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昨年の7月1日付のこの欄で「飲酒漫画がクる!」との予言をブチ揚げたのも今は昔。来んなぁ。予言てむづかちいよ。などと言うとる間にこの説の拠り所である二ノ宮知子著『平成よっぱらい研究所』の単行本が今日!まさに9月7日に!でたでた!! 同時に掲載誌であったところのフィール★ヤング10月号も発売日です。あたかもをかべまさゆきの誕生日と新田恵利のバースデーがいっぺんに来たようだねぇ♡ってそりゃ3月17日だっつーの(笑)。買ったみんな? 手元にある? 買おう。すぐ本屋へ走れ。
フィーヤンていやー、いわゆる“レディースコミック”然としてない処が男性でも面白く読めてギュゥ♡なはずなんだけどがー、「漫画好きの編集者が創ってると思しき、ある種レベルが高いと云われ得る作品を集めた漫画雑誌」てゆうのは歴史を繙いてみても“売れない”ことが多くて。飲酒漫画がこないのはそのせーなのか!? 惜しいのぉ。来週もフィーヤンの漫画について論じましょう。
「読んでもいない漫画について語るのはよしましょう」「はーい(←生返事)」つーことで、『ミナミの帝王』!! 実は俺ぁ読んだことないだよ。なんでも『ナニワ金融道』の尻馬に乗った、後追い二番煎じ漫画と聞く。人気あるんだってね?とも聞く。
ドカーとヒットすると真似っこ作品がウンカの如く涌いてでるって現象は、漫画界に限らずあらゆる創作畑に於いて日常茶めし。よくあること。先の作品を愛する者にはなーんか納得いかなくって、しかも後発の作品が、つまんなくても腹立つし、逆に評判良かろうもんならマッハ不愉快になったりすんだこれが。んが!
“最初にそのシステムを取り入れてヒット作をものした”という点をしかし隠して、純粋に作品のレベルのみに於いて判断するなら、後追い作品の中にも良質な創作が多々見られたりするのよ。フィーヤンの『くるくるピッ』って『ゴー宣』の明らかに企画ぱくりだけど、赤星たみこの作風にはあっててなかなかにグゥ♡
さーて。今や実録ふう漫画の全盛期である。ここまで漫画文化が発達してくると、物語の中にちょびっとだけ作者が顔を出す、なーんてのは当然ありうるべきテクニックのひとつに過ぎなくなってて、のみならずどころか更に発展した形態つーことで“作者本人が主人公となって話を進めてゆく”て漫画までがごく普通に提供されるに至っちょる。
読者も、構成の下手くそなフィクションよりもレポート漫画然としてるお話の方がわかり易い読み易い入り易いのトリプル易いもんでそっちに魅かれたりするのね。←これは創作者の力量不足が悪いんだがよぉ。きっと。
でもォ、実録ふう漫画こそが腕の見せどこ!ってゆう、けらえいこみたいな作家さんもいるんで、漫画の発表形態に選択肢が多いのは良いことなの。この“作者の生活をもとに画く”ジャンルの中でも特に極端なのが、ぶ〜けに載ってる『柏屋コッコの人生
万漫才』です。ただ単に、あったことをまんま画いてるだけ!
