◆超《を》級HG漫画缶累々々々々々々々々◆ 〈97/5/2〜8/30〉

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(1997.5.2)

 超《を》級HG漫画缶マニアの方はお気づきかもしれません。3月頃からこっち、同一テーマについて何回か続けて論じるってゆうのをしてたのですの。先週まで三回に亘って「ルーズソックス」でしたし、その前二回は「新聞漫画」だったよっ。とかね。

 “オール新作 ぜんぶ読み切り”ってゆうのを謳った月刊少女漫画雑誌とかありました。今もあるかもしれんけど。雑誌一冊、すべて“前話を読んでいないと解らない連載漫画”で占められている月刊誌とかが存在したらば、こりゃー新規の読者さんをゲットするのが困難そうだねぇ。読む側としても、一話読み切り形式の漫画の方が入り込み易く読み捨て易い、すなーちパッセンヂャー読者には有り難い漫画とゆう事も云えよう。ほいでもだわ。こいなけメリットとかがあるとはいえ、描く側からすると“連載漫画で各話読み切り”ってちょっと大変。『GS美神 極楽大作戦!!』なんかここんとこ長いシリーズが普通になっておりますの。


(1997.5.10)

 「読み切り」をテーマにお送りする第二回です。ひー。

 ストーリー漫画に“読み切り”連載であれ、っちゅーのはちょっと酷ね。物語を表現するに必要な尺ってゆうのもあるし。雑誌を発行する側にしても、“次の展開が楽しみ”な連載漫画で常連の読者を掴んどけって戦略だってあろうし。

 で、ギャグですの。前も後ろも知らなくってもすぐ面白いってゆうのが読み切り連載ギャグの売りの一つですね。んでさらには、読み切りで連載している事実を逆手にとって、一回一回それまでの話をご破算にしつつ新たな世界を構築してゆくってのも可能だったりすんだなーなんせギャグだから。古くは、前の週では化学者だったデカパンが今週は富豪の役を演じるとゆー『おそ松くん』とか。毎週死ぬけど必ず翌週はナニゴトも無かったかのよにピンピン生きてほかの話をしている『モモ王』だの『えの素』だのとかねー。醍醐味ですのね♡

 次回も、テーマは「読み切り」だよっ。ひー。


(1997.5.17)

 ガロで連載しているバキトマド漫画家キクチヒロノリが、いまキている。作品内のセリフを遣ってゆうと「こわれかたにいきおいある」の。ちょっと次の展開が楽しみ。

 月刊漫画ガロは、掲載漫画の大部分が読み切り漫画とゆう珍しい雑誌ですのだ。シリーズ物はあるの。松井雪子の『マヨネーズ姫』のシリーズとか、4コマ連作の形式を採ってるQBB『中学生日記』とかね。そんなガロですが、ごくたまーに続きモノも載ります。今年に入ってからでは、古屋兎丸の『エミちゃん』がそれ。でもまれ。

 ガロとゆー雑誌には(マイナーメジャー系ってみんなそんな感じだけど)読み切り漫画がそぐうイメージがある。作り手側は「“長期連載の一作品”に頼ったりしないぞっ」、読み手側は「いつでも離脱できるけど見捨てない(つもり)」って、言いそうでしょ。イカニモ。

 で、油断してたんだなー。まさかあのキクチの読み切り漫画が、実は続きモノだったとは! 参ったの。


(1997.5.24)

 今、完全なる絵空事を読み切りで画いて、導入からスグサマ読者をぐいぐい引き込むことの達者な漫画家の二大巨頭♡てったら藤田和日郎と岩明均でございます。

 漫画家にとって、持ち合わせてた方がイイねってゆう能力って、いーぱいある。画力&お話をつくる能力は云わずモガナー! キャラクターの演技指導はしなならん。セリフの言い回しは考えたらなかん。舞台設定そしてそれに見合った背景大道具小道具衣裳バヤイによってはクリーチャーズ等々のデザインもして、さて絵を画くにあたりカメラアングルすなーち構図決めてーのカット割りしーの、その配分つまりタイムキーパーもやりーのってゆう。だから読み切り短編を構築するってことは、独りで映画を一本作るよなモノだの。スゴイでせう!!

