◆超《を》級HG漫画缶累々々々々々◆ 〈96/5/11〜8/31〉

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(1996.5.11)

 似顔ってむづかしい。まづ自分の顔ってむづかちいの。あの山藤章二ですら、自分を客観視したシワシワ白髪の状態の自画像を未だ描けずにいつまでも若い時の自分を記号として使っておられましゅし。

 人様の顔を描こうとしたことのある人なら判るかとおもーけど、描きづらい顔ってある。他者との差別化がしぬくい顔とか、パーツでは合ってるんだけど組み合わせると似ない顔とか。整いすぎてるってのは前者ですし濃い顔で描けないってのは後者であったりする。

 あと、描き手のタッチてゆーのも問題として存在してて。逆の例を挙げた方が分かり易いかにゃ、“この人の顔はこの漫画家の絵柄で描くと一番似るよ”っつー。とり・みきが『愛のさかあがり』で、カダフィは「小林まこと氏の描くマンガの人に似てる」ってゆー発見を画いてるけど、まさにそーゆーコトでふ。性格をタッチに依って表現する、訳ね。

 で、パンチ佐藤を表現するにはなかむら治彦の絵柄がベストだよー。


(1996.5.18)

 ちーさい時分から、ロングアンドワインディング“ギャグ”ロードを邁進してきた。をかべさまで、随分永いこと、漫画を選択する判断基準として「ギャグが入ってるか否か」を用いていたのよ。不気味みたい。

 そんなもんで今の状態がある訳ですが、一方で同世代の漫画好きの連中が当然のよーにハマった大ヒット漫画でも、ギャグだない奴には思い入れがないもんで読んどらんつーことあるある君♡

 島本和彦って仮面ライダーごっつ好きで、自分でも画いたりしてはるけども、おんなじ石森ならをかべは『ひみつ戦隊ゴレンジャーごっこ』か『ワルカロー』、ずーと古いとこで『ボンボン』が好きにゃのなー。

 コミックガンマでは超ビックプロジェクト始動!!とブチ揚げて、『NEOデビルマン』とゆうのを萩原玲二とか岩明均とかが画くといゆ連載をしている。しかし! わしは自慢ぢゃないがデビルマン読んだことない人じゃあ!! 永井ワールドなら『まろ』か『あばしり一家』なのよさ。


(1996.5.25)

 少年サンデーの、昭和43年の8月18日号といえば500号記念号ですね。川崎のぼるが『アニマル1』と『歌え!! ムスタング』の2本を連載してるは、赤塚不二夫が『もーれつア太郎』の連載に加え読み切りで『おそ松くん』画いてるはだわ、板井れんたろう『ドカチン』とかムロタニツネ象『ドクターツルリ』とか白土三平『サスケ』とかつのだじろうは『てなもんや一本槍』をやってて。藤子不二雄の『21エモン』まで載ってる&背表紙にゃ古谷三敏の三コマまんがもあるぞっつー。これらをふまえて。

 巻頭の2色グラビアは500号記念特別企画赤塚ギャグバラエティ、『これぞ20世紀最狂の野球だ!! オールズタズター戦』つー奴ですが、こんな古いサンデー捨てずにとっておいたってなぁ、ひとえにこのグラビヤの故。タイガー立石の28年前のこの偉業に触れずに人生送ってきた皆さんいとあはれ。せめて福音館書店刊『トトとポンチョ』でも見て下され。今なお健在なりタイガー立石。


(1996.6.1)

 96年のCDアルバム部門ベスト1が決定致しましたので。橘いずみの「ごらん、あれがオリオン座だよ」ですので。今年の残すとこ七カ月はこれ聴いて過ごそう。

 普段スチャラカな文章認めているワタクシですが、こーゆ「人生行き詰まってなすすべなし系」の楽曲も受け容れるヒトでもあったのぢゃ。二面性とでも言うのか。山形弁研究家の外人さんに新作のモチーフにされないかしらね。

 現在なら創作を志すものの95%(推定)が当然のように履修してきている「アルジャーノン」の名を、知る限りで初めて作中に登場させたのは萩尾望都であったし、吾妻ひでおも漫画に取り込んどった。先見の明。

 マンガ奇想天外もコミック・アゲインも亡き今、真にSFを楽しんでいる漫画ってばチョベリ少ですが、『岸和田博士の科学的愛情』は◎。(本文中のダニエル・キイスとダニエル・カールを混同した部分は演出上の意図に依るものであり、ご了承下さい。くださらずとも可)


(1996.6.8)

 遊ぶWindows(宝島社)って雑誌の漫画の依頼が、ここんとこカラーでってことになって知ったんだけどさぁ。漫画をカラーで描くのってむづかちいね(ウヒー)。プロとは思えん発言? あるまじき?

