「招福!きねま猫」2004

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『アイ,ロボット』
 舞台は未来社会。まるでケータイのように、皆がロボットを所有するのがフツーになっている状況で、そんな機械を信用しきっちゃってていいのっ!?って独り警鐘を鳴らし続けている刑事がウィル・スミス。「ロボット三原則」によって“ロボットは人間に危害を加えない”よう造られてるつっても当てにならないぢゃん!って主張するのだ。さて、その懸念は正しいか否か!?◆クリスタルっぽいボディのロボットたちは不気味に愛らしくて(笑)、でもうぢゃうぢゃ出てくるシーンで思ったのは、これ、舞台が日本だったら絶対に所有者がストラップをぢゃらぢゃら付けたり、シールを貼ったりして自分流に見た目をカスタマイズするぞ!でした(笑)。シカゴが舞台だからなのか、皆さん綺麗に使っていましたねー◆あとねえ、ロボットの胸部のライトが赤く灯ると、それは危険信号だ。でももし実社会でこんな事件が起こるとしたら、絶対そんな判り易いサインは出してくれないからね。観客に恐怖の存在を教えておくことで、登場人物が被害に遭う恐ろしさを増幅し演出するってのが映画のテクニックですから。

『アップタウン・ガールズ』
 ダコタ・ファニングなんて可愛いに決まっている。妹のエル・ファニングからして可愛いもの。どのくない可愛いかと言うと『チャーリーと14人のキッズ』に登場したキッズの中で一番の綺麗どころを担当していたっつーほど可愛い。それが成長したのがダコタ・ファニングだと思って頂ければ宜しい、可愛い可愛い◆しかし実は『アップタウン・ガールズ』のダコタ・ファニングは、可愛いばっかりの役回りではいられなかった。なんとなればブリタニー・マーフィーがその位置にいたからだ◆『アップタウン・ガールズ』のブリタニー・マーフィーはハイパー可愛いぞ。「子供の心のまま育った、大人になりきれない娘」の役を演じているのだ。こっちこそが子供であり、ダコタ・ファニングは「親に構ってもらえず孤独に過ごすあまり、大人びた言動をするに到った子供」だ、こっちの方が大人なのです◆お互いが、お互いに欠けたものを補い合うとゆー展開になるのは必定。ブリタニー・マーフィーの可愛いファッションと可愛いペットの仔豚を愛でつつ、可愛い二人の友情が形成されてゆくさまを堪能しよう。
『いかレスラー』
 今年はプロレス映画が多い気がするわ。女子プロレス団体の再興を描いた『ワイルド・フラワーズ』とか、撮影時43歳の田口トモロヲが1年半に亘る肉体改造を経て体重を13.5kg増やし主演を果たした『MASK DE 41』とか。あ、二つか(笑)◆両作品とも、きっとプロレス好きの人をターゲットにしている気がします。ともかく試合のシーンありき、そここそが見せ場、メインエヴェントとして描かれるシナリヨに仕上がっている。当然だけどね◆しかし『いかレスラー』はそんな“当然”に縛られるような作品ではないッ! たしかに試合はする。でも訴えたいことはそんなところにはない◆“不治の病に冒されたプロレスラが山籠もりをし、煩悩を捨て去ることでいかに進化する”のだ。いかの着ぐるみでリングに上がり、同じくたこに変身したたこレスラーと闘うのだ。科学的な根拠や常識的なリワリティを度外視した展開が描かれる◆みんな、かつて『ウルトラQ』を観てた時には、理屈を離れた世界を楽しみ、満喫してたでしょう? あのテイストが帰ってきたのです。当時を愛したすべての人にお薦め。
『エイプリルの七面鳥』
 エイプリルは家族の中の異端児。だから早々に家を出て、ニューヨークに住んでいる。お互いに避けててずうと連絡を取り合わずにいたのが、ママが末期癌であることが判ったのだ、つーことでママの大好きな七面鳥を用意してサンクスギビングデイに家族を招待することにしました◆物語は、七面鳥を焼くオーヴンがぶっ壊れていて困るエイプリル側のすったもんだと、エイプリルの家に不承不承向かう家族たちの車中での様子とが代わりばんこに語られます。果たして七面鳥は間にわうのか!ってのと、本当に家族は途中で引き返すことなく来るのか?ってのの2つの興味が同時進行する作りですね◆エイプリルの子供時代は車中の家族間の会話で述べられる。それを聞くと、実は現在のエイプリルとそんな大差ないことが判るよ。つまりは、すべては、変わるべきがどこにあるかは、ここに隠されている◆映画を観る者にとってはエイプリルが奮闘しているさまは愛らしく、応援したくなろう、きっと。でもエイプリルを嫌っているママにはその姿は一切伝わっていない。さあ、最後の一押しは、どこにあるのか?

『エレファント』
 スクリィンに映し出されるのは“アメリカの高校生のフツー”。ひとりひとりクローズワップしては、そいつが登校し、校舎に入り、通りすがりの友達に言葉をかけ、廊下を歩き、ホールを通り抜け、目的の教室に入るまでの後ろ姿をカメラが淡々と追ったりしている◆人が独りでいる時って喋らない。だから無言のままのシーンが延々と続いたりする。でもこれこそがフツーであることのリアリティなのだ。昨秋公開された『モーヴァン』でも、孤独な主人公はほとんど口を利かなかった。彼女が何を考えているかは、その後の行動から振り返って想像するしかない。傍目から見たフツーを表現しているのである◆ひとつの高校の生徒が何人か採りわげられるうちに演出の意味に気づき、そして不審に思う。仮にも商業映画作品がこんなフツーで終わる訳はない、何か起こるんぢゃないか。やがてその予想どおり、ある事件が勃発する◆起こってみるまで、それがこの日であることが予期できぬのと同等に、どの生徒がそれをするのかを言い当てることもできまい。確固たる違いなどどこにもない“フツー”さなのだ。
『オーシャン・オブ・ファイヤー』
 『シービスケット』の物語って、計ったかのようにタイミングよく障害が発生していた。やっと順風満帆にいくかと思うと騎手が怪我したりとかね。もしこれが創作だったら、あまりにご都合主義に過ぎるとそしられても文句が言えないとこだったろう◆しかし実話を元にしているのだ、すなーち「たまたま巧いぐわいに事件が勃発し、見事に乗り越えた事実」をこそ選び抜いて本にも著したし映画にもなったっつーことぢゃ。数ある実話の中から、たまたまあんなドラマティックな展開のを見つけてきたのですね◆この『オーシャン・オブ・ファイヤー』も、実話に基づいた馬のレースのお話です。しかし『シービスケット』と決定的に違うのは、レースが行われる環境だ。ダマスカスまで3000マイル、アラブの砂漠を走り抜くよ◆もう、黙っていても障害が起こるべくして起こる。幾万のイナゴの大群や熱流砂、そして圧巻、『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』にも出て来た山のような砂の津波が襲い来る。そんな中で、アメリカの野生馬マスタングが並みいるアラビヤのサラブレッドたちに挑むのであった!!

