◆01年09月上半期の抜粋日記◆

01年8月分下←*→9月分下 / 『最新の抜粋日記』

 9/1 「遭った結果あんまりいいことがなかった」の積み重ねがこの思考を産むのであった

CBCラヂヨの今日の特番の優香は、本当に生で来ます(笑)。内部にいるものの強みとして、名古屋駅着むにゃむにゅ時15分の新幹線、ってことまで実は判っていた。うははうはは。優香は、本名を岡部広子ってゆうので他人とは思えない(<いや、全然他人だって!)ところなのですが、あんまり生優香にアプローチしたいとゆう欲求を感じません。この点、“名の通った、今が旬のアイドルだったら誰でも遭いたい”ってゆうミーハーではない、と自分を分析するよ。優香が一番可愛いのはおそらくテレヴィの中での「作られたアイドル」としてのさまであろう。沢山テープを回し、可愛く撮れた部分だけがon airされる、それを楽しむのがきっと正しい優香の鑑賞法だと思っている。

ここ最近は乙葉が気になっているのですが(笑)、乙葉は雑誌のカラーグラビヤで鑑賞するのがベストだろう。スペースシャワーTVの『激空間リクエストアワー』で見て好きになった小日向しえに到っては、こないだCDのヂャケ写を見たら怖い顔していて全然萌えません(笑)。小日向しえの一番美味しいのは“激空間リクエストアワー内で野球のユニフォームのコスプレをしている”一点のみなのだ(笑)。遭いたいな、じかに接したいな、とまでも思えるパッションを感じるほどの好きは、なかなかないのです。…ってゆうか、「遭いたい」が果たして一番好きな状態だと言ってよいのだろうか。「実際に会う」のは、希有な体験だから珍重されているだけで、そんなに重要なことではないのではないか。そんなことを言っているから結婚できずに今までいる、とゆうのは正しいのかもしれぬ。けこーん。まぁ、工藤と結婚するのはきむたくに任せた<今頃なにを言うか。工藤も、遠くから離れてブラウン管だのラヂカセのスピーカだのを通して接する方法だけで、好きでいてやろうと思う。くどーん。

22時にテレヴィを点けたら2夜連続放映であろう『タイタニック』がやっていた。今日が2晩めでしょう。残り1時間弱だが、マイ・ファースト・タイタニックを楽しむよ(にこ)。この映像はテレヴィサイズで観るものではなく、やっぱ映画館のでっかいスクリーンで観る用に作ってあるね。なんとゆーか、これを観る前に先にパロディ作品である『親指タイタニック』をDVDで観ていたので、感慨深ゲです(笑)。船体が折れる時の、甲板の板が割れていくとこが一番面白かった。これを観ると、やっぱり宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読みたくなりますね。

 9/2 「キャベツを90グラムきっちり量るために秤を見る」時かがむので、腰が痛くなるったら!

今日はCBCのラヂヨまつりで、うちの番組はお好み焼き屋をしたのだ。金曜日から頼まれていた看板を、開店の1時間半前になってやっと作りはぢめました。コピィ用紙の入っている段ボール箱をバラし、リキテックスでポップ(笑)な文字を書きます。2年前と同様、「economy焼 300円」とかってのを喜んで作る。このノリだから、あんまり早いうちに作ると冷めちゃうのね。てゆーかぎりぎりまでやらずにほかっておいたのを正当化するために、“1日でも置くと腐る”ようなものを作っている、とゆうのが正しい。まぁ、ここは、酒を醸造する杜氏の技を見せる場ではなく、お造りを作る板前の包丁捌きを見せる場であったのだ、と解釈したい。

つボイさんの番組のスタッフはお揃いのTしゃつを作って着ている。かたや我々は東急ハンヅで売ってる580円の黒い前かけがユニホームだ。とほ〜。エプーン。お好み焼きの溶き粉が服につかぬようにとの配慮であるので、胸まで隠すおっきな前かけです。これを着用すると、ああ、いるいるこうゆう黒い前かけをした金髪の店員(笑)とゆー様相を呈するをかべであった。バンドやってる兄ちゃんが喰っていけないのでバイトで珈琲専門店で働いている如し、だ。黒は、一回でも洗うと白っぽゲになるのであまり持っていないのだけど(きちんと手順を踏んで洗いましょう<ってゆうか派手な色好みだから持っていないのだろう)、そうか、金髪に黒はありなのね。ってことで嬉しくて(嬉しかったのか)ラヂヨまつりが終わった後も、汚れた前かけをしたまま数時間を過ごすのであった。始終黒の前かけをしているキャラ、ってのはどうだろう>もちよん、自分がそうなるとゆう意味でだが。

お好み焼きを焼くのはアナウンサの神尾さんをはぢめ、喋り手さんが受け持って下さいます。リスナさんも「いずれ名のある××さんが焼いた!」のが食べたかろうしね。商品を渡しお金を受け取るのは、アナウンサの住田さんはぢめディレクタさんが受け持って下さいます。「住田さんから手渡された!」(以下略)。だったらをかべはなにを担当したかというと、溶き粉にキャベツや桜えび、天かす、かつをの粉、紅しょうが、卵を入れて混ぜる役目です。

卵を片手で割るのが、すげー楽しい。そして、両手で割っても片手で割っても、殻が入る時は入ることも学んだ。だから左手が空いていても、泳がせたままで右手だけで卵を割るとゆうことを繰り返していた。本当は左手でも卵が割れるようにもすれば、片手で卵を割ることに意味を与えられるのだけどもね。そして、こうゆうイヴェントで何百個も卵を割る機会を与えられた時こそ、その訓練にウッテツケではあるのだが、今年はまぁ遠慮しておこう(笑)。来年は、憶えているがよい。何を憶えているかとゆーと「開店して数十分間は卵の殻が入っているかもね」だ<そんな予言をするな。

さほど慌てて混ぜろーッて状況にはならなかったので、休むことこそなかったけれども、急ぎもせず材料を足していってはスプンでかき混ぜるって作業を続けていました。それでも一瞬だけ、ちょっとスピードを上げた時があって。その時ってゆーのがどんな状態だったかとゆうと、右手の指がかつをの粉をつまんでいる時に目は既に桜えびを見ている、とゆうことを行っていたよ。どっかで、読んだよね(にっこり)。

 9/3 ジョークの出典は『デクスターズ・ラボ』です

意訳でない翻訳なんかあるかな。意味を全く考えないで訳すのだ。…だったらなにを考えているのだろう。きっと「訳そう」とだけは考えているにちまいない。例えば、"Why is 6 afraid of 7?" "Because, seven ate nine!"ってジョークを意味を考えずに直訳するってゆーのなら、こうするってのはどうか。「ワイイズシックスアフレイドオブセヴン?」「ビコーズセヴンエイトナイン!」 いちようすべての単語が外来語として機能し得るのなら、これは訳したことになっている?(はい・いいえ)

十六銀行でお金をおろし、マクドで今日から半額セールをしているチキンタツタダブルチーズバーガを食べたのち、マナハウスへ少年ヂャンプの立ち読みにゆく。今日は試写会がないので、なんか小説を読みたいもおどに入っています。こうゆうノリで買った本を読了することは稀だ、とゆうことは知っているが、こうゆうノリででもないと小説を買わないとゆうのも事実だ。以前、帯に書かれた森さんの推薦文をチェックした『彼女は存在しない』の冒頭を数ペヂー、読んでみる。うむ、なんとか、とっつきは易ゲっぽい(笑)。これならイッキに読めるやも、と思って購入する。