 イラストならよぉやっとった。東海テレビのうがったもカラーなことだし名古屋テレビのビビデの旅もののイラストボードもCBCの天才クイズのテレホカも、カラーのお仕事でしたことよ。

 イラストとかカットはまだいいんだよね。絵の部分だけ色を付ける、若しくは背景を単色でべたーと塗るとかできるし、して差し支えない。

 ところがだ。コマを順に積み上げて構築されるべき漫画作品ってば、なんかかんか背景の表現をせん訳にいかん。もともと僕の絵って、色を付けることを前提として描かれとる訳ちゃうんで、背景きちんとなんか画きゃしない。カラーでって言われても困る困る。ムラ出来る出来る。Macが欲ちいなあって思うこの頃。内田春菊や須賀原洋行、いいなあ。


(1996.6.15)

 藤田和日郎ファンの貴女は、当然買ったことでせう。田中芳樹『纐纈城綺譚』(朝日ソノラマ)。

 平野甲賀とか菊地信義とか好きなワタクシは本の装丁にはちーとうるちゃい(ことがある)。本を選ぶ際に、カバーイラストに惹かれてチョイスするのもまた善し。瀬戸朝香サマも言うておられるよーに「見た目で選んで何が悪いの!?」てー寸法さね。

 小説の表紙に、だから人気漫画家の筆によるイラストを遣うってのはアリですわ。その絵の方に釣られて買っちゃったってこと僕もあるもん。カバー装画高野文子による『その後の仁義なき桃尻娘』とかさぁ。カバー外して大事に保存してあったりしてましゅ。

 こんな風に、“作品世界が似てるしぃ”みたいな判断基準で今までのカバーイラストは漫画家を起用してたんだけど、この度”画力のファクター”までも慮っちょる本が出よったねーん。集英社文庫『ファーブル昆虫記』。虫をデザインさせたらこの人!の鳥山明が表紙やってんだヨ♡


(1996.6.22)

 『編集王』の1巻とかは、読むと漫画家になんてなりたくなくなるですね。当初の意図を遥かに凌ぐ強力なインパクトを与えてしまう出来になってる訳なのですね。“漫画作家や編集者のウラっ側のどろどろをここまで描いちゃえるのはスピリッツだけじゃろうフフンどうぢゃい”と始めた連載でしたが、ただ面白いのみならず、漫画家を志す者の夢もチボーもすべてブチ壊してしまうに至って流石にこれはいかんと察したか、よりフィクション性を前面に押し出すという方向転換を経、今ではお話としてのみ楽しめる漫画とゆうスタンスで提供され続けているのですね。

 そんな訳で漫画家を諦めるにうってつけの作品が『編集王』の初期の奴なんでしゅが、逆に、読むと漫画家にふつふつとなりたくなってくるよな作品てぇのが“ここまで自由に自分勝手に画いて雑誌に載りゃぁ、そりゃ気持ちよかんべ”つー、例えば『神聖モテモテ王国』なんかは漫画家志望者にとっての福音(笑)。


(1996.6.29)

 亜流の漫画ってェのが、ありゅー(爆笑)。特に判り易いトコで、4コマ漫画に見られたりするのね。シュルツの亜流だの、いがらしみきおの亜流だの、二番煎じの三流4コマ画いてる方々おられますよね。

 普くすべての漫画がオリジナルたれ、つってる訳ぢゃないス。模写も模倣も、ステップアップの手段になりえようことは百も承知。でも真似っこのレベルで留まってちゃプロちゃうやろ。

 いしいひさいちが『タブチくん』でメジャー誌に登場した時の衝撃たるや、すさまじいものであっただ。多くの漫画家がいしいのシステムを取り入れたの。今でもやくみつるの絵柄にその痕跡が残ってるっしょ。

 さて。今なお一線級の作家足りえている当然の帰結として、いしいひさいちの作風は流石に変化してきている。が、幸いなことに中日スポーツを講読する人々は、初期のいしいに最も近く、且つ亜流と評するにはあまりにレベルの高い、くらはしかんが読める。存分に楽しまれたしっ!!


