「招福!きねま猫」2006

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『アイス・エイジ2』
 漫画を画くのにデッサン力なんて要らない。あって邪魔になるものぢゃないが無くても氣にならないとゆーのが持論です◆このアニメの、ナマケモノの造型を見て頂きたい。目の位置は顔の輪郭の外、両側に飛び出してる。そんなデホルメが施されている。このデザインの前に通常のデッサンは非力だ◆どんぐりを追いかけるキャラクタ、スクラットに到っては、腕は伸び腹は膨らみ、伸縮自在だ。「骨を画き、その上に筋肉が乗っかり」なぁんて解剖学的に正確な描写に長けていようとも発揮する機会はない、いっそ、そんな知識が自由な発想の枷になってしまってはと憂慮するほどだ、そう思っていた◆ところがさ。マンモスの動きを見て解ったよ。マンモスをマンモスらしく歩ませるには脚をアニメイションさせるだけぢゃ駄目。肩とか腰とかの筋肉から全部をもりっ、もりっと動かす。それでようやく巨大な動物がのし歩くそれっぽさが表現可能になる◆滑稽に、剽軽に描くばかりが戯画化ではないと知った。せっかくのCGアニメなのだ、「本当みたい」って方にも強調できゆ広さが活かされていたのでした。

『アキハバラ@DEEP』
 佐々木蔵之介演じるIT企業の社長は梅田望夫著『ウェブ進化論』(ちくま新書)を読んでおくべきだったろう。もっと言うと、読んでなくても、あそこに書かれている内容くない身を以て解ってない人がIT企業の社長やってちゃ、それは破綻する、と思う◆「オープンソース」とか「ごーぐる」とか、このお話に出てくる思想が解析されているから、観客のミナサマも『ウェブ進化論』は知っておくと映画を格段に愉しめるぞ。たとい石田衣良の原作本を読んでなくても(笑)◆これは「5人のパソコお宅たちが、巨悪である大企業に挑む」物語だ。図式だけ取り出せばとってもオーソドックスな、誰もが支持しよう痛快勧善懲悪活劇のパタンが描かれている。だから故にラスボスには弱点が用意されてなきゃならない、それが『ウェブ進化論』も解ってない、「アナログな強奪」を敢行しちゃうって辺りなのでしょう◆お宅たち5人は、お宅とは思えない身体的なアクティヴさを発揮します(笑)。十分に、お宅層以外の人々にもアッピールするよう演出が施されているエンタテインメントに拵えてある訳でした。
『硫黄島からの手紙』
 言うまでもないことだけど『父親たちの星条旗』はアメリカ軍側、これは日本軍側から、硫黄島での戦闘を描いた映画です。『父親たちの星条旗』が存外とっとと硫黄島から舞台を移したのに対し『硫黄島からの手紙』はテッテ的に硫黄島にみぃんないる◆『父親たちの星条旗』は英雄に祭り上げられた3人の兵士の困惑を語っていた。反戦を「戦争ったって結局金かよ、金のためだったら騙しだってへっきですんのかよ」って角度から訴えていたの◆こっちは真っ向から戦争反対を主張できるぞ。負けた側だからね。負けるのは痛くて辛いと語れば戦争の悲惨さは表現し易かろう。一番衝撃的だったのは手榴弾を使った自害の方法でした。同じ日本人ながら、ああ、「切腹」なんてのを考案する国民らしい死に様だ、そう教育されたんだろうなと思った◆そして。負ける側だからこそ、どうにか抗おうとする工夫、最後まで死なず生き延びる顛末が見せ場となる。頭の良さが、皮肉なことに際立つのだ◆「映画」として観られる盛りわがりは、だからぢうヴんに充たしてもいます。観応えのある反戦映画たり得てるの。

『石井輝男 FAN CLUB』
 昨年肺癌で亡くなった石井輝男監督を追ったドキュメンタリィです。2003年のヴェネチア映画祭での様子と、2000年の『盲獣VS一寸法師』の撮影風景を撮ったメイキングとで構成されてます◆ヴェネチア映画祭に呼ばれるような監督だ、作品を観たことがなくても、国際的に名が通ってる人だとは知れよう。それがさ。『盲獣VS一寸法師』の撮影風景はつごいよ!◆例えば、「台詞を口伝してる」。全部ぢゃあないだろう、でも、俳優に台詞をこう言えと口頭で伝え、その場で決めていると思しきシーンがありました◆「ロケを5分で済ます」。路上でロケをはぢめたらお巡りが来て、許可が取ってないから撮影をやめろと遮られる。そそくさと場所を移動し、今度は見つかる前にと「リハはさっき済ませたから」とカメラを据えるや即座に回して5分でその場を去る◆映画監督って、こんな刹那的な撮り方をしてもちゃあんと全貌が頭の中に築けるんだ、そーゆー職業なんだと思い知らされたぞ◆なお、今回のシネマスコーレでの上映期間は4日間限り(!)ですので。観たい人はオミノガシなきようにね。

『インサイド・マン』
 痛快な銀行強盗ものです。つまり観客が自分を強盗側に投影して、頭のよさを楽しむタイプの犯罪映画ですね。警察がどんどん迫ってくるとどきどきするよ◆「観客に支持される」犯罪者たり得るためには、例えば誰もが目を背けるような非道なことは前面には訴えない方が有利でしょう。銀行強盗のくせに何故非道に徹しないのかって点まで含めて興味を惹くし、そこを巧く説明できる理屈は高度である◆そもそも「人質を取って立て籠もる」なんて、犯人側に有利とは思えない。そんな難題に挑むお話です。上手に構築できればそれは犯人の頭脳レヴェルの高さ方向へ転換することが可能で、すなーち一層犯人側が光り輝く◆さあ、はらはらするけれども、サスペンスフルであるけれども、楽しめる映画、上質なエンタテインメントとして成立もしているのです。だったら! 繋ぎのエピソードも魅力的に映るよう組める所以だ◆刑事役のデンゼル・ワシントンが解読不能の言語を耳にした時に採った行動、それによって起こったその後の展開が象徴しているだろう。喜んでキャラクタを動かしていることが解るよ♪
『エミリー・ローズ』
 悪魔に憑依された女の子、エミリー・ローズが神父さんによる悪魔祓いの最中に死んだ。警察の検視の結果、異常に体が傷ついている。つーことで神父が裁判所に訴えられるという展開をみる物語です。実際にあった訴訟事件を映画化したものだというぞ◆ミドコロは、とても解り易い。だって。悪魔憑きと悪魔祓いのシーンでは「ホラー」を、裁判所での鍔迫り合いでは「法廷もの」を、存分に楽しめるのだ。どっちも映画のヂャンルとして独立して成立できる人気のテーマでしょう? お得ぢゃんか◆しかしこの映画はただ単にそのふたつがいっぺんに楽しめるというだけに留まらない。「悪魔祓い」って結局は“キリスト教的な解釈”が施されている訳で、キリスト教を信奉してない観客にはヒトゴト、作り物としか映らない、かもしれない。それを、だから、宗教のフィルタを介さないで説明してくれる原告側の主張は「よくぞ言ってくれた!」って溜飲が下がる(笑)感じ。もちよん主役は被告側だから、その真っ当な理屈にどう対抗するのかが法廷劇部分の最大の見せ場で、予断を許さないことこの上なし!
『ガーフィールド2』
 1時間18分の映画です。ガーフィールドはCGだけど、他に出てくる数多の動物は実写で、喋ります。つまり、子供の観客には配慮されている映画なのね◆だからもちよんスタンスも善良です。悪者が出てくる、最後にはそいつが懲らしめられると予測がつくだろう。で、その悪者のする悪事も、そんなには非道ぢゃあない。目的への切望感とは裏腹に、いっそ「抜けてる」って評されようテータラクを露呈する。それでなくっちゃ!◆安心して観られて、そして楽しい。具体的に挙げると、まず、この映画を観るとガーフィールドの好物のラザニアが食べたくなる(笑)。 ラザニア屋さんは是非とも劇場前に出店するといい。劇中で「イタリア人すごい!」とまで言ってるんだから◆あとはヂョークの定番。ガーフィールドそっくりの猫“プリンス”が悪役に捕まりバスケットに詰められテムズ川に流されてしまう。それを目撃していたフェレットが動物仲間の所へ注進に走り、言う、「いいニュースと悪いニュースがある」◆悪いニュースは「プリンスが川に流された」だ。いいニュースを、劇場で楽しみに観てね♪

