んこめ映画評ら【し】


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21世紀映画評入り口
 

『しあわせ』

『愛と哀しみのボレロ』の監督の作品です。映画のルールを捻った遊び(カギカッコの中に登場人物の思っていることが書かれてテロップとして出る、とか)があったり、登場人物の設定が通常ならざる職種(絵画の贋作家とか一風変わった芸を観せる舞台俳優とか)だったり、楽しい効果がいっぱい含まれている面白い映画でした。北極グマとか、熱狂派の修行僧のダンスとか、絵になるアイテムもふんだんで、上質の映画と言えましょう!(にこにこ)
 

『しあわせ色のルビー』

ユダヤ教の研究家にして教師である夫が、自分よりも教義の方が大切、なぁんていうものだから耐えかねて、宝石鑑定の仕事をはぢめるとゆー女性が主人公。なんだろう、ユダヤ教はほどほどに、ってゆうのがこの映画のテーマなのか? 世に出ていない、黒人の才能ある宝飾品デザイナとの出会いがあったりするくせに、それは単に離婚に到る原因としてしか活用されないし。決して女の子が幸せを勝ち取る話にはなっていないのだ。そして解決(=夫の反省)はいきなり降ってくる。なんで最後だけそんなに夫は物わかりがよくなるのか、不思議な展開をみせて終わるよ。なんか捕らえ所が解りづらい話だ。きっと、女の子の自立を描いているのだ、ってくらいしか、解りませんでした。
 

『しあわせな孤独』

交通事故で半身不随になったことにショックを受けてパニクった揚げ句に、優しい恋人に酷いことを言って追い返したり拒絶し続けたりしてると、いざ落ち着いた時に呼び戻しても彼女はもう次の男のところだ、とゆー教訓が語られます(笑)。そりゃそーだ、『解夏』の仲直りが不自然だと感じていた身にとっては、当然のなりゆきだと思えます。その彼女の方のその時の恋も、不倫の恋ってことで成就は見込めなかったりするのだけど、つまりは全員がちょっぴりだけ不幸になって、でも未来への希望がすべて閉ざされた者もやはりいない、ってゆー状況が描かれているって辺りがタイトルの所以ですね。
 

『しあわせの法則』

大学で研究をしている女の子が、フィヤンセとともに、ミューヂシャンが曲作りに来ているお家に滞在することになり、ちょびっとアバンチュールっぽい目に遭遇するお話です。お互いに大人なんだからさー、そんな“住むところが違う人種”に出わったからつってよろめいたりとかさー、ミューヂシャン側もそんな素人に曲の感想を尋いて指針にしたりとかさー、してんぢゃねーよ(笑)。すべてが解決したかに見えて実は、ってゆー終わり方だけは面白いけどもね。
 

『シークレット・ウインドウ』

スティーヴン・キングらしい種明かしまで到れば、すべてのもやもやは消えはする。主人公であるジョニー・デップの行動に違和感があり、このタイプの人間は嫌いだなと思い続けていた理由も明確になる。でも、いくら筋が通っても、嫌な人間を延々観せられ続けていたのはヤだったニャー。そんな嫌な気分だけが最後に残るのでした。とほゲ。
 

『シーズ・オール・ザット』

“陰気なメガネ女を学園一の美女に仕立て上げる賭をしました”っていう典型的な(笑)よくあるお話です。でも楽しいよ〜♪ 『パラサイト』からホラー部分を抜いたみたいな、『バニラ・フォグ』を学園を舞台にやったみたいな、能天気な楽しさ満載です。にこにこ観よう!
 

『シーズンチケット』

贔屓のサッカーチームのシーズンチケットを手に入れようと少年ふたりがいろいろ(ゴミ拾いをしたり空き巣に入ったり銀行強盗に入ったり)苦心する“イギリスのいたずら坊主の話”です。心底のワルを描いている訳ではないので、なかなか寄り道が多く一年がかりのストーリィになるのだ。「憎めない」を描くにはどんな境遇で何をどこまでやらせてどんな性格づけにするといーのかってゆーバランスがとれているため、観てて嫌な気分にならないのがよい脳。
 

『ジーパーズ・クリーパーズ』

自分たちがホラー映画の登場人物であることを認識しているかのような冷めた言動をしつつ、しかしやはり逃げられず犠牲になってゆく姉弟が主人公の恐怖映画です。ホラー映画は観客を恐がらせるだけではなく、そっちにゆくな!といらつかせる目的をも持っていることを教えてくれました(笑)。そんなまぢにならずに気楽に観ろ、ということだ。
 

『シービスケット』

そんな、巧いぐわいに展開して、巧いぐわいに大怪我して、巧いぐわいに復活するかー?と思うがこれが事実だから仕方がない。フィクションだったら許されないよーな単純な理由で障害が起こっても、そもそも「全部巧いぐわいにドラマティックに展開した」事実をわざわざ選んできて物語として見せてくれている訳だ。お馬が走って勝つシーンは、作り物と判っていてもはらはらするし感動するね(にこにこ)。ティック・トック・マクグローリンも素敵。上質の競馬映画でした。
 

『ジーンズ 世界は2人のために』

インド映画。の割りに設定が凝ってて、凝ってる設定を活かしたストーリィになってて大変おもしよいよ。クライマックスには世界各国に意味もなくダンスロケに出ているし(笑)。でもこーやって観てみると、インドの美人の女の子はどこの国の衣裳を着せても似合って、可愛いよね!
 

『ジェイ&サイレント・ボブ 帝国への逆襲』

出てくる映画のタイトルの、9割は観た映画だったので楽しめ度倍増でした。しかし、修道女役がレイア姫で、敵キャラ役がルーク・スカイウォーカだとは知らなかった。観終わった後でプレスを読んで知ったのだ、楽しめ度半減だ。つまり差し引き1ってことか。映画を知っていれば知っているほど、くだらなく笑えよう。逆に言えばそーゆーギャグを面白がれない人にはこの映画は楽しめないことでしょう。…ただひとつふわんなのは、翻訳されて楽しんでいるギャグが果たして、珠玉のものであるかどうか判断がつきかねるってとこだが(笑)。まぁ、出演を承諾したビッグネームたちに免じて、ちゃんとそーゆー人たちが出るに値するセンスはあるのものであると、看做すことに致しましょうか。
 

『シェイド』

ポーカのイカサマ師グループのお話。最後まで観終わると、なんでスタローンの名前が日本語版のキャスト表のそんな位置に出てくるのかが、解る(笑)<コラッ。
 

『ジェヴォーダンの獣』

ほどよく謎があって、でもあんまり「謎解き」だと思わずに観れば楽しいでしょう。もしかしたらストーリィをあらかた知ってから観るくらいの方が、この映画の構成とか作りとかを本当に楽しめるかもしんない。衣裳のデザインとか、バトルシーンの観せ方とかに素敵なセンスが光っているのだった。一点だけ、「なんだよ、結局キリスト教もの映画かよ」ってのは、まぁ洋画の宿命であろうか。ねえ。
 

