『アズールとアスマール』
レポドラ日記の06月07日付「♪ジブリワールド♪」〔吉原美香〕、06月09日付「ジブリだーーーーいすき♪」〔野田英里〕、07月12日付「ひそかなブーム」〔河村宏美〕の各エントリィでお判りのとーり、ここんとこレポドラがやたらと三鷹の森ジブリ美術館を訪れておる。かくゆう僕も6月3日に行った! いやー、ジブリ美術館、ええわー(萌え?)。東京行ったらマストだね!◆そして。今行くとギャラリィでこの『アズールとアスマール』展をやってる。映画の配給がジブリ美術館なのね。パネルを見ただけでつごい美麗だったぞ。これ、名古屋で観れるんだろうかと危惧したのが2カ月半も前のことのようだよ(望遠)◆一緒にマスコミ試写を観たタレントの原田さとみさんは、お子さんがおられるだけのことがあるのだ、「これ是非子供たちに観せたい!」って絶賛してました。僕は子供がいないので口では同意しながらも心では(いや、子供大人に限らずおよそ人ならば誰にだって観てほすいよ!)と思ったね。ストーリィもキャラクタも、そしてもちよん絵も、このデフォルメは見事だったから♪
『あなたを忘れない』
2001年1月26日に、新大久保駅で線路に転落した酔っ払いを助けようとして一緒に電車に轢かれて死んだ韓国人青年の物語です。その青年の実際の人生を正確に描いたものではない。「こんな行いをする人はこう生きてきただろう」とゆう希望的な想像に基づくフィクションだ◆だから、単なる感動譚以上の価値が、この映画にはある。まず「こんな青年がいたこと」を永遠に留める意味。将来的にもこの映画を観る人はもれなくその事実を知る。そうして意志は伝わる◆もっこは、ストーリィテリングの独特さ。描きたいのは「事故」だから、“伏線”があったらおかしい◆2月17日公開の『みえない雲』は「ドイツの女子高生の生活が原発事故で一変する」映画だ。このテーマなら演出すべきは“落差”だから前半部はおもっきしハッピィでいい。でも本作は違う。“落差”で美化するもんぢゃない◆主人公は事故で死ぬと、観客は判って観る。展開するすべての物語が断ち切られると知っているのだ。「伏線も落差もなく、なにかを途中でやめさせる」ために語られる創作なんて!空前絶後のうちの一つでしょ。
『いのちの食べかた』
「原形」が「食べ物」になる様子を撮ったドキュメンタリィです。お肉だけでなく野菜の収穫の様子も見られる◆ちらしを見た時には「屠殺」を見せたい映画かな、衝撃映像が売りかな、と想像した。でも。観れば解る、屠殺は一瞬だ。その後延々と解体されていく。と、どこかで「生き物」が「食べ物」になるよ。人によって認識は違うだろうし、たといばお魚なんか(生け簀で喰わせる店があるくないで)最初から食べ物と看倣せるでしょ?◆牛や豚を食べ物だと見ろ、と言ってるのではない。ただ、自分が喰ってる物が作られるまでを知るのは正しく必要なことでは、と思う◆牛や豚や鶏を解体する仕事に従事している人は、当然いちーち一頭一匹一羽ごとにショックを受けたりしない。そして合間に、そこで働いている人々がランチを摂る画も挿入される。「我々の食べる物を作る仕事」は、食事と同様フツーのことなんだ◆映像はとても美しい。システマティックに洗練されたラインは絵になる。僕が個人的に一番興味を抱いたのは「キャベツの採り入れ」だった。 あんな採り方するんか! すべてが必見だ。
『ウェイトレス〜おいしい人生のつくりかた』
行動は選択の結果だ。だから思考は「何をしたか」で知ることができゆ◆タルトを創造させたらエキスパートの主人公、ジェンナが、暴力束縛男の旦那から逃げ出したがっている。でも、うっかり妊娠しちゃった。産婦人科医となんだか巧くいっちゃう、でも嫉妬男である夫にばれないようにしないといけない、云々ってゆう厄介ごとが持ちわがるたびにジェンナは新たなタルトのレシピを思いつく◆こう展開する物語でこう終わるとは、少なくとも僕には意外でした。へえ、ジェンナはそう考えたのかと思い知った。その選択をオタノシミニ!◆出てくるタルトもみんなかわよい♪ キルフェボン名古屋店ではこの映画とタイワップしたオリヂナルのタルトを売るそーなんだ、12月16日まで。なんなら喰いに行くといい◆下のキャストのリストでお判りのとーり、監督のエイドリアン・シェリーは出演もしてる。「男運の悪い眼鏡っ娘」役だ<“娘”といいながら1966年生まれですが<さらには昨年11月1日に40歳で亡くなってる。これを知った以上は感慨深く、主人公の同僚のドーンに注目しながら観ようぞ。
『オーシャンズ13』
『11』と『12』には悪いけど『13』が一番面白かった!(断言) はぢめて『13』から入る人にアドヴァイスするなら、「ダニー・オーシャンをはぢめとした11人」を無理に覚えようとしなくていい。あの集団は11人いるんだな〜と、その程度の認識でかまーない。それが『13』のいいとこだ◆どーしても11人の同定を望むんなら『13』を観てから『11』に戻ったっていい。『11』を観た時には、そう、確かに「早く11人を覚えてこの物語になぢまなきゃ」って思ったことを覚えている。『12』の時には「あの11人を早く思い出さなきゃ」だった◆『13』になったら、作ってる方も慣れたもので、もう細かいキャラ設定をいちーち丁寧に説明してくれない。でも、それが観易かったんだ。キャラなんてストーリィを追ってるうちに自然に判るのでぢうヴん◆そして物語が痛快だった。オーシャンズが仕掛ける今回のミッションは、単純故に解り易く、しかしダイナミックですっげえ楽しいよ♪◆ちなみに。12=11+1だけど13≠12+1、そして13=11+2だよ! 映画館でこの数式を確認してね!!
