◆超《を》級HG漫画缶累々々々々々々々々々◆ 〈97/9/6〜12/27〉

97年中旬←*→98年上旬 / 『漫画缶』入り口へ戻る

 

(1997.9.6)

 9月9日はとりあえず、一日中名古屋市営地下鉄バスに乗り放題しよう! オー! てな訳で、一日乗車券を是非買いましょう是非是非ん。まだ売ってるコトを望むよ。「マニアが買って掃ける分程度しか発行しない」だげな(とほほ)。だけど、あるといいね。みんな買えー。

 でもでも、9年9月9日の記念乗車券ってったらをかべのイラストモノより、999モノだわなフツー。去年からビッグゴールドで復活したた甲斐があるというものぢゃ。第8話では宇宙戦艦ヤマトまでも『銀河鉄道999』に出て、ちょっと感動もんだったし♡

 過去にあまたの佳い作品を、世界を同じうにして発表し続けてきた、その蓄積が現在の作品に、マニアも哭いて歓ぶ(マニアしか哭いてまでは歓ばんとゆー気もするけど)お懐かしキャラをお馴染みの設定で登場させうるの。作家の財産なの。

 宮下あきらが週プレの『天より高く』に『魁!!男塾』描いちゃうのも、これなの。読者サーヴィスなの。


(1997.9.13)

 バカなこと考えてますよ←お前は週刊プレイボイかっ。

「お。唐沢なをきオールマンで『けだもの会社』始めたぢゃん。わーいわーい。…あー、これはSPA!でやってるトキ課長のパタンだねぇ。“会社の構成員のひとりが動物だったら”ってゆうのんだねぇ。SPA!のは2頁てのと、トキでいきましょうってのを決めたつーのがあって、フンフン、より長さも登場動物も自由になる方向に発展させたのをやる訳か。そーだよなー。“課長がトキだったら”ってゆうギャグを考えてりゃ−“だったら会社の同僚に蛸(名前は岡部くん)がいたら”とかってゆーのも、自然と思いつくわさそれがギャグ作家。…こーゆー、まず短い作品を発表しといて、その流れに乗ってより長い作品を興す、ってゆうの、あったよなぁ…。えーと、萩尾望都の『11月のギムナジウム』と『トーマ』は、まんまか。小林よしのり『おこっちゃまくん』と『ゴー宣』もこれだね。よっし! こんで一本書けるぞー」


(1997.9.20)

 漫画家は作品で評価いたしましょう。どゆことかつーと、過去にどいなけ名作を画いていよーとも、現在では腐ったよーな作品しか発表できない方なんか認めちゃダメ。昔の名声という貯金だけで画き繋いでる漫画家、創作が凡て以前の自分の漫画の焼き直しでしかない漫画家が、いるのだ現に。蓄積を財産として活用するのは善い。でも自家中毒に陥ってはいかんぞ創作者たる者。

 水木しげるが、あんなけんのキャリヤを持ちながら今なおバリバリいー感じ♪なのは、常に新たな刺激を求め吸収しうる柔らかさを有しているからであろう。荒俣宏「帝都幻談」(週刊文春)や京極夏彦「塗仏の宴」(メフィスト)などの小説のイラストの仕事に、水木の足場の慥かさとフットワークの軽さとの融合が見られますの。“顔の長い登場人物”加藤を、あんな面相にいったい水木しげる以外の誰が描き得ただろうか。荒俣の小説は水木の起用で得してる。また水木も、小説に触発されて世界拡げてるんだね。


(1997.9.27)

 “今”の人間を描くのは難しい。“今の状況”を写すことならリサーチ次第でOK。ぢゃが“現場にどっぷり浸かった人”ってのは、ねぇ。

 漫画に於いて“今の人物像”が描かれる際、おーおーにして“作者の世代の人物像”が流入してくるのは止められませんにょ。生の人間の描写って、生きてきた道のりが違うとやっぱなんか、想像あるいは創造の産物っぽくなって、読者側も「あゝ、こーゆ創られたおハナシなのね」って一歩引いて読んだりしちゃったりするんぢゃ。

 そーでなくて。「ええっ! 今ってこうなの!?」って思わせたら勝ちだよね。その辺が強いのはやっぱ、若手作家ですか。井上三太とかね。あと、何故か女性作家が“今”認識能力に長けてんだ。“今の普通の家庭”ならば『あたしンち』のけらえいこだし、“今の少年犯罪を捌くひとつの方向”を提示してんのは『ぼくんち』のサイバラでしょう。こういちくんがいる町なら、不良は正しく不良の方向に伸びてゆけそうだものよ。


(1997.10.4)

