◆06月5月上半期の抜粋日記◆

06年4月分下←*→5月分下 / 『最新の抜粋日記』

 5/1 「煮込んだイチゴが入ったやわらかプリンとサクサクタルト」だそーだ<クラフティー

映画1000圓デーにして∩マスコミ試写がない、劇場に映画を観にゆくメポー。もちよん「試写で観て面白かった映画にお金を遣いに行く」だ。いまかかってる中だったら抜群に、っつーか唯一『うつせみ』ですな、ミリヨン座に行きましょう。ちょーどこれ、次回の「映画颱風」で採りわげる予定なのです。ディテールのチェックと描くイラストの構図の考察を念頭に観るわよ!

函はミリヨン3。そして整理番号は22。入場し、左右に空きのある席は存外前の方だ。試しに着席してみると、んわっ。あああ。案の定スクリィンが眼鏡のレンズ内に収まらない、はみ出す。小屋が小さいくせにスクリィンを奮発しすぎているのぢゃ。不承不承、観易い後ろに下がり、おばちゃんとおねいちゃんに挟まれた空席に座る。もちよん3人にとって不承不承だから正確を期すと“不承不承不承不承不承不承”になる。

しかっし。『うつせみ』はいいッ! さすが俺。前半部だけ観ているとちっとも「うつせみ」ぢゃない、これは「やどかり」だろうと思う。それがラスト30分ってとこから途轍もない驚愕の展開をみせるのだ。主人公は物語中でひとっ言も発しない。考えていること、行動の目的は、表情から読み取るか次の展開から振り返って知るしかない。だから、物語がまさかそっちに流れていくなんて思いもよらないのだ。

前半部でなにをやっていたかは3月22日の日記に書いた通り、“留守宅に忍び込んでは一夜を過ごし、痕跡を残さず去る”だ、これを主人公は毎日、違うお家をターゲットにして続けている。後半では主人公の真意最終目標が明らかになる。いったい理想的にはどーなりたいのか?こいつは。その答えが「うつせみ」なのです。

ええい、もう公開された映画なんだから書いちゃおう(笑)。「うつせみ」ってゆーのは空蝉と書き、蝉のヌケガラのこと。なんだけどこのタイトルが指しているのは忍術の技の方だろう、別名「変わり身の術」って奴です。“そこにいるかと思って攻撃すると着物だけ、中身は姿を消している”とゆーテクだ、主人公はこれを身につける。

ラストシーンの凄まじいことと言ったら! 主人公は、もう、留守宅を物色する必要がない。在宅の家に忍び込んで、しかしちっとも見られることはない、決して見つからない。常に人の死角にいる。まさに神の領域に到達するとゆー落ちだったのです。ぎゃー。

これは、深いよ。「やどかり」の時にはまだしも、他者との関わり合いを求めてもいるかのように思えた。しかし結論がこれなら、その推測は誤っていたと知れる。主人公は自分が観察したいだけ、人からは見られたくない、って状況を望んでいたのね。つまり「テレヴィを観ている」のと一緒だ。こっちからは見える。向こうからこっちの姿を見られることは決してない。人生の活動のすべてに亘って「モニタのこっち側」という位置を選択した、そーゆー男の物語だったことが最後に判る映画だったんだよおおおうんっ! つげえ! ギザつげえ!!(きー) 『うつせみ』はねもう

これはあらゆる引き籠もりの、究極に解放された型であるっ!て中日新聞に書こうかしら、ぽあんとの思いを新たにしたのもしかしツカノマ。入場の際にもらったスターキャットシネマ通信を見ていたら、ななな。『うつせみ』の上映期間は予定していた「映画颱風」の掲載日まで!って書いてあるではないかっ!? きゃんきゃいんきゃいんきゃんち! ここ。こんなハイレヴェルな映画が、2週間打ち切りかよッ。

ナニハトモアレ、プラスに考えよう。今日ここミリヨン座に来てよかった、知らずに『うつせみ』で原稿をスタートさせるとこだった。大好きな面白い映画も観れて、無駄足も未然に防いで、なんて運のいい俺!(涙色) なんか別の、「映画颱風」で紹介する映画考えなきゃっ。ひーんひーん。

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レポドラ高橋と、星が丘カフェ マ・メゾンでお茶。クラフティーってケキーを食べたよ、おいすいおいすい。氣づくと2時間も経っておった。座って喋ってるだけで2時間が過ごせる相手って稀有だ、ちょくちょく参りましょうと願ってやみません。

高橋と別れ東山公園駅方面へ歩いて向かう。ああ、すぐ際が東山丘陵なのだ、この辺りはとてもよい、夏の森のによいがするよ。CBC往復しているだけでは決して嗅げないによいだ。懐かしいな。大学に通っていた時分はこのによいはごく身近だったのにねっ。こんなことで安く大学を懐かしく思えてお得です。

地下鉄には乗らず、ずんずん歩き続けて本山に来た時にマガ差したよ、ミスタドに寄ってしまった。さっきカフェ マ・メゾンにいたのに! ドーナツを3つ喰ってしまった。さっきクラフティー食べたのに!

うう、ドーナツはうんまいが、いかんだろう。反省贖罪を兼ねて会社まで歩きましたねっ。ミスタドの滞在時間込みでカフェ マ・メゾンから1時間15分でした。ほう。いっそ今日はiPodを忘れてきたので1時間15分が音楽に占拠されることなく、退屈に思わず歩けましたな。長時間の散歩には観察力を発揮する方が耐えられるかもーと思った。そうか。

 5/2 スー・チーも懐かしいが喜多嶋舞はどこへ行った?

『the EYE2』のマスコミ試写メポー喜多嶋舞に似たホラークイーンだ脳と思って観てたら、あとでプレス資料で確認したら案の定スー・チーぢゃった。あああああ。あのスー・チーが(あのってどのかっつーと「『ゴージャス』みたいなアイドル映画に出てた」だ)、こんな役を!(こんな役ってどんな役かっつーと「病院の屋上から2回続けて落ちても死なない丈夫い役」だ)

『the EYE』は天才的に名作ホラーだった。そのヒットを受けて創られた第2弾なのだ、予想通り、がっかりもんだったよ(笑)。『the EYE』の設定は「角膜移植手術を受けたらもーぢき死ぬ人の死に様が見えるよーになっちまったぜ!」ってのでした。だから故の『the EYE』とゆータイトルだっちゅーの(@パイレーツ)に、『the EYE2』ったら角膜眼球もまったきカンケーなく霊が見える話なのだ。そんなのに、『the EYE』のタイトルを踏襲させちゃイヤ〜ンと思います。

ただ、さすがにちょっとだけとはいえリキも入っているもので、「天井から霊が垂れ下がってきて、あたかも潜水するかのよーな、くねん、ぬるんとした動きで赤ん坊出産する女の子宮に入っていく」って表現は独特価値があるヴィヂョンだった。あと、強かった表現は、上にも書いた「屋上からの落下」ですね。フツーのホラー映画だったらここは「自動車が突っ込んでくる」のではないかって予想して、身構えて観てるシーンで、ぼとっ!と、人が落ちてくる(笑)。わあ、素敵!! いっちばん度肝を抜かれた箇所でした。

だからさ。上では「がっかりもん」とか悪口を書いたけど、全然駄目だった訳ではちっともない。観るべきとこはちゃあんと、十分にある。『the EYE』の高みを期待しなきゃね。こんなタイトルをつけなかったら、まだしも少しは印象がよくなってたかもと思うのでしたー。

 5/3 トンガリキッズが意外と歌になっていると判った<また歌う氣だなっ?

