わんこめ映画評ら【ふ】


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21世紀映画評入り口
 

『ファイト・クラブ』

ブラピが出る映画をはぢめて観たのです。試写会終了後にアンケートで「ブラピが悪役をやることについてどう感じましたか?」って訊かれたけど、はぢめて観る人なのでなんとも感じませんでした(笑)。この映画は、それよっか、途中からブラピが出て来なくなるのだけど、そっから先が!面白い。
 

『ファイナル・カット』《00》

ジュード・ロウが死んだ、その葬式の席で、集まった友人たちを、実は生前に盗み撮りしていたヴィデヨを上映する。みんな、自分の醜態とかを観せられるので不愉快なんだけど「故人の遺志」ってことで我慢しています…ってゆう、実録風に撮った映画。着眼点と話の持っていき方が秀逸で面白い。ただ、オチをつけてしまったのはどうかな…って感じですが。
 

『ファイナル・デスティネーション』

死の予兆を視ることができる男の子が主人公です。飛行機の爆発事故から逃れることが出来て、しかし「死ぬべき運命」は次々と危険を送りつけてくる…ってゆうサスペンスだかホラーだか判らない映画なのだけど、予兆が結構ファヂィだって点と、死ぬ時にはやたらと凝った手数のかかる死に至るって点とで、怖くもなんともありません(笑)。楽しいのだった。わくわく観よう。
 

『ファイナルファンタジー』

敵がすごい。こんな敵ははぢめてだ。RPGに出てくるモンスタが、いきなり出現するのはどうしてかな、と思っていたらこうゆうことだったのか!と捉えても過言ではあるまい。敵は、人間の魂を抜いて殺すのだ。人から魂が持って行かれる(魂は人間の形をしているからね)シーンは、『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』のラストでもあったけど、あれは実写にCGの魂を合成していて、ああ、合成しているねって判っちゃう出来だったのだが、こっちは最初っから人間すらCGのフルアニメだから、魂を持って行かれようと全然画面的に違和感はない(笑)<効果的ってことで誉めている。フルアニメにするにあたってとても有利に働いたのは、舞台設定を「動植物が死に絶えかけている2065年の地球」にしたこと。人間以外に動物が出てこないのだ(鷲が空を飛ぶところはあるけどね)。犬とか猫とか、体毛が生えた動物が動き回る話だったりすると、きっと毛並みの表現で“いかにもCG”っぽく見えてしまっていたのではないだろうか。逆に、あんまりにもリアルに人間をCGで描いているので、途中で「敵に追われ、危うく発進中の飛行艇に飛びついて乗り込む」シーンなんかは、腕で掴まりはらはらさせようとしているけど、そゆ時には「でもあんたCGやん(笑)」って思うね(笑)>実際の映画では、いくらこのあと助かるに決まっていても俳優自身がやっぱり危険な撮影をしているのだろうな、と思って観ている訳だ。ええと、チョコボも出てこない(笑)し、天野喜孝の絵でもないこれを、どこが『ファイナルファンタジー』やねん!(シドという老博士は出て来るけど)と思わぬでもないが、まぁ、それは『RED SHADOW』が全然『赤影』ぢゃないのと一緒、ってことで(にっこり)。
 

『ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス』

「オシリス号」ってのが、『マトリックス』本編でキアヌ・リーブスが乗っている奴なのかどうなのか、覚えてないままで観たので「え!ファイナル!?」って、ラストでちょっとびっくりしちゃった(笑)。案の定、99年の映画の時から、ケータイの大きさは小さくなっていたよ!>もっと遥かに未来の話にもかかわらずねえ(笑)>最初っから、最上級機種のケータイで動けばいいのにねえ>無理を承知で(笑)。
 

『ファイナル・レジェンド ―呪われたソロモン―』

ヴァン・ダムは西洋人のヂャッキィ・チェンになりたいのでしょう。そのほかにも、トレヂャ・ハンタものとか、怪盗ものとか、そーゆーのがふんだんに盛り込まれている映画ですね。地方局の深夜テレヴィで放映されているチープな十何年も前のB級映画、みたいで面白く観られました(にこにこ)。それが新作で映画館で上映されるってんだから、嬉しいでしょう?(笑)
 

『ファインディング・ニモ』

普通に面白い。さすがに売りにしているだけあって海中の様子をここまでCGで見せてくれるのは大したものだけど、ニモ捜しの旅で降り掛かる災厄が、どれも簡単に回避可能に見えるのが難点。いったいどうなるんだろう、ってはらはら感が薄いのでした。
 

『ファストフード ファストウーマン』

人物の区別ができません…(とほゲ)。人物群像みたいなのを楽しむ映画なのに、これではねって感じ。米・仏・伊・独合作のアメリカ映画なのだけど、パーツパーツだけ取り出すと割りと洒落てたりするのぢゃが…。テレヴィの連続ドラマにすると面白く観られるかも。
 

『ファム・ファタール』

そうやったか、と思うようなことをする映画でした<言わないでねってプレス資料に書いてあったのでなにをしたかは内証だけど。そーしてみると、ラストの20分ほどこそが、この映画で言いたかったことなんだろーなーと思います。好意的に解釈すればね(笑)。長いタームの『ラン・ローラ・ラン』かと思えば宜しいか。
 

『ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]』

痛快で面白いね(にこにこ)。ガンロックは変身すると4本指に減るんだ、はー(笑)。耳はどこだ?とか言われてるし(爆笑)。漫画的なラストの解決法とかは、よくぞやった!って感じ。これをしなくちゃアニメ原作の意味はあるまい。てゆーか実写化の際のお約束として、ラヴの要素が必ず入るのね、とも確認しました。大きいお友達が劇場に足を運ぶことを期待しているのだろう。化け物揃いのくせになあ(笑)。
 

『フィアー・ドット・コム』

インターネット版『リング』。サイトを見ると48時間後に死ぬの(笑)。その謎解きにヒロインが挑むのだけど、一瞬「犯人側はこんなふうに手がかりをちりばめたりして、ばかだなあ」と思うのだがそうではないことがラストで判る!ってのは嬉しかったよ!(にこにこ) 残酷なシーンや惨殺死体なんかが登場するくせに、とても後味がよい余韻の残る終わりを迎えて、観てて気持ちがよかったです(笑)。
 

『フィーメイル』

女性をメインに据え、エロい方向に展開したJam Filmsの眷属です。長谷きょーはエロくてよし。タクシィの奴はちっともエロくなくって駄目駄目。松尾スズキ監督、高岡早紀主演の奴は面白くって二重丸。子供の奴は大塚寧々のキャラ設定が中途半端。玉虫の奴は映画としては面白いけど主演が石田えりて。おばはんぢゃん!(笑) つーことで、つくづくと、この手のは女優に依存するもんなんだなあと思いましたとさ!→【きねま猫】【C2】
 

