わんこめ映画評ら【い】


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21世紀映画評入り口
 

『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』

戦後、ソ連に戻る夫についてきたフランス人の奥さんが、どうにかフランスへ戻ろうと画策するお話です。例によって「ソ連に於ける悲惨な状況」があんまり悲惨そうに見えない。だって、ソ連の人たちはそれで暮している訳ぢゃん。って思って観ていたので、これは純粋に“体制に従順であるふりをしながら、10年かけてチャンスを窺って奥さんをフランスへ脱出させてあげる旦那の愛の物語”になっているのだった。直情的な奥さんをなだめつつミッションをクリヤするのは大変だ脳!とゆう点で評価しよう。
 

『家光と彦左と一心太助』

1961年の作品。中村錦之助が家光と一心太助の二役をやっており、そのふたりが入れ替わる「王子と乞食」のパタンのストーリィになっています。シナリヨと、挟まる小ギャグが秀逸で、とても痛快です。映画はCGなんて使わなくても十分に面白いのができる、とゆうのはこれをこれを観た時言うセリフであろう。こんでちゃんばらん時に血が出ててくれればなあ、と惜しいよ。
 

『いかレスラー』

元祖のウルトラQのチープさが再現されています。テッテ的にそっち方面のよさを全面に出すことが出来る監督なのだろう、白石美帆がちーとも可愛く撮れていないぞ(笑)。それでこそウルトラQ!→【きねま猫】
 

『いきすだま〜生霊〜』

綺麗な女子高生が祟ったり祟られたりする、2話からなる映画です。…が、どーやらその娘たちに巻き込まれる男性の方が主人公として設定されているらしい…。DOGGY BAGってゆーユニットの歌手のふたりで女子高生を釣って映画を観に来させよう、と目論まれているのでしょう。サーヴィス精神たっぷりに、DOGGY BAGのライヴの模様もじっくり観せてくれます(笑)。映像表現とか画面の処理とかには観るものがあります。ストーリィは、まぁ、別段特筆すべきとこはない和製学園ものホラーだったよ。
 

『息づかい』

従軍慰安婦だった韓国のおばあちゃんたちのインタビューをまとめたドキュメンタリィです。こうゆう映画を観る機会がある人は是非観るとよいです。もっと“重い”とか“やりきれない”とか“退屈”とか、そんなふうに思っていたのだけどそんなこともなくきちんと構成が出来ており、77分と言わずにもうちょっと、もう何人かの話を聞かせてくれてもいいのに…と感じる程度でした。こういう映画は「そっちの意識が高い」人しか、通常は来ない類のものだけど、「ふらっと入ったらやってた」観方をするとしても、これならよいのではないかな。もちよん「文部省推薦(<せんせん)」とかって冠をつけられて観せられたら、かなり反発しちゃうだろうかもしんないけど。だから、“機会があったら観るといい”って位置になるのだった。
 

『イギリスから来た男』

きっと“上質のサスペンス”でしょう。刑期を終えて出所してきたテレンス・スタンプが、死んだ娘の死因の真相をさぐるってゆうお話です。強いんだ、テレンス・スタンプ。じじいのくせにばんばん殺すし、捕まらないし、運も味方しているっていうのか。地味めに感じるのは主役にロマンスがないせいかな。でも、フラッシュバックとかを多用してなかなかサスペンスフルな効果を出していていい感じ。
 

『活きる』

40年代から60年代以降までの中国を舞台にした、「人生万事塞翁が馬」をテーマにした映画ですね(笑)。博打で身上を潰し影絵芝居師になった男とその家族の話だ。まぁ、生きてるといろんなことが起こるけど、生きてればいいこともあるよ、って捉えて笑って観るのが正しいと思うのであった。
 

『イグジステンズ』

『マトリックス』と『13F』で楽しんだヴァーチャル・リヤリティ(みたいなの)をゲームに転化した…ってお話です。脊髄に直接繋いでプレイするのだ。どっからどこまでがゲームだか判らなくなる、ってことで、どんな生物でもどんなアイテムでも、現実(っぽく見える)世界へ取り込むことが出来るので、とても気持ちがようございます(はあと)。
 

『イザベル・アジャーニの惑い』

男性の主人公の名前がそのままタイトルになっている『アドルフ』という原題の映画に、ヒロインの方の女優の芸名を冠につけた邦題をつけるだけのことはある、イザベル・アジャーニを観るためだけの映画だ。ストーリィはふらふら心が動く馬鹿男の馬鹿恋愛物語にすぎないのだ、この視点の移動は正しい。とにかく観るべきはイザベル・アジャーニの化け物じみた若さです。撮影時47歳なのに、二十代前半と言っても通る綺麗さなのをこそ見よ!
 