『カクタス・ジャック』
 この映画の人物相関図とストーリィとを事前に見ると、メガまうであろう! とっても混み合っているのよ。え、こんなのを文字ではなく流れゆく映像で観て、初見で理解できゆものかとふわんになるほど◆だから。あららこめ言っておこう、事前に知っておくべき設定も展開も何もない。解る。頭っから映画を観ていくだけでするする入ってくる◆語り口が巧いのだ<プロに対して失礼? この構成力は凄いなあ。次々出てくるどのキャラクタも、他の誰かと間違うことはない。位置関係を見失うことはない◆サスペンスあり、ヴァイオレンスあり、でも全編に流れるのはユーモアですね。エンタテインメントってことがよっく解っている。よっく解っているあまりに、ちょっと(人によっては)目を背ける(かもしれない)シーンまでも含まれてて、緩急と高低の差は見事すなぁ◆冒頭は、トイレの並んだ個室に腰を掛けた2人の男が壁越しに噂話をしているシーンからはぢまる。展開するのは、拉致され移送される2人の親父のとりかへばや物語。知っておくのはこれくないでよかろうよ、面白いよ、観るといい。
『君とボクの虹色の世界』
 群衆劇です。個人的な印象ですが洋画の群衆劇の中には時としてキャラクタの同定ができなくなる映画がある。これはだいぢょぶ。世代ごと、性別ごとにちゃあんと棲み分け、描き分けが巧く施されている◆テーマは「愛」でした。中でも「性」的な方向へ発現する「愛」が印象に残ってます◆大人がしていることは、子供は真似るだろう。だいたい「大人だったら良くて子供がしちゃ駄目」を子供に納得いくよう説明、できなかったりするでしょう? この映画の子供たちは(大人の)世界から得た情報に興味を持ち、動く。主にそこに、未熟で、大人の目から見ると危なっかしく映る性的な行動が展開したりします◆一方、大人たちの「愛」に加味されているイメィヂは「終焉」でした。加齢によるもの、冷めた結果迎えるものなどのパタンがあります◆つまり子供らは皆、「愛」に希望を持ってる。大人は儚いものであると達観した上で、それでも「愛」を求めるとゆー角度が提示されています。ただ楽しいエピソードで構成された面白いだけ、ではな

『嫌われ松子の一生』
 まさにゴーヂャスとはこーゆーことを言うのだ♪◆まずは「豪華」である。キャストが凄い、あの人が、これだけの出番?って問い返したくなる贅沢な起用、遣われ方がしている◆「豪華」な映画ってのなら割りとよく聞く。お金が多めにかかっていればたいがいは豪華になろう◆もちよん確かに売りにはなるけど、どっちかつったら「お金」は「期待」を反映した指標ですね。例えばこの映画について言えば中島哲也監督の前作『下妻物語』が爆発的に面白かった、それを受けて今回の豪華さが実現したのかなと想像しました。キャリヤや前のの評価が豪華を可能にする氣がします◆『嫌われ松子』は、のみならず! 「絢爛」なのだ。絢爛はセンスに依ろう。派手で華やか、だけど決して無軌道ぢゃあない、緻密な計算の末の制御された統一感がある◆『嫌われ松子』の絢爛さつったら洒落ぢゃないよ。画面の手前にはお花がある。シーンごと、セットごとのカラーが細かく色分けされている。それだけのアイデワと工夫とサーヴィスが「豪華」の上に構築されているのです。ゴーヂャスすなぁ、ゴーヂャスすよぅ。い、年代ごとに心にいろんなものを残す映画だったのでした。
『クラッシュ』
 胸くその悪いものをわざと見せるとゆう創作の方向があることも解る。知らしめるとか問題を提起するとかって主旨ですね。でも、おんなじ、劇場で映画を観るってゆーんなら、氣持ちのよい話の方が嬉しいよ◆個人的なことを言うと、特に嫌いなのは閉塞感を強調した作品だ。“逃げ場がないシチュエイションで虐げられてる”とかって! 息苦しくて我慢ならない◆この『クラッシュ』がそーだった。出てくるキャラクタがヤな奴らばっかしなのだ。自分も有色人種のくせにサベツ意識を持つ親父、権力を笠に一般人女性にセクハラをする警官、などなど。うわあ。これ苦手。この後どんなに佳い展開になろうと絶対にこの映画を好きになることはあり得ないとソッコーで確信した◆そして今、ここで紹介している理由は、いやー、この後で途轍もなく善い展開になるんだな?、これが(歓喜)。大お薦めです、この映画(笑)◆ヒントを言おう、どんなにコンヂョがひねくれてる人にも弱い一点があると教えてくれるよ。この映画が受賞したら、アカデミィ賞も見直してやっていいかもなあと本心から思いますね。
『県庁の星』
 「出世街道を突っ走る県庁のエリート公務員がキャリヤを積むため、民間人事交流研修の名目で寂れたスーパマーケットに出向する」ってあらすじは予告などでご存じの方もおられよう。ここまで聞けば見当がつきますね。“居丈高で尊大な役人が、役所でやっていたノウハウや方法論ではスーパの仕事は勤まらないのだと思い知り改める展開”だろう、と。そこまで予期して臨みました◆しかしその読みは甘い。それだけに留まるような話ではなかったんだな?♪ いっこ言っておこう、「どんな部署でどんな仕事をしていようと、そこで身につけたスキルは必ず役に立つ」と解くこの物語は、とても前向きです、働くすべての者に力をくれるにちまいない◆でも主人公はそんな、観客ほど暢気な感想を抱いてられないシチュエイションに置かれるから(笑)、織田裕二は、ずうと、口をおもっきしのへの字にし続けていたよ◆あの「へ」ぐわいはものつんごい。まるでドロンパの口のようだった。はっ。もしかしてタイトルに冠されている「星」って、ドロンパの胸の星のことか!?と訝しみたくもなろうほどに、ね♪
『恋は足手まとい』
 『奇人たちの晩餐会』とか『8人の女たち』で「一軒のお屋敷が舞台、そこにキャラクタの濃い人々が集ってきてひと騒動起こす群衆劇」ってフレンチっぽい!とインプットした私です。『巴里の恋愛協奏曲』もそーだったなあ◆舞台劇っぽいこの作りは(『巴里の恋愛協奏曲』や本作『恋は足手まとい』なんかはまんま戯曲が原作なんだけどさ)、こじゃれた会話やウィットに富んだやりとりを際立てるのに適してる。からなのか、フランス映画はこれが妙に巧くて楽しめる◆『恋は足手まとい』もそうだった。冒頭の10分そこそこで次々とキャラクタが登場しては一旦姿を消す。しかし語り口が達者なのだ、ちゃんと、次に出てきた時に別人と間違うことはなかった。そいなけ一人一人にキョーレツなデフォルメが施されている訳ですね◆そしてデフォルメはキャラ設定だけに留まらない。原作は19世紀の喜劇の戯曲、だから小道具の新聞は1894年当時のものを使っている、にもかかわらず“ケータイ”と思しきアイテムが取り出されるシーンがあったりもする。楽しい方向へのデフォルメに貪欲なのであったよ♪