会社に戻り、パソコで遊ぶ。「白ヘルの男たちが鉄砲で撃ちつつ車のトランクに被害者を詰める」事件を撮ったヴィデヨ画像CBCのサイトからでも見れるとゆうのでアクセスしてみる。Real Playerとゆうのが要るそうで、無料ダウンロードをする間『彼女は存在しない』を読むよ(にこにこ)。ダウンロードにかかった時間は45分ほどでした(ぎゃー)。をかべは小説の物語世界に入り込むのにかなり抵抗を感じるタイプで(<だめぢゃん!)、45分で読んだのが25ペヂーほどであった。しかも途中で場面転換があったりすると、新しい場面がどんな状況であるかを早く把握しないと読み進められない性格をしているので、とにかく場所の説明の書いてある箇所を探して先に読まないとならないとゆう、そうゆう読者です。うーん(笑)。まぁ、すべては、その物語世界に慣れて波に乗れれば問題はなくなるのだ。ってことで、『彼女は存在しない』が楽しくスムーズに、早く読み進められる箇所にまで到れますように!とオイノリをする現状でございます。

鳩笛鳩の形をしているのに、犬笛犬の形をしていない。犬の形をしている犬笛を作れば一目で犬笛と判るだろうに…>あっ、でも犬笛はその性格上、存在を知られてはいけないアイテムなのか?>そうでなければ可聴範囲の音を発すればよいのだものなあ。ハメルンの笛吹きの笛も、子供の形をしていれば「ああ、子供がついてゆくなあ」と納得がいくことだろう。耳のなさゲな動物を集める笛とゆうのは、無理なのだろうか。みみずには耳はあるのだろうか。《答》ある。耳ズってんだから、一対以上はある。なぞなぞやってる場合か!

 9/4 ダイエット遂行上一番の懸案事項は「ポッキィを喰ってもいいルールをどう嵌め込むか」だ

新しいダイエットを発明したよー!<加護@『ミニモニ。テレフォン!リンリンリン』風。ここ1年で10キロくない増えたのが、なんか全部お腹に貯まっているゲなのだ。きー。はら〜ん。なんとかせねばと今日考案したダイエット法は、その名も「独りでは外食をしないダイエット」です!

とゆうルールを徹底することで摂取カロリィを減らすとゆーものなのだ。さらにこのダイエットでは、人と一緒にごわんにゆくと普通に食べているので、端からはダイエットをしているようには見えないとゆうメリットがあります<それがメリットだったとしてだが<てゆーか「ダイエットをしている」ことなんかオープンにした方がきっと効果的ではないのか。

人づきあいの悪いをかべにはウッテツケであろうこの方法を思いついた時には、「もし一緒にごわんに行ってくれる人が見つからない日々が続くと餓死んぢゃうのでは!」と心配になったのだが(笑)ってゆーか(がし〜ん)、大丈夫だ。まもなく免罪の日がやってくる。9月17日の「フィギュアつきのチョコエとMIUの再発売開始デー」に伴う恩赦があるのです! この日以降は、上記のダイエットルールに次の一文が加わることになる。曰く、「一日にチョコエを一個とMIUを一本、摂ってもいいよ」だ。うわーいうわーい(笑)。チョコエは100個は買うつもりでいるから、3カ月間は至福のダイエットが続くことになろう!(ダイ記) ああ、こんなに楽しく痩せて、いいのかしら♪(ららら)ってゆうか(がりがり)

今日は幸いキャンティでランチのセットを食べることが出来た<幸いなのか!? 満腹になったのち、栄から大須経由で名駅まで歩いてゆき、イラン映画『キシュ島の物語』の試写を観る。3人の監督が撮った短編映画を集めた形式の、72分の映画です。最後の話「ドア」が最高に面白い。

会社に戻ってみると、昨年の7月に過労で倒れてそのまま入院したディレクタの菅ちゃんが、1週間だけ退院をして遊びに来た。実家のある四国に戻った時に倒れてそのままそっちの病院に入っていたのだ。そのまま死に到る人も多いという病気で、今もリハビリを続けているそうだ。でも、杖をつきながら現れた菅ちゃんは全然元気そうで、「1年2カ月ぶりに部屋に入ってみたらすごいことになってた。写真を撮っておいたから今度見せに来る」なんて呑気なことを言っている。「冷蔵庫は開けてみた?」「うん、入れておいたにんにくから何か白い長いのが下の方に伸びてて、でもからっからにひからびてた」「写真撮った?」「あー、それは写真撮らなかったなー。しまった」と言うほどの元気さだ。

こーゆー話ができる知り合いにだったら、訊ける。「ちゃんと立ってられるみたいだけど、その杖は何か役に立つの?」とゆうことが気になっていたのだ。これこそが“転ばぬ先の杖”か。たら「階段が、危ないから」と「たまにがくん、と来そうになるのでつっかえ棒にしてる」げなだわ。ほう。訊いてみるものだ。“あなたのその杖は、いつ役に立ちますか?”アンケートというのを、探偵ナイトスクープ辺りでやって頂きたいほどです。リアリティとはこうゆうことかもしれない。

 9/5 ベッキィが出なくなってから『ちゅらさん』観てないとゆーのに

髪は伸びる。しかしてっぺんを立てる髪型に、まだ固執している。だから結構身長が高いマンになっている処です。頭皮比で7センチ増、ってとこでしょうか。今日は午後から韓国のラヴい映画『イルマーレ』の試写会があった。中日本試写室では前から2列めに座ることにしているので、映画がはぢまる時、場内が暗くなるとともに後ろの席の人に気よ遣い髪をなでつけてぺったんこにする。映画が終わりエンドクレヂットも消え場内が明るくなるまでの一瞬で、また髪を立てるのだ。うははうはは。ラヴい映画を観ていつつもヒトトキも、映画がおあったら電気が点く前に髪を立てることを失念しないとゆう、この観賞姿勢ってーのはどうよ(笑)ってゆうか(髪)。

晩ごわんを沖縄料理えんに食べにゆきます。どーも、こーゆー、コースとか定食とかゆう括りでなくアラカルトを何品か取って喰う際って、必ず喰い過ぎちゃうんだよね〜(ぎゃー)。“この店に行ったらこれしか喰わない”って決めるとゆーのも、オーダし過ぎない措置としては正しいのだ。今日も、久ヴぃさの沖縄料理で調子に乗ってめっちゃ喰ってしまったのだった。おきーん。

カウンタの隣の席に座ったサラリーマンを見ていると、独りで来てオリオンビーユをひと缶呑み(このオリオンビーユが「ちゅらさん缶」だったのが羨ましかった脳! 生ビーユなんて呑んでないでこれを頼むヴぇきだった脳。呑みおあった缶はもちよん持ち帰るのだ。別段、国仲涼子の顔写真がパッケィヂに載っているのではなく、単に沖縄の女の子の絵が描いてあって「ちゅらさん」って文字が入っているとゆうだけのものだが、でも欲しいぞ)、ゴーヤチャンプルとソーキそばを食べていた。うむ。一般の通常の一人前は、この量なのか、とインプットする。自分では食べ物を“量”で量ることが出来ない。沢山食べるのが偉い、限度まで喰えるだけ喰うのが正しい、と思っているのだ。せいぜい今後はこーゆー独りで来ている客を観察してデータを収集し、自分の食事量の指針としよう。ってゆーかすヴぇき?