『かぞくのひけつ』
この映画をCBCの人では僕の知ってる限りで{小堀さん,元レポドラの橋本,神山さん,つボイさん,森合さん}が観た(観た順)。みんな面白いって言ったよ。すげい! フツーこいなけ観たら誰かの趣味に合わなくってもおかしくないのに◆監督の経歴が、ナニハトモアレすげいんだ。これまでに助監督とか監督助手などで関わった映画っつーのが{『ナビィの恋』,『ホテル・ハイビスカス』,『ゲロッパ!』,『パッチギ!』,『リンダ リンダ リンダ』,『雪に願うこと』}なぁんて辺りだとゆう。こここ。これってつごいラインナップだよ! こんな名作群の制作の現場に立ちわってたっつーんなら映画作りの才が育まれる訳だぜ!◆あの、知る人ぞ知る芸人さん、テントを起用して、物語を破綻させないんだ。凄まじいバランス感覚であるッ(爆笑)◆久ヴぃさに告知しよう、「更新日にこのペヂーを読んだ者は幸いである」、4月8日にシネマスコーレで小林聖太郎監督の舞台挨拶があるぜ。12時45分の回の終了後と15時40分の回の上映前です、個人的には、観てから話が聞きたい感じが致しますな♪
『監督・ばんざい!』
北野武の映画ってどんどん僕好みになってきている。『BROTHER』より『Dolls』がよかった。暴力的ぢゃないから◆『TAKESHIS'』なんて面白くってしょーがない。かつてこの「招福!きねま猫」でも書いたけど、あれはたけしの『夢十夜』だと思います、私。“思いつくネタを思いついた順に片っ端にぶち込んだ”って作りだ。発想の柔軟性とヂャンプ力がおもっきし発揮されておったよ◆そして本作、『監督・ばんざい!』だ。まず映画の冒頭でたけしは「もうギャング映画は撮らない」と宣言する。そうそう、“有無を言わずすぐ撃っちゃう”たけしのギャング映画は新味があったけど、もう次に行っていいと思います◆さらに『監督・ばんざい!』はギャグの宝庫だ。たけしの、お笑い方面の“発想”がふんだんなのだ。この分量はつごい。実績のない監督ぢゃあ思いついてもこんなには撮れないだろう、例えば金銭的に、とかの理由で◆以上2点に於いて、この映画は僕が望む「ビートたけし映画」に仕わがっている。中でも出色だったのは井手らっきょだ。タレント井手らっきょのキャラのまま、映画に出るなんて、使うなんて! すっごいよ、井手博士。
『カンバセーションズ』
全編に亘りシネスコサイズの画面が左右2つに分割されてる映画です。と聞いた時には実験作?って身構えちゃったぞ◆「左右で2つの物語が同時進行で映写されたらどーしよう、面白そうだけどすべてを把握できゆかなあ。共倒れになって結局どっちも訳が解らないんぢゃ困ろうし。必ず観るべきシーンを見落とすなんてことがあってもいけないし。だいたいもー片っぽに氣をとられて観られない可能性がある映像、なんてのが含まれてる映画なんてないよ。いったいどーする氣?」と思って臨んだ(笑)◆男女のラヴの話だ。この2人は同じ場所にいる。語り合い、抱き合ったりする。そして、分割された画面の片っぽでは女性を、もう一方では男性を撮ってる訳だ。なるほどね◆さらに“解りづらくなく、2画面で効果的なこと”が思いつく限り導入される。ちょっとばらすと「回想シーン」とか「心で考えていること」とかね。そーゆー使い方があったか!◆そうして。こんな手法を採ったすべての理由はラストシーンで解る。最後の30秒のために84分の映画を作ったんだ。わー。観て、素敵な気分になろう。
『キサラギ』
痛たたたたたた。こりは痛い。痛いっつーのはこいつらの行動が「解る」ってことだ◆D級グラビヤアイドル、如月ミキが自殺して1年が経った。ネットの掲示板に書き込みを続けていた、今なお如月ミキのワンフを自称する5人が“一周忌追悼”を掲げオフ会を催す話だ。解るッ。痛いほどよく解る◆掲示板→オフ会、って本当にあり得そうなリワリズムだ。閉鎖された空間に同好の士が集い、そこでだけは想いの丈が解放できる。なんて素敵に理想的なシチュエイションか!◆そしてこの映画の素晴らしさは「映像ミステリィ」として秀でているって点にもある。これまでに映画で観たミステリィの、これは最高傑作ぢゃね?(自分比) 「この5人が一時に集まらない限り解けない」謎って本気で秀逸だ◆森博嗣氏は『MORI LOG ACADEMY』2007年6月8日付【HR】にて「ミステリィの答って、単なる解釈というか、記号でしかない」と言っている。それを証明するかのようにこの映画のラストシーンは驚愕の終わり方をします。すげいぜ。今年、今までに僕が観た映画の中で最高傑作です、これ(自分比)。