 サンデーの『今日から俺は!!』とマガジンの『カメレオン』が共に、ここ何カ月かに亘り「主人公が卒業を控えて」とゆう状況下を描いている。“高校不良漫画”ですので卒業イーコオル終了、すなーち現在どちらも終わらせる方向に話が進んでいるところだ。

 『カメレオン』は「現実の青少年犯罪ってやーもっとエグいぜぇ」且つ「どおせ漫画ってフィクションなんだから刺激的な方がウケる」とでも判断しているのだろう、人を火の中に置き去りにしたり、ナイフをざっくりざっくり刺したり、痛い怖い行為がここかしこにあったことだなぁ。

 一方『今日から俺は!!』なんか、主人公の三橋からして煙草も吸わなければ「酒を呑むと気弱な性格になる」との設定でアルコールをも遮断されてる。殴る蹴るはするけど骨が折れると一大事、な不良漫画なの。

 不良の行動の、何を描くか、どこまで誌面に出すのを許すか。編集のスタンス、雑誌ごとのカラーの違いってばこんな処にも表れていますね。


(1997.10.11)

 美術さん(テレヴィのね)がやってきて似顔絵を依頼されましたの。「板東英二と明石家さんまがゴルフ対決をするので顔を画いて欲しい」そう。「いくらぐらいで請け負ってくれるか」って訊かれたので「制作予算ってーのがおありでしょうから、それに合わせて戴けるだけでいいです」っていつもの如く答えたらば「さんまさんのギャラに結構とられる」ので「壱萬圓(!!)」とのこと。いいいい壱萬圓かいっ! 一気に気が楽になっちまいました。壱萬圓の依頼ならば壱萬圓の絵を提出すれば良いんだから、こりゃー安気。「画き直せ」って言われても「ヤだ」と言える額ですこれ。逆に、破格に高いお金を提示されましたらばそりゃ−腕の見せ処ってんで能力以上の働きするのね、プロたる者(ちなみにこのコラムでは如何なく腕を発揮しております)。

 似顔絵って特殊技能だから、解って評価してね。週刊朝日のカトリーヌあやこも似顔パワーが最近落ちてるよーだが、頑張って欲すいものよ。


(1997.10.18)

 たがみよしひさ『お江戸忍法帖』(コミックトム)が、いいねぇ。昔の漫画が持っていた“夢”という名の荒唐無稽さが、ここでは生きてます。今の漫画は、大人を読者として取り込む過程で「何故こうなるんだろう」に答え過ぎるものとなってしまってきているの。鉄人があんなリモコンで何故動くか、花形満は如何にして自動車免許を取ったか、理由付けの無いまま我々は漫画を愉しんでいた。「そんなこと考えたところで、想像したところで、作者はそこまで考えちゃぁいないから無駄無駄無駄ッ」てゆうのが当時の漫画の読み方だったしょ。『お江戸忍法帖』の忍法は、それでふ。非科学的な技を出たとこ勝負で破るから、読者が先を予想するのは無駄、とゆーか無意味。純粋に読み進む事で愉しめばいー作品でグゥ♡

 同じ作者の『なあばす ぶれいくだうん』は一方、『コナン』や『金田一少年』よりよっぽどフェアでエンタテインメントはミステリィなの。推理を愉しみつつ読む価値、巨大。


(1997.10.25)

 名古屋パルコは洋書ロゴスにて、23日までフレンチ・コミック・フェアをしていた。ので、エンキ・ビラルとゆー漫画家さんの本を二冊、買いました。二冊でねぇ、15000YEN。うっきーッ!! たた高い!!

 大判のハードカヴァ−でフルカラー、絵本を想像して頂くと善い。バンド・デシネと呼ばれる、こーゆー形態の本として発行されてる模様だね、フランスの漫画は。これだとさいが、漫画は消耗品ではありましぇん。画集のように大事大事にされるであらうよ。

 さて。かたや日本の漫画って、大量に産み出され大量に消費される、そん中に膨大なクズ漫画をも含んでいる、てゆう雑多な状況を佳しとしてるでしょう。消耗品とはこのことナリー。でもでも、この“制作スタンスが安易”ってのは、そのまんま“間口が広い”ってゆう良い方にスライドしてんだなー。漫画の完成度に重きを置くか軽んじるか、価値観の違う凡ての人々に、レヴェルに応じた漫画を供給することが可能なの。


(1997.11.1)

 先週はパルコの話ぢゃったが、今週はロフト名古屋の話じゃ。

 ロフト名古屋オープン一周年記念企画ってことで11月3日まで「モノは考えよう」と題した展示がやっている。“45人の有名人・アーティストがモノを考え、選び、一文字いれた雑貨を一挙大公開!!”だそう。名前の頭の文字で五十音の分だけの有名人を集めその有名人の思い入れのある雑貨を展示、とゆー趣旨みたいなんぢゃが、頭の文字だけでは集めきらんかった様子で、その辺ちょっとファヂーだ。

