わんこめ映画評ら【お】


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21世紀映画評入り口
 

オアシス』

間の抜けた男と脳性麻痺の女の恋愛物語。やっぱ、ちょっと、痛い。そーか、脳性麻痺で顔を歪める人も、普通にしてれば普通の顔なのだね、とゆうことが知れました。映画上は、脳性麻痺のシーンでは出っ歯の入れ歯を入れていたふうではあったけど。
 

おいしい生活』

ウディ・アレンの、古くさ〜いコメディです(笑)。現代を舞台によくこんな古くさい物語が撮れるものだと感心します。喋りで笑わせるところがある様子なので、きっと英語が解るとより深いおかしみを感じることができるのでは?
 

黄金の法』

幸福の科学の教義としては「過去の宗教家はすべてその価値を認める」ということにしているのだ、と知りました。その上で、それらすべての上位に大川隆法=エル・カンターレがいる、というシステムですね(笑)。大変だなあ、ちゃんと既存の宗教を勉強しておかないとなんないのだ>教祖。だったら30世紀の少年は、タイムマシンのコントロールが回復したらすぐさま現代に来なさい。古代ギリシアなんかを再訪している場合ではなかろう。
 

『王様の漢方』

映画の冒頭で「鍼一本で40年来の持病を完治させる」なんてシーンが出てくるので、当然「漢方による治療をさぞやデフォルメして見せてくれるのだろう」との期待を抱く訳だが、それは肩すかしに終わるよ(笑)。その後はいたって普通な「漢方お勉強コメディ」に収まってしまうのであった。地味で、且つ毒がない訳だ。惜しいね(笑)。
 

『王は踊る』

ルイ14世と、それを取り巻く音楽家の物語です。解り難くて、ねぶいです。解り難いのは人物の同定とそれに伴う人間関係ですね。髪型だけで見分けていると、へっきで舞台に上がった時に扮装をしてて誰なのか解らなくするしね。名前なんか、ちーとも覚わらないしね。
 

『大いなる休暇』

これこそが出来のよい、まっとうなコメディだ。キャラの棲み分け、不自然にならぬぎりぎりのエピソード、すべてが成功している。どの登場人物に自己を投影したとしても嫌な思いをしないという、このバランスは素敵に凄いレヴェルの高さですね〜。船長の小人の前の5カナダドル札のエピソードが特に好き。クリケットの試合を観ようと近づいてきた時のぎりぎりの機転も好き(にこにこ)。→【きねま猫】
 

『オオカミの誘惑』

フツーの女の子が、対立する2人のイケメン不良から同時に言い寄られる韓流ラヴコメです。もう、しまいは、そこまで行くかってゆーとこまで話が発展するよ! 不治の病は、今ブームだからなあ(笑)。本当にいろんなアイテムとファクタがてんこ盛り。いぢわるな女の子遣いがなかなかピンポイントで上手でした。話はどーってことないんだけどね(笑)。
 

『大阪物語』

本当に1年かけて撮っている映画ですね。冒頭の女の子が、エンディングでどう見ても育っているものね。沢田研二と田中裕子の夫婦漫才師の話…なんだけどメインはその娘の成長譚なのであった。可愛いからいいよね。
 

『オーシャン・オブ・ファイヤー』

アメリカの野生馬マスタングがダマスカスをゴールにした砂漠レースに出馬する話。実話を元にしているそーだけど、同じ実話なら、“タイミングよく騎手が怪我をするなどの事件がたまたま勃発したからこそドラマティックになった”『シービスケット』よりも、“そもそもデフォルトで難儀が起こる、そーゆー過酷なレースに参加した”こっちの方が、わざとらしくなくて、作り物っぽくなく(笑)て、好きだけどなあ。絵的とかキャラ的とか別にして(笑)<別にするのか!
 

『オーシャンズ11』

カジノの地下金庫を狙って1億5000万ドルを盗もう、とゆう不可能犯罪に挑戦する映画。しかし、金にものを言わせてすげえ装置は使うは人は集めるは、全然不可能らしくない。お客なんてみんな“どーせ成功するんだろう”と思って観ているんだから、ちょっとははらはらさせてくれなくっちゃ。
 

『オーシャンズ12』

作戦がどれもこれもみみっちい。但し1個だけ、究極の反則技である「ヤジ馬とおなかの子」だけは見応えがあった(笑)ってゆうか、この映画のミドコロはそこ一点だけ。他に新しい価値はどこにもない。
 