『シェフと素顔と、おいしい時間』

“けなされると相手を好きになる”パタンの恋愛映画だ(笑)。お伽話なのかもね。
 

『シカゴ』

「ミューヂカルを映画にする」ことをよく解って作っている。歌がはぢまったら、歌のイメィヂに演出・装飾を施した画面に切り替え、現実世界での設定の方をインサートカットでちょろっとだけ、挿入するってゆう構成を採っているのだ。楽しく観せるのに成功した作りになっております。…まぁ、但し、それの効果が活きているのは前半部だけで、真ん中から後にはそこまでの作り込みが観られない、ってのが少しがっかりではあるのだけど。
 

『四月の雪』

ダブル不倫の被害者同士が惹かれ合うとゆうラヴストーリィです。うんまいなあ!(感嘆) ほぼ、無言のままで、しかし心の通じ合いが伝わってくるのだ。ラストは逆に、声だけ、画面はワイパの動くフロントガラスを映してる、っていう手法を採っています。つんごくいい雰囲気です。
 

『地獄甲子園』

エンドクレジットではぢめて明かされる、この映画全編に亘るナレーションを務めたキャラの役名こそが、この映画のノリをすべて表している。もちよん、冒頭で「最初にタイトルロゴが出現しかける」というシーンから、既にこの映画のノリに嵌まっているのだが。この映画のルールこそが、漫☆画太郎のセンスそのものだと思って頂きたい!→【きねま猫】
 

『死者の学園祭』

悪者は鉄砲を持ったらご託を並べてないですぐ撃つように。角川映画だから仕方ないかな。あと「つなぎの演劇」を観せられた客は怒るように>拍手なんかしてんぢゃねえの!
 

『視線のエロス』

発想ひとつの映画です。全編、恋愛状態にある男性側の視線からのみの映像で構成された映画なの。不倫の恋愛がスタートして、途中萎えかけて、揺り戻して、結局破局を迎えるまで…ってゆう話なのだけど、主人公(であろう)男性が全く(正しくは鏡に映った姿が一回だけ、映ります)画面に出て来ないってことでなんか、感情移入が逆にし易いってゆうか。楽しんで観ることが出来たのでした。
 

『七人の弔』

せっかくここまでひねって、異質に、シニカルに、コミカルに、緻密に考え組まれ、衝撃的な終わりを迎える物語を創り上げたにもかかあらず、ダンカンが監督と聞くと、ああやっぱりね(笑)と。サモアリナンと。これで当然だと。つーかいっそ手堅いなあ(笑)と、思ってしまうね。仕方があるまい、スタートラインがそこなんだから。ダンカンも決して失敗は許されないと解ってこれを作ったんだろうし。ってんで総合評価は、ああ、予想の範囲内だったなあってとこに落ち着くのでした(笑)。これが意外な結末を迎えなかったらその方が意外で、驚いていたぞ。ま、『七人の侍』のタイトルパロディからこの話を構築したってのは、大したものだと思います。→【きねま猫】
 

『シックス・ストリング・サムライ』

かっちょいいぞ! なんか出鱈目な映画だけど、かっちょいい! 恰好がカッコ悪いけど、アイテムもぼろぼろでみっともないけど、かっちょいい! 話もこんでいいのか、疑問が残るところ(笑)だが、ああ、かっちょいいよ。こんなに好き勝手に映画が撮れれば幸せだ。
 

『シックス・センス』

ブルース・ウィリスのメッセージを、上映前に出さない方がよいのではないかしら…。をかべはを蔭で、途中で判ったのだけど。ヴィデヨを撮っていた女の子が泣かせる。
 

『シックス・デイ』

10年後っていうビミョーな未来が上手に出来ていると思うのだ! 愉しい愉しい。警察に通報するシステムは改良の余地があるしね(にっこり)。ってゆうか、こうゆう“改良の余地がある”ってのも本当らしさが出ててよい方向に作用しているのであった。「いい加減みんな死ね」ってのがこの映画のセリフ大賞ですね(笑)。夢と、その否定が上手に表現されているよいバランスの映画でした。
 

『シックスパック』

考えて考えて、シリアルキラーをいぶり出す(目星がついているのであとは現行犯で逮捕するだけだからだ)ために、警官の女の子を囮にした作戦を思いつく。囮作戦が2カ月半にも及んだ頃、女の子は“設定された架空の趣味”であるボウリングの腕が上がり、いよいよパーフェクトが出せるまでに上達していた。あとストライク1つで300点!とゆーことで、24時間彼女を護ってくれている盗聴機をバッグにしまい、本気で投球する。見事ストライクが出た見返りにバッグは盗まれ、2カ月半待ったシリアルキラーは現れ、囮の女の子は殺されるのであった!(爆笑) どーゆー話だ!(笑) 情けないです。
 

『疾走』

ガッコのシーンの閉塞感が大嫌い。強権を有した教師の言いなり、ってシチュエイションには氣が滅入ります。ガッコを離れてしまうと多少楽。ってゆうか今度はいきなし大人社会のどろんどろに巻き込まれてるけどな。子供はそーなると「降りる」って選択肢しかない、とゆうのがテーマか? サベツしてたグループからサベツされる方へと環境がスライドし、足掻いた少年を通して伝えたかったのは「蟷螂の斧」ってゆーことなのか? 正しく振る舞っていても巧くいかないことがあるってゆー厭世をこそ、訴えたかったのか? バッドエンドへと向かうことはどこで決定されたんだろう。滅入るなあ。
 

『シッピング・ニュース』

田舎町に来て周りの人々や自分を掘り下げる、とゆうお話でした。ろくな(というのはドラマチックな、という意味)事件の起こらない『ショコラ』です。言い換えれば“ロビン・ウィリアムスの出ないロビン・ウィリアムス映画”と表現してもいいかもしれない。派手でも、感動的でもないってことなんだけどね。
 

『実録ヒットマン〜妻その愛〜』

Vシネマに留めておくのと、劇場公開するのと、どこで線引きをしているのかが不明なほど、なんとゆーこともないやくざ映画。宝生舞もせっかくヒロインなのに乳も見せませんし〜<コラッ<いや、それやったら本当にVシネマだし<あー、そんなことで映画だってゆーんだったら、映画でなくていいや(笑)<本当にコラッ。
 

『実録ヒットマン 北海の虎.望郷』

「うちの組だけはシャブはご法度」なんだよね、こーゆー映画って(墳版)。それにしても絵づらが汚い。“夕方の室内”のシチュエイションが要るんだったら夕方の室内っぽい照明を当ててカメラを回せばいい、としか思ってない、まったく洗練されてない絵をへっきで提供するってのは、すごい「絵ではなくてお話を伝えることにだけ、映画を作る意味がある」とでも考えているのだってのがびしびし伝わってくるよ(嘲笑)。その話ってーのは「主人公とその兄弟分は、鉄砲の弾を何発受けても、敵を全員倒すまではちーとも死なないし、倒し終わったら海岸に来て沈む夕陽を見るのだ、そしてもちよん死にも痛がりもしない」とゆうものだ(哄笑)。主人公にのみ、のめり込むように思い入れて映画を観る人を限定でターゲットにした、そんな映画であった。
 

