いままでのあれやこれや*母の記録*

言葉が遅い。目が合いにくい。多動である。オウム返しである。友達がいない。
いろんな自閉症の素質?を持っていながら、人なつっこい性格に助けられて
診断はされないものの、私たちは普通と違う颯太に安心できない毎日でした。
ところがこの「度が過ぎる人なつっこさ」というのがカナー型にない
アスペルガー型、積極奇異型の特徴だったのでしょうか?



療育/ぞう組さんの頃(3歳3ヶ月)

療育では相変わらず走り周るし、保母さんには
「カラーボールのプールをなぜか嫌がります。」
「平均台(かなり低く広い板)を渡れないですね。」
こだわりがあって、平衡感覚がなくて、ぶきっちょ。
発声を促す為にコップの水をストローでブクブクやるのに飲んでしまったり(保母さんのやってるのを見てないからマネできない)。プールに連れていけば、ず〜っと隅っこを歩いていて踊りにも水遊びにも参加しない。
それでも秋になる頃には少し椅子に座っていることが出来たり、「颯太くん!」と呼ばれて「は〜い」と返事をしてシールを貼って、また自分の椅子に座る、という毎回変わらない遊びにはなんとか参加できるようになりました。

3歳前にはオムツも取れて、生活習慣らしきものはなんとか身に付いているのでは?私立の幼稚園にでも入れようか?
もう10月でしたので、周りの子供は申し込みもそろそろ済んでいるころです。こちらもすこし焦っていました。

同じ年の療育のお友達はほとんど心身障害者の為のS学園に入園するようです。その場の雰囲気から私もS学園に入れようか?とも思いました。
身内からは大反対!!!
でも颯太のためには・・・、早期療育が必要?
なかなか決断できずに、この時もとっても悩みました。

療育には医者の立場で診断をしてくださる方はいませんでした。
「あなたの子供は自閉症ですからS学園に入ったほうがいいです。」という助言もしません。その代わり児童相談所やそこから紹介された医師の診断、コロニーでの結果などをもとに親が決めるように促します。
当たり前ですよね。自分の子供なのですから。

少し言葉も出て来た颯太に期待していたし、たくさんの子供の刺激も必要だろうと言ってくださったコロニーの先生の言葉も思い出しました。
幼稚園にも障害児を受け入れるところはあります。

でも療育の側からは、できれば(厚生省の管轄である、ということでしょう)保育園に入って欲しいという話でした。
「保育園ならこれからも私たちが時々様子を見られますけど、私立に行かれるとそういう事もできなくなりますし、こちらから保育園には詳しく伝える事もできます。まだまだ心配ですから。」保育園は仕事を持つ人か、子供をどうしても保育できない人に限られてましたが、「何か仕事を探していただいて・・・。でも延長保育はできません。」などなど・・・。

ずいぶん勝手な話ですが、私としても私立で問題なくやっていく自信がありませんでした。市の保護区からまるで離れてしまう勇気もありません。
颯太は三日間の体験入園を合格してS保育園に入園することになりました。
正直いって、ホッとしました。
いよいよ療育でも「ぞう組」さんに移行できました。
療育側としてはすぐにでもS学園に入って欲しかったんだろうと思います。
あちらとしてはしかたなく・・という感じも少しあります。これは、面倒な子供を入れたくない保育園側の思いに逆らっているのか、ただ親の見栄で保育園を選ぶのか、どちらにしても颯太の為という気持ちからはすこしズレている感じがしました。

療育仲間のお母さん方はそれぞれいろんな気持ちでしたでしょうけど颯太が保育園に行けることになって一緒に喜んでくれました。
なんだかとってもすまない気持ちになってました。
入った時はほとんどみんなと変わらずに走り回って指示が通らず変な目つきでグルグル回っていた颯太は、いつのまにかみんなより少しだけ保母さんの言うことも聞けて、少しだけ言葉も多くなっていました。
ぞう組さんはX'マス会、サヨナラ会などが過ぎあっという間に終わってしまいました。


保育園入園(3歳7ヶ月の頃)

4月になっていよいよ保育園に入園することになりました。
颯太の様子も園のほうがよく理解してくださったおかげでN先生という優秀な保母さんが颯太の手を引いて入園式を迎えることができました。
ダラダラと歩きながらも無事に、普通に保育園の園児となった颯太を見て、
これでもう安心、なんて肩の荷がおりたような錯覚がありました。