『オールド・ボーイ』
 ミステリィの技法で「ミスリード」ってのがある。「間違った方へ導く」とゆう意味ですね。観る者の目を真相から逸らすために施されるのだ。実は、この『オールド・ボーイ』ではそれがとてつもなく効果的に機能しているよ!◆突然拉致された主人公は、その後の15年間を監禁されて過ごす。ああ、その監禁部屋での15年が延々と語られる映画かなと思っていると、意外と早くその部屋から解放されるシーンに到っちゃう。そう、その後の復讐劇の方こそが肝なのだ◆主人公は黒幕を捜し出し、理由を問い詰めようと躍起になる。ここだ。観客の誰もが主人公と一緒になって「なぜ監禁したのか?」を追い求めるだろう。しかし違うんだなー。映画の中で犯人が言うとおり、疑問を持つ箇所が間違っている◆小説と違い、映画は与えられたスピィドで物語が進んでゆき、戻って読み返すことが出来ない。それ故、観客の誰にでもついてこられるミステリィを描こうとすると、レヴェルを低く抑えざるを得ない。だがこの映画は上質なミステリィを築き上げるのに成功しているのだ。ちょっとこんなの、他にない♪
『キッチン・ストーリー』
 乱暴なことを言います◆ノルウェー=スウェーデン合作の映画なんて観たことないでしょう。監督のベント・ハーメルって名前を聞いたこともなければ、主役であるヨアキム・カルメイヤーだのトーマス・ノールストロームって俳優も初耳だと思います。その辺りのネームヴァリュウで宣伝できる映画ではないのだ◆さらに。登場人物に若い女性はいない。延々と映っているのはおじさんとおぢいちゃん。この二人が心を通わすコメディなのだけど、即ち、華やかな映像や色恋物語でアッピールする映画でもない◆映画の製作としてはあんまり日本で聞かない国の、知らない監督と知らない俳優に依る、色恋沙汰が発生しないお話です。そんな、宣伝しづらかろう映画にわざわざ字幕をつけ日本で公開する気になった訳だ。これは配給会社さんが自棄になっているか、若しくは自信満々で薦めるほどとてつもなく面白いかのどっちかだと思っていい◆時代設定は1950年代初頭だという。そんなことを知らなくても、舞台がノルウェーだとしても、ここで生まれる笑いは現代日本で充分に受け入れられるものであったぞ。

『きょうのできごと』
 京都に引っ越した大学の先輩の下宿へ集まり、わいわいと一晩を過ごす若者たちの様子が描かれます。キャストがみぃんな関西弁を喋るよ。田中麗奈も、妻夫木聡も。池脇千鶴はネイティヴだから、『ジョゼと虎と魚たち』の時以上にドスが利いた喋くりを披露するぞ◆3月11日の夕方から3月12日未明までの、なんでもない出来事が語られるだけ。彼らのすぐ近所ではテレヴィニュースに採りわげられるような事件が2つ起こっているが、直接的な影響はなにもない。ただただ、お酒を呑んで、笑ったり、荒れたり、ラヴい話をしたり、漫画を読んだりテレヴィゲームをしたりして夜が更けてゆく◆まったくフツーだ。そぉんなフツーを描く舞台として京都と、そして関西弁は、とても身近だ。自分が大学生だったら、自分が大学生の時には、こんなふうに過ごしていた気がする◆全人類に共通のイメーヂとしての「故郷」が設定できるというのなら、これはまさに全日本人が共通して懐かしく感じられる「大学生の生活」の1ペーヂである。誰もがこのメンバとの「ある1日」を過ごしてみたくなる。ちまいない。
『黒の怨』
 「くろのうらみ」と読みます。映画の冒頭で、どんな怨みを持って人に害を加える悪霊が登場するのかがまず語られる。つまりそれを解明する話ではない訳だ◆例えば『リング』とか『着信アリ』とかってホラー映画では、被害者は呪ってきた相手の原因を探求し、呪いを解くことで逃れようと試みる。謎解き型のホラーって奴ですね。これは違う。登場人物たちは元を断とうとなんてちーとも思わない、襲ってくるから、場当たり的に撃退するだけ。対処療法型のホラーなのだ◆ルールは「暗い所にいると狙われる」からスタートし、「光の中にいれば大丈夫」「懐中電灯で照らされてれば安心」を経て、ついには「目だけにでも光が当たっていればセーフ」なシーンまでもが描かれるぞ◆逆に言えば、この映画で闇はテッテー的な恐怖なのだ。そんな物語が終わり、しかしエンドロールが延々と続く(映画が85分の長さなのに、そのうちエンドクレヂットだけで11分ある!)。早く場内が明るくなって欲しい!と切望した果てにくるラストのカットは、光り輝くトーチを掲げたコロンビア映画の女神だ。救いである。
『恋の門』
 監督の松尾スズキは雑誌「SPA!」でコラムの連載をもっているだけあってサブカルチャ方面の造詣がおもいっきし深い。この映画には、その知識と情報と人脈がこれでもか!と詰め込まれております◆会社を離れると実は漫画おたくでコスプレイヤのOLと、箱の中に石を配置しただけの誰にも理解不能な漫画を描く男との恋愛譚が語られるのだ。ね? サブカルでしょう?(笑) このヂャンルに興味がない人にはそれがどんな世界観なのか、なにがどう展開するのか、予想もつかないでしょう?◆それでも実は、この異状な設定には十分すぎるほどの一般化が施されている。使用されるアイテムは変わっていても、メインキャラクタたちは映画の登場人物たり得るほどの明るい社交性を持ち合わせているのだ。本当の、本物の、同人誌即売会に集まるおたくの人たちは、ここまで自らが傷つくかもしれない危険性に無防備ではないからねっ(笑)◆酒井若菜や小島聖は異常(笑)な役でも可愛いし、松田龍平は異(中略)でもかっちょうよいし、普通のお客様(笑)もちゃんと楽しめる作りになっているのでした。

『恋文日和』
 別冊フレンドに掲載されたジョージ朝倉の漫画が原作です。4編の物語で構成されていて、それぞれ「あたしをしらないキミへ」「雪に咲く花」「イカルスの恋人たち」「便せん日和」とゆーサブタイトルがついているよ◆それにしても、何だこれは、本当に少女漫画が原作なのか?<原作を読んだことがないので別フレと聞いて思い浮かぶイメィヂで語っていますが。「イカルス」の男優陣はよかろう、玉山鉄二と塚本高史だ、男の目から見てもかっちょいいと認めよう◆しかし他のは何とゆーか。「あたしをしらない」のカレシ役の弓削智久は少なくとも美形ではない風体のキャラを演じているし、「雪に咲く花」の田中圭ははっきりと癒し系の面相だ◆それより驚愕したのは「便せん日和」だ。チョー可愛いヒロインの中越典子が恋い焦がれる相手が、大倉孝二だよ! えッ!? 大倉孝二が、ラヴストーリィの、カレシ役ッ!? たしかに味のある役者だけどさぁ、性格俳優が主役を張ってもかまーないけどさぁ、しかしラヴて!◆男は顔ぢゃない、どころか何でもないの。恋は盲目なの。それを訴えている映画か!?