えんのおばちゃんは陽気だ。沖縄だけにラテンの血が入っているのか。いろいろ話しかけてくる。お店の人に話しかけられるのは本当は嫌いなのだけど、まぁ沖縄料理店に入っては沖縄に従えだ。適当に相槌を打つよ<“適当に相槌を打”たないとならないのが嫌いなのだけどね〜。あいーん。板の張ってあるMASAKI MATSUSHIMAのバッグをチェックし、「キリンの生ビーユのあとに、オリオンの生?」などとオーダ順にツッコミを入れた末に、をかべの顔をまぢまぢと見たおばちゃんが言ったのが「コロッケに似てるって言われない?」だ。ぎゃー(笑)ってゆうか(とほー)。コローン。以前ダイエットをして痩せていた時分に「ヒップアップの島崎に似ている」と言われたことはあるが<どちらにしてもそれはヤ〜ンだ。きゃん&くい〜ん。

とほゲな心のまま、帰り道でショウウィンドウのガラスに映る自分をちらと見て思ったのが「このまま、髪が伸びても上方向に立てる髪型を維持してゆくとすると、もしかしてそれってドン・キング?」だ。ぎゃー(笑)。数日前までは山口達也だったのが、この髪の伸びっていかがなものか。てゆうか山口達也とコロッケとドン・キングの間を埋めるミッシング・リンクが、発見されたことを喜ぶヴぇきであろうか。

 9/6 出前専門の電光掲示板が自宅にあって「ピザ屋を出ました」とか点灯する、とゆう生活はどうだ

名駅で『ターン』『キャッツ&ドッグス』の試写を観る。帰りの地下鉄で、栄のホームに降り立ち電光掲示板に目をやると、乗ってきた電車が出発するやすぐ、次の電車が「伏見を出ました」との表示が点く。電車の到着ペースが、伏見―栄間の走行時間よりみぢかいのだ。ほう。いいことを考えた。この掲示板を新幹線ののぞみのホームに設置するとゆうのはどうだ。2時間に1本以上のぞみが到着するのなら、常に次の電車が「東京を出ました」と表示され続けるのだ。待っている人に安心を与える設計と言えよう。

“ほかの欠点を全部相殺してもいいくないこの一点だけは本当に好きだから、友達”ってことは、あんまりない。逆の“好きだったのに、この一点でだけ、どーしても赦せないから口も利きたくなくなった”ってゆう見限り方をすることは、ある。心にマイナスのスウィッチがあって、親密になってゆくとずけずけ心に入ってきてくれて構わないし方々触りまくられても問題ないのだが、ただマイナスのスウィッチに触れて入れてしまった相手だけは我慢がならない…とでも言おうか。マイナススウィッチを持った人づきあいをしているマンなのですね。ある一点だけで好きでいられるタイプの人は(そんなのがあるとしたら、だけど)プラススウィッチを持っている訳なのだろう。

マイナススウィッチ派だから、今好きでいる相手をいつ嫌いの側に切り替えてしまうかがふわんでならない。だから、好きな相手とはそんなに親密にならない方が、嫌う可能性が減る、と考える。一旦好きになった状態でフリーズさせるのです。それ以上の進展を諦める代わりに、ずーっと好きでい続けられるだろうとゆう希望を得るのだ。9月1日付の日記に書いた「グラビヤアイドルとはグラビヤを通して接するのみに限り、遭える機会があっても会わずにいた方がピュアに好きでいられる」ってのはこのことだ。“好きな点”を見定めたら、無闇に動かず、その状態を維持したままそこだけを見つめ続けるのが長続きするコツなのですね。つまりをかべの友達づきあいってーのはパンドラの箱裏側から開けているよーなものなのだ。「希望」が手に入った時点で蓋をして、もーそれ以外の内容物を封印してしまうのです。あんまり仲良くしないでいるのが仲良しでいる秘訣、とゆうこと。

“あんまり仲良くし”てなくても、マイナススウィッチを持っているってことはいきなしそれに触れちゃう人が出てくることがある。結構、常時、口も利きたくない知り合いってのが作られてゆくのであった(笑)。でもまー、いちようオトナだから(こんなこと書いててオトナか?)オモテムキ普通そうな顔をしつつそうゆう人にも応対することになる。完璧に、表面上だけでの接し方をすることでそれ以上踏み込まれないよう防衛をしながら、なのだけども。そんで一方、気に入っている相手とも、深入りをしない距離をおいた接し方をしている訳だから、なんてゆーか、すべてに於いて人づきあいが薄いことこの上ない道を選んでいるってことなのです。むー。

マイナススウィッチってのは1つだけではなくていろいろある。例えば「自分が外部に対してする行い」に反応するマイナススウィッチってのだってある。即ち、自分がやったことで自分を嫌いになれるのであった(笑)ってゆうか(嫌)。自分とは離れていられないから、これは蓄積される一方です。ぎゃー(笑)。だから、自分のキャラって、もし知り合いにいたとしたらかなり大っ嫌いなタイプであろうと思うよ。但し、たとえ口も利きたくないほど嫌いになっても、そもそも自分とは口を利くことはないのだからこの点ではラッキィだと言えまいか! ラキーン。存分に自分を嫌いになろう!(にこ)

マイナススウィッチってのは非常ベルみたいなもんで、いっぺんONになったら解除されることはないのです。ずーと、警報が鳴っているのだ。ただ、そうそうこれが入ることもなくって、CBCで仕事をするようになって10年目なのだけど今までに会社関係でひどく嫌った知り合いってのは10人ほど、だけですね(笑)<多いのか? とにかく一番駄目なのが、怒る人。怒りを外にあらわにする人は、避けたく思います。

怒るってのはエゴが通らなかった時の不満を表わしている状態なのだから、つまりは威張っているってことなのですね。ってことで、即ち威張る人も嫌いなのであった。なんであんたに怒られたり威張られたりしなならんのだ、と思うのでした。ってのがマイナススウィッチの一例。

 9/7 40個も買えばシークレット動物が1個は入っているが24個のコンプリートはむづかしい、のがチョコエでございます

いちよう、ダイエットをしていると思いたい。外食をしない代わりに帰宅してから寝るまでの間に3食分をいっぺんに喰っちゃっていようが、「家で菓子を喰わないとは言ってないもーん」とゆう理屈で菓子を喰おうが、ダイエットと言ったらダイエットなのだ。昨日思いついたのは「ファーストフードの外食を独りではしないと決めたけど、ぢゃあ同じものを買って帰って家で喰うのはありではないか?」とゆう正論である(笑)。キューソ猫を噛むとゆうのか、いざとなったら頭が回るものだ(笑)。どうにか昨日は思い留まったが、いつこの正論を実行に移してしまうか、自分が信じられません(にっこり)。

そしてやはり、これは既に昨日から実行してしまっているのだけど、なんとコーヒィにミルクだのフレッシュだのを入れるマンになってしまった。ぎゃー。犀川先生の影響でコーヒィを飲むようになって、ずーとブラック派だったのにー>ブラック派ってのはブラック魔王の一味ヘッピリーとかビックリーとかケンケンとか、あの辺りのことか? しかし、以前も書いたけど、コーヒィにミルクを入れて飲むってのはミルクを美味しくするいい工夫ですね〜(にっこり)。あ、お砂糖は入れませんよう。ダイエット中だから。ダイーン。

