いままでのあれやこれや*母の記録*

就学を前にして、夫婦で意見がまとまらないというのはよくありません。
当たり前のことのように思えるこのことが我が家の場合、最後までうまくいきませんでした。
結果的には私の「普通学級に対する不安や人に迷惑をかけたくないという気持ち」が
主人の「なんとか普通学級で・・」という意志を
学校側へ強く伝えられないようにしてしまったのかもしれません。
これから小学校入学を控えるアスペッ子のお父さん、お母さん、
お互いの気持ちを十分出し合って、一丸となって
立ち向かっていってください。



就学時健診!(6歳・年長さん)

頼みの綱だった薬の効果でしたが、どれも保育園の先生からは中止して欲しいと言われました。「薬を飲んだ日のほうが元気がいいみたいなので。」というお話でした。
普通学級でやっていくつもりなら今のうちにいろいろな薬を試してみたかったというこちらの気持ちもありましたが、園の先生の顔色をうかがうとそこまで言い出せずに諦めました。

先生の意見も私達の意見も少しもまとまらずにいましたが、しっかりと就学時健診の案内は、学区のI小学校から届きました。
私はといえば、颯太に「お父さんの名前は?お母さんの名前は?」「うちの住所は言える?」いったい何を教えておいたら合格するんだろうと私立の小学校でもないのにその日をお受験日のように心配していました。
病名が付いたから特殊学級にしたほうがいいのか?それほどこの子は普通の子と違うのだろうか?学校から「大丈夫!」と言ってくれないかなぁと儚い期待も持っていました。

就学時健診は学校との交渉になるだろうと思い、主人も一緒に行ってもらうことにしました。父親まで同伴で来ている子は2組ほどでしたので、主人は居心地の悪そうな様子でした。颯太は健康診断からもどって「ぼくね〜、おりこうにしてたよ。」とごきげん。
何事もなく過ぎていくような雰囲気でしたが、親子面接の時に、これまでの成長の経過を「2歳半から市の療育のほうへ・・」とひとこと言った時点で、即座に「あっ、そうですか。では、お話があると思いますので
校長室の方へお願いします。」ということになり、列から外れて誰に案内されるでもなく、トボトボと3人連れ立って校長室を探しました。

さっきの先生は颯太を見て何と思ったんだろう?
療育に通っていた・・という言葉だけで判断しているんじゃないかしら。
ちゃんと挨拶をした颯太を見てくれたんだろうか?
療育はなんだったのかな、ただの足かせになっているんじゃないだろうか。
同じ1歳半健診でひっかかった子のお母さんが、「療育に誘われたけど断わってやった!」という言葉も思い出しました。
嫌なことばかりを考える。悪いほうへと向かう気がする。

主人はこの学校へ入れてもらおうと張り切っていたけど、私は颯太がまたヘマをしでかすんじゃないかとビクビクしていました。
どの先生も颯太を喜んで受け入れてくれるなんて言うわけがない。
嫌われることはあっても好かれることなんていつだってない。
そう思いながらもチラっとN先生の優しい笑顔が浮かびました・・。

来客があった為に校長室の前で少し待たされました。
颯太はすれ違う先生方にやたらと声をかけて楽しそうにしていました。そのままの勢いで面接は失敗することになるのですが、待たされなくても結果はきっと同じだったでしょう。
校長室に入ると、女の先生が来客用に出されていたお茶菓子を下げていくところでした。目ざとく見つけた颯太は「ぼく、おなかすいた〜〜」と大声で言いました。主人が懸命に「なんとかこちらで・・」と話している横では、
ふかふかクッションのソファでポンポン跳ねている颯太でした。
「ちょっと見たところ元気がよさそうなお子さんですね。」と校長先生。
主人は「落着きのないのも10歳前後には、なんとか治まっていくと言われてますので」と食い下がっているけれど、校長先生からは
「じゃあ、落着いたらこちらに来てもらうということにして・・」
「T小学校の特殊クラスを一度見学されたらどうですか?あそこの校長先生はよく知ってますが、良い先生ですよ」とおっしゃいました。

帰り道はまた私のグチを颯太が泣きながら聞いているという落ち込んだものでした。
「うちに帰ったらまたボコボコになるの?」と颯太がこちらの様子を伺ってます。どうして、こんなにも怒って何を情けなく思っているんだろう。
教育をうける義務と権利。
まるで、差別の中にいよいよ入っていくんだな、という気分でした。


