「招福!きねま猫」2008

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『アクロス・ザ・ユニバース』
 全編がビートルズナンヴァのミウヂカル映画だ◆ミウヂカルってフツーとっっつき悪いけど、これは冒頭から素敵。だって知ってる曲ばっかだぜ? よくぞビートルズ君はミウヂカルが組めるほど楽曲を豊富に遺してくれた! 褒めてつかわす!!◆映画がはぢまるや、砂浜で青年が独り『ガール』を口ずさんでいるのを観ると、もう、それで天晴れ!って思う。いっちばん泣いたのはチアリーダの女の子が歌い上げる『抱きしめたい』だった。一人称が“I”だから性別を超越して使用可なんだ!(うろこ!)◆訳詞をメロディに乗せる必要がないのでちゃんと「意味」を「正確」に訳した字幕が出てくれる。それでこそ真意が通じるぢゃんねえ?◆物語に組んであるから、さすがに有名な楽曲でも使えないのがある。イエロー・サブマリンは出てこない(笑)し、僕の好きな『エリナ・リグビー』も展開上無理だった◆主役の青年の名はジュード(!)でヒロインの女の子はルーシー(!!)だ。そう知るや、観てる全員がその曲がどこで出てくるか、大期待しよう。ふっふっふ。一番いいとこで出るぞ、オタノシミニ〜♪

『歩いても 歩いても』
 昨年『しゃべれども しゃべれども』って邦画があったので、つい「え、歩けども?」って、とっっても紛らわしい(当社比)タイトルだけど、観たらすいと覚わる。これ『ブルーライト・ヨコハマ』です。ねっ? 忘れまじ!◆15年前に亡くなった長男の命日に、次男の阿部寛や長女のYOUが家族を連れて里帰りしてくるお話だ。実家のお母さんは樹木希林、お父さんは原田芳雄◆つくづく思い知らされるのはYOUの、社交性です。同じ是枝裕和監督の『誰も知らない』で母親役を演じた時ももの凄かった。こんな母親だったら子供は嬉しいだろう(たとい育児抛棄!だとしても)と思う、人当たりのよさだったんだ◆普段疎遠にしてる親戚に会う時って、阿部寛と夏川結衣の夫婦(+息子)みたいにブルー入りそうなもんでは? ってシチュエイションで、YOUは凄まじく本領を発揮する。自分がYOUにはなれなくても、YOUが親戚ならこっちも物怖じすまい。この映画は親戚づきわいの手本になるぜ◆そして。YOUの本心も実家を後にするとぽろり洩れる。全員の本心がとっっても興味深いよ。必見。
『イーグル・アイ』
 ケータイに、女性の声で指示が掛かってくる。言うとおりにしないとえらいことになるとゆうのだ◆その“言うとおり”がチョーぎりぎりで、猛スピィドで交叉点に入れ!とかなの。そんで言われたとおりがんがん走るとタイミングよくすべての信号か青に変わっていくんだ◆製作総指揮のスピルバーグが十数年前に考えたアイデワを映画化、やっとしたものだ。仕組みとしては、町中にある防犯カメラの映像で主人公の動きを追い、アクセスは、たとい本人のケータイに出なかったとしても、電車で乗り合わせた隣の人のケータイに掛けてくる、とかやってくるんだ。今の、現代社会だったら環境が整ってる?って思っちゃういきよいでしょ?◆それにしても指示してくる女声は人を信用しているなーと思いましたね。ま、その点は、これはすべての映画に共通して言えることなんだけど“たまたま巧くいったレワケース、だから映画になったんだよ?”と捉えて楽しんだら宜しい。「指示に従ったら何が起こるか」シミュレイションなのね◆スルリとサスペンス@『pretty please chocolate on top』が満喫できるよ!

『イキガミ』
 一番下、ベースに設定が敷いてある。「政府が、任意の18歳から24歳の国民を死なす」だ。誰もが反発を感じるだろうからこそ、これは『イキガミ』の物語の最終回に一回だけ使い転覆させれば据わりよく終われよう。そこで作用するための「穴」が空けてある訳だ◆つーことで、もう、政府云々は忘れていい。そーゆー社会とだけ認識し、もう楯突かない。その上で展開するのは「健常で、不自由のない体調で、しかし24時間後に突然死することが事前に判ったら、その24時間をどう生きる?」だ◆もっと抽象すれば「どう生きれば悔いがないか」ですね。そんなん!なんぼでもエピソードが作れるぞ!! シチュエイションの数だけ話が出来る◆ベーシックな、まず誰でも考える、“復讐”は映画の最初に軽?く語られる。だからもー直接的な復讐譚はない(と考えて可)。その他「死ぬまでにできる3つのこと」が綴られます。漫画化され、映画化されるに耐えうる、ええ24時間が描かれるよ<この場合の「ええ」は「創作として上質」の意◆幾らでもパタンを展開できゆんなら、シリィズ化きぼんぬだ、強く!

『痛いほどきみが好きなのに』
 恋愛映画の本流は「好きを強く主張すれば結ばれる」か。でもさ◆それって「頑張ったから甲子園で優勝できた」ってのと一緒ぢゃん。“たまたま優勝したたった一校”だけを持て囃してるんだ。他のガッコが頑張らなかった、頑張りが足りなかったなどと、まさか言う氣ぢゃあるまいな?◆これ、単に「解り易い」ってだけの理由で「勝因」を「頑張った」に極論してるよね。「優勝した」のは「頑張ったから」だけど、すべての「頑張った」者が「優勝できる訳ではない」とゆう、一方通行を意図的に覆い隠してスポコンは創られる◆ラヴストーリィもこれだ。「巧くいった」のは「めげずに好きを主張したから」だろーが、「煩く好きを主張し」ても「一旦離れた心は戻らない」なんて、日常茶めしごとだよ◆そんな、現実によくある話を映画にしてくれたのが本作です。これは「好きでなくなった相手に煩くつきまとわれる」者と「こんなに好きと伝えたのに結ばれなかったと消沈してる」者の双方に、そーゆーこともあるよと教え諭してくれる、天啓のような映画だ。みんなそのどっちにもなりうるでしょう?

『いつか眠りにつく前に』
 人は誰もが必ず例外なく、死ぬ。もちよん死はオオゴトで、軽んじたり慣れたりするもんぢゃない。でもどっちみちみんなに訪れるんだから、いつまでもすべて過剰に反応し続けることはない。いずれ覚悟を育み、対処法を構築するのは生きてく上で必要でしょう◆なぁんて言えるのはしかし周囲の人の死に関してだ。幾人かとの死別を経ることでそーゆー時の自分のフルマイ法は確立しよう。だけど。自分が臨終を迎えるってのはなかなか想像しづらいんぢゃない? どうなるのか。なにがあるのか◆その一助となるのは、創作だ。他人のやり方を知ることで自分の場合をシミュレイションできる、やも◆本作は臨終の床にあるお婆ちゃんが主役です。意識は混濁もし、心は遙か過去に遊んだりもしてる。別に、死期を悟ったからって、立派な行いをしようとか悔いのないよう生きようとか、しない。あるのは「それまでの人生」だ。このお婆さんの人生は、“フツー”ではあるけど、なるほど、今際の際に回想に堪えうると思ったよ。思い出せる人生を生きている者に死はちっとも残念なことではないと知るといい。

