「招福!きねま猫」2003

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『愛してる、愛してない...』
 あの『アメリ』のオドレイ・トトゥが主演。アメリの時には、恋愛に慎重で計画を立てないと次に進めない性格の女の子を演じていました◆他者とのコミュニケィションが巧くいかない、でも他人を愛してしまった、ではどんなアプローチの仕方があるのか。そこで選択されたのが、所謂“脳内恋愛”である。オドレイ・トトゥはアメリにて“脳内恋愛女優”という地位を見事に確立した◆日本でいえば、これはそう、戸川純の創作に顕著だ。オドレイ・トトゥが表現しているのは、戸川純の歌世界に歌われている恋愛をする女の子なのだ。表面上はあくまでも愛らしく、望む恋愛はとても可愛い。ただ、想いの発現の方向が一般とはちょっと違っていて、しかも濃ゆい◆今回の『愛してる、愛してない...』に於いても、特殊な、独自のスタンスに立った恋愛を展開してくれます。これでこそオドレイ・トトゥだ、これをこそ観たかった!…のは確かなんだけど、ちょびっとだけ、たまにはフツーの恋愛もさせてあげて欲しいなって、思っちゃいました(笑)。

『“アイデンティティー”』
 『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』を観ると、途中で「なんでこんな弁護士を雇っているのだ!」ときっと思うだろう。でも観終われば理由はおのずと知れる。“支配しているルール”が伏せられているからですね◆『シックス・センス』も『ファイト・クラブ』もそーであった。心に引っかかる、変な箇所がぽつりぽつりとある。映画のオチとしてルールの種明かしがなされるパタンだ◆『“アイデンティティー”』は、嵐の夜モーテルに集った11人の男女が一人ずつ殺されてゆく、というサイコミステリィとして幕を開ける。ところどころに不自然な、常ならざる現象が観測されるが、それらがおかしく映るのは我々が未だこの映画のルールを知らないためだ。ルールが明かされた時、すべての謎は氷解しよう◆しかしこの映画に限って、ルールの暴露が実はオチではない。「いったい何が起こっていたのか」判明した後に20分、さらにストーリィが展開する。いっそ最初っからそのルールを知って観ても面白さは損なわれない。ルール暴きで安心して思考を停止した者こそが、騙されるのだ!(にこにこ)

『あずみ』
 小山ゆうの原作の漫画でのあずみの印象はスーパマンです。剣を交えるどの相手よりも動きが速く、斬られる側は斬られていることに気づかない◆北村龍平監督の前作『VERSUS―ヴァーサス―』はバトルシーンが空前に痛快なヴァイオレンス・アクション映画でした。今までに観たことがない戦い方や誰もやらなかった殺し方を次々と提示してくれる、その工夫と発想は新鮮で、あらためて映画の面白さとゆうものを思い知らせてくれた◆映画『あずみ』は、この双方のコラボレイションなのだ。最高の素材を、最高の監督が映像にした訳だ。ここで展開する殺陣こそが現代の邦画に於ける最高峰である◆そしてもうひとつの見どころは、オダギリジョー演じる最上美女丸を筆頭とした愉快な人物造型ですね〜(ぽわ〜ん)。特に敵方のキャラクタの性格のデフォルメ具合、壊れ具合たるや、どれも見事に“映画に出てくるだけのことはある”域に達している。映画を観てよかったなと思える、そんな映画です。

『アンダー・サスピション』
 少女の他殺死体を発見、警察に通報したジーン・ハックマンが、逆に最有力容疑者として取調べを受ける話です。追い詰める警部役はモーガン・フリーマンだから、両こわもて対決が警察署の一室で展開する。絵づら的には重くてハードな心理サスペンスだ◆映画に出てくる誰かがきっと真犯人だろう、本当にジーン・ハックマンかもしれないし、違うかもしれない。登場人物のどんな動きもすべてがヒントである。ヨダンを許さぬとはこーゆーことを言うのだ、ミステリィを読み解くように、観進めることになる◆上映時間はそんなふーに推移する。そしてラスト。ものすごい、心にひっかかりを残して映画が終わるよ! 実は心にそれをひっかけることこそがテーマであると、その時にはっきりと知れよう◆どうすればこのひっかかりは生まれずに済んだのか。いや、こうなるのは必然だったのか。自分の生きざまと、他人とのかかわり方を、とても考えさせてくれる。この映画はそれを映す鏡なのだ。