特殊学級見学!(6歳・年長さん)

一度特殊学級を見ておくのも悪くないかもしれない。
入れるつもりはないけど、見てみるだけなら。
I小学校の冷たさにちょっとだけ心細くなっていた親子でした。

T小学校は特殊教育にも力を入れている市内でも評判の良い学校です。
私達が見学に行った時はちょうど「生活」の時間でした。普通学級の1年生の子達はざわざわしながらもなにか話合いをしていました。けっこうみんなちゃんと座っていたりするものです。
もう2学期も終わりに近いので、学校にも慣れてきてるんだな、と思いました。この行儀のいい様子も私達に見せたかったのでしょう。

いよいよ特殊学級。
みんなで魚釣りゲームをしていました。
特殊学級は2クラスあり、縦割りで1年から6年までの生徒が一緒に勉強しています。はっきり言って逃げ出したいほどのショック。
たまたま生活の時間ではあったのですが、あまりにも幼稚なことを高学年の子までもがやっているというショック。
ここで、颯太も同じ事をやっていくのかと考えたら、もう普通級には戻れないだろうと思い知らされるほど落胆しました。
優秀な子に育って欲しいなんて思いません、障害があるとは言われても、それが悪いことだとは思わないけれど少しでも「普通」に近付くことはとても大切なことに思えるのでした。ニコニコと顔は笑っている私を見て、こんなにもショックを受けてるとは先生も思っていなかったでしょう。

後で知った話ですが、障害が軽度の(LDの子など)高学年の生徒からは
「なんでこんな幼稚なことをしなくちゃならないんだ」と陰で文句も出ていたようです。
私は単純な人なので、見たままで判断してしまったんですが、自閉傾向にある子や知的障害を持つ子どもには、抽象的な言葉を理解するのが困難で時間がかかるということ。揺れる、ゆっくり、そーっと、早い、遅い。
なにげなく使っている言葉を理解するにも体験させることが大事なことだったんです。

校長先生とは2時間以上も長くお話させていただきました。
学区外に通学することで、近くの友達ができなくて孤立するんではないか?
という私の心配にも、特殊学級の中でも友達はできるということ、
「じゃあ、お母さんは小学校の頃から付き合っている御友人はいらっしゃいますか?今、颯太君に必要なのは友達と遊んだり、関わったりすることではないと思います。もっと長い目で見ていってくれませんか?」

校長先生は生徒の様子を気にかけて、暇さえあれば学校中を歩き回り教室を覗いたり、休み時間には子どもに話しかけていらっしゃいます。
御自身が母子家庭で育ったことで御苦労されておられることもその時の話合いで聞きましたが、その経験が細かいところまで気をつかい、弱者にも優しい先生となられたのかもしれません。

颯太は職員室までフラフラ出掛けて牛乳をもらって飲んでいました。
先生方も颯太に優しく声をかけてくださっています。
I小学校との応対の違いに普通学級への決心が揺らぐようでした。


揺れ動く就学問題(6歳・年長さん)

定期的に通っていた青い鳥の診察でも就学のことは大きな問題でした。
特殊学級を薦められているという話に「このへんは厳しいからね。」と言われたので、「こちらの気持ちとしては、もし今のところで普通学級が無理なら実家のほうに子供だけ籍を移してでも普通学級に入れてあげたい」と言いました。杉山先生はかなり驚かれたようで、
「どうしてそんなにしてまで、普通学級にこだわるのかなぁ」とおっしゃいました。

当時、先生の偉大さをまるで知らない私はその言葉が信じられませんでした。普通学級にこだわるのはどこの親だって当たり前のことではないの?
小学校で特殊学級に通ったというのは大変なことでしょう?療育に通っていたというのとは訳が違う。けっして消えなくなってしまう!一生このことは颯太の汚点(?!)となっていくし、将来親を恨むかもしれない。
堂々巡りのように先生方の話、利点や欠点を思い浮かべては毎日眠れない夜が続きました。

でも、杉山先生のこの一言は常に頭から消えることはありませんでした。
自閉症の本を読むたびに、保育園の先生の困った顔を見るたびに、私は「普通学級にこだわっている自分」「世間体を気にしている自分」「障害を認めたくない自分」を改めて発見し、恥ずかしく思うようになりました。
杉山先生が子供のことを考えて話してくださっているのとはまるで違う自分中心に考えた私のこだわりを見つけることになりました。

I小学校に入れたとしても、辛い日々を送っていくのは颯太だろう。
ただ通ってるだけの学校にしてしまっていいの?喜んで受け入れてくれる場所ではないところに颯太を押し込んでしまってもいいの?
保育園の年長さんで大きく崩れた生活をこのまま続けていっていいの?