『愛おしき隣人』
 「愛おしき」って、「けったいな」とか「おかしな」って意味だ(笑)。この物語で描かれるのは人々の一風変わった様子です◆みぢかいシーンを沢山積み上げ並べて綴られる物語で、だからショートコントをいっぱい観てる感じ?◆もちよんギャグとか落ちが目的ではない、お笑いがメインではないから、正確にはコントと言ってはいかん。“印象に残る”&“面白い”って表現が合うかな◆具体的に喩えて言うと『リンダ リンダ リンダ』で香椎由宇が見る夢、みたいだと思って頂くとよい。行動規範が解らない、だからずれてると感じる、しかしその人なりの、なんかルールに基づいてる様が観られる◆映像的な特徴としては、カメラは据え置きされ撮られている(に近い)。まさしくキャストがステーヂ上で演じているように見える◆とゆー遣り口に観慣れた頃。「ウエディングドレスを着て部屋に登場する」挿話で、観客は驚愕するだろう(笑)。預言しちゃうと驚愕が興醒めしかねないけど、期待して、ぢうヴんにそれに応えられることが起きますから。愉しみに観るといいよ! 面白い94分が過ごせるよ♪
『ウォーリー』
 「招福!きねま猫」の履歴は4カ月分しか遺らない。DVDになるのを待ってたら消えますから。生ものだと、今読んで今映画を観るべきだと、捉えて頂きたい◆つーことで映画館に足を運ぶお客さまを対象として以下を記そう。ミッドランドスクエアシネマでも109シネマズ名古屋でも、最近行った人は目にしておられよう。劇場入口に据えてあるあの「ウォーリー」は原寸大だそうだよ◆え。予告編を観て想像してたより遙かにでかくね? 僕は30cm立方くないぢゃと思っていたぜ?◆このサイズ、でも物語を観れば納得はいく。ウォーリーには与えられた「仕事」があって、それを実行するために造られたのなら当然の寸法だ。ストーリィをオタノシミニ!◆物語の展開は、もう王道♪ 「攫われた好きな女の子を助けに行く」だ。「実は女の子にはもの凄い力がある」とこまで含めて面白いに決まってる!◆別のアニメの引用になるけど『ラピュタ』も『未来少年コナン』もこれぢゃんね、その、みんなが大好きにちまいないお話をディズニィがアニメにしてくれたんだ! 楽しみにして期待は裏切られない。

『うた魂♪』
 高校の合唱部の話です。タイトルの読みは「うたたま」だ、覚えよう!◆ソプラノパートを歌う主人公を演じるのは夏帆。でも、好きな男の子に、自分が歌っている時の顔が「産卵中の鮭に似ている」と言われショックを受けて、歌えなくなってしまう、どうする?どうなる!?◆その後、合唱コンクールの会場にて夏帆は、男ばっかりの不良合唱部とそれを率いる部長、ガレッジセールのゴリに出わう。こいつがホントーに、すげい!(驚愕)◆ヤンキィ映画なんかでよくあるよね、お前は30近いだろ、若しくは30越えてるだろう、みたいな俳優が演じる不良高校生。それが今回はもう堂々と、実年齢35歳のゴリが男子高校生役なんだ◆しかし! イワカンがない。つーか「イワカンがキャラに合ってる」。「どーせイワカンならこれでなくっちゃ!」って感じ?◆ゴリ呼んで「真剣十代」と銘打たれたゴリの主張は、その荒削りさと真っすいさで夏帆をずばずば論破、折伏していく。とっっても痛快で氣持ちいい! はっきりと、本作最大の収穫は、ゴリだ。すべてのゴリ登場シーンは、みぃんな感動的だったよ♪
『王妃の紋章』
 中国の、ある王朝の王家で展開する権力争い劇が語られます◆監督のチャン・イーモウはすげいと、つくづく思い知るだろうよ。99年以降の作品を挙げると『あの子を探して』、『初恋のきた道』、『至福のとき』、『HERO』、『LOVERS』、『単騎、千里を走る。』とゆーラインナップだ。どれか一本でも観た方々はお解りだろうけど、この監督は本当に“映画で観せる”ことがよっっく解っている◆『あの子を探して』とか『至福のとき』の頃には、絵的にはおとなしめであるけどぢうヴんにストーリィ、人物造型でアッピールする、「映画で描かれるに相応しい」物語を創っていた◆それが、きっと制作費をフンダンに遣えることになったんだ、それはそれは絢爛をテッテーした画を観せてくれるよーになったぞ。巨大スクリィンに映える“華”が提供されてます◆『王妃の紋章』の美麗さたるや凄い。女官の衣裳で目を惹き、そして見るべきは宮廷内の豪華さであった。金や銀を施すのみならず。出色なのは「内側からピンクに光る柱」とかだ! こんな綺麗を導入したサーヴィス精神を堪能されたい!
『カフカ 田舎医者』
 尺はみぢかい。21分の作品だ(但し旧作などを同時上映し劇場公開での合計時間は52分だし、だから料金は一般・大・高が1300圓、シニアが1000圓です)。でも。すんごい密度だ。みっっちりだ。絵で表現することが楽しいと伝わってくる「いじりぐわい」が見られます◆主人公の医者は一時も止まっていない。ただ立ってるだけでもぐらぐらうねうねメタモルフォーゼを続ける◆前屈みになる時には後頭部が残ってうね?んと延びる。ああ、これはアニメイションではなく止まった絵=“漫画”で使われる手法だ。動いた軌跡の残像までをも一片の絵に描き込むのって漫画の専売特許だ。それをアニメイションに導入したのね◆こんな「アイデワ」が動かせたら、そりゃあ嬉しい楽しい大好きだろう、ヤマムラアニメーションに於いてはアニメイションすることは手段ではなく目的なんだ。「絵が動く」ことには可能性があるんだったと、目を覚まさせてもらったらいい◆あと「白目は真の白ではない」発見にも氣づかされたらいい。眼球の白目にライティングって、盲点だったぜ(目方面の用語揃い踏み)。

