いままでのあれやこれや*母の記録*

アスペルガー症候群という診断名を知ったとしても、
ただ、何それ?と思ってたり、じゃあどうすればいいの?
という疑問ばかりでした。
それは、今も少しも変わっていないのかもしれません。
ただ、まわりを気にして颯太に辛くあたっていたあの頃の私には
二度と戻りたくないという思いでいっぱいです。
それにはアスペルガーという障害をもっと知らなければなりません。



アスペルガー症候群!(5歳・年長さん)

颯太はやっぱりこの部屋にあるトミカの玩具に飛んで行きました。
今回はおまけに箱に入っている他の玩具も次々に出してしまいました。
後でかたずけるのが大変だな、と思っていると、その先生は突然「はい、アスペルガー症候群です。」と言いました。
私が「えっ?」と言うと
「自閉症候群の中のアスペルガー症候群です。」と言いました。
自閉症という言葉は何度も聞いたことがありますが、アスペルガーなんて聞いたこともありません。
「あの〜、自閉症とどこか違うんですか?」と聞くと先生は何か書いてくれました。

読み難い字でした。

自閉症

 1.生れつき
 2.社会性・双方向の交流
 3.コミュニケーション
 4.興味・こだわり

 124のみ・・・アスペルガー

 123のみ
 4なし・・・非型立(自)

 自閉症グループ


たぶん、こんなことが書いてあると思います。
手元にあるんですが、個性的な文字なので。

本題の就学問題はすっかり忘れて、そのアスペルガーという病名のことを尋ねる事になりました。自閉症は人と関わることを嫌がるけれど、颯太はどんな人にもすぐ声をかけます。

「これもその病気のせいですか?」
「はい、そうです」
「この間は、歩道じゃなくて車道を歩いてた人に
いきなり注意したんですけど、それも障害のためですか?」
「はいはい。そうですね。」

私はアセってしまって、今まで自閉症だと言われたことはありません!だとか、コロニーでも普通だと言われたとか、弁解しましたが、先生はただ困った顔をしただけでした。
次に多動が問題だということで、「学校に入る前に薬を飲んでみますか?」
と言われて、薬で多動が治るなら、ぜひ飲ませたい! ということで次回は脳波の検査になりました。100%薬が効くわけではありませんが、保育園の先生になんとか認めてもらいたいと思い、薬の効果に期待していました。

杉山先生は、アスペ・エルデの会のお話もしてくださいました。
「小学生になったら会員になれますからね。会に入ればこういう子供がたくさんいますよ。」杉山先生は自閉症なんてたいしたことないという雰囲気で会話をされるので自閉症候群だというものすごい(と思う)病名を聞かされたのにそれほどの落ち込みはありませんでした。

次の予約日を先生に決めていただいてその日は帰りました。
「アスペルガー症候群」
この名を初めて知ったのはこの杉山登志郎先生の短い診察の中でした。

主人もこの聞き慣れない病名に「治るの?」と、今思えばとぼけた質問を私にしてきました。まるで知らないこの名前です。
本屋へ行ったり図書館へ行って、資料はないかと探し歩きました。
ハンス・アスペルガーという人の名前と数行の説明は見かけましたが、アスペの本はどこを探しても見つかりませんでした。


地獄の年長時代(5歳・年長さん)

保育園では毎日「お昼寝」の話を聞かされます。
「颯太くんがみんなを踏みつけて歩く」とか「なかなか寝ない」とか。「Y君も寝かせなくちゃならないのに、颯太くんは私の手を握ってないと寝られない」とか。

お昼寝用のタオルはみんな風呂敷で包んでいます。
縛る練習もかねているからです。先生からは「颯太君はまだちょっと、無理なので袋にしてもらえませんか?」と言われました。

できなかった「どろんこ遊び」や「粘土遊び」、「敬老会」や「お茶会」での失敗話。誉めてもらえることは、ほとんどありませんでした。
普通学級でやっていくのは無理ですよ・・・
という暗黙の忠告が保育園側から伝わるようでした。
問題児をこの園から出したくないという気持ちも先生から感じられました。

なんだかどうでも良い事なのに、私は「どうもすみません」と毎日謝っていました。毎日謝り続けて疲れてきました。先生も疲れて見えます。
お迎えの時、こっそり覗いた教室では、Y君はすでに職員室へ行ってていません、先生が一人だけみんなの輪から外れている颯太を引っ張っていくところでした。「アスペルガー症候群」の名はまだ伝えていませんでした。
きっと「ああ、やっぱり」なんて言われてしまうだろう、と思いました。
悔しくて言えませんでした。