『子ぎつねヘレン』
 驚いた。氣持ちがいい。登場人物がみんないい奴だ◆北海道の動物病院に独り預けられた子供が、目が見えず耳も聞こえない子ぎつねを拾って世話をする物語です。環境が既に重荷で設定されている。克服すべき問題はこれで充分だと考えたのですね◆そう、テーマは「克服」にある。「可愛いいばっかしのええ話」でもなければ「無駄に辛い思いをし堪え忍ぶ話」でもない◆お母さんから離れ、北海道の小学校へ転校してくる、それだけで子供的にはふわんで一杯だ。だから。転校初日こそいぢわるそうだったガキ大将も、よそよそしいっぽい男の子も、自分を独り置きざりにして仕事で外国へ行ったお母さんも、誰一人性根の曲がった奴はいないと、やがて判る。動物病院の先生も娘も正しい考えを持つ人間だと知れる◆唯一、悪人っぽい立場で描かれざるを得ないキャラクタは藤村俊二が演じています。見た目好々爺なのだ、だから、本当に悪意が蔓延るシーンが一箇所もなく完成しているのです◆これってものすごく高度な創作テクだ。大人の鑑賞に耐え、子供も観られる映画ってこーゆーののことをいうのね!
『三年身籠る』
 タイトルを聞いてマッサキに考えたのは、映画化もされた京極夏彦の『姑獲鳥の夏』でした。あれにも“異常に長期間妊娠している女性”が登場する。理由というかトリックは、もちよん京極ミステリィならではの種明かしが待っていた。さて、では『三年身籠る』はどんな切り口であろうか◆展開や結末は本編を観るまでの楽しみに、伏せておきましょう。ここで注目したいのはテーマです。「三年身籠る」役を演じているのはオセロの中島知子だ。ヴァラエティ番組で見る知ちゃんは元気で頭が切れて明るくて、いぢられてよし、突っ込んでよしのパワフルなキャラクタですが◆本作では、表向き低体温です。テンションは、少なくとも表面上は抑えられ、穏やかで受け身形の性格に徹している。それが高じてか、亭主役の西島秀俊とも、映画の冒頭部では心が離れている。お互いが向きあってない◆しかし。なんつっても27カ月も妊娠しているのだ、その間、周囲の人々とも、そして胎児とも、まさに対峙し続けないとなんない。境遇が変わることで人との接し方を見直し修正を余儀なくされる物語だったのです。
『シャークボーイ&マグマガール 3-D』
 マックスは見た夢を帳面につけている。メインとなるキャラクタは、幼い頃に親とはぐれて鮫に育てられた“シャークボーイ”と、熔岩を自在に操るヒロイン“マグマガール”◆ところがその夢日記に落書きされたことで2人が住む「よだれが出るほど羨ましい星」“ヨダレ惑星”が危機に陥る。救えるのは創造主であるマックスだけ。呼びに来たシャークボーイとマグマガールに連れられ、マックスの冒険がはぢまる!のですね♪◆『スパイキッズ』シリィズの時には「子供向け」の装飾の強さに眩まされ真髄を計りかねていた。昨秋の『シン・シティ』を経た今、よく解る。監督のロバート・ロドリゲスは漫画が大好き!な人なのだ◆だから本作にもそのつもりで臨むとよい。漫画の表現やアイデワを実写に撮りCGでアレンヂして見せるのが楽しくてしょーがない、そおゆう監督が作った訳だ。それに飽きたらず、赤と緑の3Dめがねを掛けて観ると飛び出して見える工夫までをも採り入れてる(笑)。これぞ、劇場の大スクリィンでこそ映えよう。嬉しく、楽しく、わくわくするために観るのがよいと思います♪

『人生は、奇跡の詩』
 物語はロベルト・ベニーニの夢からはぢまる。美人と結婚式を挙げる夢だ。目覚め、勤めている大学に赴くと、にゃんと!さっき夢で見た女性がおるではにゃいか。むはーっと、仲良しのジャン・レノそっちのけで美人の後を追うベニーニであった◆その後のアタックはつごい。てか、これはストーカぎりぎりだろう(ぎりぎり向こう側かもしれない)と思ういきよいで、当初はちょっと引く。イタリヤンだから情熱的なことよのう、でも氣も多いんだよね、やれやれ◆なんて思っていても、やがて物語が進むと途轍もない話に展開してくのだ。「これはよろめいてもやむなし!!」って折伏される(笑)ラヴさ全開です。そっか、「想い」って、こー表現でき、伝わるのかと思い知らされる◆そして。言っておきたいことがある。配給会社さんや宣伝会社さんが公式にしているすべての宣伝は是非見ずに、知らないでこの映画を観て頂きたい。公式サイトを訪問するのもモッテノホカだ、今見てきて驚愕したよ。感動するためにも、悪いこと言わないからこの「招福!きねま猫」以外の情報を遮断してくざさいプリーズ。
『スーパーマン リターンズ』
 これが現代日本ならクラーク・ケントはメガネ男子とかいわれてもてちゃうだろう!(予言) 舞台は現代アメリカです。“5年前に失踪したスーパーマンが帰ってきた”って設定だ。21世紀初の映画化に、はたしてスーパーマンは現代でも超人として成立できてるか、興味しんしん丸で臨んだよ◆遜色ない。てか、今の映像技術で作られてよかったと思う。スーパーマンの能力である「重力の制御」の表現がつごく秀でてるのだ。こんなふうに“浮ける”んなら自分もスーパーマンになりたいぞ◆もいっこ新しかったのは「悪者がなす悪事」でした。ケビン・スペイシー演じる悪役レックス・ルーサーはクリプトン星のクリスタルを手に入れる。強大な力を得た彼は、さあ、いったい何をする?◆驚いた。悪者→征服欲→力の誇示→破壊活動とステレヨタイプに考えていたらとんでもない。こいつは征服欲→お金儲け→価値の創造の方に思考するぞ(その続きに→社会に迷惑をかける、がくるのだが)。利殖が行動原理だなんてなんて納得でき説得力があることか(笑)。2時間34分がちっとも長く感じませんでした♪

『スキージャンプ・ペア 〜Road to TORINO 2006〜』
 アントニオ猪木が、出るよ!◆「スキージャンプ・ペア」はDVDでばんばんに売れてる、人気のCGアニメのシリィズです。“ひとつのスキー板を2人で履き、ジャンプ競技をする”とゆう内容だ。その飛型のヴァリエイションを楽しむ、ってゆうか笑う創作なのですね◆DVDの舞台はトリノオリンピック。2002年に発売された時点で既に今年を見越した設定が施されている。そう、今年はまさに「スキージャンプ・ペア」の年、それ記念で劇場映画化されたのだ◆DVDを観たことがない人でも安心です。なぜならば、この映画は「エピソード1」だからだ。“如何にしてペアで飛ぶスキージャンプが発案され、定着し、トリノオリンピックで正式種目として認められるに到ったか”が語られる◆そしてDVD作品との最大の違いは、実写のシーンが加えられていることだ。より昔の、未だ飛型が発展途上である時代の物語を語るに当たり、そっち方面の遊びを入れたとゆー訳です。つーことで、はぢめて触れる者には取っ付き易く、DVDで見知っている者には新鮮だ。なんたって、猪木が出るんだし!(笑)