入園後しばらくして、先生から交換日記を始めましょうと言われ、小さいノートを渡されました。
「颯太くんのことは私もよく解らないので、どんなことでも良いですから教えて下さい」担任のN先生はとても颯太を可愛がってくださいました。
どの子にも優しいんですけど。
交換ノートは年少組の颯太の良い思い出となっています。

今、読み返すと「颯太は大丈夫です!」と弁解じみた内容で恥ずかしいものですがこの頃の颯太と私の様子がよく解るものです。
先生に感謝しますとともに
『N先生との交換ノート(年少さんの頃)』に載せていただきました。


年中さんの頃(4歳7ヶ月の頃)

年少組の1年をS保育園で過ごしましたが、私が第2子を流産している為、
長女の妊娠がわかり、手術を受けてからは実家に帰ることにしました。
(N先生は最後の日も寂しいなあと言いながら、颯太を抱き締めてくださいました。)
颯太も、平成8年度の年中さんはちょっと田舎の保育園(幼稚園がない)で
お世話になることになりました。本人はどこの保育園に変わろうがまるでいつもと一緒のように思えました。
友達がいた訳ではないので悲しんだりもしませんでした。

家庭訪問ではそれとなく「大変な子供ですが理解していただきたい。」
「精神科にも通ってますが、病名はありません。」
「もし困った事や分からない事がありましたらS保育園のN先生も相談に乗ってくださいます。」と言って電話番号も伝えました。
先生はそれほど驚く様子もなく、はい、はい、と明るく聞いています。
きっとまだ何にも知らないからこんなに平然としていらっしゃる、そのうち問題は出て来るに違いない。私は密かにそんなことを考えていましたが、私の実家では颯太と暮らせる嬉しさにみんな(父、母、姉)大喜びで颯太用のタンスを用意したり、ゴールデンウィークの計画などを立てては浮かれていました。

朝、保育園に出かけるのにお婆ちゃんと原付きバイクで走ります。
お巡りさんが見たら怒られそうですが、颯太にとって今までにない経験でしかも愉快!保育園に行くのも大好きなものになりました。
園が近いせいか、それとも家から持ってきたゲーム機「PICO」のせいか、お友達もよくお菓子を持って遊びに来てくれました。初めての経験です。颯太は「Kくんがきょうあそびにくるんだよ」と言いました。

どうしたことか家に誘ってくれる子供もいました。
私はあせって「暴れますよ。」「冷蔵庫を勝手に開けるかもしれませんよ」
等々言ってみましたが、男の子ばかり集まるようですし、男の兄弟ばかりのお家でしたので、「慣れてますから大丈夫!」と言って連れて行ってくれました。年中組の人数も、男の子8人女の子12人程の小さい園でしたし、近所に子供も少なく、みんながお友達のようになっても不思議ではなかったのでしょう。
Kくんに叩かれた、Mくんに帽子のゴムを取られた、と泣いて帰って来ても
ほんとに男の子の友達ができたような気がして嬉しいものでした。
女の子のお友達も二人、よく遊びに来てくれたりお家にお邪魔したりしてました。
一度は颯太がL子ちゃん家の障子を倒して破ってしまったという話もありましたがお婆ちゃん同士の顔見知りでなんとか免れたようでした。

実家では、郵便屋さんが印鑑をもらいたくて門で声をかけただけなのに、
颯太に捕まって手を引かれて家の中まで連れて来られたり、近所のおばさんに失礼なことを言ったりと自由奔放に過ごす颯太でした。

園では何も問題は起こりませんでした。
運動会、七夕会、敬老会、生活発表会、クリスマス会・・・。
颯太はユニークで元気な子!という評判でしたが、園の方からは何も言われず無事に毎日が過ぎていきました。行事の時にもそれとなく先生は颯太の近くに立って様子を見守る程度でした。給食室のおばさんは、颯太が声をかけてくれるのを楽しみにしてる!?ようです。

いつのまにか、颯太の異常な部分が私にも気にならなくなり、
こんなものか、と思い始めていました。それほど平和な毎日でした。