「招福!きねま猫」2005

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『愛をつづる詩』
 映画本編を観る前にプレス資料を読んでおいて、先に知っておいてよかった、と思うことが2つあった◆まず、登場人物の役名だ、ジョアン・アレン演じる主人公は「彼女」、サイモン・アブカリアンは「彼」だ。固有名詞に重きが置かれているお話ではない証左でしょう。ほう◆物語はこの二人、既婚の「彼女」がロンドンでコックをしている「彼」と惹かれ合うとゆう展開をみせる。大きな派手な動きこそないが、人生のいろんなファクタを含みつつお話は進行していきます◆そしてこの映画に施されたもう一つの試み。登場するすべてのキャラクタの台詞が脚韻を踏んでいるとゆうのだ◆あからさまに、韻が判るよう区切って喋るキャラクタもいる、「彼」とか掃除婦がそれです。しかし多くの登場人物は韻の部分で切ってはくれない。必死になって聴き取っていると、でも解る箇所がある◆つまりこの映画は一編の、長い長い詩なのです。捉えるべきはストーリィだけに留まらない。詩の朗読を聴くように、流れのすべてを味わうのこそがこの映画の「正しい」、少なくとも「より楽める」鑑賞法だった訳です♪

『雨よりせつなく』
 主役を演じる田波涼子は雑誌「JJ」の専属モデルでデビュウした娘だ、これがはぢめての映画出演です。わあ、さぞかし美人さんではッ♪と期待して臨んだら、えーと(笑)。普通には可愛かったけどそんな、誰もの目を惹く華やかなタイプとしては撮られてませんでしたねー(失礼)◆そりゃ当たり前だ、そもそも設定がそーぢゃないもん。主人公の水野綾美は広告代理店に勤めていて、夜になると会社の廊下の自販機でカップ麺を買って喰う、そんな娘だ。美人さを前面に主張するタイプぢゃない◆どっちかというと物静かで、所謂「体温が低い」キャラクタなのです。たまに独りでぼーと釣り堀で糸を垂れるカットも挿入される。感情を外部に表すことも少なく、親友に「隠してること、ない?」と問われるとにっこり笑い「ないよ」と答える◆ああ、解る、自分もそうだ、と共感する女性もいようが、なにもターゲットはそこに留まらない。考え方も生き様もまったく違う層の観客には興味深い対象として映ることだろう。都会で独り暮らしをする女性の生活を隠し撮りして観ているみたいに愉しめちゃうぞ。

『ある子供』
 18歳のソニアは出産した。退院し、一度も病院に来なかった父親、20歳のブリュノに赤ちゃんを見せる◆しかしブリュノは興味がない。“好きな女が赤ん坊を連れてきた”以上の意味を持たない。考えているのは盗みを働いて小銭をせしめること。それだけだ、それが生活のすべてだ◆本当に、男はガキだと、この映画を観ると思い知らされる。女性は子供を産むことで大人たることを余儀なくされるのかもしれない。しかし男は相変わらず、いつまでも子供の時代に留まり続けてる◆本当に馬鹿だ。ブリュノは、お金で子供を買う人がいると聞き、赤ん坊を売ってしまう。目先の、小額のお金を手にすることが人生の最大の目的だとでも思っているのだろう◆当然ブリュノは自分がやったことを思い知らされる。その手法としてこの映画はどんな演出を採ったか、ソニアがどんな反応を示したのかは実際に観て確認して欲しい◆これで通じたことに救いを見出したよ。まだしもブリュノは「人の痛み」が解るのだ。では、あと語られるべきはブリュノの贖罪の顛末です。痛みは伴うけど、でも、大人にはならなきゃね。

『アンナとロッテ』
 英語タイトルを“Twin sisters”といいます。女の子の双子が両親の死後、それぞれ別の親戚に引き取られ生き別れて成長する話だ。すなーち虎の兄弟が生き別れになる『トゥー・ブラザーズ』の、人間版、女性版とゆう訳です◆虎は再会したら喜んでいたよ。でも人間さまは、そんな一筋縄ではいかない◆『トゥー・ブラザーズ』の「生き別れ」は単純に“再会しづらい場所”に置けばよかった。片っぽは王様のところ、片っぽはサーカスにもらわれていったのだ。出わいそうにない両者が運命のいたずらで出わえば、それで感動的になる◆しかし、『アンナとロッテ』の生き別れは物理的な隔たりだけに留まらない。物語の舞台は第二次大戦前夜。ドイツの農家に引き取られたアンナは長じてナチスドイツの将校とつきあい、オランダの裕福な家庭に引き取られたロッテはユダヤ人の婚約者を持つことになるよ。ほら! 双子として生まれたのに思想レヴェルで別の道を歩んぢゃっているのだ◆「生き別れ」に、虎には設定できない“精神的な距離”を導入しているのです。それ故に物語は深く、悲劇は徹底される。
『イン・ザ・プール』
 難儀な人ってのがいる。見てるだけでうざい。絶対に関わり合いたくない。でもそれが主治医だったら?◆松尾スズキ演じる医者がまさにそれだ。精神科医だから、訪れる患者たちは皆精神的に弱っている。自分ではどうにもできない症状を改善してもらいたくて通院してくる、そこにつけ込んでやりたい放題に振る舞うのだ◆実は松尾スズキは単に、デフォルメされたキャラクタに過ぎない。そもそも多かれ少なかれ、患者たちの周囲の人々は厚顔で図々しい存在だ。そこにストレスを感じ、溜まり積もる。それを極端に強調、濃縮し思い知らせてくれるのが松尾スズキであった◆にしてもつくづく適材適所でしたねー(笑)。ウッテツケとも言える厄介者加減だ。ネタばれになるから詳しくは描写できないけど「えいっ、ビギナーズラック!」って蹴りを繰り出すシーンがある。この映画で最大最高に要らんことをする瞬間です(笑)◆そう、この精神科医は狂っているのではない。ただの要らんことしいなのだ。関係を絶つ訳にいかない患者たちは、いつしかストレスとの折り合いのつけ方を習得しちゃうのです。
『ヴェラ・ドレイク』
 1950年のロンドンが舞台です。貧乏でも幸せそうに暮らしている可愛いお婆ちゃんがヴェラ・ドレイクだ◆ヴェラは家族に秘密の行いをしている。映画のちらしにはそれがなんであるのかは明記されてない、本編を観て知るのがよかろう、だからここでも伏せておこう。ともかく、法に触れると解っていつつも、自分にはそのスキルがある、困っている娘を助けてやろうとの思いで続けていた◆それが家族に知られる時、生活は一変する。家族の見る目も変わる。もちよん救いは用意されている。完全にヴェラ・ドレイクが否定される訳ではない◆これが現代のフランスならば、と想像する。10月15日から名演小劇場で公開される『クレールの刺繍』に出てくる、フランスには「困っている娘」が葬ろうと考える命を救うシステムがあるそうだ◆要因となった行為がキリスト教的に罰せられるさまは2003年公開の映画『マグダレンの祈り』で語られていた。この問題に対する考えや対処はよく映画のモチーフとして採りわげられるのだ。『ヴェラ・ドレイク』は、そこにまた新たな角度からの切り口を投げかける。