『カンフー・パンダ』
 はっっきり書く。今年も、カンフーとゆうか少林寺とゆうかそっち系を冠した映画が沢山公開になっているけども、今年のその手のベスト1はこれだ!!(ズバッ)ってゆうか(決定) 他の多くには申し訳ないけれど揺るぎなく、そうだ◆とにかく秀でているのは動きのキレです。実写とは断然違う。本当に、拳法映画はもうアニメに限ったら?って助言したくなる「絵になりぐわい」である<絵なんだから当たり前ぢゃがな。このアニメで観られる動きこそが拳法映画の理想と言いきりたい◆主人公のでぶパンダに声を当てているのはジャック・ブラックだ。ジャック・ブラックのあの体型を思い出しながら、ポーに投影しながら、観たらいい。ジャック・ブラックのテンションはまさにポーにウッテツケだ◆ほかのヴォイスキャストも、虎の拳法家はアンジェリーナ・ジョリーだし。蛇はルーシー・リュー、お猿はジャッキー・チェンだもの。本当に「動き」ができそうなメンツに声を担当させ、絵的には絵を動かすとゆう、この贅沢ったら!  貴女が大人だったら、是非に英語版で観られることをお勧めしたいよ。
『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』
 昨年のリヴェンヂがなされています。はっきり書くけども昨年公開の『ゲゲゲの鬼太郎』には不満があるのよ!(ズバッ)◆具体的には「鬼太郎に左目があった(!)」んだ、それって鬼太郎の設定を根底から覆す演出ぢゃん!と昨年は思ったぞ。そこが本作では是正されてます◆まず今回はウエンツの左目を覆い隠す前髪が“無くなる”シーンはただの一度もなかった。そして、ある「箱入りのアイテム」が登場する。それにより“本来なら目玉の親父の居場所たる左の眼窩に眼球がある(ように前作で見えた)”理由が説明できる、ように描かれてる。偉いなあ!(笑)◆前作では妖怪裁判所に“山姥ギャル”がいました(見つけた?)。今回のそーゆー出落ちもの妖怪は、しょこたんが文車妖妃として登場する妖怪図書館にて、“鬼火”なのかな、判りやす〜い人が演じているものが出てくるよ!◆ラストに登場する全長20mにも及ぶ妖怪も大迫力で、その「退治」の方法まで含めて妖怪ファンは喝采するんではないかしらん(僕はした)。今回は「怪異」もきちんと描かれてる、その観応えも堪能したらよいよ!
『胡同の理髪師』
 実際に、北京の胡同で理髪店を営む90オーヴァのおぢいちゃんが主役の理髪師のチンさん役をまんま演じています◆胡同地区は、どうやら区画整理されるらしく、建物の壁には「取り壊し」を意味する「拆」の文字が書かれたりしているが、そのまま放置されなかなか取り壊しははぢまらない◆チンさんはもう別に、顧客を殖やすことを考えたりなんてしない、今まで何十年もおなぢみで常連になってる、やっぱき相手もおぢいちゃんなんだ、そーゆーお客だけを相手に床屋をしてる。でも、そんなの、縮小再生産やん、なあ◆住まいにしてもお客にしても、諸行無常を表してるんだ。イヤガオーでもチンさんが考えるのは「自分のラスト」です。すなーち、先週の『いつか眠りにつく前に』は死の床にあるお婆ちゃんの話だったが、この『胡同の理髪師』はぎりぎりまでアクティヴなおぢいちゃんの、自らの死に向かい合う物語だったのでした。チンさんは、だから、支度をしはぢめる◆死の悲愴さを描くのが目的ぢゃない、語り口は飄々としてて、且つ、とぼけているよ。楽しく観て、またこれも一助としたらいい。
『櫻の園―さくらのその―』
 吉田秋生の漫画大好き! 短編だけど『アカプルコ・ゴールド』とか読むといいよ。あと「楽園」シリィズとか好き!◆この『櫻の園』は読んだことない。でも。2002年にやはり映画化された『ラヴァーズ・キス』との共通点が確かに見られる。ずばり、「吉田秋生の漫画が映画化されると必ず百合っぽい女子学生が出てくる」(!!)だ!◆萌えぬことか!(いいや萌える<反語表現) キャスティングが美少女だから(『ラヴァーズ・キス』で百合関係に絡んでくるのは宮崎あおい×市川実日子×平山あやだ)、“百合っぽい”イーコール絵になる訳やね。画が、綺麗です◆今回はそもそも舞台が女子高で、走り高跳びをするときゃあきゃあ嬌声が揚がる“憧れられ”役にモデルの杏がキャスティングされ、メインキャスト陣の中では寺島咲が杏のことをラヴく思う位置関係になっていて、もウ♪(はぁと)◆AKB48とかおニャン子とかモー娘。とかに夢や幻想を抱く男子はみんなこの映画を観たらいい。望む「女の子ばかりで展開する世界」が観られるから! 現実よりおそらくずっと綺麗に結晶しているから。

『さよなら。いつかわかること』
 死別をテーマにした映画は多い。死って人生の二大イヴェントの1つだからね、ドラマティックに拵えられるからでしょう(ちなみに来週はもいっこの大イヴェント「誕生」を描いた映画、『プルミエール 私たちの出産』を紹介しますよう! オタノシミニ?)◆もう大概の死別のパタンは観た。『いつか眠りにつく前に』を紹介した時には、死別は実際に体験することだと書いたけども、本当はそんなにないよ。やっぱき、ニュスーや創作で出わう場合の方が多く、それで数多くの死別を知ってるだけだ◆しかし本作に描かれるシチュエイションはちょっと独特だった。“Grace is Gone”とゆう原題で判るとおり死ぬのは女性、母親の方だ。遺された夫は2人の娘に母親の死を伝えなきゃなんなくて苦悶する◆独特と書いたのは、グレースの死因が戦死なんだ。母親が兵士で、イラクに出征していた設定です。男女が逆のヴァーヂョンなら『悲しみが乾くまで』がそーだったけどもさ◆強い女性を妻に持つ強い夫が、娘に母の死をどう伝えるか。日本では体験する人はほぼいまいこの死別を、観知っておいたらいい。

『三本木農業高校、馬術部』
 ポスタやちらしで見る長渕文音の写真を信じないで頂きたい。もっっとぜんっっぜんかわよいから!! 楽しみに、動く長渕文音に期待していい。これは保障します◆エンドロールに「つボイノリオ(CBCラジオパーソナリティ)」と出る、つボイさんの出演は、知って観た方がいい。番組でも喧伝されているけど出番は2、3秒だ、覚悟して、構えて臨んで、ゆめゆめ観落とされませぬよう!◆具体的に書くと、つボイさんの役は「卒業式に列席する来賓」です。座ってるよ。黒い礼服を着ているよ。3人が並んだ真ん中だよ◆卒業式になってもすぐ映る訳ではないから、神経を研ぎ澄ますのは卒業式になってからでぢうヴん。それまでは余裕で(笑)、お馬のかわよさを満喫されたい◆この映画のラヂヨCMで「馬はペットぢゃねえ!」ってぎばちゃんが怒鳴ってる、あれは動物を扱う者誰もが持つべきスタンスだ。『パンダフルライフ』の中国の繁殖施設の人もパンダをそう扱ってたし。11月1日公開の『ブタがいた教室』を観る時にもこれを心に刻んで観たら、また捉え方が変わるだろう。覚えておくといいよ!
『スカイ・クロラ』
 7月12日の「東京国際ブックフェワ」で原作者の森博嗣さんのトークショウがあった。予期したとおり押井守監督も登場し、お2人から『スカイ・クロラ』の話を聴けたよ!◆当然、集まった観衆は映画を未だ観ておるまい(僕は既に2回観てたけど)。そこで押井監督が言ったことを書きます。何も知らずに観たいと望む人は読まない方がいい。観る前の人々に向けて敢えて監督が明かした裏話だから知ってもいいやとゆう人だけどうぞ(言い回しは変えてあります)◆「キャラクタは単独では描けないので、スイトの分身を探した。結果、フーコをスイトとペアで描いた。“男を共有してる”とゆう共通項があるからだ。だからフーコがサングラスをかけるとスイトがサングラスを取る」◆「足しか出てこないティーチャは、実は他のカットには沢山出てくる。“登場してるんだけど語られないキャラ”だ」「逆に、犬は見えない登場人物を報せる仕掛けで、吠えているのは誰かの魂が帰ってきてる時」◆「氣に入った思いつきがこっそり絵にしてあるが、観客は仕掛けた100があるうち5つか6つしか氣づかない」

