いままでのあれやこれや*母の記録*

「普通じゃない、、」という言葉はどう考えても「正」のイメージではありません。

『あなたの子供は普通じゃないので「普通学級」には入れません』

はっきり言われなくてもそういうことだろう、というどっかでスネたような感情はありましたが、
それはこの「普通学級」と「特殊学級」という「言葉のイメージ」からくるものなのでしょう。
「自閉症」という言葉!変えてよっ!て言いたい
(自閉はピンとこない。颯太はぜんぜん閉じこもってない自開症なのに。)

実際、颯太には足し算、引き算、ひらがな、かたかな、を学ぶよりも
もっと学ばなければならないことが山のようにあるのでした。
みんながなんなく身に付けて行く
『人と人との関わり』『人はそれぞれ違うことを考えている』
「自分以外の人の感情」を「顔の表情」「動作」「アイコンタクト」から学んでいかなくてはならないのでした。
普通になるんじゃなくて(なれないので)普通を覚えていかなくちゃならないのでした!

それは全く、宇宙人が地球人になりすます技を覚えること

それでも地球人にはけっしてなれないのですよね



小学校1年の頃

颯太が特殊学級に入ったということで、私は今までやってきた「普通になること」「普通にならなければいけない」という金縛り状態から抜け出すきっかけになりました。(今日明日で変わるって、そんなに簡単にいくわけじゃないですが、ほんとに、きっかけにはなりました)

頑張るのは私じゃなくて颯太で、普通の人のように振る舞えるようになったとして本人が幸せになれるのかというと、人それぞれ「幸せ」も違うので
「普通」を真似できるようになったからって「どうだ!これで幸せになれるよ!よかったね、颯太!」というのも実は幻想なのかもしれません。

とはいえ、まずは「普通」という名前の付いた「普通学級」というところに入らなかったことで、私としては大変に気楽になってしまったのでした。

学区外の学校ということで、毎朝8時までには車で学校に行き、教室まで私が送ります。保育園より少し遠いので時間はかかりますが、ほとんど保育園の延長という感じ。
颯太は新しい遊具のある運動場、部屋にもソフトブロックがあったし、学校は大好きな所になりました。

月チーム
颯太のクラスです。
6年/1名、5年/2名、4・3・2年/各1名、1年/2名(颯太とT君)。担任2人

星チーム
5年/1名、4・3・2年/各2名、1年/1名(Y君)。担任2人

縦割りのクラスで先生は2人。
颯太とT君(同じ1年生)の担当は年輩の女の先生でF先生。
このF先生は普通学級の1年生クラスの担任を長くやっておられた方で、
特殊学級は初めての担当ということでした。
自閉症には詳しくなかったのですが言う事を聞かない子供の扱いに慣れてるようでした。
毎日の連絡帳にも颯太を誉める言葉をたくさん使ってくださいました。
ずっと誉められることのなかった私は連絡帳の数行の言葉に胸が一杯になりました。大袈裟に書くと、ここに居てもいいんだなぁ、生きててもいいんだなぁ、そう思って、うるうるしちゃいました。

だって、障害児って手がかかるだけで社会にとってどうして必要なの?って
みんなから「そういう目」で見られてると思った事ないですか?
あるいは、自分でもそう思った事ないですか?


「お話がすすんでできます」

「集中する力があります」

「今日、みんなで畑の絵をかきました。とてもいいアイデアを出したので認めて誉めました。」

「自分で書くといったので連絡を書きました。ひらがなをよく覚えていると思います」

『そうたくんには、『ほめられる経験』が、今、最も必要なのかもしれません。自分は悪い子、だめな子ではないと思わせることが将来において自分を大切にしていける力となりますね。その度、ほめ、評価される経験を積み重ねていきましょう』


いつかきっと世の中のためになる子どもに育って欲しい、
と欲深く思ったりしました。

F先生は自閉症への先入観なく颯太の指導をされてたようで、学校生活がとてもうまくいきました。とても座っていないだろうし、勉強どころではないだろうと思っていたのに、国語のノートも、算数のノートも毎日ちゃんと使ってありました。5月に入ると連絡帳も颯太が自分で書くようになりました。一年生の漢字もちゃんと覚えていきました。

F先生が一度だけ「大変だった」と話してくださったのは、すっかり慣れて来た10月の学芸会の予行練習。
体育館は暗くて、1年生から6年生まで初めてそれぞれの衣装をつけての練習。F先生は今から何があるのか告げずに1年生ふたり(颯太とT君)
と手を繋いで体育館へ。
「なんだーー!おまえらっっ!いったい何やってんだよーーーっ!
なんだ!そのかっこうはっ!ばか!ばか!ばか!」
体育館に入ったとたん『変身もの』が苦手な颯太はみんなの衣装を着た姿にパニックになり暴れまわり罵倒し続けたのでした。
F先生は押さえ付けるのにほんとに困ったそうです。

「いつも落ち着いてて出来るものだから油断してました。
事前に何が行われているのか教えておくべきでした。」
同じ自閉症でもカナータイプのT君は暴れることもなく静かに見学。
反省しきりのF先生にちょっと愉快になりました。
(あなどれんぞ!アスペくん!)