空腹をやり過ごすために、朝からコーヒィをマグカップで3杯飲む。さらにはクリスタルガイザーとゆう巨大ロボみたいな名前の単なる水も500ml飲む。容器がぶよんぶよんで気持ち悪いです>クリスタルガイザー。そして13時半からは『GO』の試写会だ。…ええと、映画の最中にしっこがしたくなったら死んでしまう。しこーん。さぁ、ぢゃ、試写会に向かおうかなと思った時にトイレにゆき、デスクに戻りパソコを片付けて出かける準備をして鞄を持った状態でもっかいトイレにゆき、じでん車で7分走り試写室のある建物に到着、ビルの1階にあるトイレに寄った後で3階の試写室へ。席を確保し、もらったプレス資料を読み上映5分前になった時点で最後のトイレに立った。30分間に4回もしっこをするのだ。これで2時間3分の上映時間中はだいぢょうぶであろう! てゆーか「1回したら当分出ません」みたいな、小用浣腸ってゆーか浣膀胱とゆうのか、そんなのがあれぞかし!と思った人はだれ?>だったら午前中に水をそんなに飲むな。

試写会の帰りに『六人の超音波科学者』『試験に出るパズル』を買う。最初マナハウスに行ったのだけど、『試験に出る』が残り3冊だったのでこれでは美本を選ぶもなにもない!と離脱。星野書店へ移動して山積みになってる中からヴヂ、2冊とも吟味した上で購入。【問】書店に、最低何冊の在庫があれば満足のいく美本が購入できるでしょう?<「赤胴鈴之助問題」@なまもの!かっ<違う<ってゆうか“赤胴鈴之助”を変換していくのに「赤」「鈴」「之」のみっつは素直に一文字ずつ出す、「胴」は一旦“胴回り”って打って「回り」を消す、とゆう順路で確定してゆくのだけど、最後の「助」を出すのに一旦「すけべい」→“助平”で変換して「平」を消す、って手法を採っているが、どうか。それはかつてことえりの辞書登録に「“すけべい”って打ったら“助平”って変換してね」って教えた甲斐があったと言うことか。

会社に戻り、買ったばかりの本を喜んでちょっとだけ読む(笑)。さぁ、読みかけの本がさらに2冊増えました。家にいる時間より会社にいる時間の方がはるかに永いので、読みかけの本はほとんど会社に置いてあるのだが「もしかしたら土日に家で読むかもしれない」とゆー希望を持って今日は何冊かを持ち帰ることにしよう。雨なのに。で、鞄に詰めたのが『六人』『試験に出る』『彼女は存在しない』『スカイ・クロラ』(<『スカイ・クロラ』もまだ読了してなかったのか!)と『石川梨華写真集』(<まぁ、これはね)です。これでもまだ連城三紀彦とかの持ち帰りを諦めている状態です。鞄ぽんぽんです。

重い鞄で雨の中じでん車で帰る。もちよんパソコも持っています。そうだ、ヤマナカで食べるものを買って帰ろう。とんねるずの番組でDON DOKO DONがとうもろこしを食べてて美味しそうだったから2本買う。1日に2缶ずつくないのペースでさばの味噌煮とかさんまの蒲焼きとかの缶詰を喰っているので、8缶買い足しておこう。フルーツグラノーラを買うのなら低温殺菌牛乳は2リットル買おう。ほか軽いものも何点か買う。雨で、じでん車で、鞄が重くてパソコも持っててさらにこの買い物をする。なんてゆうか、男らしいかもしれない。特に「1日に魚の缶詰を2缶喰う」辺りなんか我ながら男らしいと思う。

 9/8 食べること自体もさることながら、食べるとゆう行動が好き、らしゲ

茹でたとうもろこしは旨い脳!の巻<タイトルか! とうもろこしを丸のまま茹でられる鍋があって本当によかった。たっぷりの水と、むちゃくちゃいっぱいのしよを入れて茹でるのだ。湯水の如くしよを入れるとゆう表現はどうか。最初にかぶりつく部分だけは、上っ面を齧り取ることになって悔しいが、横一列谷間が出来たら次からは下の前歯で一列ずつ外して喰い進む。美味しい脳!(にこにこ) こんなに美味しいのに、1本喰うと結構おないぱになってしまうのが残念でなりません。一生喰い続けていたいほどなのにぃ。どおしてお腹が膨れるのかな♪だ。でもこれって、可食部分を先に軸から外してしまってコーンの缶詰のよーに皿とかに盛っちゃうと、おないぱと同時にそれ以上食べたくなくなっちゃうんだよなー。つまり、軸から齧り取る捕食行為を食欲だと、勘違いしているのだろうゲだ。うーんうーん(笑)。どう転んでもすべてのベクトルが“食べる方向”に向いてしまうのか。ダイエットは、だからこそ遂行されねばならぬ所以だ。きゃん。

18時からのテレヴィニュースを観ていたら、せともの市のヘッドラインで「今年はやはり、あれにちなんだ商品も人気なようです」って言う。CM明けの話題について「このあとは、たぶん皆さん一度は行ったことのある巨大施設に関する情報です」って言う。そんなに伏せんでも。ズバリ「小泉総理の顔をした招き猫も登場したようです」「明治村の話題をお届けします」ってどうして言えないのか。伏せた揚句に結局その程度のネタだってゆうのなら、次回からは誰も期待しなくなるだろう。本当に期待できるネタだっていうのなら、明かした方が気を惹けるだろう。視聴者を引き止めるための演出とゆうものをもーちょっと考えたらいかがか、と思った次第。

こんなことを考えるのも、うちのラヂヨ番組で今週布施明のインタヴュテープを流したのだが、その中で「布施明さんはメロンパンとメンチカツが大好きだったそうです。今日はその話を…」ってヘッドラインをつけて、多田さんは紹介したのだった。「え、なんでやろ」って思うでしょう? 「今日は好きな食べ物の話を伺っています。さぁ、布施明さんの好きな食べ物とはいったい何でしょうか」って伏せてゆうより効果があるのだ、と思い知らされましたね〜。

せっかくのネタだからもっとも衝撃的に知らせたい、ぎりぎりまで隠しておきたいって演出がしたくなる気持ちは解るけども、“もう金を払わせてしまった書籍”だったり“終わるまで観続けないとなんない映画”とかでならともかく、いざとなったらチャンネルを替えられちゃう電波メディアではいっそバラした上で引き止めておくのが手法としては正しい。即ち、バラしても、それ以上のネタがあるものを取り上げましょうねってことだ(うわ)。

 9/9 邦画でも、発音不明瞭な台詞とかあるから字幕は有難い脳

ウィルあいちでやっているあいち国際女性映画祭で米倉涼子主演の『ダンボールハウスガール』を観る。じでん車で向かう途中、ちょっと道を間違えて名古屋城の外堀沿いを通る。下を見おろすと、外堀の中に浮浪者のお家が2軒、建っている。名古屋城のお堀には現在は水はなく、草が生い茂っているのだ。ブルーのシートで覆われているからダンボールハウスなのかどうか、材質は判らない。そおか、あんな所にも住まうのだね。もしかしたらマンホールの中にも住んでいるかもしれない脳と思わされる光景であった。所謂マンホールハウスとゆう奴だ。うむ。わに、なをもてマンホールに棲む、いわんや浮浪者をや。

映画を観終わってから松岡ひとみさんと一緒にウィルあいち地下のレストランでお茶をします。ケーキセットがあって、“本日のケーキとコーヒィまたは紅茶”だそうなのでそれをオーダする。やってきた“本日のケーキ”は抹茶のシフォンケーキだった。それにしても気になるのは「だったら“昨日のケーキ”はなんだったのだ」だ。“昨日のケーキ”を、安く提供するとゆうのはどうか<パン屋の売れ残りか。傷まない限り“一週間前のケーキ”くないまでずらりと並べば壮観であろう>いやだ、そんな流行らないケーキ屋。