『運命を分けたザイル』
 映画がはぢまるや、いきなし氷と雪に覆われた山にアイススクリューを打ち込んでリワルに登っている。え。本当に、登って撮ってるやん。やがてこの2人は遭難する。なんだなんだ、マジで遭難しているんぢゃないのか?◆なんだろう、ドキュメンタリィなんだろうか。実際に遭難現場にカメラが居合わせて一挙手一投足を撮っていたのか? にしてはアングルが良すぎる(笑)。予め何が起こるか判っている、その先にカメラがいるもの◆しかもこれって、1985年に実際に起こった遭難を映画化したものだ。85年の映像にしては画面が綺麗すぎる。いったいどうやって撮ったんだろう。映画を観ている間、ずっとそんなことばっかり氣になっていました◆答えは「実際に撮りに、冬のアンデス山脈に行った」のだ。このクレバスが、この雪庇が、この吹雪が、20年前に2人の登山家を悩ませた自然の猛威が、冬に行けば今でも出現する、カメラに収めることができゆっつーことか。うわあ◆これは世にも上質な「再現フィルム」だったのです。映画だ、作り物だって判っているのに、こんなにどきどきするったら!
『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』
 今年は「宇宙人が来襲する映画」の当たり年だ。『フレディvsジェイソン』、『エイリアンvs.プレデター』のタイトルの流れを汲む本作(ってゆうか実はこれは邦題でだけの話で、原題は“アトミック・サーカス”という)『エイリアンVSヴァネッサ・パラディ』では、かのジョニー・デップの奥さんである歌姫ヴァネッサ・パラディがエイリアンと闘うぞ!◆実はそんなには闘わない(笑)。ヴァネッサの売りは歌だ。映画の中でも歌をいっぱい披露するよ。鼻歌あり。ライヴスティヂあり◆だからってエイリアンは手を抜かない。触手を垂らして宙を飛び交い、人を襲って首を刎ねる。顔もあるのか、前はどっちか、判らない造型で、まさに大量殺戮マッシーンに相応しい無慈悲さです◆観客は襲われた田舎町の住民と同じ立場に立たされる。すなーち「ルールが判らない」まま巻き込まれるのだ! 「エイリアンが来襲する映画だ、何が起ころうとおかしくない」をこれほど思い知らされるラストはなかろう。このエンディングはだれにも読めまい! 映画史に残る、と言っても過言ではない、かもだよ(笑)。

『エターナル・サンシャイン』
 かつてこの「招福!きねま猫」で『ブルース・オールマイティ』を採りわげた時にも言及したが、主演にジム・キャリーを据えるからにはジム・キャリーならではの演技を見せて欲しい、させて欲しい◆『エターナル・サンシャイン』は“人の記憶が消えていく”様子を映像化してくれる。ジム・キャリーは世界がどんどん消えてゆく中で慌てふためくのだ。そう、この「慌てふためき」具合こそジム・キャリーならではであった。あり得ない状況に翻弄される男をやらせたらジム・キャリーは第一人者です◆この映画の楽しみ方はそれだけぢゃあない。脇を固める俳優陣に、映画好きが驚愕するキャスティングが施されている◆ヒロイン役が『タイタニック』のケイト・ウィンスレットだし、彼女に横恋慕する男が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドことイライジャ・ウッド、も一人出てくる若い女性役は『スパイダーマン』のヒロインであるキルスティン・ダンストが演じている。主役級ばっかしぢゃん!◆あっちの作品では善良だったのに、こっちでは!なぁんて落差が幾つも幾つも楽しめる。なんてお得な♪
『大いなる休暇』
 カナダのケベック州の無医の島が、医者を呼びたい。医者に、この島に住んでもらいたい。たとえ騙してでも連れてきて、居心地がよいと思い込ませ、住み着く氣にさせたいのだ◆そのためには「とても善い島」である振りをしなきゃ。一人の医者を騙すために125人の全島民が一丸となったミッションがはぢまるぞ◆カナダ映画で、さらに劇中で遣われているのはケベック州の公用語、フランス語です。そんなレワな例である映画に字幕が付けられ日本の劇場で上映されるのだ、これは面白いのだと、お金を払って観る価値があると思うお客が沢山いると、配給会社さんが考えなかったらあり得まい。そいなけの自信を持って公開される訳ね◆滅多に聞かない国の映画ってのはそれなりのハードルを既に越えてきている、選別が施されていると考えて宜しい。この映画はその期待に十分に応えてくれます◆「毎日嬉しいことが起こればこの島が好きになるだろう。お前は何が起こったら嬉しい?」と問われて、銀行員が出すアイデワが秀逸にしてベイシック、まさに盲点である。是非、映画館で確認して舌を巻いてね♪
『輝ける青春』
 上映時間が「招福!きねま猫」史上最長の366分あります。わあ。一日たっぷり楽しめるって寸法だ(笑)◆最初にふわんを取り除いておこう。長くて退屈することもなければ、情報量が多すぎて判りづらいなんてこともない。そもそもこの尺がよいと判断され創られた映画です、366分にベストフィットした物語が展開する◆最初の1時間で「大学生の兄弟が、精神病院に入れられていた綺麗な女の子を誘拐して親元へ届ける話」が語られる。その事件を機に兄弟の性格や考え方の差違がアカラサマとなり、2人はまったく違う道を選択し歩み始める。残りの5時間はこの2人の人生を30年以上に亘って追ったものだ◆よし、この映画を観ようと、劇場に入り席に着くと、周りのお客さんとはなんだか同じ船に乗り合わせてこれから長い航海に出るような、頑張ろうね!って心で声を掛けたくなるような(笑)、仲間意識に似た感情を抱くかもしれません。一足先にその航海から戻った者のアドヴァイスとして、頑張らなくっても面白いからだいぢょうぶ、との言葉を贈りましょう♪ 贅沢な6時間超を楽しまれたい。

『亀は意外と速く泳ぐ』
 伊丹十三監督の『タンポポ』を観た者は無性にラーメンが食べたくなるであろう。『いぬのえいが』の劇場の売店で仔犬を売ってたら買っちゃうかもしれない。そしてこの『亀は意外と速く泳ぐ』を観たら、風来坊か世界の山ちゃんに行きたくなること必至だ◆この映画は90分間、全編、小ネタで覆い尽くされている。ちいちゃいコントとちいちゃいコントを続けているうちに一本の筋の通った話に仕わがったとゆう作りになっておるのだ。すごい、これは、お得だよ!!◆物語が破綻してないとゆー点が本当につごい。例えて言うと一本一本が完成された4こま漫画を続けて読んでいたら大きなひとつのストーリィになっていた、って感じだった。ただ長いお話を4こまで区切っただけ、別に毎話に綺麗な落ちがついている訳でもないってゆー形式のストーリィテリングも最近は多く見るけども、そーではないッ◆ギャグってセンスに左右されるから、趣味に合わぬという人もいるやもしれません。が、逆に言えばこの映画の小ネタがひとつヒットしてきたらば、もう全編に亘ってすべてを好きになれる。断言できます♪

『がんばれ!ベアーズ 〈ニュー・シーズン〉』
 弱小でリーグ最下位の少年野球チーム“ベアーズ”に、呑んだくれでろくでなしのコーチが赴任してくる、おなぢみの物語です♪ コーチ役は『バッドサンタ』でも最悪の酔っぱらいキャラを演じていたビリー・ボブ・ソーントン。はまり役ってこと?(笑)◆なによりこの野球映画、チームのメンバが12人出てくるんだけど、後で集合写真を見ながら全員どの子がどんなエピソードを持ったどんなキャラクタであるか、思い出せるほどに描き分けがされてました。設定がしっかりしている証左だ◆選手の子たちは下手くそであっても本当に野球が好きで、例えばそれは「プールではしゃいでいようとビリー・ボブ・ソーントンが大リーグに在籍していた頃の話を語りはぢめるとみんな遊ぶのをやめて集まってくる」なぁんて、なんでもないシーンにも張り巡らされている。こりゃあどんな呑んだくれと言えども親身になってコーチしてやろうと思っちゃうこと間違いなしって訳だ◆創作と解っていてもやっぱき「車椅子の子がキャッチする」なんて感動もんだし♪ 観終わった時、いい氣分になるために観ましょうぞ。