 さて。45人の中には漫画家も入ってて、「え」の担当が蛭子能収。品は“長崎ちゃんぽんの丼鉢”だよ。あと、「ゆ」が湯村輝彦。ふーん。

 さて2! 相原コージはその昔、著書『コージ苑』の中で「“を”で始まる有名人なんかいない。から、仕方なく“さいとう・たかを”」を選んどったが、このスカタンめー。照覧あれ! ロフトではちゃーんと「を」はをかべまさゆきの「を」になっとる!! まさに必見と云えよう。


(1997.11.8)

 先々週はフレンチ・コミックの話ぢゃったが、今週はハレンチ♡コミックの話ぢゃ。うっひょうひょー。

 今年でデビュー30周年を迎えたとゆー永井豪の、かの名作『ハレンチ学園』のコミックスって、文庫版だろーが単行本だろうーが、“第一話”として収録されている話は、あれは最初に画かれたものぢゃあないわね。絵柄がね、多少固まってから読み切りとして画かれたのであろう「新入生の巻」が、巻頭に並べられているようですの。

 単行本化の際に作品を、発表順とは違う順序に並べ替えるとゆう事はまま行われる。そのパタンとしては3種類あると思われ、

  1. 何も考えてない
  2. 何か考えた上で
  3. 編集さんの言いなり

のどれかであろうよ。

 単行本を“これを以て固定される創作の最終形態”と見做すか、ただ単に“それまでの作品カタログ”としてしか認識していないのか、作家によって千差にして且つ、万別だで。


(1997.11.15)

 今週発売になった号で、少年マガジンが少年ジャンプの発行部数を追い越したげなだわ。新聞で読んだんだけどさ。わしは予言はできんが、結果を見て理屈ゆーのはできるぞ。

 あのね、ジャンプが最大の発行部数を達成しえたのは、少年誌であるにもかかわらず女の子にもウケる漫画を擁していたとゆーのが要因であったのね。古くは『キャプつば』『聖闘士星矢』そして『幽遊』『スラダン』とかって。この辺が終わるだの飽きられるだのして、せっかく捕らまえた女の子読者が離れてゆきかける、それをひきとめよーと投入したのが“しょせん女の子ウケ”ってゆう漫画だった訳だ。つまり、本来の読者層である男の子ないがしろってゆー。その辺の読者逃しちゃあかんだろジャンプ。

 男の子はやっぱ、女の子が眉を顰めるよーなエロスとかヴァイオレンス漫画をも、好きなの。マガジンは男の子向けを標榜したままで『金田一少年』とか女の子にもウケるのを載せてきたから、追いつけたんだね。


(1997.11.22)

 おおかたの漫画は連載途中から読み始められるであろう。だって1:始まったこと気づかない2:連載の第一話をたまさか見たとしても、「次も必ず読もう!」って思わせるほどのナニかを持っていることって、マレ3:人に聞いたり薦められたり人気を確認してから読みだして、ハマって、やっとこ単行本で最初に戻って読む、てゆう出逢い方こそ多かろうよ。

 どんな特色を持たせて既存の作品との差別化を図り読者にアッピールするか、いかなる目新しい武器で中途の読者をも惹き付けブレイクするか、ってゆうのは、とにかく実際にやってみにゃその成果は判らんから、ヒットだのブームだのの操作って難しいのだ。

 『ガンバ! Fly high』は、「あんま類を見ない体操漫画」を「森末慎二の原作でやる」てゆう異色さを売りにして始まった。が、ここにさらなるテコ入れ、「視界」ってゆうタームを導入したことに依りやっとこ“フツーの今風のスポコン”から一歩抜け出したのだったよ。


(1997.11.29)

 漫画の出来に罪はないだろう。てゆーか、このコラムにて取り上げるだけの価値をもっている作品であろうよ。注目すべきは掲載誌のスタンスとか商業誌としてのプライドだ。

 『BASTARD!!』は以前、少年ジャンプにて週刊連載されていた。が、萩原一至の筆があまりにも遅く、画きかけのままで雑誌に掲載せなならんとゆーブザマを披露した。これはペナルティものでせう。でも切っちまうのは惜しいってんで、月刊誌に移して連載を続けるって措置が採られたの。

 上質の作品を産み出す創作者が、しかし〆切に間に合わせられぬってゆう事例は、例えば劇作者としての井上ひさしを見てもらえば解ろう。遅れても、穴をあけても、納得のいくレヴェルにまで昇華させたいってことなのね。でも、永遠に形の残る作品としては佳かろうが、商業誌的には失格だ。プロの仕業ぢゃない。

