わんこめ映画評ら【あ】


【あ】【い】【う】【え】【お】/【か】【き】【く】【け】【こ】/【さ】【し】【す】【せ】【そ】/【た】【ち】【つ】【て】【と】/【な行】

【は】【ひ】【ふ】【へ】【ほ】/【ま】【み】【む】【め】【も】/【や行】/【ら行】/【わ行】/【アルファベット】/【数字】
21世紀映画評入り口
 

『アート・オブ・ウォー』

かっちょいいスパイものかと思っていると、なんだかもたもたし始める。おやおやと思っていると、意外な人物が黒幕であることが判明しちゃう。そのあとの展開はやっと面白ゲです。もうちょっとなんてゆうか、「このあと意外な人物が黒幕であることが判明しちゃうよ」ってのを、前に振っておくべきでしょう。いきあたりばったりの出たとこ勝負で作っているようにしか見えないもの。
 

『アイアンジャイアント』

最大の失敗は1時間26分であることです。3時間とは言わないまでも、2時間以上はやって欲しかった。原子爆弾の投下が現実のすぐ隣にあった1957年に、アメリカの小さな町に宇宙から落ちてきた巨大ロボットがやってくる…アニメなのです。E.T.っぽいし、ラストで軍の攻撃を受けて防衛機能が働き、全身兵器に変形するアイアンジャイアントはものすげえかっちょいいです。小学校では授業中にアニメで「原爆に依る攻撃を受けた時は速やかに、椅子の下に隠れましょう」なんてのを啓蒙しているし(笑)。ああ、軌道に乗ってからはとても面白いのです! が、なにぶん尺が短いので“アイアンジャイアントが発見されるまで”とか“アイアンジャイアントが懐くまで”をもうちょっと、もうちょっと観たかったなぁ…なのだった。
 

『藍色夏恋』

とてもベイシックな高校生男女の恋愛物語。女友達が好きだってゆー相手の男の子とつきあうみたいな形になっちゃいかけてて、実は…ってゆーものだ。こんなベタなのが作れるとは、さすが台湾。
 

『愛ここにありて』

ヒロインが、それまでの男の子から新しい男の子に乗り換える理由やきっかけがちゃんと提示されていて判り易く観せてくれる恋愛映画です。恋愛の障害がゆるいせいか、それほど無理な出来事も起こらないまま巧く行って、しかも最後には女の子はガンで死んで、いい感じのラヴストーリィでしたね(笑)。特長はないけどまとまったいい話、ってことですね。
 

『愛してる、愛してない...』

可愛い恋をするオドレイ・トトゥの物語。はぢまって40分経過したところで、視点の変わった方向からこの恋が描かれてゆきます。こーゆー、“自分の世界を築く恋愛もの”の役ばっかり、オドレイ・トトゥにはオファが来るなあ(笑)。→【きねま猫】
 

『アイス・エイジ』

「アイス・エイジ」ってのは氷河期のことだ。集落から流された人間の赤ん坊を返すために、移動を始めた人間たちを追って旅をするマンモス、ナマケモノ、サーベルタイガーの3匹…ってゆうストーリィのアニメ。なんか、設定を聞いて思いつくことをそのままやっただけって感じで、目新しくもなく、どっかで観たような、ありきたりな展開を観せられたのみでした。
 

『アイ・スパイ』

オーウェン・ウィルソンがお得意の、映画のメインとなる有色人種(この映画ではエディ・マーフィ、『シャンハイ・ヌーン』ではジャッキィ・チェン)をサポートしつつ自分もボケをかます白人役、を演じております。喜多さんのスタンスとでもいうのか。ストーリィは、扱っているブツの大仰さ(姿が消えるジェット戦闘機とか、熱核爆弾頭とか)に比べてスチャラカで、甘くてゆるくて、まぁ、この主役はふたりともアクションを見せる俳優ではないから仕方ないのだろうけれども、きっと心には何も残らないんだろうなーと思われる出来であった。
 

『アイズ・ワイド・シャット』

これはレヴェルが低い。背徳の館が、全然蠱惑的でないのだ。なにが言いたい映画なの?
 

『逢いたくて』

いーおばーちゃんのカトリーヌ・ドヌーヴが、もてもてで、でもかつてラヴい関係になりかけてなりそこねてそのまま想いだけを抱き続けている相手に逢いに、フランスからニューヨークへ渡って来る…ってゆーお話。いくつになっても、こーゆー役がやりたいのだなあと思った。こんなの、この歳でやるこっちゃないよね。あ、きっと、ドヌーヴ世代が夢見るために作られた映画なのかもね、です。
 

『逢いたくてヴェニス』

紳士(女を殴らないような男)だけを相手に傍若無人に振る舞う女の話で、こういう女は大っ嫌いです。にっこり。殴られるかもしれないシチュエイションでそれでも闘う女っていうのなら共感を持つのだけどなぁ。
 

『アイデン&ティティ』

麻生久美子がとても可愛い。口調が可愛いね。でもつきつめて考えると「男が行き詰まって好き勝手放題やっている間もずっと好きでいてくれてて、いざ、その女の子の必要性に気づいた時には見つめてくれつつも物理的・地理的に遠くへ行ってしまう」んだから、これって男にとって都合のいい女性像でしかない気も、する。その程度のことを訴えているだけの映画だ。つまり必ずしも主人公がロックを目指さなければ成立しない物語って訳ではない。一般的な青春時代の恋愛が語られているに留まるのであった。
 

『“アイデンティティー”』

この映画を支配しているルールが伏せられたままお話が進んでゆくので、途中で監督不信に陥ったりしかねないよ(笑)。1時間30分の上映時間中、1時間10分経過するとルールが明かされるけど、それを知れば何一つとして手を抜いた故に、若しくは考え足らずだったから、そーなったなぁんて展開はないと知れよう。信じて観るのだ!(笑) そして、それから20分間が実は真骨頂である。ルール=オチである映画が多い中、この映画のオチはルールが明かされただけでは割れないのであった。偉い脳!(にこにこ)→【きねま猫】
 

『愛にかける橋』

オーストリアの女の子が日中戦争前夜の中国にお嫁に来て、第二次世界大戦、文化大革命などなどをばんばん経験してゆくとゆー、実際のモデルのいるお話。中国の現代史を見るのに、よい“外部からの視点”を与えてくれたものです。→【C2】
 

『愛についてのキンゼイ・レポート』

なぁんだ、キンゼイ教授の伝記映画ではないかっ。「レポート」部をクローズワップして映画化したのかと期待してたのにー。つーことでありがちな、フツーの人生を大仰に語っただけの物語に過ぎませんでした。キンゼイ教授に興味のない者にとってはがっかり方面。
 

『愛のエチュード』

実生活に向かない“チェスの天才”の恋愛物語です。あまりにもチェスにのめり込んで神経症になるので、彼女とかお医者はチェスをやめさせようとします。この主人公の対局で一儲けしようとする男は、チェスを指させて負けさせるために神経症が悪化するようなことばっかり仕掛けてきます。舞台は世界チェス選手権大会の決勝。さて!とゆう、ウラジ−ミル・ナボコフ原作のお話なのだった。この手の大時代的な映画っておうおうにして眠くなることが多いので、まったく期待せずに観に行ったのだけれども、台詞回しとか演出とかのセンスがよく、こじゃれていて、意外と楽しめたので驚いたよ(笑)。上質といえよう!
 

