わんこめ映画評ら【こ】


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21世紀映画評入り口
 

『恋ごころ』

6人の、即ち3組のカップルがいて、その中の誰もがそのメンバの中のふたりと関係を持っている。なんだかんだで最後には納まるとこに納まる、という恋愛映画。2時間35分のうち最初の2時間は退屈でした。関係を精算して話をまとめようとし始めてからの30分は、面白く観れた。前半部分のこの冗長さを思うと、映画作りが下手だってことなのかもしれない。
 

『恋する遺伝子』

「雄牛はいっぺん交尾した雌牛とは二度と決して交尾しない、常に新しい雌牛を必要とする」とゆうのを人間に展開した“新しい雌牛理論”とゆうのを、なかなかもてないヒロインが構築し雑誌に発表するのだ。結局そんな理論を超越して、彼氏が出来てハッピィエンドとゆーラヴコメです。だが、ラストに結ばれる相手が、モテ男なのだ。なんで彼が君を選ぶかなあ(笑)。そして、絶対この後でもこの男は他の女性に向かったりすると思われるが、どーしてそれが解らないかなあ(笑)。女の子が観るとシンデレラ物語だから嬉しいのかもね。あとミドコロは、ステイタスとして「国際貿易センターが見えるマンション」ってのが出てくるところかな。最後の勇姿、かもしれない。
 

『恋する神父』

融通が利かない聖職者がトラブルに巻き込まれるコメディです。てーか、融通が利かないキャラクタを主人公に据えた時点で、その創作は志が低く下品だ。要領が悪い人間の選択ミスを笑いものにしても、なあ。
 

『恋するための3つのルール』

絵の競売所に勤めるヒュー・グラントがマフィアの娘を好きになったお蔭で、マネー・ロンダリングへの協力をを強制されたりえらい目にあう…ってゆうラヴコメです。プレス資料にも「戸惑いと焦りの姿が天下一品」なんて書かれているヒュー・グラントだけあって、楽しい映画です。まぁ、“これならテレヴィで観てもいいかもね”ってのと“邦題の「3つのルール」なんて、映画の中で一切出て来ないけど、なのにこんな超訳をしたタイトルつけていいのか?”ってのだけが引っかかるのぢゃった。ま、観たら面白いからいいけどさ。
 

恋に唄えば♪』

『1999年の夏休み』の金子修介だけあって主役の優香が可愛く撮れています。壺の魔法使いである竹中直人が女性に化けている時の形態が篠原ともえ、というのは秀逸でしたね。ストーリィはゆるいので、この二点で観る映画といえましょう。
 

恋におちたシェイクスピア』

この手のヨーロッパ時代劇を『エリザベス』『娼婦ベロニカ』と観たんだけど、これが最高です。西洋史の造詣におもっきり浅くっても、充分恋愛映画として楽しめたのだった。犬も、可愛い(笑)。
 

『恋に落ちる確率』

解りづらい。「女の子を好きになると、他の知りわいがどんどん自分を忘れていく」というシステムらしいけど、いや、それはいったいどんなルールに基づいているのか。何が言いたいのか、どうさせたいのか。しかも撮り方も解りづらいし。煙に巻けばいいってもんぢゃあない。
 

仔犬ダンの物語』

キッズたちはオーディションで合格してすぐさまこの撮影に入ったのでしょう、映画にひとりこーゆー“演技の出来ていない子供”が登場するだけで作り物であることが前面に押し出され雰囲気が台無しになるものであるが、それが11人もいるのだ。いっそ、このノリに慣れよう。その上で、それらすべてに目をつぶってこの映画を観た場合、モー娘。はいっそカメオ出演っぽい扱いになっているを蔭でか、ストーリィは存外評価できるものであることに気づくであろう! 子供の拙い芝居を観ていたら思いもよらずいいことをちょっとだけ言ったので騙されちゃいました、ってとこだろうかしらん。つまり子供向けには、これなら「大人が勧めれる出来」なのでは?って感じ。
 

『恋の骨折り損』

シェイクスピヤの戯曲を、第二次大戦前夜のヨーロッパのある国を舞台にして展開した…とゆう映画です。映画の中に舞台劇らしさを入れ込んだ作りになっていて、ちょっとばかばかしい。急に歌って踊り出すし。いかにも踊る用の広さをとったエリアが方々にあったり。でも、まぁ、ばかばかしいという点を納得して観れば、愉快な点もあって、まぁ楽しいかな…。
 

『恋の門』

情報量はもの凄く多い。けど、すべて松尾スズキのセンスで統一されているので、解らないものは判らないで済ませて構わない。すべてが解った人は松尾スズキだ。漫画もコミケットもモチーフとして使われているだけで、なにか創作に対する深い洞察がある訳でもない。酒井若菜がおたくを演じるとチョー可愛いね、小島聖に異常な役をやらせるとチョー可愛いね、って思って楽しんで観るのが正しいでしょう。→【きねま猫】
 