『アンダーワールド』
 吸血鬼であるヴァンパイア族と狼男であるライカン族の確執は永い。ひとまず、ヴァンパイアのクレイヴンがライカン族のリーダだったルシアンを倒したのが6世紀前。それ以降ライカン側は不利になって今に到るとゆーのだ。ろろろ6世紀て!◆そんなに昔からいがみ合っている故に、大多数はどーして相手を憎まねばならないのか解ってない。とにかく見つけたら倒す。仲間がやられるから、やり返す。それを延々と続けてきている◆舞台設定は現代だ、もう双方とも、武器の面での進歩にも対応してるよ。独特な弾丸を発射する鉄砲とか装備しちゃってます。昔ながらの爪とか牙も併用するけど、銃器があってくれるお蔭で、体格的にやはり不利であろう女性を主役に据えることが出来たのだ◆撃ち合い切り裂きかぶりつく。遠近両用のスタイリッシュなアクションが展開する。しかし、この映画で一番価値があるのは実はバトルシーンではない◆抗争の発端はいったい何か。そして抗争に終わりが来るとしたらその方向はどっちか。それらを取り込んだところにこそ、この物語が語られる意味が見い出される。
『えびボクサー』
 『えびボクサー』を上映する今池の国際シネマでは、この後のプログラムに『変身パワーズ』『サンダーパンツ!』とゆーラインナップを用意し、これら3作品を括って「キテレツ自慢、輝け!今池国際映画祭」と銘打った企画を行うとゆうのだ。そん中で『えびボクサー』は“節足動物部門”でございます◆「簡単に言えば、体長2メーター10もあるでっかいえび(と言いつつ実はシャコ)が人間を相手にボクシングをする映画」って認識は、間違ってはいないがしかし簡単に過ぎる。正確に紹介しよう、これは「巨大なえびと人間とのボクシングの試合を興行的に成功させようと東奔西走するヒューマン・コメディ」ですね◆イギリス製のコメディ映画の真骨頂って、『恋はハッケヨイ!』『シャンプー台のむこうに』『ウェイクアップ!ネッド』を例に引くまでもなく、人間の描写に重きが置かれるところにあるのぢゃ。もちよんミナサマが楽しみにするシーンはクライマックスで存分に展開する、そこに到るまでの「巨大えび“ミスターC”を巡る愉快な仲間たちの奮闘ぶり」を味わうのこそ、よけれ。
『おばあちゃんの家』
 都会育ちのやんちゃ坊主が山村のお婆ちゃんの家に預けられます。“男の子版・韓国版『アルプスの少女ハイジ』”ですね。しかしこの男の子が我が儘の限りを尽すのだ。いや、やっている内容をみると「悪逆非道の限り」と言ってもいーかもしれません(笑)◆もともと山村の朽ちた家に独りで住まわされている、口が利けず読み書きも出来ないお婆ちゃんだから、可愛い孫の「悪逆非道」くらいはこらえられちゃうのだ。どんな目に遭わされても恨まずへこまず、お婆ちゃんの出来る範囲でよかれと思うことをしてあげます◆やがて「孫に心が伝わる」という展開になるのは見えている。でも、87分の上映時間で60分を過ぎても、まだこの男の子が悪い子なのだ。もう、はらはらするったら! 早くいい子にならないと映画が終わっちゃうよ!◆そして、映画のラスト1分半で、涙がとまらないエンディングを迎えるのであった。こんなに急転直下に、感動させることが出来るなんて、感動もんだよ!(涙)
『過去のない男』
 評判をよく知らない映画を観に行った時なんか、たとえば愉快に思えるシーンが出て来ても、それをはたして声を上げて笑ってもよいものなのか、躊躇しちゃうなぁんてことあるよね。だから先に頭に入れておいて欲しい。『過去のない男』は、笑ってもらおうと思って作られた映画だ。笑う気まんまんで臨み、笑って観て頂きたい◆電車で辿り着いた夜の町で、主人公は暴漢に襲われ記憶喪失になってしまう。そんな始まり方をするフィンランド映画だから、さらに、アキ・カウリスマキ監督のいつもながらの落ち着いたトーンで語られる物語だから、つい重い映画なのかと身構えてしまうけれど、なぁに、交わされる会話のとぼけ具合は見事で、一言がとても洒落ていたりするのだ。早くそれに気づくことが満喫するコツであろう◆中でも、登場する犬のネイミングが素敵ですね(笑)。そう、このセンスこそがこの映画を象徴していると言っていーかもだ。今、この犬の名前を幸いにも知らない人は、是非とも余計な情報をインプットすることなく観にゆくことをお勧めします。