松岡さんと話してて、あの映画はよかったよねと合意に達したのは『GO』『トゥーム・レイダー』『ラマになった王様』。また、『ダンボールハウスガール』について話した時は「“札束を肉に見立てて冷凍庫に隠す”シーンは『天国から来た男たち』だし“ぼろぼろになって行き場所がなくなり教会に辿り着く”シーンは『親分はイエス様』ですよね」なぁんて映画作品の引用が通じるから、とても楽しいお茶が出来たのだった。共通認識を持つ友人とのヒトトキってのは、よいものだ脳(にこにこ)。

あいち国際女性映画祭ってことで各方面にケアをしているのだろう、『ダンボールハウスガール』は邦画なのだが、画面の右側にさらに縦長のスクリィンをしつらえ字幕が出るようになっていた。字幕が出るとなると、ついつい台詞なんか耳で聞けばいいのに字幕を見てしまうね(にこ)。さらには、上映前のMCだの、「飲食喫煙は禁止です」「ケータイの電源をお切りくざさい」なんてゆうアナウンスだのが流れる時には舞台上に手話をやるためのおばちゃんが登場し、スポットライトを浴びつつアナウンスを手話通訳していた。ええとね、こーゆーのをやろうと思ったところまでは正しい。しかし、ほかの状況ならともかく、スクリーンがあって映写機があるとゆー今日のシチュエイションに於いては、手話を見せるよりもアナウンスの内容を字幕で投影した方が親切ではないか。手話だと途中から気づいた人には、それまで何を言っていたのか解らないだろう。だったら字幕で、アナウンス内容をすべて映しっぱなしにしておくのが実用的だ。きっと、悪口ではなく、手話通訳のおばちゃんが姿を見せるのは「手話を必要としている人がいるんだよ」ってことを我々に思い知らせてくれる役目のためなのだろうけどね。

 9/10 僕乗りたいな僕の自転車ぁに♪ song by女王様

ソーマイシンヂって、死んだ?」とゆう噂が入る。今日は新聞休刊日なので、そんな情報は未だ聞いていないぞ。ネットで調べてみよう。まずはぶっくまあくに入れているスポニチのサイトだ。芸能コーナのトップ記事が松田樹里の話題である。ああ、可愛い松田樹里の写真が貼ってあるよ。画像を取り込んでおきましょう(にこ)。そんなことをしている場合ではない(笑)。次に、朝日コムに入ってみる。文化・芸能面のラインナップの中に“「キッズ・ウォー3」に主演の生稲晃子さん”とゆうサブタイトルを発見。ぎゃー。クリック。案の定、おっきなあっこちゃんの写真つきの記事です(はあと)。当然取り込むのだ! デスクトップに落とした画像ファイルの名前を見て驚愕。なんと、「ikuine.jpg」だ。いいいいいくいね〜!? いくいね〜ん。

ソーマイシンヂといえば『ションベン・ライダー』なのだ。当時『うる星やつら オンリー・ユー』と2本立てで劇場公開され、当然『うる星』狙いの身としては「なにをつまんない映画を観せよんねん」と憤慨したきよくがあるよ(笑)。『セーラー服と機関銃』も観たし、『台風クラブ』(リバイバル上映時に劇場で観た)も『雪の断章 情熱』(これは原作本まで買ったほどだ。もちよん斉藤由貴狙いだ)も『東京上空いらっしゃいませ』(これはテレヴィで観たのだ)も遺作の『風花』も、相米作品はこいなけ知っているけれども、よりによってこーゆー観る気もなく見せられた作品で監督名をインプットし、その時に感じたイメィヂが生涯消えることはなかった、とゆー訳だ。ううむ。

颱風が接近しつつある雨の中、『ロンドン・ドッグス』の試写にゆく。もちよんじでん車です。傘がさせる程度に身軽でさえいれば、じでん車で走る時に雨はさほど障害にならない。の方が問題なのだ。足が地に着いていないから、じでん車は踏ん張れないのでね。

幸い試写会の行き帰りには強い風も吹かず、ヴヂに戻ってくることが出来た。帰りなど、少し降りがゆるくなっていたからか、傘もささずに(手には持っているくせに、だ)歩いている人を何人も見かけたよ。うわ。なんてゆうか、イギリシアンというかイングランディアンというか、ブリティッシャーな風景だ。降りがゆるいといっても、十分にびったんこに湿る雨量なのに。本人は構わないかもしらんが、そんなびたびたで入ってこられる部屋の側はたまんないだろーなと思う。書店とかね。たった今、自分で雨に濡れた手で少年ヂャンプの立ち読みをしてきたからこそ解る訳だが。

泊まる気まんまんでいたのだが、存外颱風の影響は少なゲだ。いろんな思惑が交錯していて(どこでかと言うと自分の頭の中で、なのだが)泊まるか帰るか、運命の分かれ道なのです。ちょっと列挙してみよう。

結局、腹が減ったので帰りました(笑)ってゆうか(飢)<颱風をも無力化する食欲なのだ。普段だとじでん車で15分ほどの道のりを、傘をさしゆっくりゆっくり走ってそれでも20分ちょっとで帰宅するのです。どんな荒天でも、20分我慢すれば到着するってゆうのなら、交通手段としてやっぱきじでん車を選択するでしょう?(にこ)>ってゆうか他のすべを持たないし>車は酔うからねっ!(笑)ってゆうか(吐)

今朝のめざましテレヴィの「カウントダウンハイパー」(これに出てくるお姉ちゃんが好きなのです!)で、「ふたご座のラッキィパーソンは“じでん車に乗った人”」って発表された際に司会の大塚さんが「でも今日は颱風で雨降りだからじでん車に乗った人はそうそういないでしょう」なぁんて言っていたけど、いるぞ(にっこり)。それよりか12位だったうお座のラッキィパーソンが“仔犬を連れた人”で、大塚さんは「これもいないでしょう」って言ってたが、やっぱきこれこそそうそういないのだったよ。くい〜んってゆうかきゃんってゆうか。でも、うお座は不幸になってもいいから、仔犬を颱風の中外へ出したりしてあげないでね、とゆうのは「だったらしっこをどこでさせるのか」問題に発展するだろうか。

 9/11 2001年を表わす漢字一文字候補に「狂」急浮上

颱風がどうなったかな、と出社前にNNN24を点けたら原元さんがキャスタをしている。はぢめて観たのだ。取り上げていたニュースは「日本ではぢめて狂牛病の疑いのある牛が確認された」とゆうものだ。イギリスの資料映像を観ると牛が腰砕けになっている。狂牛病は狂犬病と違って噛みつきに来ないみたいだね。狂い方が違うのだ。この牛の革でバンドを作った腕時計はさぞかし狂う、とゆうのはどうだろうか。

映画のペヂーの更新が溜まったので午前中は延々とマウス絵を描きます。昼からウディ・アレンの『おいしい生活』の試写を観に名駅までゆき、一旦戻ってさらにマウス絵を描き進める。今日描けたのは『ターン』『キャッツ&ドッグス』『GO』の絵ですね。マウスを買い替えたばっかりの頃は(手応えとゆう意味での)タッチが変わって、果たして前のマウスのように絵が描けるだろうかと思っていたが、ヴヂ、扱い慣れたようです。マウスで絵を描いているとつくづく解るのだけど、「画材に慣れる」というのは「画材の摩擦抵抗に慣れる」ことだ。どの程度滑るか、どの程度つっかえるか、だったらどの程度の力で押せばよいか、それに腕を対応させる訳ですね。

