いままでのあれやこれや*母の記録*

特殊学級に対する知識のなさと偏見で、大変なショックを受けた年長の頃です。
颯太は相変わらずの多動で、保育園の「お茶会」では
知らないおばさんに話しかけて迷惑がられています。
その様子を見ても「そうたの性格」と信じていましたし、
アスペルガーの名もまだ知りませんでしたので、
障害を認めないとか、隠すとかではなく
どうして特殊学級なんだろう?と思いました。



第二青い鳥学園での診察(4歳・年中さん)

のんびりした毎日が続きましたが、お産を理由に一時中断していた名古屋のクリニックへの通院の代りに近くの精神科にも行ってみることにしました。
ほんとはこのままの診察にちょっとだけ無意味なものも感じていました。

心身障害児療育センター「第二青い鳥学園」、昔から知っている有名な病院です。まさか自分の子どもを連れて行くことになろうとは思ってもみませんでした。精神科以外にも整形外科など健常の方も診てくれる病院ですが、そのことはあまり知られていません。

颯太が4歳。年中組の6月でした。
中に入ってみると、いきなり重度の障害で車椅子に苦しそうに座っている子ども。テレビのチャンネルを変えては叱られ、それでもやめない子ども。
付き添いの親より身体は大きいけれど絨毯のゴミを拾い続ける人。
今までの病院は個人病院でしたので出会う人も少なかったけれど、こちらは県立の病院ということもあって、ごった返した待ち合い室は颯太の多動も気にならないくらいでした。

診察まではかなり待たされましたが、その間に今までの子どもの様子を書き込むように問診表を渡されました。軽い気持ちで行ったのでもうほとんど覚えていませんが、初語は何歳何ヶ月でしたか?  何と言う言葉でしたか?
オウム返しはありましたか?好きな遊びはなんですか?  現在困っている行動はありますか?親族に同じような障害をお持ちの方はいますか?
・・・のような質問だったと思います。
そういえば、療育でも、普通の子どもの初語は「わんわん」や「まんま」
に対して、自閉症の子どもの場合ほとんどが「いや」という言葉だと聞いたような記憶がありました。

医師の診断を受ける時に、このような問診表へ書き込むことはよくありますが、ここはかなりの量だったので自分の順番がきてもまだ書き終えてない程でした。一番の問題行動に、「多動」と書きました。
「列に並んだり、直立の姿勢は2秒と保たない。この子はADHDに違いない。」そう思っていましたが、ADHDのことも本を一冊読んだ程度の知識しかありませんでした。

診察室に入ったら、若い女の先生が座っています。精神科の先生といえば、年輩の男の方と思っていたのでちょっと意外でした。
颯太は部屋に入ると、すぐにトミカの立体駐車場の玩具に夢中になっていました。
「多動で困ってるということでしたか?」と聞かれて、
とにかく今までのことなどお話しました。でも、帰ってきた言葉は、「多動の子どもはもっと動きまわってこんな風に玩具でいつまでも遊ぶことはないですよ。もっと落着いてくると思いますし、就学時期になにか困ったことがありましたら、いつでも来てください。」
拍子抜けした感じで、診察は終わってしまいました。
前にコロニーへ行った時にも「この子『うん』って言わないんですけど、、、。」と相談したら「颯太くんなら、教えれば『うん』くらい言いますよ」なんてガクッとくる答えが返ってきたことがあったな、、と思い出しました。

ここでも診断名はもらえずに、主人が「どうだった?」と心配してかけてきた電話に「別に、なにも言われんかった〜」と答えるしかなく、みんなからは「考え過ぎ!」「ただ『遅れてる』だけなのに大騒ぎしてぇ」と責められました。青い鳥学園に行く、ということに抵抗があるのは私よりもむしろ身内のほうだったと思います。


S保育園へ出戻り(年中さんから年長さんへ)

無事に風花を出産して、実家から自宅のマンションへと戻り、颯太はS保育園へ年中組の11月からまた通い始めました。
生活発表会も運動会もすんで、保育園も少しのんびりムードの時を選んだわけです。N先生も園長先生も他園へと変わられて、知ってる先生も少なくなっていました。その中で療育で一緒だったY君と彼のお母さんとの再会は嬉しいものでした。この時はY君も診断が下りずにいましたが、後に杉山登志郎先生に「広汎性発達障害」と診断を受け、今でも颯太共々杉山先生のお世話になっています。

颯太はどうしてもお友達ができずに部屋でブロックや折り紙で遊ぶことが多く若い保母さんは心配してくださいましたが、毎朝嫌がらずに保育園の門を入っていくのを見ていて、園を変わったことへの気がかりはなくなりました。こちらの保育園ではもともとお友達が一人もできなかったのだから私としては元気に通ってくれさえすればなんの問題も感じませんでした。
実家のほうの保育園をやめる時、女の子から手紙をもらった颯太でしたが、その子のこともすっかり忘れてしまうし、どこに行ってもマイペース。
なんて平和な奴なんだ。もう深く考えるのは止そう!ただ遅れてるだけなら、いつか追い付くってことじゃないか、大人になってからの2〜3歳の遅れなんて大した事ないよね、20歳と18歳でどれだけ違って見える?