『恋は嵐のように』

ポスターがとってもかっこよかったのにぃ(向き合うふたりの背景に大風が吹いていていろいろモノが飛んでいるのだ!)。“なかなか結婚式場に辿り着けない新郎”っていうけど、ここで降りかかるどんな災難も全部、回避可能でしょう? ゆる過ぎ。
 

『恋は五・七・五!』

観る前から判っていた(笑)とおり、文化系の『ウォーターボーイズ』、文系の『ロボコン』、文学系の『スウィングガールズ』でした。にしても俳句の大会は下品だなあ、句を発表した後で、相手チームの句を罵倒するのだ。上手に罵倒できて審査員の同意を得られると判定の多数決で勝つことができゆ、とゆうシステムです。うわあ。まぁ、考えてみればスポーツだって、戦うものはすべて相手の失敗を望んだり弱点につけ込んだり隙を突いたり油断したところを出し抜いたりするものなのか。それを文系でやるとここまで醜さがアカラサマになるのだと示してくれたことは、なるほど、うろこであったよ。
 

『恋は邪魔者』

1962年が舞台。「女性が男性と対等になるためには恋をしていてはいけない」という指南本を著して全世界的なベストセラ作家となった女の子のもとへ、名うてのプレイボーイであるライタが近づいて落とそうとする、とゆーコメディ。…なんだけどこれは『恋する遺伝子』と同じパタンではないか、やだなあ、せっかく美術的に手が込んでて可愛いのに、いっぺん観たことがあるお話と一緒かー…などと思っていたら、とんでもないオチが待っている(笑)。しかも、オチたら終わるかと思ったら、その後20分も話が続く。きゃー(はぁと)。可愛すぎて嬉し涙が出るラヴコメだ。
 

『恋はハッケヨイ!』

イギリスの、でぶちんの女の子が会社の女相撲クラブに誘われてお相撲を取る、とゆうお話です。ただ、日本で観ているからそっちがメインの話かと思うのだが、原題は『Secret Society』といい、主人公の旦那がUFO狂で、不審なことをはぢめた奥さんを探っているうちに「こいつは異星人に乗り移られているのではないか」と疑いはぢめる…ってのが本筋なのだろうねー。その味付けでお相撲を嵌め込んだと捉えるべき映画なのかもしんない脳。ってことで、期待したほどはお相撲一色ではなくって、ちょっとしょんぼり系でした。設定を一切知らずに観にゆくのが正解なのだろうよ。
 

『恋人はスナイパー 劇場版』

全国的に注目を浴びている銀行口座から金を引っぱるというあり得ない犯行方法。地下鉄が地上に出た瞬間を狙って車内の爆弾を狙撃することができるとゆー腕を持つスナイパが主人公たちを狙う時に限っては当たらないし、いっそ銃を使わないで戦いを挑むという不自然さ。とにかくこのストーリィを成立させるために必死だ。そのためだったらどんなおかしな展開でも、駄目な設定でも、押し通すという無理がみえます。残念ですが、もっと考えて映画を作りましょうね。
 

『恋文日和』

別フレに掲載されたラヴストーリィを映画化したものです。みぢかいお話が4編入っていて、このくないの尺でちょうどラヴくっていい感じでした。きっと漫画のテンポを大切にしているのでしょう。中でも驚愕するのは「便せん日和」だったがな。ヒロイン役が中越典子で、その可愛い可愛い中越が思いを寄せる相手が大倉孝二ってんだから! ああああの面相で、ラヴストーリィの、カレシ役ー!? 必見だよ!(笑)<失礼→【きねま猫】【C2】
 

『恍惚』

『8人の女たち』や『永遠のマリア・カラス』の、あの眉毛の太い美人おばちゃん(笑)であるところのファニー・アルダンが、自分の夫は浮気をするよーな人ではないかと疑念を抱き、だったらどんな浮気をするのかと若い女を雇って誘惑させ、その浮気の模様を逐一報告させるとゆー話だ。変態やん!(爆笑) てゆーか『変態性慾』とゆータイトルをつける訳にもいかなかったろうからこの邦題なんだろーけど、もーちょっと、なあ。『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』まで説明しろとは言わないけどさあ、もー少し内容が判るようなタイトルをさあ(笑)。
 

『交渉人』

かなり楽しみにして行ってみたら、舞台が立てこもったオフィスから全然動かないんだもの。つまんないや(笑)。映像的にも楽しませてくれよ。
 

『交渉人 真下正義』

あとでテレヴィ放映することを計算したアップ多用の構図、馴染みのキャラクタらしい連中の馴れ合いのやりとり、これまでのシリィズで培ってきた人間関係。そーゆーものばっかりが鼻につく映画でした。テレヴィサイズのお客にはこれで十分なのだろうけど、映画としての魅力はシナリヨにもキャラクタにも、ちっともありません。ユースケはちっとも交渉人として成功してないし、犯人は親切すぎるし。とてつもなく甘い甘い甘い。