『愛の神、エロス』

これははっきりと独りよがりだと断じてしまってもよかろう。最初の仕立屋の奴は、たしかにえっちっぽかったけど、そうまで到る好意の理由が不明だし。二番目の奴は一番面白いんだけど、精神科医が紙飛行機を飛ばすバックグラウンドが解らないし。みっつ目の、女優二人が惜しげもなくまっぱになる奴はそのくせちっともえっちを感じさせない上に意味解んないし。もっと観客に親切に作ろうよ、映画。→【C2】
 

『愛のコリーダ 2000』

76年にばきばきに修正が入れられて公開された作品を、今回、よりユルい修正でこのたび再上映なのだった。もう、性器が丸見えです。はっきり言ってAV以上、裏ヴィデヨ以下ですね、これ。単にセックス好きな男女がだんだんアブノーマルなプレイに傾倒して行って、揚句に首絞めプレイが嵩じて女が男を殺してしまう、ついでにちんちんを切り取る、ってだけの話だ。だったら性器とか性交シーンをちゃんと映さないと意味がないのは当り前、なのだった。今観ても、映画としての処理には見るものがあるとは思うけれども、いっこだけ「76年だよな〜」って思うのは、出て来る性器を見せてくれるお姉ちゃんたちがみんなブサイクなのだ。主役ですらもね。もし今作ったら、もっと綺麗な子でこれが撮れるんだろうなって思いましたね。AVの娘とか、今みんな綺麗だものね。…って、そんなことを考えて観るレヴェルの映画でしょう。
 

『愛の世紀』

会話の意味が解らない。登場人物が何人出ているのかすらも判別がつかない。あとでプレス資料を見て、登場人物にちゃんと役が割り振られているのを知って驚いた。行き当たりばったりで出鱈目やっているとばっかり思っていた。
 

『愛のトリートメント』

娼館にいる3人の娼婦の物語。お客がヴァリエイションに富んでてとても楽しく面白い。
 

『愛の落日』

ベトナムを舞台に、母国に奥さんがいるおぢいちゃんと、独身の若い男とで、現地の可愛い子ちゃんを取り合う話だ(笑)。なんで欧米人はそう行った先行った先で女を作るかなあ(怒)。たしかに若い方はむにゃむにゃかもしれんが、妻帯者はそんなことをしてはいかんと思うぞ。
 

『曖昧な未来、黒沢清』

『アカルイミライ』を撮る黒沢清を撮ったドキュメンタリィ。映画を作る側の様子が窺えて楽しい。これを観ると『アカルイミライ』がさぞや素晴らしい映画のような気がしてくるけど、騙されないでね(笑)。
 

『アイ・ラヴ・ピース』

聾者の忍足さんが義肢装具士となって、アフガニスタンの脚を無くした女の子のために義足を作ってあげるとゆー話。そもそもデフォルトでハンディキャップを負った人を描いているから、そこにさらに輪をかけて悲惨な目には遭わせまい、とゆー計算が働いているらしく、例えば“アフガニスタンの市場で忍足さんがヴィデヨカメラで撮影をする”なんてシーンでも、誰一人としてそのヴィデヨカメラをひったくって盗ろうなんてする奴は出てこない。登場するすべての人間は善人なのだ。身障者ゆえに嫌な目に遭わされるなぁんてドラマを描く映画ではありませんってゆースタンスなのだろう。義肢装具会社の作業風景は見て勉強になります。あと、忍足さんがケータイを使っているのには、うろこ。→【C2】
 

『アイ・ラヴ・フレンズ』

忍足亜希子主演ってことで、喋り言葉にも、手話にも、字幕が出ます。手話に京都弁の字幕がつくのは、いい感じですね。物語は、心底悪い奴が誰も出てこないスウィートなお話でした。登場人物の悩みは、どれもきれいに解決するものばっかりだったしね。
 

『アイランド』

臓器の替えのために養殖されているクローン人間が意志を持ち、生きたいとか言い出して逃げ出すお話です。クローンが2体、生き延びるためにロスの街は破壊され(笑)、そこに住まう人々の多くは恐らく死んだり片輪になったりしているのだ(爆笑)。倫理とか細かいことを超越して、このシニカルにしてアイロニカルな状況を楽しませるのがこの映画の目的なのだろうよ♪ 素敵。ラストは、これは『アトム大使』に続くのだなあと思って観ておりました。
 

『アイリス』

イギリスの、哲学者で作家の著名な女性が高齢になり、アルツハイマを発症してぼけてゆくさまを描いた映画。若かりし、旦那とのなれそめの頃と混ざりあいながら語られるとゆう手法を採っていて、あたかも『アルジャーノンに花束を』の後ろ半分を観ているかのような気分に誘ってくれるのであった。
 

『アイ,ロボット』

ロボット三原則があるからロボットは人間に危害を加えないよ、と全人類が信じ切っている社会で、ウィル・スミスだけがそんなの当てにならない、と警鐘を鳴らし続けていたら、案の定たまたま巧いぐわいにウィル・スミスの住まう都市シカゴで、ロボット三原則を守らないロボット群が造られ出回るのだった、ってゆー話。世の人々の盲信ぐわいに説得力がないし、ウィル・スミスの疑心暗鬼は行き過ぎてるし、設定のための設定って感が否めません。アクションシーンは楽しかったけどもね。
 

『愛をつづる詩』

この映画に登場するキャラクタの台詞はすべて脚韻を踏んでいる。つまり。この映画自体が長い長いひとつの詩篇に当たるのだ。邦題がこんなふーに訳されている所以ですね。語る内容は異文化間のラヴ。部分を切り取らずに、全部をヒトカタマリとして受け容れ咀嚼すべき映画でした。→【きねま猫】
 

『アヴァロン』

押井守監督の映画です。日本人のスタッフを引き連れてってユーゴで撮ったもので、ゲーム世界を現実のように描く…ってゆー『マトリックス』や『イグジステンズ』『13F』パタンだ。とにかく解りにくく描くと深く見える(または雰囲気が出る)とでも思っているのか、途中まで解らな過ぎて眠い。ゲームの最新部に入るまではセピヤ色の画面が続くのだが、一番深いところまで来ると一転、フルカラーになる<ミエミエだけどね。そうすると、それまでは気にならなかった主人公の女性の“加齢”が、目の下のしわなんかでクローズアップされるのはどうよ(笑)。撮影に行った日本人スタッフが「もっと若いお姉ちゃんで撮ろう」と言ったのを監督が「これだけの戦闘ができるには小学生の子供がいるくないの女性の方が相応しいので構わない」って選んだそうだが、それがラスト30分ってとこでアカラサマになるってのはいかがなものか。いいけど<いいのか! ともあれ、せっかく戦闘ゲームの話なんだから、眠くなるようにではなくもっとわくわく観れるように作れなかったものか。
 

『アウト・オブ・タイム』

間抜けだなあ(笑)ってゆうか(嬉)。アクション映画なんだからアクションさえやればあとは自由になるのだ、つーことでやり放題にやっていることってのが、“神経毒を射たれて、耳から入った言葉のとおりの幻覚を視る”だ。とても愉快。そしてその神経毒の解毒剤を手に入れるためにアクションが成立するのでした。いざ、手に入るってところでもうひとネタやってくれるし。小品なんだけど楽しんで面白がって作っているゲで宜しい(にこにこ)。
 

『アウトライブ―飛天舞―』

元朝末期の中国を舞台にした韓国映画で、剣法の秘伝書を巡ってモンゴルと高麗と漢が闘う、みたいな話。なんだけど、もういっそ舞台設定とか時代的なものとかは気にすることなく、「遥か遥か昔、遠い遠い宇宙のどこかで」起こった物語だとでも思って観ればよいでしょう。剣法の秘伝ってのが、「地面に剣を突き立ててそのまま敵に向かって地を裂きながら走り、敵の目前で剣を振り上げると衝撃波が敵を真っ二つに斬る」とゆーもので、この映像技術を『風雲 ストームライダーズ』や『少林サッカー』以前に観ていれば、それなりに「ばかなことを考えて絵にしたなあ!」と感心したとこだったろうが、今観る分には「ああ、こういう手法あるよね」に留まっちゃうんだよねー。製作が2000年ってことなので、当時で考えてみればそんなに手垢が未だついてなかった手法なのだろうけどもさ。まあ、はらはらはしっぱなしで観続けられた、ナニハトモアレ充分に楽しめる映画ではありましょう。
 