私はお迎えから帰ると時々お酒を飲むようになりました。
始めのうちはそのまま泣きながら寝ていたりしたのですが、そのうち颯太に文句を言うようになりました。今日できなかったアレやコレや、先生に聞かされたことを颯太に怒鳴りつけるようになりました。
颯太は聞いているのか、いないのか「はーい、ごめんなさーい」と言います。ムッとしました。全然気持ちがこもってない!
ブロックで遊びながら返事をしています。思わず叩いてしまいました。颯太はビックリしましたが、こっちを見ました。
こっちを見たことが、私をホッとさせました。
また、颯太にブツブツお説教を始めました。また聞いていません。

いつのまにか園からの帰り道、自転車に乗りながら私のグチは始まるようになりました。延々と続く私の怒りを颯太はほとんど無視しています。
毎日お酒を飲んでは颯太を叩くようになりました。
泣きながらこっちを見る颯太は「普通の子供」に思えました。
目がこちらを見ています。
怯えた感情が見えます。私は満足していました。
泣いて逃げ回る颯太を私も泣きながら引きずり回し、机に顔をぶつけたら唇が切れて血が流れ、腫上がりました。それでも私は「どうしてお昼寝をしないでみんなの邪魔をしていたの!?」と叫び続けました。
保育園に行けるような顔ではなかったので、次の日はお休みしました。

外では優しそうなお母さんを演じ、家では鬼のような母親になっているのが
自分でもわかっていましたが、普通学級に入る為にはどうしても落着いて先生の指示どうり動く子供にしなければなりませんでした。
(どんなにくだらない決まりでも守らないわけにはいかない!)
颯太が恐怖の中で人の言葉を理解するのなら、そういう方向でもかまわないと思いました。


園との2回目の話合い(5歳・年長さん)

園の先生との2回目の話は主人と一緒に行く事にしました。
寝耳に水のような「特殊学級」の話でしたのが、主人は強硬に普通学級に入れるつもりだと言い続けました。名古屋の精神科医から言われた、「通学団でいっしょに通うことやお友達をつくることが大切」という言葉は私達の心に根強くありました。

私は「もし、I小学校が無理だとおっしゃるのなら、私の実家のほうの学校に入れようかという気持ちもあるんですけど」と言ってみました。
先生は「えっ?隠してですか?」と言われました。
隠して・・いったいどういう意味でしょう。颯太はこのままの人間ですし、
何か隠すような後ろめたいことがあるんでしょうか?
それでも、アスペの名前を先生に話していないことは確かです。

「今までのことはちゃんとお話しますよ。療育に通っていたことなど、全部お話します。」ちょっとムキになって弁解していました。
先生が「隠して」と思ったのは、もしかして私がアスペの名を出さなくても
療育からは「自閉症」という肩書きで入園していたからなんだろうと思います。杉山先生から診断していただいたのが私達にとっても初めてでしたし、
アスペのことも解り難く説明しづらいので、自閉症ということは誰にも話していませんでしたが、それでも小学校の就学時検診では、名前の欄にしっかり「自閉症」と書かれていたようです。

園での2回目の話し合いは、「もう少し様子を見ていきましょう。11月頃までにまた考えましょう」ということで終わりました。
主人は普通学級、S先生は特殊学級。
とにかく平行線で、話がまとまることはありませんでした。
私は田舎の学校に逃げたいとばかり思ってました。
それが颯太にいい事かどうかじゃなく、このゴタゴタから逃げられればよかったのです。


ほんとは書きたくなかったんです。
実際はもっとひどいことを颯太にしていましたよ。懺悔。
主人からは実家に帰って少し颯太の面倒を見てもらったらどうか、と言われ
実家に帰れば「そんなにガミガミ怒っていたらみんなが嫌な気分になる」
「颯太が可哀相だ」と私はすっかり悪者で、
颯太だけを実家に預けることも何度かありました。
思い出したくもないひどい頃でした。
今就学問題でガンバっている皆さん、自分に負けないでください!
と、こんな私がいえる立場ではないですね・・・。
できるだけ早く次を書きたいと思います。
まだまだ就学問題は続く・・・。やれやれ。