『カンフーハッスル』
 公開前、TOHOシネマズ名古屋ベイシティのロビィのモニタで上映されていた予告編には「1月15日公開」とゆー字幕が出ていた。しかし、当初のその予定を元旦に前倒ししてきたのだ。まさにこの映画のキャッチコピィである「ありえねー。」をテッテーしたのです!(笑)◆タイトルから想像がつくとおり、カンフー技の達人が次々と登場してはバトルを繰り広げてくお話だ。今観ているバトルより、次に出てくるバトルの方が確実にものすんげぇとゆう作りになっている。どんどんヒートワップしてゆくのだ、このインフレぐわいは凄いよ!◆当然この映画を観に来る人はチャウ・シンチーを知っているだろうと判断されているみたいで、主役であるはずのチャウ・シンチーは、なかなか映画の中で頭角を現さない。もちよん最後の一番美味しいところを持っていくのだが、そこに到る展開がちょっといかにも唐突だったりはします◆だから実は、一番のミドコロだったのは、この物語中で最も強いであろう大家の奥さんでしたね?。特にメガフォンのくだりなんか度肝を抜かれる「ありえねー。」さであったぞ♪
『きみに読む物語』
 「2005年最初の純愛映画」と宣伝されている。略称『きみ読む』だそうだ。なるほど、“純愛”の定義ってよく解らないけど、その括りは正しいと思います。ラヴストーリィ好きの人にはヒットしてこようお話です◆冒頭の映像がとてつもなく美しい。大きな川をやってくる手漕ぎボートと、その上を飛来する鳥たち。鳥はきっと絶対に合成だ、もしかしたらCGかもしんない。でもちーとも構わない。こんなに綺麗な画を見せてくれるなんて! 合成技術、CG技術が正しく活用されている好例と言えましょう。このオープニングを観ただけで幸せになれる◆この映画はそんなふーに、いろんな角度からの評価が可能だ。が。忘れてはならないのが「お婆ちゃん映画」としての側面ですね◆「療養施設に暮らすお婆ちゃんのところへお爺ちゃんが訪問してきて物語を読み聞かせてあげる」という構成になっています。その物語が“一昔前の恋愛もの”なのだ◆原題が“THE NOTEBOOK”である理由はラストで明かされる。お婆ちゃん映画が大好きな者にとっては、涙なくして観られないエンディングを迎えるのだ!
『クライシス・オブ・アメリカ』
 冒頭の舞台は1991年のクウェート、戦争の真っ直中だ。やがてじきに現代の話に移り、アメリカ大統領選挙が描かれはぢめる。え。これは、戦争映画なの?選挙映画なの?と思って観ていると、なんと、みるみるSF映画に移行していくのであった! わー。すごく、ふんだんじゃん♪◆『タイムリミット』の回で言及したとおり、デンゼル・ワシントンは今回もお得意の困惑し続ける役回りだった。“戦争の英雄=副大統領候補として出馬した男”の経歴に疑問を抱いてしまうのだ。自分の記憶とは違う“真実”が、もしかしたらあるのかも。“デンゼル・ワシントンの困惑”は“ジム・キャリーの翻弄”同様、それだけで一流の芸の域に達していますね(にこにこ)◆もう一人、出色だったキャストは、息子を副大統領に当選させたくて仕方がない下院議員役のメリル・ストリープでした。ただでさえ貫禄のあるあの風体で、議員という立場をフルに利用して自分の希望をぐいぐいと押しつけてくる! すごいパワフルだ。アメリカのタカ派の議員ってこーなのだ、ハト派が言い負かされるはずだと思い知ったよ。

『クレールの刺繍』
 88分の、この可愛い美しいフランス映画のバックグラウンドには、しかし重く(ちょっとね)深刻な問題が流れている。お勉強のために映画を観る必要はない。映画を楽しんで、それで価値ある知識がひとつプラスされたら、得をしたなあ、いい時間を過ごしたなあと捉えるのがよい◆フランスには「マドモワゼルXの出産」というシステムがあるのだと、この映画で知った。プレス資料で補っておくと1993年に改正されたフランス民法典341-1条で「出産に際し、母はその身元を秘すべきことを求めることができる」と明文化されている「代理出産」の制度です。母親が産院への入院の事実と身元を隠して出産し、出産直後に里子に出すというこの「匿名出産」はフランスでは伝統的に行われてきたもので、1789年のフランス革命以前から、捨て子や子殺しの予防手段として定着していたそうなのだ◆この映画を観て、思いを馳せ、考えよう。9月に公開された『ヴェラ・ドレイク』や11月26日から公開される『そして、ひと粒のひかり』などと合わせてこの問題に対する最善の対応を、自らの中に確立させたい。

『クローサー』
 貴女が男だったと仮定しよう、つき合ってるカノジョはナタリー・ポートマンだ。うわあ♪ つごい嬉しいでしょうっ? その状況で、手の届くところにジュリア・ロバーツが出現した時、貴女は手を出すか!?◆この映画の主役のジュード・ロウは手を出しちゃうんだよね?。なななんちゅうことを! ナタリー・ポートマンでどうして満足できないかなあ。本命も浮気相手もレヴェル高すぎ。グルメすぎるぞ!>ジュード・ロウ◆ナタリー・ポートマンの心中いかばかりかと思っていると、豈図らんや!大丈夫。この映画は4人の登場人物だけをクローズワップした作りになってるんだけど、この4人が4人とも、みぃんなお互い様(笑)だから◆その人間関係を描く際、場面が換わると、ぽんと時間が跳んでいたりする。新しく出逢った2人が親密な仲に到るのに何カ月かを要するのは当然。だから物語内で経過する時間は結構な長さになってる訳です◆そっか、ラヴを育むのにちゃんと時間を費やしてるんだ。ならその期間は浮気ぢゃなく本気だと看做してもよいのかも、なんて騙されちゃいそうになるよ(笑)。
『コープス・ブライト』
 10月31日はハロウィン! でも日本で生まれ育つとハロウィンっていまいち何だか解らない。お化けの扮装をして家をまありお菓子をせがむイヴェント?ってくないの認識でしかなかったところへ『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』が公開され、ああ、そんな精神が流れておったのねと知らしめてくれたのはもう12年も前である◆その、“ティム・バートンがパペットアニメィションで描く、「骸骨」たちが登場するお話”の新作だ。待ってました! タイトルを邦訳すると「死体の花嫁」。単色を基調にした人間界と、目にも鮮やかでカラフルな死後の世界とが対比され描かれる◆パペットの造型も一層洗練されて動きも見事、なによりキャラクタのデフォルメが心地よい。ふざけて二次元で異形の人物を落書きして楽しむってことがあろう、そんなのを立体に起こし、厚みと奥行きを与えて動かしてるのだ。これが観たかった◆設定を聞いた時にはもしかしたら“不誠実”の話?とちょっとふわんに思ったのだけど、ちいとも! 誓って氣分の悪くなる展開ではない。期待フルスロットルで臨まれるがよいよ!!