『青い棘

自殺クラブを作ってる1920年代のドイツのお兄ちゃんたちの実話を基にした話。青いし、棘だろーけど、しょーがねーなーどまりってとこか。
 

青い春』

とりとめがない。漫画の短編集の中から4本ほどのエピソードを拾ってきて混ぜたとゆーだけのことがある、統一感のなさですね。だったらオムニバスにすれば?と思った。ヴァイオレンスが好きな人には萌えるであろうシーンがここかしこに観られるのであった。
 

『青い夢の女』

精神分析医がうとうとしている間に患者の美人が首を絞められて死んでいた。さらに、この美人は700万という大金を持っていたはずだがそれも身につけてはいない。とゆうミステリィ仕立ての話に“死体扱いを乱暴にする”とゆうコミカルな演出を加えて映画に仕上げています。てな具合に、ミステリィだと捉えて観ているから、犯人が判明してから後が冗長に感じられてならない。そんなに全部言わなくてもいいのに、と思うほど。よほど言いたかったのだろうね。
 

『あおげば尊し

子供が、リワルな老いと死に向き合わされて成長するって話です。テリー伊藤が教師役。まあ、そーなんだろーが、今まさに「死」について考えるのが人生の一大事の真っ最中である子供が確かに存在するのだと教えてくれる映画ですね。だからどーしてやろうではなく、メランコリックな方向に、自分もそーだった、今は完全に忘れてるけど、と思考させてくれたよ。
 

青空のゆくえ』

アメリカへ引っ越しちゃうバスケ部の男の子を5人の女の子が好き、っていう中学生ラヴ映画です。んもー、ガーリィでつごく素敵! 中学生だけにラヴがテッテー的にプラトニックなの萌え〜♪ いっそ演技が拙いのもリワリティだ萌え〜♪ 5人のうちの3人がショートカットで、最初ちっとも見た目で区別ができなくて、つまりすなーち全然こいつら“女性”を感じさせないの。胸もちっともねえし。ガーリィの真骨頂だ! これでなくっちゃ! ひゃっほう♪
 

『青の炎』

蜷川幸雄が「アイドル映画を撮る!」と宣言して作った映画。でも、さすがにちゃんと名を馳せたアイドルを起用しただけのことはあるみたい。「名も知らない若手俳優」でこの映画を作るくらいだったら、いっそちゃんとトップに君臨するアイドルを遣った方が「観せることが出来る」レヴェルのものに仕上がるのだと知った、かも(笑)。もちよん、映画を映画として観せる蜷川の演出も活きているせいでもあるんだけど。
 

『赤いアモーレ』

ペネロペ・クルスが“最下層の労働者階級の女”とゆうのを演じているので、とてもお化粧が下手くそでべたべた塗ってて、汚らしくぶちゃいくになっているぞ。自分の娘がバイク事故に遭って生死の境を彷徨っている手術中に、かつて浮気をした相手であるそのペネロペに思いを馳せる男の物語であった。それって、どこにどー共感をすればよいのだー?オー? 浮気をするな、娘が心配な時に浮気相手のことを思い出すな、としか言えないのですが。何が訴えたいか解らず、どっこもいいと思えぬ映画であったぞ。「浮気って、こーゆーきっかけではぢまるものなのかー」とゆうのは、ためになったかな(笑)<強姦だけどな<強姦か!(が〜ん)→【C2】
 

『赤い月』

常盤貴子の口が、とてつもなく達者だ。口八丁で自分の行動を正当化する、そのさまをこそ観る映画ですね。例えば、終戦後の満州から日本に向けて引き揚げてこなければならない、その時に、とにかくお金を使用人らと山分けにして脱出を図ろうとするのを咎められると言うぞ、「生きたいと願うのが利己主義ですか」「一番の卑怯は命を粗末にすることよ」「生きてこそ立派なんじゃないですか」。ウワー。さらには旦那を亡くしたと思ったらすぐに次の男と寝る。それを幼い二人の子供に目撃されて、こう言う、「生きるためには愛し合う人が必要なのよ」。ウワワー(笑)。もう何も言うことはない、とても気味がよいほどです。あと特筆すべきことには、この映画は逆ポチョムキンであった。『戦艦ポチョムキン』ではモノクロで撮影したフィルムに、あとから手作業で赤旗の部分に彩色が施されていたけれども、この『赤い月』は、カラーで撮影したフィルムから常盤貴子の赤いドレスの色だけ残し、ほかのすべてをモノクロに変えていたよ。映画は、そこまで「色」というものを制御することが出来るのだとゆーことを思い知らせてくれるよ。
 

『赤い橋の下のぬるい水』

75歳の今村昌平がコミカルでちょっとエッチな映画を撮ろうとした、のだ。結果、観ててとても恥ずかしい、下品な映画が出来てしまった。老人のユーモアセンスとゆうのは本当に厄介で手に負えないと思い知らされよう。
 

赤毛のアン アンの結婚』

アン・シャーリーという名の、アン・シャーリーの性格のキャラクタが出てくるけど、お話は全然『赤毛のアン』の世界とは思えない展開をします。「音信不通になった夫を捜しに戦場にゆく女性」とゆう話なのだけど、例えばこれだったら『サザエさん』だって構わない訳だ。これを『赤毛のアン』とゆうタイトルで公開して、得をする者は誰もいないと思うのだが。
 

『赤ちゃんの逆襲

下品で悪趣味です(笑)。すぐ汚物出すし。
 

『赤目四十八瀧心中未遂』

つげ義春を模している。「実は才能を認めてくれている編集者がいる、作家であった」ってところまでそのまんまで、しかもそれが“いつでも帰るところがあるのにこんなことをしているんだよ”としか捉えられない分、こっちの方が数倍いやらしい。異質さを醸し出そうとしたのだろう、「マネキンを実際の子供のように扱う老夫婦」ってのも『オー!マイキー』のレヴェルの低いのにしか見えないし。なんか無理して下々の連中を理解しようとしている男の話って思えちゃう、辛気くさいとても駄目な映画でした。
 

『アカルイミライ』

そもそもこの映画の全編に関係してくるアカクラゲは、本当に「水槽から逃げ出し隅田川で大発生をして海に還って行った」ものなのか、それともあれらのシーンは幻想的なイメィヂとして挿入されたものなのか、よく解らない。プレス資料に依るとすべては本当にあったことと捉えて解釈がされているけど、だったら劇中に幽霊を出してはいけないと思います。つまりはこの映画のルールの境界線が曖昧で、そのために理解しづらいものになっている訳だ。ってゆうか、「ルールが見えないから解りづらい」なんて難解さなんてのは、創作として客を排斥していることにしかならないでしょう。駄目ぢゃん。
 

『アクシデンタル・スパイ』

ジャッキー・チェンの映画は面白くなるための前置きがまだるっこしいですね。エンディングのNG集が面白い所以です。ジャッキーはいつもながらの「翻弄される」役回りを演じております。それこそが“いい人”で“主人公たるべし”って思っているのであろう。だから、まぁ、どれ観ても一緒になっちゃうのだけど。
 

『悪魔の棲む家』

「実話に基づいている」って冒頭で出るので、すなーちこの映画に登場する家族はナニハトモアレ生き延びて証言するにまでは到るのだと予想して観ておりました。まあ、そーゆー目的で字幕を出したのだろうと思いますが。起こったことは、悪霊に取り憑かれた家に越してきた家族のうち、親父が錯乱して皆を殺そうとしはぢめるって展開だった。なるほどね、そーゆーキャラクタを設定すればホラーとして成立するのだと知れたよ。家族のおのおのが、ちゃんとキャラが立っていたし。
 

