので、楽しく観つづけることが出来ましたね。なかなか戦わない戦争映画、なのであった。
 

『魔界転生』

強い剣豪が魔界から蘇ってくる話なのだけど、その剣豪の強さを知らないので凄さがどうもねえ。残念なことに、家康の出現シーンは、『富江』みたいだったし。せめてこれを『富江』の前に作っていたら褒められように。
 

『マグダレンの祈り』

「なんでもないこと」なのに周囲の、身内が狂信的なカトリックの信者だと許されず、修道院に放り込まれて一生を奴隷のようにこき使われて送ることになる…とゆう史実を映画化したもの。あまりの不当な扱いに、観て怒る人もいるでしょう(笑)。思わされたのは、つくづく、自分を護る程度の力はどんな時代、どんな立場の人間でも持ってなきゃ脳、ってことぢゃった。こいつらのこの境遇くらいだったら、今なら、どいなけでも抜け出せるのにね。「逃げ場がない」と思い込ませるのも宗教の力だ。ひー。
 

『マグノリア』

根底を流れるテーマはおそらく“親子の愛”、表現しているのは“より大きい出鱈目が起きるとそれ以外のあらゆる悩みは雲散霧消する”、観終わったあとに残る感想は(どの登場人物に関することでもなく)“掃除が大変だろうなぁ”です。緻密に組み立ててきてそれをぶち壊すのは、さぞや楽しかったことでしょう! …実は、嫌いではないのだけどね(笑)。でも決して人には勧めないなあ(わはは)。
 

『マゴニア』

簡単に言って、なにやってるのか解らない。小さな3つの物語と、それを語っている世界の話で構成されているけど、はっきりとシチュエイションが捉えられないままでどんどんストーリィが展開していくので、保留しながらついていくか、理解するのを諦めるかしかなかろう。諦めました。もっと面白く、楽しく作れそうなもんなのにね。
 

『マザー・テレサ』

「俺たちが見捨てた者を世話してる」に尽きるね。デホルメされ単純化されて描かれているだろーけど、でもこーゆーことをした人なのだ。観て、知っておいて、よいと思います。
 

『マジェスティック』

2時間33分は長い。どうしてこの話で、もっと短くしなかったのだろう。ジム・キャリーが事故で記憶をなくした男の役を演じていて、見知らぬ町で映画館の再建に尽力するって話だ。予想される範囲以上の出来事はなにも起きない映画でした。
 

『マシニスト』

ネットで調べたから「機械工」って意味だ、主人公の職種がタイトルになっているんだと判ったけど、もーちょっとこの邦題はなんとかしたらどうか。365日間眠ってない、がりがりに痩せた男が抱く妄想と現実をごちゃごちゃに描くことでふわんを表現してるんだけど、妄想部分と現実部分の線引きがきっと曖昧でテキトーだ、どっかでいんちきしてるにちまいない。はっきりと観づらかった。不眠症がエピソードではなく原因があった、それを解くのがこの映画の目的だったってのにはちょっとかなりがっかりです。意外じゃなさ過ぎて面白くないや。
 

『マスク2』

なるほど、赤ん坊や犬にマスクの能力を与えるとゆー展開になってよっく解った、どーせCGで描いて動かすのだ、ジム・キャリーの才能の必要はないよね(笑)。おふざけが過ぎるところがあるだろーと、そこまで判った上で観れば、充分に楽しく観られましょう。→【きねま猫】
 

『マスター・アンド・コマンダー』

これは始まって1分でつまらないことが解った。上映時間の2時間19分が苦痛でした。“不敗神話を誇る艦長”って最初に字幕で出るけど、その艦長の乗った船は端っからやられまくり。延々と逆境にあり続け、くだらない障害ばかりが降りかかり、解決策はどれもこれもしょぼい。ひとつも不敗ぢゃない。駄目駄目の艦長だ。子供が作ったのではないか?と思ったほど、ものすごくシナリヨのレヴェルが低い。こんなに退屈な映画はそうはない。
 

『マダガスカル』

肉食獣と草食獣が一緒になって動物園を離れ野性に還ったらどーなるか、ってのがあまりにも予想の範囲内で展開して予想外だ、但し「予想外につまらない」だが。動物のデザインがかあいく出来て、そこで満足してしまい、シナリヨを安く上げたって感じであった。
 

『まだまだあぶない刑事』

あむない刑事のシリィズ、はぢめて観た。なるほどね、古き刑事物ドラマから脱却しようとこれが現れて、そっからさらにずらすことで踊る!シリィズが生まれて、あんまきにも最近は踊る!踊る!煩いから、揺り戻してこれな訳か。解決直前までは確かに、今や新鮮で面白かったけど、このラストは駄目だ。廃れた訳が解った氣がする緩さです(笑)。犯人がぺらぺら喋っちゃあ、ねえ。それにしても水川あさみは、かわよいなあ(ぽゎん)。
 

『マッスルヒート』

未来の荒廃した日本で麻薬組織を壊滅させるべく頑張るケイン・コスギのアクション映画です。子供が味方だ。なんてゆうか、甘いシナリヨで新鮮味のない展開で、ケイン・コスギの顔のファン以外はこれを観てなにを得るのだろうか疑問です。『漂流街』を観た方がいいよ、どーせならね。
 