『カントリー・ベアーズ』
 かつて人気を博していた、カントリィミュージックを演奏する熊のバンド“カントリー・ベアーズ”を再結成させるとゆーストーリィのディズニィ映画です。さすがディズニィ、何体も出てくる着ぐるみの熊が可愛く、ちゃんとルックスも描き分け、造られている。人間の世界に着ぐるみの熊が普通にまぢり込んでいて生活をしている設定なのだ◆そもそも日本にはゴヂラがいる。着ぐるみなのに、あれを怪獣だとみんな認めて映画を楽しんでいるではないか。そぉんな土壌に、この映画はぴったりだろう。日本人には『カントリー・ベアーズ』を受け入れる下地が充分にある訳だ◆熊のキャラクタたちは、みんな愛すべき間抜けとして描かれている。しかしけっして蔑まれる対象になってはいない。人間の方がもっと抜けているからだ(笑)。ここで展開されるギャグ群は、アメリカのちいちゃい子たちが喜ぶような他愛ないものなのだ。そんなちいちゃい子気分になって楽しもう。そしてラストシーン、カントリー・ベア・ホールからパンした夜空に、大人のセンスを見よう。
『キープ・クール』
 「この監督の映画なら大丈夫」って評価が与えられる映画監督って、いる。日本で言えば、今なら北村龍平だ。国際劇場にて“おとこ!北村龍平、夜まつり!!”という特集上映が行われるだけのことがある、期待を裏切らない安定感を持っている◆もちよん完成した作品のレヴェルが充分に高値安定していることも必要だが、肝心なのは方向性が安定していること。それが「期待に応える」という意味だ。北村龍平の場合ならそれは「バトルを観せる」になる。北村龍平風のヴァイオレンス映画を一作でも気に入った人には、全作品が同程度に楽しめる所以だ◆そして「純朴にして誠実」を描かせたらこのチャン・イーモウですね♪ 『あの子をさがして』『初恋のきた道』『至福のとき』などの作品により培われた評価です。それらのどれよりも早く、97年に製作されたこの『キープ・クール』に於いても、既に「純朴と誠実」が双葉より芳しい◆表面上、描かれているのは「キレる男」、しかし根底には誠実さが流れている純朴な物語なのです。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』
 実在した、十代の天才詐欺師の物語です。と聞いていたので「実話が原作ぢゃあ、そんな荒唐無稽な展
開になりっこないだろーから、ああ、退屈しなければよいが…」などと思っていたらアニハカランや! 仮にも天下のスティーブン・スピルバーグが“エピソードを考えつく”方向に発揮しなくて構わない才能を、すべて“どう演出し、観せるか”の方に注ぎ込んだのだ。すんげぇ上質のエンタテインメント作品に仕上がっています。オープニングタイトルが「時代設定である62年当時の技術で可能」と思えるシルエットアニメで作られているのもおしゃれ。“本当に頭のいい”人間が活躍する物語は、それが悪人の側であっても観ていて気持ちがよいですね。人を殺さず、詐欺を働くハンニバル・レクターのお話だと思って頂くと宜しいかも。
『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』
 今までのゴジラ映画に於ける物語が全部起こった世界を舞台にした新作のゴジラ映画は、ない。今回のお話はどれとどれの回をベースにした、その歴史を経た上で発生した出来事であるかが、年ごとに毎回変わる◆『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』が準拠している怪獣映画は54年の初代『ゴジラ』、64年の『モスラ』、昨年の『ゴジラ×メカゴジラ』、そして70年の『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』の4作です。直接的には昨年の、釈ちゃんが乗っていたメカゴジラ、“機龍”編の続きのストーリィになっている◆そして、流石にメカゴジラものだ、実はタイトルにこそゴジラだのモスラだの怪獣の名が踊っているけれども、一番の見どころはメカゴジラの側、もっと言えばメカにこそ主眼がある。怪獣を倒すために出動する自衛隊の兵器の方こそが最も見せたかった点なのだ◆メカゴジラに搭載されていたアブソリュート・ゼロは昨年の戦闘でぶっ壊れちゃった。では今回は、どんな武器でどう闘い、不死身とも思えるゴジラにどんな形の引導を渡すのか。そこをこそ見てね。
『サンダーパンツ!』
 『ホテル・ハイビスカス』のヒロイン、美恵子がおならをこきまくっていたのはきよくに新しい(「招福!きねま猫」2003年7月18日付参照)が、イギリスにはこれを凌駕する少年がいた! 本作の主人公、パトリックは母親の胎内にいた時分から止まることなくおならをこき続けている◆実の父親にも愛想を尽かされ、小学校に上がってもいぢめの対象になるほどのおならライフも、しかしついに終わる時がきた。同級生の天才少年、アランがおならを有効活用する発明「サンダーパンツ」を造り上げたのだ!◆サンダーパンツを穿いたパトリックは嬉々として、それまで自粛していた禁忌に挑む。“豆を食べる”である。BGMが高まる中、呆然とする姉を横目に皿から豆を掬い口に入れ、感極まってスプンを放り上げる。これぞ、映画史に残る感動的な豆を食すシーンであったぞ!(嬉)◆実はこの後、サンダーパンツは進化する。そして3號機に到った時、なぜ「サンダー」を標榜しているのかが明らかとなる形態をとるのだ。なるほど(膝)。イギリスで、サンダーで、3號といえば、これしかないッ!!
『地獄甲子園』
 男のバトルを描かせたら北村龍平だ! 『ALIVE』ではグーで殴る時、握ったこぶしにチャーヂ音がしてた。「チィィィィン」とパワァを貯えてからどががんっ!と殴るぞ!!(狂喜)◆『地獄甲子園』は、その北村龍平プロデュースの作品です。主人公の野球十兵衛が、キャッチボール相手の父親をも死に至らしめた魔球“スーパートルネード”を引っさげて悪逆非道の外道高校に挑む!(笑) 「努力、友情、勝利」の三本柱を標榜する月刊少年ジャンプに連載された漫☆画太郎のギャグ漫画が原作なのだ、男の闘いを描くのにこれほど相応しい舞台もあるまい◆「どーせ月刊連載なんだからその月その月の号さえ面白ければ話がつながってなくてもいいや」(笑)と思って画かれていたにちまいないスーパーな展開とエンディングを迎えた原作が、一つの完結したストーリィにまとまっていたことにまず驚愕した。喝采を贈ろう◆そして漫☆画太郎の持ち味が、これほどまでに映画にマッチしたことにも歓びを禁じ得ません。圧巻は、エンドロールにて初めて明かされるナレータの役名だ。見逃すな!