『アクメッド王子の冒険』

「アラジン」なんてゆうありものを導入しちゃあ狡いって氣がするなあ(笑)。まあ、1926年制作のサイレント影絵アニメにそう文句をつけてやるのは酷だろうか(笑)。→【C2】
 

『悪霊喰』

絶対に原題“THE SIN EATER”の方がいい。だって悪霊なんて喰わないんだもの。「人が死ぬ時に、犯してきた罪を全部吸い取ってあげる」職業の人の話だ。だもんだから、キリスト教で言う“最期の審判”になんの意味もなくなってしまうので、教会からは忌み嫌われる対象となる、ってゆー仕組みですね。「それならヒットラーでも天国に行ける」とゆう台詞にすべてが言い表されているよ。あと、秘術として“黒布でくるまれ首を吊られた者に質問をすると、末期に真実を示す”なぁんてゆうルールを勝手に作っているのは、楽しいね(笑)。とゆー辺りの、楽しい設定を、しかし込み入ったストーリィで覆っちゃってるのが惜しい。もっと単純な話にした方がよかった。
 

『アザーズ』

古い屋敷に住む母子が幽霊に悩まされるというホラー。“聖書”が出てきたりするので、いつもながらの「キリスト教の教義ホラー(=キリスト教に従わないすべては悪魔であり、殺人犯になった揚句に不遇の最期を遂げる)」だったらどおしよう、と思っていたらその点はだいぢょうぶでした(笑)。全部を判った上で、もっかいチェックのために観たいところが何カ所かあります…とゆう類の映画ですね。血の一滴も出ないけれどもきちんと恐かったのだ(にこにこ)。ニコール・キッドマンの出る映画の中で一番好き。
 

明日があるさ THE MOVIE』

サラリーマンが、30年来「日本初の有人ロケット」を打ち上げるという目標を持ち続けている博士に出逢い、「夢」をかなえるという名目の元、手伝いをするというストーリィ。そんなに生活を犠牲にしているようにも見えないのに周りは騒ぐし、それほど追いたくなるほど実現可能にも見えないうちからのめり込むし、ちょっとずつ「映画として成立する側」に都合よくずらしてある。どうせだったらもっとデフォルメをきつくした方が効果的だと思うのだが、なんか普通っぽさを演じているし。つまり、キャストを演じる俳優のキャラクタによっかかって、シナリヨを楽しているってことだろう。そして当然、タイトルに「シリーズものである」以上の意味はない。
 

『あしたはきっと…』

吹石一恵が一番演技が巧い(笑)とゆうことになるよーな脇役を集めて作った映画ですね(笑)。話は、“片思いだった先輩に振られてへこんでいた処へ、入院して意識不明だかのお婆ちゃんが娘時代の姿で現れて一日時間を戻してくれる”ってゆう、よくあるストーリィです(笑)。なにも、別段、新しい発見はない。「吹石を観る」つもり以外の見方にはこの際期待しない方がよいと思われます。
 

『明日、陽はふたたび』

イタリヤの町が大震災に見舞われ、石造りの建物にひびが入って仮設住宅住まいを余儀なくされた住民たちの人間模様を描いた映画。なのですが、これは単に「人間模様を描いた映画」として充分に秀逸です。震災と仮設住宅は、キャラクタをよりあからさまに見せるための、とても効果的なスパイスとして使われているに過ぎない。描きたかったのは震災ではなく、人間。仮設住宅住まいはいつかは終わる、とゆう設定を利用して、どっかできりをつけざるを得ない状況下に於ける「終焉を見越した人間関係」が展開しているとゆー訳であった。
 

アシッドハウス』

悪趣味な世代のための映画です。うんこやハエがアップで映るので、そうゆうのが嫌いな人は観ない方がいいでしょう。同じように「気が弱くて、暴力的な人種にいいようにやられる救いのない人」を見るのが嫌だったり、「ヤクをキめてぐるんぐるん回っているのを映像化したもの」なんかを見たくもないって人も、この映画を観てはいけません。
 

『阿修羅城の瞳』

いっかにも、劇団の芝居っぽい筋書きだ(笑)。独特のルールと解釈を前面に押し出し、エキセントリックな展開とキャラクタでぐいぐいと話を進め、あっちとこっちが実は繋がっているのだという自家中毒とも言える謎解きを披露し、なんだか解らないけど感動的に収束してゆくのだ。わはは。こーゆーノリが好きな人だったらどっぷり浸かって観ると楽しめましょう。舞台劇では不可能な映像美を堪能させてもくれますことですし。
 

阿修羅のごとく』

四姉妹の恋愛譚を一年に亘り描くお話です。お父さんの浮気問題も根底に流れているので恋愛の形としては5種ですが。深津絵里の恋愛が素敵ね(笑)。森田芳光らしい、ほんのちょっとした要らないに等しい5秒ほどのカットなんかも味としてまぢえつつ。向田邦子原作らしい、きちんと前の方で張っておいた伏線をアキラカにする細かい誠実さもありの。今の東宝の旬の女優総出演って意味もあろうよ。やっぱき木村佳乃は綺麗ですね(ぽわ〜ん)<脇役だけどな。
 

『あずみ』

原作の漫画からも、北村龍平監督の前作『VERSUS―ヴァーサス―』からも、もっとスプラッタで殺人マッシーンとしてのあずみを見られるか!と期待していたのだけど、そこまでは観客を排斥しない演出にとどめられていましたね〜(笑)。充分に殺陣はかっちょよかったんだけどね。まぁ、「葛藤する強い剣士」なんだからこれでよいのか。→【きねま猫】
 

『あずみ2 Death or Love』

原作ではあずみは超人に描かれている。斬りかかってきたすべての人間をストップモーションにし、その中を独り動いて斬り返して回るのだ、それでこそのあずみだ。前作の映画ではそれをきちんと見せてくれていた。しかし本作では、ただ単に「殺陣の巧い女の子」に過ぎないではないか。こんなのちっともあずみぢゃないやい! とても出来損ないの映画であった。がっかりだよ。
 

『あたしンち』

「みかんと母の意識が入れ替わった」話だけど、どーせ元に戻るにちまいないって判ってるんだから、元に戻る顛末をあんなに引っ張っちゃ駄目。冗長に過ぎる。あと、鳩と意識が入れ替わったキャラクタが出ることを、予告で見せちゃ絶対に駄目。映画本編を観た時に驚きもなにもあったもんぢゃない。どころか「まだ鳩と入れ替わったキャラクタが出てきてないから、この話はまだ収束しないよね」なんて、そんなことまで判っちゃうし。母の旧姓と学生時代のあだ名を知ることが出来たのは収穫でしたね(笑)。それにしても絵が整っていて綺麗です。映画館の大画面に十分耐えうるデホルメぐわいであった。特に、モブシーンの、紫に塗られた外周だけの人物、なんてこのタッチに合ってて出色の出来です。
 

『アタック・ナンバーハーフ2 全員集合!』

別に「おかまだからヴァレイボーユが強い」訳でもあるまいに、なんで真似をしたチームが出てきたら脅威なのだ?(笑) 日本人の芸能人とかのおかまには嫌悪感を抱くけども、ここまで自分の生活から乖離した世界でのおかまのフルマイは、見て面白いね。なるほどね、芸人さんがおかまの真似をして笑いを取りたくなる理由がやっと解りました。「お仲間よ!」には爆笑したよん。
 