ギャグ論を書く。にあたって、判り易くするために大雑把な論調で考察を進めてゆきます。ので「例外はあるがー」とゆーのを常に心において読み進めていってくだしゃいね。
ギャグって知識を必要とするですわ。画く側にも、もちよん読む側にも。
“笑い”が生じるひとつの形として“差異”や“違い”を発見する、ってのがある。「似ているけど違う」「普段の状況とは異質だ」なんてので笑いが生まれる。人がバナナの皮で滑って転ぶのをおかしく感じるのは後者ね、例えば。ただ、こーゆー際に、自分はその被害にあった人より優位に立っていることが前提ではありますけど。誤解を恐れず書くなら“差別”って奴ですね。自分が高い位置に居てキモチいいから差別するんであって、そーゆー“優越感”を伴わないのは差別ぢゃなく“区別”ってモノだわ。
「標準と看做しているもの」との差を愉しむには、標準なるものに関する深ーい知識が必要で。…つづく。
先週の続きでーす。
そんな訳で、“ズレ”を愉しむのがギャグであるならば、それを笑うためにはズレる前の元の形を知らなければならない。ですね? しかるによって、ギャグをやるには、画くにも読むにも前知識が必要だよってことです。
だから大変なのがギャグ作家の知識の量!ですわ。捩る・ズラす・逸らす・捻る、そのモトネタの多彩にして膨大なことといったら!! ナニをどう持ってきてどれに関連づけてどのように料理するか、てのがここに加わる訳だからそりゃー大したモン。
だもんでギャグ作家は自分の持てる知識を総動員してギャグを描く。鴨川つばめがマカロニで無茶苦茶画いてた奴とか、しりあがり寿が他の漫画家の絵柄を“引用”して画いてたギャグとかには、だから「漫画の文法」に関する遊びが含まれてるから、そっち方面に疎い人には面白くなくってもアタリマエなんだなー。
で、柏屋コッコの
万とかは既存の文字に関するずらしを遊んでる訳だ。
ここんとこ、このコラムでよく名前の挙がる『柏屋コッコの人生
万漫才』の単行本の一巻が本屋にあるのを、私は見たことがない。書店の漫画揃えってば日進月歩で諸行無常に万物流転。「欲しいな」と一瞬でも思ったコミックスは、即座に「う」も「す」もなく買っとけ!つーことです。漫画論の先生だの漫画コラムを書くヒトだのをしている仕事柄、古い名作漫画やら昔読んだけどいま手元にはないってゆー懐かし漫画を引用することとかよくあるんですわ。で、正しい表記を確認するため本屋にゆく。置いていない。こないだ驚愕したことには、竜之介の苗字を知りたくって本屋を5軒回ったが、どっこにも『うる星』のコミックスあれせんでいかんがや!! まんが専門の書店!を謳っている本屋にすら!!置いたれせなんだぞっ。
発行される漫画本が多すぎて、今売れるモノしか置けないってことなのね。で、一方復刻に力を入れている文庫本は、何故あーも高価なにょ!?
ぱんぽこぺーん! 96年のベストCDシングルを発表する時が来たようぢゃ。それはね、川本真琴の『愛の才能』でしゅー。アコースティックギターで歌うロックで、超好き。2位はね、『クルクルミラクル』。
ロックアーチストの、是非かなえたい夢の一つに「曲名とかアーチスト名とかがスタンドの名前に使われる」ってのがある、かもしんない。
漫画家が作中、ストーリーと関係ない部分に、造詣の深〜い趣味に関する遊びを取り込むつーのはよく観察される出来事です。特にギャグに多いですが。荒木飛呂彦って本当、ロック好きなようで、でも画いてる漫画はミュージシャン漫画ちゃうもんで、『ジョジョ』の第4部からは自分の好きなロックのタイトルをスタンド名に使用して愉しんでるってー寸法なの。
センスの合ってる読者には謎解きとか宝探し、「次は何を使うかな」てゆー楽しみもあって♡ …をかべは女王様聴くまで「バイツァ・ダスト」知らなんだから論外!ですがね。
この夏公開された映画「ガメラ2 レギオン襲来」の出来はすっっっっごい良かった!らしいね。←観てない。かたや昨年暮れに公開された「ゴジラVSデストロイア」はマッハひどかった!!ようだねぇ。←観てない。をかべって滅多に映画観ないヒトなんだとゆうことがこれで証明されましたね。ってそれが結論ではなくゥ、なんで観てもいないのに判るのか、と。「その秘密とは!!」←中橋さん風。
トクサツ映画が封切られる度に、あさりよしとおは少年キャプテンで連載している『宇宙家族カールビンソン』にてそのアンサー漫画を発表する、つーのが常となっている。デビュー作『木星ピケットライン』の昔から、一貫していわゆるSF漫画を描き続けてきているあさりのトクサツを見る目は辛辣で媚びず、そして暖かだ。96年2月号のゴジラ批評は心地よかったし、他方、9月号からはガメラの出来を讃えてであろう3話にも亘るストーリーを展開しているのだ。