『好きだ、』
 また公開直前になったらこの欄にて詳しく紹介しようと思うが、中島哲也監督の『嫌われ松子の一生』には少女漫画っぽい独特の効果が使われていた。画面の手前にお花があるのだ。なんてゆーか、プリクラのフレィムみたい。所謂「お花を背負って登場」@『恋はマケテラレネーション』song by宍戸留美、ってイメィヂを彷彿とさせ、ガーリィな雰囲気を演出しています◆本作『好きだ、』は、『嫌われ松子』とはまた別ルートの「少女漫画っぽさ」を醸し出していたよ。ヂャンル分けすると「抒情派」ってことになるだろう。なんでもかんでも口に出して言ってしまうのではなく、空気で伝える感が前面にフィーチャーされているのです◆タイトルにもなっている「好きだ」との言葉の出し方もそーだった。じっくりとじっくりと培うさまが語られゆく◆映像にも反映していました。全編に亘ってこの映画は、空が広い。そして人物をワップで捉えた時にも背景がないというカットが多用されている。「空白で語る」抒情派少女漫画のノウハウは、女性の心の変遷を表現するのに適していると証明しているのです。

『スネーク・フライト』
 マスコミ試写のまあった夜、タレント(美人)の立花園子さんから届いたメーユのサブヂェクトは「蛇サイコー!」だった。人に、こんなメーユを打たせたくなる映画なの◆僕の知る限り、この映画を観て褒めなかったマスコミ関係者はいない。もちよんみんな「ヂャンポヂェットの機内に毒蛇がわんさか放たれ、にょろがぶ乗客や乗務員を咬みまくる話」と知って観た訳だ。つまりこの展開を納得し臨んだ者の期待は決して裏切らない◆判って、楽しみにして観ると、いっそ物語の冒頭で、なんでそんなことが発生したのか、設定が語られる、その時間がもどかしいくないだ(笑)。蛇を、早く!!と切望する◆蛇さえ出てきたらこっちのもんです。こいつ咬まれちゃえと思うキャラクタを咬んでくれる。えっ、こいつも?と意外に思うキャラクタも咬まれる。先の展開が読めて、お約束が満載で、でもこんなに面白いなんて!◆この映画の性格が顕著に解る台詞ベスト1はこれだ、スチュワーデスが慌てやってきて言う、「お客様の中に飛行機の操縦が出来る方はいませんか?」。わはは。そーゆー映画だ。サイコー♪
『戦場のアリア』
 第一次大戦中の1914年。フランスに侵攻したドイツ軍と、フランス&スコットランドの連合軍が睨み合っている戦場があった。クリスマス・イヴの夜、その地にバグパイプの演奏(これはスコットランド軍)と、それに呼応したオペラ歌手の歌声(これはドイツ軍)が、塹壕から聞こえてきた。ああ、みんなおおかたキリスト教徒なのだ(一部ユダヤ人=ユダヤ教徒を含んでます)、イヴくらい戦闘を休むことになんの反対があろう!ってんで各チーム、上層部に内証で休戦してしまう◆「綺麗に、出来過ぎた話ぢゃん」と確かに思って観はぢめました。しかし、先の展開がいかに読めたと思っても、観るとえらい感動するよ、これ! 事実に基づいているそうだけど、だったらこの手で紛争は解決するのでは?ってヒントになってないか?◆監督はフランス人。つーことで原題はフランス語で「メリィ・クリスマス」を意味する言葉です。でも邦題はもちよん「G線上のアリア」の駄洒落だ。つまり、知る限り『シコふんじゃった。』以来の“タイトルが駄洒落なのに名作!”とゆー稀有なパタンの映画だった訳です。
『太陽』
 今年これが公開になるのはタイミングがよい。「神だと思われていた者が実は人間だったと発かれる」話って、ほら、『ダヴィンチ・コード』と一緒でしょ?(笑) 我々に受け容れる素地はできている◆昭和天皇が敗戦を機に人間宣言する、その辺りを描いた映画だから、日本で作られたらどーしても何らか、いずれかのイデオロギィが作用してしまおう。故に監督はロシヤの人だし、ロシヤ-イタリヤ-フランス-スイス合作なのだ。それでこそ完成を見たのです◆でも、これは、我らが国の天皇の話なんだから、我々は観ておくのがよい。例えばこのシーンは衝撃だった>“それまでは写真を撮ることも畏れ多い存在だった天皇が、人間とゆーことになったんならと在日アメリカ軍の兵たちが大挙写真を撮りにくる。兵たちには天皇の威光は働かない、思ったことをまんま口に出して言う。山高帽をかむり正装した天皇に「チャーリー」と呼びかけるのだ”◆こんな史実があったことを、日本人である我々がロシヤその他の手に依る映画で知るなんて! ニュートラルにも、とにかく観知っておくべきだ、つくづく。

『タイヨウのうた』
 物語は特異な状況を謳っている◆“歌が好きな16歳の女の子、雨音香は、夜になると家を出て、誰も足を停めてくれる人もいない駅前の広場で路上ライヴをやっている。日光に当たると死ぬ病気なのだ。だから日中は閉め切った部屋の中で寝て過ごしてる”◆“香は、日の出前に、自室の窓から見下ろせるバス停へスクータできてサーフィン仲間と待ち合わせをしてる男の子を見るのが好きだった。ある夜、駅前広場脇を通りがかった彼を見つけ、後を追っかけて行って告る”…って按配◆だけどさ。僕は四十代の男だけどもさ。この映画で自らを投影する対象は香を見護る父親役の岸谷五朗では、ない。どころか彼役の塚本高史でもなかった。香だ。香に同調していた。16歳の女の子の、心の動きに共感できるのです◆フツーに健康に生きてたら、自分に残された時間には限りがあると思い知ってなかったら、ああ告る勇氣は出てなかったかもしれない。歌う道に進む一歩の踏み出しもそう。不治の病の故に、香は人生の選択にいきよいがある。うわ、これ、この生き方、見習わなきゃと感銘を受けちゃった次第なの。

『ダウン・イン・ザ・バレー』
 ビーチに行く途中で寄ったガソリンスタンドにカウボーイハットを被ったお兄ちゃんがいた。ビキニ着用のヒロインが一緒にビーチに来ないか誘ったら、車に乗り込んでくるのだ。仕事はいいのか訊くと、店主に「行くならもう戻ってくるなと言われた」げなだ。「君とビーチへ行く方を選んだ」とか巧いこと言われ、ヒロインはぽゎん(はぁと)てなっちゃうの◆子供って、こーゆーお兄ちゃんに惹かれる。お父ちゃんは口煩いばっかしだもん。ノリがよくて楽しいことを経験させてくれる、そんな奴に誑かされちゃう◆でもそれって単にちゃらんぽらんでえー加減なだけですからっ。善悪とか人の迷惑とか解ってませんから、こいつ。ヒロインは17歳、お姉ちゃんだからまだしも途中でその怪しさを訝しむ。しかし13歳の弟は本当に子供だ、友達もおらず家でも孤立している存在なので、ころっといくのよ◆つくづく、家族を護る父親にとってこーゆー奴の出現はどもならんだろーなーと思った。ストーリィ渦中のメインキャストより、振り回されるサブキャラにこそ自己投影をして共に悩む、そんな映画だったよ。