『マッチスティック・メン』

神経症の詐欺師の男に娘がいたことが判明する、とゆー、どことなく『ペーパームーン』っぽい映画。しかしもう、この種明かしされるパタンはいいよ。これだけ多用されると既に「夢オチ」と同程度のインパクトでしかない。もちよん、観ている間はそーなるとは思ってないから、面白い…って点まで“夢オチのごとし”なんだけどね。
 

『マッハ!』

なんでタイトルの「!」がいっこなんだよお(笑)。宣伝では8つだったのにぃ。CGを遣いません、って言ってるけど、瞳の中に火が燃えるシーンは、あの合成はCGでは?(笑) さておき、やりたいのはムエタイ使いのジャッキィ・チェンですね。それにしても頭にヒットすることが判っていると、顎を引いて待ってたりして、なかなか受ける側も大変です。本当にやられてこけたりするシーンを観てチャップリンを思い出しました。そうか、もう、映画の黎明期に“体を使った見せ物”は完成していたのだと思い知ったよ。
 

『マドモワゼル』

既婚の女性がイタリヤ人男性と24時間をともに過ごすうちにラヴい仲になってゆく、とゆうフランス映画です。不倫話のくせに、ヒロインの側に全然家庭臭をにおわせない工夫(家族を一切映画に出さないとか、結婚8年目のくせにそうは見えない若くて可愛いルックスだとか)が凝らされている上に、軽く楽しく描くとゆう手法も相まって、全然どろどろしておらず気分も悪くならない、よい展開で進んでゆくものであったよ。劇中に出てくる即興劇も面白かったしね〜。
 

『マトリックス』

2回観に行こうと思って前売りを2回分買ったのだけど結局1回しか行けなかったよう(ちょっと泣)。でもでもかっちょいいよ、この映像。問題は、予告編で全部観せちゃって、それ以上の映像がなかったことだ(笑)。ナニハトモアレ、この話ではほとんど何も解決していないので続編を待つしかなかろう。
 

『マトリックス リローデッド』

ベッドシーンは要らない脳。すげー理屈を弄するのが今回の目玉であろう。理屈好きには堪えられまい。たぶん、初見ではみんな期待し過ぎてるから、すべての次のシーンが全部期待以下ってことになっていはしまいか。だから、2度目、3度目と、繰り返して先を知った上で観る時の方が純粋にこの映画のすごさを楽しめると思われます。キー・メーカが素敵。→【きねま猫】
 

『マトリックス レボリューションズ』

いきなし、もう『リローデッド』を覚えてないと解らない人名のオンパレィド。だからミドコロは既にストーリィではない。ストーリィは、たとえ数多の固有名詞を棚に上げて観進めてもついてゆけるって程度の簡単な構造にしかなりえないのだ。つーことで、やっぱセンティネルの大群がドックを襲うシーンだよね〜♪ あのくないのを、日本の怪獣映画でもやっていただきたいと思うことしきり。ま、一生に一回だけ、観るのにいい映画、でした。観返したいと思うには、あまりに、こっちが慣れたせいだろうか、予測の範囲内で、フツーだったよ。『デアデビル』だったし『ドラゴンボーユ』だったし、いろいろ入っている。
 

『真夏の夜の夢』

さすがシェイクスピヤというのか、セリフが脚韻を踏んでいる。そのため字幕で追うとものすげーまだるっこしくって、「何が言いたいねん!」とつまらなさ大爆発だ。でも絵づら的にはなかなか魅せるものがありますね。森の妖精の女の子たちは可愛いし。…しかし(笑)、森のシーンはセットでございってのが前面に押し出されていてちょっと、これでいいの?って感じ。ただ(笑)ケビン・クラインがラジニカーントみたいな人物に設定されてたりとか、楽しめるようには出来ているみたい。
 

『マナに抱かれて』

綺麗な映像のハワイで、モデル出身の川原亜矢子が、日本語が通じる範囲内で、ハワイの良さに触れる物語です(笑)。ダークな面がまったく描かれていないのだ。エロいシーンのひとつもないし、悪い人も一切登場しないし。「美しい甘い物語」だけ観ていたいってゆー、(失礼を承知の上で)女の子をターゲットに作られたのではないかしら。たぶんモデルとしての川原亜矢子が好きな中高生とかの辺りのね。早い話がアイドル映画ってことだ。
 

『まぶだち』

地味なリリイ・シュシュです。中学時代を描く映画ってのはどうしてこう、閉塞感を全面に押し出したがるのでしょうか。それこそが中学の本質、なのか。
 

『守ってあげたい!』

7人の落ちこぼれの新人婦人自衛官がもたもたやってるっていう、漫画原作の映画なのだ。7人それぞれキャラクタづけがしてあって、いかにも漫画って感じ<凄く凄く悪い意味で。起こるハプニングも、最終的に主人公が損をしないようにしかならないっていう御都合主義で、いかにも漫画って感じ<最低って意味で。この映画ではぢめて、走る戦車をかっこいいなあって感じました(笑)。ああ、もう、サイテー。
 