『コニー&カーラ』
 マンバメイクってのはそれを支持するコミュニティ内で説得力を持つ化粧法である。外部の人間がどのこの言う対象ではない、「素顔の方が可愛いのに」なぞ余計なお世話以上にそもそも価値基準が違うのだ。無関係な人間に口を出される謂われはなかろう◆およそあらゆるファッションってゆーのはそーだ。理解できゆ者、それをおしゃれだと捉えられる者間にて共有される。逆に言えば、表面上だけで真似ればそっち方面の人だと偽ることができたりすることもある◆この映画はマフィヤに命を狙われることになった2人の女性が故郷を逃げ出しロサンゼルスに流れ着き、ゲイ専門のクラブでドラァグクイーンになりすましてショウの舞台に立つ、というコメディです。そおか、ドラァグクイーンって「必要以上にケバく化粧を施し女装した男性」だとしか思ってなかったけど、この映画を観て悟った。あのメイクは文化だったのだ◆いっそ、化粧が濃すぎる故に、女性でもおかまに見える。化粧を落としたら男顔なんだろうとか思わせてしまうほど素顔が判らなくなるのだ、これは巧い設定を思いついたものです♪
『サハラ ―死の砂漠を脱出せよ―』
 つごく楽しい冒険活劇です♪ サーヴィス満点とはこおゆう映画のことを言うのだ。観終わった時に、いかにタイトルが一部しか語っていないかが判るだろう◆たしかに主人公たちは砂漠のど真ん中に置き去りになり、どうにかして移動せねば死んでしまう、そう余儀なくされるシーンはある。でもそんなの映画の中のほんのワンシーンに過ぎない◆そこでの脱出方法たるや、とても素敵だ。リアルよりもエンタテインメントを重視したフィクションが展開する。映像に撮って楽しく、観て痛快です。なるほど、サブタイトルとして掲げたくなる気持ちは解らぬでもない◆でもでも。この映画って、そんなの全編に亘ってありますから! 砂漠のシーンの前段階としてニジェール川を遡る。そこでのボートのチェイスと銃撃戦だってとってもミドコロだ。スティーヴ・ザーンがいい味を出している◆脱出どころか砂漠の中に建てられた施設に潜入もしないとならない、その後離脱しないとならない、それらすべてが全部わくわくする冒険に充ち満ちている♪ 現代を舞台にここまでの冒険活劇を創れるなんて見事だなあ!
『七人の弔』
 たけし軍団のダンカンの初監督作品です。つーことできっと誰もが「北野武門下の」という期待をするだろう◆そーゆー目で見ると、張り巡らされた「シニカルな笑い」も「衝撃のラスト」も、いっそ手堅いものに感じられる。異常の側にずれていて当然、だってあの北野武の一派だもん◆温水洋一や有薗芳記が登場するや、そんな濃い個性を持った俳優を活かしたお話が展開するのだと一層お客は身構えよう(笑)。第一作にして期待と予断をこれほどまでに抱かれる監督はそういまい◆期待され、それに応えるのは、プロが担う宿命だからね(笑)。楽しみにされ話題になる時点で、だからダンカンは有利な位置につけているのだ◆もともとはこの映画、「七人の侍」の駄洒落からスタートしている。そのノリを出発点に、さて、どちら側の「異状」に振るか。方向選択のセンスとジャンプ力こそが腕のミセドコロです◆逆に考えてみれば解る。先にこの物語があったとして、誰が『七人の弔』なんてタイトルがつけられようか。つまり一筋縄ではいかない力量を、きっちりと見せつけた作品に仕上がっているのよ♪

『ジャッカス・ザ・ムービー 日本特別版』
 この「招福!きねま猫」では『デッド・コースター』を「人の死に様カタログ」と評した。アイデワの限りいろんな死に方のパタンを見せてくれるからだ◆驚かせ愉しませようという工夫と発想が実に多様だった。ただ、こと“死”に関するネタだから嫌忌する人もいよう、趣味のシンクロする者が観てレヴェルの高さを満喫するタイプの映画でした◆これはもっとすごい。不快に思う者、激怒する者、吐き気を催す者が必ず出る。但し受け入れられる人には、素敵に痛快だ◆自分の体を傷つけ、仲間を痛めつけ、親や関係のない一般人に多大な迷惑をかける。こんなくだらなく下品でサイテーなことをよくも思いつき、実行に移し、周囲の人々の反応まで含めて撮影して映画に仕立て上げたものだ。普通の人なら顰蹙を買うからと考えもしないことを片っ端にして見せてくれる。“なにをやるか”それ自体が発想でありネタだから具体例は挙げる訳にいかないが◆創作としてのレヴェルは高くはないけど、これは「イタいことカタログ」として十分の価値を持っている(爆笑)。観に行く人は覚悟だけはして行ってね。

『少林キョンシー』
 今、劇場で若かりしカトリーヌ・ドヌーヴの姿が観られます。1970年のフランス映画『ロバと王女』がデジタルでニューマスタされたのです。1933年作品のリメイクである『キング・コング』は3時間超にも及ぶ尺で暴れ回るし『ロッテ・ライニガーの世界』は1926年制作の影絵アニメだ。復活ばやりの年末映画事情です◆しかしあなた。蘇るつったらやっぱこいつらが本家本元でしょう、キョンシーがスクリィンに戻ってきたよ♪◆もちよん、現在キョンシー映画を新たに撮るのだとゆーことは考慮されていて、いろんな今ふうの効果も導入されている。うちのいっこが、ジェイソンがフレディと闘ったように。エイリアンがプレデターと殺し合ったように。ヴァネッサ・パラディがエイリアンとバトルしたように。キョンシーは少林寺の小坊主たちと一戦交えます◆タイトルに冠されてはいるけど原則キョンシーは退治すべき対象だからね。いかに封じるかがミセドコロだ、少林拳が起用された所以です◆それに留まらない。娯楽作に徹していて、楽しませる工夫は方々に凝らされている。楽しく、楽しもう♪

『シルバーホーク』
 荒唐無稽こそが映画の魅力であると知れ。シルバーメタリックのマスクと衣裳でバイクを駆って、独り、悪と戦う正義の味方「シルバーホーク」の正体は大金持ちのお嬢さま、ミシェル・ヨーその人だ(爆笑)◆こんなかっ飛んだ設定の映画をちまちまみみっちく作るほどビンボくさいことはない。どかんと行こう、金はこーゆー時に遣うためにある!と正しく解っているスタッフの手による映画でしょう、冒頭から度肝を抜かれるシーンが目白押してくるよ!◆2つだけ明かしちゃおう。悪者の運転する大型トレーラを追うシルバーホークは、まず万里の長城をバイクで跳び越す。って、せせ。世界遺産ではないか>万里の長城◆爆走するトレーラの上で肉弾戦を展開したのちに救い出した、貨物として積まれていた密輸品とは、パンダちゃん(!)であった。ジャイアントの方の! 生きてる! 本物の! ぎゃっ。ぜぜ。絶滅危惧種だぞッ?>パンダ>それが救出を喜び、ミシェル・ヨーと戯れるよ(笑)◆そーゆーことに力を入れている映画なのね。遊んで楽しんで惜しげなく金を費やす、これぞ大人の本気だ!
『ステルス』
 今夏公開のアニメィション映画『ロボッツ』に出てきた「急行」と呼ばれる交通システムには度肝を抜かれた人も多かろう。主人公のロボットらが乗り込んだ球体が猛スピィドで転がり飛ばされ、挙げ句の果てにはハンマで打ち出される。乗ってるのがロボットだと思ってやり放題だ◆しかし、それは確かにそー。生身の動物ではない、多少の衝撃には耐えられよう、もしパーツが外れたりしても嵌めれば直る、だったら。急行を標榜するからにはスピィドをこそ最優先しよう。そうゆうコンセプトのもとに開発された交通手段なのだと想像できる◆さて、本作『ステルス』には、搭載された人工頭脳が自ら意志を持ち考えて飛ぶ無人の超高速戦闘機が登場する。もちよんエンタテインメント映画だから、こいつが暴走するって展開になるのだけど、必見なのはその動きでした。出鱈目な飛びを披露してくれるのよ。そう、「人が搭乗してないと思って無茶をする」のだ。物語内のルールを最大限に活用している訳です♪◆編隊を組んで飛んでる際、「無人機は右翼側を飛べ」って指示された時の動きを見逃すな!(笑)
『タナカヒロシのすべて』
 鳥肌実は旧日本軍をモチーフにしたパフォーマンスを得意とする怪優である。『けものがれ、俺らの猿と』では、そのエキセントリックなキャラクタを活かした、一触即発、切れて大暴れする役を演じていた◆当然この映画でもと期待させておいて、実は裏切っている。狂気はすべて隠されているのだ。主人公のタナカヒロシはちっともアクティヴには動かない◆共演の女優陣のラインナップが凄い。ユンソナに市川実和子に小島聖に矢沢心、彼女たちがすべて、タナカヒロシの手の届く範囲に登場する。それも触れなば落ちん、タナカヒロシに恋心を抱いているのではと仄めかされる、そんな位置に現れる◆しかしタナカヒロシは動かないんだなー。自らは女性の方に歩み出したりはしないのだ。もう、人生のすべての選択がそう。人付き合いが下手で苦手で、自分の世界だけを守って生きている◆言葉を選んで言えば「低体温」って奴だ。つまり、もし主人公が女性だった場合、これを演じるのは麻生久美子がウッテツケであろう。そこに鳥肌実をキャスティングしているのだ、どきどきの出来に仕わがっているよ♪
『チーム★アメリカ/ワールドポリス』
 この映画の製作者、トレイ・パーカーとマット・ストーンの2人は、前作『サウスパーク 無修正映画版』にはフセインを登場させ、酷い目に遭わせていた。本作では金正日だ。世界滅亡を企む悪玉として描かれてるぞ(笑)。金正日は、この映画を観たら怒る権利があると思います◆義憤に駆られてやっている訳ぢゃない。有名人を出すと面白いって理由からだ。志は低いのね(笑)◆その他にも、下ネタはやり放題だし、不謹慎な歌は披露するし。つまり「面白いのに誰もしない」ことに徹した結果、悪趣味なギャグ満載になったのです◆実在のハリウッドスターのそっくりさん人形が次々とチーム・アメリカと闘い、残虐な殺され方をする(笑)。眉を顰める人は観ぬ方がよい。でも善良に生きている者が避けて通っていた「他人が不幸な目にあって面白い」という笑いが存在するのだと、この映画は啓蒙してくれるのです◆怒るのはモデルにされた本人に任せておけばいい。我々には他人事だ、せいぜい笑おう。そしてこーゆーギャグ映画を作る人の方が少数派である、良心的なこの世界を喜べば宜しい(笑)。