『ジョニー・イングリッシュ』
 スパイ映画のパロディ映画のタイトルが、マイク・マイヤーズ主演の『オースティン・パワーズ』だったり、エディ・マーフィー主演の『プルート・ナッシュ』だったり、ローワン・アトキンソン主演のこれだったり、主人公のフルネームであることが多いの、なんでだろ?♪<今や微妙に古い? ジョニー・イングリッシュはそのファーストネィムが表わすとおり、英国を護るのが使命であった◆字幕スーパ版で観る人は楽しみにして欲しい。テレヴィのCMでばんばんネタばれしちゃってるのが惜しいけど、ローワン・アトキンソンが日本語を喋るシーンがあるのだ。回転寿司屋に入り美人と“サケ”で乾杯をする際に言う台詞がそれですね。きっと必死になって暗記したであろう、長い異国語で、しかしまったく言う甲斐のない、脱力するようなことを言うぞ!(笑)◆あと「古城に潜入する」「戴冠式に乱入する」「ラバーのマスクをかむった司教のニセモノが登場する」など、『ルパン三世 カリオストロの城』っぽい絵がいっぱい出てくるのも、わくわくして嬉しい感じ。偶然なのか、パロディなのか。
『スカイハイ』
 『キル・ビル』でも『マトリックス レボリューションズ』でも「世界」が作られ、表現されている。『キル・ビル』は、一見この現在の世界を舞台にしているよーだけど、あんな出来事(笑)が起こるのだ、物語は当然監督が作り上げた世界で展開する。『マトリックス』のシリーズはもっと判り易く、そもそも現実とは違う歴史を持った世界を一から構築して語られている◆フィクション映画のすべてが必ず、現実世界とは違う設定であることをテッテ的に追求しろとは言わない。ただ、映画を観ている最中に現実に引き戻されたりしない配慮を見つけたりすると、そこはかとなく嬉しいんだよね?◆『スカイハイ』にはナンバプレートがはっきり映る自動車が2台、出て来る。その覆面パトカのナンバは“S-888 M6 23-999”だったのだ。そこまで作るか、北村龍平!(嬉)◆こーゆーとこで“品川”とか見ちゃうと、ああ、「ロケ地:品川」なのねって、思っちゃうでしょう?(笑) これが、監督が映画を喜んで作っている証左なのだ。もう全編から、映画って楽しいって、伝わって来るってば♪
『セプテンバー11』
 「世界各国11人の監督が各自11分9秒の短編映画を制作して集めた」映画です。テーマは言わずと知れた「2001年9月11日」。尺は134分。こー聞いてどんな印象を抱かれるでしょうか。A:重くて長い映画か。B:辛気くさい映画か。どっちも、とんでもノー!! これは、楽しめるエンタテインメントなのであった◆『セプテンバー11』の目的は観客を暗い気持ちにすることではない。問題意識を励起することでも、政治的な意識を植えつけることでもない。てゆーか、そんなに「この事件」に関してお勉強がしたい人はニュースとかドキュメンタリィを選択すりゃいーぢゃん!◆映画という手法を選んだ理由は、「何度も観返したくなるほどに面白い」ことで“9月11日”を永く人々の記憶に留めさせることにあるのだ。そしてそれはもちよん、成功している◆全世界から11もの才能が集まっているのだ。この中にきっと、気に入る作品が、必ずあるにちまいない。面白い映画を観てたら、たまたま“世界貿易センタビルに飛行機が突っ込んだ”ってゆー知ってる事件が出てきた、と捉えるが宜しい。
『ターミネーター3』
 『アニマトリックス』の中のエピソード、「セカンド・ルネッサンス」で描かれる人間とコンピュータとの戦争を、そうだ、『ターミネーター』は既に19年前にテーマとして取りわげていたのだ。そのシリーズの第3作です◆『マトリックス リローデッド』とか『ワイルド・スピードX2』とか、カーチェイスシーンを売りにしている今夏公開の映画数々あれど、『ターミネーター3』のカーチェイスはひと味違う! 他のすべての映画が「如何にクラッシュせぬよう避けながら車を走らせるか」が目的となっているのに、『ターミネーター3』はもうぶつけまくりマンボ! だって描きたいのは“ターミネーターはこんなに丈夫い”なのだ、ターミネーター以外のすべてはターミネーターよりも脆いことを表現するためのアイテムに過ぎない(笑)◆シュワルツェネッガー演じる初代ターミネーターの、サングラスに関するこだわりもお茶目でラヴ♪

『たまゆらの女』
 原題の邦訳は『チョウユウの汽車』です。チョウユウが電車で、遠距離恋愛の相手である彼氏に頻繁に逢いにゆくお話なのだ。その、走行する電車の絵がとても美しい。お金を出して劇場で観る価値のあるカットばかりで構成されているぞ◆この映画の秀でているところは映像をとても大切に、美しく撮っている点です。部屋の入り際でラヴシィンを展開する、その二人をアップで捉えた時、カメラとの間にフィルタとして玉のれんが挿まるのだ。ロングで引いた絵ぢゃないよ、アップなのにだ◆想像に難くないが、当然ものすんげぇ計算がなされていよう。そこに玉のれんがあるべき背景、反対側ではなく玉のれんの側からのカメラアングルを選択するセンス、そしてフィルタとして使用可能な玉のれんの選抜。もちよんこの玉のれんのシーンは解り易い一例に過ぎない。全編に亘ってこーゆー気配りが施され、選び抜かれた映像で組み上げられていると思って頂きたい◆『たまゆらの女』が劇場公開される今に居合わせた我々は幸せである。これは「映画館の大きなスクリィンで観たい」映画のうちの一本なのです。
『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』
 バービーちゃんやブライスを着せ替えては人間業とは思えない(そりゃそーだ、お人形さんだ)動きで闘わせて遊んでいる…よーな映画なのだ。女の子に支持される所以でしょう◆コスプレしまくりの、絵になる決めポーズ入れまくり。実現不可能な動きでも荒唐無稽な展開でも、映像的に面白ければ何でもあり。人が観て喜んでくれるよーな画ばっかりで構成された物語であった◆一例を挙げよう。映画の最初の方で、運転していたトラックがダムから落ちる!危機一髪!!ってシーンが出てくるよ。さぁ、どうやって助かるのが一番面白い? 誰も思いつかない、思いついてもまさか本当に映画に撮ろうなんて思わない、そぉんな方法が採られるんだよね〜(にやりん)◆前作もやってた、コロンビア映画のロゴマークである女神像の画面の一点にズームインして映画がはぢまるって遊びも健在。冒頭からテンション上がりっ放しで観れること、疑いなし♪だ。
『デッドコースター』
 創作物を楽しむということは、創作者のアイデワに触れることである。その想像力の多様さ、描写力の巧妙さ、構成力の見事さ。秀でたそれらの才能に接することが喜びとなろう◆その才能の発現する方向に、枷ははめられない。同様に、享受する我々も、ジャンルで選り好んだりしてせっかくの上質な創作と出わう機会を逸してしまうのはもったいない。「人の死に様カタログ」の様を呈するこの映画は、十分にレヴェルの高い創作である◆「次のキャラクタはどんなふうに死んだら、観客は驚き楽しむかな」と、そればっかり考えて創り上げられた、これはまさに発想と工夫の宝庫なのだ。こんなにも沢山のパタンを観せてくれて有難や!◆前作『ファイナル・ディスティネーション』でこの映画の語り口に慣れている人は、片っ端に提示されるアイテムや変化する状況の、いったい何が最終的な死因に結びつくか、予想をたてながら観るとよいよね。当たって嬉しく、外れて監督の遣り口に舌を巻くのだ。