『イズ・エー[is A.]』

後味とかそーゆーレヴェルでなく不快ですね。未成年の息子が殺人に及ぶ犯罪を犯した時に、親は?とでも言いたいテーマらしいが、そんなの親の責任とか未成年とか関係なく、犯罪だろうに。どーしてウェットに処理したいのか、理解できません。噴飯ものだ。もっとズバッとドライに、信賞必罰で当たる映画が観たいよおん。
 

『いちばん美しい夏』

コギャルが異文化(田舎町に預けられ、ボケの入ってきているお婆ちゃんとか知恵遅れ気味の同世代のいとことか)に接してたくましくある、とゆー『リムジン ドライブ』でも見られたパタンの映画です。コギャルってモチーフは、見た目がすでにいい感じの武器になっているので、異文化にぶつけるのに相応しいってことなのでしょう。今回の相手は「お婆ちゃん」なので、『金髪の草原』の「わたしがあなたと一緒に若ければ」みたいなことを言わせたりもして、なかなか魅せます。
 

『銀杏のベッド』

四流映画。1996年の作品だが、当時はこれが有り難かったのかもしれない。おそらく当時の売りであったろうCGが今観るとおそろしくちゃちで、CGにかまけて手を抜いたとしか思えないストーリィの粗雑さばかりが目につく結果になってしまっている。このストーリィを発展させた「もっといい映画」を想起させるだけに、はっきり“発展途上”の映画であることが判ろう。当時の技術や環境を考慮した上で評価、なんてしない。今これが公開されるってことは今の評価で「未完成の作品」であるとしか看做すことができません。
 

『いつか読書する日』

歳をとったら、ぼけるか死ぬかを待つばかりだとゆー、夢も希望もない辛気くさい話だ。過去に達成できなかった恋を再燃させることくらいを楽しみにしろ、相手が死んだら本でも読んで余生を送れってのが結論になっていて、歳をとるのが嫌んなります。こんな救いのない映画を作って人に見せて、どーしたいのだろう。いったい。ネガティヴだけをフィーチャした創作なんて糞だと思いますがね。
 

『いつまでも二人で』

U2の曲のタイトルを映画のタイトルにしています。ラブ・コメディなのだそうだがそんなに笑えません。コンドームを使わなくなって1年経つけど子供が出来ない夫婦の家に、かつて奥さんと文通していたフランス人が居候に来る、って話です。期待されるほどもおっきな騒ぎが起きないことこそが新鮮…と言えばよく言い過ぎ? あまり面白くもない映画です、と言えば正直な訳か(笑)。
 

『愛しのローズマリー』

そもそも「自分にだけは美人に見えるけれども実はでぶで巨漢の女」ってのを映像化するとおもしれーだろーなーとゆうところから出発して作った映画だとしたら、ここまで高めたのはすごい。各方面への配慮の結果だったとしてもね。こーゆー方向の、“ルックスで不当な評価を受けている人々”を扱った映画としては、上手に作ってあるのであった。ひとまず、笑うつもりで観にゆくとよいでしょう。…笑うつもりで行くと、立ちわがりがちょっとスローペースでしょぼんと思うかも、だけど。
 

『イナフ』

いい人だと思って結婚した相手が、浮気がばれるや否や暴力夫に変身したのでどうになしないとならない、ってゆう話。逃げても捜し出して追ってくるのだ。大変だ。しかし、この映画は、ルールがいまいち解らないです。夫の弱点は3歳になる娘で、どんなに妻には暴力を振るっても娘の前では優しいいいパパでいたいらしい。妻の方は妻の方で、自分の娘の父親を刑務所に入れたくないなぁんて言って腰が引けているし。だもんだから、いったいこいつらがラストでどんな解決を選択するのかが、全然読めません。まぁ、幾多もあるエンディングのうちのひとつが提示される訳なんだけど、プレス資料に「まだ観てない人に明かさないでくざさい」って書いてあったので守るけどもさ、結局“妻の側が学習して成長する話”だったのだ、ってことなのね、この映画は。この入り方は嫌いで、閉塞感が駄目なんだけど、ラストまで我慢して観て行くとすっきりするってタイプのものであった。そーゆーのがオッケィな人向け。
 