『ゴッド・ディーバ』
 人間のボディに鷹の頭を持つ古代エジプトの神“ホルス”だの、犬の頭の“アヌビス”、猫の頭の“バステト”なぁんてのが出てきて動くよ! 監督のエンキ・ビラルはそもそもフランスの漫画家で、こーゆー異形が人類にまぢって闊歩する漫画を好んで描く人なの◆漫画といってもフランスのそれは大判、ハードカヴァの、「バンド・デシネ」と呼ばれる判型で出版される。エンキ・ビラルはそこに、グラフィックアートと呼ばれるに相応しい、美麗にして緻密な絵をフルカラーで紡ぐ◆ようやくCGの技術がエンキ・ビラルの世界を動かすレヴェルに到達した訳だ。中には、いかにも漫画の登場人物然とした、デフォルメされた面のキャラクタも登場する。ああ、見るからに、実写の人間をCGに嵌め込んだ映画なのかな、って思う、ところがあるやもしれぬ◆しかし平気! 「人類が臓器移植やパーツの入れ替え、異種交配を通常に行っている未来世界」が舞台なのだ。顔とかつぎはぎで崩れている奴が出てきても、それがフツーだから。大丈夫だから。その設定を活かした物語が展開するハードSFなんだから。
『ザ・ボディガード』
 ある日、家にスタローンがやってくる。生まれてから今まで伏せられていたけど、実は貴女は養女に出されていたマフィアのドンの娘だ。実父であるドンが暗殺された今、命を狙われることになるから護ってやる◆ボディーガードってのはつきっきりのお仕事です。影になり、影になり、常に見張っていて降りかかる火の粉を払ってくれる。もー四六時中親身になってくれ続けんだから、スタローンが貴女にラヴい想いを抱くのは時間の問題だ(笑)◆問題は護られる側の心の動きでしょう。旦那がいる場合には予め愛想を尽かしてなきゃなんない。幸い、結婚生活が破局を迎えつつあっても、だからつっていきなし現れたボディーガードを、そう好きになれるか?◆ルックスがスタローンなのは救いではある。もし同じように力強く護ることが出来たとしても、見た目が宅八郎であってみろ。そいなけ張りついて監視し続けてるさまはどー見てもストーカぢゃん!(笑)◆スタートラインさえニュートラルに設定できれば、あと示すは誠意のみ。その深さと長さにヒロインはボディーガードにめろめろになるって寸法だ。
『下妻物語』
 ロリータファッションなんて、ヤンキィの特攻服なんて、お洒落かあ?と思うけれど、深きょんなり土屋アンナなりが着るとすんげぇ似わうね。そう、今まで似わうモデルを見てなかったから認識してなかっただけで、やっぱきファッションとして成立しているだけの完成度は持っているのだ、どっちも◆そもそもロリータファッションを選ぶとか、ヤンキィの服を着るという選択をした時点で、本人にポリシィがある。それ以外にも、この映画の登場人物はみんな自分の人生に基づいたポリシィを持っている。これはポリシィの物語なのだ、なんかかんか感動する台詞が全員に用意されているよ。中でもベイビィ・ザ・スターズ・シャイン・ブライトの社長の言葉には涙が出ますね?(笑)ってゆうか(涙)◆深きょんが着ている、このロリータ服のメゾンは、名古屋では栄NOVAの5階に入っているので深きょんの持っているお洋服が欲しい人は訪れるとよい。ちなみに深きょんはこの映画を、公開10日前の5月19日午後6時45分現在までに5回観たという。展開を知ったくらいで色褪せるよな映画ではないのだ!

『シュレック2』
 できることなら長靴を履いた猫が登場することを知らずにこの映画を観たかった。きっと、猫の初登場シーンをすごく楽しめたのではないかしら。宣伝なんかで既に見知っちゃっていたのが惜しくてならないです◆ちょっと気よつけていると、映画館の予告でもテレヴィのCMでも、やたらと『シュレック2』の映像が流れる。だから映画に興味がある者ほど、観たいなと思う者ほど、事前に面白いシーンや動きをインプットしちゃうのだ◆『シュレック2』は面白い。第一作よりテンポもアイデワもレヴェルワップしている。しかしそれでも、途中までの展開はその画づらに見覚えがある訳だ、いまひとつ気分が盛り上がってきませんでした(涙)◆だが、ある箇所で、これまでどのメディアにもその画がオープンにされてないとてつもない出来事が起きる。そっから後はほぼ誰も知らないことばっかりだ、爆発的に面白い。そのままどんどん尻上がりに、フィナーレに向かってノンストップで盛り上がってゆくぞ!◆何が起こるのかは観る人のために書かない。映画館ではぢめて知り、感動して楽しんでくざさいな。

『ジョゼと虎と魚たち』
 ジョゼは人間社会から隔離して育てられた女の子。本から知識を得ているので頭はいい。しかし実践が伴っておらず、無菌状態で育まれた心はピュアなままだ◆ジョゼは虎が怖いと言う。動物園に行っても、虎の檻の前で恐怖におののく。「どんなに恐ろしいものだって、檻に入っていれば、間に柵があれば恐れることはない」ことすら知らないのだ◆そんなジョゼに「胸が大きいというだけの理由で彼女を取り替える」男がアクセスしてくる。初めて接する“他人”の、この邪心に触れ、ジョゼの純心は、しかし真の人間に近づくための洗礼を受けることになる◆そう、ジョゼは、人魚姫であった。物語のクライマックスで竜宮からの使いがジョゼの前に姿を現す。確かにかつてジョゼはそこにいた。外界の喧噪は遙かに遠く、たまに届く悪意あるノイズもジョゼは包丁を持って追い払っていた。そうまでして護っていた居場所があった◆外界との接触を経験してしまったジョゼが最終的に選択した道はラストで明かされる。映画の冒頭で既に行方が暗示されている恋も、幸いに到るための思し召しだったのだ。
『スーパーサイズ・ミー』
 「1カ月間、マクドナルドのメニュしか食べなかったら人間の体はどうなるか」を監督自ら実験した記録映画です。ここだけ聞くと社会派のよーな、問題提起しているよーな氣がするけど、違うんだな?◆同じものばっかり食べてはいけませんって、子供の頃に言われてたでしょう? それ以前にそんな食生活、体が受けつけまい。無理してこんなチャレンヂをやってるのだ◆自分の食欲に関係なく喰うものと喰う量を決めているって点で既に異常です。だから映画の結末がどうなろうと驚くまいし、マクドナルドに対する印象も、事前に想像してたほど悪くなりませんでした◆それより、観ている時に、実はマクドナルドが食べたくなったよ(笑)。「ほどほどに、巧く食べれば、美味しそうぢゃんねえ」なんて思えてくるのです◆あと、この監督は食が細すぎるぞ。この程度のハンバーガで嘔吐するなんて!信じられません!! まぁ、健啖家ぢゃあないからこそこの企画を映画化する意味があったのだろうけどね◆色物を観るつもりで臨んで、ちょびっとだけ自分の食生活を顧みるってのが正しい、よい見方でしょう。

『スカイキャプテン ―ワールド・オブ・トゥモロー―』
 まるまっちい巨大ロボットがのっしのっしやってきたり、腕を広げてぶーんて飛んだり、それを戦闘機乗りがひらりひらりと飛行機を巧みに操り迎え撃ったり、なぁんて予告を観た時には、これはきっと“実写版宮崎駿”だ、『ルパン三世』第155話「さらば愛しきルパンよ」とか『天空の城ラピュタ』とか『紅の豚』とか、あの辺りのメカ造形や空中戦を(CGだけど)実写に組み込んで見せてくれる映画では!?と期待した◆しかし違いましたー。『スカイキャプテン ―ワールド・オブ・トゥモロー―』が描くのはレトロフューチャーの世界だ。これと比べたら宮崎駿の世界は完全に「独特の文明が発達した異世界」だと解ろう◆レトロフューチャーとは、すなーち「過去に想像された未来社会」。これを、ここまで徹底的に映像化してくれた映画は史上空前だよ◆だって!電波が同心円を描いて発せられるのが見えるんだもの!(笑) CGを使ってるくせに、このセンス。まさに過去! ジュード・ロウとグウィネス・パルトロウのやりとりも過去のノリ! 涙流しながら笑って観る価値のある完成度なのです♪
『世界の中心で、愛をさけぶ』
 この映画で見るべきは長澤まさみだ。それに尽きる。究極可愛い(はぁと)◆『ロボコン』では、ロボット部の男子生徒連中にまぢって、単に紅一点という意味しかなかった。『深呼吸の必要』ではリストカットをするよーな暗めの女の子役で、ほとんどのシーンで無言、すなーち地味な役回りだ◆この『世界の中心で、愛をさけぶ』では勉強が出来て、スポーツが出来て、ルックスもいいとゆー完璧な女子高生を演じている。“やがて成長すれば大沢たかおになる少年”に自己を投影したすべての男性は、長澤まさみにめろめろになるだろう。だってなんたって、勉強が出来る訳でも、スポーツに秀でている訳でも、かといって不良ですらもない、別段ぱっとしない自分のことを好いてくれるんだもの!◆最高の女の子が、取り柄もない自分の彼女になってくれる。しかしそれだけに留まらない。その子の嫌なことや醜いとこを見る間もなく、最も可愛いうちに、一番いい状態で、記憶がセーヴされ、その後上書きをされないんだぞ。そんな綺麗な純愛されちゃあ、引きずるってば。ケリをつけるのがむづかしいわよ!