今までで一番、“意外と慣れていない”と思い知らされた筆記用具ってのは、黒板にチョークで書く時でしたねー。大垣女子短期大学で講師をやっていた際、「チョークを使って黒板に書く自分の文字のデザイン」が最適化されるまでに週1で通って数カ月かかったのでしたから。

マウス絵を描いていると朝の番組で余ったポテチを頂いた。さらに営業さんから回ってきた千なりも1個もらった。ダイエット中であるけど、「せっかく頂いたものを断わるのは無礼だ」とゆう観点に立ち、喰いますよ〜(笑)ってゆうか(喰)。その証拠に、日記には書かなかったが昨日もカステラをもらって喰ったし、一昨日も菓子パンをもらって3個も喰ったし<証拠?<ってゆうかそれでダイエットとは片腹痛い人はだれ?(苦笑)

夜はまた名駅で『スウィート・ノベンバー』の試写です。終わってCBCに戻ってきてもたもたホムペを更新したりメーユのチェックをしたりする。早めに切り上げてとっとと帰宅するつもりだったのが、つけっぱなしになっていた『ジャングルTV』に臨時ニュースのテロップが出る。「ニューヨークの世界貿易センタビルに飛行機が突っ込んで炎上中」だと言うのだ。え。それは、テレヴィをNHKに替えるよ。うわ、世界貿易センタビルから煙が上り、線香か松明のようだ。

22時をちょっと回ったところでテロップを見て、それからはテレヴィに釘づけです。各局がどんどんニュースに切り替わる中、『ジャングルTV』のCBCと『スキヤキ!』のテレヴィ愛知は延々とヴァラエティをon airし続けている。ほう。CBC(ってゆうかキィ局のTBSになるんだけど)がヴァラエティを打ち切ってニュース特番をはぢめたのは22時40分過ぎから、でしたね。ただ、23時以降は、民放であるにもかかわらず(たぶん)全然CMを挿まないままテロ特番をやっているようだ。

テレヴィを観ていてつくづく思ったのは、映像は強い、ということ。新たな情報が何も入ってこない状態でも、テレヴィだったらビルに飛行機が衝突するシーンを繰り返し流しているだけで視聴者を引きとめられる。ラヂヨでは、こうはいかないのだなあ。同じニュース原稿を何度も何度もリピートして聞かせても、退屈させるだけだろう。

あとは、こうゆう事件の報道だというのに、どうしてもレポータもキャスタも、隙をみせると「(笑)」を入れてしまうのだとゆうことも再確認した。無意識のうちに、和んで気を落ち着けたい心がそうさせるのだろう。が、公共放送としてこの手の報道をする時には、悲愴そうに読め、喋れとまでは言わないが、せめて愛想笑いや照れ笑いは挿まないように喋らなければ。何はともあれ聞いてる側が不愉快に感じることをすべきではないってのは鉄則だ。客商売なのだしね。

 9/12 「咀嚼をすると集中力が増す」と教えてもらったが、映画でなくガムの方に集中しちゃったらどおするつもり?

どんなに苦労してコンピュータだのなんだの搭載したよく命中するロケット弾を開発しようと、やっぱき生きた人間が操縦してってカミカゼ・アタックを食らわす方が確実性ははるかに高いのだろう。問題は飛行機がパァになることと実行犯が死んぢゃうことだが前者はハイヂャックしたものなのだったら勿体なくもあるまい。作戦後に生き延びられないことに関しては、パレスチナの人々があんなに喜んでくれるのなら死に甲斐もあるって、考えるんだろうね。たとえ何千人殺そうと、それと引き換えに味方がひとり死んだら悲しいなんて、感じもしない人々に支えられていたらそれはやる気にならざるを得ないよね。本人も同じ考え方にちまいなかろうし。

夕べは1時半には昨日の分の日記を書き上げていたのだけど、あと「今日のご託」を考えればアップできるってとこまでやって、ちょっと休もうとテレヴィを観てたらそのまま2時間ほど寝てしまい更新が明け方の3時半になった次第です。ううむ。しかも寝ながら考えていたのはこんなことだ。

アメリカは「必ず報復する」って表明しているけど、カミカゼ・アタックのメリットはここにも活かされている。実行犯は死んでしまうから、実行犯に対する報復は不可能なのだ。癪なこときわまりないよね。では報復は誰に対して向けられるヴぇきか。本当にここで考えるのは報復すること、でいいのか。アメリカは面目を重んじるから、誰か彼かは殴ることになるんだろうけどね。

今朝の番組には制作部長、編成部長に編成さんと業務さんがそれぞれひとりずつと、ミキサがさらにひとり、出社してきて参加頂けたたのだった。こいなけ人手があれば、をかべの仕事なんて全然ありませんね〜。ダブル画面のテレヴィでおはスタをチェックして遊んでいようぞ(にこにこ)。

他局がすべて世界貿易センタビルの映像を流している中、テレヴィ愛知だけは子供向けの番組をやっている。選挙の翌朝と同じ理屈で、子供たちはテロ報道には価値を感じないんだろうからそれでよいのだ。そもそも子供をターゲットにした番組編成を組んでいる訳で、有事の時とはいえスタンスを崩さないってのは顧客を大切にしているよい態度と言えよう。しかも今日はミニモニ。の新曲の発売日でもあるし。

隣の席のつボイさんが今日19時20分からの『ムーラン・ルージュ』の試写券を持っている。そこで交わした会話。

「あ、『ムーラン・ルージュ』、僕も行くんですよ」
「ああ、行くの?」
「試写会はできる限り全部行くんです。昼間にもひとつ観てきました」
「何観てきたの?」
キューバの亡命作家の自伝を映画にした『夜になるまえに』って映画です」
「面白かった?」
「いやあ、それが、地味で、2時間あるうちの最初の1時間だいぶん寝ちゃったんですよ」
「ほう」
ホモの話なので女っ気が無くて華やかさに欠けますし」
「ふむ」
反カストロの主人公が、亡命したいって思っていたら、ある時カストロの方が“体に革命の血が流れていないような奴は革命の邪魔だから、とっとと出国させてしまえ”ってことを急に言い出したので、亡命できるようになるんです。でもそのためには警察に行って、自分が犯罪者か、同性愛者か、精神病患者であるって申し出ないといけない。主人公は“私は同性愛者です”って言う。すると警官が“ちょっとそこ歩いてみせろ”と言ってくるのでお尻をぷりぷりさせながら歩く。警官が“もっかい歩いてみろ”ってゆうのでまたお尻をぷりぷりさせて歩く。それで出国オッケィ!になるってゆう話です」
「面白そうだねー」
「いや、つまんないんですって! 前半部分寝てましたから。起きたとこから話しているだけですから。…ただ、ジョニー・デップが出てるんですよ」
「ふむ」
「ジョニー・デップの役が、刑務所の中にいるホモの囚人で、そのせいで腸が鍛えられているから中にいろいろ入れて運搬する“運び屋”をやっている、って設定なんです。で、主人公は作家なので書いた小説を外に持ち出してフランスで出版してもらおうとする。ジョニー・デップは原稿を丸めて筒状にしてビニル袋に詰めたものを4本も5本も尻に入れて運び、向こうで出して渡す、なんてことをしてるんです」
「面白そうだねー」
「いや、つまんないんですって!(笑) 面白そうに話しているだけで」

映画の中でもつボイさん好みだろうとこを面白おかしく話したら、こうだ。面白そうに話せるってことは実は面白いのかもしれない、と思えてきた(笑)<自分に騙されてどおする!