次は「モスラ」だね♡
藤子・F・不二雄の死が何故にかくもショックであったかの考察を、やっと出来るまでに落ち着いたので述べたいと思いましゅ。
ひとつには、「まさに現役で漫画を発表していた」とゆうことに因ります。手塚治虫にしろ遠藤周作にしろ、病気療養とかの名目でそれまで連載していた作品を休筆してその後に亡くなっている。藤子Fは『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』を連載しているさなかの訃報であった、読者に覚悟つーか、心の準備がないまま逝ってしまわれたとゆうのがショック。
もーいっこが、それが子ども漫画であったとゆうことです。漫画家に限らず創作者は、年齢を重ねる毎にその表現する世界を自分の年齢相応のジャンルに移すのが常。年老いた漫画家は年老いた読者のための漫画を画く、だからおジジ向けの作品を発表している作家がお隠れになるのはまだしも納得がいく。でも、子供のための、子供の読む漫画を画いている作家が死ぬなんて!解せないよ。
漫画という表現手段においてのみ見られる特徴として「画と文字が同列且つ同等の比重で存在しうる」てゆうのがある。“動きのある映像”も“音声”も用ゆることが出来ない代わりに、全く違和感を覚えさせず“文字”を画面の中に組み込み生かすことが許されているのね。フキダシとか擬音とかが画の中に融け合ってて、不自然と思わないでしょみんな。
そこにつけ込む漫画家がいるだわ。「文字で遊ぶ」ってゆー。僕もそーなんでしゅが。変わった文字表現を自分で創るだの、字にキャラクターを持たせる(英語の元の意味で言ったらこれ、奇異きわまりないですねえ)だの。でも、これすら漫画テクニックのひとつであるのね。それほどに漫画表現者は文字に於いて自由度を持っている。フキダシの中の写植文字までをわざわざ作成してもらうっつー作家もいるくらいで。況や『柏屋コッコの人生
万漫才』においてをや。でも、新聞では
万とかの“記号”はあんま遣っちゃダメ!って。とほ。
最終回の描き方ってゆーのがあって、どーやったら感動的になるかっつー。いっちばん簡単な、しかし誰もが感慨にふけれる術ってーのが、「今までの懐かしキャラクターを次々と出してくる」ってぇのだ。漫画家だったら誰でも知ってる方法ですね。感動的になったかどーかはともかくとして、『DRAGON BALL』でも『船を建てる』でも、『頑丈人間スパルタカス』でも『ぎゅわんぶらあ自己中心派』でもやっていたのー。『ぎゅわん自己』なんか二回あった最終回で二回とも!このパターンを使ってたぞっ。感動的だったからイーけど。
が、このやり方は罷間違うと作家の独りよがりにもなりかねず、作者にしか思い入れのないキャラをただ並べるだけ、とゆう無様を晒して終わってゆく漫画もあるのでちうい。
の点、『うしおととら』は見事だったよなー、つくづく。俺ぁ雲外鏡好きでさぁ、片っ端に今までのキャラが出てくる中、出んなあて思ってたところが!!
やってくれました♪
今池のスタジオ10てとこで、24日まで劇座がお芝居してます。平田オリザ作『火宅か修羅か』て奴。をかべは日曜日の5時のを観にくにょ。峩洋絵水さんてゆー知り合いのコが出てるのね。平田オリザって確か本名、だし峩洋さんもそなの。「がようえみ」って読む。凄いねぇ。人目に晒すのを目的と出来る、インパクトのある名前を生まれついて持ってるってのは、イイよねえ。
「漫画はまずキャラクターをたてなきゃ」とは、漫画家志望者が常に聞かされる“魅力ある漫画を画くための条件の一つ”でして(をかべとしてはネタに重きを置きたい、んぢゃが)。ま、読者を惹付けるのに大層必要なファクターが、このキャラクターの印象づけであることは否めまい。で、キャラクターを表現するひとつの武器にネーミングがある。さらに、ペンネームの命名センスも作家には重要なんだよ。
大学漫研の後輩で“竹下1光”ってゆう漢字アラビヤ数字混じりのペンネームの奴がいて驚き嬉しかった。
長い長い(短い短いでも可)連載漫画が雑誌に連載されてる時(←振尾てん美ふう言葉がフリテン)すべての読者が常に第一話からキチンと読んでいるとゆうことは、にゃい。てゆうかー、途中から読まれるってのは日常茶めしと思わねばなんないっしょ。てゆうかああ!ほいだもんでどっから読み始めた読者でも惹付けて、「おっ!この漫画おもれーで今後読も。どころか前の方の話をもコミックス買ってでも読も読も」って思わせるに越したことはない、よねっ。