『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』
 このタイトル、『テハンノで売春していてバラバラ殺人にあった女子高生、まだテハンノにいる』に惹かれた人は是非観るがよい。こんな超絶タイトルの映画を観たとゆー、その事実に価値がある◆タイトルを知った時、マッサキに考えたのは「ドキュメンタリィだったらどおしよお!」でした(笑)。実在したらすんげぇ怖いぞ!>バラバラ殺人にあったのにまだいる女子高生。幸いなことに、創作された物語だったのぢゃが◆英題を見れば判るだろう、“Teenage Hooker Became Killing Machine in DaeHakRoh”ってゆーのだ。バラバラ殺人にあった女子高生は、なんとサイボーグとなり殺人マッシーンとして復活する!(狂喜)◆これは韓国のインディーズ映画です。すべての人に支持されるよーではインディーズぢゃない、つまり観客を選ぶ訳だ。タイトルで既に、インディーズ映画の華である“エロス”と“ヴァイオレンス”、そして“奇妙さ”が売りであることは明示されている。このハードルを喜んで越える者に対し、門戸は開かれている。
『トゥームレイダー2』
 『トゥームレイダー2』は第一作と比べCGによる戦闘シーンを抑え、アクションに重きが置かれています。それが活きるエリヤを舞台にしてたってことですね◆アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公ララ・クロフトはそもそもアクションゲームのキャラクタだ。所を変え、品を変え、大暴れするのがお仕事であり映画の主旨なのだ◆舞台の選定はおそらく以下のルールに依っている。曰く「違う大陸から3カ所を選び」(=画面上の見た目に差をつけるため)「時代ものの建造物があり」(=古代の呪いだの神秘的なパワァだのが封印されてなきゃね)「世界的に(もしくはアメリカ人にとって)よく知られているような“謂れ”が附加できて」「アンジェリーナ・ジョリーがお着替えをしないと行けない所」だ◆前作で訪れた国には、もう行きません。違う国を巡ってはバトルを繰り広げるよ。『寅さん』や『釣りバカ日誌』が毎回違う県を訪問するってのと同じ力が働いているのでしょう◆自邸での訓練シーンには日本テイストのものもあった。きっとそのうち、日本にも宝を探しにやってくるにちまいない!

『東京ゴッドファーザーズ』
 三人のホームレスがクリスマスの夜に赤ん坊を拾う物語です。その赤ん坊を抱き運んでいるうちに、三人は三様のアプローチで“自分の過去”と対峙する。年の瀬の一週間を舞台に展開するこのファンタヂィがこの時期に公開になる、劇場で観られるってのはとてつもなく幸せなことなんだよ、君たち!◆ポスタやスチール写真なぞから受ける印象はおそらく「絵柄が地味なアニメイション」ってとこだろう。違うんだなー(ちっちっち)。この話の語り口にこの絵柄はマッチしている。可愛い絵柄のアニメイションで表現されちゃっていたら、これほどまでにリワリティに基づいた感動は生まれ得なかったぞ◆だったら何故、実写で描かなかったのかとゆー答えも作中にある。例えばアニメイションという手法を使えば、拾われた赤ん坊に演技をさせることが可能ではないか! 実写+CGが持つ違和感すらも、全編がアニメイションであるならクリヤできちゃう所以だ◆ひとつミドコロを。元ドラァグ・クイーンのホームレス役の声優は、あの、梅垣義明だ。そして歌うぞ、あの歌を!<without豆 お楽しみに♪
『パイラン』
 純愛を貫く究極の方法は、恋愛関係にある二人を逢わせないことだ。恋愛の最初から終焉まで、一回たりとも逢わなければ、まさに完璧なるプラトニック・ラヴが完成する◆『パイラン』は浅田次郎原作の映画の最高峰である。そもそも、純朴な人物を表現するのに舞台を現代の日本に求めてちゃあ駄目(ズバッ!)。『あの子をさがして』の舞台である中国の素朴な女の子が、『8月のクリスマス』の舞台である韓国で純愛をする。これこそ“朴”にして“純”な、最高のシチュエイションではないか◆異国の地・韓国で就労のために偽装結婚したパイランは一度も会ったことのない書類上の夫に恋心を抱く。しかし、その夫カンジェにパイランの想いが伝わるのはパイランの死後だ。応えようにも相手は既にいない。これほどのプラトニックがあろうか!◆日本で展開したら「そんな奴、いねー」から「ああ、絵空事だねぇ」で済んぢゃうぞ。それを、韓国を舞台にすれば、部屋にピカチュウが転がっているよな現代にもかかわらず、これは「あり!」なのだ。本年度の映画の「適材適所大賞」を贈ろう。
『フォーン・ブース』
 コリン・ファレル演じる主人公・スチュは宣伝屋、パブリシストです。『ニューヨーク 最後の日々』でアル・パチーノが演じていたように、映画にこの職種の人間が出てくると、たいがい酷い目に遭うぞ。映画人はパブリシストをからかうよう出来ているのね◆公衆電話が鳴る。スチュは受話器を取ってしまった。『アメリ』ならここで幸せな奇跡が起こるとこだ。しかしNYの8番街と53丁目の角を舞台にした『フォーン・ブース』では、それは狙撃犯からの電話であった。スチュは電話を切ることも許されず電話口の向こうでライフルを構え狙っている男に翻弄されることになる◆どう動いても逃げ場はない。追い込まれてゆく。それをスチュは、あたかも針の穴を通すように巧みにすり抜け、ゲームオーヴァを先送りする。この状況下で81分も耐えるよ(<この映画の上映時間ですが)。これは十分に見事なプレイヤだったと、称えられるべきだろう!◆おそらくこの事件に於ける最善の対処法が描かれているのだ。みんな、これと同じ事件に巻き込まれたらコリン・ファレルみたいに振る舞うといいよ!

