綾金繁華街に流れ星を見た!
昨年(1998年)秋、残暑をまだ感じる晩の綾金市の大停電を憶えている方はどれくらいおられるだろうか? 公式の発表ではおりから接近していた熱帯性低気圧の暴風圏の影響、とされていたが、一部情報筋によると日本国某省における特殊兵器の運用実験が元であるとの噂が取りざたされていた。
少年画報社より刊行されている月刊誌において、I.A.氏の独自の調査によるレポートがフィクションという形でなされていたが、レポート終了と同時に次の号においては突然の休載(※注1)、「単行本五巻の作業及び新章突入の為」と理由の書かれた一枚の休載通知イラストが掲載されるという事態が起こった。これは額面通りに受け取って良いものだろうか? 否、我々はここに陰謀の匂いを感じずにはいられなかった。
これを読み解く鍵は休載告知イラストにあった。イラスト中の梅崎嬢は何故かシャツの前面をはだけた状態でいる。これを読者サービスの為と一笑に伏すのは簡単であるが、幼女及び幼女体型比率が高いこの作品において梅崎嬢というのはいささか不自然ではないだろうか? これは梅崎嬢の着衣状態に事寄せて、氏の何らかの危機的状況を訴えているのではなかろうか? 更にこれを裏付けるのが梅崎嬢の背後に貼られたポスターの“まや”である。その頭にかぶっているヘルメットの十字マークは何を示すのか? これは危急の救援要請マークに他ならないのである!
おそらくこの暗号に気付いた何者かが少年画報社編集部に圧力をかけ、同号の女性裸体の露出率を意図的に引き上げさせることによりこの暗号の隠匿を試みたに相違ないと思われる。わざわざイラスト掲載を取りやめるのでなく、むしろ「木を隠すには森の中」的に雑誌全体を操作するところが実に巧妙である。
我々はこの工作に隠された事実を探るため、独自に調査を開始した。
捜査の基本は脚である。我々はいずこから調査すべきか悩んだが、イラストに描かれた梅崎嬢に意味が有ると睨み、綾金市のテレビ塔所在地へと向かった。

このテレビ塔(左図)のあるセンターパークの周辺地区は若者向けの店が密集しており、市内でも有数の繁華街である。また道路を挟む形で隣接するエンゼルパークの周辺には百貨店が揃い、この周辺には実に広い巾の客層が集う。事件は、その様な場所の午後8時頃に発生した。
しかし腑に落ちないのは、この周辺には飲食店もかなりの存在しており、8時以降も人気がなくなるということはないのである。梅崎嬢はこのような状況でいかにしてFPKを乱射するという乱行を見咎められる事なく行いえたのであろうか? 警察が駆けつけてはいるが、お役所仕事とは言えその対応はあまりに遅くはないか? この謎を解くため、綾金テレビ塔より数百M離れた梅崎嬢第一の狙撃地点のオブジェへと向かった。

テレビ塔所在地のセンターパークから歩いて5分程、隣接する「エンゼルパーク」の端にその船型のオブジェは存在していた(右図)。
取材当日は陽気の良い週末だった事もあり、オブジェの裾に広がる芝地では散歩途中の紳士らがくつろいだ様子で休んでいた。このように綾金市民に親しまれている場所で、果たして本当にあのような事件があったのか疑問が残る。我々は周辺状況を探る内、さらに幾つか奇妙な点に気が付いた。

左の写真はこのオブジェクトの下の部分であるが、このオブジェクトの下は見ての通り半地下の喫茶店になっている。営業時間を調べてみたが、夜八時まで営業のようであり、営業中のこの店の直上で気付かれずに狙撃を行う事は不可能であるように思える。またもう一つ腑に落ちない点があったのだが、これについては後述する事にする。

喫茶店には定休日というものが有り得る。また神楽のクライアントにより周辺に何らかの形での封鎖が行われていた可能性がある。とは言え警察は周辺住民の通報により駆けつけたと言っているわけだし、その封鎖は十分でなかったのであろう。
幸い我々の綿密な調査により、エンゼルパーク内(右図)に仮の居を定める社会的落伍者…もとい、ホームレスの方々から「銃声らしいものを聞いた」という証言を得る事が出来た。
その証言に意を強くした我々は、更に続けて当の舞台となった綾金テレビ塔内部への突撃取材を試みた。(下写真)

陽光を受けて燦然と威容を示す綾金のシンボルタワー。そのセンスはともかくとして、我々は事件の傷跡を求め取材という事は明かさずに入場料(大人450円(税込))を払い、同施設内に進入する事が出来た!
このテレビ塔では第一展望室、第二展望室の二段となっており、第一展望室と第二展望室の間は先のレポートの通り二本の直通エレベーターもあるが、外側の階段を使う事も出来る。(左写真)
取り敢えず我々は化け猫二匹と蘭東、田波の両名が交戦した階段を調べた。階段は取り敢えず金網で覆われ万が一の事故もないようになってはいるが、金網や階段の段の隙間から吹き込む風は高所恐怖症の者にとってはかなりきついだろう。上の金網を突き破りその上を駆け上るなどと言う事は記者には考えも付かないが、流石に数々の修羅場と高所を潜って来た神楽だけの事はある。しかし残念ながら惨禍の跡は完璧に修復されたらしく、今回の取材においては階段、エレベーター、各展望台においてその証拠を見つける事が出来なかった。
しかし驚くべき事実がここにあった。このテレビ塔は昨年(1998年)秋から冬にかけて、改修工事と称しその姿を一般の目に晒していなかったのである!
更に右は略地図だが、我々の取材した当時、テレビ塔と梅崎第二狙撃地点であるヒサヤ大黒堂の看板は隣接していなかったのである! 梅崎嬢がテレビ塔破壊、もといD作戦(縦)に用いたカンプピストーレの射程から考えてこの距離での射撃は有り得ない。またテレビ塔が倒れ掛かっても看板に届く事も有り得ない。
すなわちこれの意味するところは、「彼の破壊の後、ヒサヤ大黒堂のオーナーが第二の被災を恐れ看板の位置をテレビ塔から離れた場所に移設した」ということに相違ないのである! しかし破壊の対象が存在する以上、いつの日か第二、第三の神楽がまた破壊するであろう、という苦言を、この場を借りて呈させて頂こう。
それではこれだけ大規模な隠蔽工作が行われた今、レポートによりこの事件の真実を公表したI.A.氏の身に一体何が起こってるのであろうか? 我々にはそれを窺い知る事は出来ないが、不吉な暗示をする一文がヤングキングOURs1999年1月号にある。
「所員の被害は2%迄です」
この「2%」にI.A.氏は果たして含まれているのだろうか!? 我々にはただ氏の無事を祈る事しか出来ない。1999年4月30日に全国書店の店頭に並ぶであろう同誌に、氏が元気に彼のレポートの続きを掲載してくれている事を願おうではないか(※注2)
注1:実際には休載の前の号(1999年4月号)において1999年5月号休載が前もって告知されています。
注2:この記事は昭和74年4月27日に書かれたものです。文責は全て記者にありますが、この記事により生じた不都合に関しては一切責任を負いかねますので、各位ご了承願います。
注3:この記事に関するお問い合わせには一切お答えできません。特に「救援要請の暗号なら何故助けに行かないのか」とか「看板の位置は最初からあそこだった可能性があるんじゃないのか」などという「当ページの存在意義」に関わるツッコミの類は硬くお断りさせて頂きます。
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