レポドラ照屋[25]とカラヨケに行くメポ。さすがプロフィールの趣味欄が「カラヨケ」だけあって照屋さんの歌は達者です。えっとね、ふたりで3時間歌いました。焼きうどん食べてトマトヂュース飲みました。うはうは。

しかし、3時間が過ぎて出てきてみると、なんつーか、歌い足りない(笑)。なんでだろー。シャウト系が少なめでがまだ潰れてないからか。モー娘。を一曲も歌わず、ハロプロ方面『Yeah!めっちゃホリディ』のみに抑えたからか。川本真琴とかAikoとか椎名林檎とかの、歌いたい辺りの歌がもろに照屋のレパートリィヒットしててえんりょうしたからか。

3つ目のは完全に被害妄想ではある。「ある種女性ヴォーカルの曲が好きだ」「好きな曲をよく聴く」「よく聴く曲しか、歌える程度には知らない」「歌えるのはある種の女性ヴォーカルの曲に限られる」って論法が成立している。男性ヴォーカルの歌なんて3時間いても5曲くないしか歌ってない。それも『大迷惑』だったり『ENDLESS SUMMER NUDE』だったり『月下の夜想曲』だったり『人にやさしく』だったり、古いのばっか。唯一新しかったのはトンガリキッズ、ってテータラクだ、それで女の子とカラヨケに行ってかぶるって、文句言う方が悪い。なあ。

きっと結局は、どーも歌った氣がしないのは、つまり歌うこと以外に意識がもってかれ過ぎているせーだろーと思う。今回一番それを感じたのは選曲のシステムでだった。今のカラヨケってこれだよねってゆー、検索端末で曲を選び、今日は一切目次本は手にしなかったのだ。つまりぱらぱらとペヂーを繰っているうちに歌いたい曲に思い至るってことが期待できず、すべて一から自分で考えて思い出し検索をかけないとならない。わあ。んもー、歌ってるよりそっちに頭フル回転の巻だ。とても消耗する。さらには思い出し損ねた曲に後から氣づいて凹む。今回で言えば太陽とシスコムーンを歌うべきであった。べきて。

ああ、iPodに入れてある曲がランダムに、勝手に出てきてくれればどれでも文句を言わずに歌うのにー。つーことで、照屋が持っている会員証がちょびっとだけ便利だよねと思いました。検索端末に通すと自分の歌った曲の全履歴が出るの。まあ。いっぺん沢山歌ってしまったアカツキには選ぶの楽ねっ。運転免許証とかクレジットカドーとかが欲しいと思うことは一切ないけど、カラヨケのこの会員証はちょっと魅力あります。マスコミ試写に足繁く通う今の生活が終わったら、今度は毎日カラヨケに独りで通うマンになってこのカドーを持とう。映画業界から音楽業界へ転身しよう。うははうはは。なんだその未来予想図。

 5/4 酒を呑んで酔っぱらうってのも「情報の制御に支障をきたすから」嫌悪する次第です

朝のワイドショウラヴ&ベリィのブムーを紹介しているのを観て、無線受け飯田さん[12]がうちの子にはやりたがっているけどやらせてないと表明したので、それはやらしてあげるべきだと説いためぽ。なにより大人になってから懐かしいよね〜、やったよね〜って話ができるぢゃん。

幼い時分にこーゆー“はまる”経験を積んでおかないと立派なお宅にはなれないのでは、お宅素養が育まれないのではと飯田さんの娘さんたちの行く末を危惧するよ。要らんお世話。

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ゴーユデンウイーク中でも営業している来々軒に行く。今日オーダしたのは「地名しりとり」でワッキーも食べてたカイコー飯だが、それとは別に、ガーリーハン漢字表記を確認してきた。「茄莉飯」でした。ほう。岐阜の{阜}くない、遣われるとこをめったには見ない字だな>{茄}。やっぱき字義からいっても女の子っぽい」とゆー意味は含まれていなさゲな茄莉飯でした。

すると次に氣になるのはカイコー飯の漢字表記か? なんでいっぺんにチェキってこんかとゆーと一度に覚えられる漢字は2つまでと決まっているからだ。なんて、容量のちっちぇー!

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仲良しの人が、mixiはやってないのか、やる氣はないのか旨のクーリエルをくざさった。仲良しだから構うまい、ぶっちゃけたへんぢをしよう。

mixiってのがいまいち解ってないまま言うけど「許可制で入ってくる人を選べるチャット」かなと捉えていますが、それで思うのはウェットな人間関係とかしがらみとかがおもっきし作用しそうで大変に鬱陶しいのでは、っつー怯えです。“本当に仲良くしたく、この人とだったらいつナンドキと言えどお喋りカモーン”ってほどの相手は限られるし、そゆ人とはプライヴェートチャットルムーでも借りてそこで語り合えばいいし。お義理で入室を認めておいて、しかし本心ではヤだなあと思いつつ続けている、なぁんてことになったらイヤ〜ンだし(笑)<なんだかいかにもありそうな想像ではないか?(笑)

そーでなく、同好の士とか趣味だの考えだのに同調してくる未だ見知らぬ人との新たな出わいと交流に価値があるってゆーんなら、それはこちとらサイトを運営して掲示板を設置しメルアドを晒しているのだ、それらを使ってまでアクセスしてくる方々だけでぢうヴんです。ケータイを持たぬほども“実際に会ってない相手との生声でのやりとり”を嫌うタイプの者には、簡単に人と知りわうシステムなぞ全く不要なのです。お互いに情報はちゃんと吟味され、制御された上でやりとりを交わしたい。

さすがに仲良しだ、これらのことをお伝えしたらズバッとイッパツで解ってくざさったよ(笑)。もつべきものはこんな排他的なマンを認めてくざさる仲良しだ>いや、それはどーしたいのかっ>自分。

 5/5 Easy Listening!<いや、聴いてないで喰えッ

レポドラ河村[24]と朝ごわんに行くメポー。11時の開店ちょい前にラシックに着くと、うあ、西側入口には人がいーぱい待っておるではないか。なんだこりは@『パーマパビリオン』song by星井七瀬。どどどどーして、をかべが来ることがばれたのだ<違います。開店して1年以上経つとゆーのにラシックはゴーユデンウイークともなると人集まりまくりマンボか。わしらは単に会社からモヨリだから来ただけぢゃが、なんだか、バーゲインでもないのにラシックに来る客、貪欲すぎ。