『ゼブラーマン』
 哀川翔主演映画1000本記念作品といえば『ヤクザ野球vsテキヤ野球』だが、哀川翔主演100本記念映画といえばこの『ゼブラーマン』だ。その名の通り、縞馬をモチーフにした変身ヒーローものである◆かつてテレヴィ放映されていた変身ヒーロー『ゼブラーマン』ファンのさえない小学校教諭が自作のコスプレをしている時に事件が勃発、巻き込まれ、戦う羽目に陥る。そのままずぶずぶと、ゼブラーマンとしての活躍を余儀なくされるのだ◆脚本のクドカン臭、主演の哀川翔風味、監督の三池崇史色はたしかに強く出ているが、これは紛れもなく正統派の変身ヒーローものでした。ゼブラーマンはきちんと変身し、敵を倒し、技を磨き、より強大な敵に立ち向かってゆくぞ◆そもそも宇宙人が出てくるお話だ、理屈が解明されぬまま話が進んでいこうと細かいことを言うもんぢゃない。哀川翔と共に、降りかかる展開に驚きながら話についていけばよい。そしてかっちょうよさを満喫するのだ◆圧巻だったのは実はヒロインの鈴木京香でした。今までの役柄では気づかなかった、いい谷間を見せてくれるよ!(萌)
『ターミナル』
 監督がスピルバーグで主演がトム・ハンクスだよ。そんなの、面白いに決まっているぢゃん。断言してよい◆面白さにもいろんな種類があって、エッヂぎりぎりを狙う面白さや爆発力に頼んだ面白さ、一定の知識を必要とする面白さなぁんてのも存在する。しかし『ターミナル』の面白さは普遍的とも言えるものだ。これなら誰にでも勧められる、誰と一緒に観に行っても楽しめる◆どうも実在のモデルがいるよーだけど、「空港から出ることが出来なくなりそこに住み始めた男」の物語です。クリヤしなければならない課題はいっぱいある。お風呂は? 服は? 食べ物は? さらには外国人で、英語が通じないとゆう設定でスタートしている。それらをどうこなしていくか、それも楽しく、笑えるように◆そぉんなアイデワを出すことくないスピルバーグはお手のものですから。もちよんトム・ハンクスはそれを充分に演じられるレヴェルの高い俳優ですから◆ヤギの薬のシーンでは泣くぞ。ジャグリングには笑った。セットとして全部が造られた空港内には吉野家まである。このサーヴィス満点ぐわいってどーよ♪

『タイムリミット』
 デンゼル・ワシントンには困り顔が似わう。『トレーニング デイ』では新しい部下が融通の利かない奴だったし『ジョンQ ―最後の決断―』では息子に心臓移植手術を受けさせようと病院ジャックをして警察に包囲された。『ボーン・コレクター』ではズバズバと犯罪捜査を進める天才的な探偵だけれども全身不随でベッドからまったく動けず、寝たままだった◆どれをやっても、どの立場でも、いつも困っているふうです。めっちゃ強いボクサー役でも、『ザ・ハリケーン』では黒人差別に根ざした冤罪で30年間も投獄され、やっぱり困っている(笑)ってゆうか(困)◆黒人俳優って、“どんな目に遭っても陽気”なキャラが多い中、始終困り顔ってのは個性的な売りだ。今回は「警察署の署長」の立場なのに「浮気相手の女性」に「保険金をかけて殺した」容疑をかけられる。そこに本庁から、刑事である別居中の奥さんが捜査にやってくる! まさに困りごとのオンパレード!(笑) 自分に伸びる捜査の手から巧く逃れ、その場を凌ぎつつ、警察の誰よりも早くたった独りで事件を解決しないとならないよ!

『堕天使のパスポート』
 『アメリ』で世界的に有名になったのだ、日本版のちらしやプレス資料でキャスト名の一番に「オドレイ・トトゥ」がクレヂットされているのも理解できる。確かにオドレイ・トトゥが演じる役回りは重要だし印象的でとてつもない目に遭ったりもする。だけどだけど、観れば解るけど、この映画の主人公は黒人男性俳優のキウェテル・イジョフォーの方だよ!◆キウェテル・イジョフォーだって映画好きにはおなぢみなんだよ。ほら、『ラブ・アクチュアリー』でキーラ・ナイトレイと結婚したのがこの人です。ね。まんざらでもないでしょう?◆イギリスに住む不法滞在者たちの物語です。だからお話の中で、具体的に“パスポート”は登場します。でも別段“堕天使”ぢゃない。字幕に{天使}って文字が出現する箇所はあるけどね◆これはきっと想像するに、原題に関係があるぞ。“DIRTY PRETTY THNGS”っていうんだけど、邦題をつけた人はおそらく{DIRTY}と{堕天使}で頭韻を踏んだのだ。ほら、もうこれで邦題とともに原題まで覚えてしまったでしょ? 近年稀にみる、よい邦題賞を授与しようぞ!
『父と暮せば』
 広島原爆がテーマなのだ、観る前に思ったのは、きっと重くて暗くて、それだけならまだしも、くそ真面目で遊びがなく、正論を無理矢理押し付け、えーと、手っ取り早く言えば、堅物で退屈でつまらない映画だったらどおしよお、であった◆済まんかった!観ずにそんなことを考えたりして!! 原作者の井上ひさしは天才である。舞台が原爆投下から3年後の広島でも、いつもと変わらぬ軽妙洒脱な井上ひさし節は健在です。広島弁を駆使した台詞の巧みなこと。明るく楽しい雰囲気で、しかしとてつもなく悲しい物語が紡がれてゆく◆監督の黒木和雄は、舞台劇であるこのシナリヨを映画化する意味と意義を完璧に理解し、最上級の演出をもって実現した天才である。一軒の家の中だけですべての話が進むという舞台劇ならではの縛りを持つお話を、決して狭い視野に閉じ込めない工夫を凝らし観せてくれるのだ◆彼らに応えた、特に宮沢りえは素晴らしい役者である。この3人の天才が集い築き上げた、はっきりとこれは名作です。生涯に一度は観て欲しい。そしてどーせ観るんだったらできゆたけ早いとこ、ね。

