◆超《を》級HG漫画缶累々々々々々々々々々々◆ 〈98/1/10〜3/28〉

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(1998.1.10)

 あと1年と7カ月だねっ。何が?

 新年そうそう右の如き、人心を不安に陥れる書き出しで行こうオーって目論んどったのだが、漫画の世界の意識はまっと進んでいることが判明したのでここにご報告する次第だ。

 「他人の不幸は味噌の味」(『海底人類アンチョビー』4巻より)とは善く言ったもので、無声映画時代のギャグは多くシャレになんないモノだよね。階段落ちもだね。

 人権意識の成熟によって、具体的な他人の不幸を笑いものにするとゆう表現が避けられるようになってきております。それを不愉快だと感ずる人のことを慮っているのだ。で、アンゴルモアの大王に滅ぼされる対象が特定の個人だの民族だのだと予言されていたなら、今の世の中ちょっと商業誌でギャグにしづらかったかもしれん。しかーし! 「死んぢゃうのはみんな♡」なら人サマに遠慮するこたない!!てんで、年末に発売になっただけでもガモウひろしとかホイチョイとかがノストラダムスものをネタにやっていたぞ。


(1998.1.17)

 ノストラダムスの大予言(に依る災厄)って世界的なイヴェントだから、これはネタになる訳ですわ。をかべは予言するが、今年と、来年の7月8月(あれば)まではノストラダムスネタがばんばん、漫画界にお目見えするであろー。

 もっこ予言すると、今年の夏にかけてはW杯漫画がクル!! しかーし、長野五輪モノは、そんなにはコないね。きっと。これは認知度と支持率に基づく、浸透度に因る。

 今までに日本で開催された世界博って4つある。大阪万博・沖縄海洋博・つくば科学博・大阪花博でふ。大阪万博は、良かった。支持の順風に乗った上、パビリヨンも絵になるモノでさー♪ みなもと太郎『ホモホモ7』に画かれた解体シーンなんか目に焼き付いちょるよ。

 でも、その後のんは、漫画作品に残ってないったら。せーぜ、寺島令子が旦那を花博キャラとゆー記号で表現しているくらいっしょ。大衆は飽いているのだ。愛知万博もきっと、漫画にはなれまい。と予言するぞ。


(1998.1.24)

 第150話「悪役は難しいのだ」の巻

 今は昔、“環境破壊”を具象化したキャラクタを描いてねってゆー依頼ありけり。そこでをかべは、顔がドラム缶の焼却炉で頭の煙突からはダイオキシンの煙が出ている、手には木を伐り倒すノコギリ持ってるよってゆーキャラクタを設定したのだ。

 そーしたら「ドラム缶の業者から以前『燃やす奴が悪いんであってドラム缶自体は悪い訳ぢゃないだろっ』てクレームが来たことある。替えれないか」って言われました。ゴモットモでござりますなぁ! をかべ応えて曰く、

「燃やして善いものと悪いものの区別をお客にテッテ的に教育した上で販売しているんならともかく、そーでないんなら“未必の有害物質発生教唆”とかになれせんか、つーのはこの際さておき。デザインの変更はかまいません。が、例えば新キャラにノコギリを持たせた場合、ノコギリ業界から『ノコギリは悪くないだろ』ってクレーム、来るかもしれませんねえ…」

 ね。難しいでしょ?


(1998.1.31)

 昨年からをかべは、5年ぶりぐらいで“字の本を読むモード”に入っている。12月だけで8冊読了してんの。我ながらスゲー。で、ちくさ正文館ターミナル店で文庫本を買ったワケだ。「カヴァ−要らないから袋入れてくざさい」って云うワケだ。文庫本用の、ちーさい袋だ。おそらく漫画の単行本を買ってもこの袋に入れられるのであろよ、少年ガンガンの広告が付いております。

 ガンガンと云えば『魔法陣グルグル』かあいーねェ、お子ちゃま向けの漫画雑誌でござりますがね。と、アタマでは解っとった。

 しかし、恐るべし!現場のリアルさよ!! 毎月第2、第4金曜日の発売の少年ガンガンの、発売日徹底させちゃうよコピーってば「学校休みの前日!!」たぁ! 一瞬、休みの前の日の漫画雑誌の発売を楽しみに待って買いにくる、休日はそれを読んで幸せ一杯▽てゆー、お伽の世界の子供どもの姿が目に浮かんでくらくら来ちゃったでかんて!