『チャーリーとチョコレート工場』
 東京などの一部の劇場では上映中30分間に亘り、劇場内にチョコレィトの香りが放たれるという。おおお。鬼か◆板チョコに封入されたゴールドチケットを手に入れた5人の子供らが巨大にしてカラフルなチョコレィト工場に招待されるとゆー物語です。主人公のチャーリーは家族思いのとても良い子だ。対比として他の4人にはくせのある個性の強い子供たちが配されている。欲深かったり生意気だったり◆その中の喰いしん坊キャラが見逃せない! ろくでもない子供のうちの一人であるこいつが、実に旨そうに板チョコを喰うのだ。うわ。映画を観ていてこれほどチョコレィトが食べたくなったことは史上空前であるっ◆どうして今、手元に板チョコを持ってないのか、自分の先見性のなさが不甲斐なかったよ。名古屋の劇場では匂いまでは漂わせないみたい。にしても画面からの情報だけで我々チョコ好きの心を掻き乱すには十分だ。悪いことは言わない、この映画を観る際には板チョコの携帯をお勧めします。オーガスタスがばりばりとチョコを喰うシーンで、共にチョコが味わえるは至上の幸福となろう♪

『チャレンジ・キッズ-未来に架ける子どもたち』
 東京ディズニィランドのアトラクション「プーさんのハニーハント」のアルファベット表記は“Pooh's Hunny Hunt”である。「ハニー」って当然「蜂蜜」のことなんだけど、綴りは“HONEY”ではなく“HUNNY”だ。これはぬいぐるみのプーさんの所有者である少年、クリストファー・ロビンが子供で、「ハニー」を聞いたまま書いちゃったとゆう設定に基づいているそうです◆片仮名で3文字にしかならない英単語ですらこんなふう。スペルって一筋縄ではいかないのだ。だから、漢字検定みたいなもんで、スペリングを問うのは充分に試験として成立し得る◆子供たちが対象の「全米スペル暗記大会」は1925年にはぢまった。この映画はその1999年の第72回大会の様子を描いたドキュメンタリィです。決勝に駒を進めた249名のうち、8人の子供たちにスポットを当てている。本気で取り組んでいる子がいたり、軽い氣持ちの子がいたり、八差八別だ◆出題された単語を聴き、口頭でスペルを暗唱する。たったそれだけのことに、こんな緊張と期待を抱くなんて! 感動はスポーツだけにあるのではないのだ♪
『ディア・ウェンディ』
 おもちゃが手に入る。これが発端だ。それはグッズでもいいしゲームでもいい◆仲のよい友人が興味を示し同好の士が集まってくる。少人数でこっそり、目的を同じうした者が集い、会を形成する。たいがいの場合排他的で、それ故に独特のルール、内輪だけで通じる符丁、秘密の取り決めなどを共有することになる◆やがて来る安定は倦怠と表裏一体だ。ここに到って外的刺激を受けると、崩壊の危険もあるが進歩が促される可能性もある。例えば「新しい血が入る」みたいなこと。新会員は、停滞していた澱みに流れを生むことになるだろう◆こぉんな骨組みを持った物語です。ほら、身に覚えがない? この映画は「銃を手に入れた子供ら」のお話だけど、こうして抽象すると、同じ顛末を経験したことはない?◆すごく一般的な問題を採りわげているのだ。だから、この映画に時代は関係ない。ぱっと観ただけではいつの話なのか解らない。デンマーク映画なのに舞台はアメリカの西部だし。そんな無時代性と無国籍性までもが施されている◆所有する銃に女性名を付けて愛でる彼らに見るのは自分の姿なのだ。
『ドッジボール』
 なんだよ、ドッジボールの映画かよと直球で思った貴女! 貴女は正しく、そしてしかしきっと間違って認識しておるぞ。アメリカのドッジボールは6人制で、ボールを6個使うのだ。ほら。意外でしょ◆コートの真ん中に置かれたボールを取り合って、それをぶっつけ合う、なぁんてゆう各種ルールは、でも知らないで観て全然オッケィ。例えばアメフトの映画でも、ルールを知らないで観てもだいぢょぶなわくわくするものもあれば、判らないとちっとも楽しくない、何を盛り上がっているのかちんぷんかんぷんのものもあるでしょう? この『ドッジボールは』堂々たる前者です◆所謂『少林サッカー』に代表される、馬鹿スポーツコメディの王道を行っているのね。次々現れる敵チームが主人公たちに劣らずユニークだし。どう見ても弱そうな主人公たちのチームはばりばり勝ち上がってゆくし。下品なギャグもやり放題で満載だし。遠慮なく笑える映画とはこーゆーのを言うのだ◆目新しく、微妙に出鱈目をやっても許されちゃうドッジボールという競技を選んだことがこの映画の一番の手柄だと言えようよ♪
『ノロイ』
 本当にこあいホラーって今や稀有だ。観客がみんな、遣り口に慣れちゃったものね。そこで『ノロイ』が採ったのは空前の語り口だ。描かれる怪奇現象が同じでも、表現の仕方でこれほど怖くできるとゆう好例を観ることができる◆多くのホラー映画は「怖がらせようとしている作り」が見えてしまう。ほんの一握りの作品がそれに成功し、しかしその評価は「巧いなあ」というものに落ち着く。作り物としてのホラーを愉しもうと達観して観に来る観客を本気で怖がらせるには、もう一ひねり、まだ何かが要るのだ◆『ノロイ』はその、ひとつの答えを提示している。それは「徹底する」こと。マスコミ向けの試写会では、入場時に配られたプレス資料から、雰囲気作りは始まっていた。映画本編で凝らされているのは構成の妙だ。エンディングのスタッフロールにも驚いた。こんなのはぢめて観た◆いったいこの映画に何が起こっているのか、インターネットで公式HPにアクセスすると、そこでも我々は怖い目に遭遇できる(笑)。そこまできっちりと作り込んであるのだ。是非、鑑賞後には見てみてくざさいな♪
『バットマン ビギンズ』
 バットマンはダークヒーローだ。ってことがびしびしと伝わってくるよ。映画のトーンがそもそも暗い、っていうか黒っぽく統一されているのです◆だから、ややもすると重い映画かと思われかねないけど、違うんだな?。特に執事の応答なんて爆笑ものだ。ちゃぁんとエイタテインメントの粋を尽くした、サーヴィス満点の娯楽映画に仕わがっております♪◆元々の設定からして、バットマンってのは金持ちの道楽なの。蜘蛛に刺されてスーパパワーを身につけた訳でも、他の星で生まれたために地球に来たら異常に強い力が発揮できた訳でも、ないの。街にはびこる悪を懲らしめるために、金にものを言わせ装備を整え、体を鍛えまくってマッチョなボディを作り、好きで戦っているの◆トーンが暗いのも、バットマン本人の選択に依るものだ。即ちすべては自分で決めたコンセプトに基づいているのです。そこいら辺りがこの映画で全部明かされる◆タイトルで判る通り、これはエピソード1、誕生編ですから、敵キャラクタはそうメヂャではない。馴染みのある悪役はラストで仄めかされるから、お楽しみに〜♪
『フライト・オブ・フェニックス』
 『デイ・アフター・トゥモロー』で氷河期に翻弄され、自然の脅威を誰よりも身をもって体験したデニス・クエイドが、今回はゴビ砂漠で巨大砂嵐に遭遇する。その規模たるや飛行機が300kmの迂回を試みるほどだ◆でも間にあわなかった。デニス・クエイドが操縦する飛行機、石油採掘業務に当たっていたスタッフを乗せた軍用貨物機C-119は、凄まじい雷雲の中に突っ込んでゆくよ。そしてモヨリの町まで400kmとゆー砂漠のど真ん中に墜落する◆そっからは生き残った乗員のサヴァイヴァルが描かれるのだ、と思うでしょう? しかしそれだけには留まらないぞ。ヒントを出しておこう、墜ちたC-119のボディには“HO180-H”って文字が書かれていた。つまりこの飛行機は“フェニックス號”では、ない(ずばり!)。ぢゃあ、タイトルの「フライト・オブ・フェニックス=フェニックス號の飛行」の意味は?◆実はこれ、65年の映画『飛べ!フェニックス』のリメイクです。リメイクされるだけの価値のあるシナリヨに最新の映像技術と監督の演出センスが加味されて、つごいミゴタエだったぞよ!!