『頭山』

『ヤマムラアニメーション図鑑』という括りで短編アニメィションを幾本か、まとめて観たのだけどこの『頭山』を除いては論外の出来でしたので評価をしません。“ただ絵が動くのが楽しいでしょう?”っていうアニメの黎明期のレヴェルでしか、なかったのだ。「幼児に観せるんだからこれで結構」とでも思っているのかもしれない。さて、『頭山』は、見られた。「いぎたなく桜ん坊を食べる」がよく表現され、落語の題材であるこの物語を現代に持ってくるにあたって「踏切待ち」を挿入したのはよいセンスでした。一方で「OLも咲く!」なんて、恥ずかしいベタな演出も今さら施されたりしてて、これはマイナス。
 

『アダプテーション』

原作本が決まった後で、脚本家がどーやって映画の脚本に仕わげるのか、を描いた映画ですね。『マルコヴィッチの穴』の脚本家だけあって、ひとすぢ縄ではいかない設定を、よくぞ考えるものだ。この方式で、別の原作本を与えられていたらどー料理していたかも知りたいかも。
 

『アップタウン・ガールズ』

ダコタ・ファニングが、思ったより可愛くない。眉毛がないのだ。ひゃー。ブリタニー・マーフィーは可愛い。でも、ま、ありがちと言えばありがちの関係、そして展開。“ちゃらけて生きている若いお姉ちゃんが、親に構われずに育ったちいちゃい女の子に啓蒙され、また啓蒙する”ってだけ。“仔豚がペット”ってとこまであざとく計算通り。観て2週間で、いかなる感想も残さず綺麗さっぱり忘れていました、この映画。その程度の没個性。
 

『アップルシード』

やっとることは『未来少年コナン』であったやつばっかのくせに、わざと判りづらい固有名詞を連発して煙に巻こうとしちょるな(笑)。騙されませんよお!(笑) そして女性キャラはおばさんに到るまで、乳がでかいぞ。騙されませんよお!(乳)
 

『あつもの』

小島聖が、全裸で。あらあらまあまあ。いいものを観せて下さって(にっこり)。肉付きがよくって、可愛いね(褒めている)。菊作りのお話で、結構(ってゆうか予想通り)地味なんだけど面白く観れました。「邦画」っていうんだったらこうゆうのを、みんな観ればいいのになぁ。
 

『アトランティス/失われた帝国』

ラピュタに影響を受けていることだろう! 巨神兵とかも出て来るけどね。
 

『アトランティスのこころ』

人の心が読める能力を持ったアンソニー・ホプキンスとの出わいで、主人公の少年の人生がほんの少し方向を変えるとゆうお話。だけど印象に残るのは能力を持ったぢぢいでも、少年時代のあらゆるエピソードでもなく、映画の中で2度出てくる「親を亡くした子供に、その子が知らない頃の親の写真をあげる大人」ってシーンでした。超能力者映画では、決してないのだった。そうそう、幸いなことに『羊たちの沈黙』も『ハンニバル』も観ていないから判らない(笑)のだけど、アンソニー・ホプキンスが、肩を脱臼した少女の服を脱がせて肩をはめてやるってくだりがあるよ!(笑) もしかして、人によってはこのシーンは怖い?(笑)
 

『アドルフの画集』

さすが、ヒットラーを描いた映画だ、ヒットラーを英雄視する訳にはいかないとゆうスタンスがばしばし伝わってくるぞ! そもそも原題は、画家を志望するヒットラーの絵を認めてくれる唯一の画商の名前だし、邦題にしても“画集”が主人公になってるし(笑)。カリスマ性を持って人民を導いてゆくべき、ヒットラーの演説ってのも「狂気に支配され突き動かされた結果」のもののように描かれているし。作り手側の苦労が偲ばれる映画であったことだ(笑)。→【C2】
 

『アドレナリンドライブ』

この、石田ひかりが演じているみたいなヒロインこそが好ましいのです>『逢いたくてヴェニス』参照。悪もんにおもっきし殴られたりするしね。裸足でバスを追って走ってったりするしね。見どころは、ホテルにチェックインして部屋に入るやベッドからベッドへ跳び廻る(文字どおり!)石田ひかりのフットワークの軽さ!
 

『穴』

行方不明になった4人の学生は森の中に掘られた地下室に閉じ込められていた。18日ぶりに、独りだけ救出された女子学生の口から、中でいったい何があったかが語られる。しかし、混乱している女子学生の言葉は、真実のみではなく虚偽と曖昧と主観のまぢったものであった!とゆう話です。観客がこの女子学生の言葉に惑わされることはないだろうので、これは「登場人物がいかに女子学生に惑わされ翻弄され、しかし真実に近づくか」ってさまを見るための映画ですね。閉じ込められた18日間の生活の陰と陽、みたいな、ふた通りを見せてくれるのを楽しむとよいであろうよ。主役のソーラ・バーチはいい感じだしね。
 

『アナザヘヴン』

真犯人を最後の最後でCGで見せちゃったのだけはちょっと興醒めだったけど、ヒロインの女の子は素敵に可愛いし、死体は脳を抉られていて素敵に気持ち悪いし、見どころ一杯で楽しめる映画です。
 

『あなたにも書ける恋愛小説』

ケイト・ハドソンは小説を選ぶ時にまず結末を読む人であった。そんなレヴェルから、小説家と対立する子が、速記者として雇われる。口述でタイピングをしつつも展開に口を挿みまくるよ。作品世界も映像として見せてくれて、そーゆー設定部分は割りと面白く考えてあるのだけれども、ともかく「まずそもそもこの速記は引き受けない」のと「ラストでそうはハッピィエンドにはなるまい」ってのの2点。最初と最後がねー、無理がある(笑)と思いますが、どうか。ラヴコメでそれを言っちゃ駄目?
 

『あなたのために』

アミダラをやった女優、ナタリー・ポートマンが主役の映画です。女の子が逆境に負けずに生きてゆく系のお話で、地味ではあるのだけど楽しい作りになっていて気持ちよいのだった。ハートウォーミング系でも、根性系でも、こすい系でも、もちよん説教系でもない逆境の脱し方を見せてくれるってのは好ましい脳!>ぢゃああとどんな方法があるかってーと、明るく可愛くしている間に解決してゆく系って奴だ(笑)。
 

『アナトミー』

体の解剖とか、プラスティネイションを施された人体とかがばんばん出てくるスリラー映画のくせに、ストーリィの各所に予想外にいい展開のシーンが挟み込まれていたりして、エンタテインメントとしてたいそう上質に出来わがっています。監督のセンスとバランス感覚が秀でているのあろうと思います。
 

『アナライズ・ミ−』

マフィアの親分が気が弱くなって精神分析医にかかる…って設定を知った時は面白そうだって、すごく楽しみにしたのだけど、全然(笑)。もっともっと無茶をしたり落差をつけたりすると期待したのにね。“普通の、ちょっと困った映画”どまりでした。
 

『アナライズ・ユー』

「父親を亡くした」くないでこんなにダメィヂを受け続ける(少なくとも映画の間ずっと)なんて驚き。精神分析医にこんなにたやすく心を開いて子供の頃の話とかをぺろっと話すなんて驚き。今回の悪巧みは何を目的としているのか、観ている間は全く判らないが、ラストにはそれが明かされるって仕組みになっていて、つまり終始ただ展開していく物語をとにかく理由も判明せぬままに受け入れて観続けるしかない。共感のないままに、ただ単にスクリィンでその時に起こっていること、それだけを面白がる、その連続で構成されている映画でした。
 

『アニバーサリーの夜に』

結婚6年目の、小説家と女優の夫婦の家でパーティをやるってゆうので映画関係者や隣人の作家なんかが集まって祝う、とゆう映画です。途中まではいちようお祝いをしていて幸せそうだけど、ドラッグが出てきてからは結構みんな本音語り放題のやり放題の様相を呈してくる…って展開になってゆきますね。アメリカのホームパーティは楽しそうだ脳、と思いました。芸能関係者が集まってるから、スピーチとかお祝いの芸とかが幸せそうだから、そう見えたのかな。こうゆう映画を観て社交性の身につけ方を育むってのもありかもしれぬ。
 