『シティ・オブ・ゴッド』

「神の街」と呼ばれるブラヂルのスラム街で、悪いことしたり抗争を繰り広げたりする若者の様子を、60年代から80年代に到るまで描いた「事実に基づいた」物語です。肌色が似たような人たちがうぢゃうぢゃいっぱい出てくる割りには、人物の混同はさほどは起こらず、解り易く観られた…ってのは監督の見せ方が達者だからでしょう。これほどまでに救いも逃げ場もない、「死と隣り合わせ」って状況が表現された映画ってのは、今までに観たことがないです。本当に、どんなきっかけで殺されるか判ったもんぢゃない社会ってーのが、あるんだと知ったよ。
 

『死に花』

犬堂一心は、老いとかぼけとか死とかを、悲しく深刻にならずに扱うのが本当に巧いねー。この映画のラストで提示される方向のぼけなら、幸せだもの。もちよん、最初の方に出てくる死だって、幸せだし。そーゆーのを「いいなー」って羨ましがる山崎努も、ぴったりだ。
 

『死ぬまでにしたい10のこと』

このタイトルから、誰がまさかこのタイトルが直球だと、判断するであろう!(笑) したいことの7と8が「浮気をする」方面の望みなのだけど、そこにまつわるシーンはねぶかったですね(笑)。6歳と4歳の娘の気に入る新しいママ候補が、簡単にみつかって、しかもいい女の子で、よかったね。ってゆー、「自分が死んでいなくなった後も世界は連綿と続く」ことを認識し受け入れ、その準備をするとゆーお話であった。ラストでモンターヂュで描かれる「私がいなくなった後の周囲の人々の様子」はいい感じ。→【C2】
 

『忍 ―SHINOBI』

せっかくの山田風太郎の持ち味であるエログロさを、綺麗な画面で撮ることで台無しにしてしまっている。「自らの目を突いて潰す」シーンのだらしなさと言ったら! 目を瞑って頬に血が書いてあるだけぢゃん。しょぼっ!
 

『シビラの悪戯』

グルジアのある村に14歳の少女、シビラがやってくる。アレクサンドルの14歳の息子ミッキーがシビラのことを好きになるのだが、シビラは41歳のアレクサンドルが好きなのだった。とゆう恋愛もの。村の人々はくせのある、変な連中ばっかりです。ありがちだけど、細かいエピソードがこちゃこちゃあって楽しいし、絵も綺麗です。みぢかいカット割りを見るだけで、映像的にいいセンスを持った監督が撮っていることが判るよ。シビラも可愛いね。40を超えるまでは「14歳の女の子が14歳の男の子を選ばないで41歳のおやぢを選ぶなんてことがあるかー?」と思っていただろう(笑)が、今は「ありあり」と思ったりしております(笑)。大人の考える、ロマンチックな映画なのかもしれぬのだった。
 

『至福のとき』

善良な人々がしたことは、ひねくれずに善意を持ってやってくれたことと捉える、とゆうスタンスは観てて気分がよいです。終わり方は決してハッピィエンドになっていない(とゆーかむしろ悲劇的である)くせに、これでよかったと、こう終わってくれるしかないと、思わせるこの結論のつけ方もおそらくは必見でしょう。
 

『渋谷物語』

“特攻隊の生き残りで終戦を迎えて大学生に戻る”年齢の主人公を50歳近い村上弘明が演じているって時点で駄目駄目。オッサンやん! ぢぢいやん! 設定年齢層島の俳優では箔がつかないってーんだったら、そもそも箔がついてない世代の男がのし上がってゆく物語だったってことに過ぎなかろう。無茶をしちゃいけません。
 

『シベリア超特急2』

水野晴郎に喋らせた時点ですべてが駄目であると判る映画です。判らなくてもいいけど。百歩譲って、水野晴郎が出ていなかったとしても、シナリヨ(沢山出ている容疑者が説明不足で全く描き分けられていない)もセリフ回し(慣用句や常套句が並べられているだけで活きた言葉になっていない)もストーリィ(唯一無二の真相の暴露、には全然なっておらず、とてもファヂィでしかも無理のある推論の提示程度で犯人が白旗を挙げる)も、全部駄目なんだけどね。いいのは出ている役者さんの質、くらいかしら<褒め過ぎ?
 

『シベリアの理髪師』

「1885年のロシアが舞台の、2時間42分の映画」と聞いて、寝る覚悟をして観に行ったら、全然!面白く観られたのだ! まずタイトルが、『フィガロの結婚』のフィガロの職業・セヴィリアの理髪師のもじりになっている。たしかに大河ドラマっぽいのだが、表現形態はラブコメがふんだんに入っている。そしてタイトルになっている“シベリアの理髪師”というのは、シベリアの森を伐採するための巨大メカなのだった!(笑) もう、最初の予想がばんばん覆されるいい作品でしたね〜♪
 

『シモーヌ』

アル・パチーノの役どころは「映画監督として大ヒットは出せないがコワなファンは解ってくれる」とゆー作品を作る監督、こいつが「主演するだけで大ヒット作になる女優」を手に入れる話なのだ。映画監督ドリームが描かれている訳ですね。しかし実はその女優ってのが、CGで作られた画像であったのだ! って、ここまで決まればあとは起こってくる問題、それに対処する各種方法、なぁんてのは無尽に出てくるでしょう?(笑) 面白い映画が出来ゆに決まっているのだ。楽しい楽しい。
 

『下妻物語』

作り込んだ映画とはこーゆーことを言うのだ!(狂喜) 本当に隙がないなあ。これだけのものすごい情報量を制御し構成しているってのは、凄いね。ノンストップで走り抜けるしね。幾度も幾度も観返して、すべてを拾い上げたいです。「酸っぱいものは食べたくないの、甘いものだけでお腹いっぱいにしてたいの」ってのがとてつもなく可愛い(笑)。あのお弁当には萌える〜♪→【きねま猫】
 

『シャーク・テイル』

登場する魚の顔が、声を当てている俳優の似がよ絵になっている、という価値があるだけのアニメィション。あとはありがちなパロディとありがちな展開で構成されている。面白くなくはないんだけど満足するにはちょっとありがちに過ぎました。エンドロールが長いことを自ら判っているとみえて、なんとかしよーと工夫しているけど、そんな工夫はいいから短くしましょう(笑)。
 

『ジャーヘッド

勝手に派兵しておいて酷い目に遭って泣き言が語られるぞ。ぎゃははっ。いい氣味だからみんな観るといいのに。
 

シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』

誠実なんだけど、誠実故に「ちゃんとお父さんの許しを得ないと結婚できない」ってコトで自ら枷を嵌める主人公が窮地に陥るってゆう映画です。インド映画だからそれなりに楽しいです。
 

『シャーロット・グレイ』

彼氏を追って、ナチス占領下のフランスへスパイとして潜入するイギリス人女性の話。スパイのミッションも恋愛の描き方も匿うユダヤ人兄弟との関係もすべてが見事に組まれている、よい映画ではあった。展開がスピーディなのも飽きさせないって方向で成功しているし。但し、「フランス語に堪能な人材が必要だ」って言われて志願する訳だけど、舞台がフランスに移ると出てくるフランス人は全員英語を話してるぞ(笑)。それは、ちょっと、かなりどうかと思うが(笑)。
 