『スパイダーウィックの謎』
 主演の男の子、フレディ・ハイモアは覚えておくといい。6月21日公開の『奇跡のハーモニー』でもすっっげいいい主役を演じているよ! 主演作めぢろ押し且つ矢継ぎ早のこの時期にチェキっとくべき!◆『スパイダーウィックの謎』の原題は“THE SPIDERWICK CHRONICLES”です。CHRONICLEって「年代記」とか「編年史」って意味だ、本編中では「妖精観察図鑑」と訳されるものを指している。妖精の生態が記録された図鑑のことだ◆つーことで、妖精がうぢゃうぢゃ出てくる映画です。冒頭、古びた洋館に家族が引っ越してくるシーンで、長く閉じられていたドワを開けると、ざわわと、なんか黒っぽい気配が移動するさまが描かれる。こっここ!これって! 実写版『となりのトトロ』ぢゃんねッ!?◆もちよん、お話はトトロと違う。絡んでくるリワルは大人社会のそれも巻き込んで、両親の離婚問題までが関係してきます。うん、これこそが、妖精が現代にも棲息していたらの、正しいシミュレイションでしょ!◆「スプライト」って妖精がすっげえラヴリィだから、その造型も期待して観たらいいぞよ!
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
 所謂「石油王」のつくり方です。埋まってる石油は、こーやって当たりをつけ、こーやって土地を買収して、こーやって掘るのねと、とってもためになる。20世紀初頭のカリフォルニワでの話ですけどもね◆石油王も大変だと知れます。そして。本作はアカデミィ賞の大好きな「家族間の苦悩」が前面に表現されてもいるよ。石油王ならずとも、そりゃあ大変だぜ◆映画の冒頭では主人公は独り“金”を掘ってる。やがて石油掘りに移行していくって流れで、つまりなんつーか「餅は餅屋」とゆうか「三つ子の魂百まで」とゆうか、「適材適所」だから故に成功にまでも到るのだとも教えてくれるね。「継続は力なり」? 「好きこそものの」? 「蛇の道は蛇」かな◆起こる不幸は、それを不幸と捉える者には耐えられない不幸だろう。映画のテーマたり得る事件が展開します。しかし◆ 成功の裏にはこのくないの試練もあるよと受け容れられる観客もいよう。そーゆー人には純粋に、当時の石油ビジネスのノーハウを楽しめる、そんな物語に出来ている。アカデミィ主演男優賞を獲ったのもサモアリナンって思うよ!

『世界で一番美しい夜』
 出生率日本一の村に生まれ育った少女が、未だ過疎だった14年前に村に起こった、自分が生まれる原因となった事件を物語る?とゆう趣向で綴られるお話です。「世界で一番美しい」とゆうのは「誰も争わない」の意で、イーコール「みんなが愛し合った」ってこと。そーきてR-18指定だ♪ もう、期待通りの色っぽ?い画が見られますぜ!(うはうは)◆ミステリヤスなヒロイン役の月船さららは宝塚月組で男役のスターだった女優さんです、それが!ここまで体を張った演技をするなんて!! これは期待以上と断言していい◆もいっこ特筆すべきは主人公である田口トモロヲと、監督との間柄だ。監督の天涯大介は今村昌平の息子、そして今村昌平が日本篇の「おとなしい日本人」を撮った『セプテンバー11』の、その脚本を書いている。一方、「おとなしい日本人」の主演はご存じ田口トモロヲだった◆『セプテンバー11』を観た人は本作との予想外のリンクの仕方に感動するであろう! 知らない人は、本作の前でも後でもいいから『セプテンバー11』を是非ご覧なさいな。そー繋がるか!とぴっくりするよ!
『ゾンビ・ストリッパーズ』
 11月15日公開の新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』にて監督のジョージ・A・ロメロは標榜している、「死体は走れない。のろのろ歩く。脚が、もげちゃうからだ」と。すげい。そこまでちゃあんと考えてゾンビを動かしているのだ。さすがゾンビの父ではないか!◆それと、アングラのストリップ劇場にゾンビが一人紛れ込んだのをきっかけにストリッパたちが次々とゾンビ化していく本作とは話が別だ(笑)。理屈を通す映画も面白い。そっから自由になった映画にも面白いものがある。「みんな違って、みんないい」と主張しよう◆本作に限って適用されるルールが2つある。いっこは「女性はゾンビ化しても我を失わない(男はフツーのゾンビとして人を襲いまくりはぢめる)」と、「ゾンビになると理性とか身体能力とかいろんなものがショートして、ストリップのスティヂ上で凄い切れのあるダンスをぐるぐる踊れるようになる(だからお客大喜び!)」だ。わはは◆男の子の大好きな、ゾンビとストリップのコラボ映画だよ、R-18をクリヤしている者はこの自由な想像力に是非とも浸るべきだぜ!?
『団塊ボーイズ』
 【団塊の世代】を広辞苑第六版で引くと「他世代に比し人数が特に多いところからいう」そうだ、ベビィブームの時に生まれた世代だげなです◆やっぱき日本固有の分類ぢゃんね。つまり1954年生まれのトラボルタのことを「干支は午」とゆーよーなもんで、このタイトルは西洋の俳優さんらにはきょとんものだろう(笑)。でも邦題だもん、日本でイメィヂが伝われば越したことはない。厳密な正確なんぞ無用だ◆内容は「ええ歳のおっちゃん4人がサングラス掛けてバイクでアメリカを横断する話」です。“砂漠”、“周囲から孤立した西部の町”、なぁんてのが予想出来るアメリカならではの設定と展開だ。おっちゃんにもチャレンヂと冒険が可能では?といかにも思わせてくれる◆それにしてもこんな、“萌え”要素のないこの映画が、しかし昨年アメリカの興行収入ランキングで何週も10位以内にランクインし続けてただけのことがある、これは確かに楽しめたよ。萌えで釣らずに面白いってことは本氣で面白い訳だ。こーゆー映画にちゃあんとお客が入るアメリカって映画を観るメガある、と思いますね。
『テラビシアにかける橋』
 ブロンドのヒロインの少女が別嬪さんです。『チャーリーとチョコレート工場』でブルーベリィのガムになったアナソフィア・ロブって子だ、ものすげい綺麗だよ。こーゆー、子役で秀でてる子は刻々変わるから、ナニハトモアレこの映画で今の最高値を観ておくといい。ここでルックスが固定されたらキーラ・ナイトレイの子役が演じられるはず◆学校でのけ者になってる男の子と女の子の2人が森の中に空想の国“テラビシア”を建設する物語だ。空想がばんばん映像になってくるとこの氣持ちよさと言ったら! 僕個人としてはラストシーンにちょろっと映る「鳥のとまった杖を持ち、胸が鳥籠になってる貴婦人」が好き。いいデザインです♪◆『シネコンウォーカー Mini』1月號の特別號に載ってたインタヴュウでジョシュ・ハッチャーソンが言ってる言葉を引用すると、本作の原作は「アメリカでは小学校5年生ぐらいになると必ず読む本」だそう。そーゆー“基本”は押さえておいた方がいいよね、今後、アメリカの創作を観る上で、きっと深い理解が可能になるぞ。これでまたアメリカ人に一歩近づけた!
『トゥヤーの結婚 』
 ここ数年で、モンゴルが舞台の映画って結構公開されてるので、映像的にはだいぶんなぢみもありましょう。草原! 羊! 放牧! その服、肘曲がる?ってくない着込んだ放牧民の人!◆当初こそ、モンゴルイーコール純朴っぽいってイメィヂを押し出した物語のが観られたが、だんだん、やっぱき人間なんだ、悩みもあるし、ならではの苛酷な自然に生きる強さ、なぁてのが語られる作品も出てきてる。映画として成長してんのね◆そして本作。「足を悪くして歩けなくなった夫を持つトゥヤーは、毎日の水汲みも羊の世話もかなりの負担になってきたので、一計を案じ、夫とは離婚して再婚相手を探すことにする。但し。再婚相手には前夫との同居とその世話を条件とする」って話だ◆モンゴルの婚姻のシステムはよく知らない、が、この選択がモンゴルでも珍しいことだとは示される。つまり。「夫婦愛」を描いたこの映画のテーマには、一般性がある訳だ。“モンゴル”はマストの条件ではないのよ。よくこんな設定を考えたもんだ。きっと他国の監督がリメークを作りたがっちゃうかも!と予想しておこう!
『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』
 前作のラストから、イギリスでは1年が、ナルニア国では1300年くないが経過した時代が舞台です◆一作目を観た人は氣になるだろう、「あの4人の兄弟姉妹は第1章でナルニア国にて一旦成長し、大人として過ごしたはずだ。イギリスに帰った時に体は子供に戻ったけど、精神的には王や女王として君臨できていたほどに成熟してるはずでは?」との問題は、クリヤしている。安心して観られたい!◆ちょっと明かすと“確かに同年代の子たちよりか成熟した思考を持ってる(らしい)”と示される。で、こっちの方が重要だけど“精神的に大人だからといって降りかかってくるすべての障害を見事に解決できる訳ではない”んだ、これを観て改めて氣づかされた◆そりゃそうだ、大人が主役の物語で、悩んだり間違ったり、するぢゃんね! だから同世代の子よりは智恵がついた彼らだって、ナルニアに戻ったらぢうヴんに難題と冒険が待っている訳だよ◆1300年経ってるので“懐かしキャラ”は兄弟姉妹以外に、そんなには出てこない(内証だけどね)。オタノシミニー、そして本作がはぢめての人も、是非に。
『パコと魔法の絵本』
 中島哲也監督が大ヒット作『下妻物語』で片鱗を見せ、『嫌われ松子の一生』で花開かせた(文字通りだ!)「実写の手前にフレィムのよーに花をあしらう」などのCGによる画面のゴーヂャス化が、この作品では最大に活かされることになったんだぜ!!◆病院に入院している前向性健忘の女の子のために、その子が大好きな絵本を、入院患者、医者、看護婦たちが登場キャラクタに扮してお芝居にして観せてあげるとゆう物語です。だからまず絵本のキャラクタになった時にそれはCGで描かれたものに差し替えられる。CMなんかで流れてる蛙のキャラクタは、あれは役所広司が担当するガマ王子だ◆もちよん上記の通りの「手前のお花」などの装飾もフンダンに施されていて、しかしそれが乖離して映らないのは、本作の原作が舞台劇だからなんだ。そもそもスティヂ上で展開することも可能なお話だから、画面がどんなに“現実にはあり得ないほど華やか”に飾られようとそれを受け容れられる。つーかいっそそれで映えるのね。中島哲也の大好きな得意技に、まさにストーリィがヂャストフィットした訳だよ。