『茶の味』
 “家族もの”の映画といえども、たいがいの場合主人公は一人で、物語は主人公を中心に回り主人公が持ってきた問題に家族全員で対処するって展開になることが多い。けどもさあ、それ、自分の家庭に置き換えて想像してみてよ。自分の悩みを、親から兄弟から叔父から祖父から、同居する家族が皆一緒になって考え解決を模索し助言してくるんだよ。僕だったらヤです◆“人の悩みに親身になってあげる”側になるのも嫌だ。自分には自分の悩みがある。家族だからつってウェットになりすぎず、各自、ちゃんと独立して自分の悩みは自分で解決しようよ◆それがこの映画だ。お兄ちゃんも、妹も、互いに誰にも言えない悩みを抱いている。お母さんも、叔父さんも、それぞれやりたいことがある。出てくる全員が主役になりうる物語を持っている。監督の石井克人が的確なことを言っています。つまり『サザエさん』のパタンだ◆家族をモチーフにすれば世代や性別の違う何人もが構成員として含まれてくるのだ、活かさなきゃ。つーことで、各自を入れ替わり主役に据えてヴァリエイションをつけている訳です。
『デイ・アフター・トゥモロー』
 パニック映画の楽しみはダイナミックなカタストロフを観せてくれるとこにある。これは映画館のでっかいスクリィンで観てこそ活きるわよ!◆はっきり言っちゃうけどこの映画の設定は荒唐無稽です。「草をはんだまま氷漬けになったマンモス」の仮説だって、もっと常識的にあり得る状況がいくらでも思いつくよ。でもはぢめて観る時にそんなつまんないこと(笑)考えるこたぁない。せっかく「ハリウッドを襲う竜巻群」や「NYに迫る大津波」を映像化して観せてくれようとしてるのだ。どっぷりと物語に浸かって楽しむのが正しい◆アメリカの人はいいなあ、馴染みのあるハリウッドの看板が吹っ飛び、NYの街路が水没していくんだもの。竜巻や津波から逃げまどうエキストラすらも羨ましい。こんな映像を名古屋を舞台にして観たいし、逃げる役で参加したいぢゃん! 「おらが町にゴヂラが来て壊してくれたら嬉しい」なんて言う人の気持ちが解った気がするよ◆そうだ、このノリの天変地異パニック映画は日本にもあった、『日本沈没』('73)だ。あれをこのすんげぇ技術で是非リメイクして欲しい!

『デッドロック』
 第28回報知映画賞で最優秀映画賞を受賞した『刑務所の中』って誠実よ! あれ以外の刑務所映画はどれも囚人を自由にさせ過ぎてるよね。投獄がペナルティとして機能してない物語を観るたび、それはどーかといつも思う◆『デッドロック』では刑務所内でボクシングの試合が開催され、囚人たちが観戦する。わっ。そんな娯楽を許しちゃっていいのッ!?◆と思ったら、これは「半年に1試合やる特別プログラム」なのだ。ああ、なら社会復帰への一環たり得ようか(笑)。その辺の理屈はちゃんとしている映画だったか。文句はない!◆刑務所ボクシングのチャンピオンが収監されている刑務所に、へヴィ級の世界チャンピオンが護送されて来る。この二人が闘うのだ◆囚人とはいえ一線級のボクサだ、考え方からして違う。「俺は運動選手じゃない。闘士だ。野球は皆やるがボクシングはしない」「奴も俺も戦士だ、戦う日に強い方が勝つ」なんて言うぞ。かっちょぶー!◆この物語は、二人のどちらが主人公でも成り立つ。是非、どっちが勝つ話なのか知らずに、最後までドキはらして観て欲しい。

『デビルマン』
 もう、70年代に永井豪が描いた漫画の『デビルマン』のテイストがそのまま、最新の映像で映画になっているよ♪ 喰った人間の顔が背中の甲羅に浮かび上がるという亀型のデーモン“ジンメン”なぁんてのが実写(CGだけど)で観られる日が来るとは思ってなかったわよ!◆不動明がデビルマンに変身する造形ももちよんミドコロ。春に公開になった『キューティーハニー』とはまた違った、男らしい(笑)、異形に変化するに相応しい、力強いメタモルフォーゼが見られるのだ。でもやっぱき華があるのは冨永愛のシレーヌです!(はぁと) 出番には限りがあるから、悔いなく目に焼き付けておきましょうぞ◆展開や台詞は、もう『デビルマン』の原作にとても忠実なのだ。善悪が判り易く、皮肉に充ち満ちている。そうそう、70年代に、たしかにこれを読んで我々は育ったよ◆今風のアレンヂはケータイなどのアイテムを導入したことと背景の建物群くらい。ベイシックな『デビルマン』の語り口が徹底的に尊重されています。このノリを演じきった、特に酒井彩名や渋谷飛鳥こそが讃えられるべきでしょう♪
『ドッグヴィル』
 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラース・フォン・トリアー監督の新作です◆観る前に驚いた。「舞台装置はなし。床に白線を引いただけのセットで撮影した」映画で、上映時間が「177分」だとゆうのだ。うわ。こりゃ“よっぽど自信がある”か“よっぽど独りよがり”かのどっちかにちまいない◆上映時間は長いとは感じられなかった。冒頭に「『ドッグヴィル』は9章のエピソードとプロローグから成る物語である」ってスーパが出て、チャプタごとに今から語られるお話のタイトルが明かされるのだ。解りづらくなることなくついてゆける◆背景に何もない画面は、物語に没頭するのにとても有利に働いていた。例えばカーテンの柄とか調度品とかを見て気を散らされたりしない訳だ。漫画で、人物がアップになった時にコマの背景に何も画かれてない、みたいな効果とも言えよう◆ラストのラストまで、どっちで終わっても映画として成立するふたつの選択が提示され続け、そして片っ方に落ちついて終わる。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とまったく同じだ、最後まではらはら観られること間違いなし!

『隣のヒットマンズ 全弾発射』
 前作の『隣のヒットマン』は4年前でした。面白かったきよくはあるけどエピソードなんてほとんど覚えていない。でも、そんな状態で観ても大丈夫だったから、いきなしこの第2作から入ったって全然オッケィ。楽しめることうけわい!◆「歯科医の隣に殺し屋が引っ越してきた」物語から4年が経過しているのだ、実はもう既に殺し屋のブルース・ウィリスは歯科医のマシュー・ベリーの隣人ぢゃない。前作のタイトルに{隣人}って謳ってなくてよかったよね(笑)◆てゆーか、この邦題はそもそも意訳だ。だいたい「ヒットマン」の複数形だったら「ヒットメン」ですよね?とプロモータさんに尋いたら、そこはそれ、続編って雰囲気が醸し出されるよう日本語で表現することを重視して、とのことだったし◆この映画に出てくる殺し屋は全員ことごとくとぼけてて、やることなすこと愉快極まりない。ただでさえクレイジィな職業である殺し屋がとぼけちゃってるのだ、唯一の一般人であるマシュー・ベリーが対抗するにはそれ以上に狂うしかないぞ。つー図式でコメディがヒートワップしてゆくのであった♪

『ドラキュリアII 鮮血の狩人』
 前作『ドラキュリア』は現代を舞台にした良質な吸血鬼映画でした。“なぜドラキュラは十字架を恐れるのか”に対する画期的な解釈までもが語られ、とても綺麗に完結した。ドラキュリアは、朝日を浴びて真っ黒焦げに焼け死んぢゃったのだ!◆そしてこれはその続編です。「ワクチンみたいに病原体から治療薬を作る」目的で、大学の研究室の面々がドラキュリアの黒焦げ死体を盗み出す。吸血鬼の復活と不死の秘密を抽出したいのですね◆バスタブになみなみと湛えた血液中に、どっぽーんとドラキュリアの死体を浸ける。やがて蘇生したドラキュリアを、しかし太陽光線銃で縛り、銀メッキした鉄の鎖で拘束し、苦手とされる種子を撒いて結界にし、結び目がいっぱいあるネットをかむせ、研究のスタートです!◆さらにそこに吸血鬼に引導を渡す「死の神父」までもが駆けつけてくる。そうそう、障害が多ければ多いほど、復活した時かっちょうよいよね!(笑) もう、観客はみんな、ドラキュリアがどうやって抜け出すか、そればっかりを楽しみに観ているぞ! そして期待は裏切られない!(ズバッ)

