1998年11月11日:管理人しば執筆
注意!ネタバレ有りですので、映画鑑賞後の一読を推奨します。

ここまでやるか!?
衝撃の戦争映画・プライベートライアン



  


  

監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:トム・ハンクス
   マット・デイモン
   トム・サイズモア


 浜辺に殺到する無数の揚陸艇へ向け、高台の要塞から、まるでダムが決壊したかのような怒涛の勢いで機銃掃射が降り注ぐ。十数人ほどが乗った揚陸艇の鉄の扉が開き、意を決した兵士が砂浜へ飛び出すか否かの瞬間に彼らの全てが蜂の巣、というかバラバラになって粉砕して行く。

 重くて固い超高速の灼熱した弾丸が束となって何千発もなだれ込んで来るのだから、たまったものではない。迫り来る鉛の壁となった圧倒的な攻撃の前では、人間なんて血のつまった豆腐、としか言いようがない。1秒も経たない間に、手足は消え去り、内臓は飛び散り、骨は砕け、グチャグチャに混ざり合って、それまで人間の形をしていた物は、1センチ角の生肉と血のスープごった煮フルコースだ。もはや戦争というより、粉砕人間バラバラ残酷コンテストのクライマックスである。かろうじて戦闘服であったとわかる、深緑色のボロキレと血肉のスープを乗り越え、後陣の揚陸艇が次々と海岸線へ向け突進し、扉が開かれるとまた同じように、一秒で人肉フルコースの大量生産サイクルが繰り返される。ほどなくして、それまで青い砂浜であった場所は、ドロドロの血液に満たされた真っ赤な海岸に変貌してゆく。

 その赤い波汐が打ち寄せるたび、手足、指、内臓、脳ミソ、大腸、小腸、肝臓、腎臓・・・ありとあらゆる肉片がボロキレとなりザブーーンと漂う、悪夢のような光景が見渡す限り遥か彼方まで続く。たとえるなら、9月頃に汚い浜辺を埋め尽くす大クラゲの屍骸をピンクに着色し、片っ端からミキサーで粉砕して、仕上げに100万リットルのトマトジュースを海水に混ぜた状態、といったところか。

 まるで雲の中であるかのような凄まじい硝煙に視界が遮断されつつ、遠くかすかに見える敵の要塞へ向けて、生き残り上陸した兵士が進撃を開始する。ここでも、人間バラバラコンテストは飽くことなく繰り返され、砕ける脳髄、飛散る血しぶき、密閉された屠殺場のような猛烈な血の匂いの中、戦うというよりバラバラ死体になる為のバーゲンセールに我先にと飛び込んで行くようにしか見えない戦場、1メートル進むのに100人の死者を出すこの戦場はまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図である。

 血の海岸線、へたに弾を受けて負傷しつつ生き残ってしまうのは悲惨である。こんなに長いのかと驚くほどの大腸を地べたに引きずり、呆然と立ち尽くす兵士。腰から下を失い、あまりの激痛に絶叫しつつ母親の名を繰り返す兵士。片腕が吹っ飛び、そこらじゅうに転がっている無数の腕をくっつけようとする錯乱した兵士。彼らもまた数秒後には雨アラレのように銃撃を受け、ミンチ肉へと還元して行くのだ…絶句。スクリーンに映っている兵士の目線からの戦場が、もはやこの世のものとは思えなくなってくる

 これまでが、上映開始から大体30分間の内容である。別にわざと残酷に描写したわけではない。実際にこのような内容なのだから仕方がない。もはやこの時点で、
「8人の精鋭が命を賭けて1人の新米兵士を救出することの矛盾」
という、この映画の見所などどうでもよくなってしまう。コンピュータ上で展開されたハイテク湾岸戦争、ランボーが全てを解決するヒーローの戦争、漫画、アニメで描かれるかっこいい戦争、これらの、私達が日常心の中に思い描く戦争観を、この上映開始から30分の間で全て破壊してしまう力をこの映画はもっている。そして、徹底的なまでのリアリティと血生臭さによって、この破壊力がハンパなものではなくなっているのだ。これまで作られたあらゆる戦争映画の戦場描写は、実は相当に美化されていることに気が付く。

 戦場で、人はどのように死んでゆくのか?

 そこには、くだらんヒロイズムや陳腐な死の美学など微塵も存在せず、なぎ倒される血と肉しかないという、無残な現実だけがある。人間の尊厳などへったくれもなく、本当に恐ろしい限りである。今まで誰もが描き得なかった、記録映画すら超えているかのようなリアルにして客観的に撮影されているこの映画、今世紀最高傑作というのは嘘ではない。見終わったら気持ち悪くなって、しばらく生肉を見れなくなる覚悟のある人なら、暇があったら一見をオススメします。