『ブレイド3』
 98年の『ブレイド』はスタイリッシュなアクション映画だった。こんなのはぢめて観た。うろこもんにかっちょうよかったぞ◆正直に書く。02年の『ブレイド2』は、実は、せっかくのスタイリッシュさがCGやワイヤアクションに掻き消されてしまっていて、どっかで観たことがある並のアクション映画のレヴェルに留まっちゃってて惜しかった。ウェズリー・スナイプス演じるブレイドが、あんなにひょいひょい軽々しく飛び回ってはいけません◆本作ではその点が改善されていた。ブレイドはどっしり構えている。吹っ飛ぶのは敵の方だ。こーでなくっちゃ! つごいかっちょうよい(ひゅー!ひゅー!)◆人間に紛れてヴァンパイアたちが暮らしている。そいつらを退治するのがブレイドだ。今回の『3』では最強にして最後といわれる敵がついに姿を見せます◆そしてこのシリィズ最大にして最高の発明は「ヴァンパイアは倒すと灰になって消える」というシステム。死体が消えるから、通った後がきれいなのだ。日本の時代劇とかで斬られた侍が転がってフレームアウトしてますが、あれが不要なのね!

『フレンチなしあわせのみつけ方』
 夫婦喧嘩のシーンが強烈可愛い!! 右の写真がそれです。マスコミ向けに配られたプレス資料の表紙もその別ヴァーヂョンでした。プロモータさんも解っている、認めている、この映画の売りだ◆先週紹介した『クローサー』同様、浮気者の話です(笑)。浮気って、人の信頼を裏切る行為だから絶対に許されるべきぢゃない!って思うけど、でも『クローサー』やこれを観るとありかなって思えちゃうのが創作の不思議ですね?(噴飯)◆主役の夫婦を演じるシャルロット・ゲンズブールとイヴァン・アタルは、現実でも夫婦です。それがつごい可愛い夫婦喧嘩をする、なのにイヴァン・アタルは浮気をするんだよなー。なんで浮気をするんだろう(笑)とゆう疑問が、最後まで観るとちょっと解る氣がしました◆奥さんに対して愚痴があってもそれが不満で浮気をする訳ではないし、誰もが誉めてくれる申し分ない女性と結婚してても浮気って別物だ。そう知らしめてくれるよ。それでいてこの映画の原題(の英語の意訳)は“...And They Lived Happily Ever After”。みぃんなハッピリィなのだ、なあ(感慨)。
『ベルヴィル・ランデブー』
 マスコミ試写の前にプロモータさんが言いました、「音楽もいいですから、是非お楽しみに」。たしかにそーだ、とてもセンスのよい、上質の音楽が使われている。しかしッ! いや、たしかに正確ではある、音楽“も”いいのだ、だけど、この、フランス=カナダ=ベルギーの合作アニメでマッサキにヒットしてくるのは、音楽ちゃう!◆映像がものすんげぇではないか! なんだあの船のデザインは! ボスの両脇を固める用心棒は! 高架の線路が通っても立ち退かない家は!◆戯画化もものすんげぇ! 筋肉のクールダウンのデホルメを見よ! ちゅうちゅう鳴く下っ端の記念写真を! ベルヴィル湾に立つ女神像を、そして花火の上がるベルヴィルの夜景を!◆このアニメはセンスの宝庫だ。センスは揃っていてこそより輝く。方向も、高さも。そしてここで揃っている方向とは、大人が解る、大人向けの、というものだ。映像文化の成熟した社会で完成される域なのだ◆これが名古屋地区では2週間限定、しかもモーニングショウ公開とゆう。たった14回の上映チャンスをゆめゆめお観逃しなきようプリーズ!
『微笑みに出逢う街角』
 『ライフ・イズ・コメディ!〜ピーター・セラーズの愛し方〜』に“ソフィア・ローレン役”の女優さんが出ていた。それが、胸がものつんげぇグラマラスなのだ。うわあ、あれはデフォルメしてるでしょう、と若かりし頃のソフィア・ローレンを知らなかったもんで思ってましたが、いやいや◆本物のソフィア・ローレンの100作目に当たるこの映画で66歳の姿を見たらば、もちよん露出の少ない着衣の、しかしその上からでもはっきりと判るグラマーさ加減だった! つごいなあ◆ソフィア・ローレンの実の息子、エドアルド・ポンティの初監督作品でもあるこの映画で描かれるのは3人の女性の生活です。年齢も境遇も違う。共通しているのは身内の男性のせいで自分の人生が居心地の悪いものになっていることと、トロントに住んでいるということ。3人は、そこから各自、自分のありかたを模索することになる◆維持すること、言われたとおりに振る舞うことだけが唯一の正しい道ではないのだ。新しい選択は少しの痛みを伴うけど、ソフィア・ローレンの年齢でもそっちに踏み出すことができるんだしね。
『マスク2』
 ジム・キャリーファンの方には申し訳なしッ。今回の『マスク2』にはジム・キャリーは出演しないのよ。しかしッ。『マスク』ファンの方々の期待は決して裏切っていないからごわんしんくざさいッ! 楽しいよ、つんごく♪◆たしかに前作、『マスク』でのジム・キャリーはジム・キャリーらしさを全開に発揮しとっても適材適所だった。マスクのパワァでくるくると千変万化するあのノリに、豊かな表情と剽軽な動きが売りの俳優ジム・キャリーのキャラクタはぴったしとマッチしていた◆だが今回『マスク2』でマスクの能力を得るのは成人男性であるジェイミー・ケネディだけに留まらない。赤ん坊と、なんと犬までもが顔を緑色にして変化とはちゃめちゃの限りを尽くすよ◆すなーちマスクによって与えられる能力ってCGで一から描いちゃえる訳だ。前作から10年が経過し、現在のCGのレヴェルたるや実写の中に取り込んで違和感を感じさせない(不自然さはあるよ、そもそもそれを愉しむ物語なんだもの!)。まさにCG技術の発達が『マスク2』の、このストーリィの映画の製作を可能にしたのだ。