 ジャンプは、でもその『BASTARD!!』をまた週刊に戻してる。そこまで追い込まれている訳ですな。


(1997.12.6)

 かつて漫画ブリッコが廃刊になった時に、連載していた作家陣で一人だけ、廃刊を知らされ怒った漫画家がいたという。自らの仕事に自信をもっていた故である。松本人志が野球中継により番組を中止にされ怒ったのもこれだろう。全力で創りあげたモノを蔑にされた、ならば怒るが良い。それほどまでに本気になる、そのスタンスをこそ大切にすべきだ。

 松本人志に就いてはもういっこ、見習うべき点がある。前の一人ごっつの時に、フリップにネタを書く際、自分でウケてたでしょ。昔っから云われている「自分が笑えなくてどおして他人を笑かすことが出来よう!」とゆー理想論を、実践してる訳なんだな−。漫画業界にあまた候ひ給ひけるギャグ漫画家の果たして何名が、自分の漫画で声揚げて笑えるんだろうか。

 周りの評価は不問で善し。今回は「自分の力を自分が信じないでどおするっ」とゆう心根の話をしたの。創作態度が真摯だろーが何だろーが、波長のあった人だけウケれば善し。


(1997.12.13)

 をかべは以前、少年サンデーにて連載をしていた時同じ目に遭っているので解る。そん時は(自分の漫画だからネタバレをしますが)便器が死ぬと便器に天国に召されて、そこはブルーレット(商品名)の泉湧きピコレット(商品名)の芳香に包まれた神の国、つーギャグだったのぢゃが、この商品名がそれぞれ“ブルーレッド”てのと“ペコレット”てのに勝手に、編集さんの判断で変えられていたのだ。

 特定の商品名を挙げて、イメ−ヂを悪くさせる(かもしんない)よな表現を掲載して、万が一クレエムでもつけられた日にゃーどもならん、とゆう企業論理は、解るの。でもでも、作家としてはこの措置は超かっちょわりーでかんてー。事前にコンテの段階で「このネタでこの商品名は遣えんでね」って教えてくれろ。

 週刊少年サンデー51号の『ファンシー雑技団』にて、“アタマに空飛ぶ円盤を着けた捕手”とゆーネタが載ってたんぢゃがこれを「クレーンゲーム」に変えちゃ、いかんだろっ!


(1997.12.20)

 おら山一証券に、このコラムの原稿料にしておよそ7カ月ぶんくらいの中国ファンドがあっただよ。

 とゆーことで「そんぢゃ今度は、小学館が潰れたらナニがイヤか?」って不謹慎を考えてみたのだった。をかべはデビューを少年サンデーでしているだけあって筋金入りの小学館贔屓の人なのぢゃが、改めてこー考えると、連載は今中断したらすっげー悔しい惜しい続きが読みてーっ!!てゆう小学館系の漫画って、『あずみ』だけだぞ。他のは、諦めがついちゃうねえ。

 やっぱ小山ゆうは達者だわ。今更ながらに思うが、戦闘のテンポが良いったら。少年サンデーに載ってるどれとは言わんがテニス漫画の試合シーンの、水増し引き延ばしぶりと読み比べてみて頂きたいよ、例えばさぁ。“アップを多用しない構図”とかの、センスに裏打ちされた高度なカメラワークの賜でもあるんだけど、秀でてるのは実は「まだ描けるけどこれぐらいにしといたるわ」とゆー“冷静な見切り具合”なんだね。


(1997.12.27)

 今年のベスト4コマ漫画はいしいひさいち『のんき大国』298回目(週刊文春10月30日号)であることに異論は無いッ! 2本あるが両方佳しッ! ひとつは清原ネタ、もっこはW杯ネタだったのだった。

 正直、をかべはスポーツにまっっったく興味ない。特に“観戦”なんてもってのホカホカーてなもんで。1:他人が運動するの観てもわしは健康になるまい2:演出とかシナリオがない=どっちへ転ぶか判らない“試合”なんてエクセレントとは云えない、等の理由に依る。学生時代体育がずーっっっと2だったトラウマかな。さておき!

 いしいひさいちの4コマなかりせば、今回のW杯出場までのシステムなんか絶対、理解不能だったよ。興味を持たない読者にも解らせてしまう、ってのはプロの技だね。しかもやくみつるみたいな直球の説明口調になってないのも好ましいったら♡

 あと、新たなる地平か!?藤原瞳の「忍原崩れ」(創元推理17号)は要チェック。主人公が、梅斗くんなの。


97年中旬←*→98年上旬 / 『漫画缶』入り口へ戻る