 子供が発売日を待ち焦がれる漫画よ出でよよ。


(1998.2.7)

 をかべは前にも云ったけど、スポーツはしない。嫌い。てゆうかチームプレーに向かないのだ。“レヴェルの違う複数人が集まってヒトツコトを成す”なんて、あーッもー!! なんたる非合理的な所行であることか。「お前のせいで負けた」はいはい、おーせのとーりでござりますっ。も、絶対共同作業なんかしないとゆうココロを、培っちゃいましたね(笑)。

 なので、それを踏まえて、漫画を画く際にもアシスタントを遣うことが出来ない人になっているの。人の上に立つことあたわずってー奴だ。遣われる分には、従順(起用して頂いて)にして且つ尊大(働いてやってる)に、精神のバランスを取りつつ務めあげられるタイプぢゃからね。

 さて。そゆことで、自分の作品に他人(アシと云えど他人)の筆が入るとゆー事態を、よくぞ皆様堪えておいでだねぇと感心するよ、わし。

 読んでいても気になる、片山まさゆきの背景モブに赤羽文学のキャラがいて、画いてる方は気にならんの?


(1998.2.14)

 をかべが昨年ハマった本の著者三人、森博嗣&土屋賢二&柴田元幸ってば、みなさん凡て大学でセンセをやっておられるのだ。大学のセンセの時代が来たかにゃ? やっほー♡をかべも大学の非常勤講師ぢゃよ。

 大垣女子短期大学のデザイン美術科マンガコースにてマンガ論を教えているのだ。これは「来るマルチメディヤ社会に於いては漫画という技術も有用であろ」との見地に立って、岐阜県のバックアップのありーので創設された、期待されていたコースであった。が、大学で2年間やったぐらいで漫画が巧くなる、ワケがない! 当たり前ぢゃ。&当然卒業に際して就職活動したって、漫画が画けてもなんの役にも立たない。当ったり前!!

 そこで大学側はカリキュラムを考え直したね。来年度からは、CGグラフィックに力を注ぐ←マンガコースなのに。そして我がマンガ論は、後期から習わせる(基礎なのに!)とゆう、就職予備校化を図っているのだ。堕ちたりマンガコースよ!


(1998.2.21)

 アニメって共同作業の際たるもんでしょう。だからどーしても、佳さの中に見え隠れするアラを、発いてしまうよ。どんなに絵的に佳くっても、声優をビッグネームのシロトにやらしてるアニメって興醒めする。『ルパン』マモー編の赤塚不二夫なんか、もー大根っ。『もののけ』の森光子もいきなり顔が浮かんでアウト。『トトロ』の糸井重里もご勘弁ね。

 てゆーように、芯となる創作者の究極の理想の形に近づくにあたり、足を引っ張りかねないファクタを身中に抱え込んでしまうという構造上の欠陥を持つが故に、をかべはアニメ批評をする人にはなりきれないのだったよ。

 が。本来“絵が動く”こと自体を愉しむのが、アニメの当初の姿ではなかったかッ!?と気付きましたね。「ほら、こんな動く面白い絵を画いたよ」とゆー形、即ちパラパラ漫画ですわ。この“動画”本来の愉しさに立ち帰らせてくれるHPが、インターネットにあるんだなあ。青木俊直の「ゆるゆる天国」。見られい。


(1998.2.28)

 冬季オリンピックの競技を観てたら、ホントーに遊びをせんとて生まれけてるんだなぁ(←日本語になってません)って思ったよ。ほとんどすべての競技が、遊びの延長にあるモノだってゆー色を濃ゆ〜く残しているからねぇ。「遊ぶ」→「愉しい」→「高みを目指す」→「その結果、競う」っつー流れは、判り易く気持ちイイ発展の方向だってことなのぢゃ。

 「愉しい」を享受者にアッピールするするのが完成形を呈示する上で必要な事、エクセレントな事だなどとは思いはしない。けどォ、「ほおら、こんなに愉しげ♡」は充分に人を惹き付ける要素では、ありますね。

 漫画も、画く側が愉しくて画いてるってのが本来の姿でせう。ただ、アカラサマに“画いてて愉しい”を打ち出すだけなら、そりゃ同人誌のお家芸ですの。商業誌上で人様にお見せするレヴェルで且つ“画いてるのが愉しげ”は、こーりゃめったお目にかかれるもんぢゃーないかも。…藤田和日郎は、コレかな。


(1998.3.7)

 今週のCBCラヂヨ「おはよう竹地祐治です」の「この人にせまる」のコーナのゲスト《「の」の連続》は、松本零士でしたね。今日から公開の999のキャンペンで名古屋にござった際、録りをしたのぢゃ。

 をかべはスタッフなのをいーことに収録を見に行ったぞお。うっわーいうっわーい♪ 初且つ生松本零士の感想は“ちいちゃいおぢちゃん”でしたのだった。で、これぞ年季!!