『頭文字〈イニシャル〉D THE MOVIE』

アテレコなのと、日本の物語なのにノリが香港映画だっつーのに最後までイワカンを感じつつも、走行シーンは邦画では不可能なかっちょうよく、親父役のアンソニー・ウォンが最高にマッチしていてとてつもなく素敵。物語は、公道で迷惑なレースをしているなあとしか思えないのでどっちでも宜しい(笑)。単純に「なんだか外国の映画の、日本語吹き替え版を観ているの!」と自分を納得させて観るのが正しく楽しめる方法だと思われます。
 

『狗神』

日本の山間の映像は綺麗で見応えがあると言ってよいかも〜。ストーリィは解りづらく、次に何がしたいのか、いったい何が禁忌でそれを誰が嫌っているのかが伝わって来ません。だから謎解きをされても「ふーん」とすら思えない。「変わっとる脳」くらいの感想しか持てないのは、ベースが解らないまま逸脱を描こうとしているからでしょう。それは駄目なのではない? ベースを我々の通常のものからズラしたのなら、まず先にそれを徹底して納得できるように伝えなきゃ、ズラしをやってはいかん。
 

『いぬのえいが』

とてつもなく卑怯であざといなあ(笑)ってゆうか(犬)。犬好きは前のめりになって観るであろうから、ちっとも冷静に先を予測できないぞ。「恋するコロ」にはやられたもんなあ。そこにつけ込んでいるのだ。そして、そーやってつけ込まれる者だけを対象に作られたと言ってよいでしょう。犬が好きぢゃない人は観なくていいと思います。犬好きは黙っていても観にゆくであろう(笑)ってゆうか(犬)。「ねぇ、マリモ」でばあばあ泣きたいので犬好きばっかりで満員になった雰囲気のよい劇場で観るのがベストでしょう。
 

『伊能忠敬 ―子午線の夢―』

伊能忠敬の業績はたいしたもので、それを見せているところには興味が持てる。が、伊能忠敬が単なる「勤勉実直ないい人」として描かれているだけで、肉付けの部分は全然面白くありません。文部科学省推薦とはこおゆうことだ、とゆうのがよく解るつまらない映画です。
 

イノセンス』

事前に脅されていたほど難解では、ちーともなかった。森博嗣さんの、真賀田四季の物語を読んでいれば、その延長上に展開している世界だと知れよう。それにしても押井守は、劇場版『うる星やつら』の時からだけど、ストーリィとは直接関係ないイメィヂ映像が大好きだなあ。エトロフ経済特区にもうぢき到着するって辺りから、着いて上陸したのちに街の様子が展開する辺りが冗長で、要らない(笑)。
 

『イノセント・ボイス―12歳の戦場―

エルサルバドルで起こっていた内戦に巻き込まれる少年が主人公。子供なので、政府軍、ゲリラ軍、双方ともの言い分が解らない、知らない、教えられない、語られない。ただもう日常が戦争状態にある。ラストのナレィションで言う通り、たまたま助かり生き延びた子の手記を基にしたストーリィだ、たぶんこの物語世界ではこれが「望ましい選択と結末」だったのだろう。そーゆーことを訴えている映画でした。
 

『イノセント・ボーイズ』

カトリック系の学校に通ういたずら盛りの少年たちの生活を描いた映画。主人公が漫画家を目指している、とゆうことで、実際の話に主人公が描いたヒーローものの漫画がアニメイションとして挿入してくる、とゆう構成になっている。現実世界でなにか動きがあると、主人公の心にすぐさま反映してアニメイションのストーリィが変化する、とゆう形を採っているから、これは表現としてとても巧いと言えますね。敵役として描かれるシスター役のジョディ・フォスターも秀逸にいい感じ。
 

『命』

江角マキコ演じる主人公の名前が「柳美里」なので、どうも作者の顔がちらついて純粋なフィクションとしての映画だと看做せなくて困ります。「自分に対する評価のうちこんなものだけを取り上げてこのキャラクタに言わせて、なんていやらしい根性なのだろう」とか思ってしまうのだ(笑)。ストーリィとしては、子供が生まれるエピソードに関してはまぁこんなもんかな、最も近しい男性が癌で死んでゆくエピソードに関してはセンチメンタルに描き過ぎているな、と感じましたね。
 