『皇帝ペンギン』

カップリングをし、卵を産み、温めて孵し、雛を育てて春が来たら別れる、という皇帝ペンギンの様子を撮った記録映画。列を作って歩いてゆくとこがサイコーかあいい(ぽゎん)。先頭の一羽だけ、後ろが見えないからまぢめに立って歩いてて、しかし二羽目以降は全員腹這いになってお腹で滑って進んでいるってのが爆笑ものでした(にこにこ)。ナレィションがフランス語っていうのも、ラヴい内容に合ってる感じがして(日本人が感じるイメィヂ的にね)いいチョイスだと思います<チョイスて。
 

『幸福の鐘』

寺島進が無言のままずんずんずんずん進んで行って、お話が展開していくって映画。主人公が無言でも転がるように、アクセスする人々はみんな「たとえ質問形で話しかけてきても結局は自分が言いたいばっかりの人で、返答を待たずに喋り始める」よーなキャラばっかになってます。工夫と言えば工夫だけど、なるほど、そーゆー工夫があるのね止まりの、それだけの作品ではありました。とにかく「無言の主人公がどんな動きの可能性を見せられるか」を数え上げることに熱心な訳だから、いっぺん起こった事件(例えば交通事故に遭遇するとか)は二度とは起きない、なぁんて作り方まですぐ解っちゃうほどだしね。工夫に縛られ過ぎてて、読めてしまうのだった。
 

『ゴージャス』

チープ! 話が小さいぜ! アクションがみみっちいぜ! 何も期待しないで観に行くと面白いかもよ(笑)。何年かあとに、訳の判らないチャンネルでテレヴィでやったのを観るくらいで、充分過ぎます。
 

『コースト・ガード』

うわ。そっちへもってくか! 韓国×北朝鮮の確執とか、軍隊と地域住民との諍いとかを語るんだろう、そーゆーイデオロオギィが主張される映画って息苦しいからイヤンだなあと身構えて観はぢめたのに、ちいとも!そんなのは重視されないのだ。この映画が語っているのは1人の男が撃ち殺されたことで2人の人間の氣が触れた、その氣違いどもの行動の行く末であったよ。何が起こっても動じない、触れたりしないつおい氣を持ちましょう、がテーマか。こんなことくないで氣が狂われていては周囲が迷惑だものなあ。
 

『ゴーストシップ』

40年前に通信が途絶えて行方が判らなくなった豪華客船が幽霊船となって出現する話です。当然、積み荷目当ての連中が入り込んで酷い目に遭うのだ(笑)。とだけ思っていたら、「乗客乗員たちはどうして死に絶えたのか」とか「終わらせるにはどうしたらよいか」に言及され、とても面白かったのだった。一言で言うと「逆タイタニック」だと思って観るとよいでしょう! 少しだけ詰めが甘いと思われる点(「手に悪の紋章を持たない霊たちまでがどうしてこの計画に協力したりするのか、とか)も見受けられたりしたけど、まぁ、目をつぶって。そんかし、ラスト30秒でとんでもない(笑)シーンを見せてくれたので、よし! なるほどね、とても綺麗にまとまって終わるね(にこにこ)。楽しむために観るのにぴったりの映画であった。
 

『ゴースト・ドッグ』

『葉隠』を愛読する黒人の殺し屋のお話。こうゆう日本趣味の映画、大好き。単なる“日本風味”ではなくって、「ギャングとアニメ」だったり「英語とフランス語」だったり、なんちゅーか“異文化の融合”なんかを楽しんでいるとおもうのであったよ。
 

『ゴーストワールド』

ダサいものがかっこいい、って価値観を持つ女の子の話です。友達の女の子と一緒に、高校卒業を機にふたり暮しをはぢめよーとするのだけど、“同じように「恰好をつけようとしているものは格好わるい」と考えている”と思っていた友達が、しかしながらやはりお互い自分ならではの価値観を構築していてだんだんズレを感じてきてしまう…。では、自分の価値観を大切にするためにはどこにいればよいのか!とゆー(笑)そんな映画ですね。抽象的に書くとこんなふーに堅っ苦しい感じなのだけど、やってることは「漫画の落書きをして」「古いレコードマニアのオタクおやぢの家に通いつめて」なーんて、なかなか楽しゲなことなのだ。とても良質の、(ああ、映画の中で悪い意味で“自分探しの芸術”なんてものが登場するけど)自分探しストーリィでしょう(にっこり)。
 

『コーチ・カーター』

型破りなスポーツ映画であった。「大学に進学できるレヴェルの成績が取れなければバスケットをすることを許さん」とゆーバスケコーチが就任してくる話だもの。とても筋が通っていて、この高校の卒業生は多く刑務所に入ることになるけど大学にまで入っていればそうはなるまい、とゆーココロである。それで、しわいでも勝っちゃうから映画にまでなってるんだけどね(笑)。そこの理屈が通ってないのは「実話を元にしている」から仕方ないのだろう。わははわははは。
 