開店と同時に、片側を空けるなんてしてたら列が滞ると名古屋人の誰もがひと言の言葉も交わすことなく正しく悟ったが故であろう、みっちりと人で詰まったエスカレータで7階へ直行する。「ナビィとかまど」で沖縄料理ランチを喰うショゾンなのです。タッチの差でティブル席に通してもらえました。うう。侮れなりん>ラシック。

はぢめて来たけど、ああ、うんまいね、「ナビィとかまど」。今後もせーぜー、「えん」ばかりでなく「美ら風」のみならず、来よう。つーか沖縄料理の店でまずいとこに行ったことがないんですけど。名古屋もん口に合うようにぢうヴんに吟味した上で出店しているのだと睨んだがどうか。いきなし睨まないように。

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旭屋書店で遊んでから帰ろう。と、筒井康隆新刊平積みになっている。わっ。しかも読み易そう(笑)な、短編集ぢゃんか。うわあ、欲しい欲しい七瀬<その話題はもう済んだ<ふたたび<お、巧いね、巧いけど読んでないけど。ぢゃがしかし。今はそんな、小説を読んでる暇があったら読むべきものがあろう、そうぢゃ、『映画検定公式テキストブック』であるッ。映画検定の受験がおあるまでは、欲しい筒井康隆も我慢である。

あ、エビちゃんフォトストーリィブックだ! ここ。これ、欲しかったんだよおん(笑)。エビちゃんは映画検定とは別腹だから買ってもいいと今決めた!(ズバッ) うははうはは。うっ、いや、しかしッ、これ発売になってからだいぶん経つ。店頭の残部数4冊こっきりだ、そして当然どれもこれも読まれた跡がある、傷んでる。いいい。傷んだエビちゃんなんてエビちゃんぢゃないやっ。買わない。

ってんで結局買ったのは『毎日かあさん 背脂編』でしたあ。わあい。会社に戻ってソッコー読んで読みおあるやスグサマ河村さんに貸しました。今までの実績からいくと、このままあと4〜5人の元をまあり、戻ってくる頃にはの折り込み部の応募券で当たるトートバッグプレゼントの〆切が、きっと過ぎていることだろう!(預言)ってゆうか(そんな恨み言書くくないだったら人に貸すな)ってゆうか(手元に持っていてもどーせ応募しないんですけどねっ)ってゆうか(だったらなお言うな) なあ。

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レポドラの橋本[23]の仕事が済むのを待ってダッシュで会社を離脱する。映画を観るのだ。目的地は伏見ミリヨン座、上映開始まで15分しかない。誰もが間にわわないと思ったね(笑)。だったらタクシィで行けばいい、橋本はタクシィに乗りたがったが、認めん。タクシィに乗るがあったらそれでもう一本映画を観よ。と言いたい。しかしそんな吝嗇な理由は明かさず、酔うからヤだの一点張りでひたすらギャロップ広小路を西へひた走りました。

たらばさ。間にわっちまったでかんてー。予告編の上映中に席に着くことができました。つごいな、じでん車でも10分はかかる道のりを、徒歩で15分強で踏破したか。しかしへとへとだ、こんな疲れて映画で寝たら来た甲斐がない。恐る恐る観はぢめる。

静かな映画なのだ。主人公がひと言も口を利きませんので。そう、月曜日に引き続き『うつせみ』を観に来たのよ。ほほほ。ほほほほ。でも心配は要らなかった、3回目の僕も初見の橋本も、一睡もせずに観られたよ! さすが『うつせみ』!

3度観てもその甲斐はあるもので。今回は

  • はどこへ行った?(答:不明
  • 体重計の針がゼロを指して終わる理由は?(答:不定/単に姿が見えないことのヴィヂュワル的表現,幽霊だった,手先で羽ばたく訓練をしていたので、つまり鳥になって浮いていることができるようになった,牢屋で痩せたので2人の体重を足すとちょーど100kgになる数値になってた、など解釈多数
  • 原題はなに?(答:韓国語『空き家』。ちなみに英題『3番アイアン』
  • ボクサが警察を呼ばなかった理由は?(答:あとで在宅の家に忍び込むシーンが必要なので、そこの住民をあららこめ事前に観客に印象づけるために登場させたキャラクタだから。のちにヒロインがソファが散らかってる家を独りで訪れて目撃されたのも、写真家の留守宅にカノジョが訪ねてきたのも、同じ理由)

なぁんて辺りをチェキっちゃったもんねー♪ あー。いい映画はいい。鑑賞後はもちよんそっちもおどが入っちゃっている。件の「愛されるために生まれた大事なあなたのダイニング」で韓流の飯を喰いましたとさ。ららら♪

ららら♪とか言っているが冷静に考えたら今日はカロリィ摂り過ぎだった。しかも沖縄料理ののち韓国料理って、iTunesの“ヂャンル”だったらともにWorldにカテゴライズされるのではないか。もっとなんつーか、PopRockFolkJazzとかMetalR&BだったりSoundtrackとかAlternative & Punkみたいな食事も、バランスよく摂るように。Electronica/Dance! Gospel & Religious! 煩いよ。

 5/6 外国では歌はイッパツで認識、理解できるものなのかしら<歌詞カドーとか入ってないし<同音異義語が少ないせいか?

ティケットを貰ったので「ミューヂカル落語」とゆーのを観に行くメポッー。会場の碧南市芸術文化ホール(どこだそりは<単線の鉄道なんて乗ったのいつ以来?)に入ると客席は爺婆ばかり。うはっ。落語をミューヂカル仕立てでやるなんちうアヴァンギャルドにも、若いもんは反応しないのかと文化意識の遅れぐわいにプッチしょっくを受ける。まあ、開演の頃にはちょっとは年齢層の下の連中も来て、客席の右翼左翼を埋めてはいたけどね。それにしても貪欲でなさ過ぎる。貰いもんの券でこんなに期待しているこっちが異常でしょーか。

前座は、社会人落語家なる2人が落語をやった。酷い。大学の落研から初々しさを抜いて、上っ面喋くりのスキルだけを磨いたって感じ。まだしも辿々しいとでもゆーんなら微笑ましく観られたかもしんないが。

落語って、特に古典落語なんて、好きで観る連中はみんな内容を知っている落ちに到るまで、どーなるか判っている。それでも聴きに来てそれでも面白いのが落語だ。前座の2人のははぢめて聴いた奴だったけど、次の展開が予想できて、だからつまんないってゆー代物だった。えっとー。おっきく間違っているよねっ。

こんな出来喝采してはためにならない、なによりこれで笑う客だとなめられるのが癪だ(笑)、真正面のど真ん中とゆー席にいながら、愛想で笑うことを拒んでやりましたね。落語聴きに行って喧嘩腰になってる人はだれ?(笑)