『フリーダ』
 実在したメキシコの女流画家、フリーダ・カーロの生涯ってすっごい感動的。18歳でバスの事故に遭い瀕死の重傷を負い、そっから復活して画家になる。しかしこれだけなら「よくあるいい映画のうちの1本」どまりだった◆ここで、この映画にはいっぺん観たら決して忘れない、ある意味究極の演出が施されている。フリーダの眉毛が繋がっているのだ!◆演じるサルマ・ハエックは『スパイキッズ3-D:ゲームオーバー』では若い可愛い母親役をやってる美人さんだが、そいつが一本眉になるとインパクトのあるったら! スクリィンのどこにちらりと映り込もうと貴方の目を惹きつけて放さない◆顔に強烈な特徴のある登場人物は映像的に強い。『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』では“鼻の下に大きなほくろのある男が登場すると必ずアップにする”というギャグがあった。マイク・マイヤーズは、同一画面に並んで映ってはルックス的に自分が不利であると知っていたのだ◆『フリーダ』では主人公がその位置にいる。事実がそーだったのだ、こんなにキャラの立った伝記映画はない。

『ブルース・オールマイティ』
 仕事が巧くいかない男が神様に悪態を吐いた、「どこを見てやがるんだ!」。すると神様が出現し、そんなら自分でやってみろと、万能の力を与えてくれる…とゆう、とても簡単で判り易いお話です。だからこそ栄えるのがジム・キャリーの天才だ◆『マジェスティック』でジム・キャリーは演技派であることをアッピールした。が、あの真面目な男の役は、はっきり言うけどジム・キャリーが演じる必要がないよ。『トゥルーマン・ショー』はすごく楽しめた、名作でした。しかし今度はこっちは、シナリヨのレヴェルで既に面白い。あの物語なら誰が演じてもいい映画になってたと思います◆そこで、これだ。「一般人が神の力を持つ」という単純な設定だからこそ、ジム・キャリーの才能が活きる活きる!◆一番凄まじいのは、未だ神の能力を得たことを確信していないジム・キャリーがカフェに入るシーン。コーヒィのスプンがないのでウェイトレスに声をかける、「済みません、スプンを…」。ここで、こんな、“神の力”が発現するとは!! ジム・キャリーがこの役を演じる意味が、ここにあるのだ!

『フレディvsジェイソン』
 劇中の登場人物が言う、「寝てても起きてても殺される」。そう、これは悪夢の住人フレディと現実世界の殺人鬼ジェイソンが、ともに同時に若者を狙うお話です◆でもね、この両者同士が闘いもするんだなー、獲物の取り合いで(笑)。それがタイトルの由来になっています◆もちよん悪夢の世界ではフレディの天下だ。とてもつおい。しかし現実世界では神通力が使えないフレディよりタフなジェイソンの方に歩があるぞ。「どーやったらこの二人が現実世界で闘えるの?」をはぢめとして、もう、アイデワの宝庫だ!◆もちよんホラーの王道を踏み外してはいない。が、この映画に「ホラーファンのための」とゆー枕詞をつけちゃうのはあまりに惜しい。「映画としての面白さ」が「怖さ」を完全に凌駕している◆いっそ、これまでの『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』のシリーズを1本も観たことがない人の方が純粋に楽しめそうだ。現に僕がそうだった。ピュワに抽出された二人の殺人鬼の設定のエッセンスが存分に活かされている。こーゆーのこそを、“最高に考えられた映画”ってゆーのぢゃ!
『ベアーズ・キス』
 サーカスと言えば動物だ! 人間が行う芸は、楽しくてもどこか物悲しい。空中ぶらんこには「失敗」の不安がつきまとうし、ジャグリングはどの状態がピークなのか判断しづらくて、観客としては拍手のタイミングを計りかねる◆『橋の上の娘』はサーカスのナイフ投げの男が的になってくれる女の子を捜す物語でした。“橋の上に独り立っている女の子は自殺志願者だから、へっきでナイフ投げの的になってくれるはず”とゆー考えに基づいているのだ。ね?物悲しいでしょう?(笑)◆『神に選ばれし無敵の男』でもサーカスが描かれるが、最も目を惹いたのは“凄いいきよいで走り回る鰐”だった。実は脱がせてみると、犬が鰐の着ぐるみをまとっているのだけど、そんな可愛いことがあるか!? こーゆーのをこそ、サーカスで観たい!◆本作『ベアーズ・キス』は空中ぶらんこ乗りの女の子と本物の熊との恋愛譚です。仔熊で登場する冒頭はこの上なく可愛く、やがて熊は成長し、女の子の想いが伝わると人間の青年に変身する。そうなると、ほら、人間の話になり、嗚呼、物悲しいことこの上ないわよ!