『ただ、君を愛してる』
 玉木宏×宮崎あおいとゆう美男美女のラヴストーリィだ、画がとても綺麗です(はぁと)。宮崎あおいの役柄が写真家で、もちよんその作品として切り取られる絵も美麗に映画世界を彩り、一層盛りわげてる訳ですが◆しかしこのラヴは緻密に考えられているよ。映画を観ていっつも思う、「こんな美男がこの年齢までラヴに出わわず無菌で生きてこれようはずないぢゃん!」って疑問は、玉木宏にコンプレックスを与えることでクリヤしている。ああ、この理由なら解る。フィヂカルな接触に腰が引ける訳だ。納得のいくそーゆー“原因”の設定故に、大人なのに、美男なのに、「プラトニック」って状況が受け入れられる◆宮崎あおいは、単体ではもちよんかわよい。しかし本作での役柄は「眼鏡を掛けた、ちびっこい変な子」だ。対比として超美形の黒木メイサまで用意されていて、だからはっきりとここでは「ぶす」担当です◆“玉木宏が、美人の黒木メイサに惹かれつつもぶすの宮崎あおいと結ばれる”話って、これはつまり今年のトレンド、「ブスの瞳に恋してる」に倣ってるぞ。面白いに、決まっている。
『テキサス・チェーンソー:ビギニング』
 映画の観客って贅沢で貪欲だ>「映画の観客」って僕のことですが。前作の『テキサス・チェーンソー』を観た時に思った。なんで店の婆あも保安官も殺人鬼の仲間なんだ。そいつらが巧いぐわいに被害者の前に現れるって、都合よすぎないか◆ホラーなんだもん、見たいのは「人体が解体され、血飛沫が飛び散り、肉片と化していく」非日常だ。安全で清潔な生活を送っているからこそフィクションでくらい対極にある世界、それを発想するヂャンプぐわいを愉しみたいぢゃん◆それが充たされてるのに、観たら観たで、今度は整合性や理屈を欲するの。我が儘で限りないんだから!>自分だけど◆それをすべて埋めるのがこれ、所謂“エピソード1”だ。本作で、ぢぢいや婆あが殺人鬼を交え群れ棲んでいる理由が全部解明する。なんて筋が通っていたんだろう!◆そして、もちよんこの最悪の殺人鬼のお話は前作に続く。つまり映画のラストで殺人鬼は安泰だ。殺人鬼が被害者の反撃に遭っても、安心して、助かるからだいぢょぶ(殺人鬼が)と観てられるよ! 残虐シーンが存分に満喫できるって寸法ね。素敵♪
『東京フレンズ The Movie』
 少年マガジンの『もうしま』に画かれてたけど作者の西本英雄が居酒屋のシーンにエキストラ出演してるのだ。チェキりましたとも! 冒頭7、8分って辺りに出るのでオミノガシなく◆主演の4人、大塚愛、小林麻央、真木よう子、松本莉緒は全員1982年生まれです。へえ、そんなとこまで氣を配ってちゃんと揃えたんだーと思ったら、この子たちが演じている役柄って大塚愛は23歳、小林麻央と松本莉緒は21歳、真木よう子は26歳で設定されているんだって! せっかく実年齢が一緒なのに最大で5歳も年齢差がつけてあんのか(笑)◆東京で知りわった4人の女の子がフツーにあり得そうなラヴの悩み4パタンに対峙する物語です。誰もがどれかに共感するのではないかしら、特に21歳から26歳の女の子だったら◆小林麻央のブログ「まお日記」の2006-08-02 00:24:38付の記事「試写会」によるとこの映画を作るのに3年かかったそう。映画の前にDVDで6時間近くのドラマがあって、でも僕はそれを観ないで映画に臨んでノープロブレムでしたから。いきなし本作から入る方もごわんしんくざさいな。
『長い散歩』
 幼児虐待のお話だ。タイトルから予測がつくとおり、アパートの隣人が救い出し(=誘拐をし)連れ回すって展開になる。そんなこったろうと思って観てるから助けるんなら早く助けたれよと苛立ったり(笑)もしましたね◆しかしさすが映画だ、虐待を受けてる幼女が始終天使の羽をつけてるの。それにどんな謂われがあるのか、もしかしたらファンタヂィ方面に行くのか、その辺りは観て確認して頂くことにして。ともかく映像的に「かわよい」が前面に表現されてる。“護ってあげた度”が急激ワップしてるのね◆本当にリワルに虐待を受けてる子はもしかしたらばばっちいかもしんない。根性が、環境のせいで捻くれてこ憎たらしいやもしんない。「だから助けてやんない」ってのは方向が違おうが、ともあれ映画では観た万人が愛おしいと思ってくれなきゃ。つー意味があのアイテムには込められ、活きている◆も一点。この映画は決して幼児虐待の解決となる正解を啓蒙するものではない。特殊な一例を描いているだけだ。つまり眼目は「問題の提起」にある。これを観て、解決策を考えるのは貴女なのだ。
『日本以外全部沈没』
 今夏公開されたアニメ『時をかける少女』は佳かった、らしい<観てない。12月公開予定の『パプリカ』は素晴らしかった<観た!すんばらすい!! そんな筒井康隆原作作品の、本作は実写映画化だ◆タイトルが巫山戯てるからギャグ映画だと思う人もいよう。しかしその予想ぢゃ甘い。現代のヌルいお笑いのレヴェルでは想像できない、キョーレツな毒を持っている◆良識や大人の配慮とは無縁に、悪意と不謹慎とを旨に、自由に想像の世界に遊ぶ。この猛毒こそ筒井の真髄である。それをよっく解っている監督が作ったのだ、1974年の原作を巧く現代情勢に合わせ書き換えてます◆「日本以外」の全世界が沈没し各国首脳はみんな日本で生き長らえている。どの国の首脳かは判り易い、ネクタイが国旗の柄になってるから◆韓国大統領と中国国家主席の2人は日本の総理大臣に媚びへつらう役まーりだ。揉み手で「今日は神社に行ってきました」とか言うぞ。そそれって、やややすやすやすく(自主規制)! 総理大臣が応える、「もう神様は日本にしかいないからね?」。ぎゃははっ!◆これが笑える者のみ観よ。
『博士の愛した数式』
 いっそ数学者は、前向性健忘のお蔭で一般人の位置にまで降りてこられたのだ。事故のせいで記憶が80分しかもたない。80分経過すると80分前に引き戻される。永遠にいつまでもそこから先に進むことはない。だからこそ行き過ぎず収まっていられる現況ではないか◆すべては前向性健忘になる前に育み手に入れたものだけで賄い、今後を生きなければならない。だから、毎朝訪れてくる家政婦を初対面で受け容れ続ける、この社交性を有していたことは幸いであったろう◆80分という尺も、この天才数学者には幸せに作用している。『50回目のファースト・キス』に於けるドリュー・バリモアみたいに「1日もつ」だと、きっと思考や研究はもっと遙かに進む。進みながらも翌日にはリセットされるのだ、どうせリセットされるんだったら、80分だけ進んで戻された方が残念にも思わない程度の進捗ではと勝手に(笑)思います◆そう、言動から推測するにかなりの数学者なのだ、放っておいたらずんずん一般人から離れ高みに行く天才だったろう。前向性健忘のために得られたものがあるというこの物語は優しい。