20分ずつの前座の噺が苦痛で、来たことを後悔してたのですが、さすがにメイン三遊亭亜郎は達者だった。つーかそりゃあちゃんとプロなんだから落差でそーも感じるだろーけど、1時間があっつー間だった。

三遊亭亜郎ってのは円丈の門下で、落語家になる以前は劇団四季10年間いた人です。演目は『文七元結』ピヤノチェロを従えて、噺の要所要所で演奏が入り、歌で繋ぐとゆー構成ですね<それぞ通常のミューヂカルだ。噺のラストでウェディングマーチをアレンヂしたBGMが流れるのはいい演出だった。

が。はっきりと、歌わない方がいい。喋りだけで充分に盛りわがっているところに歌が入ると、冷める(ズバッ)。だいたい歌詞が駄目だ。歌を、はぢめて聴いて解るってのが如何に難儀かってことは誰でも知っていよう、だからこそ日本のミューヂカルで歌われる内容ってのははっきりと「詩的ではない」ものになる。

詩として綺麗な、完成されたものをに乗せて歌われたら、それをいっぺん聴いただけで理解するのは困難だ。それを回避するにはよっぽどのレヴェルの高い楽曲を創るか、その力量がない場合には歌にせずに語ったら恰好悪いほどのださださの詞を歌う、詩の方の完成度犠牲にするしかない。そしてこれは後者だった。

着眼点だけは面白かったのだ。やって、不可能なことでもなかろう、イッセー尾形は毎回スティヂの度に必ず歌うネタを1本披露する、あれなんかはその時に一回だけ聴いて大層面白いもの。曲作り発想に追いついていなかった、古典落語の名作のレヴェルに到っていなかったってことですね。なるほどね、未だ話題になってないだけのことがあるのねと確認して、でも『文七元結』は面白かったから、単線の電車が珍しかったから、ほどよい満足で帰途に着いたのであったぞ。

 5/7 社名はパタゴニアだけどアルゼンチンのスプレッド・キャラメルだったです

ついにソフトキャラメルこと「パタゴニア ドルチェ・デ・レチェ」を喰い終えたメポッー。土日ごとに、少量の食パンを買ってきては塗って喰い進めていたのだ。「少量の」と限った理由は、いっぺん一斤を、2日かけて喰うつもりで買ったら、その日の内に全部喰っちまったってことをやらかしたからだ。思い知ったね、「あると喰う」。だからどんなに割高になろうといっべんに買っていい食パンは3枚入りだと、自分の食癖を知らしめてくれたソフトキャラメルであったのだ。有難い有難い。

しかし、確かにソフトキャラメルをパンに塗って喰うとうんまいのではあるが、途中で思った。これだったら蜂蜜でもいーぢゃん。ああ、松坂屋北館のラベイユでいろんな種類の蜂蜜をいーぱい買ってきてずらりと並べ、毎日思う存ヴんパンに塗ったくって食べたいわ♪ ロト6で当たってお金持ちになったらやろう。金があれば幸せは買えるから、体形を氣にすることなく健康に留意することもなく好きなように喰ってぶくぶく太ろう(ぽあん)。

 5/8 断献血明け<断つーかなんつーか

48日間の沈黙を破り献血に行くメポッー。採血中、あややヴィデヨクリップ集を流しつつうとうとしていたらいきなし声を掛けられ起こされる。平日予約をしてもらえないかとの依頼をオキヌケの呆けた頭で聞き、また2週間後に必ず採血に来るからと確約させられる。いや、必ず来るけどさあ。

献血を終えて出てくると22日に来るというのは本当か絶対来るのか何時に来る氣かとさらに問い詰められる。10時、に来たいのはやまやまだけど、何の〆切で押すか判らない、11時にしといた。

平日予約を5回すると記念品がもらえるシステムなのだが、そんなもんが欲しくて献血に来ているのではない、そのーちうやむやにしてやろうというやる気が満々です うはは。こーゆーフルマイには燃えるマンであるッ。つーか何が欲しくてやってるかっつーとはんこうですからね、予約をしたらはんこうを2つ捺してくれるってんだったら喜んで、ものすんごく熱を入れて、予約をしてやるものを! ユーザニーズが判ってないったら>献血ルムー>いや、誰がユーザで何がニーズやねんっ。

献血をしてお利口さんなので自分ご褒ヴぃに「エビちゃんシアタースペシャル版」を買って帰る。うははうははは。これだッ。献血ルムーはこれの美本を記念品によこせッ。ほら、エービー型とか言うし。ぎゃふん!

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『不撓不屈』のマスコミ試写。税法の抜け道を見つけ中小企業節税のノウハウをアドヴァイスしていた税理士税務署からの嫌がらせを受け続けつつも耐え抜く、とゆう邦画です。もう、延々と胸くそが悪い。こーゆー話は大嫌い。

いっこ大きく不満だったのは、税務署のトップ連中がただ尊大なだけで、筋が通った大人としては描かれていないことだ。今どき、敵役完全悪としてしか表現しないなんて! いっそ絶滅危惧種のように貴重な片輪さ加減ではないか、と思いました。

つーことでこの映画から学んだのは「不撓不屈」は「ふとーふくつ」と読む、っつーことと「とー」の字は「手偏3つ書いてπ」と覚えたことですね。見易くおっきいフォントでイッパツ貼っておこう、ほらほら、

ほらほら。なお、「不撓不屈」がどんな意味なのかには興味がないので知らん。なんたって45年間一度も目にすることがなかった漢字四字熟語だ、今後45年間はまた出わうこともあるまい。「映画のタイトルだ」と覚えておけばぢうヴんだ。あ、せめてムーさんサブタイトルに出てきた時くないには思いを馳せてやろうかな。

 5/9 からすとえび

出社途中、からすが道端に落ちていたの生の肉をつついていた。パックひとつ分くないの量がある。

ああ、からすは生肉も食べるのかと通りすがりに見ていると、じでん車が通るごとにいちいち、ちょっと飛び立って逃げる。すぐにまた戻ってつつくのを再開するのだけど、その際にかあと啼くのだ。幾度も啼く訳ではない、かあ、かあ、とせいぜいふた声。車を危険に思ったような緊張感のあるトーンではなく、焦りの感じられない啼き声です。

次の交叉点で信号待ちで停まっていると、西の空から2羽のからすが飛来してきた。すぐには場所を特定できないのか、一旦電線にとまったが、やがてこっちへ滑空してくる。振り返って見ると、生肉の周囲に集まっているからすは4羽になっていた。