 で、97年の読み切り短編漫画ベスト1は藤田和日郎の『空に羽が…』です。決定。異世界をテッテテキに表現する為に、“怪我の仕方”までも考え創り出すたー!オソレいった。


(1997.5.31)

 「在る」ことの証明は「ない」ことを証明するより簡単なの。在るモノを持ってきて提示すりゃいんだもん。ま、をかべの部屋に在る、必ず存在する吾妻ひでおの『狂乱星雲記』が実際に在ることを証明するてーのはソレがないことを証明するのと同じくらいむづかしーけどね。在るの。在るけどでもお部屋が散らかっててぇ、ないことが証明できるぐらい見っつかれせんでかんわてー。

 さておき、絵にして表す時も同じ。在るモノを描くよりも遥かに、ないモノを表現するのはむちゅかちいよぅ。「なくなった」ってゆう表現はいいの。ただしふたコマあった方が楽ですが。ひとコマ若しくはイラストで「アレがないよってゆう状況」を描くってあなた、至難の技ですのだ。昭和30年代の漫画だったらば輪郭を点々で画いて“透明”の表現としてたけどさっ。

 しかーし!今や「光の屈折率が違うものがそこに在る」ってゆう絵がCGのお蔭で画けるようになったのぢゃ。トニーたけざきなんか凄いね。


(1997.6.7)

 あの、『地獄甲子園』が完結した月刊少年ジャンプオリジナル6月増刊号に茶留たかふみが漫画を画いているドリームメイカーズ列伝の新作『モスバーガーを創った男たち〈前編〉』が載ったの。

 その1.なんか、ジャンプオリジナルこの号で一回み〜んなご破算にして次の号から新たなのを興す、って香りがぷんぷんしますの。ほかの漫画はすべて、最後のページに“おわり”か“完”って書いてあるし。“つづく”になってるのは『モス男』(こんな略し方していいのかっ)だけですが、気になるコトには、次号予告に『モス男〈後編〉』がないことでしゅ。漫画のラストの柱には「待て後編!!」て煽ってあるのにね。いったいいる載るのだー。「モスバーガー成功は語るまでもなし!!」つってこんで完結か!? 『地獄甲子園』に倣って。

 その2.この『モス男』掲載号の発売日は5月23日でした。翌24日に、主人公の実在のモデル、モスの会長の櫻田慧氏が亡くなったの。感無量。


(1997.6.14)

 森博嗣『詩私ジャ』発表以来初の名大祭が、明日までやってる。ミステリファンは行くとよいよい。をかべもすっげー久しぶいに漫研の展示会でも観にいこかしゃん。…てゆーぐらい、大学漫研って卒業しちゃうとカンケーなくなるの。でもでもこれは名古屋での話でして。東京は違うぞっ!らしいぞっ。

 同じめーだいでも明大漫研つーと、こりゃステイタスだしさぁ。

 『ヨリが跳ぶ』のヒラマツ・ミノルは大学生をアシスタントに使ってて、卒業シーズンは補充のため大学に赴くとゆーし。

 ナニヨリ、多くの才能がそっから巣立ってってるってのはそれだけでOB会モヨォす&先輩に逢いたいざんす欲求度が高められるよねぇ。早稲田大学漫研のOB会のお誘いDMなんてあなた、堀井憲一郎だぜっ。ホリイの書き下ろしの、エッセィのあの文体のまんまのんが、早大漫研に在籍してたってだけでウチに送られてくるそう。ううう羨ましーことこの上なし。

 いいなぁ東京。


(1997.6.21)

