◆超《を》級HG漫画缶累々々々々々々々◆ 〈97/1/11〜4/26〉

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(1997.1.11)

 名古屋のテレヴィ局って、地方だからって侮れないの。昔、テレヴィでやってた『快獣ブースカ』って、最終回で「20年後に戻ってくる」とか言って終わったそうなのだ。その時分の視聴者がおっきくなって作り手側にまあって、ホントに20年後にブースカを、中京テレビの『ラジオDEごめん』のオープニングで復活させたってことがあったのだ以前も。

 ずーとずーと小さい頃若い頃、佳い創作をインプリントされ永く永くココロに持ち続け、自分がプロデューサーになった際に自作の中で新たに命を吹き込む。その選択のセンスの良いPってゆーのが、いるんだな名古屋にな。『小松崎茂ワールド』とゆうCD-ROM』のパソコンソフトが出た。少年誌がまだ漫画一色でなかった時代に、“絵物語”ってゆうヂャンルで活躍した小松崎の、リアルな戦争画満載の作品集ですこれ。でもね、現在の小松崎の作品はCBCテレビの『クリフ』のポスターで見ることが出来るの。名古屋の子は幸せ者ぢゃ。


(1997.1.18)

 なぜ五代は響子さんをひとめ見ただけで“あそこまで持続する好き”になったのか。むつかしいっしょ。

 創作の、永遠のテーマが恋愛だよってゆーのは解ってんだ。んだが、人の心の移ろいとかを描くのはトテモむづかしいの。をかべには恋愛モノなんか画けない所以ですね。

 「恋愛なら誰だって興味ある」から、多くの作家が描き世に恋愛作品があまた存在することになる。でもやっぱ、どれも現実ぢゃーないんだよなぁ。そこに享受者は理想を見、夢として遊ぶのがフツーです。が、そーゆー“尤もらしいけど創り物”ってゆうのをついつい見透かしちゃうが故に、心からは愉しめない人っています。“猿岩石”とか“一杯のかけそば”の時にキチンと演出を見て取れている人です。あとから「裏切られた」とか筋違いなクレームをつけない代わりに、どっぷり浸かれなかったりすんの。この手の人にはいっそ、端っから創り話だよって明らかな『モテモテ王国』本日発売の方が宜しいかと。


(1997.1.25)

 2巻が出るよー。1月27日に2巻が出るよー。会員の方は更新をお忘れなく! 以上、ちんこくらぶ総支配人フラン県にんにく城ドラ子に成り代わりまして、会員番号85番のをかべまさゆきからの業務連絡でした!つーことで、朝倉世界一『フラン県こわい城』の新刊がやっとこ出るの。1巻で募集したちんこくらぶの会員期限がこれで切れるのですね。ウム。でも更新とか、あるんかなあぁ。いま朝倉世界一って次の連載やってるものアクションで。で、その『おつりは』が…。

 ギャグ漫画は進化する。永遠に、恒久的に面白いってゆーギャグ漫画のヂャンルも、あるこたある。すけべい4コマとかね。でも漫画読みのためのギャグ漫画、今までのギャグに飽きたらない読者のためのギャグ漫画ってゆうのは手を替え品を替えズンズン進化してゆく。その揚句、到達したのが“漫画”のシステムまでをも弄るギャグだった。が、さらにその次の境地として朝倉が進んだのが“ほのぼの系ごっこ”だとは。


(1997.2.1)

 漫画ばっか読んでないで、字ばっかの本も読もう! 講談社ノベルスの先月の新刊、森博嗣著『詩的私的ジャック』なんていかがか。

 小説といえば、山田詠美にハマって片っ端に読んでた時期があんの。で、あとから知って驚いた事には、山田詠美ってその昔“山田双葉”つーペンネームで漫画家をしてござったげなだと! ひー。山田双葉つったらあなた、20歳の頃のをかべが、だっっ嫌いだった漫画家さんですがね。スマートとはとても言えない絵柄で、露骨に下品な(と当時は思っていた)性表現を描くってゆう作風がホント嫌いで。でも振り返って見てみると山田双葉の漫画世界は確かに山田詠美の小説世界と、一致してるんだなぁ。絵を介さない創作でやっと、をかべは山田双葉を受け容れられたんですわ。

 さて。森博嗣にも漫画作家の過去がある。森むくのペンネームで同人誌上にて漫画を発表していた頃からレトリックには長けておらっせた。今、ミステリ小説で再会できるとは!