わあ。からすが、自分1羽で喰うには仰山あると、他のからすを召喚したのだ。うわあうわあ。からすの声が通る訳だ、と思いました。

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エビちゃんシアタースペシャル版」を大切に読む。アナウンサの石井さんにもレポータの福岡[13]にも触らせない(笑)<だったら人の氣を惹くような、人前で読まなきゃいいのに!ねっ。いや、どーせ自分ならざる者は皆、この本の扱いを解ってないにちまいないのだ。手渡したら最後、きっと表紙をつまんで持った形で浮かせて見開き、三角の折りじわをつけるに決まっている。5月5日の日記に書いたことを再掲しておこう。傷んだエビちゃんなんてエビちゃんぢゃないやっ。貸す時に以上のよーな{の通った∩当然の権利である}注意を細かく言って煩い奴とかって、物を借りる立場の者に思われるくないだったら、貸してもくれないけちな男と思われた方がいい。少なくとも大事な大事なエビちゃんの本は安泰だし。うははうはは。

キャンキャンで13カ月に亘って連載をしていたフォトストーリィを一冊にまとめた総集編で、北村[22]と河村[24]は連載中に読んでいたそうな。ちびっ子すなあ。ちびっ子すよう<それを買ってる自分はどーなのか。

お話はとても簡単。エビちゃんにはケンっていうカレシがいて、でもここんとこすれ違いが多くなってぎくしゃくしてきたところへお金持ちでエビちゃんのことが大好きでエビちゃんのためだったら何でもしてくれる清水さんって男性が出現する、って流れです。うもー、爆笑もん(爆笑)。これがもし映画とかテレヴィドラマで観せられてたらかんかんになって怒っていただろーとゆー出来(笑)。ああ、人はなんで、フォトストーリィだったらこれを許してしまうんだろう。

“見たければ自分で開いて見る”からかな。先方のペースでどんどん展開していく映画やドラマだったら時間の無駄だった!って憤りそう、かも。でもしかし、フォトブックだとエビちゃんのかわよい写真のペヂーを幾度も開いて見てるから、その方がよっぽど時間を費やすことになるんだけどなあ。

しかし転んでもただでは起きない<転んでたのか<エビちゃんに。いろいろ勉強になりました。まず、案の定エビちゃんたちが着ているお洋服や各話の舞台となってるスポット情報が付加価値になってましたね。

あと、つごかったのが、第一話テキスト量の多さ。字を全部読み飛ばしたもの。どーせエビちゃんの写真目当てで買ったのだ、話なんて読む氣はなかったのだ、最後までテキストは一切読まなくていいやってペヂーを繰っていって、しかしお部屋の中が風船で一杯になってるシーンで止まった。何してんのかなと文字を読むと、あら、分量が少なくて読み易いわ。そっから後はつごい読んだ。全部読んだ。げらげら笑いながらすんげいスムースに読んだ。そう、テキスト量が第二話以降では全然減ってるのだ。第一話をやってみて違うって解ったのだろう。まるで『行け!南国アイスホッケー部』の連載当初とラストの絵柄の違いのよーに、てこ入れ方針変更がこんな如実に観察できるなんて! かっちょう悪っ(笑)<かっちょう悪言ってやるな。つーことで実は最後まで読み終えた今なお、未だ第一話だけは読んでません。本当に字読むの嫌いな人はだれ?>毎週少年サデー買ってるくせに『名探偵コナン』は読み飛ばしているだけのことはある

そしてこの本(つーか雑誌つーのか)、巻末別ヴァーヂョンのエンディングが袋綴じになってついているのだ。が。勿体なくて袋綴じが切れないよおん(おろろんおろろん)。袋綴じを膨らませて中を覗いてみたけど、うう。ううう。そーだ、どーせ1000圓の出費で済むのだから、もっさつ買おう、と今は思っている。一冊は綺麗に保存し、一冊は袋綴じも開け人にも貸すのだ。うわーいうわーい、みなさぁん、をかべは吝嗇ではありませんよおん!(笑) しかしエビちゃん如きに、石川梨華写真集で行っているのと同じ措置を施して、本当に悔やまないのかと、次に書店に赴く時まで自問し続けたい。うーんうーん、でもまあ、1000圓のことだしなあ<結局お金の問題か<吝嗇かっ。

 5/10 オダジョーのファッションセンスは身につけたい

無線受けの飯田さん[12]は双子娘さんにニンテンドーDSの「ニンテンドッグス」を買ってやったとゆうメポー。ああ、犬を育てるのはかわよいねと言うと、とんでもない育て方をしてるそーなのだ。

ドッグフードはやらない、は買わない、ブラシも持ってないので犬はだらけ。お散歩に連れていくと宝箱を拾う。割りとよくレワアイテムが出るそうで隕石なんかをくわえてくるらしい。それを惜しげもなくソッコー売り、その金で新しい仔犬を買うのだとゆー。覗くと犬が新しくなってるので前のはどーしたか訊くとホテルに入れっ放しにしてあるのだそうだ。すすす。すんげいな>飯田さんちの双子の犬の飼い方。ブラシはかけてやらないくせにこないだ見たら犬が眼鏡を掛けていたんだって。眼鏡を買う金はあるんだ。うわあ。

本当に、本物の犬を飼う前に、ニンテンドッグスをやってよかったね、この子たちに本物の犬を買い与えては絶対にいけない(笑)と判ったのだ。よかったよかった(笑)。

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『早咲きの花』のマスコミ試写。原作者監督が来てて上映前にごわいさつがありました。ってんで試写室は結構な満員だったよ。原作者は豊橋に越してきて戦時中を過ごしたから豊川工廠空襲を受けた様子を描きたかった、監督は撮影のすべてを豊橋で行った旨のことを話して都合5分程度。なのでさほど鑑賞のぢゃまになるもんではなかった(笑)。

そして上映がはぢまり、ど頭、戦時中の田舎の風景で出てきたトトロの森みたいだ。よくこんなの豊橋にあったなあ、トトロを実写で撮ればいいのにと思った。『となりのトトロ』は長いのできっとぽろが出ようから、15分の尺の『めいとこねこバス』がいいかな、作ってくざさいプリーズ。そうしてその後、トトロを実写で撮ればいいのに以上の感銘を受けることもなく最後まで観終えるのでした。

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iPodイアフォンの右耳の黒いカヴァが、ついに失えたよおん。おろろんおろろん。

予感とゆーか覚悟はできていた。買った当初からパッケィヂに予備が同梱されているのだ。替えがあるとゆーことはいち早く無くすとか劣化すると予言されているに等しい。だから替えが用意されている物にこそ注意は払われるべきだって解ってもいたのにねっ。そして留意していても案の定、落とすのだ。

じでん車チェインロックもいっこ落として、今は予備を使っている現状で、こりゃあそれも落とす前に新しい鍵に買い替えろとの警鐘なのかもしんないと、そー考えた方がいいかもと思わされるのであった。うーんうーん。ひとまずはイアフォンのカヴァは、替えのうちのいっこを投入してこの場を凌ぎましょう。

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『ビッグ・リバー』のマスコミ試写。バッグパッカのオダギリジョーがアメリカの砂漠でパキスタン人のおっちゃんと出わい、さらにアメリカ娘とも知りわって3人で過ごす4日間を描いた、全編英語で会話が交わされる邦画でした。