なかなか難しい要求ではある。話の流れってのがあるから、そーそー毎話毎話初読者を惹付け惹付け続けられはしないよう。でも、ノリノリで連載が続けられてる漫画に於かれましては、“惹付けモード”の話をブッ放す頻度もやっぱ高いの。面白い、人気のある漫画→ノリノリ→惹付けモード→新規の読者サマ開拓♡ってゆう拡大再生産なのね。例えばフィール★ヤング12月号の安野モヨコ作『ハッピー・マニア』が、それ。
雑誌批評もできるのですわたし。てゆうか、します。てゆうかああ!今週は雑誌批評だ!! よろしいか。
「マックライフLISA」とゆー本邦初の、女性をターゲットとしたパソコン雑誌が創刊したの。今までのパソコン誌臭を払拭しようとしてるのでせう、見た目女性誌然としててさー。なんとかして新規の読者を掴もうと必死、てゆーか、見慣れた函にパソコンネタを詰めたって感じで。既存の雑誌のやり方やノウハウを踏襲してる。
例えば、目新しいかあいいグッズ紹介をするページなんかはPOPEYEまんまのレイアウトだし、料理のページったらオレンジページのそれにそっくりだし。こーゆー雑誌レイアウトにゃー意匠権とかはないのかーッていうくらいだの。ま、をかべさまでホントーに読ませたいパソコンのコーナーを除いては、初めての女性にも大層とっつき易い、見慣れた構成になっている本です。なによりパソコンエッセイ漫画を中田雅喜がやってるってのがよい人選ス。
工藤静香も『抱いてくれたらいいのに』の中で歌っているように、嫌われるような仕草ほど熱い想い伝えられる♪とゆーのはある意味で真理かもしんない。ストーカーてゆうのはその発現形態のひとつ、でせう。
今を去る83年暮れのこと、小学館は少年サンデーの忘年会にわしも呼ばれたのぢゃったああ。デビューしたての漫画家さんだったをかべは血中シロート濃度90%以上ってゆう、も単なるまんがヲタクだったので、「うひょー」つって名古屋からどーっさりと色紙を持って、エェ、行きましたってー。
でーっかいホテルのパーティー会場で全漫画誌合同の忘年会をやったのち、各誌ごとに分かれてホテルの部屋にて二次会をするってゆうシステムでして。その、二次会の会場を大サイン大会にしたのがワタクシ(ほか若干名)でした。済まぬー。
他の方々から隔離されて担当さんにガードされている高橋留美子先生のとこに、わざわざ人を跨いでまで行ってサイン貰ったり。若気の至り?
“消えた”なんて表現される漫画家の代表例として、鴨川つばめの名が挙げられたりする。どっこい、鴨川本人は別に消えている気はないみたいなの。そらそうだろー。一本のヒット作も物すことなく、今や全然漫画の仕事が来なくなっちゃったをかべですら、自分からは「わたし漫画家として消えました」なんて言わないぞ。況や。
でもね、赤塚不二夫の今後の漫画に一切の期待を持ってないのと同じように(漫サン2000号記念の漫画の出来もひどかったねぇ!)、鴨川つばめがまた発表する漫画が面白いかもしれん、たぁ到底思えないってゆうのも正直な気持ちですのだ。
しかし!知る人ぞ知る、実は鴨川は漫画作品以外のトコでいー仕事してんだなーこれが。『マカロニ』の当時からロック好きを広言して憚らなかった鴨川には適材適所!つーのか、CDのジャケットイラストをやってござる。『甘美のロックン♥ロール【B級】』とか、『マツエジュンのゲバゲバ宣言』とか。見てみ。
チョベリゆく年!マッハくる年!!
今年ももー終わりですがインターネット、堪能してらっさいます? H画像とかゆう代物も3カ月も見ればヒトマズ飽きたことでしょう。さて、そっからが趣味のペーヂ探しの永い永い道行きの始まりっつー訳やね。
漫画ぢゃないけどまずは筒井!だよね、ナニはナクトモ。「筒井の新作が読める」ってゆうだけで価値あるぞェインターネット。『越天楽』はプリントワウトした? 『天狗の落し文』も楽しみなの。うひょうひょ。
確かに好きな漫画家のホームペーヂ見るのってうりしいけど、やっぱ新作が読めるってゆう悦びにまさるもなぁないのだ。てなことで、井上雄彦がインターネット上にて総天然色で発表してますトコロの『BUZZER BEATER』読まなきゃだちかんですわ。エェ。筒井にしろ井上雄彦にしろ、ホントーに創作が好きなのねえ。大層アマチュア的、同人誌的であるかもしんないけど、こーゆーココロがね。また佳いのね。