『裸足のギボン』
 この韓国映画を紹介するのにこの角度で推す、なんてのは世界広しと言えども本「招福!きねま猫」だけだ。このペヂーを開いたCBCのリスナ諸兄は幸いである、心落ち着けて以下を読まれたい◆走ることが大好きな精神障碍1級のギボンが、賞金でお母さんに入れ歯を買ってあげようと全国アマチュアハーフマラソン大会に出場する物語です。実話をモチーフにしています◆ギボンを演じるてのはシン・ヒョンジュンとゆう俳優さんだ。これまでに『銀杏のベッド』とか『ガン&トークス』とかに出てる、らしい<僕は確実にこの両作品を観ているんだが覚えてない、のですが◆しかし今回のこの役柄はすげい。およそCBCに造詣の深い人には忘れられなくなるだろう◆右の写真を見て頂きたい。実は動くと、声質も違うし体も大きいしでそんな感じは減ずるけど、止まったこの写真からの判断では、この人はどー見てもCBCアナウンサの澤朋宏さんそっっくりぢゃねッ!?◆澤さんご本人も自ら似てると認めたほどだ! CBCになぢみのあるすべての方々は、これを観とかないって手はないと思いますぜ?私。

『ハッピーフライト』
 羽田空港で働く人々を“楽しく”描いた映画です。広い空港、各部署にて興味深いエピソードが創れそうなことは予想に難くない◆でも。これほどまでに破綻せず、かといってわざとらしい関わり合いも持たせず、各々を独立させたまま一貫性のある映画に構成するとは! 矢口史靖監督の力量に感嘆するぞ◆物語のひとまずの目的は「綾瀬はるかがスッチー、田辺誠一がパイロットのヒコーキをホノルルに向けて送り出す」こと。だけど離陸しても綾瀬はるかと田辺誠一のお話のみに収束する訳ぢゃない。いっぺん出したキャラクタたちを使い捨てにはしない展開が待っている◆各シーンに主役級の俳優が配役されてるから、本作の主人公は別段綾瀬はるかではありません。それをツマビラカにしたいと望むのはオコガマシーぞ、『ラブ・アクチュアリー』の主役を一人に定めるほど無意味だ◆だから観る貴女が、お氣にーりの俳優さんを本作の主役だと思えば宜しい。観客が主人公を決める映画なのね◆ちなみに僕は入山法子ちゃん! 入山法子大好き♪ みんなもこの映画をみて入山法子を好きになればいいのに!

『バンク・ジョブ』
 地下を掘って銀行の貸金庫を狙う強盗団のお話だ。「金庫」ぢゃない点が味噌◆目論みどおり、宝石だのお金だのがざっくざっく手に入る。が。それ以外の「価値あるもの」も入手しちゃうんだ◆貸金庫に入れる物ってたいがい他言無用で門外不出だからね、ある意味どえらい価値がある。たといば「国家が転覆するくないの機密」なんてのが含まれていた◆問題なのはそれを貸金庫に入れた側の肩書きだ、この場合悪者だったんだ。つーことで機密を漏洩されて困るのは貸金庫に入れた奴ら、警察、そして政府(つーかイギリス映画なのでもっと絞り込んで「王室」なんだけど)。こいつらが各々襲ってくるよ! ぎゃー。単なる泥棒より酷い、3組織から追われる身になっちゃったぜ!?◆この事態を脱却するには? 知恵は必要だ、どんな状況改善の道があるか、読み、そこに到るルートを探らないといけない。度胸とノーハウも要る◆やることを把握し走り出させたら、あとは運ですね。「人事を尽くして天命を待つ」とゆー言葉がこれほど似わうシチュエイションはない。人事の、張り巡らし方に舌を巻いてね。

『パンダフルライフ』
 今年の拳法映画のベスト1は『カンフー・パンダ』だとは7月25日付の本欄に書いたとおりだが、あの評価にはやっぱき「パンダはかわよい!」とゆうのがプラスに働いてる。アニメですらかわよい、況や実写のパンダちゃんをや!◆本作は繁殖目的で飼育されてるパンダちゃんたちを撮ったドキュメンタリィです。パンダを1mmでも好きな人には堪えられまい♪◆上映前のMCでプロモータさんが、癒されすぎて居眠りしないようにとゆった。ははっまさかそんな。かわよいパンダちゃんを観てて寝る訳ねいぢゃんと高を括ってたら! 要ちういだぜ!? スクリィンの中でパンダちゃんがうとうとうとする。パンダちゃんの寝姿はラヴリィだ。だが、つられて僕にもねヴ氣がっ!? ぎゃー(ZZZ)◆成都大熊猫繁育研究基地の人々もパンダちゃんを可愛がり育ててるが「パンダはペットぢゃない」とも解った扱いをしてるんだ。子供の頃は仲のよいパンダ同士も、長じるとそういつまでもころころ一緒にはいないのだと、獣なんだと、思い知らされるシーンもある。パンダ好きならここまで見知っておくべきぢゃ?