『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』

いなくっても、きっとどうにか人間なんて生きて成長していくであろうけど、つまづいたりつっかえたりした時にイブラヒムおじさんがいて、コーランの教えを言ってくれると、精神的には助かるかもね。そんなにも必要ではないけど楽になる、って位置なんだけどね。一番よかったのは「君が与えるものは永遠に君のものだ」でした。好きだった女の子に恋人ができちゃった時にこー言われるのだ。ほう。これは、好きになる氣が萎えなくてよいよねと思った。まあ、期待したほども感動的な話ではなかったけど、こゆ映画もありっつーことで。
 

『いま、会いにゆきます』

“一年前に死んだお母さんが帰ってきた”って、いや、フツー信じねーだろー。しかも“きよく喪失になってる”とゆう都合のよさに、これはなんか裏があるとおもうだろー。人違いとかさ、他人のそら似とかさ。なんでそーゆー方向に考えを及ばせないかなあ、登場人物どもは。観てるこっち側は、絶対に騙されまいとしてるんだから、そーゆー観客が抱きかねない疑惑はきちんと映画の中で最初に排除しておいてくれないと。ずーと「こいつらみんな、馬鹿?」と思って観ていたせーで、最後の種明かしではなるほどね、巧い抜け道を考えたものだねとは思っても、ちっともひとっつも感動できませんでした(笑)。こんな設定だったつーんなら、ちゃんと感動させてくれよお。同一人物である証明を、何でも、一つでもいいから出せばいいことぢゃん。まったくー。
 

『いらっしゃいませ、患者さま。』

『感染』のギャグ版だ。とことん安っぽい。冒頭の、キャバレィだかのショウタイムが、あんなに客に喝采を浴びるレヴェルに達してないぢゃん。映像で見てすぐに底が割れるような嘘はやめようよ、とても白けます。病院のサーヴィスの話になってからの小ネタは楽しいんだしさ、上手に演出を施して、騙して頂きたいです。→【C2】
 

『イルマーレ』

2年前の人と文通をするラヴストーリィ。『オーロラの彼方へ』の恋人版・手紙版・2年版の韓国版です。むちゃくちゃ可愛い犬が出てくるのも、若い女性の観客向けのサーヴィスなのだろう。そうゆうスタンスで作っているので、画面が綺麗だしお話もスウィートでラヴいです。もう、ラストで、パラドックスが起きても全然平気なくらいだ(笑)。遠距離恋愛の、距離を時間に変えてみたら…ってゆうお話なので、そのポイントがヒットする人には喜ばれることであろう!
 

『イン・アメリカ 三つの小さな願い事』

末の2歳の男の子を亡くし、父親も失業して、失意のまま、しかし心機一転アメリカに越してきたアイルランド人家族の物語です。「ヤク中アパート」なんて呼ばれる荒んだ場所に住まうのだけど、ちいちゃい女の子ふたりが無邪気で、この子たちを中心に、この子たちが結果不幸にならないように展開する、ええ話でした。うん、戸田奈津子が字幕を請け負うだけの映画だったってことだ。
 

『インサイダー』

実話をもとにしているので『パッチ・アダムス』な訳だ。放送業界の話で、なにをスクープとするか、何を放送に乗せるか、ってのが取り上げられるので『破線のマリス』な訳だ。お話は“性格上の問題で馘になった煙草会社の科学者が腹いせに「ニコチンには中毒性がある」って暴露しようとする、会社側は守秘契約を盾に、放送を阻止しようとする”っていうものです。放送局は放送局で、もうすぐ身売りをしようと考えているのにそんな、煙草会社を怒らせて損害賠償訴訟でも起こされようものなら売り値が下がる、っていうデリケートな(笑)理由で放映を取り止めようとします。報道人であるアル・パチーノは、さあどうするか!ってゆう映画。問題点は二点。「どいつがこの映画の主人公であるのか明かすのが遅すぎ。アタマの方30分は冗長だしキャラクタの区別が判りづらかった」「たしかに“国民の健康”ってのは大義名分だけど、守秘契約を破ることをそんなに礼讃していいのか?」
 