『コード』

原題は『かくれんぼう(HIDE AND SEEK)』です。妊婦を誘拐してきて地下室にとぢこめ、産まれるであろう子供を自分のものにしようとする気違い女の話、なのだけど、その被害者を探してあげなさいようってのがタイトルの意味なのでしょうね。若しくは隠れてそうゆう悪いことをしている犯人を見つけろ、とかね。それを日本に持ってきた段階で『コード』にしたのだったよ。ふーん。結構ちゃんと恐るべき狂気が表現されていて、楽しく怖く観れた映画でした。
 

『コーヒー&シガレッツ』

イギー・ポップの出てる話“カリフォルニアのどこかで”が賞を受賞したそーだが、寝た。寝まくった。退屈だったもん。そもそもイギー・ポップって『ジョジョ』に名前が出てきたって以上に知らないし、興味ないので。ケイト・ブランシェットの奴“いとこ同士”とか、前の方の話の自己パロディをやってるビル・マーレイの奴“幻覚”とかは面白かった。“ルネ”も可愛いのでオッケィ。きっと出てくる俳優を知ってれば知ってるほど面白いとゆう類のショートムーヴィなのであった。つまりシナリヨ勝負ではなく、俳優のキャラクタに依存した映画だってことですね。並の日本人には不向きでしょう。
 

『珈琲時光』

『モーヴァン』と同じ作りだ。一青窈は、敢えて自分が今思っていることを言葉にして人に伝えたりしない。たらりたらりと生きている様を撮っている。その時になにを思い何を考えたかは、のちの行動にて知ることができる、とゆう仕組みのストーリィテリングなのですね。うん、東京に住まうライタの女の子らしくて、これは好き。ただ、出てくる犬と猫が、ともにどちらもいかにも撮影のためにそこにいなきゃならない、ちーとも一青窈や浅野忠信に慣れてない、って感じで、ちょっと映画を台無しにしていたよ(笑)。
 

『コーラス』

「問題児を更正させる寄宿学校」が舞台だとゆーのに存外ゆるい。こいつら本当に問題児なのー?と思っていたが、新聞の宣伝を見て解った、これはこの中でボーイソプラノを歌う子のための、アイドル映画だったのだ。なぁぁぁんだ! ゆるい所以だ。
 

『氷の接吻』

『氷の微笑』にあやかったタイトルをつけた時点で、「この映画をどう売っていいのか解らない」配給会社さんの苦悩が判るようです(笑)。女が犯罪者で、それを好きになってしまう…って点だけでこうゆう邦題になっているのね。あ、これも“幻の女の子”が画面上に現れるのだ! 本当、最近多いなぁ。
 

『コーリング』

主人公だからって、そんなにも周囲のすべての“そっち系の能力を持つ”人々が「事故で遺体が上がらず失踪状態のままになっている行方不明の奥さん」のメッセィヂを、伝えてこなくっても! なんちゅう贔屓だろう。
 

『コール』

犯人は口では「完璧な誘拐だ」と言うし、これまでに同じ方法で4例成功させてきているって設定でもあるのだけど、どー考えてもそんなに成功できるとは思えない、今回のこの誘拐劇であった。この、ダコタ・ファニングの家族くらいの抗いが、今までなかったってのは不自然だろう。単に“子供と、母親と、父親とを3カ所に別々に監視つきで隔離する”ってゆう妙なシステムの誘拐を思いついた、しかしそれが実際にコーをソーして成功してしまう場合を描いちゃあ、映画としてちょっとヤバい。だったら、被害者側が抵抗するとどーなるかってのをやってみましょう、って力でも働いた訳なのだろうよ、きっと。最後も、お金をかけたのは観て判るけど、長く引っ張り過ぎ。
 

『コールドマウンテン』

視点を二カ所に分散させて、どーにか飽きさせぬよう工夫を凝らしております。スタートして55分後くないにレニー・ゼルヴィガーが登場するのだけど、そっからは面白くなるよ。てゆーかレニー・ゼルヴィガーのキャラがいなかったら、なんつーこともない映画だ、これ。アメリカ人には、南北戦争が舞台だってーことで、意味があるのやもしれんが脳。
 

『コキーユ 貝殻』

風吹ジュンは、40越えても綺麗で可愛いねえ。同窓会で再会して不倫の関係に陥るっていう話です。きっと男から見て、ものすごい都合のいい恋愛をしてくれる女性って役だから、女の人が観たらこの話、ちょっと嫌なんではないかしら。ネタバレですが、最後であっさり風吹ジュンは死んでしまいますので(トラックに巻き込まれるという死因だ)そうゆう意味でもこの不倫は後腐れなくって、とっても勝手のいいストーリィに仕上がっております。女の人はこの映画観て怒ってもいいよ。男の人は「よいお伽噺だね」って、夢見て観るがよいよ。
 