(1997.2.8)

 をかべの漫画論の講義を受けたお嬢ちゃん方なら「日本漫画史」のとこで習ったことですが、わが国最古の創刊にして今なお発行され続けている週刊漫画雑誌ってゆうのは実業之日本社の漫画サンデーでございましゅ。こないだ通巻2000号ってゆうのを出してた。すごいね。40年分だぜ。月刊誌のホトトギスが昨年末に一二〇〇号に達してたけど、それとおんなしぐらいっつーか、その百分の四十くらいすごいよねっ。キャリヤは長い。ほんと。でも、しかし何故にこの雑誌はマイナーのスタンスを脱しえないのか。きっときっと、会社があんまり漫画業務に力入れてないのと違うかなあ。こんなこと書いていいのか。

 だって理由その1.漫画雑誌出してる出版社で忘年会を催さないのなんかここだけだー!てゆうのを聞いたことがあるますをかべは。理由その2.出せば売れるだろう、ドル箱になりそーな連載漫画の単行本を、出さない出さない。どーして『にくげなるちご』を!ぶんか社にやるかな。


(1997.2.15)

 96年の漫画界を象徴するキーワードは“喪失”であった。←昨年3月30日分の本コラム参照。さて。今年ももー既に一月半経ち、総括に入る時期がきたようぢゃ。漫画界を取り巻く状況は、去年以上にシビヤーになっている。97年の漫画界を象徴するキーワードは“消失”なの。

 COMICアレ!とかまんがガウディが潰れるってゆうのは、ま、見えていたことだった。漫画家に優しい雑誌が必ずしも、マーケットを読む力を持ってるとは限らないってだけの話だもの。好きなように画かせてくれる雑誌を守れないのは漫画家の努力不足、ってゆうしりあがり寿の論もそりゃー正しいけどもさ。でもこの二誌に関しては「よくここまで続いた」って誉めてやるよ。それよりもだわ!

 前に出た号に、ちゃんと次号予告が載ってて、発売日に本屋に行って並んでないなーと思って訊いてみたら!潰れてるってゆー!! そんな終わり方があるかーい!! あゝ少年キャプテンよ、君を泣く。とほほ合掌。


(1997.2.22)

 紙媒体のメディアって強い。創作とゆう行為自体が永遠の強さを持っているってゆうのか、いつまでもいつまでも活き続けるの。

 1月28日に発売になった、国民的歌手と国民的俳優と国民的漫画家の切手の売れぐわいで確信しましたね、あたしゃ。他のふたりのどちらよりも、ものすげいいきよいで国民的漫画家の切手はすいに売り切れたのだ。

 歌手も俳優も、本人が作品である。後世の他者によるアレンヂメントなんかが加わる余地ってェ、あんましない。二次元ものだとさいが作品の複製だの発展形だのが創り出し続けられうる。どんどん年若いファンを獲得するってのがより可能な訳なのでしょう。

 ただ、娯楽が多様化し嗜好も細分化している今の状況下では、“国民的”と冠の付くスターや作品の出現って困難になっていゆ。ホントーは「いつまでも手塚でもなかろう」って言いたい。でも切手になってなお万人に支持されてる様を見ちゃうと、その偉大さは認めざるをえんねぇ。


(1997.3.1)

 FFやってるー? をかべもトーゼンやってるぅ。ほほほほ。但し、皆さんが今しているであろー7ではなくってー、FF5なの。5年前に出た。とほほ。だってェ〈1〉プレステ持ってにゃい〈2〉2年ぐらい前に買ったけどやらずに持ってたFF5が発見されたからなの。こぉんなにゲーム好きなをかべでも、最新の売れ線ゲームをスグサマする!ってー訳ぢゃあないのだったよ。

 漫画界でも同じよなことは観察される。あの、超メジャー漫画『スラムダンク』を、漫画マニアの大月隆寛もいしかわじゅんも、オタキングの岡田斗司夫ですら!NHKのBSの番組で論じなきゃいけないってゆう必要性に迫られるまで読んでなかったとゆうのだ。ひー。評論家が常にすべての漫画を読んでいる、売れている漫画はちゃんと押さえているってゆうことはない!のね。読めば面白いんだろうなぁって判っちゃいても、ぢゃあ読む?ってゆうと違うんだよなー。実は、をかべもスラダン読んでないのでふよ。