 東京って、ちょっとエー気になってるとこある。

 発行される漫画雑誌の大部分は東京で捌ける、という事実は認める。出版社も東京に集中し、漫画家さんたーも、だから東京に集まっているつーのも大層合理的なんでせうね。東京とゆう、巨大にしてしかし1ローカルにすぎないエリヤが中心となって、漫画文化は創られ築かれ発達してきた。我々、ほかの地域の読者が存在するという事実を、作家も編集者も、認識はしていようと、身をもって肌で感じるってーのはしてないだろうし出来ないのも道理なんだろね。

 然るによって、東京地区でしか常識ぢゃないことが、漫画の中に於いてはヘーキで一般常識、すべての日本国民・漫画読み手が知っててトーゼンとして描かれるつーことが起こるんだなー。例1.名古屋では見たこともなかった、新発売当時のカップヌードルを教えてくれたのは『レッツラ・ゴン』でした。最新情報を与えてくれて有難う♪ 例2.は次回。


(1997.6.28)

 夏といえばせみ!

 昔ちいさい頃って、アブラゼミの天下だった。よく抜け殻を拾ってきてはフライパンで煎って胃の薬とか言って食べたものでした。あと、ニイニイゼミね。七三か八二ぐらいの比率でこのおふたかただったよ。クマゼミなんかレアでレアで。ここまでクマゼミが伸してくるとは。隔世の感って、こーゆーのを言うのか。

 漫画でせみが鳴くと必ず「ミーンミーン」なのは、「ヂー」よりか明らかに蝉っぽいからなんだろうな、漫画とゆー、イメィヂが重視されるメディアに於ける表現って、こおゆう判断基準で決定づけられてくモノなんだー、て認識していましたね、だから。

 違う。とゆうのに気づいたのは22の夏に同人誌グランプリの授賞式のために上京して、小学館に行った際なの。お茶の水とか水道橋とか、あの辺の駅で電車を降りたら!んもーせみがみんなミンミン!

 こんな環境に住んでる漫画家が作品にミンミン書くのは、当然だわな。


(1997.7.5)

 ホントに、最近テレヴィ観ない人になっちゃったよ。いま唯一、毎週楽しみにしている番組って、『今日のだいちゃん』だもの。ヤングサンデーの。って漫画ですがね。

 お手軽なメディアってゆうことでテレヴィは現在なお一番多くの人々の共通の情報源として機能している。ので、漫画にテレヴィネタが摂り入れられるのも道理。読み手も画き手も観てるんだからとっつき易かろう。とっつき易いのが一番。テレヴィプログラムの中でもとっつき易さが群を抜いているってやー、コマーシャルですねっ。

 てな訳で、その時愉しければそれ好しとゆうスタンスで描かれる、主にギャグ漫画にてテレヴィコマーシャルネタがお目見えするってーのは昔っから観察された現象ですの。つまり、のちの世代に読まれるなんてーことを一切考えないで、その場の流行りでコマーシャルネタとかを摂り込んだ漫画には、当時のナマの世相が反映されちゃってもいるのだ。『美季とアップルパイ』とかさ。


(1997.7.12)

 漫画の中にどんな情報が入っているかってゆうと、いろいろ入っている。商業漫画に於いては、例えば巧みに(巧みかどーかの判断は後世に委ねよう。なんちて)コマーシャルを組み込む、てゆうことがなされたことがあった事実ををかべは知っているのでここにご披露する次第なの。

 コマーシャル漫画ってのならばトテモ判り易いデスイズねー。美子ちゃんとか結婚相談所とか増毛系とかッスねー。そでなくて。お子様が読む漫画の中に、それとな〜く商品を登場させちゃうって遣り口が、あんだなー。

 ひすゎしの『忍者ボーイ とんとん飛丸』って漫画は、主人公の忍者の少年が森永のチョコレートを食べると元気が復活するって設定でした。どどどどこが「それとな〜く」やねんっ! 当時、アシスタントで行ってたをかべは、“その子のジャスト”のコマの下に「アレよりおいしい」って書いて書いてってねだったものだったよ。←河合その子がそーゆー宣伝をしていたのね。ほほほ。