それでも、安定した生活の中で、青い鳥の杉山先生からも「小学校時代は黄金期だから一番ゆったりとした生活が送れますよ。」というようなことを聞きました。


小学校2年の頃

月チーム
颯太のクラスです。
1年/6名、2年/3名(颯太、T君、Y君)。 横割りクラスで担任は3人。

星チーム
3年/4名、4年/1名。担任1人。

宙(そら)チーム
4年/2名、5年/3名、6年/3名。担任1人。

なんと、この年は新一年生が6人も入ったことで特殊学級が大きく変わりました。下級生の面倒なんて見られない颯太や他の二人はやっと落ち着いた学校生活に落ち着かない1年生(ほとんど自閉症ばかり)が加わったことで、一年生の初めの頃のように立ち歩きが目立つようになりました。

落ち着いて授業ができるように別室のミニ図書館を兼ねている「メルヘンランド」という教室に二年生だけを先生ひとりが連れていくようになりましたが、そのメルヘンランドという新しくて違う場所に慣れる為に一学期中を費やすことになりました。
どのノートも進まなくなり、1年の時の颯太を知らない新しい先生ばかりだったので宿題も一年の時やった「なぞり書き」の迷路などのプリントが出されたりと、大丈夫かなぁ〜という感じでした。


「疾風トホホサーカス団」

1998年の12月

話が少しそれますが、この年はインターネットというものを始めた年でもありました。
欲しい情報があっという間に手に入る!!

意気込んで「アスペルガー症候群」って打ったら検索で出てくるのは辻井先生のサイトと、アスペルガーの館さんのサイトしかありませんでした。
自閉症のサイトは充実していましたが、アスペルガーという障害名が出ているのはこの2件だけだったのです。
なんだか大変な障害を抱えてる気になってきました。

『滅多にないやつかもしれない!』

同じアスペルガー症候群の子を持つお母さんと話がしたくてしかたありませんでした。ひとりぼっちにはなりたくなかった。

そんな時「もとのぶの部屋」というHPに出会いました。
モトノブ君は生後8ヶ月の時、高熱と痙攣発作から脳炎を起こし身体機能を失ってしまった男の子でした。写真を見ると17才にしてはとっても華奢で小さく見えます。

『身体機能を失ってしまった』こんな風に書くとなんだか冷たい感じ。
モト君の身体は自由に動かないけれど、お母さんにたっぷりの愛情を注いでいました。そのHPはモト君の愛とモト君へのお母さんの愛情がいっぱいつまったところでした。障害を持つ子どもを育てることの何かを、私は少し見つけた気がしました。(モトノブ君は享年18歳で天使になりました。いつまでも忘れないよ。君のこと)

そのHPを読みながらたくさんたくさん泣いて、親への愛情というものを本気で感じられないかもしれない颯太(自閉症という障害ゆえに)へ、一方通行でもいいから、私からの愛情を与えていこうと思いました。
そうして、まずは今までを振り返って自分の気持ちや、これまでの良かった事、悪かった事、すべてを整理して颯太と向き合おうと思ったのです。

「もとのぶの部屋」の掲示板でモト君のお母さんからレスをいただいたり、メールのお返事をいただいたりして、障害児のためのネットの場をありがたいと思いました。


そうして1999年6月には「疾風トホホサーカス団」をアップすることになりました。


その少し前、辻井先生のHPの掲示板でペンギンさんという方がHP(今ではとっても有名な『ペンギンクラブ』です。)をアップしたという書き込みを見て、私も掲示板へ書き込みをしてみました。


『どなたか、アスペルガー症候群の子どもを持つ家族のHPを知ってたら教えて下さい』


情報への返事はありませんでしたが、もやしさんという方からレスがありました。娘さんがアスペで、同じように苦しんで育てていた方で、このレスがほんとに嬉しかったのを覚えています。
なんとなくもやしさんもHPを作ってるんだなって感じがして、同志のような気分で私はもう「がんばるぞーーっ!」って、もやしさんの刺激が力になっていきました。

もやしさんは「さくらの家」というHPを立ち上げました。
トホホにとって姉妹サイトだと勝手に思ってます。いいかな?もやしさん。

見た事も会ったこともないこのネット仲間が私をどんどん変えていった気がします。霧が晴れていく気がしたのです。そして仲間が見えてくるんです。

これを読んでいる皆さんも、決して『ひとりではないのだ』と感じてください。父親よりも母親はひとりで抱え込む傾向があります。
ひとりで泣いて混乱していく母親。

まずは私たち母親が明るくなれるように、自分を見失わないために助け合いましょう。「がんばれ!がんばれ!」とそんなに責めないで・・・。
頑張って助けて欲しいのは私たち母親。


私はまずお母さんを救ってあげたい。


でなければとても我が子を助けられないでしょう?

ついに前回の記録から2年もほったらかしになっていた母の記録。
久しぶりのアップとなりました。
(小学2年の続きはまだ続くんですけど〜。)
この2年で私はどんどん変わり、今ではアスペの子供達を楽しむようになっています。
これはこの2年の間に力をいただいたネットの仲間のおかげです。
「宿帳&きまぐれ日記」に来てくださる皆さんのおかげです。
それからメールをくださるたくさん方々。
皆さんの悩みにお返事をしていくうちに自分の心も見えてくるような気がします。
ほんとに皆さんありがとうございます。

颯太が生まれて10年。
障害を知ってすぐに「神様が私を選んで与えて下さった子どもだ」
なんて思えないです。
夢だと思いたくて、それでも子どもは消えてなくならなくて。
現実を恨んで、それでも生きて行かなくちゃならなくて。

とってもたくさんの時間が必要です。
何もかもを理解するには時間がかかって当たり前なんです。