『インサイド・ディープ・スロート』

この手法がありだったら、どんな「ヒット作」「駄作」「問題作」「失敗作」だろうと、プロモーションと売れぐわいと精算を描けば映画になるとゆうことになろう。ただの一例以上の意味を持たないドキュメンタリィでした。
 

『イン・ザ・カット』

別に、唯一無二のヒントが出る訳でなし、この映画での犯人は単にどんどんどんでん返していって最後に出て来た奴、ってだけだから、そーゆーミステリィ映画だと思って観てもどーせ当たらないのだ、甲斐はない。サスペンス映画なのね、これはね。それより一瞬たりとも固定カメラで長回しをするなぁんて絵が使われないことにこそ注目すべきでしょう。ものすごいカット数だ、しかもアングルもくるくる変えて見せてくれる。映像表現をすごく大切に考えている、のだろうと思いました。セピアのスケートのシーンとかからもね。もしかしたら監督が女性だし、女性に好まれる手法を採っていたのかもしれません。ラストの、腕枕で寝るシーンなんて、とてもいい感じに女の子向けだと思うし。
 

『イン・ザ・プール』

出色なのが、松尾スズキ演じる伊良部医師の「難儀な厄介者」さであった。「えいっ、ビギナーズラック!」ってキックをかますシーンでそれが最も如実に表れていたよ。なんて難儀で厄介なんだ! 素敵!(笑) 患者たちが言いなりになりがちで、強く主張が出来ないふうのキャラクタだったっつー点もそれに拍車をかけていたようでしたしー。登場人物皆の異常さを面白がるお話でしたね。→【きねま猫】
 

『インストール』

SEが最悪。音楽をすべて取り換えたら、もっといい映画になる。 子役も物怖じしてないし。上戸彩はこの程度の深みのないキャラクタを演じさせるといい感じですね。CMで見慣れている、あのまんまのイメィヂってことで。てなふーに、全編に亘って軽く作ってある映画なのだけど、それにしてもSEは軽すぎた。軽いっつーかふざけてる。
 

『インソムニア』

白夜の街で起きた殺人事件を解決するために送り込まれた刑事が、不眠症に陥りぼけた頭で捜査に当たる話。そんなふうに、作りはちょっと凝ってるけど、お話自体はフツー。
 

『イン・ディス・ワールド』

西アヂヤって、TOYOTAのトラック率がむちゃんくちゃん高いなーと思い知らされたよ。パキスタンの難民の少年が密出国と密入国を繰り返してロンドンにまで到るお話なんだけど、なんかどーにかこーにかなるもんなのねって思います。「ロンドンに行きゃーえーってもん」である理由が明示されないからなあ。コンテナに積まれて船で運ばれるくだりが解りづらくて、ここで同行のお兄ちゃんが死ぬ(らしい、としか解らなかったのも問題だが)んだけど、その死因がプレスを読むまで解らなかったってのも描写力不足だろう<暑くて死んだらしいんだけど直前が雪山を越えてるシーンなのだ、判るかそんなこと。もーちょっと上手に見せようよ、映画。
 

『インティマシー/親密』

毎週水曜にやってくる女と性交渉を持つバツイチの男の話…なのだけど、この主人公の友人が主人公にそっくりの風貌なのだ。面長で額が広く髪がぼしょぼしょっと生えている。区別がつかないったら。こうゆうキャスティングをしては駄目でしょう。ただでさえ、性交渉の最中には口は利かない、女のプロフィールは伏せられたまま、ってゆうミステリアスを描きたいってことで解りづらい映画になっているのにこんなことをするものだから、途中で観るのを放棄したとしても仕方がないぞ。ただ単にセックスシーンが撮りたいだけの映画だったのでは?
 

