わんこめ映画評ら【や行】


【あ】【い】【う】【え】【お】/【か】【き】【く】【け】【こ】/【さ】【し】【す】【せ】【そ】/【た】【ち】【つ】【て】【と】/【な行】

【は】【ひ】【ふ】【へ】【ほ】/【ま】【み】【む】【め】【も】/【や行】/【ら行】/【わ行】/【アルファベット】/【数字】
21世紀映画評入り口
 

『ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密』

パワフルなおばあちゃんとパワフルな娘の諍いが楽しい。お決まりのオチがやってくるけど、パワフルなおばあちゃんの半生が描かれ、それを娘が知ってゆく、ってのも面白く観られたのでした。アメリカの女の人の人生は、赤毛のアンの成長を見るように可愛いと思います。
 

『約三十の嘘』

詐欺師6人が共謀で詐欺を働くというこのお話で、最も詐欺なのはきっと伴杏里の胸であろうと思うよ。「パインちゃん」とか「ミルキィちゃん」と呼ばれる“胸がおっきい”キャラとゆう設定だけど、全編に亘ってセータ姿だし、触らせろと言われても断るし(笑)。豪華寝台特急の中だけで話が進むので観ている最中にこれは舞台劇の脚本だって判っちゃうよ。何が何でも隠せとは言わないけどさ、映画化するってんだったら、ちょっとはそこいらを工夫したら?と思いましたが。トリックや動機も穴だらけで、真相が明らかになってもちっともすっきりしないんだしさ。
 

『約束〈ラ・プロミッセ〉』

「いたずら坊主が実はいい子だった」とゆう映画は、もし邦画だった場合にはむちゃくちゃ鼻について、あざとい映画だと感じてしまうことであろう。でも外人の子供(この映画の場合はフランス人)がやると、ありかなと思ってしまうんだよなー(笑)。そんなふうに身構えて見た割りには、ちゃんと楽しむことができたレヴェルだったのでした。周辺の描き方の出来がいいため、ってのもあるのだろうね。子供と意志を通わせるぢぢいの設定とかね。
 

『焼け石に水』

50歳の両刀遣いのおやぢと、同棲相手の若いお兄ちゃんの恋のはぢまりから終わりまでを描いた映画です。舞台はずーっと棲んでるアパートの中だけ。「とにかく新しい物好きで、人を好きになってもすぐに飽きて次ぎに行ってしまうおやぢ」にどう対処するか、とゆう恋愛映画であって、ゲイであるかどうかはまったく重要ではないのだ、実は。ただ、前半部分は淡々としているゲで、ねぶいかも、です。
 

やさしい嘘』

お婆ちゃん映画大好き。孫が好きで、息子が大好きで、でも娘は嫌いなお婆ちゃんです。だけど息子がパリで死んだ時に、娘はお婆ちゃんを苦しめたくないっつーことでその死を伏せるために偽の手紙を出したり工作するとゆーお話であった。と思っていると、まさかそれで終わるかという予期せぬラストのエピソードが出てくるのでした。まぁ、そのちょっと前で物語にけりがついちゃった手前、なんかかんか据わりのいいエンディングを仕立て上げないとなんなかったっつーことぢゃろう。ま、『ターミナル』よりは終わらせ方が上手、かな(笑)。
 

『やさしくキスをして』

他者といがみあい対立し排斥するための民族だの宗教だのって、本当に辟易するくだらねーな! 『すたをず』がそゆことを戦争の理由に挙げない訳だ、本当に根深くてどーしよーもねーのだ。日本に生まれ育ってよかったとつくづく思うよ。
 

『山猫』

3時間7分もかけて何が言いたいのかよく解りません。豪華な装飾が見せたかったのかな。映画はやっぱきエンタテインメントってのをちゃんと発達させてきているんだなあと思いました。エンドロールがないのはよかったねえ。「FINE」てのが出て、10秒くないで映画がおあるのだ。この点だけは今も見習うといいのに。
 

『山猫は眠らない2―狙撃手の掟―』

どーせ主人公はミッションをどーにかこーにかクリヤする、ってのは映画なんだから、判ってんだから、だからこそだったらどう見せれば面白くなるかってとこが手腕だろーに、この映画では本当に「どーにかこーにか」クリヤしちゃってゆくのでした。見るものすべてが「新鮮でない」映画ってのも珍しいと言えば珍しい、かも。
 