『トントンギコギコ図工の時間』
 いなほ保育園の園児たちの様子を追った『こどもの時間』に続き、野中真理子監督の、子供を主役にしたドキュメンタリィ映画第二弾です。今回は東京都品川区立第三日野小学校が舞台◆タイトルの“トントンギコギコ”から判るとおり、メインとして描かれるのは木工です。土粘土を使った焼き物や、手に絵の具をつけて紙になすりつけるお絵描きもあるけど、もう3年生になったら木に釘を打つし、5年生は版画を彫り椅子を造り、6年生では電動糸のこで板を丸くくり抜くなぁんて工作をフツーにしている◆『こどもの時間』では道具を使う以前の幼児たちが登場していた。お箸を使うよりなにより、手掴みであろうが秋刀魚を食べて「美味しい」ってことをインプットする。その反応こそが動物としての人間に必要だと教えてくれた◆今度の映画は次の段階です。自由な発想を実現するために、子供たちは道具を駆使するのだ◆前作同様、観客は子供の視点に立つことだろう。そして痛感するのは図工専任の内野先生の出す課題の的確さです。子供たちを育み、伸ばし、導くとはこーゆーことだと思い知ろうぞ。
『バーバー吉野』
 この映画のキャッチコピィは「その町の少年は皆、同じ髪型をしていた…」だ。その髪型とは作中で“吉野刈り”と呼ばれる、ヘルメットのような坊ちゃん刈りですね。小学校の男子児童が全員、この頭で登場します◆ちらしに使われている写真を見るととても可愛らしいよ。てかてかとつやのある坊ちゃん刈りの子供らが純白のスモックを纏い、れんげ畑の中でハレルヤを合唱している。だが、しかし。実はこれはファンタヂィでも、夢のあるお話でもない◆都会から茶髪の転校生がやってきてアカラサマになる。この田舎町はファシズムに冒されていたのだ、伝統・風習の名の下に吉野刈りを強いられるという「髪型ファシズム」に◆大人ならば避けるという対処法もできる。ケケおじさんのように異端に生きるとか、香苗のように町を出て逃げてしまうとかね。しかし子供の身ではそうはいかない、問題の存在に気づいてしまった以上は真っ向から取り組むしか解決する道はない◆終わってみると、この映画は憎まれ役のもたいまさこに依る処が大きいと知れるよ。観てる最中は本当に憎ったらしいばっかだけど。

『バイオハザードII アポカリプス』
 ゲームの「バイオハザード」を映画化したものが前作でした◆鉄砲で撃つゲームは楽しい、動く標的だと昂奮する、でも人間を狙っちゃ顰蹙だし、不快に思う人たちもいよう、なら化け物を撃てばいい。ゾンビがわらわらと襲いかかってくる。自分の身を護るとゆう大義名分で、しかももう死んでる相手を破壊するだけだ。さあ、立ち塞がるゾンビたちを排除して邁進しよう!◆これにストーリィを与え、キャラクタを配して映画にしわげたのだ。メインはもちよんゾンビをぶっ壊しまくることであった。どさくさに紛れて人間もレーザビームでスライスされちゃってたし。本作はその続編です。ああ、今回も同じようにゾンビを次々と倒す映画なのかなと思っていた◆前作よりも強力な化け物が登場するし、ゾンビの巣窟に取り残された少女を救出にゆくミッションもある。けど、なんと実は、バトルシーンはさほどコアには展開しないのだ◆既にゲームのノリは卒業し、映画としての続編にこそ重きが置かれているのですね。主題は、ミラ・ジョヴォヴィッチ演じる主人公アリスの、狂気の理由の解明にこそあるよ。

『ハウルの動く城』
 とにかくみんな、好意を持って観に行くことでしょう。しかし胸に抱いた期待は、今までに観た宮崎駿のアニメィションを元に予想された範囲内に留まっていよう。思いもよらないヂャンルが展開するなんて思いもよらないにちまいない◆『ハウル』の世界は戦時下だ。しかしその戦争の描き方は既存の宮崎アニメに比べて格段に薄い。どこと戦争しているのか、なぜ戦争をしているのか。そんなことは出てこない◆『ナウシカ』は本編終了後にも、戦後処理やそののちの社会情勢を思わせるカットが提示されていた。『ラピュタ』では善悪の立脚点がはっきり明示されていた。『ハウル』にはそれがない◆しかしそれでよいのだ。『ハウル』は戦争を描く映画ぢゃない。実はこれは宮崎駿作品初の、恋愛映画なのです◆主人公のソフィーにとって大切なのはハウルの身であり、自国がどこと戦争していようと、戦況がどうなっていようと、ちーとも関係ない。恋する女の子の目で見た戦争だ、深いことが解っている方がおかしい◆既存の作品と比較するものではない、宮崎アニメの新しいヂャンルを楽しみましょうぞ。

『花とアリス』
 中学3年生の女子、ハナとアリスの仲良し二人組が映画の冒頭で電車に乗る、その駅名は「水木」であった。好きになった男の子を待ち伏せる駅は「藤子」で、二人が通っている中学は「石ノ森学園」、進学した高校は「手塚高校」でバレエを習っている教室は「望都バレエ教室」だ◆さらには、高校に入り、落研に入部したハナの高座名は「花家ピュンピュン丸」という。なんて、岩井俊二は、漫画が好きなんだッ!(笑)◆あと、岩井俊二は逆光が大好きですね?。光源が向こうにあって、顔が影になっているよーな画をいつもながら多用しています。これは即ち、フラッシュを焚かずにデヂカメで写真を撮るようなもの。自然の色を活かす、とても効果的な手法だ◆つまり、色彩が繊細で美しい映画に仕わがっております。画面を支配する色に関して、テッテ的な制御が施されている訳です◆画面構成とコマ運びを先人の巨匠漫画家たちに学び、光と色を完全に管理下においた末の映像美は岩井俊二の真骨頂だ。美しく紡がれたその世界は、二人の少女のガーリーな物語が展開するのに相応しい舞台だったよ!

『ババアゾーン(他)』
 「ババアゾーン」「たのしい遠足」「ババアゾーン2」「ハデー・ヘンドリックス物語」「3年B組珍八先生」の5話で構成されています。はっきり、後の方へいけばいくほどお調子に乗っていくよ。第5話の壊れ方に比較すると、まだまだ第1話の「ババアゾーン」は小手調べに過ぎなかったと知れよう◆しかしこれほど強烈な小手調べが今までにあったろうか! 冒頭から漫☆画太郎ワールドがそのまま実写で繰り広げられる!◆『珍遊記』で慣れ親しんだ人にはおなぢみの「コピィを多用して同じシーンを何度も繰り返す」表現手法も再現されている。早く次のシーンにいけ!と思わせるまで、ババアが逆海老固めを掛け、エロ本買蔵が閉まった本屋のシャッタを叩き、拳銃を構えた警官が汗を流し続ける◆この映画に出演した俳優の芸歴に、これは誇れる作品として刻まれるだろう。毒きのこ頭のババアは根岸季衣、エロ本買蔵は矢部太郎、ハデー・ヘンドリックスは温水洋一だ◆そして「一生分の恥をかいた」と自ら言うエロ借リル蔵役の津田寛治と、珍八先生役の遠藤憲一こそ、この映画最大の収穫である。