『アニムスアニマ』

美形の姉弟っていうけど、弟の方はまだしもナルシス入って自分が美形だと思い込んでいても構わない面相だと思うが、姉の方はどっからどー見ても、美形とは評価できんやろ」という難癖はこの際言うまい(笑)、創作のルールとしてそおゆうお約束だと定めたと思って観れば観れないこともないと捉えれば宜しい。しかしこの話って、ただ単に監督が自分の好きなアイテムを片っ端にぶちこんだだけの自己満足ぢゃねーのか。ゲイの2人組とか、物語の進行上要らねーだろー。キャラクタが無駄にホモだし。レズだし。世界がおかしいって。あり得ないとまでは言わないにしても都合がよすぎるって。こんなに周囲のすべてがそっち方面で固められはしねーだろー。監督はその手の少女漫画とかを読みすぎであると思ったが、どうか。
 

『姉のいた夏、いない夏』

7年前にヨーロッパへ行ったきり、自殺して戻ってこなかった姉の本当の死因(とか足跡)を調べるために妹がヨーロッパへ旅に出ます。お姉さん役のキャメロン・ディアスが、1970年という時節柄、革命闘士を志し、現実とのギャップに云々…ってのは、まぁ、百歩譲ってよいとしよう(本当は「そんな私的な理由を明かすだけのことで映画なんか作るな」だが)。問題は妹だ。パリに住んでいる“姉の元カレ”で“今では奥さんがいる”男を頼って行く。そして一緒に姉の自殺したというポルトガルへ向かう。そこまではいい。なんで、そこで、セックスをするか!? 行きずりの(行きずりのくせに姉の恋人でありしかも既婚者だ、ってんではトリプル役満だろう!)セックスがあたかも必要なスパイスだ、なんてゆう映画は噴飯ものだ。駄目だ。単なるやりたい姐ちゃんの話か。
 

『あのころ僕らは』

深夜営業している店に女の子をナンパしてきた仲間が集まってくだをまき、他の客にからんだり下品なことを言い合ったりするとゆー若者映画。観ててとても気分が悪いです。「この無軌道には、実は“父親を自殺で亡くしているんだよ”とゆうバックグラウンドがある」なんてのがとってつけて語られるのにすら腹が立つ。親が死んだ人間は他人に対してなにをやってもいい、とでも言いたいのだろうか。ミドコロがあるとすれば、各人の心の真の声が、「店のトイレに立ち鏡を前に独白する」という手法で挿入されている点くらい。
 

『あの頃ペニー・レインと』

バンドの全米横断ツアーに同行して記事を書く仕事を請け負った、15歳の男の子の成長譚ですね。ジャーナリストであり取材をしているって立場なので、バンドのメンバに口出しを最後の最後までしません。正しいのだろうけど、“最後の最後で正論を言ってメンバに認められ…”ってのがミエミエになるのは否めないのであった…。ってことで、普通のお話ってことなのです。
 

『あの子を探して』

山村の小学校に代用教員として13歳の女の子がやってきて、「子供を減らしたらお金がもらえない」ので、出稼ぎに市へ行ってしまった男の子を連れ戻しにゆく、ってゆう中国映画です。原題(「一個都不能少」)も、英語のタイトル("NOT ONE LESS")も、「ひとりも減らしてはいけない」って意味なのに、邦題はこんなだ。はっきり言って、邦題をつけそこねています。素朴な子供たちですごくいい映画なのです。だからといってセンチメンタリズムでは決してない。“人捜し”はメインの話だけれど“人捜し”が主題ではないのだ。タイトルを忘れて、映画そのものを楽しみましょう(にっこり)。
 

『アバウト・ア・ボーイ』

ヒュー・グラントらしい、「それまで問題なく生きているのにある時ある出会いによって問題意識を植えつけられ、抗いまくった揚句に改心し、その後の人生が好転する」話でした。この映画は男が観ても嬉しいことは何もないね。女性が、「ああ、シングルマザーになっても初婚のヒュー・グラントが現れてくれるのね(ぽわ〜ん)」って思うための映画とみたがどうか。
 

『アバウト・シュミット』

会社を定年になって、奥さんが急死して、娘の結婚相手が気に入らないので文句を言いに行って、アフリカの孤児の里親になってやるおっちゃんの話。ちなみにおっちゃんとはジャック・ニコルソンのことですが。ただ起こったことに対応しているだけで、何が言いたい映画なのか解らない、と思ってプレスを読んだら「すべてを失った男が最後に到って救われた話」なのだそうだ。えーとなあ(笑)。それまでの自分の生き方が間違っているだけだ、それは。定年するまで顧みなかった娘の結婚を、暇になったからっつってちょっかい出すんぢゃねえよ、としか思えませんでした。つーことで、これは、単に勝手やって生きてきたおっちゃんがもがいているだけの映画だった。ぢぢぃがこれを観たら共感するかもね。若い人が観て同調できる類いの話ではけっしてない。
 

『アバウト・ラブ/関於愛』

言葉が片言の、日本人×中国人のラヴ3部作ですね。最初の伊東美咲のぱらぱら漫画の奴がかあいいです(ぽゎん)。前カレに会いに行く奴とか、カノジョからの絵はがきを詮索する奴は、まあ、かあいくてもやっぱなーと思ってしまいました。純に徹してるのが好きなのねと自分の嗜好を知ったよ(笑)。
 

『アビエイター』

成功した起業家だけど私生活では氣違いだった、とゆう話ですね。強迫神経症とかパラノイヤをどんどん発症していくのだ。現実にそうだったから作ったんだろうけど、“公聴会でいきなし天才を披露する”なんてとこが都合がよすぎるよ(笑)。つまりハワード・ヒューズに興味のある人向けの映画ってことだ。ストーリィ的には巧く組まれた創作には劣る説得力だから脳。あとね、ケイト・ブランシェットが素敵でした。
 

『あぶない奴ら〜Two Guys〜』

単にエキセントリックなキャラクタと行きすぎた演出で見せるどたばたコメディですね。これを恥ずかしがらずに演じなきゃならないから韓国の俳優は大変だと思います。幼稚っぽいベタなくすぐりにも照れずに観られる人向け、かな。
 

『阿弥陀堂だより』

とても綺麗な長野の山村の四季を舞台にした映画。“外人さんに見せて「日本の自然は綺麗ですね」って言わせる”か、“外人さんに見せて日本の自然は綺麗ですねって言わせたい日本人が観て日本の四季は綺麗でよかったと思わせる”ための映画っぽい。北林谷栄が長野の山村のばあちゃんを、あまりに達者に演じているので、2001年5月16日のクランクインから2002年1月6日のクランクアップまでの間に死んでしまわなければよい(出演者が途中で死んだらいくらなんでもシナリヨを書き換えざるを得ねーだろうし)と、心配しつつ観てました(笑)。話自体は、風景を殺さぬよう留意された、なんちゅーこともない「善良な」もので、現実からの乖離ぐわいにはへどが出るほどです(にっこり)。とにかく風景を楽しむために作った映画だけあって、もう、冗長に過ぎるのにも辟易することでしょう。
 

『雨あがる』

老いてからの黒澤によい作品なし!を標榜して憚らないをかべだが、その黒澤が作らなかった映画を作ってどうすんねん、って思って観にゆきました<行くかなあ(笑)。なんでキィとなる殿様とかそのお小姓が、科白棒読みの大根な訳? あと、本当に寺尾聰って、ちゃんばら強いのか〜? もっとそこを魅せてくれなきゃね。
 