『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』

英語圏の国に住んでいないと解らないギャグとかが満載なので、初見でできゆたけ楽しむためにはパンフレットなどの“事前にオープンになっている情報”をあららこめ読んでおく必要がある、のは今までのシリィズと一緒。たぶん、この第3作だけ観たとしても楽しめるとは思うけれど、忘れててもいいから前2作を観ていてもよい(笑)>どーでもいいのか。オープニングは、本当に、秀逸ですね(にこにこ)。
 

『オースティン・パワーズ・デラックス』

第一作の方が、マニアックにレヴェルが高くて好ましいのだけど、こっちの方が単に下品で判り易いです。「日本語のつもり」ってのと「www.シッ.com」ってのが好き。あと「アラン・パーソンズ・プロジェクト」も好き(笑)。
 

『オータム・イン・ニューヨーク』

ウィノナ・ライダーは可愛い。しかし『17歳のカルテ』といい、なんか病院づいた役が多い子だこと。誠意のカケラもない最低の男と、父娘ほど(ってゆうかはっきりとそれだけ)歳が離れた女の子のラブストーリィらしいが、このどちらにも共感できません。“こんな変な事例があるんだよ〜”ってゆう変わり者カップルの映画、なのでしょう。…せめて女の子の心臓病も、「嘘でした! 恋愛にスパイスを効かせるためにかついだのです!」ってことにした方が、どれだけスマートになることか!(ねぇ)
 

『オーバードライヴ』

下品で幼稚でチープ。予算が無いなら無いなりにセンスで見せるとかすればいいのに、安っぽさをそのまま、売りにでもしているつもりか、出しちゃってて見苦しい。アカラサマに張りぼてで作った岩の回廊は、あれは岩として見て欲しいの?張りぼてだとゆーのを楽しんで欲しいの? どっち? 創る側がちゃんと決めて提示しましょう。ラストも、あそこでギターに戻っちゃなんにもなってないぢゃん。子供が作った映画みたいに、すべてが低レヴェルでした。
 

『オー・ブラザー!』

30年代のミシシッピー州が舞台。3人の囚人が脱走して、隠してある宝物を目指すとゆうお話です。当然道中いろんな事件に巻き込まれたりひき起こしたりします、ラストまで観ると、まぁ、(主人公のスタンスで)整合性があるエピソードばっかりなのだが、それぞれが出てくる時には行き当たりばったりっぽい感は否めまい。例えば「そんなに簡単に脱走できちゃっていい訳?」なんて思ったりすると、いきなし物語全部が都合よすぎって思えて来るやもです。
 

『オープン・ウォーター』

“Based on true events”であって“story”ではない、ってのを映画がおあった時に思い知るのだ。でも実はそんなに、楽しみにしたほど恐くなかったけどなあ。実話に基づいて作られている話より恐がらせようとゆう工夫が凝らされている創作の方がより恐いのは、そりゃあ当たり前っつーことなのかな。
 

『オールド・ボーイ』

ミステリィが描かれた映画の中でも最高にレヴェルが高い。ネタばれになるからはっきりとは書けないけど脳。「拉致監禁されて15年間を部屋に閉じ込められて過ごす男の復讐劇」と聞いて観はぢめて、映画の割りと早いうちにとっとと出てきちゃうってのにはぴっくりしました。完全に「復讐劇」の方にこそ重きを置いているのだ。てゆーかこの辺も掘り下げるとネタばれになるしなあ(笑)。つくづくチェ・ミンシクはいいシナリヨの映画に出るなあと思います。→【きねま猫】
 

『オールド・ルーキー』

「実話」をもとにした「ディズニィ」映画だ、と聞いて予想する域を全く出ません。毒もなければ、奇想天外な展開も期待できない。よっぽど『ミスター・ルーキー』の方が感動的でした。
 

『オーロラの彼方へ』

ニューヨークにオーロラが出た日、同じように30年前にもオーロラが出現した当時との間にハムの電波が通じて、息子と30年前の父親とが会話を交わす…って導入の映画です。そんで油断していたら、ここに30年経っても未解決の連続殺人事件ってのがからんできて、あたかも西澤保彦さんの小説のような展開になってゆくのだ!(笑) SF→ハートフル→サスペンス→ミステリィって、どんどん変わってゆくよ。細かいことを言わずに観るのがよいでしょう(にっこり)。
 

『奥さまは魔女』

顔が怖い(笑)ニコール・キッドマンが、こおゆう「可愛い役」をやると本当にラヴリィです。いい戦略を思いついたものだなあ<『ステップフォード・ワイフ』といい。もっと純粋に、昔懐かしい『奥様は魔女』を期待していたのだけど、さすがにそれは今はやらなかったか、残念。
 