『山猫は眠らない3 ―決別の照準―』

1を観ぬまま2を観、今回3も観た訳だけど、2にしろ3にしろ主人公の「腕利きのスナイパ」は窮地に陥ってばっかりでいいとこなしだ。なんでこいつが腕利きなのかをこっちは理解できない。そーゆー目で見ると、全編むさいおやぢが苦悩し続けてるばっかりでどっこも楽しくないぞ、この映画。1で当然とされた(らしい)ことでもちゃんと描こうという教訓、だろうか。
 

『ヤング・ブラッド』

三銃士の話に香港映画のアクションやワイヤワークを取り入れた、のだけどどちらもレヴェルが低くて面白くありません。
 

『誘拐犯』

誘拐犯がふたり、誘拐される「代理母」の妊婦がひとり、代理母を依頼した富豪が夫婦で、妊婦のボディガードがふたり、老ボディガードがパートナと一緒に出てきて、妊婦の産婦人科の主治医がひとり、って、これだけの人間がこちゃこちゃ動き回って話が進んでゆきます。それぞれにそれぞれの理由と考え方があって、そうなるべくして動いてゆく。面白く、引き込まれて観ることが出来たよ。ラストをそんなにきれいにまとめなくってもいいのに、とちょっと思ったが、まぁ、やりっぱなしよりは良心的ってことかも。
 

『夕映えの道』

中年の女の人が独り暮らしの老婆と知り合いになって交友を深めてゆくお話です。婆あがわがままで、癇癪持ちで、くそ婆あなんだけど、我慢してつき合っていると結構可愛い婆あなんだよね(笑)。こーゆー堪え性があるとこーゆー人づきわいができる、とゆーことか。
 

『油断大敵』

泥棒が駆け出しの刑事に、泥棒のテクニックを伝授する、とゆう実話に基づいた物語。だと聞いていたので楽しみに観たのだけど、それ以外のウェットなファクタが多すぎてがっかりでした(笑)。ま、最初の、子供っぽい「ピンチ脱出のおまじない」を大真面目に唱えているところで、そんなのを取り込んぢゃう映画なのだと知れるのだけどね。こうゆう恰好悪い創作から得るものは、別にないです。
 

『ユマニテ』

148分に及ぶフランス映画です。“役者にシナリヨを渡さず、監督との話し合いの上でそのシーンを撮ってゆく”を繰り返して作った映画なので、「冗長に見えるほど長々と役者を映し続ける」ことにより「役者の本来の姿を表現」しよう、としているようです。そのため、冗長に感じますね(笑)。カンヌで賞を3つ獲っているそうだけど、カンヌで賞を獲るようないい映画だ、と考えるのではなくカンヌの審査員はこうゆうのが好きなのだ、と看做すのが正しいでしょう。
 

『夢 追いかけて』

全盲で日本初の中学校教師になり、パラリンピックで金メダルを獲ったとゆー男性の「実話に基づく」半生記、を映画にしたいとゆーパッションは解るけれども、成長したとどのつまりで本人に本人を演じさせるってのは、駄目だ。それまでの“俳優の演技の上に成り立ってきたストーリィ”が一人の素人の起用で台無しになっている。言いたいことが訴える価値のあるものならどんな手法を採ってもいいものが出来る、なんて大間違いだとよく解る例ですね。
 

『夢だと云って』

映画の冒頭に思わせぶりに監督の言葉として「観てない人にネタバラシをするな」って出るので、ネタがあるものだと思い観ました。わくわくしつつ観ていたうちは面白かったのだけど(知恵遅れの男性がとんちんかんな事件をひき起こすフランス映画なのだ)、さぁ、隠されるべきネタが明らかになるや、ちょっと、えー?それは、どうよ?設定がヘンではないのか?とゆうとこばかりが目につくようになって、後味的に評価できないレヴェルに落ちてしまったのが残念です。“みんなを救おう”とするあまりに、話に無理があるのだった。コメディが作りたいのだったら最後まで笑い飛ばせばいいのに。もしか、家族感動映画が撮りたかったとゆうのなら、それこそこの解決策はヒキョーだ。
 

『夢は時をこえて ―津田梅子が紡いだ絆』

津田塾大学を創設した津田梅子の「知ってるつもり」を、エンタテインメントを全部抜いて、代わりに研究者のだらだら話でつないで作った…って感じの映画です。映画と言っていいのか?<しかし2000年度のキネマ旬報・文化映画部門ベストテン第1位だそうだ。ふーん。もしこれがテレヴィで放映されていたら、あっという間に消すかチャンネルを替えますね。津田塾の関係者には興味深いかもしれない。その他の者にアッピールするためには、だったら何故“津田梅子を選んだか”をもっと観せなきゃ。これなら別に、名大の初代学長物語だって構わないだろう。またはフェミニズムを言うのならそっち系の誰でもいるだろう。おそらく津田梅子を選んだってのには、単に、「津田塾同窓会が津田塾創設100周年を記念して企画した」以外の意味はなにもないのでしょう。まぁ、観れば観ただけの、インプットはたしかにあるけどね。
 