『アメノナカノ青空』

定番の韓流のラヴストーリィなので、使われているアイテムのセンスが肝ですね。ちーさいものでは“ピンクのハート”“母親を名前で呼ぶ”、メインのものでは“2匹でいないと死ぬカメ”“内側に空が描いてある傘”なんてのが組み込まれていてなかなかいい感じ。“いつも手袋で隠している左手”ははたして必要だったのか(笑)、よく判らないけど、思いついたらなんでもぶち込む韓流らしいアイデワではありました。死なしゃいーのかと思わぬでもないけど、死なしゃいーものの中では出来のいい方では。思いもよらず期待もせず、ラヴの発端までにも言及されて、ちょっと新鮮。
 

『雨鱒の川』

雇われている造り酒屋ではさぼって絵を描いていて樽一つを駄目にする。そんなに絵が好きならってんで東京で絵を描く仕事を斡旋されると、今度は好きな女の子と離ればなれになったとか抜かしてちっとも身が入らない。そもそも仕事に向いていない、働く気が皆無なのだ。この主役は駄目男であり、こんな駄目な男を支持する映画は、北海道の風景はとてつもなく綺麗に撮っているが、糞映画だ。不幸になって死ねばいいのにっ。
 

『雨よりせつなく』

体温の低い女の子の物語だ。かつてはこの手のキャラクタの権威であった麻生久美子がもうここには戻ってこられない、「新人故に演技が拙いのか、それとも設定されたキャラがそーだからなのか」が不明な状況で、ちいとも感情を外に表さない女の子の生活が淡々と語られます。本当に何も考えてないのか、実はとても深い達観の末にこーゆー表現になっているのかが読めない、そここそが魅力なのだ。ああ、つまり、あんまき親しくない、けど氣になる女の子の日常を覗き見している(笑)ってゆう感じなのかも(笑)。この手の映画は好き。→【きねま猫】
 

『アメリ』

映画が楽しいとゆうのはこうゆうのを言うのだ。映画でないと出来ない表現、映画でないと成功しないミッション、現実には思いもつかない展開、そしてすべてのカットが絵になっている。その上周囲を幸せにしてあげようと思い立つ女の子、アメリが幸せになる話なのだから、もーこれは楽しいったらないのだ!
 

『アメリカン・サイコ』

'80年代のニューヨークのヤッピーがシリアルキラーだったら、とゆう映画です。ヤッピーは物質主義に徹底していて、いかにお高いお店のディナーの予約をスマートにするかとかかっちょいい名刺を作るかとか肉体を鍛え肌を綺麗に保つかとかばっかりに執心していますね。娼婦は抱くけどセックス中に気にしているのは姿見に映る自分の肉体美だし、娼婦の手がたまたま大切な腕時計に触ると怒ったり、大変です。そんな男がシリアルキラーするものだから、自室で友人を殺すときには床に新聞紙を敷き、ソファに白いカヴァを掛け、高級なスーツの上にレインコートを羽織り、新品の斧を使用しますね。殺される側が「なんで新聞紙が敷いてあるのか」「それは、レインコートか?」って訊くくらいだ(笑)。そしてオチもちゃんとついている。この映画は「シリアルキラーを描いた映画」ではなく「'80年代のヤッピーをギャグとして描いた映画」なのだった。面白いよ(にこにこ)。
 

『アメリカン・スウィートハート』

新作映画を売り込むために映画の宣伝マンが別れた大スターたちの恋の再燃を演出したり、三角関係までをも宣伝材料にしたり、手を替え品を替え奮闘するラヴコメ。『エリン・ブロコビッチ』以来、久々にジュリア・ロバーツがいいと思える映画でした。最後の方に来てだれるのが惜しいのだけどね>屋根の上のシーンとか、その新作映画がどんなものであるかが明かされるシーンとか。
 

『アメリカン・スプレンダー』

自分と自分の周りのことを漫画にする、漫画原作者が主人公。ってゆうかそうやって描かれた漫画が原作の映画です。漫画原作者役を演じる俳優以外に、アニメィションと、さらには老いた今現在の漫画原作者本人までもが登場する、つまり同一人物の三態が出てくるよ。このエッセイ風漫画を読み親しんでいる人には、これは嬉しいかもー。漫画のあの登場人物の本物が拝めるのだ。そして読み親しんでいない者でも、この原作者の半生ってのは知って面白いものだったので(そらそーだ、漫画にして出版してヒットしてんだ)、それをこうゆう工夫で見せてくれるってのは楽しむことができましたね〜。
 

『アメリカン・ヒストリーX』

回想シーンはモノクロ、今の時間で起こっていることはカラーなの。わ、判り易い(笑)! 「アメリカに根強く残る人種差別」ってのがテーマになっているのだけど“痛い目にあった”から黒人蔑視をやめたり、“お兄ちゃんが痛い目にあった話を聞かせてくれた”から黒人蔑視をやめたりしているぞ。この問題って、それでいいのかー?(きっとちょっといかんでしょう) ってことで、「映画でこのテーマを取り上げた」ってこと自体が評価できるという訳なのだった。お話は、そうゆうことでゆるい(といいつつ救いのない)結論を迎えるけど、飽きずに観れるつくりの映画では、ある。
 

『アメリカン・ビューティー』

アメリカの一般家庭で、家族の結びつきがほどけかける…ってゆう話。結果“各自が好き勝手すればいいぢゃん”って心境に至ったお父さんは幸せそうなんだけど、不倫をしていたお母さんはそれが見つかって逆ギレして(笑)…、とかってゆーごたごたを描いています。が、“コメディ”にも“社会派”にもなり損ねた、退屈な映画だったの。「映画として人を惹きつけるために必要なデフォルメ」が不足しているのでしょうね、きっとね。本当に、その辺の人々のごたごたを見せられてるだけって感じで、得るものがありませんでした。
 

『アモーレス・ペロス』

ひとつの交通事故で重なるみっつの物語から構成されています。どの話も失意とか失望のうちに終わるのだけれども、しかし未来が閉ざされているとゆう描き方はされていない。結局これまでの愛は報われなかった、って点では悲劇なのだろうけど、人生からの転換期を表現していると捉えればよいのでは。面白く、2時間33分を飽きずに観られたメキシコ映画だったのだ。
 

『アラモ』

なんか、負けておきながら潔く、ラストには圧勝するさまを描いて気分よく終わるってゆうアメリカ視点が、とっても厭らしくて嫌い(笑)。偏ってるだろうなと思って臨んだら案の定偏っていて、気分悪いのでした。
 

『アララトの聖母』

1915年にトルコで起きた内戦でトルコ政府が少数民族を根絶やしにしようと猛攻を仕掛ける、その場にいた、のちに有名な画家になる少年の目を通してその事件を映画にしようとする、、その映画の考証を担当した女性学者の息子は、自分の母親と恋仲にあって自殺した男の娘とつきあっていて、さらにトルコまで行ってその風景を撮影してくる…ってゆー込み入った構成の(笑)話だ。人物の同定さえ巧くクリヤすれば、お話自体は解りづらくなく作ってあって上手ですね。各エピソードごとに盛りわげてくれるし。
 

『アリ』

モハメド・アリの人生にこんなことが起きていたとは知らなかった。これを観て、やっとオリンピックの聖火ランナのアンカに起用されたことの意義が解ったよ。ボクシング映画として観たら、そりゃあ『ロッキー』の方がエンタテインメントに徹しているにちまいないので比較すべくもないが、『アリ』の真骨頂はそこにはない。モハメド・アリの歩んできた道に於ける黒人問題などの描き方、の方ですね。難点を言えば、なにはともあれ長過ぎること。まさかラストのフォアマン戦で眠気に襲われるとは思ってもいませんでした(笑)。
 