(1997.7.19)

 『バタアシ金魚』のヒロインがソノコくんってゆう名前なのは、これは当時一世を風靡したしたおニャン子▽で現後藤次利夫人(イヤ〜ン)河合その子から採っていた、のかもしんない。ま、時期的に夕ニャンスタート4月、『バタ金』スタート5月だから、もしホントーに関係あるんなら、こりゃスゲイ先見の明ってコトになるが。

 で、今回は漫画の登場人物のネーミングをどっから採るかってゆうおハナシなの。名前の付け処で、執筆当時の流行りだの作者の趣味嗜好だのが解っちゃう、こともあんのぢゃ。

 『帯ギュ』の保奈美は、河合克敏が、ブレイクする前からの鈴木保奈美のファンだったから保奈美。豊臣くんの彼女の早見明菜は、オソラクまんま連載開始時の片山まさゆきのアイドル、なんだろと思われるし。

 さて。「伊福部あき子」という名前のキャラクターが偶然(笑)にも『BE FREE!』と『県立地球防衛軍』とに出てくんだが。さァ! もとネタは何でしょう!?


(1997.7.26)

 上質の創作ってクリエイタにとっていっちばんのロイヤルゼリーですね。インスパイヤされるの。自然物とか史実とかから作品を捻り出すってゆう、高度な感受性が必要とされるルートも(オリジナリティーってゆうこと考慮すると)大層必要な栄養補給法ではあるけど、人様の拵えたハイレヴェルな創作からは、喰ってすぐにやる気「ストーリーテリングっていいなぁ」「俺も描かなかんがてー」等を生むエネルギィを得ることが出来ゆの。

 だから、上質な刺激の豊富な環境下に生きる創作者は、さらにより高みへとステップアップし易い状態にあると云えよう。“佳い”創作ってゆうのは仮令ヂャンルが違えども、クリエイタをより(愉しませつつ)高度へと押し遣るものなのね。

 で、ゴジラにハマる漫画家がぎょうさんおる訳だ。佳いゴジラ映画はやっぱ佳いもの。つーか、佳かったもの。←過去形。永野のりこも、誕生日が「円谷英二監督といっしょ」だから「もう無敵!!」だそうだし。


(1997.8.2)

 “ゴジラコミックアンソロジィ”みたいなのが出版された時に、そのうちの一作品を画いた安永航一郎は「しまったあぁぁ! ごぢらの指を5本で描いてしまったー! 他の作家さんたちはみんなちゃんと4本にしているのにいーっ!」と悔やむまいことか。悔やんだのね。でした。

 好きこそものの、やっぱみなさん一家言あるのだ。ゴジラに就いては。

 そこで『ゆうきまさみのはてしない物語』(角川書店)を是非読んでみてくざさいな。“実在の生物として解釈した”ゴジラの話、とかが載っているの。

 そしてのみならず、月刊ニュータイプに今なお連載中でもあるこのコミックエッセイでは、漫画家ゆうきまさみの目から見た多種多様な社会現象に対する批評が「正しい」考察の下に展開されてもいるのだ。つごいよね。漫画家なのに漫画家のくせに、善く問題を認識し論理的思考に基づいた「的確な」判断をし提示しうる、のは小林よしのりだけぢゃないんだって事を思い知って頂きたい。


(1997.8.9)

 もののけ姫を観てきたんぢゃ。ナニが一番好かったかって、本編上映前にやってたハリウッド製ゴジラの映画の予告編でした。造形がね、んもー♡ 着ぐるみの怪獣だーないんだなー。うひーッかっちょいーッ。おなぢく予告をやってたモスラ(もちよん和製)よ恥じよ。「あんな恐竜然としてるゴヂラなんか僕たちのゴヂラぢゃないやっっ」とおっさる方もおられても可。が! あれはね、あのゴヂラは、ジュラシック・パークとかロスト・ワールドに出演なさってる恐竜さんが、ゴヂラを演じているの。ね?