『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』

ブルースのルーツを探って、ミシシッピから最終的には西アフリカのマリまで辿り着くとゆうお話。そんなの、まったく興味がないのでとてつもなく退屈です。但し、このブルース・ムーヴィ・プロヂェクトの中で、やっと、このマリでの音楽はちょっと気に入りました。ブルースはぴんとこなかったのにねー。
 

『フィラメント』

救いようがない、無軌道な道を自ら選んで生きている連中を描いた映画。不愉快きわまりないですね。原案と脚本と監督を、すべて辻仁成が独りでやっているので、ああ、「辻仁成はつまらないね」の一言で済むってことか。これは批評が楽でいいや(笑)。
 

『風雲 ストームライダーズ』

『マトリックス』と『ハムナプトラ』を足して、香港で『スターウォーズ』を撮った…みたいな映画です。戦闘シーン以外はさほどでもないけど(といいつつアイテムの設定には目をみはるものがあるのだ)、バトルシーンのCGのこれでもか!さには脱帽しますね〜♪<褒めている。98年制作の映画だから、決して真似っこをしている訳ではなくってオリジナルなのでしょう! 偉い! 『アンドリューNDR114』の“空中電磁文字”すらも、ここにあるのだ。楽しんでCGを活用するとここまで出来るよ、ってことなのだろうよ。
 

『風音』

子供と、DVから逃れてきた女と、太平洋戦争と、アメリカ軍が出てくる盛り沢山な沖縄映画です。そして最近の沖縄映画にしては珍しく、三線を弾くおじいは出てこないよ。つーところで予感されるとおり、あんまきすっきりとした気分のよい終わり方はしないのであった。問題意識が多様にして多すぎ、消化し切れてないまま解答が一方的に提示されて終わる、って感じ?→【C2】
 

『プール』

ありがちな学園シリアルラヴァーもの。“このキャラクタはひとくせあるな”と思われる登場人物は、実は黒幕か、実は味方か、なぁんてゆう「意外な設定」がのちのち明かされる…って展開が使い古されている昨今、そのとおり(笑)の人物が出てきたりする、お約束サスペンスに仕上がっております。新たに得るものはなにもありません。
 

『フェーンチャン〜ぼくの恋人』

なるほど、『アメリ』に傾倒して、撮り方だけを真似して創る映画があるとしたら、こうなる訳か。いかに、シナリヨのレヴェルとエピソードのセンスが要るものであるのかがよく判った。いっそ『アメリ』的な表現法を採らなければ、まだ落ち度は隠せたろうに。てゆーか創ってる側はオマージュのつもりなんだろう、いろんな面白い映画のぱくりが方々に見られます。だからせっかくのストーリィも却って安っぽく見えるのであった。
 

『フェスティバル・エクスプレス』

1970年のこの頃のミューヂシャンたちにちっとも興味がないのでライヴシーンは不問に付す(笑)。しかし凄いのは観客の意識だ。音楽はただで聴いて当然と思っていて、ツワーで訪れる先々で16ドルの入場料に反対した抗議行動が繰り広げられたというよ。うわあ。商業活動をなんだと考えているのか。その記録の意味で、この映画には価値がありましたね(笑)。
 

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

同名の、アルバムを作ったミュージシャンたちのドキュメンタリィです。出演者はキューバの音楽家たちで、ライヴの演奏の映像の合間にインタヴュが挿まったりホカゴト(ドミノだったりNY遊山だったり)をしているカットが挿まる、っていう作りの映画です。つまりおニャン子クラブがロスへ行って作ってきたヴィデヨと、何も変わる処がない映画なのだ。違っているのは知っているアイドルか、知らないミュージシャンか。または大好きなアイドル歌謡か、全然興味のないキューバ音楽か、なのね。っていうことで、この映画は全くつまらなかったのだったよ。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というアルバムを聴いて好きになった人だけが観るといいと思います。
 

『フェリシアの旅』

女の子に優しくしては、返ってこないからって逆ギレするお宅ヴィデヨマニアおやぢのお話です。フェリシアを妊娠させて捨てた男を、捨てられたと気づいてない田舎娘のフェリシアが追って来てこのおやぢに見つかる…ってんで『フェリシアの旅』ってタイトルなのだった。おやぢは最終的に救済されるし、フェリシアもおやぢの甘言で堕胎したりして、結果オーライで話がまとまって終わる映画だ。いい年してマザコンで、でも会社ではきちんとした役職に就いていて、でも未婚で、そして女の子に優しくするためだったら労力を厭わないってゆー、なかなか身につまされるおやぢです(笑)。おやぢの本性がだんだん明らかになってゆくのを観るのが、なかなか面白いのだったよ。
 

『フェリックスとローラ』

フランスの監督ルコントの作品です。移動遊園地でバンパー・カーのオーナをやっている男と、どこか暗い陰のある女の子との恋愛もの。女の子がなかなか身分を明かさないのだ。それでも恋愛は成立するか?ってのがテーマかな。言葉で説明するとこうゆう映画もありかなと思うけど、終わってみたら退屈なので二度観たいとも思わない、とゆうのが正直なところです。
 

『フォーエバー・フィーバー』

77年のシンガポールが舞台のダンス映画です。「ズレ」とか「チープさ」を楽しむか、「かの国のお笑い」に思いを馳せて楽しむか、できればオッケィなのでしょう。ただ、それをするにはあまりにも、役者のルックスがお粗末です(男性も、女性もね)。…ああ、もしかしたら寅さんを欧米の人が観たら「ルックスがお粗末」って看做すかもしれない、それと同じことを考えてしまっている?…って穿ち方は。親切すぎるかな。
 

『フォーガットン』

凄まじいな!(狂喜) これは何、スリラーってヂャンルに入る訳? 映像の凄さ、明かされる真相の凄さもさることながら、一番価値を感じたのは「理由づけ」に於いて、でした。観ている途中で幾度、そんな外堀から埋めてないで、とっとと主人公本人を亡きものにしちゃえばいいのに、それが一番手っ取り早いのではないかー?と思ったことか。それがおあってみたら、なるほどッ!!(笑) つごい動機づけを考えたものだ。いやあ、やられちゃったにゃー(にこにこ)。ラストも泣くほど感動的だし(涙色)。
 

『フォーチュン・クッキー』

バンドのオーディションのステーヂに立つのに躊躇していると、バンドのメンバが言う、「ミスるかもしれない、そしたら後で笑えばいい」。これは、中身がおっかさんでも、娘でも、どっちでも構わない。周囲の人に恵まれているってことを思い知らされる映画なのだ。そりゃあ、ハッピィな気分で観られるに決まってるってば!→【C2】
 