『国姓爺合戦』

中国の時代劇です。いかにも時代劇っぽく、お芝居をしているかのようなやりとりやお芝居を見ているかのような展開があります。主人公が順風満帆に行かなくなると母親が「世の中は思いもしないことが起こるものよ」と説いて済ませる、など、 史実とかっこよさは両立しないことを教えてくれたりする、そんな映画でした(笑)。
 

『極道の妻たち 情炎』

何弁だ、こいつらの遣ってるのは(笑)。神戸ナンバの車が出てくるので神戸なんだろうけどさ、ドスを効かせるところ意外では全部標準語やん(笑)。今回のコンセプトは「高島礼子と杉本彩が大立ち回りを見せる」にある。すべてはそのために作られております。その目的で観に来た人には満足頂けるのではないかしら。本当のやくざが、ここまですぐに「殺して次のスティヂに進もう」なんて考えを持っていたら全員あっとゆう間に滅びるだろう、なぁんて正論の入る余地もなく、そっちに向かって突き進んでゆく愚かなシナリヨであったけどもさ。
 

『ココニイルコト』

東京で上司と不倫をし、大阪に左遷になった真中瞳がめげていたら大阪弁の調子のいい男が現れて、サポートしてくれたり励ましてくれたり遊びに連れてってくれたりケアしてもらって立ち直ってきて、もう大丈夫ってとこまで来たら男は手術の甲斐なく死ぬとゆー形のフェイドアウトをする。とてもよくある話ですね。“そもそも真中瞳は才能ややる気がある人物だった”って設定が、気に入らんと言えば気に入らん(笑)>『バガーバンス』か。助けるだけ助けて、これからって時に死ぬってゆー男も出来過ぎ。そーゆー個人的な嗜好を省いて評価すると、スゲー「フツーの映画」だってことだ。もしかしたら「フツーのテレヴィドラマ」レヴェルかもしれんほど、フツー。
 

『地上より何処かで』

奔放そうに見えるけど娘のことを考えている母親と、その母親に辟易して独立したい娘のお話です。奔放さの表現なのか、一歩先が読めない行動をふたりして採る…とゆうのも「普通に降りかかってくる出来事に対処していく」ってゆう“通常の生活と何ら変わりのない”状態を見せられてゆく形になるので、一旦心が離れると“退屈”な映画になるのです。かつてクイーン・アミダラだった娘役の子が、可愛い。
 

『ゴシカ』

あのさあ、霊が取り憑いて、怨みを持つ相手を殺させるってさぁ、そんな力が霊にあるってんだったら、そもそも怨んでいる相手に取り憑け。巻き込む理由が薄いぞ!
 

『ゴシップ』

かつてグレタ・ガルボが演じた『クリスチナ女王』がリメイクされることになった。その主役候補となった9人の女優たちの、24時間を描いたスゥエーデン映画です。設定を知った時点で、9人すべてを見分けようと思うのは諦めた。そして案の定、あっという間に誰が誰で何をしていて、どの男がこの中の誰と誰を相手にしているのか、すべての人間関係が不明になった。観ているうちに、しかしながらこの9人のうちの4〜5人くらいは特定ができるようになってくる。人間群像劇ってのは見切りのタイミングが大切だ、とゆう教訓なのかもしれない。
 

『五条霊戦記』

弁慶と源義経のお話です。ちょんまげが出て来ないので、日本の時代劇にしてはヅラが気にならなく、舞台も都ではなくその辺のほったて小屋みたいなとこなので本当っぽくて(笑)とてもいい感じです。弁慶と義経の関係をほんの少し、知っていればとても楽しめる映画ですね(にっこり)。
 

『ゴジラ2000−ミレニアム−』

電車から浮遊飛行する岩を目撃する安斎肇らの役は、要らんだろう。なんでああゆう子供すら騙せないコドモダマシを挿入するかなぁ。今回はゴジラの出現理由を一切解析しない(ゴジラは出て当然の存在であって、どこに出るかを予測し対策をいち早く採るべし、ってものになっている。台風か)世界が描かれているし。あと、ラストで死ぬ阿部寛ってのは、きっと『ガメラ3』を観て「ああゆう死に方をするキャラクタをひとり、作りましょう」って言って設定されたものとしか思えない死に方だぞ。ぱくぱく。
 

『ゴジラ FINAL WARS』

カマキラスがおもちゃだもんなー(涙色)。北村龍平のお家芸の“はちゃめちゃ肉体ぶっ壊しバトル”もさほどではなかったし。唯一諸手を挙げて誉められるのは北村一輝でしたねー(笑)。あの氣の触れぐわいは見事。「やっぱりまぐろを喰ってるよーなのは駄目だな」が最高だったよ! ぎゃははははっ。
 

