◆『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』感想◆


 泣けません(笑)。

 あららこめ「泣く」だの「泣いた」だの聞いていたので、もう、期待は充分(ってゆうか生まれてはぢめて映画をレンタルヴィデヨで借りてきて観る、なんてフルマイに出る程度に)持って観賞に臨んだのであった。

 最初にスタンスを表明しておこう。『クレヨンしんちゃん』のアニメは、全然好きではない(笑)ってゆうか(えッ!?)ってゆうか(そんな爆弾発言を今さ頃!)。もちよんテレヴィシリーズに限るのだが、今までに(この放映開始から永い永い時間を経て今に到るまでにたったの)2回だけ、観たことがあるが、全然面白いと思わないのだ。ユルいぞ、『クレしん』。“日常のフツーの生活風景に、洗練されていないしんのすけのワンパタンなボケが挿入され、それを叱るように見せかけて実は許し甘やかしているばっかりの大人たち”ってゆう、あのアニメの構図が大ッ嫌いなのだ(笑)ってゆうか(嫌)ってゆうか(大嫌)ってゆうか(いいいい今になってそれを言うか!)。漫画アクションに載っている漫画の方は、まだしも読める。読んでないけど。「どこで笑えばいい訳?」と思っているのだ>テレヴィアニメの『クレしん』。

 たぶん思うに“しんのすけのキャラクタ”を笑えばいいのかな、と推測するのだけど、「出てくるだけでキャラクタで笑う」お笑いってのは、もっとも忌むべきものだとゆう信念を持っているので、それには同調できない。以前日記にも書いたことがあるが、イッセー尾形の舞台を観に行った時に、暗いステーヂが明転しイッセーの姿が認められるようになるや否や、イッセーが何も行動を起こしていないうちからそのルックスを見ただけでげらげら笑う女性客がいた。死ね。こおゆう奴が、町なかでびっこの人とかかたわの人をみて、笑うタイプなのだろうとつくづく思った。その人が出てくるだけで、その姿を見るだけで、笑ってはいけないのだ。漫画のキャラクタだってそおだ。行いが面白いのなら笑ってもよい(ってゆうかむしろ笑え)と思うけど、いやー、あの“アニメのしんのすけのキャラクタ”は、残念ながらなにも面白いと感じません。今回レンタルで映画を借りて観てそれを思い出したよ。

 まぁたしかに、映画として観れば、誉める、泣く人がいるだけのことはある、ちゃんと考えて作ってあるところもあるとは思った(笑)<回りくどいな。ラストの鳩の親子のシーンとか、「ああ、アニメでよかったね<鳩に思い通りの演技をさせることができるメディアで」って感じたし、その時に(あとでオチがつくのだけど)主人公であるしんのすけに叫ばせ、その声に依ってケンとチャコが救われた、とゆう形に持っていっているとこなんかの演出も巧いね。解っている人が作っているのだろうね。

 きっと泣けなかった理由の一つは各所に甘さが見えたからであろう。野原家を走らせたところとか、タワーに到るまでを生中継してテレヴィに配信しているところとか、その親子のさまを観て夕日町の人々からによいが消えるとことか。まぁ、ケンの甘さってことなのだろうが、だったら最初っからそんなことすなよ、と思うぞ(笑)。

 あ、大嫌いな“親子の愛”映画だからか、泣けなかったのは!(笑) うわあ。大失敗だ。

 はぢまったばっかしの辺りは、結構期待していたんだけどなー。大阪万博なんて、もう強烈に郷愁だし(ぽわ〜ん)<何が郷愁かって、あのパビリヨンのデザインが郷愁です。あれをぶち壊す絵は、描いていて凄く気持ちがいいだろうとじんじんくるよ! かつて、70年当時にみなもと太郎『ホモホモ7』でその破壊シーンをやっていて、子供心に(当時9歳でした)「このデザインのパビリヨンを壊すなんてことが描けるなんて、漫画ってすげえ!」って感動した覚えがあるのだ(にこにこ)。このアニメを描いたアニメータたちこそが、本当に20世紀博を楽しんだのだろう。

 もうひとつ、泣けなかった理由。大人たちが全員いなくなった町で、子供が過ごす。やがて電気の供給もストップする。この“電気の供給がストップする”は、とても大切な描写です。「誰もいなくなった街に自分独り取り残されて…」なんて設定の物語を見るだに、電気ガス水道はどうなっちょるねん!って常々思っているのだ。そう、あそこで電気が停まってくれないとおかしい。

 さて、そうなると、「子供たちが大人を取り返す」物語の主旨は、すこぉしズレはしないか。「電気が停まると不便だから大人に戻って来てもらいたい」ってファクタが、加わりはしないか。この打算が、泣けない理由に繋がっている気がする。

 まぁ、実はそれはそんなに重要ではない。それよりも感じたのはそこからさらに発展させた、「いつの日かこの問題が解決し街に大人たちが戻って来た時に、後始末や後片づけはすべて大人がやってくれるだろう」、だから「今、一番楽なように過ごし喰い百貨店で寝て好きなようにふるまい、さて、ではぼちぼち大人を取り戻しにゆこうか」なんて、そんなスタンスでいられる子供こそが、嫌です(笑)。お前ら、切迫してないだろ、と思った。そう考えると、いっそ抗う理由すらも解らないぞ。まぁ、ここで“誰もの共感を得るために悪役を真に悪いことをするキャラクタに描く”なぁんてゆうハリウッドのみえみえの手法が使われてないってのは、その方が評価できることだからいいのだけどもね。でも、なにはともあれこの辺りでもこう捉えてしまうと泣くなんて方向に行かないのであった。うーむうーむ。

 たぶん、もしかしたら『クレヨンしんちゃん』の世界にもうちょっと思い入れのある人だったら、この話で泣けるのかもしれない。…いや、をかべだったら、もし『クレしん』に思い入れを持っていたとしても、この話でそんな感動をしたりは絶対にしないと断言できるけどもさ(笑)。

 観る前にはいろいろ、ヒトサマに熱く語ったり(笑)勧めたりもした『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』だったが、自分で観た、今、改めて表明しよう。この映画は、人に薦めるほどのレヴェルではありません(にっこり)ってゆうか(ぎゃふん!)。「観る」とゆう人を止めはしないが。ああ、DVDを買わなくって、よかったと思う(笑)。

 いちよう、映画として観るのではなくヴィデヨとして観る、と自分の中で線を引いているので、普段映画を観る時のようにメモを採りつつ、なんて観賞姿勢はとりませんでした(笑)が、あとでこの感想を書かなきゃと思っていくつか気になるところは手元のカレンダの裏に書いておいたので、最後にそれをここで披露して『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の感想の締めにしよう。

#唇型の椅子←ケンちゃんチャコちゃん #しょじょじの三輪トラック #迷子ワッペン #『トイ・ストーリー2』方式の多人数に依る運転 #バスとスバルのチェイス<『ムトゥ 踊るマハラジャ』の馬車レース風 #閉まったドワに次々と飛び込み貯まるスバル<『ナウシカ』の腐海の蟲ふう

(2002/06/04 18時〜 自宅・ヴィデヨにて観賞)


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