『バンテージ・ポイント』
 ミステリィ小説には「視点をキャラクタ間で移動させない」ってルールがある。ある人物の視点で描きはぢめたら、きりがつくまでは他のキャラ視点の描写を交ぜてはいけない。フェア徹底されている故です◆映画は、そんなこと知ったこっちゃない。全キャラクタをいっぺんに見下ろす高みから画を撮る、なぁんてことがへっきで行われます。所謂“神の視点”で描いていいんだ◆それに敢えて逆らい、一つの事件「大統領狙撃」を、その場にいる8人のキャラクタそれぞれの視点で幾度も幾度もテッテ的に描き直す手法を採ったのが本作だ。観客は、銃撃や爆破が起こる現場で、居合わせたある1人の位置から、その角度でしか観察できない事象を体験する◆最初は予想外のことにパニクる“テレヴィの中継クルー”の立場だ。2度目、2人目の視点からは、未来になにが発生するか知っているから、その立ち位置までを確認しつつ観ていける。どんどん情報が殖えていくわくわく感ったら、ない♪ この手法は画期的に面白いから、きっと真似されちゃうかもね、まず最初に本作に出わえた者はしやわせであるよ。
『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE II 〜私を愛した黒烏龍茶〜』
 もとのタイトルは『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE II 〜島根は鳥取の左側です(仮)〜』だったそう。サブタイトルのネーミングライツ=命名権をサントリィに売った結果こうなったんだ。もちよんこんな面白い顛末が本編に出てこない訳がない、どんな登場のし方をするか、オタノシミニ!◆SPA!でも連載を持ってる映像クリエイタ・FROGMAN制作のFLASHアニメで、絵柄だけ見ると緻密とは対極にある(笑)簡単な線で描かれてます。動きの数もそんな多くなく、たといばフィリップなんかずーと同じポーズだ。裏向きになったり倒れたりはするけど。きっとそれ一枚しか絵を描いてないんぢゃ?と穿ってみたくなるほど◆そして。「補って余りある」と言ったら失礼ぢゃがこれで劇場公開され、しかもIIってことはIの人気が高かった証左だ、面白いことがフンダンに溢れていると判断して正しい。本当、アイデワの宝庫とはこのことよ◆僕は観たことないが、TOHOシネマズのマナームーヴィってこのキャラクタたちだそうぢゃんね! TOHOシネマズのユーザのミナサマは、必見でしょ(他の人も!)。

『ひゃくはち』
 PG-12指定です。そんな氣はしたんだ、だって「高校球児の喫煙シーン」があるからね◆別に不良の話ではない。野球が好きで、レギュラになりたくて、練習を一所懸命している子たちの物語だ。ただ、聖人君子ではないとゆーこと◆煙草は「フツーの高校生」である記号として使われる。よいも悪いもない(法的にどうよ、と言われるからこそのPG-12なんだろーけど、細かいこと言ったらだったら殺人の映画なんてめっさ違法ぢゃん。喫煙者の肩持つ訳ではないけどさ)◆テッテ的にこの映画は「フツー」を描くから、野球映画が陥りがちな「頑張った結果、甲子園に行ける」なぁんて黴の生えたようなステレヨタイプは決して起こさない(だって、だったら優勝したただ1校だけが頑張ったのか? それ以外の、いっぺん負けただけの、結果が出なかったすべての高校球児の「頑張り」は全否定か?ってことになるもの)。もちよん頑張る。しかし、ベンチ入りできるかできないか、最後に決まるのは「運」でなんだ◆こんなリワリティ、あるか? 本当の人生を観ているように主人公たちを応援したらいい。
『ブタがいた教室』
 6年生の一クラスが卒業時に屠殺して喰う約束で1年間豚を飼うお話です。1990年に大阪の小学校で実際に行われた“実践教育”の映画化ですね◆本当のクラスでも卒業時に喰うか喰わないか、大議論が交わされた。だから本作にキャスティングされた子供たちは「個性を持っている」「自分の言葉を持っている」「自分の考えを持っている」「感情を出せる」などで選ばれたといいます◆子供らが2派に分かれてディベートをするシーンはガチで撮られたもの。いっぺんしかチャンスはないので7台のカメラを回して撮影したとゆーだけあって、なかなか真に迫った議論が展開するよ◆ま、『パンダフルライフ』にて繁殖研究所の人たちがパンダを可愛がりつつも獣として扱っている様子や、『いのちの食べかた』での屠殺の様子を観ている我々大人には、Pちゃんと名付けた豚を殺したくないと主張する子供の氣持ちは解る。答えを書いちゃえば「食べるつもりの豚をペットとして飼ってはいかん」だ◆そこで葛藤する子供たちの、自分の言葉を駆使してのディベートシーンこそ本作の最大にして最高の価値です。

『ブラインドネス』
 メガ見えない人ばっかりで構成される世界はどんなか、シミュレイションした映画です。もちよん生物の種としてそもそも生まれつき視覚を持たないってパタンではない、現在のシステムが構築された今、後天的に全人類のメガ順次徐々に見えなくなったら?とゆー「もしも」ものだ◆この想像力はちょっと凄い。いっこ書こう、「どーせ全員メガ見えないんならといちーちトイレまで行かない」奴が出てくるぞ。うわ。「脱いだ服のありかが判らなくなりそのまんま裸ん坊で過ごしはぢめちゃう奴」までは予想ついたが、そうか、そこいらぢう汚物だらけになるか!◆我々観客の“目”を担う観測系の役が唯一人メガ見えるジュリアン・ムーアだ。ジュリアン・ムーアの採る選択はラストに活きてくる。そうして◆エンドロールがはぢまる直前、本編のぎっりぎりのラストのラストまで氣を抜かず、どんなカメラワークでこの物語が終わるのかを観届けて頂きたい。あと、その直前の字幕スーパ=科白をゆめゆめ読み落とされませぬよう。語尾とかチョー重要ですから! 正しく、提示されたすべてを捉え味わってね♪

『プルミエール 私たちの出産』
 世界の10カ国での出産を撮ったドキュメンタリィです。こんなリワルな人間の誕生シーンは、沢山映画を観てきてるけどはぢめてだ◆誤解を恐れず書くと、観てて思ったのは「臭そう」だった。作り物ぢゃない、本当の血や後産が出るのでね。によいまで想起できゆなんて!すげいぞ!!ドキュメンタリィ!!!◆さらに。ドキュメンタリィは綺麗事だけを観せるのが目的ではないと解るのが、ニジェールでの話の時だ。これが記録されたことで同じ経験をした女性に思いを馳せられよう◆日本の出産は地元、岡崎市の「お産の家」でのが紹介される。アメリカのは自宅出産だしメキシコのはイルカプールでの出産だ。母体と赤ちゃんのことを思いやった、ケワの行き届いた例が挙げられてる◆でもね。ベトナムの、世界最大の産院での流れ作業のよに次々と出産が手掛けられる奴だって、人の命が生まれることに何も変わりないんだ。お母さんにとって自分の赤ちゃんが生まれる重みに違いはないと氣づかされたね◆こいなけのパタンはそうは観れまい。未だ子供を持たない男性こそ特に、この機会に観知っておくといいぜ。

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』
 『コーラスライン』なんて知らない。僕は映画にしか興味がないのでね、舞台ミウヂカルであるところの『コーラスライン』に触れよう機会なぞない◆本作はその、舞台の『コーラスライン』を再演するためにキャストを公募しオーディションを行う、その様子を撮ったドキュメンタリィです。『コーラスライン』とゆうお話自体がダンスミウヂカルのオーディションをモチーフにしたものだそうだ。そーゆ二重構造を狙って企画された訳なのね◆知らないミウヂカルのオーディション風景て、どーなの?と正直訝しんで臨んだ。「頑張り」と「悲喜こもごも」を直球で訴えるって、そんな、まんまな!とも思ってたのに、開いてみたら! 面白い! ぎゃー! 創作を生業とする者にとっては悔しいほど、まんまが途轍もなく面白い◆僕の好きなとこを二点挙げておこう。たぶん撮影スタッフが合格を予期してなかったんだろう、前半部での画がやたらと少ない感じの高良結香◆それと、ゲイのポール役が選ばれる面接シーンは必見。特にポール役の方はどんな期待や予想をしても、その上をいくからね! 要チェキ!!
『ベガスの恋に勝つルール』
 待ってました! これぞ「キャメロン・ディアスのラヴコメ」であるッ!! これが観たかった!◆ラスベガスで知り合った男と酔っ払った一夜のノリで結婚してしまう。破棄したいのだが、その場のスロットで当たった大金は分与して頂きたい。裁判所が出した結論は“半年間を夫婦として過ごすこと”だった!って話です。会えば喧嘩になる相手と6カ月間一緒に暮らす展開なの、キャメロンが水を得たようになる設定ではありましぇんか!<魚?◆可愛くて元気で攻撃的で積極的でパワフルでめげなくて、だから簡単なこと言うとソフトバンクのCMのキャメロン・ディアスです、これ。あの明るいキャラクタを活かしてこそキャメロンをラヴストーリィに起用した意味がある◆確かに『イン・ハー・シューズ』みたいな心の機微を表現する映画でも、アクションがメーンの『チャーリーズ・エンジェル』でも、キャメロンのならではの魅力は発揮されてた。だけどキャメロンがラヴストーリィに出るつったら期待するのはこれでしょ♪◆映画を観て、面白くて楽しく嬉しい氣持ちになりたい人向けです、まさにね。