『マラソン』
 自閉症で、20歳にして精神年齢は5歳という男性がフルマラソンに挑戦し、3時間を割る記録で完走する物語です。韓国で実際にあった話を基にしています◆感動することは確実だ。ただ、この映画はそれだけではない。映画の冒頭で医者が言う、「自閉症は病気ではなく障碍です」。正しいこと言ってんぢゃん!◆5月20日の「金曜特集」でアスペルガー症候群を採りわげた時に触れたように、自閉症とは「先天的に脳に障碍があり、中枢神経の働きに何らかの異常が生じ、知覚が正しく機能しない」症状を持つ。そしてそのため「自分の周囲の出来事を巧く理解できず、混乱や不安を招く」のです◆この映画はそれをちゃんと解り、きちんと認識している人が創ったものだ。だから描かれるのは「治療」や「治癒」ではあり得ない。病気ぢゃない、すなーち治る類のもんぢゃないんだから◆自閉症と正しく対峙した結果、目指すべきゴールは「克服」だ。母親も、マラソンのコーチも、家族も、そして自閉症児本人も、皆が自ら折り合い克服する。嘘んこの美化なんかよりもよっぽど劇的な誠実がここにあるのだ。
『ミート・ザ・ペアレンツ2』
 「2」を創る心意気を解析してみたい◆当然「1」がヒットし、多くの人がこの作品を支持してくれるのだと判明した結果、企画されよう。この設定なら、まだアイデワはある。考えられる。出来ることがある等々◆具体的に本作では、「1」に於いては、恋人たちが結婚の承諾を得に、女の子側のご両親に会いにゆき発生するどたばたが描かれた。だったら、今度は男側の両親に顔合わせする話を考えてみたらどーだろー◆「1」ありきなのは「2」の大前提です。しかし創る側は、実は「1」を観てないと解らないような「2」を作ることはない。だって、それでは最初から、「2」に入るお客の数は「1」を観た人数を超えないことが決まってしまうではないか。そんな志の低い目標を掲げることはないって。「2」は必ず、いきなり「2」だけ観て面白いよう作られる◆僕も実は「1」を観ぬまま本作を観たくちだ。デ・ニーロとダスティン・ホフマンが本気でコメディをやってんだよ。それが劇場の大スクリィンで、今なら観られるんだよ。「1」をヴィデヨで観るのは「2」を観てからで全然構わないって!
『モンドヴィーノ』
 画一的なワインを大量生産する大企業と、昔ながらの味のを少しだけ作り続けるワイナリィとの対立を描いたこのドキュメンタリィを、ワイン嫌いの僕はどちらにも与することなく観た。イデオロギィ的な思い入れがないぶん、問題を抽象化して捉えられる。つまりほかの事例に応用の効く考察ができた。客観故に立てた視点だ◆その角度で評価すると、この映画はとても中立だ。大衆に支持されるものにはそれなりの理由がある。そこに目を瞑り、旧態依然な歴史だけを有り難がった映画(陥りがちでしょう?)ではなかったのだ。双方に言い分がある。映画はそのインタヴューのみで綴られてゆく◆ワインに興味がないのに観続けられたのには、理由がある。訪れたワイナリィに犬がいると、カメラは何を差し置いてもマッサキに、犬をアップで撮る。インタヴューに答えてる手前の人ぢゃなく、遠方で梯子を下りている老人にピントを合わせる。次の場面では何が映るのか予断を許さない(笑)◆136分を飽きさせぬ、映像上のこんな工夫は、ある意味この手のドキュメンタリィの盲点だったのではないか?(笑)
『ランド・オブ・ザ・デッド』
 本当にこあいホラーって今や稀有だ。観客がみんな、遣り口に慣れちゃったものね。もはや死体が動き出し徘徊を始め人間を襲っても“フツー”だろう。ぢゃあいったい、どーやって何を怖がらせればいい?◆ジョージ・A・ロメロは66年に『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』でゾンビというモンスタを創造した巨匠である。ゾンビ扱いに於いて右に出る者はいまい。そのロメロが選択したのは「はらはら&どきどき」を活かす道だった◆舞台は「ゾンビが普通に存在する世界」。もちよん人々はゾンビの襲撃を恐れつつ暮らしているが、実は最も畏るべきはゾンビではなく、柵で隔離した町を支配し君臨する独裁者の“心”だ。すなーちホラーを主眼にしてはいない。はっきりとこの映画はサスペンスアクションにカテゴライズされるものであった!◆人物造型がとても見事だ。どのキャラクタに感情移入しようと延々とずうっとはらはらし続けることウケアイ。敵も味方も、共通の対立者としてゾンビがいるし、ゾンビはゾンビで駆逐されかねない。さすが!よい構図を組んだものだ(感心)。
『隣人13号』
 はっきりと、これは人間の悪意を描いた映画です。悪意の成立過程と完成された悪意の発現が、これでもかと披露される。氣分の悪くなる人もいることだろう。その反応ももちろん正しい。それを目的に創られた映画なんだもん、解って観られるが宜しい◆映画、即ち創作としての救いは悪意を発動するキャラクタを別人格として設定した点にあります。『ハサミ男』でもそうだった。あの人があんなことをする訳がないっていう印象の人物が嬉々として人を傷つける時、なんとかそれを納得するために、そう、ルックス的にもっと“そういうことを起こしそう”な役柄を設定し別の俳優にそれを演じさせるのだ。悪意の可視化が施されているのですね◆現実世界でこんな事件を起こすのは、もちよんそんな見るからにそれと判る悪そうな奴とは限らない。だからこの演出は創作の良心なのだ。せめてパンピィにも理解が出来る人格であって欲しいという願いの表れなのである◆これを観た人は不快な氣持ちになろう。それこそがこの映画の意図するところだ。我々が創作から得るのは快ばかりであるとは限らないのだ。
『ローレライ』
 福井晴敏の原作が今年だけでも3作も映画化される。いずれも軍事もので、『ローレライ』がその第一弾です。小説は読んだことがないけど、そんなに人気があるってことはよっぽど面白いんかな。でも映像化したらどれも一緒になっちゃわないかしら。そんなふうに思いながら臨みましたところが!◆こここ。この映画はすごいぢゃん。なんだよ、この「ローレライ・システム」ってッ。いや、これを映像で見せてくれるってーんだったら、映画化の意味はすんげぇある。ってゆうか、こんなに“絵になる”アイデワを、今度は逆に思った、果たして小説で読んで、映画を観た時ほど衝撃を受けることができるんだろうか?◆調べてみたら判った。これは、そもそも小説作品が先にあった訳ではない。監督の樋口真嗣が福井晴敏に「映画用の物語を書き下ろしてくれ」と依頼したのだ。うわ。なるほど、そうでなきゃ!◆劇中に「これまでのソナーは耳だったが、ローレライ・システムは目だ」旨の台詞が出てくる。この意味を伝えるのにこの映像はまさに最高の説得力だ。潜水艦映画史上に残る大発明と言えるわよ!