映画を観る前に「たった4日間の物語」とかって聞いておくと、なんか安心感があるねっ(笑)。映画の最中に時計を見ちゃうのもそう。あとどのくないで終わるのかが判ると「耐えられる」感が強くなるの。小説を読む時にも氣になるのは残りの長さばかり、だったりする。本だったら厚みで知れるし、雑誌に掲載されている短編の場合はしばしば最終ペヂーまであと何ペヂーか、チェキったりします、私。初見創作に弱いタイプなのだ。本当は一話当たりには少年サデー少年ヂャンプに掲載されてる分量くないが適してて、映像ものも30分のテレヴィアニメサイズくないの方が性に合ってると我ながら思います。そんな人間が小説なんか書けるものか漫画ですら4こまがせーぜーだったんだし、なあ。せーぜー言うな。

オダギリジョーはアメリカへ演技留学だかしてたそーで英語は喋れる。そんでも英語ばっかしの映画に出るってどーよ、とってつけたみたいになってはいないだろーかとふわんに思いつつ観てると、うあ。も一人のキャラのパキスタン人が、オダギリジョーよりも英語が拙い単語で喋っているっぽい。聴いてそれが解る。ああ、この手があったか。より下手なパキスタン人が臆さず会話を試みているのだ、日本人が英語を使っててなんのイワカンがあろうって感じた。うんまいね、この設定。

つーことでの問題と言葉の問題と、両方を巧く回避して面白く観ることができた映画だったよ。にこにこ。

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今年中には店を閉めるともっぱらの噂マナハウスに寄ると、おう、「エビちゃんシアタースペシャル版」の美本が山積みになっている。保存用にと、森博嗣さん『εに誓って』とともに購入。

レヂポイントカドーはお持ちですか?と訊かれる。もちよん持っていない。どーせ今年で終わる書店のくせに、お得感は演出したいのか。そんなことよりユーザの利益のためってんなら考えることがあるだろうにね。

 5/11 中田雅喜の『桃色三角』を読んでいるかの…と書かないだけの理性は(笑)

最近は陽気がいいので歩んで試写会にゆくことにしてるメポー。会社から試写室まで25分ほどかかります。

今日は午前中のネタ会議が終あったのが存外遅く、歩んで行って間にわうかビミョーな時刻になった。どしよっかな、行くの、やめちまおうかな(笑)<コラッ、だったらじでん車で行けッ。映画のペヂーの更新が滞りまくりマンボですっかり映画に対する貪欲さを失っております。

会議から戻り、クーリエルをチェキるとC2原稿依頼が届いている。6月分の担当は3本、うちの1本が今日、13時半から試写のある『アダン』の指定だった。うあ。ここ。これは観なきゃ、どーしよーもないぢゃんか。世界は僕に映画を観せる方向でまあっているのか。頑張って歩み上映開始5分前に到着。

40過ぎてから奄美大島に渡り、独り暮らして絵を描き続けた氣違い日本画家田中一村の半生の物語で、ああ、『HAZAN』のパタンだ、こーゆー“一般の人があんまき知らない芸術家”の中には映画化に耐えうるドラマティックな生涯を送った人が、掃いて捨てるほどもいるってことかなと思いつつ観る。

どこが氣違いだったかっつーと、この田中一村という画家は40過ぎてから死ぬまでに描いた絵を1枚たりとも売らなかった、どころか他人に一切見せなかったとゆーのだ。どーやって喰ってたかとゆーと喰えてない。紬工場で3年働きお金を貯めて、その貯えで2年間絵を描き続ける、って生活だったそう。

そしてこの映画のすごいとこは、この田中一村のを、見せない。映さない。だからこいつが口ばっかりの単なる氣違い頑固画家なのか、それとも本当に天才を持った画家なのか、あるいは絵的にはそこいら、どこにでもいるよなレヴェルの画家に過ぎず、単に奇行だけが突出している変人に過ぎないのか、それが映画を観ただけでは判断できない作りになっていたのぢゃ。うわあ、巧いこと考えたな(笑)。きっと、冷静になって考えたら最後に挙げたパタンだろう、今の今まで田中一村なんて画家、聞いたこともないもん。でも映画を観ている間はまさか絵が、金輪際映らないなんて思いもしないでいるから、どんなつごい絵を描いているのかって期待を維持しつつ観られた訳で、ううむ。上手な演出であったよ。なぁんてことはC2には書けないがなっ。

で、いっこ氣になったのは、1960年の話で「ハンセン病の隔離病棟」って台詞が出てきたこと。いや、当時は、「癩病」っつってたんではないか? 台詞中に「癩」が出るのがそんなにおそがいのならこんな映画撮るのやめろ、といつもながらに思いましたとさっ。

いっくらその頃の車を用意したり、時代的におかしくないアイテムばっかり揃えたセットを設えても、言葉遣い現代の配慮が施されちゃっててはね、冷めるよね。まるで『鉄鼠の檻』を読んでて、いや、ここの{集落}って書かれている用語はこの当時だったら“差別意識なく”{部落}って呼ばれていただろう、ってとこで引っかかった、あれと同じ思いを抱かせられたぞ。なぁんて、これもC2には書けんがなあ(笑)。

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表紙傷みぐわいを吟味し、先に買った方により細かいがついている、そっちの「エビちゃんシアタースペシャル版」の袋綴じを開けることにするっ。どーでもいー本の袋綴じだったら苦もないが、これに関してはチョー慎重になる(笑)。カッタナイフとかはさみ等の刃物類は、切り開きたいラインを逸脱して裂いてしまう恐れがある、それは避けたい。定規とか下敷きは、もしかしたら厚みがあり過ぎて、思いもよらぬ大きな力を異常に加えてしまうやもしれない。熟慮した結果、ごまきのトレカをあてがって開けてみました。

ぺりぺりぺりと、ああ、やってみて判った、開けられるべき紙の折り目にはちゃぁんとガイドとしてミシン目が穿たれている。なんて親切な! そして上記の逡巡がいかに杞憂だったことか!

巻末の袋綴じの中には雑誌に連載されたものとはの「もうひとつのエンディング」ストーリィが展開しているとゆーのだ、楽しみに開いてみると、うあ。当然さ、終いに添い遂げる相手がかあるヴァーヂョンかと予想すんぢゃん。若しくはパッドエンドオマケ企画としてはありかなって思うぢゃん。違ってたんだなー(笑)。

驚いたね、描かれていたのは「たとい細かい状況がかあっても、必ず同じラストを迎える」ってパタンだった。なるほど、どこでどうすれ違って会えなかろうと、どのエピソードが欠落しようと、別の箇所で帳尻が合って、定められたハッピィエンドには必ず行き着くっつーことか。うわあ。なんて、ラヴい!(笑) まるで『銀の三角』を読んでいるかのよーだったよ、とは言い過ぎか(笑)。

 5/12 のみならず、るろーにも読んでないし<なんにも知らないなあ!