(1997.3.8)

 おもしろい漫画もつまんない漫画も、売れる漫画がいい漫画なんだろうねぇ。商業漫画である以上はね。今回はマーケティングの話ですの。

 をかべはね、自分の漫画は売れなくていいの。「解んない奴は解んなくってイイや」ってゆう態度なのな。いいいいいかんがやっ。いいんだけどね。所謂“ゲーヂツ”家肌ってのだわ。だから今まで、連載漫画を持っていた時分だってだたの一回も、アンケート(という名の人気投票)の結果を訊いたことないのぢゃ。普通の先生方は気にするみたいだけど。

 “売れる”かどうか判断すんのって編集者の仕事だろうってゆうのがをかべの考え方な訳ですな。ホントはでもね、商業漫画家だったら自分を知るって意味で考えた方がいいんだろけどね。「永久に画けっこないFF7のレヴェルを夢見てないで、たまごっちを造ったって売れるんだから、まだしもその出来そうな方向を狙った方が…」っつーミキワメはそれはそれで大事。でしょ?


(1997.3.15)

 このコラムを書くためだけに!はぢめてCOMIC CUEを買いました。江口寿史責任編集ってゆうアノ、年に一回発行される雑誌です。江口のネームヴァリューで売ろうっつー魂胆がヤなので、これまで読んでなかったにょな。案の定!って奴でしたが。

 江口が、いま現在気に入っている漫画家に作品画かせて載せるってゆうのが編集方針でふ。ここで問題点がふたつ。贔屓の引き倒しってゆうか、好きな作家が今回画いてきた作品=おもしろい作品とは限らない、その点の「商業的に耐えうるか」まで含めた冷静な判断が(商業誌のプロの編集者ではない江口に)出来るか。さらに、では今回ツマラナイ作品を画いてきてしまった“好きな作家”に、果たして編集長である以前に漫画家である江口は画き直しを命じることが出来るのか。つまり商業的にペイするか否かを判断できますかっつーことなんですが、これが出来なきゃあなた、同人誌ですよね♡ 随分とレヴェルの高い同人誌ですこと!!


(1997.3.22)

 ササエボンがいろいろ言われてますが、チョサッケンて確かに護って頂きたい。で、大御所さんらーがうるさくうるさくゆってくだれるのは有り難い事ですのな。「後進のためにも」ってゆう態度はまっこと正しいですの。これに関して世界一やかましーのは、皆さんよぉぉくごぞんぢのデズニーですね。をかべのお友達で、レゲエシンガーのマチャコさんの実家は岡崎でお好み焼き屋さんしてるんだけど、ミッキーハウスってゆう名前でデズニーさんに怒られたってゆうし。

 日本でこれにうるさい御三家ってゆうのは、サザエさんとドラえもんさんと鬼太郎さんってゆう話です。いづれも作者の先生はけっこー寛大なんだそうですけど、なにぶんマーケットがでっかいもんで版権に関してはプロダクションさんがキチンと目を光らしているげなですわ。

 さて。それにつけても漫サン3月11日号の『ゲゲゲの鬼太郎』は下品で下品で♡よかったー。水木しげるって、今また旬を迎えている模様。


(1997.3.29)

 漫画好きな人の多くが、新聞漫画に一切の期待をしていないとゆうのは当然のことです。面白い訳がないもの。なんでかってゆうと、新聞の漫画は新聞の講読層を読者として想定しなきゃなんないからなの。漫画に普段触れたこともないような人々にも、呼んで面白がって頂かにゃいけません。漫画を目的として新聞を講読するのではない人から、少なくともクレームがつけられないようなものを提供しなければならない。そのためには、エキセントリックな作品・アグレッシヴな表現は避けられるってゆうんおも当然考えられることでしょう。裾野を広げる事が新聞漫画の必要条件なのです。そんだもんで、コアな漫画にどっぷり親しんでいる漫画マニアには物足りなかろって思われる辺りで勝負せなならんのですのよ。

 そんな、全方位玉虫色漫画を要求される新聞漫画に於いて、それでも良質の作品もごくまれに発表されたしりますし、引く手アマタの作家さんもいます。いしいひさいちとかね。


(1997.4.5)