『ハチミツとクローバー』
 同じ蒼井優が演じていた『花とアリス』の有栖川徹子が持つ“ふわふわ飄々としてとらまえどころなく抒情的”なとこを受け継いでいるのが本作の主人公、はぐみだ。ちなみにアリスの残り半分、“しっかりと堅実に夢に向かい努力する”性質は9月23日公開の『フラガール』の紀美子にて発揮されてます。オタノシミニー。閑話休題◆はぐは、天才肌だ。努力が皆無とは言わないが、そもそも天賦の才がある。故にめきめきと理想的に伸びてゆく◆そーゆー力が有効であると観ている側が認め易い、そんな場として、だからシチュエイションは美大だ。いかにも「感性の天才」がいそうな設定ではないか◆この映画を観ていると美大生になりたくなる。美大の自由さの下でなら自分も天才を発揮できるかもしんないと理想を夢見たくなる。それほどにはぐたちは活き活きと過ごしている◆そして同じ幻想は恋愛に関しても働くのだ。はぐたちのようでいられたらよかったなあと。それって、登場人物の状況を羨むって、恋愛ものの創作に触れる上で一番正しい楽しみ方ではないか。そうなるようこの映画はできている。

『バックダンサーズ!』
 主役はもちよん平山あやだけど、一番活き活きしてたのはソニンだ。昨年の『空中庭園』といい、ソニンの出る映画に外れなし!と断言したい◆そのソニンはhiroとペワを組んで9月4日の「東京フレンドパーク2」に出てグランドスラムを達成してたよ。その時のhiroのシャツのロゴが“バックダンサーズ!×3”でした◆TFP2でソニンが言ってた、歌手を目指したきっかけはspeedのライヴに行ったからだって。ソニンがspeedを歌う時のパートはhiroだから、hiroと二人でカラヨケで歌うとダブルhiroになるそうな◆でも映画のモデルはspeedぢゃない。「メインヴォーカルの子が辞めてしまい、バックダンサを務めていた4人の女の子がユニットとしてデビュウする」話だ。ライヴァルユニットの名前が“スーパータイガース”ってとこからも判る通り、つまりかつて安室ちゃんの後ろでスーパーモンキーズだったMAXがモチーフです◆観終わったら、サマンサタバサに行くとよいよ。『下妻物語』の時にベイビー・ザ・スターズ・シャイン・ブライトを詣でたように♪

『パプリカ』
 悪夢が現実世界に溢れ出してくる物語です。筒井康隆が語る悪夢を今敏は、偏執狂的とも言える描き込みと、線画で描かれたすべてがメタモルフォーゼの限りを尽くすデザインで表現した。極彩色∩絢爛な画面に展開する出鱈目な変形は悪夢と呼ぶに相応しい禍々しさだ◆今やハリウッド方面のアニメって立体的全盛ぢゃん。だけどこの作品とか12月23日公開の『鉄コン筋クリート』なんかを観ると、線画の絵を動かす面白さ、愉しさ、そして出来ることの広さを思い知れよう。線画はこんなに自由なんだと解る◆僕の持論としては、映画は完成された作品として閉じているべきだ。監督にインタヴュをしたいなんて思ったことはついぞない。言いたいすべては映画で表すのが筋です◆でも、この映画を観たら、今敏の話を聴いてみたいとゆう欲求は湧くね。こんな世界が頭の中にある人なんだもの◆このペヂーを更新日に読む者は幸いである(笑)。実は公開初日の12月2日、109シネマズ名古屋にて10時55分の回の上映終了後に、今敏の舞台挨拶があんの。どーせ観るんならこの舞台挨拶には価値があるよ!絶対に
『ビッグ・リバー』
 日本人が英語を操る映画って、危ういイメィヂがあるのって僕だけ? いっくら達者だと誉められた評を目にしようと、例えば渡辺謙は『ラスト・サムライ』の時に共演者から「でも、訛ってんだよな」と思われてるのぢゃないかと、氣になる。日本語を遣わせた時の渡辺謙の演技力は(きっと)こんなもんとは違うんだよ!と誰にでもなく訴えたくなる◆ので、本作でもオダギリジョーの台詞が全編英語だと知って、無理が発生したりはしないか、ちゃんとオダジョーはオダジョーらしさを発揮できるのか、恐る恐る臨んだのです。たら。うわ、このシナリヨはよく考えられている!◆オダジョーはテントひとつを背負ってアメリカを横断中のバッグパッカだ。他の登場人物はヤンキィ娘のおねいちゃんと、オダジョー以上に英語が片言のパキスタン人。そのパキスタン人が単語を連ねて意志の疎通を図ろうとしている、だったら。それよりゃー喋れる日本人が会話に臆する理由はないぢゃん!!◆日本人が全編英語の映画に出る「意味」がここにはあり、故に展開するすべては芝居としてではなく我々に訴えてくるよ♪
『ファイヤーウォール』
 ハリソン・フォードって本当にタフだ。ハン・ソロやインディアナ・ジョーンズだった時分にタフだったのは知ってる。それがさ、今もなお!タフなの◆見た感じ、もう年齢相応の貫禄ぐわいだ。だから本作での役どころもコンピュータ・セキュリティのスペシャリストにして銀行の最高幹部です。どっしりとした権威、って地位にいる◆だから銀行から1億ドルの強奪を目論む犯人グループはハリソン・フォードを狙った。家族を拉致監禁し、銀行のシステムに侵入するよう脅迫します◆ハリソン・フォードがすべきは銀行のセキュリティ・システムを破ること。そして、お金を手にしたからといって犯人が正直に家族を返してくれる保証なんかちーともない、奪還に行かなきゃ。前者は頭脳勝負だ、でも後者の方、ここで活きてくるのが、そう、ハリソン・フォードのタフさなのです!◆コンピュータを相手にした犯罪物語で、しかしここまで動きまある、場所を移動しまくる、スピィド感と緊迫感と、そしてアクションが披露されるなんて、ハリソン・フォードだったらこーでなくっちゃって思うことうけわいね♪

『ブギーマン』
 この映画1本でいろんなアメリカの風俗を検証することが出来るよ。まずタイトルにもなっている「ブギーマン」、これは「子供を攫いに来るお化け」です。『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』にも悪役のキャラクタとして出てきたのを覚えておいでだろうか。聞き分けのない子供を持った親が、ブギーマンが攫いに来るよと脅すのだそうだ◆本作でブギーマンはクローゼットの中から現れる。家にクローゼットがある欧米ならではの恐怖だろう、『モンスターズ・インク』のサリーとマイクがブーの部屋への出入り口にしていたのもクローゼットだったでしょう?◆子供時代の恐怖を抱き続けて15年が経過し、今なおブギーマンに怯える若者が主人公の物語なのです。だからブギーマンはクローゼットに限らず、子供が怖がる所に出没する。それは観てのオタノシミ◆そして。闇の象徴であるためか、ブギーマンの相貌は黒塗りの男として表現されていた。そこまでの意図は、すなーちそういう悪意を込める氣はないだろうとは解っていつつも『ボウリング・フォー・コロンバイン』を想起しちゃいましたとさ!