しょこたん☆ぶろぐを見てぶっ飛ぶメーポ0時32分にスタートしたコスプレストーリィ3時31分まで、アゴママまでをも巻き込んで全41更新で、ワップされておるではないかっ。うわあうわあ。素敵。エヴァも観てないしFFVIIもやってないしセラムンも知らない。だからコスプレ部分にはいっこもなぢみがない。でも、いいっ(笑)。

いいはいいんだけど一カ所、テキスト部で「イタタタタオナカガニュルットシテオル」が氣になり検索をかけてみましたところ、うあー、かねて「嫌い」を標榜していたあの漫画よりの引用かっ。うーむむ、しょこたんについて行くには好き嫌い、選り好みせずになんでも流行ったもんには貪欲に喰らいつかねばならぬと、そーおっさるのか。せーぜー精進しよう。今回は「DEATH NOTEはホントに効くよ」と「DEATH NOTEは本当に死ぬよ」がヒットしたので満足です。にこにこ。

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『ゆれる』のマスコミ試写。一昨日の『ビッグ・リバー』に引き続きオダジョー主演の映画です。なんとなく浅野忠信化している。役者としての方向性が完全にかむっていると思うけど、が違うからね、浅野忠信がもう演じられなくなった若い役を、オダジョーが受け持つとゆー棲み分けをなさると宜しい、と思います。

ヒロインの真木よう子カワユス! 『サマータイムマシン・ブルース』の時のよーな眼鏡っ娘でもなかったし『ベロニカは死ぬことにした』みたいな乳丸見せシーンもなかったけど、やはりこの娘は“かわよいあやや”だなあと再確認をしました。

タイトルがなかなかインプットできずに、「吊り橋を渡る話」だから「わたる」だったっけかとか間違って覚えたりもしてたけど、最後まで観た上でプレスに書かれている“タイトルの意味”まで読んでどーにか納得し(笑)確定。つーか、そうか、あのオダジョーの状態は「揺れていた」と看做すべきだと、そう決められていたのか。それ以外の解釈を、製作者側が認めないと公言している映画だったのか。そー思うとなんだかちっちぇー話だにゃーと感じるのは僕だけ?(笑)<ちっちぇー言ってやるな。キャストはとんでもなく贅沢だったので観て損はないと思うが。

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『アローン・イン・ザ・ダーク』のマスコミ試写。バイオハザード原点となった「モンスタをシューティングで倒して進む」ゲムーの映画化っつーことで、ラストシーン絵づらが映画の『バイオハザード』のラストと一緒(爆笑)。いや、一緒は駄目だろっ。

 5/13 あいしーるど21って必修科目か?

しょこたん☆ぶろぐで知った、しょこたん☆成分解析」ってのがあるげなだメーポ。やってみる!<やるんだ。
しょこたん☆成分解析によるをかべまさゆきの解析結果
 
をかべまさゆきの67%はピンクでキラキラな世界で出来ています
をかべまさゆきの22%は泥門デビルバッツで出来ています
をかべまさゆきの6%はムーンプリズムパワー!で出来ています
をかべまさゆきの5%はデスノートの切れ端で出来ています

例によってっつーか、昨年の12月よりの読者だからだろー、知らない単語がいーぱいです。ぎりぎりセーフで学んだのは{ムーンプリズムパワー!}だ、これ、昨日のコスプレストーリィ大更新にてセラムンに変身するシーンで出てきた。あれかっ。うう。油断も隙もないとはこのことッ。精進しよう!

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日記の更新が滞りまくっておるのでせーぜー頑張る。ようやく水曜、10日付の「iPodのイアフォンの右耳のカヴァが失えた」話を打つに到って、実はまたももっかいまさにその「iPodのイアフォンの右耳のカヴァ」を再度、ついさっき無くしちゃっていた。自分の心を冷静に、水曜当時の感情を再現しつつ日記を認めることのなんて難儀だったことか(笑)。まるで、作者であるが故にトリック全貌が解っている、にも関わらず氣づいてないふりをしてる様子をいけしゃあしゃあ執筆している小説家の如しではないかっ。あああ、言いたい。もうこの日記を打ってるこの時には、替えはすべて出払っちゃっているんだよとカミングワウトして楽になりたいっ。やっぱき心底、長編のミステリィを書くのには適していないせっかちさんだと自認させられる顛末ではある。

10日に落としたのはほぼ場所が確定している。たぶん試写室の席でだ、とまで判っている。「iPodのイアフォンの右耳のカヴァを捜させてくざさい」と、もっかい戻るのがかっちょう悪いから諦めたのだった。

しかし、今日無くしたのは自宅内、もっと限定できて自室階段かのどっちかにあることは間違いない。そこまで絞り込めた上で、ぢゃが見つけることは実は屋外で落としたよりもむづかしいことも解っている。部屋も階段も、荷物で溢れかえっている。掃除機なんか何年かけていないだろう、ごみわたヴぉこりの量たるや尋常ではない。明かりを点けてもの多さといったらない、黒いちっさなスポンヂなんて、見つけるまでにはどいなけの辛苦があるか、予想もつかない。部屋を掃除して、片付けて、なんてフルマイに及ぶくないだったら、ここでこそ発動したい、「済むんなら」だ。

これでもうイアフォンのカヴァの予備はなくなった。最高に注意を払ってiPodを、特にイアフォンを扱おう。

念のためアップルストワ価格を調べてみると、んあ。6組のパックで1080圓かよっ。なな。なんちゅーか、覚悟してたよりか、安いッ。ああ、だったら、そんなに苦にしなくていいやっ(笑)。今度買い置いておこう。なんだったらカラフルなのを買おう。見事に買ったアカツキには、だだくさに扱いたいと思います。急に態度がかあった人はだれ?

 5/14 つまり長い予告編みたいな位置づけか

地上波で『フィフス・エレメント』がやるとあっては、C2の原稿が真っ最中でも手を止めて観ないと死んでしまうメーポ『アンジェラ』の紹介文を書く参考にするのです。だったらこれも仕事だ、堂々とテレヴィの前に寝転んで鑑賞しよう。

うもう、マッサキに、「かつてエヂプトにモンドシャワン人が来た」シーンがない。うう。カーチェイス中に未来マクドナも映り込まない。そしてなんと、「リールーがヴィデヨでブルース・リー学習する」シーンまでもがカットされていたよ! ギャーーーーーース。ギャーーーーーースは大矢博子さん語彙にもあるけどここではしょこたんの方で。初見の映画をテレヴィで観るすべての者に災いあれ。

 5/15 心臓マッサヂーの際にグーでどこんどこん殴る、『ガッシュ』でやってたシーンがあった!