『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』

どうせ怪獣が出てきてしまうような映画なのだから、科学的にどうとか生物学的にどうとか、文句をつけてはいかんと、やっと判った(笑)。では映画演出的にどうかというと、今回はとんぼの怪獣と闘うゴヂラがしっぽをくるくる回して目を回させたりしてて、バトルをショウアップしてるとゆー意味で楽しく観れましたね(にこ)。
 

『ゴジラ×メカゴジラ』

「子供に判るように作ろう」と考えたのだろう、とても幼稚な映画だ。登場する大人が、大人の智恵を持って動いていないのだ。大学の理学部の研究室で三葉虫のロボットを披露して「君たちも理学部なら、これが何か判るだろう?」なんて発言する教授なんか、いるか。レヴェルが低い。
 

『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』

第一作のゴジラ以降、あらゆる怪獣が出現していない現代が舞台。モスラはインファント島から来るのではなく池田湖の護り神、バラゴンは妙高山の護り神、キングギドラは宇宙から来るのではなくギドラという名前で富士樹海の護り神、この三体が国を護る聖獣で、日本に恨みを持って破壊しにやってくるゴジラを迎え撃つ…とゆう設定です。平成ガメラの監督をしていた金子修介作品だけあって、怪獣の描き方が秀逸。遠くにバラゴンが姿を見せる大涌谷で、「恐いけどー、でもなんかかわいー」って記念写真を撮ろうとする女の子がゴジラに殺されるシーンなど、とにかく“怪獣に人が殺されるシーン”の出来が最高にいい。この映画に出演して怪獣に殺されたいと思う。

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』

全然、ゴヂラもモスラも、怪獣が出現する意味がない。モスラはなんのために、何をしに来たのか。そもそも「校庭に机で描かれたモスラのマーク」より、ゴヂラを目指して飛んできた方が目標としてはでっかいぢゃん。なんだそれ。すべては、昨年造っちゃったメカゴヂラを廃棄するためだけの物語であった。来年はゴヂラ生誕50周年ってことで、とにかくまっさらにしておく必要があるそーだからね(嘲笑)。→【きねま猫】
 

『ゴスフォード・パーク』

ひとつのお屋敷に貴族たちが集まって過ごし、そこで主人が殺害されるというミステリィ仕立てになっている話。が、そんな展開になるとは知らずに観ていたので「貴族たちと付き人と召使いがいっぱい出てくる判りづらい群集劇だなあ」なんて、途中でついてゆくのを諦めていた。だから真相が明らかになっても、なんとも思いませんでした。ともかく登場人物が多過ぎ。
 

『五線譜のラブレター DE LOVELY』

コール・ポーターとゆう作曲家の曲に乗せて、コール・ポーターの生涯を紹介するミューヂカルを、映画化しました!って代物。しかし使われているうちの一曲も聞き覚えがありませんが、この人本当にそんなに偉大な作曲家?(笑) なぁんてことを思わせてしまうくない、なぁんでもない映画でした。曲を省いたら並の人生だったっつーことやね。映像は綺麗だったよ、やたらとね。
 

『コックリさん』

韓国の女学生たちもこっくりさんをするんだ、ふぅん。お目目のおっきいヒロインは綺麗で、目を見開くとこあくていい感じ。つーかどいつもこいつも黒髪の長髪で、貞子の影が強く落ちているなあとは思わされますが。最初に原因不明の焼死体なぞが発見される辺りはよい感じにホラーだったんだけど、最後の方になってくると馬乗りになって腹をはさみでざくざくと刺し始めるぞ(笑)。そんなのホラーでもなんでもないや、単なる大量殺戮ぢゃん。ちゃんとホラーを徹底しようよ。→【C2】
 

『ゴッド・アンド・モンスター』

映画『フランケンシュタイン』の実在の監督を描いたお話です。ホモと、戦争体験と、映画制作の過去とがからみあって老後を過ごす現在を構成している…とゆー造りなのだ。なかなか見せてくれますけど初見ではまさかそんな話になってくって思わないから脳。2回観るといいかもしんない。
 

『ゴッド・ディーバ』

エンキ・ビラルのあのデザインが(特にホルス神が)、実写の中で動くよ。素敵ー。てゆーかどっちかつったら、エンキ・ビラルのアートの中へ実写の人間を嵌め込んだ、みたいだけどね。実在するにはあまりに異形な人物も、「2095年のこの世界では臓器移植や人体改造なんてのはフツーに行われているし、宇宙人がまぢってきているのだ」とゆう設定ですべてクリヤ! 巧いこと考えたなあ(笑)。これはハードSFだと思います。素敵ー。→【きねま猫】【C2】
 