『プライドと偏見』
 ジェーン・オースティンの原作小説は“Pride & Prejudice”とゆうタイトルです。サマセット・モームの『世界の十大小説』の中にも挙げられ、邦題では『高慢と偏見』とか『自負と偏見』とか訳されています。でも。今や「プライド」って日本語の文中で使って普通に解るほど定着してますので、このタイトルの方が意味は通り易いでしょう◆舞台は18世紀末のイギリスの田舎町。キーラ・ナイトレイが演じるのはベネット家の5人姉妹の次女です。女の子ばっかし5人もいる家なのだ、お母さんが婿探しに熱心になるのもやむを得ない、かも。でもやっぱき、劇中でジュディ・デンチが言う評価が的を射ている、お母さんも妹たちも見るからに「品がない」◆ヒロインのキーラ・ナイトレイは読書好きで聡明とゆう設定です。「品」が、解るのね。そして「プライドと偏見」を抱くほどに感情は複雑でも、それを克服するほど賢く深くものを考えることもできる。あとは男性の方だ、どんな経緯で二人が素直になり歩み寄るのかを、またはそうそう巧くはいかないかを、綺麗なイギリスの風景を堪能しつつ見守るだけ♪

『プラダを着た悪魔』
 『プリティ・プリンセス』もこーでした。アン・ハサウェイは本当に「ドジっ娘属性のフツーの子が突然綺麗なお洋服を着せてもらう立場に抜擢される」役が似わう。二面性を落差として表現できるこの位置って、女優としてはとても有利だよね。カワユスく、綺麗です◆タイトルにて「悪魔」と評されている、売れ売れのファッション雑誌の偉大なる編集長はメリル・ストリープで、その威圧感がまたウッテツケ。部下も会社も自分の居心地をよくするためのツールとして用い、よい雑誌を創るためには家庭も顧みないってキャラをパワフルに演じている。カレシに「俺の誕生日と仕事とどっちが大事なんだ!」と文句を言われるアン・ハサウェイは、だから大ピンチに陥るのですね◆でもさ、ここで、『フラガール』でのしずちゃんの、身内の不幸と舞台とでどっちを優先するかって二択を迫られる役回りを思い出してみると、あの感動的なシーンで泣いた人ならメリル・ストリープの遣り方も理解できよう。両者の言い分に納得して観るんだ、果たしてアン・ハサウェイがどんな選択をするのか、どっきどきだよ。