『百合祭』

「老人の性愛を描く」というテーマらしい。婆さんばっかり6人いるアパートにダンディな爺さんが越してくる。そして片っ端にやりまくる、という話。そもそもこれが若いルックスをしていたとしても“そんなに万人に好まれる男性”なんて設定には説得力がないのに、いくら「男の数が減ってレアになった老後」という状況だからといって、あれは気持ち悪いだろう…と思わないのか。少なくとも若者が観て楽しい映画ではあるまい。女性監督だけあって、途中で出てくる白雪姫のイラストに堀内満里子を起用するとゆうチョイスはちょっと嬉しいのだったが。
 

『ユリョン』

韓国映画の人名は、うぢゃうぢゃ出て来るとどうせ映画の最中に覚えることすら困難なのだから、こゆふに3桁の数字で呼び合ってくれると助かります(笑)。潜水艦同士の闘いはかっちょいい脳。ちょっとわくわくしたよ。“日本に核攻撃をしようとする潜水艦”の話なのだけど、結局“自分たちが全滅してもそれを阻止する勇敢な兵士”ってのを描きたかったらしいのだけど、では日本映画で同じように“北朝鮮とかへの核攻撃を、その艦に乗り合わせた日本人全員の命を捨ててでも阻止する”なんてのが撮れるか?はたして。…と思うと、なんてゆーか、偉い話だ脳。
 

『潤の街』

さすが88年制作の映画だ、『パッチギ!』のゆるいゆる〜い奴です。強い問題提起ができない風潮の時に創られたのね。在日朝鮮人であるヒロインを痛めつけ犯す二人組も、カメラがまあっている時にはゆるいゆる〜い攻撃しかしないし。砂場の砂をかけて、それはどんなダメィヂか(苦笑)。
 

『容疑者』

自分の息子が殺人犯になったから護ろうとか射殺されぬように逮捕してもらおうとか考える親ばかな刑事の話です。贔屓度満点で、観てていい気はしませんでした(笑)。
 

『容疑者 室井慎次』

大ごとにするためにとってつけたように作られた事件然としていてちっとも緊迫感がない。簡単なことを言えば、この物語になぢみのない者には、すなーち柳葉のキャラクタに思い入れがない者には、こいつがどーなろうと知ったことぢゃあない。てゆーか大袈裟に取り沙汰されているこのシチュエイション自体が全然、切羽詰まってない。追い込みが机上の理屈止まりで、リワリティの欠片もない。つまりはひとつも容疑っぽさがないのだ。よくぞこんな低レヴェルなシナリヨに、みんな参加したものだと驚くね。
 

『妖婆・死棺の呪い』

綺麗なお姉ちゃんが妖婆で、夜な夜な襲ってくるのだ(笑)。ロシヤの映画なんだけど、お祓いをした円の中にいると妖怪どもには見つからないのだ。そこで妖婆は何でも見通すことが出来る化け物を連れてきて、そんで発見されてしまう…ってゆう、水木しげるの漫画にあったのと同じお話になってゆく…。きっと40年近く前に、水木しげるもこの映画を観るかなんかして漫画を画いたのかもしれない〜。結構ロシヤの妖怪話としては有名だそうだから、映画とは関係ないのかもしれない〜。ともあれこの映画は観る価値は、あったのだった。
 

『夜風の匂い』

カトリーヌ・ドヌーヴが出演する映画はどうしてこんなに退屈で解りづらくて淡々としているのだろう。きっと、ドヌーヴを起用する監督が「単調で難解なのをこそ映画だ!」などと考えているからではないだろーか。人に見せるとか観てもらうとゆうことを全く考えていない映画ですね。これに払う金はない。
 

『欲望』

よくぞここまで脱ぎっぷりよく(はぁと)。そうそう、邦画でも、こーゆーシーンはちゃんと、シーツで隠したりしてねーで見せるべきだと思っていたのよ。その点でとにもかくにも高評価だったです♪→【きねま猫】
 

『予言』

ラストの畳みかけるよーに展開するとこは面白いんだけど、なんだか無理に理屈をつけようと、解明しようと、し過ぎていたためだろう、途中がおもっくそだれる。「恐怖新聞」がちっとも恐怖ぢゃないんだよね。結局禁忌がよく解らないままだし。そんなとこでもたついてないで、『ファイナル・ディスティネーション』のアナザ・ヴァーヂョンって感じでどうやっても逃げ場なく死ぬ、ってところだけ強調して見せてくれた方が面白かったろうに。惜しいねー。
 