神尾さんは映画の時にはガムを噛むそうだ。松岡ひとみさん飴をなめるとゆう。なんで飴をなめるのか尋いてみたら「映画を観る時って緊張するから」とのお答えだった。「映画の時って緊張しますかー?」「トイレに行きたくなったりしない?」「ああ、トイレは上映中に行かなくてもいいように、何度も何度も行っておきますよ」「それと一緒」 いや、それは緊張している訳ではなくって。

とゆうのも問題だが、もっと解らないのは“ガムを噛んだり飴をなめたりすると緊張がほぐれる”とゆう理屈です。なんで、口を動かすと緊張しなくなる訳? …あ、指をしゃぶるとか煙草をくわえるとかと一緒で、幼稚な性欲がどうたら系の、フロイトやユングが出てくる辺りの話になるのかな? 理解できないけど試しにやってみると解るのかもしれない、とゆーことでロッテのコーヒィガムを買ってみました。『ムーラン・ルージュ』の時に噛んでみよう。どうにか理屈を捏ねてちょっとでも甘味を摂取しようとしているのは、そう、ダイエットもおどだからですね(笑)ってゆうか(駄目)。

しかし『ムーラン・ルージュ』がはぢまる時には、全然ガムのことなんか忘れていたでかんてー! とほー! 忘れた原因は判っている。ひとつおいて隣の席の女の子が、上映前にグリコのプリッツを買ってきて食べていたからなのだ。そっちに完全に気を取られていた。もちよん、プリッツが欲しいのではない。プリッツの箱のバーコードが欲しいのだ(笑)。2枚集めて送ると娘。ポッキィが当たるのです! ああ、このねーちゃん、箱だけその辺に放置してゆかないかなーと(さすがにゴミ箱に捨てられてしまうとそっから拾い上げるのは、どうよと思う、らしい)ずーと見ていた上映前、だったのでした。ちなみにこのお姉ちゃんはアベックで来ていたようだが、彼氏は彼氏でロッテのトッポを喰っていたぞ。アベックなのに、同じようなプレッツェル系のお菓子なのに、別々にひと箱ずつ持ってきて喰うのかこいつら、と、それも興味を惹く対象であったことがさらにガムの存在を忘却させしめた要因であったと言えゲなのでありました。ガムーン。

 9/13 ヘキサゴナーな人たちのことは、今後ヘキサゴマニア若しくはヘキサゴメイトと呼びならわそう

ペンタゴンの一角が破壊された」のならそれはテトラゴンか?

実は上の一文は、最初“…それはヘキサゴンか?”と書いていた。純粋に「ヘキサ」の意味を間違えていたのだ(ぎゃー)てゆうか(はずはず)てゆうか(増えてどおする)。アップして2時間後に頂いたメーユで間違いを知った。慌てて日記を訂正したのだけど、なんか手を施せば施すほど泥沼に入ってゆく気がする…。ので改めて全面的に書き直すことを決意したのだった! この日記をはぢめて初のことだ。

「いっぺんアップした日記は(自分の中で誠意として)あとで改竄したりしません」と決めている。しかし履歴はいつまでも遺すつもりだ。だから最初に書く文章がワンアンドオンリィでとても重要なものとなるのです。とても気よつけて、言葉を選んで書かないと死んでしまいます。

もし、間違ったことを書いても、そもそもこんな趣旨の日記なので「ギャグで書いた」「そおゆうネタなのだ」と言い逃れる心構えでいた。が、今日のこれは駄目だ。ギャグの、オチが間違っているのだ。そんな文字列が、日付の一番上の行に並んでしまっているのは、これは屈辱である。読んだ人に「そんな程度のセンス?」って思われてしまうのが心外でならないのです。今日、この日記のスタンスがアカラサマになった。『ギャグに厳しく、地の文はユルく』だ。精進しましょう!(にっこり)

左あごの関節が鳴る。普段は全然気にしない。多少しっかり噛まなきゃならない程度の堅さを持つものを食べた時に鳴るようだが、食べ物は原則「ちょっと噛んだらすぐ丸飲み」するマンなので、通常は鳴る間もないのです。今日思い知らされたのは『赤い橋の下のぬるい水』の試写を観る時。昨日から持ち歩いているコーヒィガムを噛み始めて音がするのに気づいたのだ。もう、映画半分、噛む時にあご関節が鳴らぬよう苦心するのが半分、とゆう観賞姿勢でしたね〜。なんてスリリングな映画観賞なのだろう。いっぺん、自分の耳にではなく、隣の人にはどの程度この関節音が届いているのか確認をする必要が、あるやも、だ。あご〜ん。

夜の『スコア』の試写会でもガムを試す。いろんなことが解ってきた。かつていがらしみきおもそうだと4コマ漫画で書いていたが、をかべも「ガムを口の中で遊ばせておくことが出来ない」ので必死に噛み続けてしまう。15分も噛むと味がなくなり「いつ口から出そうか」ばかり考えてしまってキモソゾロだ。あごの鳴らない噛み方も順調に開発しつつある。さらに多少うとうとしてもガムを噛みつづけることができることも判明(この映画でもうたた寝たのか!)。つまりガムを噛むことで確実に得られるのは唯一“ガムを噛む行為”であり、それは“映画を観る”よりも優先されるようだ。ガム〜ン。

3人の友人から「角が削れることにより角の数がひとつ増え、ヘキサゴンになった」と捉えたとの連絡が入る。ぎゃー(笑)。「5角の一角が破壊されて、5−1=4で4角」とゆう単純な引き算の問題に基づいたギャグだったのに、図形の問題として考えさせてしまったのだ(笑)。だから、初動更新が最も大切だとゆー所以である。しかしここで着目すべきは、3人の方のアクセス方法である。1人はメーユで、1人はご自分のサイトのネタペヂーにて、そして1人は掲示板に書き込んで、このように考えたとお報せ下さったのだった(笑)。そのうちに誰かが口頭で伝えてきて、明日あたり郵便で届いて、寝ていると電話が鳴って起こされて、新たなヘキサゴン派の人からの連絡が入ってこないとも言い切れまい。そうなればチーム・ヘキサゴンの設立もまぢかである。

 9/14 一盲、石柱を撫でる

『クローン』の試写会に向かう。雨の中、地下鉄の駅に着くと、下り口と車道との間の狭い一角に白い杖を持ったおぢちゃんが入り込んでいる。ガードレール代わりの石製の円柱を杖で叩き、手の平で触っては少しずつ移動しているのだ。石柱と石柱の間はチェインで繋がれているが、途中のチェインがなくなっている間に立って車道の方を向いたりもしてる。ああ、きっと自分のいる場所向いている方向が判らないのだろう。どうやら全盲らしいので、さぞやふわんなことだと思う。傘をさしつつ杖を扱わなきゃならないのも大変そうだ。映画に向かう途中なのでそんなに時間をかけてられないけど、行きたい場所を訊いて方角を教えてあげるくらいは出来そうです。

全盲の人に話しかける経験なんてそう、ない。いきなりで驚かすのもいかんだろう。しかし肩を叩くとか、急に体に触れるのももっと驚かすことになるかもしれない。気よ遣いつつ、ひじの辺りに触れると同時に声をかける。質問は「どちらに行かれたいのですか?」だ。盲人のおぢちゃんは、それには答えず逆に質問をしてきた。「ここは地下鉄の5番出口ですか?」 えッ! たしかに、地下鉄の出口ではあるけど、そんな何番なんて気にしたこともないぞ。「ええと、何番かは判らないですけど、地下鉄の出口です」と答え、階段まで誘導してあげる。おぢちゃんは点字の貼ってある階段の手すりに取りついたので、もうだいぢょぶであろう。と、階段の途中に5番の文字を発見。「5番でした」と大きい声で報せ、さて、試写室に向かうのだ。