『ジャスティス』

ナチスの捕虜収容所が舞台の話、だけどほとんど全然戦争映画ではないです。捕虜がひとり殺され、犯人として黒人の捕虜が挙げられる。そして捕虜収容所の中で捕虜たちが軍事裁判を開く、とゆう話なのだった。事件の真相に迫るミステリィものなのだけど、「兵舎のどこに抜け穴があって外に出たのか」ってのがナチス側に知られたら困るから、嘘の出入り口を設定しないといけない、とか、一筋縄でいかない縛りに基づいて裁判が展開してゆくのでなかなか予断を許しません(にこにこ)。台詞のある女性は一人も出てこない、純粋に男だけの世界で話が進むのでいっそ潔く話を楽しみながら観られるのであったよ。
 

『ジャスト・マリッジ』

新婚旅行に行った先で、徹底的な破局を迎えるに到るほどの出来事が数知れず起こる、とゆうコメディです。そのまま破局で終わる訳にいかないのでどーするのかと思って観ていたら、なんだかどーでもいい復縁をしました。なんだそれは。って程度の説得力のない映画ですね。しかし凄かったのは、ホテルでさぁ寝ようってんでチューをすると、首筋にもんのすんげぇでっかい、手ほどもあるゴキヴイが這っている!ってシーンだ。ぎゃー(笑)。こんなゴキヴイを首筋に這わせたとゆー点に於いて、この映画を作った価値はあると言えよう(笑)。
 

『ジャッカス・ザ・ムービー 日本特別版』

この映画は、人間はゲロを吐く生き物だとゆーことを再認識させてくれます(笑)。人が眉を顰めるようなことを片っ端に思いついてどんどんやる映画だ。自傷あり、自虐あり、もちよん他傷も他虐もあり(笑)。自分たちがおもろいと思ったらなんでもする。そして周囲の反応まで含めて撮影する。その発想と取捨選択に触れることにこそ価値がある。決して2度観るレヴェルの映画ではないけど、観る人をすさまじく選ぶけど、自分では考えぬようにしている方向の人間の想像力の範囲を示してくれるのだ。簡単で、一番好きなネタは「トランポリンでシーリングファンに当たりにいく」って奴でした。ぎゃはは。ばかだなあ!(嬉)→【きねま猫】
 

『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』

1921年、吸血鬼映画を撮ることに意欲を燃やす監督が吸血鬼役の俳優として見つけてきたのは、本物の吸血鬼だった!とゆう映画。どいなけでもエンタテインメントとして面白く作れるだろうに、敢えてインデペンデントな撮り方を好んで選択しているよーで、“好きな人は面白がるだろうが、普通に、楽しませてくれることを期待して観ちゃうと途中で寝かねない”とゆう出来になっているのであった。
 

『ジャニスのOL日記』

どじでばかでずれてる田舎ものの女の子がロンドンへ来てOLをすると、とゆーコメディです。すごく巧く誰も不幸にならないように作ってあるので不愉快になることなく観られました。
 

『シャフト』

弱い犯人と、新しい情報をなにも持っていない目撃者と、単なる刑事の出てくるお話です。これって映画なの?ってほど、ただ単になんでもない犯罪捜査を追っただけのストーリィだ。
 

『ジャンダラ』

タイで評判になった、との触れ込みなので何かと思ったら、セックスシーンで腰を振っているさまを露骨に撮っているのであった。「“秘密を残す”とか“謎めかす”ために、敢えて伏せて、語るのを飛ばして話を進めて行き、あとでネタをばらす」という語り口が採用されいるけれども、そうまでして隠したものが、明かされたところで別にどーとゆーことのない内容だったりしています(笑)。あ、あと、この映画に出てくる女性の中で一番美人の、「主人公の恋人」の女の子だけはセックスシーンのないまま死んでゆくってのは解せんなあ(笑)。ずるいと思いました(笑)。
 

『シャンドライの恋』

映画の割りと最初の方に、永〜い永〜いセリフのないシーンが続き、そこが眠い眠い! おしゃれだと思ってやっているのだろうけどさ、“映像がショッキングでない映画”であれをしちゃあ寝る人多数だと予感するのであった。
 

『ジャンヌ・ダルク』

戦争映画として観て、いい出来です。“奇跡”の映像化(音楽含む)も、なかなか見せてくれます。それにしても『ファイト・クラブ』といい『シックス・センス』といい、「あんた独りで何やっとるん?」って映画がなんでこんなに多い訳?最近(にっこり)。
 

『シャンヌのパリそしてアメリカ』

初潮が来る年齢のシャンヌが、歳が取り過ぎているよう(笑)。可愛い女優さんだから好きなのだけど、ちょっとどうかと思いました。
 

『上海家族』

親が子供に対して言うことは絶対で、間違っていても強いられて、反発しようもんなら周囲のすべての大人たちからよってたかって叩かれることになる、ってゆー社会だなあ、相変わらずなあ。そーやって育った子供がそーやって育てる大人に育つのだ、きっと。この映画に出てくるすべての子供は早く親を殺し、お母さんは浮気をする夫を殺せばいいのにとずーっと思って観ていた(笑)。主人公が嫌な思いに耐えるさまを延々観せられる映画だ。観客を不愉快な気分にするという目的は充分に果たしているでしょう。→【C2】
 

『シャンハイ・ナイト』

ジャッキィ・チェンのアクションシィンだけ、ストーリィから乖離している。さらに“19世紀末の風俗”がてんこ盛り。ではストーリィはと言うと、敵キャラが“主人公が勝つよう”に仕向けてくれるよ。そーゆー、ゆるーいゆるーい娯楽映画だってこと。通して観ることに価値が置かれていない、その時スクリィンに映っている絵や展開がが面白ければいいとゆー作りの映画なのでした。
 

『シャンハイ・ヌーン』

毎度楽しいジャッキー・チェンの映画ですね。馬が、可愛いね。
 

『ジャンプ』

そもそもネプチューンが大嫌いだから、原田泰造いい気味、とか思っていられたのが、身勝手な失踪に腹立たしくも思わず観ることができた原因でしたね(笑)。ちなみにこれはミステリィではない。終わってみればヒントが出てたって判るだけで、とても伏線と言える代物ではない。他の解釈がいくらだって可能だもの。だからそもそもミステリィとして観てはいけません、裏切られます。失踪する側は勝手に失踪できるもんだし、失踪された側は可哀想だ脳、って言って、お話の流れに身を任せて観る映画であろう。
 

『シャンプー台のむこうに』

イギリスの小さな町に全英ヘア・ドレッサー選手権が来る。各地から集まった名うての美容師たちに対するは、今でこそ地元で小さな床屋を営んでいるが実は過去、何度も優勝経験がある伝説の美容師のおっちゃん!とゆうお話です。いかにもイギリス映画らしく、エンタテインメントに徹し切れないのか家族愛とかの方向にちょっと偏り過ぎ気味な感はあるけど、ああ、この髪型は映画で見て楽しいねってゆうのがよく披露されていて、それなりに楽しめましょう。
 

『十五才 学校IV』

学校が嫌だったら学校へ行かなくても、周りの親切な人だけをチョイスして世話になって屋久杉を見にゆく旅に出れば、成長できるよ、という身勝手な成長譚です。着地点が見え見えのくせに、そこへ向かって直球で王道を進むひねりのない映画で、想像力とか思考力が皆無の人に受けることでしょう。
 