『フォー・ブラザーズ 狼たちの誓い』

孤児をひきとっては育ててきたお婆ちゃんが殺された、ってんで世話になった中でもおうちゃくい4人兄弟(つっても肌の色とか違う)が真相を究明する!とゆうデトロイトを舞台にしたちんぴらアクション映画でした。優しいお婆ちゃんの仕返しだからね、こんなに立派な大義名分はないのだ、賢く、おもっきり立ち回っているのが氣持ちよかったです。最後の、氷上の窮地でも独特な技を使ってたしね♪
 

『フォーン・ブース』

『ニューヨーク 最後の日々』といいこれといい、“宣伝屋”ってのは映画の題材にされる時には、けちょんけちょんですな(笑)。よほど実際は、叩くに値する華やかなイメィヂなのだろーか。たったこれだけの話をここまで見せるものに仕上げた方をこそ誉めるべきでしょう、細かい点でいっぱい、言いたいこともいろいろあるけど、引きつけ力が強いので、まぁいいかなって思ってしまいましょう。→【きねま猫】
 

『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』

ベトナム戦争に従軍したアメリカ人たちに向けて作られた映画ですね。そいつらにとっては当時国防長官だった人のこのインタヴュは意味のあるものでしょう。そーでなければ、なんだか一介の政治家が昔話と説教をしている脳、ってくないにしか捉えられません。これを観て勉強する気でもなければ退屈だ。
 

『フォルテ』

銀婚式を迎えたおやぢが、次々と浮気をする話。浮気が見つかって隠遁生活をはぢめた先でも、さらにふたりの若いお姉ちゃんと関係を持ちそうになる。そして映画のラストにはこれらが全部赦される。つまらない映画です。
 

『ブギーポップは笑わない』

学園ものでバトルSFをした場合の一番のメリットは、“年齢と偏差値のみによって切り取られ寄せ集められた集団”が舞台であるが故に“どんな異端がそこに交ざり込んでいても不思議はない”と思わせ得ること、でしょう。知らず知らず巻き込まれてゆくそれぞれのキャラクタが、みんな自分の性格・性質にあった“すべきこと”を持って、話を進めてゆく原動力になっているのです。主要キャラの性格づけが、すべて必要とされる…ってだけでもこのストーリィの完成度の高さが解ろうというものなのです。
 

『福耳』

所謂「コミカルな音楽がBGで使われる邦画」です。人物造型、展開、オチなど、すべてに於いて古臭い。宮藤官九郎演じる主人公のおどおど加減がよゐこの濱口のようでキショく(濱口がキショいと言っているのではない、あのキャラが現実社会に出現したらキショいという意味だ)、常に歯並びの悪い口を開きっぱなしにしていて、どうしてもどこにも何一つ好感が持てませんでした。傍役の老人たちは悪ふざけ要員だし。ここまで切っ先を丸くなまくらにして、きっとそーゆー低刺激のものしか受けつけない観客を相手にしている映画なのであろうと思います。
 

『ふくろう』

男を招き入れてはやらせてあげた揚げ句、殺して金を盗る、とゆう母娘の物語。なんだけど、やっぱ撮影時90歳の監督の作品ってだけのことはあるのか、死ぬ間際の表現なんかに「動物の鳴き声のSEを入れる」なんてしちゃってて恰好悪く恥ずかしいよお(恥)。設定では37歳と17歳、とゆう母娘だけど、撮影時の実年齢45歳の大竹しのぶより撮影時の実年齢22歳の伊藤歩にこそお願いしたい、とゆう男が少ないってのも解せぬ(笑)。→【C2】
 

『梟の城』

映画館の大画面で(といいつつ試写室で観ましたが)「時代劇だから、ヅラをかむってますよーほらほら〜被りめの境目が、はっきりと判るでしょう〜」ってのはなんとかできんか。“作り物”の“お芝居”なんだねえって、つくづく冷めるよ。CGで忍者がお城の屋根の上を走るとこを作る余裕があるってんならそのヅラの境目をどうにかしなさい、時代劇! あと、凝った血の吹き出し方を演出するあまりに滑稽になっていますのでそこも注意。
 

『フシギのたたりちゃん』

犬木加奈子原作のホラー漫画の実写映画版です。分数はね、22分(にっこり)。「2000年夏の角川まんが大行進」は、だから犬ではぢまるペンネームの女性漫画家特集、ってことか?(笑) CGの背景だろうが、いかにもベニヤで造ったセットとか、もうそんなものを超越して“好き勝手なイメィヂ世界”が構築されている。お話は小さい子にも解るようにか、単純で簡単です。…まぁ、小さい子はあの画面のおどろおどろしさを観たらそいなけで夜寝られなくなりそう…かも。
 

『舞台よりすてきな生活』

英題を“隣家の犬を殺す方法”とゆうのだ。わはは。近所づきあいも子供の相手も、すべて人間関係が疎ましく思っている劇作家がスランプに陥る話ですね。だからこんな英題な訳で。隣家に越してきた子供と接することでどーたら、って展開になってゆくんだけど、バランスがとてもいい感じ。すべて救わない、だけど肝はちゃぁんと押さえてあるって辺りがね♪ 『バッドサンタ』といい、全部がハッピィエンドになる訳ぢゃないけどっていう描かれ方がするコメディは最近の流行りなのでしょうか、なかなかいいものが出てくるようになった感じで好ましいです(にこにこ)。→【C2】
 

『不確かなメロディー』

映画とはいえまい。忌野清志郎率いるバンド「ラフィータフィー」のツアーの様子とメンバのインタビュで構成されたドキュメンタリィ、なのだろう。こーゆーののおニャン子のをLDで持っているよ。こーゆーののモー娘。のを作ってくれろよ。
 

『ふたつの時、ふたりの時間』

ちょこっとだけ出わった男女ふたりが、台湾とパリに離れたあともお互いを思いつつ生きている、って話。無言でもくもくとなにかしているところを延々撮り続けたってゆーシーンで構成されている映画で、説明があまりなされないから理解するのにはちょっと難儀するであろう。プレス資料を読まないとはっきりとは解らない設定とかもあるしね。雰囲気を楽しめる人には面白いでしょう。
 

『ふたりにクギづけ』

結合双生児コメディです(笑)。明るい『半神』ってところだ(爆笑)。緩くて甘い解決が待っている。だから「お前みたいな奴がどこにいる?」「たぶんチェルノブイリに」なぁんてやりとりがせいぜい最大限のブラックでした。笑って観よう。
 

『ふたりの5つの分かれ路』

離婚時をスタートに、ラヴい時期まで遡るとゆう語り口調は、『エターナル・サンシャイン』以降に公開されてもちっとも斬新ではない。てゆーかひねりがない分、新たに何が訴えたい訳?としか思えません。
 