『北京ヴァイオリン』
 邦訳をした意義があるとゆーのはこの映画のタイトルのことを言うのだ。この抽象は見事です。試しにこの映画を観て邦題をつけてみるといい。『北京ヴァイオリン』なんて意訳が、なかなか出てくるもんぢゃない◆“中国の片田舎に住んでいたヴァイオリンの天才少年が、ヴァイオリニストへの道を歩むために父親とともに北京へ出てくる”ってゆー話だ。そこで表現されているのは「少年と、北京在住のさまざまな人々との出逢い」です。ヴァイオリンは、必要不可欠ではあるが主役ではない、小道具なのだ◆父親を筆頭に、少年のことを思ってくれる人が幾人も登場する。中でも印象深いのは「いかにもアーバンで綺麗なお姉さん」でしたね〜。本当に綺麗で、アーバンで、でも生活の実態が少年の目を通して発かれちゃったりする。このお姉さんの造型こそが、この映画のオリヂナルだ◆そしてお姉さんが彼氏の誕生日に用意したバースデイケーキは、映画史上に残る素敵さだったよ(ぽわ〜ん)。必見!
『ホテル・ハイビスカス』
 舞台は沖縄、そして主役は小学三年生の女の子だ。ただ、この子がすんげぇ! ルックスは『火垂るの墓』の節子を思わせるおかっぱ頭、パワフルさは『となりのトトロ』のメイがまんま成長したみたい。だがしかし、ああ、あれほど子供をリアルに写していると思われた宮崎アニメは、実は子供の“綺麗な一面”のデフォルメであったことが、この映画を観ると判明する◆『ホテル・ハイビスカス』の主役の美恵子は、とてつもなく下品(笑)だ。だって現実の子供って下品なのが大好きだもの、この状態こそが真の子供の姿を描き表わしている訳だ◆はしたない、しかし我々も幼少時に好きだったであろう替え歌を大声で歌い歩き、方々でおならをこきまくる。これほどまでにヒロインがおならをこく映画を君は観たことがあるか!?(笑)◆ひと夏、美恵子が元気いっぱいに過ごすさまが展開する。そして92分の上映時間が終わる頃には、きっと、もっとこの美恵子を観ていたいと思うだろう。美恵子役の蔵下穂波が成長しちゃう前に、夏ぢゃないシーズンの美恵子の物語も、是非撮って欲しいと切に望むよ。
『マトリックス・リローデッド』
 前作『マトリックス』を観ていないと、この物語がいったいどんな世界で繰り広げられている話なのか、そーゆー基本的な設定に関してまったく説明がされませんからどんなルールに則っているのか、解らないでしょう。第一作を観ていない友だちを誘う時には、事前にビデオででも観ておくよう忠告してあげよう!◆たぶんミナサマ、すごく期待をして観にゆきますよね。「『マトリックス』の新作だもの、自分が望んだものを観せてくれるに決まっている!」という方向の期待だ。楽しみにしてよいです◆しかし、この『リローデッド』のミドコロは、そんな、『マトリックス』から予想できる範疇に留まっていないんだよね?。例えば今回、極めて論理的に組まれた「存在理由」が提示される。情報量に限りのある日本語の字幕を介してすら、その論理展開は見事に高レヴェルであると知れる◆でも一回目は、みんな好きなように期待したように観てね。「思わぬ発見」は再度、再々度、観返した時にヒットしてくるだろう。一度目より二度目が、二度より三度観た時の方が面白さが増す、そんな映画なのだ。
『ラヴァーズ・キス』
 美少女を綺麗に撮る監督は映像美的なセンスに長けている。古来そーゆーものなのだ。いい気分にしてくれる、画面の綺麗な映画を観たいのなら、美少女を撮るのが巧い監督の作品を選ぶが宜しい。例えばこれだ。CBCラジオ『あやあやっ!?』でもおなぢみの、当代きっての美少女・平山あやが主演しているラヴい映画、『ラヴァーズ・キス』です。原作は吉田秋生の同名の漫画。鎌倉を舞台に、6人の男女の恋愛が展開する物語…なのだが、さすが吉田秋生! 一筋縄ではいかない人間関係が張り巡らされています。最初、平山あやの視点で描かれた物語が、改めて別の角度からもう一度語られると、それぞれの人物が隠し持っていた想いが徐々にアカラサマになってくるという、ミステリィ的な構成も秀逸。あと特筆すべきは、ヒロインの同級生役の市川実日子。5月3日から名古屋シネマテークで公開になる『blue』と合わせ技一本で、観比べると面白さ倍増なことウケアイだ。
『わたしのグランパ』
 筒井康隆原作のジュブナイルの映画化です。この場合の“ジュブナイル”の意味は、「大人が子供に見せたがる理想的な社会を描いたお話」ですね。「悪者はどこか抜けている」「少女をさらってきても親玉は子分に乱暴をすることを禁じる(そんなに冷静な思考ができる奴らはそもそも現実世界では少女を誘拐しまい)」「無血で正しい側が勝つ」「悪者は改心する」などなどなど。「お爺ちゃんと呼ばれる世代が楽しいと感じるゴージャスなパーティに中学生の女の子を招待すると、すごい喜ぶ」なぁんてのもあるぞ。若者には綺麗なものだけを経験して欲しい、と望む大人が観るための映画なのだった。決して『凶気の桜』に出てくるような無軌道な若者は登場しません。いかにも純朴そうなルックス(具体的には眉がぼうぼうってことだけど)の石原さとみを主役に据えたのは、だからこの設定にぴったりだった訳だ。石原さとみを愛で、石原さとみが護られている環境を楽しむための映画と言えましょう。