『ジュエルに気をつけろ!』

自分の夢を追い続ける女性、ジュエルと、ジュエルに翻弄される3人の男のお話です。ジュエルの夢とゆうのは「一戸建ての家に住むこと」「最新のAV機器にDVDは外せない」「部屋の隅に噴水を置く」などです。そのためなら盗みもするし殺しもするジュエルなのだ。で、アメリカの人なら解る仕組みになっているのだけど、この映画の要所要所にゲイのイメィヂが表現されている。映画のラストは翻弄された男のうちのひとり、弁護士がほうほうのていで逃げ出した先で道に躍り出て…とゆう、この手のラヴコメによくありがちなエンディングを、しかしながらちょこっとずらして落としている(笑)。終わってみたら「ギャグ映画だったのか!」と解るようになっているのだった。“笑う映画だ”と知って観るとよいことでしょう。
 

『呪怨』

恐がらせるアイデワが豊富で、いろんなのを観せてくれます。映画の流れの中で時間軸をいぢるなどの手法も組み込まれていて、メガ離せないとはこーゆーことを言うのでしょう。観せ方、引っぱり方をすごく心得て作られており、エンタテインメントのホラーとして、充分に評価できる出来でした。
 

『呪怨2』

なるほど!ってすべて思う。時間の順番ではなく、ばらばらに謎が提示され、映画の後の方になると実際にどうなっていたのか、なんてのが明かされる構成になっていて、とても上手に作ってある映画です。あまりに上手で、「巧いなあ」とは思い続けて観てはいたけど、いっこも怖くなかったが脳(笑)>それはホラー映画としては、最低ではないか?>まぁ、映画としては上質だからよし>よいのか。
 

『修羅雪姫』

釈ちゃん主演のアクション映画です。釈ちゃんは美形だから、にこりともせず(映画の中で笑顔を見せるのはワンカットだけ、でした)闘うさまはとても絵になります。「500年間鎖国が続いている日本」とゆう設定を、もーちょっと活かしてもいいのに、と思いました。
 

『シュリ』

『八月のクリスマス』の主役の人が、こんなアクションものをするとは〜! 韓国映画も普通なんだと、思い知らされました。北朝鮮の工作員の特訓風景はかっちょいいぞ。まぁ、途中で“血を連想させるケチャップ(チリソースかな)”をのちに凶弾に倒れるキャラの背広の心臓の辺りに飛ばす、とか細かい(必要とは思えない)暗示を交ぜたりしているのが結構ご愛嬌でした。
 

『シュレック』

ところどころ面白いCGアニメだよ<普通ぢゃん(笑)。「カモナクフカモナイ」とはこおゆう時に言う言葉か。日本語吹き替え版の声優が、なんとなくCGの絵と本人とが似ている感じがしてるのがちょっと楽しい。
 

『シュレック2』

ジャンボが素敵。ってゆーか、真ん中から後ろが全部面白かった。つーことは、「長靴を履いた猫が出てくる」とか「ドンキーが白馬に変身する」とか、CMでやってた情報を一切入れないで観たら、きっと全編面白かったろうってことぢゃ。くそー。宣伝するなー。→【きねま猫】
 

『純愛中毒』

催眠術のシーンと、コインは、ずるいな(笑)。おそらく作ってる側はそこまで詰めて考えてない、ってことなのだ。
 

『純愛譜』

韓国の公務員の男性と、日本の予備校生の女の子の間の恋愛物語です。予備校生がいかがわしいサイトでネットアイドルのバイトをする。公務員はそれを観て恋心を抱くのだ。ふたりが出会い、言葉を交わすのは映画のラスト5分ほどのとこです。それまで各々の国で、自分の生活を営んでいるのであった。こうゆう作りの日韓共同製作ってのはなかなかに素敵です。さらに稀有なのは、この恋愛譚の主役が「夜帰宅してからの楽しみといったらインターネットでアダルトサイトを見ること」しかない男である、とゆう点でしょう(笑)。等身大ってゆうか、リアリズムっていうか、ドラマチックですね(にこにこ)。
 

『春夏秋冬そして春』

湖上の庵に住む和尚様と小坊主、季節の移り変わりと歳月の移り変わり、設定をここまで凝っておいて語られるは、人間の業だ(笑)。よくこんなこと考えるなあ!(感嘆) これを表現するためだったら、たとえ同一の役柄をちっとも似てない複数のキャストが演じても、ボートがないはずなのにいつの間にか和尚がこっち側に出現していても、全部許す! そんな細かいところには全部目を瞑り、おっきく観てこの映画のルールに浸りましょう♪
 

『春香伝』

韓国のパンソリという伝統音楽で謳われている物語を映画にしたものです。パンソリを謳っているシーンがストーリィを引っぱってゆくのだ。李朝の恋愛譚で、えーと、最後はミトコーモンみたいに勧善懲悪で終わるので観てていい気持ち(笑)。
 

『将軍の娘 エリザベス・キャンベル』

「レイプよりも悪い罪がある」ってキャッチコピィを見た時に「そんなことあるかい! そりゃ女性に対して失礼やろ!」って憤慨して、そのまま観に行きました。ああ、死体が発見されて、誰が殺したでしょうかっていうミステリィを作っているつもりだったのですね。ところが犯人だった人物が、をかべは同定出来てなくって(ほら、外人さんって似た顔しているでしょう? のみならず軍隊の中の話だけあって、みんな着ている服が軍服で一緒ぢゃん。区別つかないって!)「あ、あそことあそこで出てきたあの人なの、フーン」ってなもんだ。全然ダメな映画でした。わはは。
 

ジョージ・マイケル〜素顔の告白〜』

この“ジョージ・マイケル”って人がワム!の人だと知らずに観に行ったよ。エルトン・ジョンとかマライヤ・キャリィとか出てくるけど興味ないや。インタヴュとプロモヴィデヨで構成された「知ってるつもり?」でした。いや、ちっとも知らない人だったから、まったく萌えませんでした。
 

『少女』

奥田瑛二初監督&主演作品です。奥田瑛二って、『親分はイエス様』でもヤクザだったしこの映画でも背中に刺青のあるお巡りさんだし、そんな役ばっかりなのね(笑)。直前に観た映画が『リリイ・シュシュのすべて』で、女子中学生の描き方のあまりの違いにくらくら来た(笑)けど、この『少女』みたいな「それはありえんだろ」みたいなスタートをするお話でも、終わり方が綺麗にまとまっているのでまぁ、ありかな、と好意的に観てしまいました。瀬戸市でロケをやっているのだが、美術監督&出演をしている日比野克彦が背景に写る窓やバスタブや壁紙や軽トラなんかにいろいろ落書きを施していて、とても現実とは思えない(笑)いいセンスの世界をかもし出しているのもGoodでした。
 

『少女たちの遺言』

女子高でいじめられっ子だった女の子が好きな子を見つけた。当然同性なので、周囲の風当たりがある。パートナの子はそれを気にして避けるようになってしまい、いじめられっ子の女の子は交換日記を残して自殺してしまう…という学園ホラーものの韓国映画。女の子たちのキャラが細かく描き分けられていてとてもいい感じ。みんな可愛いしね。美術的にも見るものがいっぱいある映画だったのだ。
 