(1996.7.6)

 部屋に本がー。溢れてるー。

 だって月刊の漫画雑誌七誌も買ってんだもの。捨てないし。ひー。

 勤めてる短大では、漫画のこと何ひとつ解らん教授が権力持っちゃってるせーで、必要な漫画の蔵書ちーとも増えやせんのだが。可哀そうなは学生でござい。さておきわが家は本増える大会。

 漫画なんか単行本で持っときゃいーよーなもんだが、違うんだなあ。紙質悪かろうと雑誌サイズってでかいし、なにより初出って大切なファクターよ。コミックス収録時に画き直しとかよくあるでせう。

 さて。でもいよいよお部屋が狭くなってきた日にゃぁ、要る漫画を切り取って残してあと捨てる作戦だ。幸いなことに三年くらい前から週刊漫画雑誌もホリキス使うのをやめて下さってきてて。昔はホリキスの針起こして抜いてェとか大仕事だったねん。昭和は遠くなりにけりだわ。

 で、いちばん最近切って残した漫画ってやぁ『SHADOW LADY』ですわ。早よ月刊誌も切れ。


(1996.7.13)

 九年前の夕やけニャンニャンのビデオをお持ちの方は観て頂くと判るかと思うが、7月17日ってをかべにとってのアニヴァーサリーである。当時本山にあったHRでぇ、我妻の幻の衣裳を入手したつー記念すべき日にゃにょー♡ そん時満里奈のスカートも買いました(笑)。W宝物。

 その善き日に、さらにかてて加えて悦ばしきことが今年起こる。ついにあの『ぶんぶんレジデンス』の単行本が発売になるのだあーっ。坂本タクマ著ーっ。竹書房刊ーっ。予価六〇〇円ーっ。近代麻雀オリジナルの巻末4コマの『シンケン君』もきっと同時収録されていると、いいなぁ。

 ギャンブルが舞台の創作って「なんでもありあり」すなーち“偶然”が作者の思うがままになるために、並みの漫画以上にキャラクター性で見せななんない。が、『ぶんぶん』の偉いところは、キャラの魅力に加えて毎回毎回「新しいルールを設定する」つーシステムで見せてるとこなの。ネタでも勝負してるって訳。


(1996.7.19)

 モロパクと少年キャプテン7月号の扉で自ら写植をうっていたところのヴェア・タウゼント・フスが、いよいよ26日発売の9月号誌上でハイパードールと巻中カラーで戦うそうだげなだわ。8月号はなにしてたかつーと『楽勝!ハイパープチドール』ってなんで8ページなんじゃー(笑)。終わってしまったが『さよりなパラレル』の真似かいーっ(ひー)。

 もとを知らない人でも楽しむことの出来る漫画のほうをこそ支持したい。アニパロとかは、どこまでいってもやっぱき純粋な創作よりゃー下に見ちゃうよ俺ぁ。っつー古風な考えを持っていますが、作品の中に効果的に現れる“引用”ってのは好き好きでして。

 『編集王』中のジョーだのキャンディだのや、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』中のファーザーなんか直接的な引用の例だやね。とかぁ、鉄腕アトムのガデムの巻読んでなくてもオッケー、知ってりゃ「なる程モロパク」と認識した上で(笑)より楽しめるパードルみたいのも素敵。


(1996.7.27)

 漫画はあらゆる事柄をモチーフにする。ってゆーか出来る。萩尾望都の『半神』なんてあなた、漫画以外のどんな表現手段で描けるものか。作者の訴えたいこと(自己認識のために自分と対面する、んで心の内面を確認する、かなんか)を描写するのに、二重体児を題材として選ぶ、その時点で実写映像を用いれば画面のインパクトがテーマを圧倒するだろうし、文章で著すには衒われた「奇」が鼻につく割に底が浅く見えかねなかろう。漫画という手法はデホルメその他の効果を使うことで微妙に、なまなましさなどをオブラードに包み表現することが可能になるつーものなの。

 ねこぢるはその可愛らしい絵柄でぼやかして、“良識派”且つ“倫理観”を持つと自認する大人たちには受け容れられぬような「幼児性残酷さ」やら、日本的でウェットなそれとは懸け離れた「ドライな、今風の死生観」やらを漫画で顕してます。嫌悪感が抜けない人は、藤原新也の『東京漂流』読んでから見てみてね。


(1996.8.3)

 ゆうきまさみ偉い。コーヒーいれる時、「淹れる」って表記するし、ゆるすなんか「許す」ぢゃあなくて「赦す」だよ「赦す」。何故少年サンデーでそこまで漢字にこだわる!?

 最近怒れるのがぁ、苗字を名字って書くしぃ、怖いを恐いって書くだらぁ。どえれぇむかつくでかん。衣裳は衣装でなくって衣裳だでぇ、よぉ憶えとかんといかんよっ。なんて愚痴るヒトもすけなぁなったのかもしゃん。

 そんなご時世に、お知らせしますを「お報せします」と書けるゆうきまさみは貴重だ。こーゆ表記の仕方って字引見てもおいそれと載っとれせん。漢字センスと経験則がモノをゆーので、良質の作者に出会った際には充分とそのテクを吸収しとかんと。漫画で、日本語の文学的表現に対する資質を育めるなんてああた、理想(のうちの一つ)的でしょう。

 もちよん、日本語を破壊し尽くす漫画も同じくらい好きッス(笑)。次世代の日本語表現をも漫画より得られたし!って…何でもいいのかっ!!