『ふたりの男とひとりの女』

ジム・キャリーが二重人格を演じています。これまで抑圧されていた怒りが、“無意識の暴力を伴う精神分裂”として現れるのだった。まず、これが発現するまでが冗長。せっかく発現してこれまでバカにしてきた街の人々に復讐する、楽しいシーンはあっという間に終えて、ヒロインが命を狙われているのに巻き込まれる、って方にストーリィが移行。…でも、まぁ、作り過ぎなのではないの〜?ってくらい状況が特異なのだった。もっと単純な設定で、二重人格の面白さを活かしたら?って思うよ。どうも「説明が長くなるので途中をジム・キャリーの百面相で繋ぎ繋ぎ進めましょう」みたいに見えて、ちょっと爆発しきれていない。
 

『ふたりの人魚』

昔好きだったが別れてしまった少女を捜してやってきた男が、バーで人魚ショーをやっている女の子の前に「君に違いない」って現れる…ってゆう中国映画です。“姿を隠した女の子をどこまで追い続けるか”ってのがテーマになっています。中国映画にありがちな、“できるたけ解りづらく構成しよう”としているので、口で言っちゃうと単純な話なのに(ついてゆきさえすれば)長く楽しめるのであった。ヒロインも、可愛いしね(にっこり)。
 

『二人日和』

京都が素敵。京都弁も。ゆったり流れ、老夫婦の周りに善と優しさが漂う。その雰囲気を味わう映画ですね。これが現代の日本であることを嬉しく思います。
 

『葡萄酒色の人生 ロートレック』

この映画を観てきて、帰ってからロートレックの写真を見てみたら、なぁぁぁぁんてそっくりなんでしょう! あと、「ちゃんとしているなぁ」って思ったのは“ロートレックが描いている途中で破棄した絵”を絶対に画面に映さないっていう点。画面に出すのは本当にロートレックが描いたものだけ、っていうのは誠実だよね。フレンチカンカンとかのシステムも判るし、とてもためになる映画です。ためになるばかりでなく面白いし、よかったよかった。
 

『船を降りたら彼女の島』

オープニングは『ナヴィの恋』と同じ。かぶってることくらい、誰かスタッフが気づいて諌めてやれよ、と思います。解く必然性のない問題を抱いてうだうだしているだけの、辛気くさい話がただ展開するのみで、「愛媛で撮った映像は綺麗ね」以外に何も訴えてこない映画。
 

『冬の日』

自由度がものすごく低い、お高くとまった連作アニメィションです(笑)。そもそも難解な「連句」をテーマにして、36本の短編を並べてひとつの作品にした、とゆーものだけど、逸脱を許さないらしい。句の意味を受けて、舞台をずらして異国のお姫様の話にしたブシェチスラフ・ポヤールや、木こりの話にしたマーク・ベイカーはオッケィで、雪の舞う絵を描こうとしたラウル・セルヴェには「季節が違う」からと(全体のタイトルが『冬の日』なのにかッ!?)描き直しを命じる、なぁんて、いったいナニサマだと思っているのだろう(噴飯)。いいぢゃん。お勉強のために、啓蒙のために、この企画を考えたのか。そんなに大層なご立派なものを造っているとでも思っているのでしょう。いやらしいですね。もっとさ、楽しい、面白いだけのアニメィションを作ったらどう?って思います。きっと企画段階では、もっと楽しかったんだろうにねー。→【C2】
 

『フライ,ダディ,フライ』

トレィニングをスタートしちゃえば面白い、痛快だ。でもそこにまで考えが到る、設定段階がいたたまれない。たしかにそれ以降とはカラーが違うとゆうことが解っているためだろう、モノクロで語られるその部分がとてつもなく嫌いです。好みの問題だから仕方がない。この映画の冒頭から25分ほどは観たくなかった。胸くそが悪いです。
 

『フライト・オブ・フェニックス』

『デイ・アフター・トゥモロー』に引き続きデニス・クエイドが自然の猛威に襲われるぞ(笑)。飛行機の高みから見る「砂漠に砂嵐が発生する」さまは圧巻! 冒頭の圧巻はそれで、ラストにも圧巻が待っている♪ ゴビ砂漠に飛行機が墜落する話なのだ。生き残りは11人。さー、どーする?とゆうサヴァイヴァル映画かなと思っていると、実は墜ちた飛行機の名前は“フェニックス號”ではない。すなーち、タイトルばれで判ると思うけど、壊れた双発機の、まだ生き残っている片プロペラを活かして単発機を組み立ててそれで飛んで帰ってこようとゆー展開になるのだ! ぎゃー。当然飛行機のサイズがおもっきし小さくなるので、全員が乗るためにはどーするのか。その絵づらが、とてつもなく素敵♪ 65年の『飛べ!フェニックス』とゆう映画のリメイクだそうだけど、今風の描き方も盛り込まれていて、おもっきし楽しめました(にこにこ)。こーゆーのこそが、リメイクした甲斐があるとゆーのだ。→【きねま猫】
 

『プライドと偏見』

母親や妹たちが下品だったら自分だけ賢くなる要素を有していてもままならぬわなあ、とゆうまだるっこしいラヴストーリィです。キャラクタの全員が単純な性格をしているので安心して観られますね(笑)。キーラ・ナイトレイは本当に可愛くラヴい(はぁと)。顎女で、受け口で、胸がない(笑)けど、そんなのは些少なことぢゃ(笑)。暴れる方面ではなくてこーゆーのばっかしやればいいんだわ! アミダラの影武者とか(爆笑)。
 

『フライトプラン』

大団円だったら途中で何をやってもいいと思っているな?(ぷんすか) もっとちゃんと「真相」に対してフェアな描き方を心がけなさい。“妄想”ですべての理屈が通るように展開させすぎだった。って書いた時点で妄想ではないことがバレる訳だが。えっと、つまり『サイレン』のアンチだ(笑)。
 

『プライベートレッスン 青い体験』

たかが韓国版『パンツの穴』のくせに、ええ話にしようとし過ぎ。やりたい男子学生なだけぢゃん。ってゆうか映画自体がセックスシーンが撮りたいだけのくせに。セックスで成長譚語られてもなあ。まさに青いなあ。
 

『ブラウン・バニー』

無言のままで延々と走ってゆく映像を見せたりすることで心に抱くもやもやだの葛藤だのを表現しようとしているけど、ヴィンセント・ギャロならざる者にそれを初見で解れ、とゆーのは無理だ。そもそも解り易く伝えようとゆー気が欠如してもいるんだろーが、二度目に観て伝わればいいわい、とゆーつもりで客をフィルタにかけているのかもしれません。二度は、これは、観ないけどね。
 

『プラクティカル・マジック』

眠かったのだけど(笑)、ちゃんと観ていると面白い話だったのだ〜<褒めていいのか? 魔女の話だって聞いて行って、期待が大き過ぎたのですね。派手な魔法があんまり出ないもんでねぇ。でも、細かく面白いからまぁ、ほどほどにいい映画ってことで。
 