『ゴッドファーザー&サン』

興味のない音楽に関する音楽映画の最たるものでした。知らない歌手のポリシィとか、語られちゃってもなあ。→【C2】
 

『ことの終わり』

爆撃で怪我をしたのをきっかけに、愛人の女性が自分の元から去って行ってしまった…、なんでやねん!ってのを解析していったら、実は「自分は死ぬほどの怪我をしたのだが、愛人がカミサマにオイノリをしてくれて助かったのだ、その見返りに“もう会いません”って誓ってしまったのでもう会えない」って理由で去って行ったのだった、てのが判る。そしてこの誓いは守らないといけないんですよ、なぜならカミサマは、ほら、いるでしょう?ってのを最後に見せる…って映画だ。なんか、映像もタンタン語りもタンタンとしていてねぶかったよ。こうやってまとめてみるとちょっといい組み立てのストーリィなのにね。ただ、話を終わらせるためにヒロインを殺すってーのは『オータム・イン・ニューヨーク』っていうか『コキーユ 貝殻』っていうか、どうか。
 

『こどもの時間』

無認可のいなほ保育園で育つ0歳から6歳までの子供たちを撮ったドキュメンタリィです。宮崎駿が描く子供たちっていうのは、こいつらだろう。日本でこの育て方をしているってのは、すごく魅力的です。
 

『コニー&カーラ』

もう、いっそ、ドラァグクイーンのメイクを施すと、素顔が美形なんだか不細工なんだか判りませんね。つーことを考えると不細工な者のために発明された手法なんだろうよ。マンバメイクと同様に。だから、だれが見ても美形だと認めるであろうほど整った女優にこれをやってもらえればよかった、とも言えなくもない(笑)けど、まぁ、このノリを活かすためにはこの2人はぴったり合ってるとも思えますし。あと、この映画で一番美味しかったのは殺し屋のキャラクタでした。が、惜しむらくは変節が徹底してなかったんだよねー、もっと弾けられたろうにねー。→【きねま猫】
 

『こねこ』

迷子になったこねこがお家に戻るまでを描いた可愛い映画、だと思って観に行ったら、実は捨て猫をいっぱい世話しているバイト暮しのおっちゃんが主人公の切ない映画でした(笑)。でもいい感じ。
 

『この素晴らしき世界』

ナチスドイツの監視のもとで2年間に亘って貯蔵庫にユダヤ人をかくまっていた、というストーリィのコメディタッチのチェコ映画。最後に判明するのだが、そもそも悪意を持って動いているチェコ人がいない話なので、悲劇のようなハッピィエンドのような終り方をします。話の途中で足手まといだと感じたり鬱陶しかったりするすべての人が、しかしラストに存在していないと誰も救われない、という構成になっている。最後まで観るだけの甲斐があるけれども、タイトルはちょっと、何も表現してなさ過ぎ。
 

『この胸いっぱいの愛を』

なんでもかんでも“過去に戻って”“死者が蘇れば”受けるだろーとゆー浅はかな思惑で作られた愚作。ルールもなにもあったもんぢゃない。どーしてこいつらだけが選ばれたのか説明してみろ。あと、戻った先が昭和61年ってんだったら、風俗の一切におニャン子がまったく出てこない理由を述べてみろ。感動の妨げになるから外したってゆー都合のいい理屈を捏ねようってんだったらそもそも昭和61年になんか戻らせるんぢゃねえよ。バーカ。昭和61年の保育園の連中は刃物を持って乱入してきた不審者を素直に部屋に通すほどの愚鈍に設定されてるし。勝手なことばっかし描いていれば宜しい。
 

『御法度』

トミーズ雅!が拾い物です。邦画の時代劇にしては、まぁ観れる出来でしょう。
 

『ごめん』

小学校6年生の男の子が国語の授業中に教科書を朗読していてはじめての精通を迎える、というオープニングの映画。そのシーンの直後にコミカルな音楽がアタックしてくる。この手の“コミカルさ”ってのは恥ずかしくて大嫌いです。いい加減にしろと思う。この映画で笑い物にされるあらゆることは、いったい誰に観せたくて作られたのか。未熟ゆえに、無知ゆえに、レヴェルが低いゆえに、恥をかく、そんなさまを笑おうと考えるのはどんなセンスなのか。観たいのは笑わせる行いを描いた映画だ、笑われている状態なんか観たくも痒くもない。いつまで経ってもその違いが解ってない映画が作られるのは困ったものだと思う。特に、この映画みたいに、どうしても人生の中で存在する「恥ずかしい世代」ってのを描く場合にはそこに陥りがちだ、ってことを奇しくも証明することになっている訳だけど。
 

『コヨーテ・アグリー』

ソングライタを目指してニューヨークに上京してきた女の子が、ひとまずバーのパワフルな女性バーテンダとして働くよっていうお話です。女性バーテンダはカウンタの上で踊るは酒をぶちまけつつ給仕するは、とてもセクシィでかっちょよいのだった。サクセスストーリィとしては障害が少なすぎるけど、曲もかっちょよくっていい気持ち。
 