(1996.8.10)

 漫画家の皆さんは似顔絵を画く時に魂を売らないで下しゃいね。をかべからのお願い♡ ま、ギャグや四コマ関係では懸念することないか。好意を持って、等身の高いタッチで描く場合に気よつけてほちいノフ。

 サンデー30号31号の田村亮子物語は非道かったねぇ。橋口隆志が画いたからつって、なんであのラッシャー板前づらの田村亮子がヒナと同じ顔になっちゃう訳ー? そっくりに描いては可哀そうな人物なら、実録ものにしてかんて。

 私の似顔絵テクは稚拙でござい、人物の画き分けは専ら髪型に依りますつー漫画家さんなら、まぁ別にいいや、どーでも。画けるのに、本人に気を遣うあまり似ても似つかないキャラを似顔として用ゆるてー手法は、なんか読んでても残念な気がするし、表現の自由度を自ら狭く限るようで不快だよなぁプロとして。

 確かに、そっくりに描いちゃいかんだろ!?と思わせる面相の人もいるたまには。が、描け! 怒られたらあやまれ! だが描けそっくりに!


(1996.8.17)

 神業ホットウエーブとゆうCBCのラジヨ番組のォ、打ち合わせん時にみんなして「えッ! まんだやっとったんか!? まぁ終わりゃあええのに」漫画を挙げてみたんだわ、こないだ。『浮浪雲』とか『美味しんぼ』とかの順当なトコが名を連ねて、「…そーいやー『ガラスの仮面』てやーどーなった?」とかを経てのち、『カメレオン』を挙げたところが、皆さん知らんそーだげなで、をかべびっくりよ。『新・コータローまかりとおる!』は判って頂けたんで、マガジン代表はそっちになりました。こーゆ漫画って“買ってまでは読まん、あれば読む”系の雑誌(パーソナルな基準で)にひっそりとズ太く続いてることが多い。わたくし少年マガジンは献血ルームでのみ、読む人でして。

 さて! 昨年までであればキングオブ「ええかげん終われば」漫画の名を恣にしていた『DB』も、いざ無くなるとやぱ寂しいもの。鳥山明が、また飽きられきれるまで連載が続く程の漫画を画いて呉れんことを。


(1996.8.24)

 国樹由香の旦那さんは喜国雅彦だわ山科けいすけの奥さんは森下裕美だわ藤臣柊子の旦那さんはいしかわじゅんで山野一の奥さんがねこぢるだけども、いっちばん羨ましいのは江口寿史の奥さんが元アイドル水谷麻里だっつーこと。

 ビッグゴールドで『999』始まったねぇ楽しみにしてます少し不安ですがあと何話か見たらここでも取り上げまひょか松本零士も、本宮ひろしも弘華憲史も職場結婚組でしゅが、私としましてはやっぱ異業種間結婚であるトコロの武豊だの三浦和良だの羽生善治だのや近親業種間結婚であるトコロの秋元康だの後藤次利だのは羨ましい羨ましい。

 さて。しりあがり寿&西家ヒバリ夫妻の「いっしょぐらし!」を買ったんですわ。わーいしりあがりの新刊ー♡とかって喜んで中も見んと。キレェな本が買えるつーんで漫画本にビニールかける本屋支持派ですので私。が、買って帰ってみてから漫画が本全体の5分の1くらいしかないってのに気づいたのにゃ参ったぞ。


(1996.8.31)

 あと四カ月!を残してここで96年ベストオブ漫画単行本の発表ぢゃ。ぱんぱかぱー! 青林堂発行古屋兎丸著の「Palepoli」です。とっっっても美麗表紙で、ご贈答品にも最適♡お部屋のインテリアにもどーぞってなもんで。

 漫画を贈答するっつーのはトテモ正しい。さだめし入院しているおトモダチなんかにはさぞや喜ばれることでしょうぞ。以前、お見舞いに「動物のお医者さん」全巻を持ってったらば、当人じゃなく弟さんがそれ読んでエーキョー受けちゃって、いま獣医への道を歩んでるってゆう実話が実はある(爆笑)。

 あと贈答品として正しいのはレアだけど旬!て奴ね。こないだ北海道から遊びにきた友達には名古屋土産としてサイン入りのつボイノリオのCD「あっ超ー」をあげました私。喜んでた、かなぁ。といいなあ。

 さて贈答話休題。「Palepoli」買って、「柏屋コッコの人生漫才」の3巻買った人は須くみんな原典に当たろう『赤色エレジー』。


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