『少女の髪どめ』

イランに住むアフガン人の女の子が、性別を偽って建築現場で働くお話。最初自分の仕事が奪われていぢわるをする兄ちゃんが、女性であることを知って手の平を返したよーになにかにつけ目をかけてあげるとゆー、その兄ちゃんの献身ぐわいを観る映画。いい感じ。原題が“雨”を意味するイランの言葉「バラン」で、その女の子の名前がバランで、映画の中で雨が効果的に描かれている、ってことを知って観た方が喜ばしいことでしょう。
 

小説家を見つけたら』

隠遁生活を続けている有名な小説家のところに文才を認められた黒人少年がやってきて、目を掛けて文章の書き方を教えてやるが、いいつけを破ってリライトさせていた文章を学校に提出したため少年は窮地に陥る。それでも私の存在を明かさなかったという一点だけに於いて感銘を受けた小説家はみなの前に姿を見せ、少年を救う…とゆう甘っちょろい話です。約束を破った者は罰を受けるべきだという考えが、アメリカ映画にはないのでしょう。いやはや…。
 

ショウタイム』

ありがちな、「老獪な白人の刑事と、ノリのよい黒人の刑事の二人組」もの映画。期待以上のものは何も得られません。
 

『少年義勇兵』

1941年12月8日に、マレー半島へ展開するために日本軍がタイに上陸する。それを迎え撃つタイ側の軍隊は学生たちの志願者で構成された少年義勇兵であった、その少年義勇兵を描いたタイ映画。戦争を舞台にしているけど、描きたいのは“少年らの成長譚”だった。タイ版軍隊版『独立少年合唱団』といったとこか。
 

『少年と砂漠のカフェ』

イラン映画は本当に、説明をあとからすればいいと思っているのであろう。どのシーンもすべて「今映画が始まったばかり」のように解りづらいです。頑張って観ていると面白くもなってゆくのだけど、次のシーンに転換するとまた何をやっているのか解らない。これが、せめてよく知っている世界の話だったらまだしもついてゆき易いのだろうが、イランを舞台にやられちゃ、どこまでがネタでどこからがイランでは当然の反応なのか、とかが不明なので、またもや戸惑ったりしますね。この映画の舞台になっているこの地域が、アフガニスタンの戦争状態とどの程度関連しているかとか、知らないまま観ざるを得ない訳だしね。もう少し親切に作ってくれてもいいのにね。
 

『蒸発旅日記』

つげ義春のイメィジ世界を映像化すると、こーゆー舞台美術がかった絵づらになるのはとても予期できることであって、つまりは作り手の方が観客を選んでいる訳だ。でも、まあ、はっきりいってイメィヂはありがちで想像の範囲内です。新たな発見を求めにゆくのではなく、一方的に与えられる“つげ的”なイメィヂに浸りにゆく、と考えるべきですね。つまり「つげワールドのイメィヂフィルム」ってゆー出来ぐわいなのだ。…えーと、だったら、21世紀になった今、これを作る意味、観る意味は、なに?と思わぬでもないが。
 

『娼婦ベロニカ』

ラストが例によって裁判ざたで終わる映画なので、それでをかべ的な評価はかなり落ちるのです。で、ここ。結構いい映画なんだけどねー。情に訴えるラストは、この話の場合、ダメでしょう。せっかくかっこいい娼婦だったのに他からの力に頼ってしまってはね…>まぁ、裁判ざたになった時点で自力ではどうしようもないのだろうけど、だからこそ裁判ものの映画がダメだと言っている訳なのです。
 

『ショー・ミー・ラヴ』

友達がいない16歳の女の子と、モデル志望で綺麗な14歳の女の子がお互いに好きあってゆく、とゆうスウェーデン映画です。男の子がかっこわるい世代だから、こうゆう道を選ぶこともあろう!ってのが判り易く描かれているよ。大きい事件は起こらないのだけど、思ったより、つまらなくないのだ。
 

『少林キョンシー』

少林拳とキョンシーが闘うのはほんの1シーンだけだよ(笑)。そしてキョンシーものに、少林だけではない。デュエルマスターズっぽい表現とか、ふんだんに、思いつくアイテムを惜しげもなく(笑)採り入れている。娯楽作だからサーヴィスしてくれているのだ。惜しげのなさはラストにも発揮されてて、余韻もなくズバッと終わるぞ。わはは。言いたいことを言うだけ言ったらもーやめちゃうタイプか。自ら楽しもうと前のめりになって来る人にアッピールした映画っつーこっちゃろう。→【きねま猫】
 

『少林サッカー』

表現や発想がすべて漫画だと思って頂きたい。これを実写で行えるとゆうのは映像技術の進歩の賜であろう! 『ロード・オブ・ザ・リング』や『スター・ウォーズ』に使われるCGより、こっちの方にこそ有り難みを感じますね(にこにこ)。
 

『精霊流し』

精霊、でかっ! 話、解りづらっ! ぱっと映ったシーンの舞台が長崎なのか鎌倉なのかの判断がつかないって、どーよ。
 

『昭和歌謡大全集』

恰好悪くて観てて恥ずかしい映画。登場人物の誰にも共感できないし。ラストで原爆が破裂した直後も、すぐ横の高架道路をぶんぶん車が走っているし。きのこ雲をCG合成するんだったら車通りくらい、消せよ。下手なんぢゃない?映画作り。
 

『処刑人』

悪者を片っ端に殺してゆく、影の正義の味方の話です。兄弟でやってて、殺したあとで「我が家に代々伝わる祈り」をあげたりします。アメリカの必殺シリーズですね。犯人を追うFBIとかこの犯人を殺すために雇われた殺し屋とかのキャラも楽しく、どばどば血が出るのが平気な人には面白く観られるのだった(にこにこ)。
 

『女校怪談』

韓国版『学校の怪談』だそうだけど、とんでもない(にっこり)。全然、レヴェルが高いのだ。舞台は女子高で、3年生の女の子たちがメインとなってお話が進みます。イヤなイヤな教師が出て来るし、案の定そいつらは死ぬし(笑)。とてもオーソドックスなホラーなのだけど、丁寧に作ってあるし、いかにもありゲな設定になっているので充分に楽しめます。韓国の女の子はかあいいしね(にこ)。日本ではこうゆうのは美少女アニメの中でしかお目にかかれないんだろうなーと思うと、とても貴重にして出来のいい映画だと言えるのです。女の子たちが恋なんて全然しなくって(笑)、女性間の友情を大切にしているってのも逆やおいっぽくて、大好き(はあと)。
 

『ショコキ!』

もうちょっとはちゃめちゃになるかと期待していたのだけど、舞台演劇の域を出ていませんでした。『ピストルオペラ』は「映画を舞台演劇ふうの演出で撮った」ものだったので面白かったのだが、『ショコキ!』は「舞台演劇を映画で撮った」に過ぎないのだ。決して舞台演劇を見下している訳ではなく、「それだったら舞台で観れば充分ぢゃん」ってレヴェルってことです。あ、今気づいたけど、このシナリヨだったら高校の演劇部が演じるのにいいかもしれないほどだ。説教臭く人生の進むべき道を示して終わるとこなんか、まさにぴったりって感じ?(笑)
 

『ショコラ』

放浪の旅を続け、町々でチョコレート屋を開いては次の町に向かうとゆう母娘がカトリックの因習に縛られた町にやってきてひき起こされるデキゴト、を描いた映画です。チョコレートが美味しいそうだし、ストーリィは(まぁ結果)幸せだし、とても気持ちのよい楽しい映画ですね。登場人物もキャラクタがちゃんと描き分けられてて上手に作ってあるよ<偉そう。続編として「ではこの町に来る前にはどんな事件があったの?」みたいなのも観たくなる感じのいい映画だ。チョコが好きならなおのこと、気に入ることだろうよ!
 