『ある子供』

男は、本当に、子供だなあ(感嘆)。女の子は母親になることで大人にならざるを得ないのかもしれないが、ともかく差は拡がるばかりだと知れるよ。あまりに男の馬鹿さが強調され描かれているので、これなら却って、“最悪の後味の悪い事態”にはならないのではと期待して観ていたら、おう、その通りだった。安心して、ばっかだなーと観よう。→【きねま猫】
 

『アルナーチャラム 踊るスーパースター』

ラジニカーントだからって楽しみに観に行ったのだけど、やっぱり『ムトゥ』がまずまっ先に公開になっただけのコトはあるんだなあって、思い知らされる結果になりました。「30日間でお金を余すことなく遣い切る」って設定は面白いのに、遣い道に意外性がないのだった。
 

『アルフィー』

自信を持ってからの日常くん@内田春菊著『ストレッサーズ』だ。でもしたたかなだけでなくて反省とかしちゃうんだよねー。こいなけC調に女性とつきあい飛びまあった揚げ句にダメィヂを受け打ちひしがれるなぁんて単純な反応を示すキャラクタ設定なのは、案の定、ずうっと昔の映画のリメイクだからでしょう。だから今さら人物造形やストーリィに見るべきものはない。このハンサムな役をジュード・ロウが演じ、そのファッションを楽しむためだけに観る映画です。ピンクのしゃつ、そして首より上に香水を付けない、をインプット(笑)。
 

『アレキサンダー』

コリン・ファレル演じるアレキサンダーは小太りで、見れば見るほど少年隊のカッちゃんに見えるよ!(笑) 台なし。ラスト近くの酒宴の様子は、目に黒い隈取りのメイクをして赤ら顔で、今度はせんだみつおにそっくりだし(笑)。ぎゃふん! ルックスがちっともアレキサンダーの器ぢゃねー!
 

『アレクサンダー戦記』

アニメは、アニメ好きな人は観にゆくでしょう。アニメ嫌いの人はどんなに宣伝をしようと、観にゆかないでしょう。とゆうことが判っているのか、万人向けに作ろうという気がみえない…と言ってもいいのではないかしら。アレキサンダー大王の治世の話なのに、軍備や建築が未来都市のそれなのだった。刺客は空を飛ぶしね。観るところがあるとしたら、それらの造型はなかなか楽しいデザインだよ。そこを見るのは面白いよ。
 

『アレックス』

『ブレア・ウィッチ』の不安定な画面と『メメント』の時間軸に逆行する物語展開を合わせ持った映画。前者は「主役の心の荒れ具合に対応」した表現法だし、後者は「積み上げ式の日記サイトを上から読んでいる」のとなにも変わらず、「新しいのを読んで面白かったから前のを読もう」と同じこと、観賞上の支障はない。この物語で訴えられる内容を一番効果的に表現したらこうなった、こんなのを思いついたってことだ。観て、気分が悪くなる人がいたら、その人こそ製作者の意図を正しく捉え、この映画を満喫したとゆーことになるのであった。
 

『アワーミュージック』

難解なのを作ったら勝ちだと思っているのでしょう(笑)。解らん。どーしたいのか。「地獄」「煉獄」「天国」に分かれていることだけは判るけど。解る解らないもさることながらつまらないし。ぎゃふん。
 

『アンジェラの灰』

どうしてこんなタイトルなの? ただ単に暗いアイルランドの様子を編年体で描いた映画です。テーマもなくだらだら事実を紹介する映画は、もういいよ。“少年の成長譚がテーマだ”と言うのだったら、要らないシーンがいっぱいだ(笑)。
 

『暗戦 デッドエンド』

「犯人」が警察の前に姿を現す理由がちゃんとある。そして犯人も刑事も、アタマのいいキャラクタとして描かれている。即ち、シナリヨがとても上質なのだ。レヴェル高し。
 

『アンダー・サスピション』

少女殺人事件の第一発見者である弁護士が容疑者として取り調べられる話。真実がラストで判るので、一回こっきり観てお終いってタイプの映画って感じ。→【きねま猫】
 

『アンダーワールド』

『ブレイド』+『デアデビル』+『マトリックス』+『ファイト・クラブ』+『ヴィドック』+『バイオハザード』+『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』+云々云々とゆー、観たことある絵のオンパレィド。映像的にはなにも新しいものはない。“なんでヴァンパイア族とライカン(狼男)族が争うようになったか”って点こそが描きたかった部分で、そこに絡んで繋がりあう人間関係が解かれてゆくのを観るのはとても面白かったけどね。→【きねま猫】
 

『アンツ・イン・ザ・パンツ』

ドイツの「青春エッチコメディ」です。一般試写会で、こーゆーゆる〜いくすぐりにも笑う客がいることを知ってちょっとうろこ。需要ってあるんだなあ。“主人公の仲間がみんな主人公のために尽力してくれる”って箇所だけで、もう創作として一番楽な道を通っていると捉えちゃって、醒めたりとかしないものなのかなあ。
 

『アンドリューNDR114』

いかにもロビン・ウィリアムズらしく、感動させよう感動させようとする映画だ(笑)。ロボットの話で、ロボットの外形をロビン・ウィリアムズ本人が装着して演じています。で、途中から外見を改良されてロビン・ウィリアムズ本人になるのだ。案の定だけど、ロボットでいた時の方が面白いのは仕方あるまい(にっこり)。でも、“ロボットでいた頃のイメイヂが強い”ので、ロビン・ウィリアムズになってもそんなに違和感なく楽しめるでしょう>ロビン・ウィリアムズになったらいかんのか!(笑) …ってゆうか、造られて62年経った時にロビン・ウィリアムズの容貌にしてもらうんだけど、それが「20歳若く」した結果だって言うんだから噴版ものだ(笑)。なんで、そんなオヤヂが若い女の子と恋をするかなあ! まぁ、周りの人がどんどん年をとっていくのにアンドリュー(これがロビン・ウィリアムズだ)だけ時の流れから取り残されてゆく、っていうお話なのでラストはいい感じにバランスがとれますけどもね。
 

『アンナと王様』

“期待していなかった”より、よいお話でした。ここまでのランクくらいだったら、「観ようかな」って思っている人には諸手を挙げてお薦めしますね。『王様とわたし』の作者の、実録映画なのです。チョウ・ユンファが、“加納典明”や“伊武雅刀”や“チョコボール向井”に見えるのも、親近感(って言うのか!?)。
 

『アンナとロッテ』

英語のタイトルは“ツイン・シスターズ”です。つーことで、例の虎の映画同様(笑)、双子の女の子が幼い時分に生き別れになるよ! そして人間様の物語だけあって、再会したらそれでハッピィ♪とはいかないのだった。ぢゃーん。てゆーか、この双子の姉妹の片割れが、マイク・マイヤーズにそっくりなのがずーと氣になってました(笑)。即ち、なぁんて似てない双子だ(笑)。二卵性?→【きねま猫】【C2】
 

『アンブレイカブル』

『シックス・センス』だの、「思いもよらぬ衝撃のラスト!」だのってゆう宣伝はどうかと思う。“普通の映画だったら超人の活躍を描くものだが、これは超人が目覚めるまでだけを描いた異色作品である”ってのと、“実は主人公がだれであるのかってとこにトリックがある”ってだけで、あのオチは「なんか座りよく終わったっぽくみせるため」以上の意味は持っていない、そんなに期待をするほどのものではない終わり方でした。でもこの映画、嫌いではないよ(にこ)。「すげー終わり方らしいぢゃん」などと、全然思わずにピュアに観ると充分楽しいと思えるのだが。


【あ】【い】【う】【え】【お】/【か】【き】【く】【け】【こ】/【さ】【し】【す】【せ】【そ】/【た】【ち】【つ】【て】【と】/【な行】

【は】【ひ】【ふ】【へ】【ほ】/【ま】【み】【む】【め】【も】/【や行】/【ら行】/【わ行】/【アルファベット】/【数字】
21世紀映画評入り口