浄土寺沿革

山号 極楽山
宗派 真宗大谷派
本山 真宗本廟(東本願寺)
宗祖 親鸞聖人
正依の経典 『浄土三部経『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』
由緒沿革  当寺は、以前 極楽寺(ごくらくじ)と号し、天台宗であったが本願寺第九代 實如上人(じつにょしょうにん)の時代(文亀中頃「1500年ごろ」)に真宗大谷派に転派し、現在の地に移り極楽山浄土寺と改めました。 貞享4年(1687年)に犬山城城主 成瀬隼人(なるせはやと)三代目柏貞院正親公が、成岩村にお越しの際に当寺にお立ち寄りになり、ご寵愛の 鶉(うずら)の片足が折れたのを当寺第五代住職 教味(きょうみ)が預かり養育いたしました。翌年にお越しの際にはこの鶉を差し出し、大変お喜びになられたそうです。  このようなご縁から、板山村にたびたび鷹狩がりにお越しになり、その節には当寺を宿とされました。  また、彦洲において田地を寺領寄付いただき、その地を鶉田とも教味田とも呼んでいたようです。 安永2年(1773年)、当寺第八代住職空善(くうぜん)が、本堂再建の折りに先例由緒をもってご寄付をいただき、 桧(ひのき)材木にて再建いたし、現在に至っています。当寺の 家紋も成瀬家より拝領したものです。
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