『コラテラル』

フツーこーゆー“善良な市民が犯罪者に遭遇して振り回される”ってタイプのお話では、犯罪者の側が頭がよく、巻き込まれる方は愚鈍であるってゆう描き分けがされることが多いけど、この映画では双方とも頭がよいとゆー設定だったので楽しかったよ。タクシィの中で説教合戦をするのだ。わはは。冒頭の10分ほどの顛末は、ショート・ストーリィとして独立した映画に作ってもいいのに、と思いました。
 

『コラテラル・ダメージ』

ビル爆破のテロで妻子を失ったシュワルツェネッガーが、私憤を晴らすべくテロリストの本拠地のコロンビアに単身乗り込み、ゲリラひとりを殺すために大暴れする映画。都合よく潜入できるは、ゲリラの手に落ちてもなぜか決して殺されることはないは、その一方でゲリラ同士はミスを犯した仲間を処刑したりするは、なんかアメリカの自分勝手さを見せつけて下さいますね(笑)。アメリカは、紛争や闘争や戦争に力づくで勝つのが、本当に好きなのだとゆうのを思い知らされる映画だ。
 

『コレリ大尉のマンドリン』

第二次大戦中にイタリヤがギリシヤを占領した。ギリシヤの島に、イタリヤ軍が進駐してくる。しかしイタリヤ軍はいたって暢気で、歌ってお酒を呑んで女の子と遊んでいる毎日だ。そんな中でギリシヤ娘のぺネロぺクルスはイタリヤ軍の大尉ニコラスケイジとラヴい仲になるのでした、とゆう展開です。『パール・ハーバー』『ムルデカ』『マレーナ』なんかを思わせるシーンがここかしこに見られるのだけど、これらのどれよりも楽しめる映画だったよ。戦争がこうなら、楽しくていいやね(笑)。
 

『殺し屋1』

漫画原作の邦画。「とにかく残虐で痛い絵を見せよう」とゆー主旨で描かれたのだろう漫画を、実写で(もちよんCGを駆使して)ばんばん見せてくれます。見たことがないものを見せてくれるのだ。それって、すげー価値のあることだよね〜(にっこり)。
 

『コンスタンティン』

面白い面白い。キリスト教の解釈遊びものだけど、これだったら受け入れられる。別に、この映画の中で通用するルールはキリスト教に精通してなくても解るもの。ファンタヂィRPGで展開するルールみたいなもんだと思って観てオッケィ。映画の中でちゃんと全部提示してくれます。そして圧巻なのが、ラストのあいつの登場の仕方だ。素敵だなあ(笑)。そこまでで提示されたルールを綺麗に巧く活用しているよ。しかも『ドラゴンボーユ』が終いにはブウ編に行き着いたように、最強にして最後のボスは剽軽さを兼ね備えているぞ。解ってるぢゃん>製作者側(笑)。
 

『コンセント』

「シャーマンの話だ」とMCされて観はぢめたのだけど、最初はホラーかサイコサスペンスか幽霊譚か、みたいな話が進んでゆく。オチで、ああ、これは人の魂を浄化する、たしかにシャーマンの話だと、判るようなストーリィです。…ので、そんな映画の最初のMCで「シャーマンの話」と言ってはいかんと思う(笑)。早い話が“どんでん返しのない和ものの『シックス・センス』”ですね。そこに、なぜシャーマンたり得るか、とゆう理由付けが『コンセント』のタイトルの由来として絡んでくるのであった。市川実和子がやたらと裸を見せる役をやっていて、邦画ではないかのよーないい脱ぎっぷりだ。これがデフォルトになれば邦画も変わる、と思うほどでした。
 

『コンフィデンス』

宣伝やら、映画の冒頭やらで、どんでん返しがあることを言っちゃ駄目だってば(笑)。そもそも「信用詐欺」を行っている奴の物語だよっていった時点で、展開するすべてを疑いながら観ちゃうのは必然なんだからさー。構えて観ていても、その衝撃に吹っ飛ぶ!ってくないのインパクトがないんだったら伏せておくべき。銀行から金を引っ張ってくるノウハウもみみっちくて、ドラマティックではなかったし。
 

『コンフェッション』

実在の、テレヴィの人気番組のプロデューサが、自分の手掛けた番組が落ち目になった折りに「自伝」を書いた。それによると、プロデューサ業のかたわら、こっそりCIAの殺し屋を副業でやっていて、今までに33人を殺したとゆーのだ。…って「自伝」を映画にしたもの。なんてゆーかそもそも、こんなヨタ話をまぢめに映画にしてどーするのだ。出鱈目やん。しかもシーンごとが細切れで、つながっていないは、一貫性がないは。肝心の人気番組のシーンに至っては、「どーせこの映画を観るアメリカ人にはお馴染みの、あの番組だから」ってことなのだろう、はしょって描いていて、全然こんな番組が人気を博すとは到底思えない代物だったし。ともかく映画館のシートに座り続けているのが苦痛であった。


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