『幼なじみ』

幼なじみってータイトルぢゃーねーやなー。無実の罪で投獄された、これから生まれてくる赤ん坊の父親になる青年を出所させようと、両家がいろいろ画策する…ってゆーと字面的に全然違うんだけどさ(笑)。まぁ、そうゆう話のフランス映画です。工藤静香が感銘を受けたってーのはラストの方で出てくる、“金を工面するために盗みを働いて勤続うん十年の会社を馘になった青年方の父親”が家出をしてしまう、そこに娘方の父親が来て言うセリフ「赤ん坊が生まれる。お前を必要としている」って辺りでしょう。生まれてくる赤ん坊をみんなで大切に思っている、ってのが表現されている映画だってことだ。そりゃー妊婦が観たら嬉しかろう。
 

『落穂拾い』

フランス各地で、「収穫後の畑に遺されている作物」「市場の閉まったあとに廃棄されている野菜くずや賞味期限切れの食料品」「収集場所に出された粗大ゴミ」などを拾う人々を撮ったドキュメンタリィ映画です。この映画が撮られる過程で、監督であるアニエス・ヴァルダが興味を持ったほかのいろんなものも一緒に挿入されていて、つまり“アニエス・ヴァルダが面白いと思ったもの”を観るための映画なのであった。そしてアニエス・ヴァルダのこの取捨選択のセンスは、とても楽しめたのです。ゴミあさりとかを撮っているくせに、汚らしいところがないしね。可愛いおばあちゃんが撮った映画、って感じ。
 

『オテサーネク』

子供を欲しがっている夫婦が、掘り返した木の根っこを赤ちゃんの代わりにあやしていたら木の根っこに命が宿り猫だの郵便配達人だのを喰い殺し始める、という話。コマ撮りで動き、赤ん坊の声を発する木の根っこがとても気持ち悪くていい感じ。狂気とホラーが愉快に描かれるのであった。
 

『お父さんのバックドロップ』

宇梶剛士は別段この映画用に体を鍛えたようにも見えず、やっぱき『MASK DE41』の田口トモロヲと比較するとプロレスのお話って点に於いて見劣りしますね、仕方ないけどね。子役の神木隆之介がとてつもなく可愛い。でもしわいがはぢまってから大阪府立体育館を目指して、しわい中に間にわっちゃうなんて、とてもご都合主義で嘘全開って感じで駄目でした。あと、タイトルがオチばれしているし(笑)。「絶対に最後はバックドロップで決めて終わるのだ」って思って観ているから、いっこもはらはらしなかったぞ。がっかり。そのバックドロップもタイトルで明かされているだけで、物語中では途中で出てくることが一切ないってのもどうかと思う。
 

『弟切草』

画面の処理とか観せ方の効果が素敵に綺麗です。奥菜恵は可愛いし、1時間25分で終わってくれるし、いいことづくめ。ラストのラストだけがちょっと緩いのは、ごわいきょうと思ってあげましょう(にっこり)。
 

『男たちの大和』

実際には発射されることなく沈んだ大和の主砲をどっかんどっかん撃つシーンが撮りたくて作った映画だけに、どちらの方向からの批判も受けぬよう留意した結果なのだろう、乗組員がすべて負け戦に赴くという根性で出航するぞ。なんてゆうか途轍もなく辛気くさい。大和なのに! 大がっかりします。もーちょっと自信つーか、誇りを持っていたんちゃうんかと思った。あ、そー思わせる策略なのかにゃ?(笑)
 

『同じ月を見ている』

ドンちゃんにエディソン・チャンを起用したのはいいとしよう。巧いぐわいにいい人たちに巡り会い、癒し、巧いぐわいに事件に遭遇し、解決し、とんとん拍子に物語が展開するのも許そう。解せないのは「あそこのあのタイミングでドンちゃんが脱獄しなければならなかった理由」だ。つまりスタートラインに無理があるのだ。映画を作るからにはちゃんと説明してくざさい。どーして?
 

『鬼が来た!』

麻袋に詰め込まれた日本兵が運び込まれ、その処置に困惑する第二次大戦末期の日本軍占領下の中国の村のどたばたを描いた映画。設定を知った時にはヤバい!と思った(笑)けど、さほどヤバくもなく、笑っちゃう映画として面白く観られるのであった。アイデワが、凝らされているね(にこにこ)。
 

『鬼教師ミセス・ティングル』

ミセス・ティングルは教育熱心で正論を吐くために校長からも生徒からも疎まれている難儀な女教師です。熱心に歴史の課題をやってきた学生にも、その労力で評価するのではなく出来で評点するので、Cをつけられた学生が逆ギレしてミセス・ティングルをベッドに縛りつけて言うことをきかせようとします…っていうお話(笑)。だから、こうゆうタイトルをつけて観客の視点をあらかじめ“生徒側”に置かせる、という演出は正しいのでしょう。角度を変えれば「正論が通らない社会の犠牲者」のお話になってしまうので〜。…なんて感想が出るのも、すべてミセス・ティングルの鬼教師ぶりの表現が、いまいちユルい…ってゆうか筋が通ったことをさせている…ためでしょう。もっと、こう、大映テレヴィシリーズの敵役みたいにむちゃくちゃデフォルメした悪役を演じさせれば、タイトルどおりの映画になったことでしょう!
 