『真夜中のピアニスト』

自ら裏社会で仕事をしておきながら、趣味のピヤノのオーディションに支障があるとかいって悩んでんぢゃねーよっ。こーゆーのを自縄自縛とでもいうのか。そんな独り相撲の様子を見せられてもなあ。
 

『真夜中の弥次さん喜多さん』

クドカンのおふざけは鼻についてイヤなんだけど、これに関してはオッケィ。原作が漫画だから、しりあがり寿の“奥が深いような、いきあたりばったりのような”語り口にまったくフィットしている! 「その場が面白ければいい」を積み重ねてひとつの長い話にする手法で合意したって感じ。
 

『真夜中まで』

和田誠がどれだけ“映画好き”で“ジャズ好き”なのか知らないが、監督としての素養はないというのがよく判る作品です。「名優をちょい役ででも出せば面白かろう」「普通ではあり得ない状況を見せるのが映画の醍醐味なんだから、道を走るとやたらと人にぶつかれば面白かろう」「車を走行中の運転手を撮る画は、固定カメラにするより手持ちでアングルをいろいろ変えた方が好ましいから、車は荷台に乗っけて撮影をした方がいい画が撮れる。その結果後ろを走る車と比べてどう見ても視点が高くなるのには目をつぶって頂きたい」と思っているらしい。それって、違うのでは?
 

『マラソン』

自閉症児がマラソンに出場して3時間を割る記録を出した、ってゆー実話を基にした映画だってんで、だいぶん構えて臨みました。綺麗事に描いて、感動的な演出さえ施せばいーってゆう映画になってはいまいかと。たら。映画の冒頭で早速お医者が「自閉症は病気ではなく障碍です」なぁんて正しいことを言う。しかも「自閉症児は意志の疎通が図れないから」に続けて「家族が疲れます」と正確なことを言う。わあ、解った監督が作った映画だったのだ。そしてだから、“治る”物語ではなく、“克服する”物語が展開するのでした。母親も、コーチも、家族も、そして自閉症児本人も。巧いなあ。→【きねま猫】
 

『マリー・アントワネットの首飾り』

たぶん単にみみっちい詐欺事件を、映画に仕立て上げるために無理矢理それっぽくドラマチックに描こうとしたものだろう。どんなにバックグラウンドを飾り立てたところで主人公に思い入れも出来ないし、それほど大した話にも感じられない。せめてもうちょっとマリー・アントワネットを掘り下げたらどうか。
 

『マルコヴィッチの穴』

“穴を通り抜けるとマルコヴィッチの意識の中に入れる”というデタラメな設定を、普通の話に落として語る映画です。映画界の西澤保彦ミステリィと言ってよいでしょう。どうにも意味が通らない部分があっても「細かい設定は考えてあるけど、時間の都合で省きましたよ」って好意的に解釈してあげることは、できる。でも、どうせそうゆう根幹に関わる設定の説明を省くって言うぐらいだったら、マトモなストーリィにしないで遊んだシナリヨにして頂きたい…ってのは好みの問題ですけどもさ。
 

『マルセイユ・ヴァイス』

マルセイユを舞台にした2人組の刑事物。ありがちすぎて何も印象に残らない。片っぽが高級住宅街に住んでて、片っぽがトレーラハウス暮らし、なんだけど、だからなんだったっけ?ってレヴェル。観るや否やすぐ忘却してゆくタイプの映画でした。
 

『マルチュク青春通り』

創作では、学生時代の友情がいつまでも続くなんて場合には、たいがいいけめんに設定されるもんなのぢゃが、この映画ではその点リワリティに徹していた(笑)ってとこが独特で驚いたよ(笑)。
 

『マルホランド・ドライブ』

デビット・リンチらしい、ミステリィ仕立ての映画です。最後の種明かしのシーンが象徴的で、解らない(笑)けど、そこに到るまでの話が謎を秘めたなりに楽しめたので「リンチらしいねえ」で済ませていいよね(にこ)。
 

『マレーナ』

町中の男の劣情をそそり、町中の女の反感を買う美人が戦争未亡人になり、女独りで生きてゆくために娼婦にまで身を落とすが、この美人のことが好きな主人公の少年は「大人になったら僕が守ってあげるからね」と思い続けつつずーっとずーっとストーカを続けていたのでした、ってゆう話です(笑)。『ショコラ』のダーク・ヴァーヂョンといった感じの作りですね。「愛した年上の女性に、しかしどう助けてやることもできず見続けることしかできなかった少年は大人になってゆくのでした」ってことなんだろうけど、ちょっとマレーナが可哀想過ぎ。これを観て気分のいい人なんて、特に女の人で、いるのだろうかと思えるほどだ。
 

『マンボ!マンボ!マンボ!』

サッカー少年がプロを目指すためにリズム感をつけようとラテンダンス教室へ通い、ライバルからダンスのパートナの彼女を奪いすべてが巧く行く、とゆう勝手のいい話。なにはともあれ、タイトルで「マンボ」って言っているくせに出てくる音楽は「サンバ」だっていうのは、嘘つきですね。


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