我々は地下鉄の出口を数字で覚えたりしないで、“外へ出るとなにがあるか”とか“地下街のどの店のそばの出口か”とゆう認識をしているのだが、そおか、盲人には、頭の中で地図を描く時には数字出口の名前としてインプットした方が合理的なのだと知ったよ。

それにしても、自分が立っている2メートル向こうに地下鉄の入り口があることが判らないだけで、名古屋市の中の、中区の中の、栄の中の、だいたいどの辺りに今自分がいるかは認識しておられたのだねー。冷静になって考えたら当たり前で、盲人が歩いて移動している限りに於いてはそうそうとんでもなく訳の解らない場所にいきなり出現することもないのだ。通常の迷子ってのは「今自分がいる周りの風景は確認できるけど、それが地図上のどの辺りになるのかが判らない」だから、ついこれと混同したのだった。ためになるなあ。こーゆーのを、諺で「情けは人のためならず」と言うのか。

あと発見したのはね、「あなたの方を見て喋ってるんだから、喋りかけてる対象はあなたです」ってゆう通常発しているシグナルが全盲の人に対しては通じない…と考えた訳だろう、必要以上に声高に話しかけてしまった。あとから、でもそれは耳の遠い人用の対応だと思った。目の見えてない人に大声で話しかけたら急で驚くだろうし、それより周囲の人の注目を引くことになったらヤだとか考えられたとしたら、申し訳ない対応をしていたとちょっと反省するのです。くい〜ん。てゆうか声でかいで脳。

今日の午後は試写会がトリプルであるので、ちょっとの隙にも映画メモの打ち込みを進めておこうと、パソコを持って移動しました。2本目の『恋する遺伝子』の試写会場でも、夜からの『ソードフィッシュ』の開演待ちの時間にも、座るや否やパソコを立ちわげます。『ソードフィッシュ』は完成披露試写なのでグランド1が会場です。しかも開場30分以上前に並んだから、2階のマスコミ席の最前列のど真ん中に席を取ることが出来ました。わあいわあい。で、そんなとこでパソコを開いたら、それは目立つわ(笑)。2人の知り合いに声をかけられ「こんなとこまで来てお仕事して、忙しいんですね」って言われるのであった(笑)。全然仕事では、ない。ホムペの更新のためにやっている(笑)。しかしまー、文書の打ち込みをしていたら、一見仕事に見えるのだろうゲだ。でもきっと、誰かが試写会場でパソコを開いて打っているのを見たら、をかべだったら「パソコで遊べていいな」と思うだろうけどなー。なんだろう、パソコを何のためのツールとして使用しているかってゆう自らの比重が、そう考えさせるのだろうかしゃん。

 9/15 自分で出来ることを人にやらせるという贅沢

久ヴぃさにごわんを炊く。水加減とかを忘れてしまっていることが判明。たしか米の上に手を着いて、手首の高さまで水を入れるのだと思う。どんなに少量炊こうと、どんなサイズの釜で炊こうと、米の量にも容器の大きさにも依らずこれが正しいとおぼろゲに覚えている。そんなことって、ある?と疑問に思わぬでもないが深くは考えるまい。だいたい、現在我が家で使っている電気釜は3合炊きで、指をまっすぐにした手の平が入らないほどの直径なのだ。そもそもそうゆう法則を知っていても、結局は目分量で水を、かつては入れていたのだ。ごわんを炊く時の水の量というのはオマジナイの一種であり、それを唱えながら勘で水を入れれば美味しいごわんが炊けるとゆう仕組みになっているだけなのだ。そして今必要なのは、その“勘”である。早く取り戻さないと今日みたいにちょっと固めのごわんが炊けてしまうのです。

パソコ購入以来、最大のひどいことをしてしまった。寝床でパソコを打とうと、布団の上に漫画雑誌を数冊積んでその上にパソコを開く。通常は外付けのキィボードを使っているが、たまにこーやってパワァブックのキィで打つと新鮮で楽しい。昨日試写会場で打ってみて存外打鍵音がしないのを知り、今日もやってみたくなったのですね〜。電源もとらずに内蔵バッテリィで起動させていた。と、左手を動かしたいきよいで内蔵バッテリィの取り出しフックを引っぱってしまったのだ。真っ暗になる画面! 一瞬何が起こったか解らない。「判断がつかない」のではなく「理解できない」のだから漢字遣いは「判らない」ではなく「解らない」なのだ、なんて講釈をしている場合ではない!

即座にバッテリィを押し込み、再起動させる。ブウ〜ンともビャーンとも、言わない。もっかい引き抜き差し込み直し起動スウィッチを入れる<もしし音が聞こえなかっただけで起動中だったとしたら、今だから思うことがだこれはすごいことをやっているなあ! ビャーンと言って欲しいのに、言わない。ぎゃー。ACアダプタを繋いで起動させてみる。「ビャーン」。わあいにして且つほっ。モニタを睨んでいると「マッキントのパソコ君の顔」は通常の顔だ。各種いろんなアイコンも、たぶん異状なく表示されてくる。「さっき、終了するべき手順を踏まないで電源を落としたでしょう?」って叱られるが、このメッセィヂは強制再起動のたびにお目見えするお馴染みさんだ。

たった今、開いていたホムペの日記のペヂーを開いて見てみる。変化はない感じです。不幸中の幸い、と言えるのか、バッテリィを抜いちゃったその時には打ち込みをしていたのではなく、いつものように“自分の書いた日記を読み返すのが好き(笑)で、単に開いて眺めていた”ところだったのがよかったのだと思う(笑)。でも念のためDISK FIRST AIDをかけてみる。なにも、嫌なことはなかった様子です。ふー。2年10カ月使っていて、はぢめて怒るけど、「なんでこんな簡単に引っこ抜ける位置にバッテリィがあるねん!」だ(笑)。まぁ、3年近くこんな事故が起こらなかったってだけで、充分に安全な造りになっているとゆー証明なのかもしれない>でもだなあ!(笑)

夕方6時過ぎに、明日のごわんの買い物にゆきます。山崎川の上に無数のこうもりが飛び交っている。こうもりが自然の指標ならば、うちのそばにはまだまだ自然が残っているということだ。しかし、もしかしたらこうもりは文明の象徴かもしれないし、仕事の延長ということも考えられる。そおか、残業中なのだね>こうもり。遅くまで、虫を食べる仕事をしてくれて有難うとねぎらおう。

明日はごわんを炊くのをやめよう。こないだ夜食に食べたスパ王の新製品「白スパ」が旨かったから、明日の主食は白スパにするのだ。自分の分とおやぢの分と、ふたり分の食事を作るのだけど、おやぢにも白スパを作って喰わせる計画です。“自分では到底作れない料理を作らせて喰う”のは単に物質的な贅沢だが、“自分でもできるレトルトを人に作らせて喰う”なんてーフルマイは、これこそは精神的な贅沢と言えるのではないか? つまり手を抜いた料理であればあるほど、それを人にやらせるという行為自体の価値がアカラサマになるという訳だ。もしこの日記がつまらない時があったら、「こんな程度だったら自分で書いた方がおもろいわい」と思う日があったら、それを書いてアップした手間にこそ、愛情を感じて頂きたい(笑)。これで今後の日記を書くのが楽になったと考えている人はだれ?(にっこり)


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