『バレット モンク』
 「バレット」は弾丸、「モンク」は僧です。チョウ・ユンファ演じる主人公はチベット僧なのだ。だからちらしのタイトル部には“弾丸坊主”ってちいちゃい字でルビが振ってあるし、煽り文句は「そこの坊主、まるで弾丸!」だし、公式HPのURLもdangun-bozu.jpとゆう徹底ぶり◆なんたって、宣伝で一番露出が多く使われている写真は、チョウ・ユンファが両手に銃を持ち構えているショットだ。誰もが、拳銃扱いに長けたお坊さんが鉄砲を撃ちまくる話だと予想するだろう◆ふうん、なんだかミステリアスな修行を積んでいそうな設定を選んだのに、闘う時は肉弾戦ではなく銃弾戦を見せる作りの映画にしたのね、と思ってかかるととんでもない! なんと、チョウ・ユンファが銃を手にするのはほんの一瞬。もう、やっぱき、全編に亘って素手で、拳法で、戦うよ!◆実はこの映画、原題を“BULLETPROOF MONK”という。「バレットプルーフ」は、防弾です(笑)。邦題にした時に意味が真逆になったのだ! わはは。どっちでもいいや、痛快にリズミカルでかっちょ面白いんだから<いいのか!
『ビッグ・フィッシュ』
 親父がほらばっかり吹くので、息子は憤慨している。子供の頃は確かに面白かったんだけどね。今でも周囲の人には、愉快な話をする親父さんってことで人気者なのだけど、20年以上に亘ってほらを聞かされ続けた身内としてはたまったもんぢゃーない◆その、ほら話が映像になって展開します。現実ではあり得ないいろんな絵を見せてくれるのだ、映画の真骨頂であろう◆今年は、物語の中に作り話が含まれてるって作りの映画の当たり年だ。『ウォルター少年と、夏の休日』しかり、『あなたにも書ける恋愛小説』しかり◆映画内物語には辻褄も物理法則も不要だから、本当に奔放に想像された世界が構築されうる。映画内現実と映画内虚構とは、当然落差があるほど面白く、しかし互いに関わり対応しているほど楽しい◆親父に反発していた息子は、親父の人生の真実を検証する。そして親父は決して「嘘」を言っていた訳ではない、人生の大切な出来事にこそ「ほら」を加味し、彩っていたのだと知るよ。親父の“死”も、ほらで飾られるべきだと悟るまでに。ここまで親父を理解できた息子って、幸せだよね。
『ブラザーフッド』
 ベンキョーのために映画を観るなんてジャドーだ。映画は創作者のパッションに触れ、楽しい時間を過ごすためにこそ観たい。それを踏まえた上で言うけどさぁ、この『ブラザーフッド』は、勉強になるぞ!◆描かれているのは朝鮮戦争。語られるのは、「家」を重んじる韓国で、たった二人の兄弟が両方とも徴兵に取られちゃって、これではお家が断絶しちゃうよ。とにかく弟だけでも除隊させたい、そう考え「英雄」になることを選択した兄貴と、どーしても戦争に馴染めない弟の物語。この兄弟愛に、戦争の悲惨さに、涙する人も多かろうぞ◆そーやって映画を楽しんで観た後で、得るものがある。韓国×北朝鮮という図式が生まれる瞬間をインプットすることができるのぢゃ。こんな歴史を、あの、元は一つの国だった両国は経てきていたのか! ちーとも知らなかったわよ(歴史の教科書に並んだ活字でしか)!◆これ一篇観ておけば『JSA』や『シルミド/SILMIDO』に流れる確執をもっと深く理解し、『HARUKO』で描かれる朝鮮戦争特需の裏側をも見知っておけるというスグレモノなのであった。
『ほたるの星』
 やっと教員採用試験に通った新任教諭が山口県の小学校に赴任する。割りと自然の残っているそんな地方の町ですら、児童たちは螢を見たことがないというよ。つーことで、クラスで螢を幼虫から育て、町の川に螢を飛ばそうと試みる、若い教師の無謀なチャレンヂとして物語は綴られます◆これは子供向けに作られた映画だ。プレスシートの表紙にも「文部科学省選定〈少年向け・家庭向け〉」って書いてあるもの。そこで、それ用のデフォルメが施されているぞ◆デフォルメって創作上、当然使われるテクニックの一つです。判りやすい例を引けば“パニックを演出するのに怪獣を登場させる”『ゴジラ』みたいなのもあるでしょう?◆「飼育に失敗したら子供たちの心にトラウマが残る」と主張する教頭が登場し「螢が飛ばなければ教員を辞める」という賭けまで行われる。現実の教育現場にはあり得ない展開だけど、これぞデフォルメだ。子供にも解るペナルティを加味することで達成すべき目標に緊張感を与えているのね。そういう文法だと理解し、あとはミッション成功へのノウハウと顛末を楽しまれたし!
『マインド・ゲーム』
 観ていて、これほど血が滾った映画はなかった。創作魂に火を着けられるのだ。映画ってこんな表現が可能なところまで来ているのか◆「才能の可能性は無限にあり、自分が望むまま、無数の未来の中から一つを選択することが出来る」というのがタイトルの由来である。これを、あらゆるテクニックをこれでもかと注ぎ込んだ、最高にHGな映像で、しかしとてつもなく楽しく観せてくれるぞ◆訴えてくるのは「フルパワーを発揮しろ、全力でやれ、能力のMAXを見せてみろ」だ。メッセィヂはびしびしと心に突き刺さってくる。座って映画を観ている自分がもどかしくってならない。今すぐにでも席を立って走り出したい。自分のMAXを僕も発動したいぞ!◆劇場を出てから2時間経ってもヒートワップしたまま冷めませんでした。ものすごい映画を観てしまった◆この作品は映画という文化の頂点に立っている。今、映画に何が出来るかを知りたい人は是非観るとよい。これを超える映画は今は存在しない。これほどアイデワに溢れ、隅々にまで気が配られているアニメは、即ち映画は、史上空前なのである。
『息子のまなざし』
 この映画ではいっさいBGMが使われない。物語は、手持ちのカメラによる、登場人物に密着した至近距離からの画が多用されて綴られ、撮影のためにわざわざ強い照明を当てているようにも見えない◆つまり、我々が実生活で目にする光景にとても近いのだ。普通の暮らしに於いて、感動的な出来事が起きた際、音楽がアタックしてきたり歌が流れたりするなんて、そんなの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でビョークが体験していた“奇妙な”世界ぢゃん、ねえ。現実ってもっと地に足がついている◆監督はドキュメンタリィ畑の人だ。創作であるこの物語を、ドキュメンタリィの手法で撮ったのだ。そんな撮り方を選んだ意味が、この映画にはある◆絵づら上「なにも特別なことが起こらない日常」を舞台にし、しかし人間関係はとてもサスペンスフルなこのお話のこの現場に、観客はほんとにいるみたいな気になれる。オリヴィエ・グルメがモルガン・マリンヌと対峙する時の心の動きが、葛藤が、ずばずば伝わってくる。彼らの人生を目の当たりにした末に、こう選択されたラストシーンに、震えるといい。
『ロスト・イン・トランスレーション』
 「仕事で外国に来たけど、なんか疎外感があるなあ」とゆう、“外人”が感じる居心地の悪さが描かれています。言いたいのはそれ◆ストレンヂャが“外人”扱いされるのは当たり前で、日本はそれを表現するのにウッテツケの舞台だ。ほぼ単一民族国家で、欧米とはまったく違った言語を持つからね、訪れた欧米人との差違がとっても描きやすい◆だからつって、もちよんこれは決して日本や日本人を批判する映画ではない。どころか、監督のソフィア・コッポラは本当に日本が好きなのだとゆうのが伝わってくる。「現代のフツーの日本」を、ニュートラルに、でも絵になるよう選び、ちゃんと捉え、観せてくれているのです◆観た人を不快にさせるのが目的ぢゃあないのだ。異国での居心地の悪さを演出する上で、しかし日本が格好悪く捉えられることはないよう勘考されています。“外人”としての目を持ちながらも、日本を深く知ってなきゃできない舞台の取捨選択が施されているのです◆映画でよく見る「見知らぬ土地へ短期滞在に行ってソッコーで馴染む」なんて物語より、この不安感はよっぽどリアル。
アルファベット
『DEAD END RUN』
 イギリス映画『ラブ・アクチュアリー』ってばラヴに充ち満ちているわよ! キャラクタの行動のすべてがラヴに準拠しているのだ。登場人物が全員、ラヴの世界の住人なのですね◆こゆふに、テーマが揃っている者ばかりで語られる物語はやり易いよね。この『DEAD END RUN』はそーではなかった!◆上映時間59分の中で3本の物語が語られる。主人公はそれぞれ伊勢谷友介、永瀬正敏、浅野忠信。どの話もまず「主人公が誰かを拳銃で撃ち殺し、走って逃げている」シーンではぢまる。こいつらは3人とも、ハードボイルドの世界の住人だ、ハードボイルドがやりたくて仕方がないのだ◆しかし。世界はそれを許さなかった。全然別の人生を歩んできた、違ったルールに基づいて生きている人物と遭遇し、そっちの世界、そのノリに巻き込まれてゆく◆そらそーだ、人の数だけ人生のテーマがあるのだ。登場人物がみな同じ色に塗られることに甘んじていた、これまでの創作の方こそが不自然だった訳だ(笑)。傍役だと思っていたキャラの世界観に翻弄される主人公の戸惑いこそが、この映画の価値なのである。