を感じさせる事どももあったので、今回はその話ね。

  1. 講演慣れしてりゃーすせーか喋くり・語りが達者で、いっこネタを振るとへっきで5分でも10分でも、独りで話を転がして行かっせる。ストーリィがもう出来てるワケやね。
  2. 色紙にサインを戴きました。うっわーいうっわーい♪ 竹地さんは筆ペン、をかべはマヂックインキを用意していたのでしたが、「筆を選ばず」とはこのことナリや! どちらの画材でも、バランスの善い画面構成の色紙を画いてくだすって。これも慣れのなせる技でありませう。

(1998.3.14)

 週刊少年サンデーの目次のペヂーに作者が一言書く欄がある。一番センスが良いのがゆうきまさみです。断言します。猶ここに至るまでも、ポリシィをもった創作者たる姿勢を崩さないのは、ファンにとって「信頼できる」って事です。

 以前手塚治虫が死んだ際に、少年ジャンプがやはり目次の作者の一言の欄にて、すべての作家に悔やみの言葉を述べさせていた。判で押したようにどの作家もメーフクなる他所行きの単語にてお祈りしている様は、まっこと全体主義が感じられてキモチ悪かったことよ。少年サンデーでも同様であった。が、ただ違っていたのはサンデーにはゆうきまさみがいたのです!

 で、今回。石ノ森が死んで、小学館系の漫画雑誌はこぞって漫画家による追悼メッセ−ヂの特集を載せてる。サンデーなんか、善い子ちゃんの良識的なコメントばっかぢゃ。人様に読ませるモノだったら、面白くしろよう。な中、ゆうきまさみの普段と変わらぬスタンスたるや、好し。


(1998.3.20)

 漫画は作品にて評価されるべきだとは、をかべの持論である。たとい昔大ヒットを飛ばした大作家といえど、現在発表する作品がヘなちょこなら評価に値せず! よろしいか。

 で、この考えを純粋に昇華させてしまいました。「作品を語るに於いて雑誌の質は関係なし」。どお?

 佳い漫画を多く内包する雑誌には、佳い才能が尚更集まってくるものだが、“この雑誌に載ってる=佳い漫画”てー判断は違うよね。で、逆も言える訳だ。

 何の話をしているかっつーと、新生ガロである。一悶着あって一回潰れて、新たに出発したガロたるや雑誌としてはスカタンである。「あんなのガロぢゃないや」然り御尤も!

 でも、作品としては上質、って漫画が載ることも、あるみたい。ガロは誉めずとも漫画は誉めよう。明日3月21日にコミックワールド二昌堂にてサイン会が催される永野のりこが、3月号までのガロに載ってた。ガロ的には違かった最右翼だったのだけど、作品的には佳かったのぢゃ。


(1998.3.28)

 漫画に関するHGな話を呈示するが故に「超《を》級HG漫画缶」である我がコラムを、NG漫画缶だと思っておられた方がござってくい〜ん。かくなる上は読者の皆様がどげな話題を所望か、意識調査を敢行するのぢゃった。いちばん読みたいと思う番号をマークしてね。Hの鉛筆でね。

  1. 98年のTVドラマのベスト1は同名の漫画が原作である「おそるべしっっ!!!音無可憐さん」に決定ですマジで話。
  2. 昔、名駅前の毎日ビルに入っている某新聞社が、名古屋地区のプロの漫画家の集うサロンのよーなモノを開いていたことがあって、鳥山明が奥さんのみかみなちと知り合ったのは、吉田哲郎氏曰く、実はそこでなんだ、仲人みたいなもんだ話。
  3. いま最も楽しみにしている漫画は、3月末発売のメフィストに載る『茉莉森探偵事件簿6』です話。
  4. 97年度の中日新聞の最大のお手柄は、黒鉄ヒロシを1コママンガ家として起用したこと話。

     4月1日必着です。何処へ?…てゆーか何が?


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