『四日間の奇蹟』

今さら人格交換ものでもねーだろー。よっぽど新しい趣向でもあるのかと期待しちゃうのは当然で、それのはごく簡単に裏切られる。入れ替わる片一方を知的障碍者にしたを蔭で『純愛中毒』のパタンにだけは入り込まずに済んだけどもさ。だいたい、ルールが曖昧に過ぎる。クライマックスシーンであいなけぽんぽんいろんな人々にスキルを飛ばすことができるってんだったら、いっそ松坂慶子をがばっと起き上がらせるくらいまですればよいのにー。変なところで腰が引けて臆病になってんだねえ。
 

『酔っぱらった馬の時間』

クルド人の兄弟が、障碍のある子の手術代を稼ぐために密輸品を運ぶ仕事に就くとゆー物語。したたかな大人たちの間で子供は可愛いねえ。荷物を運ばされるラバは可哀想。
 

『世にも奇妙な物語 映画の特別編』

よっつのエピソード(『ストーリーテラー』のタモリが登場するのもいれると5つ)から出来ている映画です。1編が30分、ストーリーテラーは30分おきに現れ次の話をはぢめる…とゆう仕組みです。ホラーともしも世界とミステリィとSFとがあって、まぁ飽きさせずに観せてくれるのだった(性にあわないのがあっても次のを期待して30分我慢すればいい、ってシステムだからね)。ラストの話を恋愛ものにしているのは、アベックで来た客に対するサーヴィスでしょう。また、逆に、たとえ30分でもだれる話はだれるものだとゆうことを教えてもくれますね(笑)。
 

『黄泉がえり』

「死んだ人間が、望まれて蘇ってくる」というパタンで考えられる“感動的”なシチュエイションをいくつも見せてくれます。ワンアンドオンリィだといかにも単なる特異な現象ひとつだけ、って感じに陥るところを、複数提示することでいっそその「蘇る理屈」の方に向く目を逸らせてくれているのだ。いいじゃん、現象の認識だけで、って思いに到りさえすれば、あとは描かれる人間ドラマを満喫することができるでしょう。各「黄泉がえりのシチュエイション」に、邦画の主役級の俳優をちりばめているってのも賢い手法と言えよう。ちょっとくさいシーンなんかもあったけど、全体的には楽しく観られました。
 

『夜になるまえに』

キューバの亡命作家の自伝を映画化したもの。事実なんだろうけど、女っ気が無くて地味だし、“解決のためにどう抗おうと、時が満ちれば勝手に向こうから方法が降ってくる”ってのなんかすげーリアリズムだ。キューバの歴史とか情勢とかに詳しい、だからアメリカ人が観れば解る分だけまだ楽しいのかな、と思う。
 

『夜を賭けて』

当然感じてもおかしくない閉塞感が希薄で、虐げられている状況でしかし皆がパワフルに生き、将来なんてなにも期待できないとしか思えなくても誰も落ち込んだり諦めたりしていないという“未来がなさそうでありそう”な状況下の民衆、なぁんてのを描いたら映画になるに決まっている。そんなシチュエイションがこの日本で見い出してきたってゆーのは賞賛に値するね。「父親と兄を殺して9年ぶりに戻ってきたやくざ者」が主人公の人生に波風をたてるか、と思いきや、双方ともそもそも在日朝鮮人同士が殺しあうことはありえない、真の敵は(敵が存在するとしても)目の前のこいつではない、と解っているってゆーのも、ライヴァルの描き方としては新鮮でとても気持ちがよいのでした。
 

『歓びを歌にのせて』

名声の重圧に押しつぶされそうになり半分引退状態で故郷に帰ってきた超有名指揮者が、聖歌隊の指導を通してみんなを、主に人間関係の歪みから救ってゆくとゆーええお話だ。自分も救われるしね。調子よすぎるくらい巧く事が運ぶけど、まあ、それは許すとして(笑)、しかしでも最初の立脚点「行き詰まり息苦しくまでなった揚げ句に選んだ“帰る場所”が、幼少時にろくな思い出のない、逃げるように去った故郷だった」ってとこは解せなかったけどなー。それぢゃ休まるまいに。


【あ】【い】【う】【え】【お】/【か】【き】【く】【け】【こ】/【さ】【し】【す】【せ】【そ】/【た】【ち】【つ】【て】【と】/【な行】

【は】【ひ】【ふ】【へ】【ほ】/【ま】【み】【む】【め】【も】/【や行】/【ら行】/【わ行】/【アルファベット】/【数字】
21世紀映画評入り口