『ブラザーフッド』

韓国の傍役の兵隊たちがみんな新井浩文に見えるよおん(笑)。物語の構成は『タイタニック』と同じ流れですね、これ。反戦を訴える映画ってんだったら、このくない描かなきゃ駄目。それにしてもつくづく、なんでもともとひとつの国だった南北朝鮮が、いがみ合うんだよおんって思ってなりません。これを観て、仲良くなるのだ!→【きねま猫】
 

ブラザー・ベア』

人間の目で見た時の熊はデザイン的にそれはどうよ、って風体だったのが、熊の目で見た熊は描き分けができてて、さすがだね。なんか最近のディズニィはこーゆー「ネイティヴな民族」ものが好きみたいで、今回の人間たちもみんな鼻が丸いよ。漫画なんだからいい風に描けばいいのにと思います。
 

『ブラックキス

手塚眞は映像美が好きらしく、なにを映してるのか解らないとこが多すぎ。たぶんスクリィンの色わいを楽しむ映像作品だ、これ。「なにやってるのか解らない」ホラーはいっこも怖くないと勉強になった。
 

『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』

本編の前にイントロとして7分ほどの短編『Dr.ピノコの森の冒険』ってのを観せられるけど、どーしよーもなく子供を舐めきった、動物がいっぱい出てくれば嬉しかろうどまりの低レヴェルな愚作。色だけはカラフル。本編はロングで引いた絵の時にとてつもなくタッチが荒れる。劇場のスクリィンで拡大されることを何も考えてないのだ。手塚ってこんな程度か。ヂブリを見習おうよ。内容は、感動的な話のつぎはぎ。まー、ブラック・ジャックの顔と一緒ってことで(巧いこと言った)。
 

ブラック・ダイヤモンド』

全然ダイヤモンドぢゃないぢゃん(笑)。『タイムボカン』に出てきたダイナモンドを盗りあう話でした。ラストの5分の「ふたりの馬鹿トーク」を楽しむには、この監督の前作(しかしジェット・リー作品ではない)『DENGEKI 電撃』を観ておかないとなりません。敵の組織の詰めの甘さや、ブラック・ダイヤモンドのバイヤーの薄っぺらさなんかに、“制作費の少ない映画”らしさがにぢみ出ています(笑)。その分、主人公側が「民間人の乗ったヘリコプタを戦車で撃ち落とす」なんて無茶をしてくれるから、痛快さだけは充分にアッピールしているかな、とは思った。
 

『ブラックナイト』

設定も、実は夢オチだったというけりのつけ方も、主役にいまいち華のない俳優を起用してよしとしちゃってる点も、すべてが「子供が考えたレヴェル」のコメディであることを意味している。
 

『ブラックホーク・ダウン』

ソマリアの市街地にミッションで突入したアメリカ軍のヘリが民兵に落とされて、仲間を助けろってんでざわざわ兵を投入して戦争をする、とゆう、一夜を描いた映画。アメリカ兵がやられるシーンは気味がいいけど、きっとアメリカではこれを観て戦意昂揚とかする奴もいるんだろうと思うと腹立たしいですね(笑)。
 

『ブラックボード ―背負う人―』

黒板を背負って、教える子供を求めて山道をゆく男たちを描いたイラン映画です。イラクの攻撃を受けたりする、決してほんわかしてるだけのイラン映画ではないのだった。予想は裏切るけど、期待はそんなには裏切らない…と思うよ。新発見はいっぱいあるので、よい映画だと言えよう。
 

『ブラッディ・マロリー』

着ぐるみの造作がチープなのを除けば、このB級もしくはC級(笑)ホラーさは、好みです(笑)。「細かい野暮は言わない」で、そのくせ「細かいギャグとか作り込みは賞賛し」つつ観るための映画ですね(笑)。“超常現象ハンタである主人公の側が、車で走行中に道の真ん中に黒猫がいると「不吉だから」って理由で轢き潰してミンチにする”ってのを笑えない人は観てはいけないってことだ。
 

『ブラッドシンプル/ザ・スリラー』

微妙に、登場人物全員の望んでいることと行動の結果がズレていって、いやでもおうでも殺し殺されないとなんなくなる…ってゆう作りの、よい「スリラー」ですね。16年前の映画の編集やり直し版、なのだそうですけどもさ。
 

『プラットホーム』

1979年から1991年までの10年以上に亘り描かれている、中国各地を回る劇団のお話。…とゆうのが、映画を観ただけでは解らない。説明が格段に不足しているのだ。2時間31分もある映画なのに、長くなった理由は「何をやっているのか解らないシーン」をだらだらと回してみたり、編集やカット割りをすればいいところを延々と映し続けてみたりするからだろう。長いくせに説明がないので理解できないのだ。人物のアップのカットが、今思い返してみても思いだせないくらいなかった。キャラクタを印象づけようという気が欠除しているのだろう。とゆうことで、人物の区別が解らない。人間関係も解らない。さらには、中国でこの時期というのは結構社会的に激動しているとゆうのをプレスで読んで知ったのだが、その「時の流れ」が、解らない。よほど中国事情に詳しく、人々の服装の変化や流行している歌の変遷に通じていないとそれに気づくことはないだろうと思われる。なんの資料もなく、この映画だけ観てイッパツで描かれているすべてを理解するのは無理だろう。作り手側の独りよがりとはこうゆうことを言うのだ。
 

『ブラッド・ワーク』

心臓移植手術を受けた元刑事が、心臓の提供者の妹の依頼で姉を殺した犯人を捜すとゆー話。「犯人が何故2回の犯罪を犯したか」の理由づけには納得、動機にも納得、しかし「ちりばめられた証拠が、実は犯人側がそれと判るように故意に遺したもの」ってオチにはちょっとね、ではあった最初っからそんな描き方がされている犯人なんだから、統一性があるといえばあるんだけども。まぁ、オチを知らずにこの映画を観ている分には、観ている最中はそんなことにひっかかりを覚えることもなく楽しめるかなと思う。
 

『プラトニック・セックス』

石川という、映画史上最強にして最高の男性キャラを生み出したとゆうだけで、この映画は成功したと言えよう。飯島愛役の女優は見た目幼すぎて、ちょっとイメィヂ違い過ぎ。なので、飯島愛だと思わずに観るのが正解かも脳。
 

『プランケット&マクレーン』

18世紀のイギリスの2人組の強盗の話です。途中がとてもたるい、ねぶい映画なのだ。でも、片割れが捕まって…ってとこから後の展開はすごく面白い。書いちゃうけど、絞首刑になるところを救い出しに来るのだった。結構痛快だったねー。まぁ、強盗をしている最中の細かいエピソードとかってのは時間の都合上、箇条書きに表現せざるをえないのだろうから、前後の脈絡なく“鉄砲の練習をして”たり“女性に性病を伝染され”たりのシーンを並べられても、ねぶく感じるのは当たり前だ。ってことで総評としては並以下の辺りにランクする映画になってしまうのです。
 

