いままでのあれやこれや*母の記録*

ここまで書いてみたら颯太はASにしては自閉傾向が強すぎるような気がしてきました。
勝手に本などを読んで、多動症候群だと思ったこともありますし、
アスペルガーとはこういう子だというお手本にはなれないかも。



平成5年11月10日入所(2歳2カ月)

療育ってどんなとこ?療育ってなに?
保険センターに行ってみて部屋の扉に「療育」って書いてありました。
これってマズイんじゃない?もしや颯太ってあの障害児ってヤツ?

でも来てる子供はみんな颯太に似てました。ぜんぜんまとまりなし!
音楽が始まっても誰も踊らない。言葉も出ていない様子。
大声が出てるのは、なんとか普通の子のように行動して欲しいと願う親と先生だけ。

「やまびこルーム」は毎週水曜日、
母の願いを叶える為にみんなが集まりました。
うさぎ組はA・B・Cで各5名。
颯太はCグループです。ちょっと良くなる?と、ぞう組さんにはいれます。
早く「ぞう組」になりたぁ〜い!
うさぎの母達はみんなそう思っていました。

始めに音楽に合わせてのリズム遊び。颯太は、室内用のジャングルジムに逃げ込みます。踊るなんて大嫌い!1年くらいは逃げまくっていました。
その後、先生が変わった遊び道具を持って来れば、さっさと戻って来たんですけど。それでも出窓に上ろうと私の手を取ってその場から脱線するのはいつものこと。その時は、私の手しか見ていない。
ネコと同じだぁ・・なんて思っていました。犬よりネコ。
飼い主に「ちょうだい」と言うより欲しいものしか見えてない
・・・という感じ。

療育では児童相談所の面談もありました。
「この記録は二十歳までこちらに残ります。」と言われて初めて
この子に障害があるのだろうか?と障害について考えるようになりました。
面談の最後には颯太がタイミング良く「バイバイ」と言ったので、たった1つ言える言葉だったけれど、少しホっとしました。
(このとき面接していただいた担当の方は「えー、いえるんだ」みたいな感じで驚いていました)

児童相談所に紹介されて初めて精神科の門をくぐりました。
待ち合い室に居た親子。30歳くらいの大柄な息子さんとその母親という様子。「ね〜帰ったらアンパンマン見ていいの?」と息子さん。
・・・・・・。もう自分の心がどっか飛んで行きたいくらいでした。
今よりもっと強くない私は障害者に対して差別でいっぱいの気持ちになりました。このいじわるな気持ちはドンドンふくらんで、もう止まりません。
初めての専門医の診断で主人は「自閉症ですか?」と訊いていて I先生は「いや〜違いますよ」と言って下さいました。
実はその診察の間も私はその親子が気になって、気になって…
大人になった時の颯太をその息子さんと重ねまいとすっかりバイキンマンになっていました。

今も颯太はまだ子供だし、成人した自閉症などの障害をお持ちの方は病院で見かけるだけです。みんなどこで楽しんで、どこでどのように生活してるんでしょう。どっかで読んだこんな話。
肢体不自由の子と自分の子(自閉症)を比べて、「頭がまともならいいじゃない」と言ったお母さんの話。どっちも一緒。普通でなくちゃ生きにくい。
カッコ悪い。はっきり言ってそういう世の中。
差別という気持ちは必要だからあるのかしらん。

療育の話からはちょっと離れてしまいますが、他にもいろいろやってました。だれもが通って来た道?

神様の言葉が聞こえるというお婆さんのところへ颯太を連れて行きました。
よく当たると聞いていたし、高額なお布施もいらない(お供えの果物ぐらい)宗教団体でもないので、私としては軽い気持ちでの訪問でした。
意外なことにそのお婆さんは
「この子は一生しゃべれませんぞ。この子の血筋に般若心経を粗末にした人がおる。いっくら耳の聞こえん人でも、がんばって話が通じるようになるんだであきらめちゃあかんよ。」と言われました。
これじゃ〜なんだかドラマじゃないか・・・。と思って聞いてましたが、
そのお婆さんの真剣さにボロボロと涙が出ていました。

違った意味であの言葉は当たっていたな。と今でも思い出します。
あのお婆さんは亡くなられましたが、今の颯太をもう一度見てほしかった。やっぱり「たたり」とは思えないしね。

そんなことからお決まりの巡業。
本四国はとても遠いので、新四国の弘法大師の御参りに出掛けていきました。遠いだ何だというところがもう失礼な話かもしれませんね。
どうしても車での行動になりますし・・・。
そうは言っても実家の親との旅行ということで、私の両親は孫との2泊3日を楽しんでいました。子供の神様には念入りに御参りをして。