『イントゥ・ザ・ブルー』

とても綺麗なカリブ海にフリィダイヴィングで潜っては沈んでいるお宝を探すお話。しかし難儀なのは敵でも鮫でもない、お調子者の仲間だ。よくぞ主人公はこの八方ふさがりで出口の見えない状況をピンポイントで切り抜けたものだ。つごいや。そして映像的に観るべきはフィンをつけて潜水してぐいぐい泳ぐ、鍛えられた男体だ(笑)。つごいや。
 

『イン・ハー・シューズ』

美人でバカ、だけど可愛くて正しいことを言うキャメロン・ディアスが必要とされ救われる物語です。それが嬉しいよね♪ 老人ホーム(この映画内では“引退したシニアの施設”ですが)の爺婆どもが、そりゃあよい方向に導いてくれる展開だって、予想がついてもやっぱりええ話でした(にこにこ)。サイコーだったのは、劇中でワンフレーズだけ、キャメロン・ディアスが口ずさむジョーズのテーマが、ちゃんとエンドロールで「使用楽曲」の項に含まれていたことだ。わはは。律儀な。
 

『インビジブル』

透明人間になって真っ先にすることが“研究所の気の強いお姉ちゃんのナマ乳を揉む”ってゆうアホタレ映画です(笑)。これでもかって楽しませてくれる、いいエンタテインメント映画に出来わがってますね。
 

『インファナル・アフェア』

ワルモノ側にも警察側にも、お互いのスパイが潜入しているよってゆー話。結局警察側におもねるオチかよ、と腰砕けになったのでした。無駄な生き方をした奴らだったことぢゃ。
 

『インファナル・アフェア 無間序曲』

前作のエピソード1ですね。警察とやくざが互いに潜入している、っていう作りで起こる出来事を描いた作品の、昔はどうなっていたのかを語る物語だから、当然前作で起こることよりも面白い展開があっては困るのだ、だからこの設定に依って発生する出来事は、今回は、ない。てゆーか主人公たちの若い頃の話だからそもそも違う俳優が演じているし。そしてこの二人の見分けがつかないんだなー(笑)。ぱっと映った時、どっちの話がこれからはぢまるのか、解らないってのはちょっと致命的でした。つーことで、これは前作にも引き続き出ていたサムが主役の物語となっています。…『ロード・オブ・ザ・リング』のようなトリックだこと(笑)。
 

『インファナル・アフェアIII 終極無間』

こんないんちき(笑)な作りの映画はねーよね。一作目を作って、エピソードワンを作って、では一作目で生き残った奴のその後を本作では描こうっつーんだけど、そこで新キャラクタを2人投入する。そーすると、その2人は、前2作ではどこに位置していたのか。映画には映ってなかったけど必ずどっかにいたはず。それを種明かしのように(後づけで)語るというものであった。いなくても話が通ったキャラクタをわざわざ設定してまでシリィズものを続けなくてもなあと思うのですが。新たな話のテーマは、やっとちょっと面白かったけど。
 

『インフィニティ 波の上の甲虫』

小説家が書いている作品の主人公が映画監督を志望していて、そいつの撮っている作品が小説家のいる方の世界、という入れ代わりの状況を描いてゆくお話。やがて創作だと思われていた映画監督側の考察が小説家側にも干渉してくる…とゆう展開を見せる。「どっちが現実なのか」とか「どっかでチェンジするのか」とか、いろいろ考えてみたけど、たぶんこの映画で訴えたかったことは「お互い、自分が理想とする女性を作中に登場させたけれども、ラストで完全にお互いの世界が入れ替わりそれぞれが理想の女性と結ばれて、よかったね」だろう(笑)。なんか幻想的で、面白いよねってゆーレヴェルで観るべきかな、と思う。もしもっと深い物語だとゆーのなら、もー少しそっち方向へのルートを作中で示してよね、と思いました。
 

『インプラント』

「とにかく暗闇にはナニモノかが潜んでいて、足から引きずり込まれる」という恐怖を描いただけの映画。被害者に選ばれる基準がなにも明かされていないので、観ている客は「自分ではない誰かに起こる出来事」だと思いながら観賞することが出来るために、全く恐くありません。いざ引きずり込まれても、翌朝には犬小屋の奥で発見されるし。その結果体になにか骨のような目印が埋め込まれるのだけど、引っこ抜くことができるし、さらにはそのままにしてようが引っこ抜こうが、その後自分に降りかかる出来事には一切関係ないし。そもそも引きずり込まれた先でどんな恐い目に遭うのかすらも映画では語られない。戻って来ちゃってるんだしね。なにを畏れればよいのか、この映画。早い話が“暗闇の恐怖”“黒の恐怖”ってことは、『ボウリング・フォー・コロンバイン』のテーマになっていた「見知らぬ隣人である黒人を畏れ排斥すべき」とゆう思想を植えつけるためなのか、と気分悪く思いつつ観ていました。


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