『ブリー』

いぢめっ子をみんなして殺す話。殺した後でみんなビビって、結局露呈して捕まっちゃうのだけどね。いぢめっ子が「殺されて当然」のようには描かれていないので、きっと“ひょんなことで、なんでもないことで、殺してしまう若者”みたいなのを訴えたかったのだろーと推測されるんだけども、そのせーで全然殺人に到る側の方から説得力がなくなっているぞ。だったらこの設定である必要はないし。てゆーかこんなに長々と人間関係を説明する部分は、だったらやめちゃえって思った。なんかフォーカスのつけ方が違うんだよね〜。
 

フリーズ・ミー』

監督の石井隆って、をかべとしては漫画家としての印象が強いのです。それはこっちにおいといて〜、井上晴美が惜しげもなく裸ん坊で大暴れなのだ。いいぞ流石15禁なのだった。自分をレイプした奴らをひとりずつ殺していくって話なんだけど、殺されるレイプ犯がいかにも悪い奴らなので、とてもスカッとかしますね(笑)。そんで、凶器として使われるのが1.5リットルのペットボトルに水を充填したもの、とか、持って来てくれた花をいけた花瓶、とかなのを見ると、ああ、やっぱりこうゆうところに“心情を象徴させている”のだな、漫画もそうゆう手法を使うものな、なんて思ったりしたりなんかして〜。
 

『フリーダ』

物語は、実在したひとりの女性の生涯を描いた、とても「いい話」でした。だからどれだけでも、「よくあるいい映画のうちのひとつ(最上級とまでは到らない)」に留まりかねなかったのだが、それを思いっきり映画たらしめ押し上げているのがフリーダの容貌です。眉毛が繋がっているのだ! もう、主人公が画面のどっかに映っているだけで、ものすごいインパクトがある!(笑) 普通の映画でこれをやったらとても卑怯な技で(笑)禁じ手と言われようが、何より強いのは「だって、本当に、眉毛が繋がっていたんだもん」とゆう事実だ(笑)。『オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー』でマイク・マイヤーズがやたらと“鼻の下に大きなほくろのある男”をクローズワップしてからかっていたのは、これだ。そんな身体的特徴のある奴と同フレームに収まった時、観客の視線をすべて持って行かれる。勝てる訳ない。それをマイク・マイヤーズは解っていたのだ、だからこそ“ほくろの男”が登場するとそいつだけをピンで、カメラで抜くとゆー方法で乗り切っていたのだ! すげえな(笑)。てーかそれを現実の世界で展開したフリーダこそ、すげえ。→【きねま猫】【C2】
 

『ブリジット』

なかなかに不幸なブリジットの人生が、各エピソードぶちぶちの細切れで語られます。まるで沢山のショートフィルムを順繰りに繋いで1本の物語を綴っているかのよー。こーゆードライな語り口には好感が持てますね。エピソードごとにリセットして観られるから逆に飽きません。巧い構成だと思います。→【C2】
 

ブリジット・ジョーンズの日記』

32歳の、小デブで独身で彼氏がいないブリジット・ジョーンズの前に、急にふたりの男が出現して言い寄られる話です。ひとりはプレイボーイの上司、もうひとりは謹厳実直で幼なじみの弁護士。なんで、それまでの生活を改めた様子もないのに急にもてるの? それまでのもてなかった30年間は、なに? 「日記」は、ラストでたしかにとてもいいエピソードの小道具として使われるのだけど、しかし「はっきり言ってここまでもててるんだったらなにがどーなったって構うまい」と思って観ているから、単に“日記を上手に使ったねえ”どまりであったのだ。いったい、ブリジットを好きになるこのふたりの男は、ブリジットのどこがいいのだ?
 

『ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』

こんな女、不自然だろう(笑)。なんで支持されるのか解らないうざさとズレぐわいだと思うのぢゃが。なんだか独り空回りしているうちに周囲では自分が予期せぬイヴェントが企画されていて(スキーに行くとかね)、昔懐かしい、30年以上も前にりぼんで弓月光が画いていたラヴコメの展開を見ているみたい。そして自らもてないもてないと吹聴してまあっているブリジット・ジョーンズよりよっぽど、ブリジットと別れている間にも新しいカノジョ一人作れないマークの方がもてないと思いました。つくづく。
 

ブリスター!』

フィギュアおたくの話なのだ。架空のフィギュアの、作られたもとの架空のコミックも構築して、作者のバックグラウンドも設定して(まぁ、これは当然でしょう)、SFテイストを絡めて遥か未来の話に繋いで、一方で「フィギュアと生身の女性、どっちを採る?」ってゆうおたく永遠のテーマにも言及して(笑)、ああああああああ、いい映画なのだ! 最後にはフィギュアマニアの彼氏を理解してやる女性、ってのだけが甘過ぎると思うけどさー(笑)、あとは上出来でしょう、これ!
 

『ぷりてぃ・ウーマン』

普通、ミッキィ・カーチスを映画に起用すると、その映画はおふざけが過ぎたものになりがちです(経験則)ってゆうか(そもそもあの年齢で“女好き”で“それを実行に移す”時点で気持ち悪く、それを気持ち悪くないよう覆い隠すためには“ふざける”道しか残されていない)。つまり、ストーリィ的にそこでいちいち冷水が浴びせられる訳だ。そしてミッキィ・カーチスはそのうちのひとつに過ぎず、ミッキィ・カーチスの存在を許すような映画に於いては他のすべても推して知るべし、おふざけがストーリィの流れを破綻に追い込んでいるに違いない。と思って覚悟してこの映画を観たのだったが、ああ、おふざけが、ほとんどない。ってゆうか「おふざけ」なんて表現が相応しくないような、そんなレヴェルのくすぐりが巧くちりばめられている、よい映画だった。…とすると、あとは、このタイトルセンスの問題になると思う(笑)。このタイトルで、この話の設定を聞いては、観ようって気になるまい。観れば面白いのにね。惜しいよね。
 

『プリティ・ブライド』

結婚式場から逃げ出す新婦の話。何度結婚式を挙げようとしても逃げ出す新婦役がジュリア・ロバーツ、それを回避して結婚に至ろうと挑戦する新郎役がリチャード・ギア。ってことでみなさん『プリティ・ウーマン』を期待して観に行ってがっかりして出てくる、とゆうパタンらしいのだけど、をかべは『プリティ・ウーマン』観てないので全然平気だぞ(笑)。「なんで式場から逃げ出すのか」のネタ明かしなんか、どーでもいいよーな理由で、そうしてみると“なんか変な性癖のある女の人の話”ってどまりな映画だ。
 