不思議なことにそれからしばらくして、犬を見て「わんわん!」。
やっとその時期が来ただけなのでしょうけど、うれしい2つ目の言葉でした。
それからは「オウム返し」ですが、言葉に目覚めた颯太は少しづつ単語も増えていきました。なぜか私のことは「か〜かい!」と呼ぶ。????。
2歳5ヶ月の頃でした。


3歳の頃

やっと2語文?!
「オウム返し」の話は前から聞いていたので、やっぱり・・・という思いでした。「ジュ−ス飲む?」と聞くと「ジュース飲む?」と言います。
ただ言葉が遅いという子は「うん」とか、うなずくとか意志を伝えようとしますが颯太はどちらもありませんでした。
うなずく。首を縦に振るだけの行為がどうしてできないんだろう。

この頃療育でちょっと事件がありました。
T君のお母さんが仕事を再開しようとT君を市の保育所(0歳児から預けられる)に頼んだら療育に入っている子供は受けられないと断わられたとか。
療育に来ているお子さんは診断が下りている方もおられますが、颯太やT君を含めてほとんどの子はまだ中途半端な立場でした。
それにしても入所する時は「強制ではありません」と言いながら、もうここから出られないという監視された状態にちょっと恐いものを感じました。

先生達に説得されてT君のお母さんは仕事を諦めたわけですけど、「お子さんの為に・・」という先生の言葉は確かに正しいと思いながら、なんとなく行政の冷たさも感じたのでした。
ちょっと違うか。半分は後悔。どうしてこんなとこに来たんだろう・・・。
でも何かに頼ってないといられない。
もう颯太を連れていつもの公園なんて行けない。
すっかり障害児を持つ暗〜〜いお母さんになっちゃて世界はここしかない!でもここもヤダ!なんて頭の中はグルグル回ってました。

2歳の後半から3歳頃というのは、
いよいよ自閉症という言葉が迫って来た!というところでしょうか。
療育の保母さんも親に自覚してもらおうといろいろ協力してくださいます。
その中に県立の「心身障害者コロニー」の母子入所というのがありました。
3泊4日で子供は職員の方が様子を見てくださり、お母さん同士は職員の方と集団学習を行います。

この母子入所は予約が多くなかなか体験できないのですが、市からの推薦で参加することができました。
私達を含めて8組の入所。みんなで食事をしたり洗濯、掃除。
夜1時までも話が盛り上がったり楽しい4日間でした。

各親子に一部屋あってプライバシーもしっかり・・・???。
「時々、授産所の人が窓から覗くけど気にしないでね。」と職員の人。
近くに障害のある方が住み込みで働く施設も隣接しています。
その頃にはもう偏見も薄らいでぜ〜んぜん平気。自分が変わって来たなと感じました。誰でも自分や肉親が障害を持たないと、こんな風に自然に受け入れることができないのかな?
この疑問は後になってしみじみ感じるようになるんですけど、今年になって、初めてそんなことないぞ!と思える養護学校の先生の本を読みました。
「たんぽぽの仲間たち」という本の著者です。
みなさんもぜひ読んでみて下さい。

コロニーからは自閉症じゃないのに何を心配してるの?という感じで帰って来ました。鳥を見て「鳥!」と言い、人と関わろうとする颯太はアスペルガーだった為発見が遅れたということでしょう(笑)
療育では保健婦さんが、颯太くんが自閉症じゃなかったなんて!
なぁ〜んて意外そうに他のお母さんと話していたそうです。
思惑が外れた保健婦さんは颯太の就園に頭を抱えたことでしょう。
心身障害者学園を薦めようと思っていたのに市立の保育園を紹介することになったのですから。
この保育園の年長組の出来事が後に、私の幼児虐待へと進むのでした。

今でも虐待とは思えないのですが、姉に言わせると
「マンションのベランダから二人で飛び下りそうだった!」そうです。

文章を書くというのはとっても苦手な作業で、
団長(せっかちなダンナ)からまだか!まだか!と急かされながら
やっとここまで書けました。出来上がりも恥ずかしいもので、記録とさせていただきました。
続きはボチボチという感じですが、忘れてることも多く
時々、覗いていただければページが増えていることも・・・あるかな?
ここまで読んでいただいて有り難うございました。
アスペルガーの子供を育てているお母さん!お気楽にいきましょうよ。