うわあ、しょこたん一週早く読んでひっくり返っていた(しかしこっちの方が罪深いネタばれだと思うけど、しょこたん☆ぶろぐを訪れる以上はこれくないの危険覚悟しなきゃならないことも知っている)だけのことがあるメーポ映画化を前にして終わったか!>『DEATH NOTE』 潔いなあ。

ジョジョみたいに時代をずらして延々と続ける方向もあろうに。ドラゴンボーユみたいにやめたくてもやめさせてもらえなくてインフレ起こしつつ引き延ばし続けた揚げ句に、しかしクオリティを維持したまま終いまでつっ走る方向もあろうに。まあ、鳥山明月刊ヂャンプにたまに画く読み切りにへっきでスーパーサイヤ人を出してるよーに、短編にてまたリュークと会えるやもしんないし。

つーか考えてみたら、映画だの小説だのに展開する前に原作を完結させるっちゅーのは誠実であり、完成度を護る最大に有効な方法だとは思うよね。よくぞ意志を貫き、ヂャンプ側も許したもんだ。偉いなあ。

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ちょっと早く試写室に着いたのでエイデンに寄って時間を潰そう。デモ用のDSライトがおいてある、ソフトを選んで、そだ、ニンテンドッグスやってみよう♪ お試し版の遊べる時間は5分だそーだ。ちょっと犬を可愛がってみたい。

予期せぬことだったが、開いた画面には3匹の仔犬が、柵に囲われた中に放されている。ちわわミニピンです。え。1匹ぢゃないのっ? いきなし3匹ともが慕って、寄ってくる! うわあ!うわあ!!

ミニピンを撫でてあげる。どこを撫でれば喜ぶのか、実際に犬を飼っていたのに判らない。同じとこばっかし撫でてちゃいけない氣がする。違うとこ触るのだけど、嬉しいのか嫌がりつつも耐えてるのか、区別がつかない。ああ、撫でるのやめよう、お水をあげてみよう。画面に水椀が出現し、3匹が仲良く水を飲んでいる。ドッグフードも3匹仲良くひとつのお椀から食べている。

次はおもちゃで遊んでやろうかな、フリスビィを見せると3匹ともが投げて投げてと大喜びでまとわりついてくる。しかし、フリスビィを投げるコマンドが判らない。足元にぼとっと落とすだけ。それを柴犬がくわえて、一旦遠くの方へ走って行っちゃう。向こうの方で振り返り、たぶんそこまで投げて欲しかったんだろう、ようやくまた戻ってくる。何回やっても投げ方は不明だ。取りに走りたいだろうなと思うと犬に申し訳がない。別ので遊ぼう。

引っ張りっこをするを出すと、3匹が大喜びでじゃれついてくる。でも、柴が、体がひとまーり大きいのだ、だいたい綱の先をくわえるのは柴だ。吊り下げて、ぶん回したりしてやる。柴が喜んで引きずりまあされてる画面の向こうの方を見ると、あとの2匹が遠くで、2匹だけで遊んでいる。これが、とても、居たたまれない。うわー。うわー。犬はとってもかわよいけれど、5分が苦痛でした。終わってくれてほっとした。いやーな氣分でゲムーを置いた。

自分以外構ってやれる者がいないのに、どうして残った2匹は、遊びたかろうに遊んでもらえず、それに耐えなきゃなんないんだろう。凄く悲しい。凄く欲しくなったけどこれを買ったら身の破滅だとゆー自分の性格も解った。犬は駄目だ、おもちゃの犬でも駄目だ。可愛すぎるしかわいそ過ぎる。

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『母たちの村』のマスコミ試写。アフリカのある村が、イスラム教の教えに則り女子割礼を強いる男連中と、命の危険があるからとそれを拒む女たちに分かれて対立する話でした。面白かった。

とゆーのも、は女たちの言い分が通っている。男たちはあまりに封建主義男尊女卑強権的だ、アカラサマに間違っている。でもしかし、それは宗教の上に構築された論なので、揺るぎないことも解っている。戦争の火種になったりそのためなら人を殺しても認められるってのが宗教だ、説得正論も通じるとはとても思えない。ってことはさ、この映画のラストはどーやって終わるの? どうなったら話がまとまるの? まったく読めない。そしてまさに、問題が解決する直前まで、まさかこーしてこれで終わるとは、思いもしなかったのだ。いやあ、本当につごい。

書いちゃうけどさ、女子の割礼に反対するリーダ格の女が、長老たちをはぢめ男どもがみんな集まってる前で演説をする。村長だか長老だかがそのリーダの女性を罵る、「悪魔め!」。たら、その女が両手を上に挙げて「悪魔だ悪魔だ、わーい。悪魔だーい。わーいわーい」と小躍りしながら女性たちが集まってるとこに戻る。女たちは一緒になって「わーい、悪魔だ悪魔だーい」と大騒ぎをはぢめる。男たちは困惑し、ただただそれを見ているばかり。お終い。

っっっっっておいっ!!!!(爆笑) いいのか、それでっ(笑)。どーだ、読めないだろう。わはは。イスラム文化の女子の割礼なんてゆー超絶思想に対抗できるのは、予想もつかない突飛なフルマイに及んで何もかもうやむやにしてしまう超絶風習しかない、という提案なのか、これ。説得できない相手に解ってもらおうと望んでも無駄だ、そしてこっちも聞く耳を持ってやる必要はない、つってんのか。なんか、共感できゆテーマだなあ(笑)。

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『ホワイト・プラネット』のマスコミ試写。『皇帝ペンギン』ヒットに氣をよくした、訳でもあるまい、ロケにはもっと前から出掛けていようものね。今回のは北極に棲まう動物たちを撮ったドキュメンタリィです。新鮮味がないね(笑)。

『WATARIDORI』の見たこともないカメラアングル『ディープ・ブルー』《04》のはぢめて見る生き物、『皇帝ペンギン』の巧みな構成、のいずれもない。ただ場所を移して新しいのを撮ったから出すか、って程度の意識で作ったとしか思えないフツーさ、なにも訴えてなさだ。これだったらまだしも、考えすぎて凝りすぎて捻りすぎた揚げ句いっこも面白くなかった『グレート・ビギン』の方が“考えた”とゆー点で、偉い。やれやれ。おなぢパタンで映画を作っておきながらだんだんレヴェルを落としてどーする。

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ミスタドポン・デものを3つ喰って時間を潰し、『M:i:III』の完成披露試写へ。何が困るって、このタイトル新聞の本文で紹介しづらくていかん。こないだ「映画颱風」で『DOOM/ドゥーム』を採りわげた時『M:I-2』に言及したんだけど、これを縦書きにした場合にどんな見た感じ何文字かかるのか、確かめる氣にもならなかったので最初っから勝負を降りて、『ミッション・インポッシブル2』って書いたもの。字数に細かいことを言う僕みたいなライタのためにも、仮にも日本で公開する映画にはオフィシャルの、縦打ちにした際の表記を確定、公表して頂けたらと望むよ。

おあってから福岡美ら風でごわん。前回同様ホットペッパークーポンをもってない、正規の料金で呑み喰いしてをした氣分になりますが、まあ氣にすまい。日記には書き続けるがな。氣にすまい。


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