こんな考えがガラガラ崩れていったのは、颯太がいよいよ保育園の年長さんになってからのことでした。
園の中でも経験豊かなS先生が、颯太の受け持ちになりました。
その年は心身障害児学園から自閉症の子がもう一人編入してきた為に(その子は「くま組」)、扱い易いと思われた颯太(実際は大変なものだったのに)とS学園から来たけれど園生活も3年目になったY君がなんと同じ「ぞう組」になってしまったのです。

S先生のご苦労は大変なものでした。部屋からすぐに出ていくY君と自分勝手な颯太。別々の方向に走って行ってしまうこの二人には粘土遊びもお絵かきもリズム遊びも関係ないことでした。S先生はさすがに振り回されているだけ、という感じになっていきました。
Y君は園長室や非常階段で遊び、颯太は部屋にいてもブロックで一日中遊んでいました。その中で春の小運動会があり、二人を一緒に行動させれば大げんか。先生は内心「どっちかが休んでくれれば・・」と思っていたかもしれません。
これは、颯太のY君への「こだわり」だったのではないか、、
と後に杉山先生から言われました。
物に「こだわる」のではなく、Y君の自由な行動が颯太には許せなくなって、そこに「こだわる」ようになっていったのかもしれません。
ここにきて、私は「先生に謝る」という毎日になっていきました。
先生も目に見えてお疲れの様子でした。


悪夢の個人面談(年長さんの頃)

6月に入って保育園の個人面談がありました。
来年に控えている小学校の話もあるとか。小学校といえば、すぐ目の前のI小学校です。やっと私も働きに出られるってものです。学校に入ればもう少し落着いてくるだろうという思いでいました。まず、先生には日頃大変な苦労をされてることに感謝しなくちゃ!(どうして田舎の保育園で何にも言われなかったのか?これは今でも大疑問)

「颯太くんのお母さんは療育にも連れて行かれてたし、お医者さんにもね、
行ってらっしゃるから大丈夫だと思ってましたよ」

就学の話が出たので、当然I小学校だと思い、I小学校の話を始めた私にS先生はちょっと意外だな、という感じでさりげなくおっしゃいました。私は何が「大丈夫」なのか解らず、しばらく話をボーーッと聞いていました。
颯太が集団で行動できないこと、みんなの邪魔をすること、言葉にも遅れがあるんじゃないか。
I小学校はとても問題行動に対してうるさい学校だという話もありました。
「後ろの席の子が背中をつっつくから勉強ができないって言うと親御さんが出てきて大変な問題になるみたいですよ」
「こちらからね、この子なら大丈夫と思って入学しても、やっぱりいろんな問題が起きてかえって情緒的に不安定になってしまったりすることってありますよ。もっと悪い状態になってから学校を変わると、元にもどるのにその何倍も時間がかかるみたいです」「S小学校か、もっと市外寄りののんびりした学校なら私もなんとか勧めますけどね」

何の話をされてるのかわかりませんでした。

その場で「じゃあ、どこか特殊学級を探しにいろいろ見学に回ります」なんて!そんなことが言えるほど気持ちの余裕はなく、こんな話がでるのなら主人と来れば良かった、私だけじゃとても決められない。
今、何を話せば良いのかさえわからなくなりました。

私がまだぐずぐずしていると、「もう一度しっかりね、お医者さんに行って話されたらどうですか?」と笑顔でおっしゃった先生を見ても、私の顔は凍り付いていました。

颯太の手をグイグイ引っぱりながら自分の身体は誰か知らない人の物のようです。「特殊学級」なんて考えてもいませんでした。

毎日の生活に困ることなんてありません。
まだ子供なんだから紐くらい結べなくたってお箸がうまく持てなくたって良いじゃないですか。
園からの帰り道の間中、世間のことを考え、身内のことを考え、颯太のことは考えず、それよりも颯太がしっかりできなかった事に腹を立てていました。

名古屋の精神科では「学区の小学校にみんなと通学することがとても大切です」と言われていました。たぶんまた同じことを言われるでしょう。
じゃあ「青い鳥学園」はどうだろう?
「就学の時、何か問題が起こったらいつでも来てください」と言っていた!
私はもう一度青い鳥学園に電話をしてみました。
予約はいっぱい、という話でしたが、初診ではなく「いつでも来てください」と言われてます、と告げるとなんとか7月に受診できることになりました。夏休みは大変混雑するということで、休み前の診察となりました。

期待はしていませんでしたが、あの優しそうな女の先生に「がんばれっ」と言ってもらおう、という気持ちもありました。

相変わらず沢山の患者さんの中で颯太はまるで普通の子供のようでした。
だってあの有名なポケモンのゲームを買ったばかりでしたから。
普通の子供のようにゲームをこんなに好きになるとは思いませんでした。
ゲームボーイはどこに行くにも持っていけば静かにやっているので大変便利な物になっていました。

予約の時間より1時間程遅れて名前を呼ばれました。
入っていくと、前に会った女の先生ではありませんでした。

物静かな男の先生でした。