『オネーギンの恋文』

1820年代のお話です。田舎娘から言い寄られて、振っておきながら、6年後にその子が綺麗になってて人妻になってて、そうしたら手の裏を返したように「俺も好き」とか言い出して、諦めきれずにいつまでも彼女からの恋文を待つオネーギンってゆうおっちゃんの話だ(笑)。いやだいやだ(笑)。
 

『おばあちゃんの家』

わんぱく坊主版・韓国版『ハイヂ』ですね。田舎のお婆ちゃんちに預けられたいたずら坊主の少年が、最後には心を開く話だ、と知って観ていたからまだよかったが、まっさらでこれを観ていたらあまりの少年のお婆ちゃんに対する仕打ちに激昂していたかもしれません(笑)。にしても、全編87分の映画で、1時間経過してもなお少年が「悪い子」なのではらはらしたよ(笑)。それでいて、ラストの1分半で感動させるからなあ(笑)ってゆうか(感動)。こーゆーのって急転直下が効くヂャンルなのだなあと思いました。→【きねま猫】
 

『オフィスキラー』

シリアル・キラーとして目覚める発端が、『黒い家』の大竹しのぶほども狂気を感じさせる描かれ方をしていないってのが弱い。“ひょんなことで死体を手に入れて”そっから地下室に死体を収集しはぢめているってのは、どうよ。
 

『オペラ座の怪人』

ファントムのテーマが流れると感動するね(笑)。冒頭のシャンデリヤのシーンが、だから一番感動しました<冒頭かよ! 知らない俳優ばっかりを起用したのは『オペラ座の怪人』の物語に有名俳優の色をつけたくなかったからでしょう、つーことでさすがにちょびっとだけ、キャストに華ってゆうかカリスマ性がない分、だれるけどね。このストーりぃんら、たぶん、観たことないけど、舞台で観た方が感動しそうです。
 

『オペレッタ狸御殿』

この映画で特筆すべきはなんと言っても美空ひばりを復活させたことだ。その出来はどうであれ、ひばりプロダクションを通せばそんなことが可能なのだとゆうことを実践してみせた、それだけは評価できる。内容はいつもながらの、舞台劇に色気を見せる鈴木清順もの。映画でこれをやるなんて、冒険か暴挙かどっちかでしょう。何百本も観る中に1本これがあると面白くていいんだけどねー(笑)。
 

『溺れゆく女』

きっと“上質のミステリィ”でしょう。先にプレスでストーリィを読んでから観たので、「今やっていることが何を意味しているか」知ったうえで観進めていたのだけど、知らずに観ていたら結構「あの行動は、なんなのだろう」と思わせる組み立てになっている。映像効果も、いろいろ面白いことをやっています。但し、結構地味めなお話にはちまいないと言えようか。
 

『溺れる魚』

テレヴィ的ではあるけど、すげー楽しい楽しい♪ 宍戸錠の扱い方、仲間由紀恵のキャラ設定、ラスボスの負っているトラウマ、あとIZAMの役名は岡部だし、モー娘。の『ハッピー・サマー・ウエディング』は出るし、エンドクレジットに「浜辺に流れ着いた魚」だの「路地にいて振り返る犬」がラインナップされているし、本当の最後の最後に原作者が夜の舗道で『溺れる魚パート2』を執筆しているし(直前のクレジットで「この映画に原作があったのか!」と驚いた直後の出演であった)、いやー、楽しい♪

『おまけつき新婚生活』

ギャグが悪趣味に過ぎる。やり過ぎてて引きますね。後味も悪いし(笑)<そのコメディは果たして成功したことになっているのか?
 