『プロデューサーズ』
 落ち目の演劇プロデューサのオフィスへ帳簿のチェックに来た会計士は氣づいてしまった。ミュージカルはコケた方が儲かる! 出資者から金を集め、しかしコケれば配当金は支払わなくていい、集まった金はすべて懐に入れられる◆俄然乗り氣になった演劇プロデューサと、説き伏せられ片棒を担ぐことになった会計士の2人は「絶対に失敗するミュージカル」の制作に着手する。こんな設定のミュージカル映画(自らが!)が面白くない訳がないぢゃん!◆登場するデホルメされたキャラクタは、ヒットラーの狂信者、ゲイの演出家チーム、大金を貯め込んでいる好色な婆さま軍団。どいつも濃ゆいが、圧巻だったのは婆さま達だったぞ◆これはブロードウェイ・ミューヂカルを映画化したものだけど、婆さま連中がストリートにずざっと整列するシーンの奥行き感こそはロケを敢行した映像に於いて活きよう、ならではの効果だ。ちゃあんと映画化した価値がある訳ね◆加えて、映画なら画面下に字幕も出てるし。舞台の方を観ぬまま言い切るが、きっときっと映画はひけをとってない!にちまいない!と思うよ♪
『マンダレイ』
 『ドッグヴィル』の続編です<『ドッグヴィル』の評は「招福!きねま猫」04年2月27日付参照。ラース・フォン・トリアー監督が綴る“アメリカ三部作”の2作目だそうで、次作も既に計画されている◆前作同様、舞台装置はほぼ無し。カメラが、見せたいキャラクタの撮りたい行動を収めている時にも、その背後、本来なら壁や障害物に遮られて映り込むことのない遙か向こうにいる人物の姿までもが捉えちゃう。演者は氣を抜いてられない◆でも、さすがに“チョー話題になった”『ドッグヴィル』を、きっと今回の俳優陣は見知っているのだ、そして我々観客も判っている、「こーゆーもんだよね」みたいな当然感が漂っていました。かつての「なにをやるか判らんぞ」って不安や身構えとはほぼ無縁だったよ◆さあ、だからこそ今度クローズワップされるのは“主題”だ。こんな“超絶の舞台”をまたも仕立て、さらに続きの話で主役のグレースは同一人物、なのにキャストをニコール・キッドマンからブライス・ダラス・ハワードにチェンヂした、そうまでした末に訴えたいことに、意味と価値があろう。
『めぐみ―引き裂かれた家族の30年』
 興味本位でいい、観て知っておくといい。北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん事件を追ったドキュメンタリィです◆監督はアメリカ人とカナダ人だ。事件を知ったのが2002年、撮影開始が2004年。拉致が実行された1977年からのすべての映像が撮り下ろされている訳ではない◆だから「完全なる部外者にも解り易いよう、一から客観に徹し作られてる」予想が立とう。もちよん劇場公開する映画たるもの、そんなことは当然守られるべきスタンスなんだけど◆別に“問題意識を持った人に向けて、あるいは未だ問題意識を持たぬ者を啓蒙する目的”で創られたお勉強用の映像作品と思うことはない。映画だもの、愉しんで観よう◆だって主眼は「政府に拉致事件だと認めさせる闘争」だ。現在進行形の事件なんだからこうなるのは当たり前だけど◆で。もしこの事件が僕と全然関わりのない遠い国で起こったものだったら僕はちっとも観る氣になんなかったし、観ても知ったことではなかった。せっかく我々の国のお話を映画化してくれたんだからって理由でいい、全日本人が観るとよいと思います。まぢで。
『もしも昨日が選べたら』
 「ぶつぶつ言ってる男が万能のパワァをもらう」話だ。だから大好きな『ブルース・オールマイティ』の眷属だと思って観て、そのとーり。楽しかった♪◆しかし冷静になってよおく考えると、そのパワァってのはこの場合「万能リモコン」です。あ。どどど。ドラえもん方面か? そんな解析に拘わらず面白いんだけどさあ◆万能リモコンはつごいよ、隣に停まった車が大音響で曲をかけてたら“ミュート”だ。氣に入らない上司は“ポーズ”で殴って屁を掛けろ。つまんない場面は“早送り”!◆そして、ドラえもん的と言ったのはここだ。しっぺ返しがちゃあんと待っている、ラストにのび太がぎゃふんと言うように! つーのも、この万能リモコンで操作していたのは周囲の世界ではなくて自分の人生だったから。なんだけど、まあ、どーなるかは観てのお楽しみ◆さらにそして。アダム・サンドラー映画につきもののあったかい着地点もちゃああんと用意されてます。安心して、どなたにもお薦めできる所以だ。途中で披露されるお下品なギャグも、すべてはこの落差を演出するためかと穿ってみたくなるよ。
『やわらかい生活』
 『私は「うつ依存症」の女』でクリスティーナ・リッチは鬱病患者だった。タイトルが鉤括弧付きなのは正確を期した結果かと思うけど、でもまあ症状に嘘は描かれていまい、これで鬱状態なるものを学びました◆見た感じ、理不尽に癇癪持ちな女、としか思えなかった、これが鬱か。そして鬱は投薬で治癒可能な病気であるとも知ったよ◆本作『やわらかい生活』で寺島しのぶは躁鬱病患者です。入院治療が必要なほど重くもなくフツーに日常生活を営んでいる。蒲田の町を紹介するサイトを運営しつつ、いいオトコとの出わいがないなあとか思いながら、穏やかに暮らしています◆『嫌われ松子』だったら、この「なんでもなさ」を大袈裟に嘆き、ひとりこれと決めた相手に恋情を燃え上がらせヒートワップするところだ、でも寺島しのぶは遙かに現実との折り合いのつけ方が巧い。受け容れて過ごせる◆だからこそ鬱に入った時のシャットワウトは衝撃的です。豊川悦司の優しさをすらも思いやれないのかとショックだ。でもこーゆー病気なんだから仕方ない。世のすべての豊川悦司はこれを観て理解する準備を。
『欲望』
 R-18なだけのことはある、この映画、脱ぎっぷりがいい♪ 板谷由夏も村上淳も大森南朋も、惜しげもなくぺろり?んとまっぱになります◆かねて思っていたのぢゃが、邦画って脱いでしかるべきところでも脱がなすぎる。洋画だと、ビッグネィムの女優が、ここで裸を晒すか?って箇所で、しかしシナリヨ上裸になるべき展開になってたら普通に脱ぐでしょう? そして馴染みさえすればそっちの創作の方が自然だ。逆に邦画で、やたら神経質にシーツで体を隠そうと苦心しているのを観せられると、作り物であることを思い知らされ物語から冷めちゃうよ◆例えば。カレカノの間柄なら、お部屋でまっぱのまま二人過ごすこともある、んぢゃない?(誰でもそうと断定はしないけど表現としてありだと想像はできるのでは) この映画はグレィプフルーツを食べるシーンでそれをやる。特殊な事例だけど、しかし却ってとても本当っぽい◆ポルノとしてではなくこーゆー表現が通常に描けるようになれば、それははっきりと邦画の地平の拡がりに繋がろう。『欲望』が、その起動力の一助になるといいなと望むよ。
『ラブ★コン』
 原作は別冊マーガレット8月號にて58話を数える長期連載少女漫画です。映画も全編少女漫画テイストだ、どえらいかわよい(はぁと)◆漫画の実写映画化って今年だけでも山ほどもあるが、この作品が最も「漫画」の長所をまんま、効果的に映画に移植するのに成功していようぞ(と言いつつ実は原作漫画を読んでないので使われている手法が原作に準じているのかは判らないけど、ともかく「漫画風のテクニックが映画向けに巧く変換され採り入れられている」ことは確か<例えば“教師役の谷原章介の登場シーンで、挨拶の「よろしQUEEN」がロゴになって出る”とか)◆中でも活きてたのは場面転換の妙でした。もともと月刊誌の連載だ、恋愛の進展が“修学旅行”“夏祭り”“文化祭”などイヴェントに依存する。つまり時間がとびとびで話が進むのね。語られていない期間は観てる側が想像して補う。漫画のキャラクタに対するこーゆー愛着の持ち方を映画に導入しているのです。それを許すほどに主人公らはかわよく、愛らしい訳だ。キュン死(<「きゅんじに」と読む)とは、このことであったか!
『リトル・イタリーの恋』
 オーストラリヤに住む男がイタリヤの女の子に「結婚して欲しい」と写真入りで手紙を出す。ハンサムな容姿を見て結婚を決意し、海を渡ってきた女の子は衝撃の事実を報される、写真は別人だ。弟のものだったと◆たばかって弟の写真を送った男が全面的に悪い、で済むほど単純ぢゃあない。この男、人はいい奴なのだ、魔が差したのだ、ってのはさておいても、大々的に祝福され故郷を後にした女の子の引っ込みの方がつかない◆女の子も女の子だ、美醜で選ぶ根性こそ改められるべきと、糾弾するのもまた少し違う。この子がどんな思いでオーストラリヤに渡ってきたかは「架空の恋愛話を記した日記帳」で知れる。これ、ものつんごくラヴいよ! 意を決してやってきた娘がこんなかわよいことを考えてたなんて、もうルックスからスタートしようが、許す。認める◆婚約者の弟、ハンサム役の男には元氣で明るいフィアンセがいる。さあ、この状況を、「誰も不幸にしない」で解決する方法は、ある? この映画ではその針の穴を通すようなルートを、いっこ提示して見せてくれんのだ。なるほど!(うろこ)
『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』
 日本を舞台にしたハリウッド映画って楽しい♪ 日本がどんなイメィヂを持たれているか、うろこもののサプライズで一杯だもの。今回、それはタイトルからも読みとれるよ◆走りが速いくせにカーヴが曲がれない高校生が主人公だ。曲がるたんびにドラム缶だの建てかけの家だのに突っ込む。でもこれまでのレースでは勝っちゃってた◆そいつが日本に留学して来たのだ。東京でのストリート・レースの舞台は、土地が狭いからだ、立体駐車場(!)です。スロープをくるくる廻って上がって屋上がゴール。って、そんなの、カーヴ苦手だったら走れないよ! だからドリフト走行を習うって展開だ。つごい! 考えてある!(笑)◆もーひとつ、日本が舞台ならではの楽しみは俳優だ。宣伝でご存じでしょう妻夫木くん以外にも、真木よう子もおいしい出方をしてる◆ひとり、残念だったのが、今をときめくしょこたんこと中川翔子が出演してたのに、それがどこか判らなかったのが返す返すも惜しい、悔しい。しょこたんは2人いる“BO-BEEP GIRL”のうちの一人だから、みんなは見落とさないようチェキってね。
アルファベット
『M:i:III』
 イーサン・ハントはIMF(=インポッシブル・ミッション・フォース)のスパイだったが、今では現役を退いて教官職に就いている。なぁんて冒頭の設定は一瞬で忘れる、それほどのいきよいですぐに大活躍がはぢまり、そして絶え間なくラストまで突っ走るよ◆本当に、ミッションが次から次へと湧いてくる。どの国に赴いて何をするかは直前のミッションの成否や展開のネタばれに抵触するので書けないけど、巧いこと順繰りにやんなきゃなんないことが出てくるよう創られてる◆最初は、かつての教え子が潜入捜査中に連絡が途絶えたから救出に当たってくれって言われてスパイに復帰するんだよ。それがあれよあれよとゆー間に、イーサンの実際の仕事を知らない奥さんが人質に取られたから助けなきゃ、ってとこにまで話が転がっていく。それらを繋ぐひとつひとつが別個のミッションだから作戦も対応もみんな違う。本当に盛り沢山です◆そして。もちよんそもそも『スパイ大作戦』だから、件の「このテープは自動的に消滅する」指令も健在だ。いったいどんなアイテムが登場するか、オタノシミニ〜♪

『UDON』
 キャストがとっっても贅沢だ。あのタレントは今、旬だから、出てるんではないかなと思うと本当に出てる>もちよん誰でも出てる訳ではない、「出せそうだよな」と思う位置にいる人が、ってこと。具体的なこと言うと例えば大泉洋。あっっと思うと出てて、主人公たちに絡み、すっと出番がおあるぞ、見逃すな!◆中でも驚いたのは真木よう子でした。目立つ服装の3人組とともに登場した、あれって『サマータイムマシン・ブルース』のキャラクタではないかッ!?と氣づいた時は嬉しかったね〜(笑)◆そうだ、『サマータイムマシン・ブルース』って本広監督だ。しかも『サマータイムマシン・ブルース』のロケ地も香川。監督が、『UDON』のリサーチのために『サマータイムマシン・ブルース』を撮ったってテレヴィで言ってるのまで観ちゃったよ(笑)◆そんなふーに、これまでの本広作品を知っていれば知っているほど、おそらく楽しめる。たとい知らなくってもそいなけ楽しませようってゆーサーヴィス精神に裏打ちされ作られた娯楽作なんだもの、楽しさに溢れてるのは当たり前!と言いたいね。

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