『プリティ・プリンセス』

目立たない女の子が実はフランスとスペインの間にある国“ジェノヴィア”の王女であったことが判明する、とゆうディズニィ映画。子供向けのルールで話が進んでいるのであろう、おかしなとこがいっぱいです。
 

『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』

罪がないなあ(笑)。女王に即位する話なんだけどライヴァルが出現します。でも、あんまきつおい障害にならないし。“独特なルール”が面白いね、議会と女王の関係とかシークレットサーヴィス間の符丁とか。敵にほいほい近づいてって自ら窮地に入り込んでいく緩さは大嫌いだけど、それを補って余りある緩い解決をするのだ。そーゆー温度の映画ですってことで。
 

『プリンス&プリンセス』

影絵アニメなのも、短編なのも、いっそ王道の物語でオチが読める単純さまでもが、心地よい。てゆーか、何度も観るに値する創作ってのは、たとい先が読めようが面白いって意味だ。まさにそれ。声優をやっている原田知世がとてつもなくラヴリィにプリティ(はぁと)。『時かけ』以来の適材適所と言えよう!
 

『フリントストーン2 ビバ・ロック・ベガス』

石器時代に設定する意味がない失敗作。
 

『ブルークラッシュ』

世界一のサーファーを目指す女の子が大会に出場する。にあたって、彼氏が出来たり、波に対する恐怖があったり、いろんなものを克服してエンディングを迎える!とゆうよくある青春映画。だけど、サーフィンの撮り方が、本当に凄い! こんなアングルから撮った映像を観せられては、もう感嘆するしかありません。素敵。
 

『ブルース・オールマイティ』

設定やストーリィがおもっきし単純になっている分、ジム・キャリィの天才が遺憾なく発揮されている。カフェでコーヒィを注文し、スプンがなかった時の展開を見よ! これに尽きよう!→【きねま猫】
 

プルート・ナッシュ』

お気楽に作ったSF映画です。好きなところにだけ力を入れて、ほかは「細かいこと言うなよ」で済ませているよ(笑)。楽しくなればよいとゆうスタンスなのであった。
 

『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』

天才を理解できない“自分では善意だと思っているパンピィの肉親”がいかに難儀な存在であるか解る(笑)。孤高の天才は本当に孤独で、それを受け入れられる者のみ、そこに留まることが許されるのね。こゆのを観ると家族は要らないにゃーとつくづく思えます。
 

『プルーフ・オブ・ライフ』

アフリカ某国でゲリラに誘拐されたアメリカ人を救い出す映画です。身代金要求に交渉人が応対し、値切るだけ値切っておいて結局お金を払うことなくばんばん撃ちまくって救出するってゆーストーリィだ。うーん(笑)。交渉人は、要るのか?(笑) そしてゲリラの人質になっているアメリカおやぢも、尊大で堂々と振る舞っていて、いかにも「アメリカ人はこんなもんには屈しない」ってのが描かれていてとても気分悪いでした。
 

『故郷の香り』

香川照之が巧いなあ。中国映画に、唖の役ででも出演依頼が来るだけのことがある巧さだ。しかもこれってほぼ、香川照之のための映画だし。うわあ。
 

『フルタイム・キラー』

伝説の殺し屋と、そいつを超えたい殺し屋のお話。最初に両者のスタンスの違いを見せておいて、あとでこの二人の対決が…ってゆー構成なのだけど、だったら最初に提示した性格だのやり口の違いを、対決シーンでももっと如実に見せるべきだと思います。なんだか、どっちがどっちでもいー戦いっぷりだったぞ。
 

『ブルドッグ』

なんか解りづらくてたるくて面白くない。終身刑のぢぢいに、そんなに簡単にほいほい会ってはいかんのでは? 終身刑のぢぢいはぢぢいでケータイで外部と連絡をとってるし。どーゆールールの社会か。
 

『フル・フロンタル』

冒頭に登場人物の紹介が映る。本編だけで表現することができなかったのだ、先に知っておいて観てねとゆう意味だ。劇中映画の撮影シーンで映る“監督役”の顔には黒い■でマスキング処理が施されている。プレスに依ると「いい俳優が見つからなかったのでこの映画の本物の監督が出演したため」とかいう理由だそうだが、そーゆー調べないと、読まないと判らないような処理の方をこそ優先する、つまりそこまでしてついてきて面白がる者に対して発信している映画だとゆーことだ。内輪受けものってことですね。
 

ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

映画を作った側の思考が楽しめました。これを映画作品としてだけ観た場合は、この辺りの評価になります。どころか「ホラーだよ、怖いよ」とだけインプットして観に行って「?」となった知り合いを少なくとも3人知っています。この映画の楽しみ方は、観る前に出来る限り情報をインプットする、それに尽きます。この映画がどう作られたかを解った上で観ると、きっとすごく面白いでしょう。または、きちんと(この映画に沿ってきちんと、の意)想像力を働かせることが出来る人だったら、充分に怖さを楽しむことができると思うのだったよ。ちなみにこの映画を観てだいぶん経ってから朝4時前に歯を磨いている時、“テントの外で子供の笑い声がする”ってシーンを思い出したら物凄く怖くなったのだった(笑)。小さい子かっ!
 

『ブレイキング・ニュース

警察側も立て籠もり犯側も映像をがんがん外部に発信して世論を味方につけよーとする犯罪の話。と書くと、アイデワは面白いのに、立て籠もりをはぢめるまでが解りづらくたるかったよ。
 

『ブレイド』

かっちょいー。もっとブレイドは無敵でもいいと思うのだけど、最近のこの手の映画は“やられっぱなしでいてラストでどんでん返す”ってのが定番になっているみたいで(『エンド・オブ・デイズ』とか『ゴージャス』とか『エネミ−・オブ・アメリカ』とかね)、だからこんなもんなのかなぁ。
 

『ブレイド2』

テーマが“親子愛”になり、前作からの年月の経過でアクションシーンもさほど珍しくなく“どっかほかの映画でも観たようなのばっかし”になり、パワーダウンが否めない『ブレイド2』でした。第一作で思いつく限りの面白いことはやり尽くしたってことなのかも。
 

『ブレイド3』

地に足がついたブレイドが帰ってきたよ! わぁいわぁい。アクションがスタイリッシュでかっちょういいよ(ぽゎん)。血液工場のヴィヂュワルも素敵。話は緩い(笑)けどこのくないで充分でしょう。そしてブレイドシリィズの一番の発明は「吸血鬼を倒すと灰になって雲散霧消する」だ。死体が消えるから、やっつけつつ通った後が画面的にとてもきれいです。いいのを考えたもんだなあ。→【きねま猫】
 

『ブレス・ザ・チャイルド』

「聖人になるべき子供が誕生したらしいので、それを阻止しようと悪魔教のめんめんが生年月日が同じ子供をさらってきては殺す」とゆう、いつもながらのキリスト教礼讃映画です。キリスト教国の人たちはこれを観ると面白いのだろう、きっと。
 