『HARUKO』
 在日朝鮮人のお婆ちゃん、87歳の金本春子さんの生き様を描いたドキュメンタリィ映画です。有名人でもなんでもない、フツーの婆ちゃんの人生がなんでドキュメンタリィとして成立したかつーと、息子さんが朝鮮総連のカメラマンだったのだ。だからまだ若かった時分、日本に渡って苦労していた頃の映像も多く撮っておけた訳ですね。当時の画に原田芳雄がナレイションをつけ、現在の様子とあわせて構成されています◆「フツー」とは言ったけど、1:もともと北朝鮮籍だったのを途中で韓国籍に変えてるし、2:戦後の日本で読み書きもできないまま当時違法であったパチンコの景品買いで生計を立て、警察に37回逮捕されてもそれを繰り返してるし、いっちばんびっくりしたのは3:北朝鮮の勲章をいっぱいもってるんだ、この春子さんは◆こんな人生があることを知らない人もいっぱいいるでしょうし、それ以上に戦後の日本で生きる人の様子も、ドキュメンタリィで見る機会なんてそうそうなかろう。とにかく強く、逞しく生き抜いてきて今に到る、この人生が記録されていたことこそが最大の価値だ。

『LOVERS』
 『HERO』のバトルはかっちょうよかった。中でも空を黒くして雨のように降りくる矢は凄まじかった。CGもこゆふに使われれば発達してきた甲斐があったと言うものだ◆きっと、だから監督のチャン・イーモウは味を占めたのだろう。今回の『LOVERS』では矢にとどまらない、いろんなものを飛び交わせているよ。飛刀とか、竹とか、枝とか、血とか。およそ投げられるものは何でも(血は投げないけど)飛び交いまくりです◆CGなんだから当たり前なのだけど、人に当たるべきものは標的に狂いなくズバッと刺さるし、ぎりぎりで避けるべきものはそれこそどいなけ数多く飛んでこようとすべて紙一重で外れてくれる。飛び道具界にこの表現方法が導入されたとゆーのは映画の大いなる進歩であろう◆しかしなんつっても本作で一番かっちょういい飛び道具は豆(!)であった。ままま豆て! 武器ぢゃないぢゃん。そう、武器ぢゃないからこそ、人にぶつかってそこでストップする、若しくは払われて失速して終わりになることがない、合間を縫いながら存分に空中を飛びまくる画が描けたのでした♪

『MAY―メイ―』
 ホラーです(ズバッ)。主人公・メイの顔の周りに手術用のメスとはさみが何挺も配置されている、いかにもホラーっぽいデザインのちらしに謳われるキャッチコピィは「友だちができないなら 造ればいい」だ◆メイは裁縫が得意で、いつも自分で作った服を着ている。メイは動物病院に勤務しており手術の助手も務めている。男の子とつき合った経験がないメイがアダムに惹かれた理由は、アダムの手が素敵だったから。さらに同僚の女の子、ポリーの首を美しいと評価している…◆さあ、もう察しがつくでしょう?(笑) その期待通りにストーリィは展開します◆結果、メイの採った行動が狂気の沙汰であっても、発動するまでにいろんなファクタが作用している、それがきちんと描かれているよ。アダムの異常さもポリーの異常さも。メイのお母さんですら異常だ◆もちよんそれらは“フツーの人にフツーにみられる”、通常の生活の振幅のうちに垣間見える程度の異常でしかない。しかし、それでスウィッチが一つ一つ入ってゆく。皆の取るに足らない異常はメイの中で凝縮され、狂気として結晶するのだ。

『Mr.インクレディブル』
 プロモータさんにMr.インクレディブルのコスチューム柄のTシャツを頂いたので着ているけど、これは、いい!ねッ(にこにこ)。大人が着るに耐えうるセンスのいいデザインであることに加えて、そもそも主人公のMr.インクレディブルの腹が、ほら、出てるのだ。体型に自信のない貴兄だって堂々と、これはこー着るものだと、臆することなく着られるのです! 映画を観た方は、是非一着買って愛用するとよいよ♪◆そもそもこの映画は、大人が観て十分に楽しめるレヴェルの作品ですから。まず第一に、上映時間が1時間55分あるのだ。これはピクサー社のアニメィションの中でも最長記録を更新している◆子供が映画館で、2時間近くもじっとしてられるのかにゃーと観る前に危惧していたら、違った。これは大人向けだった訳だ。子供が観てもきっと全然楽しめるんだろうけどね◆アニメで描かれアニメでないと不可能な表現が出てくるからアニメの形態を採っているってだけで、物語は十分に“映画”している。登場人物が3Dアニメなのが不思議なくない、普通の、ちゃんと凄いストーリィだったぞ。

『THREE 臨死』
 3つの国の3人の監督による3つのホラー、韓国の「メモリーズ」、タイの「ホイール」、香港の「ゴーイング・ホーム」が語られます。「メモリーズ」は新興住宅地を舞台にした夫婦の物語、「ホイール」はタイの伝統芸能で使われる人形にかけられた呪いの物語◆「メモリーズ」は不安感を増大させるようなカットを何かが隠されているようなトーンで見せてくれる、怖いイメィヂを演出したホラーだった。「ホイール」は呪いの人形を持っていることで見舞われる不幸を直球で表現する、力業のホラーだ。ともにホラー的な状況を出現させるため邦題のとおり“死”が扱われている◆しかし3作目、「ゴーイング・ホーム」だけはちょっと異色だ。愛する者の“死”が物語に絡んでくるのは前2作と同じだが、実はこの作品だけはテーマが“ホラー”ぢゃない。“愛”の方に重点が置かれているのだ◆ネタばれになりかねないから多くを語れないのが悔しい。てっきりホラー映画だとだけ思って『THREE 臨死』を観はぢめた者は幸せだ。これほどまでに完成度の高いラヴストーリィが最後に待っているんだから。

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