『ロング・エンゲージメント』
 『アメリ』の監督、ジャン=ピエール・ジュネが、『アメリ』のアメリ役、オドレイ・トトゥ主演で撮った新作映画です。イヤガオーにも期待は高まろう♪◆ジャン=ピエール・ジュネって、もともと『デリカテッセン』とかで判るよーにグロテスク方面にちょっと悪趣味な映像を、しかしとてつもなく綺麗に見せる監督さんだ。それが今回は戦場を舞台にした。悦んで、映像美を展開しているよ! そのあまりにR15指定になったのは仕方があるまい◆物語は“戦場で行方不明になったカレシの消息を、戦後オドレイ・トトゥが探しまくる”というものです。このカレシが結構なヘタレで、戦争に行っても腰が引けている。片やオドレイ・トトゥはとっても気丈だ、ラヴの力で突っ走るよ◆{戦争,気弱な男,元気な女,ラヴ}とゆーこの構図って、そう、『ハウルの動く城』と一緒なのだ!! 東洋と西洋のふたりの巨匠が、時をほぼ同じうして同一のテーマの映画を撮った訳だ。すさまじい共時性というか、今何がウケるかをキャッチするアンテナが同じだったというか、一流には判るのね、大衆が支持するものが。
アルファベット
『femail[フィーメイル]』
 短編映画のコンピレーションであるJam Filmsシリィズの新作です。今回は括りがある。テーマが“女性とエロス”なのだ◆5人の女性作家が書き下ろした物語を5人の監督が映画にしました。しかし方向性が定められてもJam Filmsの精神は受け継がれてて、十分にヴァラエティに富んでいる◆篠原哲雄監督の「桃」の主演は長谷川京子だ。でも、所謂濡れ場を演じているのは中学時代のハセキョー役の女優、野村恵里だけで、肝心のハセキョー本人はちっともえっちな行いに及ばない。チューすら避けてる。ただ桃を食べるだけだ。だけどそれが。えもいわれずエロティックを醸し出すんだよね?(萌)◆片や、松尾スズキ監督はやり放題でした。「夜の舌先」の主演に高岡早紀を据え、映像的には露出をしまくりベッドシーンの限りを尽くす。でも全編に亘り訴えてくるのはテンポのよいコミカルさだ。エロスを入れたんだからあとは自分の好き勝手、氣に入った映画を撮るぞと主張している訳ですね◆他の3編も手を替え品を替え“女性とエロス”を表現してみせる。きっとこの中に好きになれる物語が必ずある。

『Jam Films S』
 ショートフィルムを幾本か集めた形式の、シリィズ第三弾です。一作目の『Jam Films』は7人の監督が皆、違った方向のベクトルを持っていて、とても巧くバランスのとれた名作でした。それを踏襲しようというのがこの『S』だ◆第一作の各監督が7監督を人選したのだ。人が変わっても、そおゆう選抜だから、属性は一緒とゆうか、どの監督が推したのがどの作品なのか、よっく判りますね〜◆マンションの室内を舞台に話が展開する「Tuesday」は「HIJIKI」の流れっぽい。乙葉が妖艶に可愛い「HEAVEN SENT」はもちよんガンファイトつながりで北村龍平のノリです◆第一作で足指フェチを描いた望月六郎が推薦した石川均は「ブラウス」フェチをモチーフにしている◆綾瀬はるかを起用している「NEW HORIZON」は行定勲の踏襲だし、山崎まさよしが出演する「すべり台」はまんま篠原哲雄色だろう◆「α」にだけは、あまり岩井俊二から引き継いだ感じはなかったけど、「スーツ ―suit―」の破天荒SFさ加減はまさしく飯田譲治の直系であった◆ヴァラエティに富んでいることこそが価値なのです♪

『MAKOTO』
 東山紀之演じる監察医は霊を見ることができゆ。検死解剖を施した、そのホトケさんの霊が隣で見ていたりするのだ◆化けて出ているからにはこの世に心残りがあるはず、それを解明してやろうというシステムなのは『シックス・センス』と一緒。しかし『MAKOTO』の霊はもっと深く、複雑な思いを抱いています◆死んだ奴らって決して聖人君子ばっかしぢゃありません。訴えたがっている、思い残していることが、残された人々にとって価値のある情報ばっかりではない。てゆーかいっそ聞きたくないことを伝えてきたりする◆そりゃそうだ、言わずに死んだくないの内容なんだから。本来なら知らずに済んでいたことをほぢくり返してしまうとゆうパタンもあろう。その意味ではとてもリワリティです◆東山紀之はそんな霊たちを相手にしている。この能力を有してしまった以上は、採るべき道は“分け隔てなく”、“真実に対峙し、あるがままに接する”に到るのは必然だ。さて、では、霊となって現れる最愛の妻が訴えたがっていることは何であるのか。東山には、それを知るのに覚悟が要るのであった。

『Mr.&Mrs.スミス』
 夫婦がそれぞれ殺し屋を営んでいる。でも属してる組織は別だ。もちよんお互いに自分の職業は内証で、それが、ある日、露見しちゃう。ってんで家庭内殺し合いがはぢまる!(笑) 早い話が史上空前絶後の(おそらく絶後と言ってしまってよいであろう)凄まじい夫婦喧嘩が展開する訳だ◆世にも可愛い夫婦喧嘩を描いた『フレンチなしあわせのみつけ方』って映画も今年公開になった。こんなふーに、映画に表現される夫婦喧嘩って、当然だが絵になる。絵になるってことはすなーちそんなには深刻には到るまい。だから安心して(笑)アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットのバトルを満喫できる◆言ってみれば、映画なんて楽しみで観るものだ。夫婦喧嘩の結末が、現実世界のそれと違うところに着地してくれてこその創作だ。別れてお終い、でかまーないんだったら、『エリザベス・ハーレーの明るい離婚計画』がそーだったように夫婦は喧嘩するまでもない◆スタイリッシュなエンタテインメントを徹底しつつ繰り広げられる最兇の夫婦喧嘩の技と顛末は、きっと期待に応えて楽しませてくれよう♪

『TAKESHIS’』
 創作を評価する際に「解るか/解らないか」という区別は「面白いか/面白くないか」という判断とは関係がない。「解った、面白い」「解らないから面白くない」って場合があることは認識する。でも「解ったけどつまんない」時や「解らないけど面白い」なぁんてこともあり得るのだ◆夏目漱石の小説に『夢十夜』というのがある。「こんな夢をみた」ではぢまる十編で構成された短編だ、あれを評価し、好きだという人も多かろう◆だが、『夢十夜』の各話でなにが起こっているのか、何故そうなったのか、すべてを理解できる者はいまい。理解できたかどうかが面白いか否かとは直結していないのだ。唯一確実なルールとは「夏目漱石の作品である」ことだけだ◆『TAKESHIS’』は北野武による『夢十夜』だった。その全貌を確実に掴める者は少ないだろう。北野武が好き勝手、出鱈目をやっているだけぢゃん(としか思えない)◆しかし理解不能のところがあっても、それは面白いかどうかとは関係ない。唯一言えるのは「ルールは北野武である」ことだけ。まさにこれは北野武らしい映画だったよ♪
数字
『0:34 レイジ34フン』
 本当にこあいホラーって今や稀有だ。観客がみんな遣り口に慣れちゃったものね。この映画はその点を物量作戦でクリヤしている◆邦題は地下鉄の終電後に現れる、誰も乗っていない電車の恐怖をイメィヂしている。ああ、無人電車ホラーかと油断して観ていると、それどころではない。ホラー的なアイテムがこれでもか!とふんだんに詰め込まれているのだ◆どこに続いているか判らない下水道、血まみれで逃げ惑う女、異形のシリアルキラー、朽ち果てた病院の地下室、ホルマリン漬けの胎児、金網で囲まれた水牢、などなど。こいなけ並べられれば誰でもきっとどれか、こあいものにヒットするだろう◆痛い方向だって負けてない。手術台に固定されてのこぎりで刺される!とゆう派手なものから、人差し指の爪を剥がす!とゆう局所的な痛みまで、豊富に用意されています(笑)◆なにより評価できるのはフランカ・ポテンテ演じる主人公が精一杯逃げていることだ。決して、安いホラーにありがちな、考えなしに自ら恐い選択をする馬鹿ではない。最善を尽くした結果逃げ場がないのだ、ガチンコでこあいよ♪

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