今までのらりくらりと乗り越えてきた山は、今度こそはとっても大きい山で乗り越えられそうもありませんでした。


教育委員会との話合い!(6歳・年長さん)

教育委員会の方が二人、我が家においでになりました。
主人はどんな風に思っていたのかわかりませんが、私はもうお任せするしかない、学校に受け入れる器がなければ颯太はとてもやってはいけないだろう、と思っていました。

主人はできるだけ「普通学級で、、」とは話していましたが、
かなり難しいだろうことは気付いていたでしょう。
話合いの中で、I小学校の普通学級か、T小学校の特殊学級かに絞られてきました。ちなみに学区のI小学校には特殊学級はありません。
本当は特殊なら、T小学校よりもH小学校の方が近いのですが、これは私たちの希望で、委員会の方も「いいでしょう」と受け入れていただきました。
ただ、私たち親の意見もまとまっておらず、私も主人も二人とも、本当は普通学級の方がいいんだけれど、どうしてもI小学校のあの応対には心底落胆していて、そして、T小学校の親身になっていただいた先生方のお世話になりたい、というのもありました。どうしても結論が出せないでいました。

教育委員会の方は、「では一度、S保育園に伺って、児童相談所にも連絡をとって、I小学校とも話を聞いてこちらから御連絡します。」
と言って帰っていかれました。
親が「どうしても!」と言わない限り、特殊に決まるのは分かっていましたが、颯太に優しい学校を選んであげたい、と思いました。

1ヶ月くらいして
「T小学校の特殊学級で・・」という電話連絡がはいりました。

長い、ほんとに長い年長さん時代でした。
学校が決まってからは私の颯太に対しての虐待もすっかり消えていました。
(口うるさいのはなかなか治りませんでしたが、、)
それでも、颯太の恐怖は消えず、学校に入ってからも
「家に帰ったらボコボコになるの?」と何度も私に尋ねるのでした。
私が手を上にあげれば身構える子どもになっていました。


悪夢の入学式!(6歳・小学1年生)

颯太を含めて特殊の新入生はみごとに体育館の床に寝転がってくれました。
特殊の先生が付いて押さえていなくてはどこに走っていくのかわからないような状態でした。
この時になって初めて「この学校にしておいて良かった」としみじみ感じたものです。
学校で学ぶのは颯太の場合、まず勉強ではないんだなと校長先生の話を思い出していました。
どんなに失態をみせられても、なんだか私の気持ちはホッとしてました。
最悪の入学式の状態を見せられても、今までは私自身が無理に周りに合わせようと思いっきり肩に力が入ってたんだなぁ〜・・と振り返っては後悔していました。颯太を悪者にしていた自分や周りの人間こそ悪者だったんじゃないかな・・と考えていました。

なかなか続きを書く事ができませんでしたが
(知る人ぞ知る、、なぜかは深くきかないでぇ〜〜)
なんとか小学校入学まできました。
就学時期のまっただ中でアップしたくなかったというのもあります。
みーーんなには普通学級でがんばってもらいたいからです。
それぞれの地域差があると思います。この辺は確かに厳しいです。
辻井先生からは「ど〜して特殊にしちゃったの?」と言われました。ほほっ。
私の実家のある田舎にいけば、普通学級で十分やっていけたかもしれません。
でも、街にいることで特殊教育を受けられることも
またラッキーなことだと思います。

それからインターネットを始めたことで、
私自身ひとりでは悩まないで、障害を暗いものだと考えずに、
的確な判断のできる人間に近付けると信じたいっ!
障害を偏見をもって見ることはなくなったにしても
いざ、自分の子どもの事となると狼狽えるものです。
母の記録ですが、気紛れに続きが増えてるかもしれません。