『ジョゼと虎と魚たち』

池脇千鶴演じるジョゼは外界との接触を断たれて育てられた。純粋培養だ。知識は、書物から得ているので頭は良い。当然、他人に多大な期待をすることの空しさを、頭では解っている。しかし実際に人と接した経験がないので、いざリワルな他人を前にすると、その純心さが露呈してしまう。ピュワな心をさらけ出してしまうのだ。そこへ、邪心を持った妻夫木が現れる。彼は「おっぱいがでかい」という理由で彼女を替えるような男だ。もちよんジョゼに近づいた心の底に邪なものが流れているのは疑うまでもない。その妻夫木との間に関係を構築することで、ジョゼは「人間」になる。最も怖いものとして「檻の中の虎」を挙げるほどに純真なジョゼも、やがて、檻の中の虎は怖くないと知る。そしてクライマックス、ジョゼのもとにリュウグウノツカイがやってくる。しかし、竜宮の住人だったジョゼは、もうそこには戻らないのだ。自らの脚を手に入れ、人間として生きてゆく人生が選ぶのであった。ぢゃーん!ってゆー話(笑)。犬堂一心監督で、池脇千鶴主演で(スタッフロール的には妻夫木が主演になっているが、これは池脇千鶴の映画です<『金髪の草原』の時も伊勢谷友介が前に書いてあったけど池脇千鶴の映画だ)、短編の映画化(これは田辺聖子の小説が、『金髪の草原』は大島弓子の漫画が原作になっている)と3拍子揃ったら、間違いはない!ってーことですな(かんらかんら)。→【きねま猫】
 

『ジョニー・イングリッシュ』

なんか要所要所がすっごい『カリ城』っぽ〜い、ローワン・アトキンソンのスパイ・コメディ映画。古城に潜入するとか、戴冠式に紛れ込んでめちゃくちゃにするとか、司教のマスクを作って別人を仕立てるとかって箇所だけどね。圧巻は回転寿司での日本酒での乾杯の際の台詞でした(笑)。→【きねま猫】
 

『ジョンQ ―最後の決断―』

息子に心臓移植手術を受けさせることを要求して病院ジャックをする話。設定を聞いただけでラストまですべて予想がつくが、却って先行きを心配することなく観られるのでその場その場に起こる出来事にどう対処するかだけに興味を絞って楽しむことが出来ました。厭なことがあんまりないし。
 

『ションヤンの酒家』

まぁ、女一人暮らしているといろいろあるけど、上手に折り合って生きていってますわ、ってゆうだけの話。たまたま映画になる設定の、映画になるエピソードの部分を切り取って映画にしましたってゆうことぢゃ。そして結論は「ふりかかる災難は自分でカタをつけるのよ」だ。それだけー。
 

地雷を踏んだらサヨウナラ』

地味ですけど、好きな話です。戦争の砲撃で死ぬ子供が、本当みたいな血糊でメイクしてもらってて、悲惨さが善く表れているよい映画です。戦争を描くのなら、悲惨だの嫌悪感だのをちゃんと表わさないとイケナイと思うので、これはとても好ましいのであったよ。
 

『シリアナ』

細かい場面転換と膨大なカット数、数多の登場人物。訳判らん。せっかく石油産業の利権と暗躍を描いてんだからさー、もっと解り易く作ろうよ。128分もかけることないから。
 

『シルヴィア』

天才詩人と結婚した女流の並の詩人が心身症になってゆくさまを描いた伝記映画。日本で作るなら同人作家同士の恋かな、交わすやりとりが詩になってるのを喜んだりしてるおたくぐわいなんだもの(笑)。でも『恋の門』と違ってリワルに暗いぞ、こいつら。幼い子供を可愛がってるシーンがとことん、ないし。ひとつ感心したのは、死を考えるシルヴィアに友人が「“死”とは再会でも帰郷でもない。失われたパズルが完成したりもしない」って諭すところだ。お利口な説得をする脳。
 

『シルバーホーク』

倍賞美津子とマルシアを足したみたいなミシェル・ヨーがシルバーのマスクをかむってバイクで万里の長城(!)を跳び越し密輸されかけているパンダちゃん(!)を救うんだよ!(歓喜) なんでこんな娯楽映画に、世界遺産と絶滅危惧種が、冒頭から惜しげもなく出るんだ(爆笑)。こいつら本気だ。本気で馬鹿映画作ってるのだ。ぎゃははぎゃははは! 天晴れなり!!(小躍り) もうあとは何をやっても面白い。→【きねま猫】
 

『シルミド/SILMIDO』

韓国映画って、こーゆー色気のない軍隊ものが好きだなあ(笑)。強姦される島の娘、ってくないだもんね<色気<それは色気か? 「隣接して敵国がある」「軍隊を持っている」国ならではのモチーフを活かして映画を作っているちゅーこっちゃね。こーゆーのがいっぱい公開されることで、韓国と北朝鮮が統一される方向に進むとよいねえって思うぞ。そんで、こんな“事実に基づいた映画”なんてのが作れない社会になることがしやわせなのだ。
 

『白い犬とワルツを』

犬の必要性がない。ただ単に野良犬がいたってだけだろう、この話。どおしてそんなみんな騒ぐのか。そしてストーリィ自体は辛気くさい邦画でした。
 

『白いカラス』

自分に黒人の血が入っていることを隠して生きてきた大学教授が、差別発言をしたと看做されて馘になるのが物語の発端です。黒人差別問題が描かれていること自体は別に目新しいとも思わないけど、「舞台となった1998年はモラル談義が流行していた」「履修登録以来一度も講義に顔を出さない2人の学生を“スプーク”と謗ったら、意図した“幽霊”という意味以外に“黒んぼ”って俗称にも使われてて、その出席しない学生2人がまさに黒人だったことで問題となった」って辺りが面白い。
 

『白い花びら』

98年のサイレント・モノクロ映画です。ストーリィは悲劇なのだけど、作っている側がふざけて…とゆーか面白がって作ってて、ギャグだと思って観るとよいでしょう。
 

白い船』

2日に一回、学校の教室の窓から見えるフェリィに乗ることが夢となりそれが実現するまでを描く、現代の日本を舞台にした物語。金を払えば可能な(そして当然な)ことを、いかに人の厚意に頼りただで乗るか、とゆうさもしい根性が根底に流れている。みみっちく恥ずべきテーマの映画。
 

『白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々

ナチスが犯罪者に対して、身体的な暴行を一度たりとも加えなかったことにぴっくりしたわよ。なるほどね、システムとして破綻してはいないのかと知った。こいなけ糞生意気な女にナチスはよくぞ手を出さなかったと感心しきりです。あとは。タイトルで「最期の日々」ってネタばれしてるから、どー死に至るのかという興味だけで観ておりました。
 