『親分はイエス様』

ヤクザが改心して牧師になる実話をもとにしたお話です。説教くさいかな、と覚悟して行ったのだけど、楽しく観ることが出来ました(にこ)。最大の疑問である「そんな簡単に、日本人がキリスト教に転びはしねーだろ」って点が「だって奥さんが韓国人なんだもの」でクリヤできたってのが大きいだろうね。あと、一番メインになる“十字架を背負って日本を縦断する”ことにどんな意味があるのか、なんてとこの説明をいっさい省いたことも勝因でしょう。宗教は、どいなけ理屈を並べても信じていない人にはなんのアッピールにもならない、それくらいだったら単に現象面だけを描いた方が訴えたいことが伝わるだろう、と考えたのであろう。そしてそれが巧く作用している。キリスト教を信奉してない人間に対するプロパガンダに、無理にしてない(と捉えることができる)作りになっていたので、単純に映画として出来事として、面白く観れたのでした。
 

『およう』

団鬼六の『外道の群れ』という原作から映画を作ったもの。竹久夢二も、責め絵師の伊藤晴雨も、彼らのモデルを務めた主人公のおようも、みんなそのとおり道を外れた生き方をしているよ。才能ある人々が道を外れながらも生きてゆく譚、ってことだ。いいんぢゃないの、奔放でさ。
 

折り梅』

アルツハイマになった義母との同居に悩むパート主婦の話。夫役のトミーズ雅がとんでもない大根です。みなさん無理に名古屋弁になさるもんだからそれも不自然だ。訴えたいことは解るが映画としては低レヴェルなのでした。
 

『オリバー・ツイスト

この時代が舞台の映画で、こいなけ面白く作れるなんて! 賢い子が、結果正しい道をゆく話なのでとっても氣持ちがよく清々しい。
 

『オルフェ』

ブラジルの、大人版“ボーイ・ミーツ・ガール”映画です。シチュエイションが物珍しいので目をくらまされますが、なんのことはない、すごくよくあるパタンの話なのだ(悲劇ね)。3年もしたらどんな話だったか、まったく覚えていない(観たことすらも忘れる)類の映画でしょう、きっと。観ている時は(それなりに)面白かったのだけどなー。
 

『おわらない物語 -アビバの場合-』

異常な思考に基づいて異常な体験をするアビバを、複数のキャストが持ち回りで演じるとゆー異常な見せ方で撮った映画。思いついたことを全部ぶち込んでは、単に解りづらいばっかりになるのだと思い知らされました(笑)。解ってるのは監督だけだろう。ここまで重ねちゃ、ただ出鱈目やっているのと変わらない。もし“唯一の正解”が用意されている映画だっつーんだったら、観客をそっちに導くように描きなさい。
 

『終わりなし』

4日前に死んだ男が、自分が死んだ後の様子を見ているってゆー設定。「夫を失った奥さんの話」と「やり遺した弁護士としての仕事の話」のふたつが語られるけど、後者の方は別に前任者が死んでなくてもなあ、って思ったよ。
 

『女はみんな生きている』

痛快(はぁと)。血まみれで助けを求めてきた娼婦を見捨てたことを気に病んで、昏睡状態に陥ったその子の看病をかって出た女性が、軽んじられてきたことに気づき目覚めるって話。“昏睡状態に陥った娼婦”の半生だけでも独立して一本の映画になるくない、面白い。ラストシーンで、すべて軽んじられてきた女性4人が並んで海を見る、ってエンディングも素敵に決まっております。本当に、この邦題はすごい。だって、現代は『カオス』っていうんだもの、それよりよっぽどこっちの方がお話にマッチしているわよ! この映画は人生を生きていく上でのパワァを与えてくれるよね。きちんと自分の置かれた位置を見極め、賢くあらねばねって思わされるったら! キャッチコピィを書くならこうだ、「貴女、軽んじられてませんか?」。
 

『陰陽師』

主人公の陰陽師役の野村萬斎が、余裕を表現するためであろう、始終にたにた笑っている顔をしている。まるで表情に依る演技が出来ないかのようだ。そんなふうに捉えてしまうのもきっと、本当に演技が出来ないのであろう今井絵理子がいるためなのかもしれない。とにかく必死に演技をしている人たちとの間に温度差が生まれている。そこへもってきて例えば“蛇に道案内をさせて後をついてゆく”シーンの蛇がおもちゃだ(笑)。そんなとこで手を抜くものだから、もう画面に映る全編が作りごとビーム照射しまくりです。結果、「演技の巧い人と下手な人がごちゃごちゃにまぢりあってお芝居をしている」あたかも学芸会のようでした。
 

『陰陽師II』

大袈裟なことを言ってるけど、せーぜーこれって十数年前の怨みに端を発してるだけの話でしょう? みみっちいの。相変わらず今井恵理子は演技がチョーチョだし。どうも学芸会レヴェルって感じでございます。「巻き物を読む時に宙に浮かせて読む」なぁんて無駄なCGまで使って、却って安っぽくしちゃってるしね。


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