『私は「うつ依存症」の女』
 クリスティーナ・リッチは可愛いけど、この映画では我が儘で自己中で、憎たらしいことを考えてたり相手を傷つけるようなことをへっきで言ったりする、ヤな女の子です。そーゆー「病気」なのだ◆原題は『Prozac Nation』=「プロザックの国」(プロザックは抗鬱剤の名前)であって、病名をはっきりと掲げている訳ではない。映画中ではこれに続き「鬱病合衆国だ」なぁんて台詞が出てきたりするけど、クリスティーナ・リッチの症状は「プロザックの服用を必要とする」病気だと表現されるに留まっています。だから邦題でも、正確を期して「うつ依存症」と、しかもカギカッコに入った表現を採っているのだ◆ともあれ、この映画で描かれているのは「病状」です。そして病気だから、素人である周囲の人々の「優しい思いやりの心」だけで治るってもんでは、ない。だったら対処法は?◆自分の周りの人がこうなった時のためではない(だって聞く耳持たなそうだ)、自分がクリスティーナ・リッチと同じ立場になった時に、しかし治る救いは用意されていると知るために、この映画の解決を観ておこう。
アルファベット
『blue』
 小西真奈美はアルカイック・スマイルをもつ女優である。前作『阿弥陀堂だより』では、その「どんなに酷い状況に陥っても維持される笑顔」のミステリアスさが最大に発揮されていた。笑っている顔の、しかし5ミリ奥で何を考えているかは決して外に現さない。言い替えれば、心を隠し、周囲の人には笑顔だけをアッピールする。そういう方向の“相手に対する気遣い”を演じさせると、強い女優なのだ◆『ラヴァーズ・キス』に続いて今回も同性愛志向の女子高生を演じた市川実日子は、一転してこちらは、オバQのような唇をへの字に曲げ不機嫌そうな顔を披露する。望む通りに進まない恋愛に対する苛だち、相手に対する不満をそのまま表に出している(ように見える)、ぶつけてくるほどに純粋だ◆この二人に依り紡がれるは女性間の同性愛の物語。キス以上の肉体的な接触がない「純粋な恋心」と、必ず迎えることになる「恋の終わり」である。恋愛が本当に綺麗に語られ得るこのシチュエイションに於いて、彼女ら二人のキャラクタは必須にマッチしている。見事なまでに切なく美しい青春譚なのだ。

『CQ』
 「未来社会」を想像するのって楽しい。一つひねって「昔の人が想像した未来社会」を想像するのはもっと楽しい。さらにそれが具体的に「1969年の人が想像した2001年の世界」を今現在想像するってんだったらとてつもなく楽しい◆ディテールを組むのは大変な作業だろう。大仰な舞台を構築するのにも秀でたセンスが必要だ。しかしきっと、この映画を作った人はさぞかし嬉しかったにちまいない。だって、主人公は映画監督志望の編集マンで、「2001年を舞台にしたSFスパイアクション映画」の製作を請け負っているんだよ! ああ、設定を聞いただけで、面白くてたまらないではないか◆だが『CQ』の魅力はそこに留まらない。「CQ」とはアマチュア無線の呼びかけの言葉。つまり「私はここにいる」という発信。そしてその音は“SEEK YOU”。もちよん「貴方を捜す」の意味だ。自己表現の方法を模索し続ける主人公が辿り着いた先が、既にタイトルで明かされているのだ◆これは、可愛く、ラヴい物語なのである。

『WATARIDORI』
 人間は、こんな画を撮れるまでに到ったのだ。渡り鳥が空を飛んでゆく、その様子を真横から捉えた映像を、これこそ是非映画館の大きなスクリィンで観て頂きたい◆血湧き肉踊る物語が組まれている訳でもなく、ナレイションも少なめに抑えられ、延々と、淡々と、鳥の飛翔と生きざまだけが映し出されてゆく。そんな「わくわく鳥ランド」的な記録を“映画”の域に昇華させているのがこの構図なのだ◆鳥の飛行シーンには一切CGは使われていない。本当に飛んでいる鳥を撮影している。つまり撮っている人間の側も飛んでいる訳だ。通常の映画同様、撮っているカメラマンがスクリィンに映り込むことはないが、この映画ほど「カメラのこちら側」の“態勢”が気になった作品はない◆この視点はまさにメーヴェを操るナウシカの目だ。ラピュタを目指し雲に向かって飛ぶパズーが見た景色を、実写で見せてくれているのだ。鳥と一緒になって、鳥のように自由に、人間が飛ぶ。宮崎駿が想像の世界に描いた映像を、これはカメラに収めた映画なのである。
数字
『17才 旅立ちのふたり』
 ハリウッド版『GODZZILA』は、ゴジラの役を『ジュラシック・パーク』に出演した恐竜が演じることになり、原作をシナリヨに起こす段階で主演俳優の持ち味を活かすような演出が加えられたため、あのようなスピーディな動きをする怪獣映画として仕上がったのだ。この、「演じる役者の売りを活かす」ような作り方こそがアイドル映画の撮られ方である◆『偶然にも最悪な少年』に出演している中島美嘉のキャラクタは、歌番組でいつも見るあの中島美嘉そのものであった。あんな行動をする人物が登場しても物語が壊れないよう、シナリヨが巧く組み立てられている◆『17才 旅立ちのふたり』の石川梨華は、周囲が期待する石川梨華、アイドルである石川梨華の売りをそのまま引き継いでいる。現実世界にはこんなに素直に純粋に、まっすぐ育った娘なんて、いねー◆そう、例えて言えば、この物語はNHKの『中学生日記』の“高校生版”だ。登場人物がひねくれていないが故に問題が解決する。そんな性善説に則ったシチュエイションのドラマに、石川梨華はぴったりマッチしていてすっげーラヴ♪

『28日後...』
 病院の集中治療室で目覚め、鍵のかかったドワを開けて外に出てみると人っ子一人いない。街を行くがなんとなく荒れた雰囲気。いったい、ロンドンの市民はどこへ行ってしまったんだろう…◆不安になりながらもお札が舞っていると拾い集める。そうそう、自分の状態が読めてない状況下でも、これをやるのが人間だって感じがするよね。こーゆーのこそが、極限状況の演出に長けた映画と言えよう!◆そんな、『ターン』のような、『バイオハザード』のラストシーンのような、無人の街に主人公が独り放り出された絵から物語はスタートする。そして語られるはもちよん災厄だ。「もと人間」が襲って来るぞ。即ち「ウィルスに冒された殺人鬼」であり「女に飢えた男たち」ですね◆本当に、女性を性欲処理の対象としてしか見ない男どもなんて、文明人以前ぢゃ。イーコールでゾンビ軍団と同じ扱いにされて当然でしょう◆取り残されて畏れ、襲われておののく展開を観よう。そしてラストには、一瞬映った“地獄”を“希望が持てる次の世界への扉”に変えるファンタヂックなマヂックが待っている。

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