『新暗行御史』

こんな、知らない漫画のアニメ化なんて、マスコミ試写でもなかったら決して観まい。だけど観ると面白いんだよ! こんなに面白いとは! 今も雑誌で連載中の漫画の、2エピソードを映画にしてあるのでした。1本目で“設定と仲間が加わるまで”を、2本目で“その2人で問題をひとつ解決する顛末”を描いています。つーことで、これ、まだまだ続きがあるよ。そもそも設定時に仄めかされたラスボスが、ちっとも出てきてないもの。ただなあ、続きがあったら是非観たいけど、でもやっぱきマスコミ試写でもなきゃ観ないだろう(笑)。観ると面白いけど、だからつってでは観るか?とゆーとそうはならないことを知った。わはは。漫画のファンの人に限って観るとよいと思います。出来がいいです。
 

『深紅』

うわ、もう、学芸会かお遊戯か。このシーン、動きがないんで、喋りながら立ちわがってティブルのまありをぐるっと回りましょう、なんて演出をつけてんぢゃねーよ(失笑)。安ッ。台詞は台詞で最後まで言い切らずに止めてるし。そんな芝居でございみたいな口調の脚本を書かれても。安ッ。唯一、水川あさみだけがとても綺麗でした。
 

『深呼吸の必要』

南に流れてきた『ホテル ビーナス』ですね。北に向かうとウェットでクールになり、「お前ら人間関係に疲れて辿り着いたくせに、他人に干渉しすぎ!」って腹立たしく(笑)思っちゃうところを、沖縄を舞台にしたを蔭でドライでホットになって、とてもよい放置加減、治癒加減を展開してくれます。おばあとおじいのキャラクタに依るところが大きいのでしょう。主人公の香里奈は中でも何も起こさず、一番地味でしたが(苦笑)。
 

『真実のマレーネ・ディートリッヒ』

マレーネ・ディートリッヒって、映画に出なくなってからの方が頑張ってるって感じ。いろいろやったのね、とは思うけどそこに留まる脳。記録映画然としちゃってるからであって、そもそもマレーネ・ディートリッヒに興味がない人をターゲットにはしていないのでしょう。仕方あるまいて。
 

『シン・シティ』

もう、そこまでしてこの漫画を実写映画化したかったのか! 血が出まくるから、残虐シィンが満載だから、せめて言い逃れようとモノクロに設定して血は白で表現するとか。漫画は一枚絵で描かなきゃならないからやむを得ずスピィド感を出すためにパトカを宙に浮かせて表現した、それをそのまんま実写に採り入れてパトカを跳ばすとか。漫画冥利に尽きるとはこのことぢゃ! よくぞこんな映画を作った(ぱちぱち<拍手)。
 

『真珠の首飾りの少女』

フェルメールの描いた絵のモデルになった女の子の物語。創作らしいけどね。つまり、フェルメールの物語ではなくて、本当に、モデルの側こそが主役の話なのでした。言われるがままに女中に行き、言われるがままにモデルになり、言われるがままに追い出される顛末が描かれます。キャラクタとして付加されたのは「絵のセンスがあった」ってのと「ピアスをするのを拒んでいた」っての。実際に今なお存在している絵が描かれた様子を物語にしているので、そうそう出鱈目にドラマティックには出来なかったのだろう、なんだか、ふぅんって話が展開するぞ。1665年当時の、画家が絵の具を調合するシーンなんてのは面白く見られますけど。
 

『新・仁義なき戦い』

やくざなんてみんな黒い衣裳で、うぢゃうぢゃ出てくるから果たして区別がつくだろうか…なんてふわんを抱きつつ観たのだけど、ちゃんとそれぞれキャラが確立しているのか、ほぼ“あれ誰?”ってこともなく観られたよ。やくざ稼業も、お金を稼ぐのは大変だねー、本当に「仁義なき」だねーって思う映画でしたね。
 

『新 仁義なき戦い/謀殺』

やくざならではのルールとか、仁侠道ならではのしがらみに基づいて話が展開するのかと思っていたら、全然そんなことなく、一般社会の人間が充分に理解し納得できる思考経路ですべてのキャラクタが動き、諍いを起こしてゆきます。つまり、やくざ映画である必要がないのだ。「ルールをトレースすることが可能な敵対関係」を描いているという点では、これは、『スターウォーズ』となんら変わりなく、ただ舞台をやくざの世界に置いただけってものでした。
 

『新・仁義の墓場』

女をこんな扱いしてついてこさせ、気に入らないことがあるとどんどん殺して回って、好きな時に飛び降り自殺をする、とゆう、羨ましいほど好き勝手に生きたやくざの話。こんな奴がいると周りは大変だ(笑)。本人はそりゃあ、気持ちがいいだろう。
 

『人生は、時々晴れ』

でぶの家族が出てくるけど『ハリウッド★ホンコン』のよーな明るさは望むべくもないぞ! 映画の冒頭からお母さんがお父さんをカス扱いしていて、延々と映画をやった揚句に、ラストで本人からも、傍観していた娘からもカス扱いをしていることを指摘されて、心を入れ替えるとゆー話だ。うーむ、重くて暗い。しかも振るだけ振った他の2家族のやるせない状況は、なんら解決をみせることもなく放置されたままで映画が終わるし。タイトルの「時々晴れ」ってのはつまりは大部分は暗雲たれ込め雨がざあざあ降っているって意味か。イヤ〜ン。
 

『親切なクムジャさん』

顔が光っているシーンとかアカラサマに『アメリ』を引用しているなあ…。自ら喉に包丁を当てるくだりのカット割りとかも。語り口に大きく『アメリ』の影響を受けているのだ、そんなことしなければいいのに。“復讐譚”なんだけど、そーゆー話になるまでは物語の方向性が不明のまま綴られますので、とても解りづらくついていきづらい。復讐がはぢまっちゃうととてつもなく面白いのにね。いろいろプチ不満が残る映画でした。
 

『シンデレラマン』

生きる要領が悪いってのは頭が悪いことにホカナラナイ訳で、そんな人がたまたま成功したレワケースの物語を観せられてもなあ。頑張るのは当然であり、とりたてて偉いことでもなく、最後に巧くいった例だから映画にしたってだけでしょう? 智恵や努力よりも運とか星まありが大事っていう話か。なんだかなあ。まさにシンデレラか。
 

『シンプル・プラン』

犯罪をする時は潔く! 肉親といえども可能な限り共犯者は作らない方がイイ。特に、あとからビビる仲間なんていうのはもー殺すしかない…ってことを教えてくれる映画。
 

『人狼』

押井守原作脚本の、日本のアニメです。装甲に身を包んだ警察の話なのだ。ギャグのない、頭身の高いアニメでございます。「これを実写でやったら観んぞ」ってのと「爆発・破壊シーンは、さすがアニメの方が操縦が効くねえ」「心象風景と現実との境目も融通が効きやすいねえ」ってのが混ざった映画でした。警察内部に出来た秘密組織“人狼”って、結局目的はなに?ってのが最後にして最大の謎だったのでした(にこ)。


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