『プレッジ』

引退してもなお少女惨殺事件の真犯人を追うもと刑事のお話。ゆっくりゆっくり真犯人に迫ってゆくので、途中がたるいです。オチから考えると、よくぞ我慢してこんな構成を組み立てたものだ、と思えるほど、甲斐のない終わり方をするよ(笑)。だからといってなんでもない日常の部分を積み上げるのを省いちゃうと、単に「勘の働く老刑事もの」に過ぎなくなって、そんなたいした映画でもなくなっちゃうし。結局、早い話が、そんなに面白いシナリヨではないと結論づけることが出来よう。あ、ただ、出てくる少女役の子供がすげー可愛い! ちいちゃい美人さんだ。あの子だったらかどわかしたくなるぞ<コラッ。
 

『ブレッド&ローズ』

アメリカに不法入国しているラテン系の人々がビルの清掃会社で働いている。その会社の労働条件が悪い、っていうので争議を起こし、デモをして、結局勝つまでを描いた映画。なのだけど、そもそもこいつらの存在事態が違法だは、展開する交渉手段のどれもが違法だは、そもそも馘になる理由は遅刻をするとかの義務を果たしていないからだはで、どの一点をとっても全然主人公側に感情移入できません。頭悪すぎで怠け過ぎだ、こいつら。スタートが不幸な境遇だったらなにをやってもいいと思っている話なのだ。胸くそが悪い脳、と思いつつ観ていました。
 

『フレディvsジェイソン』

フレディは、子供たちの心から恐怖心がなくなると悪夢を見なくなり、存在そのものが消えてしまう。その危機感から、ジェイソンを地獄から呼び覚まして「エルム街へゆきちょっと殺してこい」と命ずる。蘇ったジェイソンが若者たちを残忍に殺し、それまで箝口令が布かれていた“フレディ”の名が復活、無事子供たちはまた悪夢を見始めた。嬉々として少女の悪夢に出現していたぶり殺そうとするフレディ。と、いざとどめを刺そうとした瞬間、現実世界で少女がジェイソンに殺され、悪夢の世界から雲散霧消する! 怒り心頭に達するフレディはジェイソンを葬ろうと決意するのであった! ぢゃ〜ん!!ってゆーお話(爆笑)。もう、楽しいことこの上なし! “ホラー映画につきものの、おっぱいにシリコンをたんまり入れたお姉ちゃんが全裸で泳ぐシーン”ありーの、“「いい加減死ね」の台詞”ありーので、楽しい楽しい!(にこにこ)→【きねま猫】
 

『フレンチなしあわせのみつけ方』

喧嘩をしたり愚痴を言ったり浮気をしたりしててもこいつら全員パートナと仲良く良好に過ごしているのだ。そおか。シャルロット・ゲンズブールとその旦那の夫婦喧嘩が強力かあいい(ぽゎん)。→【きねま猫】
 

『ブロウ』

70年代にアメリカで暗躍した麻薬の大元締を描いた実話です。ジョニー・デップが主人公で、フランカ・ポテンテが最初の奥さん役だよ。わーいわーい。観てつくづく思ったのは「引き際はきちんと見極め、本気で綺麗に引ききりましょう」と「家族家族ってウェットにしてんぢゃねーよ」です(笑)。まぁ、そんなウェットな人物だったからこそアメリカ映画にしてもらえたのかもしれぬ。もし、演出で“家族とのつながり”をデフォルメして加えているとゆうのなら、ちょっとそれは「家族に救いを求め過ぎてて説教臭い」ってことだ。「あー悪いことして面白かった!」って投獄されてお終い、って話に作れないのものか。実話でも何でもいいからさ。
 

『ブロークダウン・パレス』

高校の卒業旅行でフィリピンに遊びに行ったアメリカの女の子ふたりが、麻薬の運び人に騙されて、荷物の中に麻薬を忍ばされ空港でダミーとして捕まり(その隙に本当の運び人はまんまと出国してゆく)、投獄されて30年にも及ぶ刑を喰らいました、どうしましょう、っていう映画。いたいけな高校生の女の子が悪夢のようなフィリピンの刑務所に入れられてしまった〜しかもハメられて〜っていう悲劇を描きたいらしいのだが、このフィリピンの刑務所っていうのがとっても牧歌的で(笑)山羊を飼ってたりニワトリが遊んでたしするし、主人公の女の子たちは刑務所の中で使役をさせられる訳でもなく、ただごろごろしてご飯だけは満足に食べさせてもらって…ってゆう失敗作。こんな映画を観た人はご愁傷さまだ。
 

『プロポーズ』

1億ドルの遺産を相続するためには明日の午后6時5分までに結婚しないとイケナイ、っていうお話です。ラストで1000人のウェディングドレス姿の女の子が追っかけてくるさまは圧巻。たむろっていても圧巻。あとの見どころは、なみいる“もと彼女”に片っ端にプロポーズをしてゆくのだけど、いろんな種類の女の子と付き合っていたことだなぁマンなのだ、この主人公。その“もと彼女”役でブルック・シールズとかマライヤ・キャリーとか出てるの。…それくないですね。あとはね、ヒロインよりもヒロインの妹役の子の方がはるかに可愛いぞ(笑)ってとこかな。お話の展開は予定通りです。
 

『フロム・ヘル』

1888年のロンドンは、悪趣味がけっこう流行っていて、そんな中切り裂きジャック事件が起こった…とゆうのは解らないでもないけど、周囲があまりにも異形過ぎるために、頑張って造ったであろう、“忠実に再現された、切り裂きジャックの被害者の死体”ってののインパクトが薄くなってしまっているのはいいのか?(笑) それにしてもジョニー・デップは「目をつむったまぶたの下で眼球をぐるんぐるん回す」のが好きだなあ(笑)。
 

『ブロンドと柩の謎』

チャップリンの乗り込んだ船上パーティで殺人事件が起こる、とゆうお話。舞台はほぼ船中に限られているので、時代的な設定はさぞやし易かったろうと思いますね。映画の冒頭で続々と人が、船に集結してくるところで「うわ、大嫌いな群集劇かよッ!?」って覚悟を決めたのでしたが、終わってみれば本筋に関係してくるキャラクタは6人くない判っていれば問題がなかった程度の物語だったので、ついてこれてよかったよかった(笑)。だったら最初っから「群集劇っぽい雰囲気」なんて、出さなきゃもっとよかった。『黄金狂時代』を撮る前のチャップリンって設定で“本当に飢えた男は何を喰ったら面白いか”を人に試しに訊いているって処と、チャップリンのお付きの運転手が日本人だったってのは面白いね(笑)<結局チャップリンが登場してなかったらこの映画は物語として受け入れられなかった、ってことになる訳だが。


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