 手塚の漫画作品でよくある手法ってーヤツでさぁ。アセチレンランプとか、ヒゲオヤジですらいろんな作品にいろんな役柄で登場しているでしょっ。あと、とり・みき描く処の“吉田さん”とか。キャラを俳優として扱ってる訳っす。を踏まえて。

 片山まさゆきは“めろん畑桃実”とゆう女優がいたくお気にーりのご様子。『ミリオンシャンテン さだめだ!』にも抜擢しているのだった。


(1997.8.16)

 雄弁は銀か!? てことは百五歳なのかっ!! おめめとーおめめとー。雄弁なおもて往生を遂ぐ! 何をか況や親にお謝り!とお言い!!

 をかべは口下手だから(キャー)アレだけど、“文章が達者”って漫画家にとっては有していた方が好いスキルぢゃ。漫画とゆう表現に於いては、文字は絵と同等程度の比重を持って扱われ、うる。ならば、雄弁たりえた方が有利でしょ?

 “屁理屈を武器に敵を負かすキャラ”を描かせたら日本一二なのは、安永航一郎であり島本和彦である。土屋賢二(若しくは土屋賢ブリッ二)タイプ、即ち「ヒネクレた物言いに秀でた論客」なのね。

 そーでなくて。まっとうに雄弁、且つ能弁、且つ多弁な漫画家てったらば、萩原玲二!だね。日本で最も写植文字を沢山打たせる漫画家、を自認してもいるの。この人。ただ、文字も多用するけど、実は絵にも!情報を込めまくんだなー。ミスターマガジン連載中の『グッドバッドママ』読んで確認してみてくざさいな。


(1997.8.23)

 デッサンなんか狂ってたって、いい。漫画なんだから。でも、狂ってない方がいいって思う人も多数。あだち充は画いた絵を裏から透かして見てデッサンの狂いを確認するとゆう。鏡像にするとデッサンの狂いが善く判る仕組みになっておるの。島本和彦『燃えよペン』参照。吾妻ひでおもギャグにしているから参照。どんどん参照。

 ま、漫画家さんたるモノ、提供する絵に責任だの自信だのを持って発表するわな。至極当然。画いた絵が鏡像で印刷され出回ったら、さぞかしヤ〜ンかと思うぞっ少なくともをかべだったらヤ〜ン。

 時は昭和45年。ムーミンまんがシリーズってゆうのが講談社から発行された。原作は英語、でしたでしょう。それを日本語に訳して出版するってんで、左綴じを右綴じに変えなならん。そこで採られた措置が、鏡像つまり裏焼きにするコトだったのぢゃ! よってムーミン達は左利きになるは、文字は右から左に書くは、もゥ!

 おとぼけね。


(1997.8.30)

 夏休みは遊ばなきゃ。やっぱ室内でゲーム♡ってのが夏の遊びの王者だねっ。充分遊んだ? やり倒していない子は、明日一日が勝負だ! まずはゲーセンへ往きたまへ。「電車でGO!」しないと。おゝ、こんな処に80年代の名残りを見ることになるとは。戸川純の名曲にまんま『電車でGO』てーのがあるのだ。どー見てもタイトルこっから採っただね。

 イキナリいま流行ってるモノでも、その来し方には歴史があったりするものよのおつー咄をね。今回はね。さて。ゲーセンから帰りきて、次に取り掛かるは「がんばれ森川君2号」だっ。作者の森川幸人は、何を隠そ−80年代に創作漫画同人界で、

「王が来た高校知っとるか」

「大垣北高校」

とゆーよーな伝説に残る極超佳作をばっすんばっすん発表していた亀丸その人でもあるのだよ。双葉より芳しつーのか。かよーに佳いセンス佳い才能はゲーム業界に流れてっててとほほ。漫画の将来暗澹、なのかもね。


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