『蛇にピアス』
 いっそあり得ない。だから、個人差はあるでしょうが僕は楽しんで観られました◆なまぢ、ちょっとずれてるだけだったり、予想の範疇に入ってたりすると、違うだのおかしいだのクレィムをつけられるだろう。この映画はそんなのを受けつけない◆吉高由里子演じる主人公の行動規範が「解らない」。盛り場で、黒人に誘われてそんな店についていかないし、出わった“舌が二股に切れている男”の部屋に行ったりしない◆途中、高良健吾の髪を染める顛末とココナッツのお香を買いに走るシーンとで、この子は「見えるところだけ安定して居心地がよければそれで満足」する性格なんだと知れる。そんなの、社会人ぢゃねえよ。なんちう近視眼だよ◆そこまで近視眼でも現代の東京では生きていくことが可能なんだと教えてくれたこの映画は大したもんだとつくづく思います。そしてここまで「ありえねー」物語は、いっそSFとして観られました。別の時代の別の世界の絵空事より、よっぽどこの方が荒唐無稽だ。キャラクタに自己投影することなくヒトゴトとして観て、最高に愉しめましょう。助平もあるしね♪

『ペルセポリス』
 イランの女性がチャドル(=全身を覆う布)を着けているのを見たことは、あるでしょう? あれ、いつからの慣習だと思いますか? この映画を観れば判る◆本作は1969年にイランに生まれた女の子マルジの半生を描いたアニメです。マルジが子供の時分には、チャドルを着てる女性はひっとりも出てこない。えッ!?◆長じて、マルジがウィーンに留学する前後には、女子はヴェールを身につけなきゃならない社会になる。なんだよ、チャドルが義務づけられてからまだ30年も経ってないなんて、思いもしなかったよ!!(おっきいうろこ)◆だからこのアニメイションを観ればイランの現代史が解る訳だ。絵に施されているのと同様、ストーリィもデフォルメされてるので。一個人であるマルジの生活や体験を通して知ることができるイラン社会の変遷がすげい解り易い!◆これが氣に入ったら、1月19日公開の『ぜんぶ、フィデルのせい』でフランス現代史を観、2月公開の『君のためなら千回でも』でアフガニスタン現代史を観るといい。映画の主人公の成長を通じて各国の情勢に詳しくなっちゃえばいいよ!
『魔法にかけられて』
 この映画の冒頭の、まさに絵に描いた「白馬の王子様が迎えに来てくれる」ラヴは典型でもあり、だから故に完璧にハッピィでわくわくして、アニメでいられる時間が限られていることが判っている故に全力を出したんだろう、もの凄い完成度だ! このテイストのまんま映画1本分のシンデレラストーリィのアニメが観たい!とどんなに思ったことか◆しかし。起承転結でゆう「転」だ、魔女の企みでプリンセスになるべきヒロインは実写の世界に飛ばされてしまう◆ルールはアニメのルールが活きているから、こんな楽しいことはない! 歌を歌えば小動物が集まってきて家事を手伝ってくれる。問題は、ここはニューヨークってことなんだけどね◆雑踏の中に背の小さい人を見つけるとプリンセスは語りかける、「おこりんぼさん」。白雪姫に出てくるキャラクタの一人だと勘違いしてる訳です。つまりさ、これって逆に言えば、実写(写?)の我々もディズニィアニメの一員として参加できる証左ではない? つまりつまり、この映画で観られる世界こそが、東京ディズニィランドが目指している理想なのでは?

『マンデラの名もなき看守』
 南アフリカ共和国の大統領を務めたネルソン・マンデラは、かつてアパルトヘイト下で政治犯として投獄されていたのよ。知ってた? その時に、黒人の遣う言葉が解るからと監視役を兼ねてマンデラ担当の看守となった白人刑務官がおった。それら実在の人物を描いた物語です◆「成長譚」って観てて氣持ちいい。進歩が魅力的に映るよう、生物は造られているからかしらね◆本作のシチュエイションは、みんな知っている“今では廃止されたアパルトヘイト”が活きていた時分だ。南アフリカに住む(おそらくほぼ)すべての白人はアパルトヘイトを信じ、マンデラをはぢめとする黒人らは自由憲章を掲げて人種差別の撤廃を唱えている。邦題になってる「マンデラの名もなき看守」は白人の身でありながらマンデラと接することで徐々に人種差別に疑問を抱いていく立場だ。仲間たち、そして家族、具体的には妻が今なお人種差別に拘泥している時期に、一足先にメガ覚めていくんだ。その「出し抜いた成長」が痛快に面白い。史実のくせに!<偏見?<てか差別?(笑) まさに主役の選び方が絶妙だったんだ。
『ラースと、その彼女』
 27歳で独身のラースが兄夫婦から、独りってどうよ?的なことを言われる◆ラースは、人付き合いがイヤンなんだろう。秋波を送ってくる女性がいてもケンモホロロだ。そーゆー生き方も認めてやったらよ?と思っていると◆ラースは所謂「ラヴ・ドール」を買うぞ(その描写はないけどきっと買った)。でもラース的には「カノジョが家に遊びにきた」ことになる。そう宣言し、カノジョとして扱いはぢめる。周囲の戸惑わんことか!◆喝采を送ったね! そうそう、こんな時代に生まれたんだから(@『Go! Fight! 腐女子シスターズ』)ラヴドールが恋人でも構うまい。独りの世界に閉じ籠もって生きていく勇気を描いた映画か、嬉しいなあ♪と思ったよ。来年2月21日公開の『魔法遣いに大切なこと』に出てくる同様の青年は「きしょい」と詰られてた(非道い)が、ラースは頑張れ!◆と。思っていたら。違う。この映画は「ラースは独りではない」がテーマだった。ウワー。こんな設定でそんなええ話にする? ヒキョーだが感動的だよ。ラースをきしょいと思う人もこの映画は観た方が絶対に、いい。
『わが教え子、ヒトラー』
 ヒトラーが自信を喪失し鬱に陥って演説ができなくなった。てこ入れのためにかつてヒトラーの演説の教師をしたユダヤ人が強制収容所から強制的に(笑)連れてこられ宛がわれる。なんでユダヤ人かつーとヒトラーの怒りが誘発されテンションが上がる効果を見越したんだって◆ナチスドイツを揶揄し描く様子がツー快です♪ 敬礼なんて恰好のネタだ、茶化す茶化すよ!!◆ヒトラーとナチスドイツって汎世界史的に他に類を見ない、「完全悪」として扱ってかまーない対象だから、もう本当にやられ放題。これ、他の歴史上の人物をこんないぢったら絶対に遺族や子孫からクレィムがつくぜ?と思われる演出が施されます。観ごたえありまくり!◆ゆる?い例をいっこ挙げておこう。「ヒトラーはおふよに入る時に湯舟に戦艦を浮かべてる」ぞ。ぎゃははっ! コントのヒトラーか!◆チャップリンの『独裁者』もこの眷属ぢゃが、あれはモデルにはしてても作中で「ヒトラー」って言わないぢゃんね? そんなん、絞り込んだ方が切っ先が鋭くなるのは当然。本作は今年の戦争映画のベスト1だと僕は今決めよう。
アルファベット
『GOTH』
 高梨臨ほど美人はいない(断言)。惜しむらくは『GOTH』の高梨臨は笑顔を見せない役まーりだった。高梨臨の笑顔はサイコーだっちゅーの(@パイレーツ)に!◆乙一の原作の映画化だもの、これまでのを振り返ったら判ろう。『暗いところで待ち合わせ』の田中麗奈も『君にしか聞こえない』の成海璃子も『KIDS』の栗山千明も『死にぞこないの青』の谷村美月も、どいつもこいつも“陽気に笑う”タイプではなかったでしょう? ヒロインの“陰”が不可欠にして重要なファクタになってる創作だと捉えれば高梨臨の笑顔が見られないのも予想の範囲内であろう◆ちょっと閑話。『死にぞこないの青』の谷村美月はヒロインぢゃないんぢゃ?∩ヒロインに当たるキャラクタを演じていたのは入山法子では?∩入山法子は唯一の救いともいえよう、完全なる明るい笑顔を披露しておったぜ?とのクレィムに対しては真摯に受けとめ、僕もそー思うとの回答を提示致したく存じます(ぺこりき)◆閑話休題。あと、男の子の側の主人公を演ずる本郷奏多は今や映画に売れ売れ売れだから本氣で要チェックだよ。