 いしいひさいちのすげいトコは、日刊新聞二紙に於いて漫画の連載を持っているってことです。中日新聞紙上で名前を挙げるのは憚られますが挙げると、朝日新聞の朝刊と夕刊フジです。ちゃんと作風、つーか描く内容を画き分けておられますの。朝日では家族で読めますほのぼのファミリー漫画、夕刊フジでは社会時事ネタ、てゆうぐわいにヂャンル決めている模様。

 もちよん新聞以外にも4コマの連載をいーぱいやっているんだから、これはモノすげい状況ッスよね。発表する作品のすべてが超高度、ってゆうのはだからあんまき期待はしませんの。たまーにスマッシュヒットが見られればラッキってゆう。でも、こいなけ作品数そして発表の場が多い“売れっ子”になると際が、やれることの自由度が高くなるってゆうのはイイやねー。こないだなんか、バリアフリーってゆうのか、夕刊フジに画いた4コマの続きを、週刊文春96年11月14日号の『のんき大国』で画いたりしてたぞっ。


(1997.4.12)

 お手元の少年サンデーをご覧下さい。『犬夜叉』のヒロインかごめは、ルーズソックスを履いていますか? 連載開始時、すなーち昨年の秋ってばもー完璧にルーズソックスのブームまっただ中だったですね。

 漫画って割と世相とか流行とか、よく反映したりする。今このご時世に『鉄腕アトム』の「地上最大のロボットの巻」読んでも、ウランがプルートウにワッペンを貼ってあげるシーンなんかナニゴトもなく読み進めてしまうけど、実は当時、子供らーの間でワッペンがブームだった、らしい。なんで知ったかってゆうと、藤子不二雄『わかとの』に、競ってワッペンを収集するってゆう話があるから。すべての情報源が漫画かーい。うんそう。

 永遠に読み継がれてゆく漫画作品にも、やっぱり執筆当時ならではのファクターが含まれちゃうってことよ。犬夜叉が今後、5年とか続いてもきっと漫画内時間軸でそんなに時が経ってないぞっ。でもかごめはもうルーズソックス履いてないだろね。


(1997.4.19)

 本の雑誌3月号の三角窓口で椎名誠が「三十六歳は若者とは言わん、絶対に言わん、とオレは思うぞ」って書いているのでちょびっとショックなをかべ現在36歳と一カ月と二日。若者ではなくっても、まだ中年ではないと思うのぢゃがいかがか。「日本の社会って未成熟だから“若い”とゆうこと自体が価値を持つ」とか香山リカが分析しそうだけど、未熟だの発展途上だのに惹かれるって嗜好は昔っからよく見られる。“カワイーもの好き”ってコレです。で、対象が少女、だった場合が所謂ロリコンって奴だね。

 漫画界の一部に細々と、しかし固定ファンを獲得して生き延びているロリコン漫画ってゆうヂャンルが、最初にブレイクしたのはもー15年ほども前のことだ。その当時から“幼さ”を具現化するアイテムとして画かれていたのが、チビ猫も履いてた“ずり落ちた靴下のたるみ”だ。

 ルーズソックスの出現はだから、漫画に描かれた夢や理想に、やっと現実が追いついてきたってことぢゃ。


(1997.4.26)

 ルーズソックスの許されるべき点は、本人が自由意志で履いているってとこです。強制されて履くのではなく、自ら選択して幼稚さをアピールしてるんだから、よいでしょ別にさぁ。これは幼稚さが快につながる社会故に起きている流行であって、つまりみんな自分を表現するにあたりココチヨイってーのを演出している訳だの。カワイー自分を提示すれば、見るみんなもイイ気持ちになるでしょっ=自己中な基準による嗜好の判断ではあろーけど、なにも周りの人をヤな気分にさせよーとしてるのぢゃないのだ。

 ココチヨイを第一義とする快楽至上主義ってゆうのは、けものとして人間を捉えたバヤイすげい判り易い方向ですにぇ。ここに文化的な円熟さとかが加味されると、よーやっと“不快”を敢えて愉しむってゆうヒネクレタ趣味だの嗜好だのが育ってくると思うよ。ほいだもんできっと恐らく、わざとキモ悪な作風の作品を発表する根本敬だのを理解&享受するにはオトナでなくちゃ無理なの。


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