『L change the WorLd』
 松山ケンイチ演じるLは原作漫画のファンが驚く似ぐわいだ。あんまり似てるのでLが主役のこの映画が創られたのでは?と想像します◆但し。原作漫画“だけ”読んだ者がいきなしこの映画を観ると、かなり戸惑うだろう。デスノート事件が解決した後の物語なのにLが生きている(!)もん◆どーなってるかは映画版『デスノート』と続編『デスノート the Last name』を観れば判る。その後日談が本作だ、これだけ観てももちよん楽しめるお話になってるが、原作を知ってて戸惑いたくない人は、これまでの2作を観とくと宜しい◆『デスノート』以降、松山ケンイチは、売れた。“素顔”をフツーに見るようになったし、覚えられた。そーなった上で、さてLを見ると、ああ、でもやっばこれはLだ! ちっっとも松山ケンイチぢゃない! やるなあ!>松山ケンイチ◆そうして立ち返り、もっかい原作のファン向けの話をしよう、本作を観終えたらきっと解るだろうけど、これ、もう一本お話が創れるよねっ♪ あるかないかは判らないけど期待していいのでは?と思うよ、きっと!(原作を知ってる人限定)

『Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!』
 今回ビーンはカンヌに向かう。イギリス人だから、ドーバーを渡りフランスに入るや異邦人だ。言葉が通じない。つーことで起こるのはゼスチャとパントマイムの嵐である! そんなん、コメディの基礎にして、面白くならない訳がない鉄板の状況ではないか!◆さらに本作の優れている点は、ビーンが被害者だったことです。唯一、牡蠣を喰っていた時に隣のティブルにいた女性だけは、あれは悲劇だったが(大笑)◆笑いは差違から起こる。「自分と違う」ものに対して「畏怖する」or「笑う」とゆう反応は、これはやむなく自然に抱く人間らしい感情だよね。ってんで人の失敗は面白い所以だ。本当なら巧くいくとこを逸脱する、それが笑いに繋がる。故に人を酷い目に遭わせたり、迷惑を掛けたりしたら笑ける。但しその笑いはとても低級で下品だ、失礼な反応だものね◆そこで。喜劇役者は自らが酷い目に遭ってみせるんだ。チャップリンがまさにそうだった、笑ってもらおうと被害者を演じてるんだから、これは笑って観るのが礼儀でしょ◆本作のビーンはまさにこれなんだ。笑けるよ、笑ったろうぢゃん♪

『Mr.ブルックス〜完璧なる殺人鬼〜』
 サブタイトルが言い切ってる(これは邦題だけにつけられた大サーヴィスだが)。ケヴィン・コスナー演じるこの殺人犯は完璧だ◆キャラ設定としては「殺人中毒」だそうな。面白がって人を殺すのではなく、殺さないとやってらんない「病気」なのね◆これは、だけど決して“殺人を正当化する”ためぢゃない。しょーがなく、あたかも「禁煙ができない」「ドラッグがやめられない」かのように衝き動かされて殺す訳だから、捕まって今現在の地位をふいにするほどの不本意はない、って方向に効いてくる◆だから。もんのすごく用意周到なの。どんなに氣を配って殺しているかは観てもらえば判ろう、幾度殺人を繰り返そうとぜっっったいにぼろが出ないし足がつかない。そーゆー準備を万端に施した上で殺してます。「完璧」と冠される所以だ◆確かにこの映画の通り行えば、もしかしたら本当に、殺人をしても通常の生活を送り続けられるかもしれない。でも。観た者は知るだろうよ、こんなに手間をかけるんだったら人なんか殺さない方が遙かに楽だと。そーゆー、絵空事として楽しむ用の物語なのだった。
数字
『4ヶ月、3週と2日』
 女の子が、なんだか忙しなく寮を行き来するシーンから映画ははぢまる。前情報を入れずに観はぢめてたら、まさかそんな展開になるとは予想できない「フツー」の風景だ◆何が起こるのか、はっきり書こう、「望まぬ子供ができてしまって堕胎する」物語です。堕胎する子をケワするルームメイトが主人公だ◆妊娠中絶が法に触れる社会が舞台なのだとやがて判る。まっとうなやり方ではできないことをしようと試みるんだ、ドラマが発生せざるを得まい◆堕胎する子がどーゆー態度でいるか、付き添う主人公がどう思い行動するのか、それを観よう◆なんなら初夏に伏見ミリオン座で公開になる『JUNO/ジュノ』も“望まぬ子を身籠もる”映画だ、是非に観比べるといい。ある意味対照的だから◆説教臭いことだって言えるし個人的な意見も抱けよう。歴史を調べ、確認した上で「当時のルーマニア」を批判だってできよう。そゆことは観たら各自が考え、人に伝えるといい。ひとまずこれだけは言っておくと、この作品は「映画としてのレヴェル」が高かった。映画を観せるとゆうことが解って作られてたよ。

『12人の怒れる男』
 1957年のアメリカ映画をリメイクしたロシア映画です。元の映画は観たことないけど、たぶん「殺人事件の被告に死刑判決を出すかどうか12人の陪審員の全員一致の決定に委ねられる。みんな当然死刑でしょ?と審議に臨んだら、たった一人が異議を唱える◆人一人の命が係ってるんだ、もっと慎重に結論を出すべきぢゃない?と そーして、一人、また一人と反対派に寝返ってくる」とゆう、この骨組みはまんまなんではないかな? ここまでを踏まえて◆舞台は完全に現代のロシヤになってます。陪審員たちはケータイを持ってるし(審議に入る際に没収されるけど)、なにより容疑者の青年の、殺害したとされるシチュエイションが、現代ロシヤが抱える問題に関係して描かれてるんだ。だから1mmも「無理くそ」や「とってつけ」がない。まさに今の物語として語られる◆160分とゆう長尺も現代ロシヤに生きる12人の陪審員全員のバックグラウンドがいちーち語られるが故だ。これが抜群に興味深い! ちっっとも退屈せんぞ!? 人生の160分をこの映画を観るのに費やしてよかった!と思うことだろう。

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