『キムチを売る女』
中国で朝鮮キムチを売る女が主人公の映画です。あんま喋らない。みぢかいワンシーンずつ、独立してぽつりぽつりと、起こったことが綴られていく◆生活がぶつ切れで語られるのだ。別にそれぞれのエピソードにおっきな落ちがある訳ではない。シチュエーションや境遇は徐々に解ってくるし、解らないとこがあっても氣にしないで観ていられる。そんなにがつがつしてない。淡々と、飄々と、“その時”を見せてくれる◆映画だからなにも事件が起こらないまま終いまでいくことはない。でも、結構重要な出来事がずばりとは表現されてなかったりもする。どんなことが起きても落ち着いた一定の視点で捉え発表してるって感じ◆この口調は、とても観やすく巧い。だんだん主役の女性に興味を持ってくる。次になにが起こるか知りたくなる◆そうして氣づいた。これって人の日記をブログで読んでいるのと一緒ぢゃん! 日々そんな特別なことばっかり立て続けに起こる人生はない。でも長期的に追ってると興味深い事件が起きたりすることがあるんだ。今風ぢゃん! ブログ表現になぢんだ人にはきっと合うよ。
『キングダム/見えざる敵』
サウジアラビヤとアメリカの仲が今どーなっているのか、これまでにどんな経緯があったのかが最初に簡単に綴られて、映画が始まります。簡単に言っちゃうと利権を軸にひっついたり仲違いしたりしてる。やっぱきね◆物語は、サウジアラビヤの首都リヤドにある外国人居住区で自爆テロが起こる。FBIの捜査官が巻き込まれて死んだからって、アメリカからFBI捜査官4人が乗り込んでいって自ら捜査をする、とゆう展開だ◆“自分らの仲間がやられたから、アメリカは我慢ならんのだな”と捉えられるよう語られるし、現実でもそうゆう動きをするのやもしんない。幾多の障害も乗り越えてぐんぐん捜査は進む◆そしてエンディングを迎える。そこで、この映画が「ニュートラルな視点」が解った上で作られたと知れるのだ。冒頭にアメリカとサウジアラビヤの関係史で見当もついてたけど◆本編のメインとなるお話では完璧にアメリカに理がある。それはそーゆー事例を映画化したからってことで、決してこの物語で語られる出来事がすべてではないと、観た者には伝わるよう、実は描かれているのだった!
『グアンタナモ、僕達が見た真実』
映画観てると、中東やアフリカの人々って内戦だの内乱だのばっかしやってる◆『ブラッド・ダイヤモンド』はダイアの利権争いでシエラレオネ政府軍と反政府軍が国民を巻き込み戦ってる。『約束の旅路』では黒人であるユダヤ人「ファラシャ」がイスラエルに帰還してなお差別を受ける。『パラダイス・ナウ』は自爆テロをしにテルアビブへ向かうパレスチナ人青年の話◆「招福!きねま猫」に既出の『ラストキング・オブ・スコットランド』は反対派の自国民を次々と大量に殺したルワンダのアミン大統領の物語だし『ルワンダの涙』ではフツ族がツチ族を大虐殺してた。今年公開の映画だけでこんなんだ、もっと、なんちゅうか、話し合うとかないのかと思う◆たら。介入したアメリカも非道いことをするぞ。それを描いたのがこの『グアンタナモ、僕達が見た真実』です◆ラストで明かされる、この作戦の成否の結果はいっそカンケーない、テロの容疑者として捕ました人々をアメリカはこーゆー扱いするんだ、いっこも理知的ぢゃねーぢゃん。人を人と看倣さないってこーゆーことだと、観て知っておこう。
『クワイエットルームにようこそ』
精神科の病棟に“入れられてしまった”内田有紀が、なんとか出たがる物語です。とにかく!内田有紀がサイコーにカワユス! ギザカワユス!! ギガントカワユスアガッシィ!!!◆やはり10月20日公開の『逃亡くそたわけ―21才の夏』も精神科の患者が主役の映画で、こっちは実際に抜け出し逃走する。いづれも病院外の“社会”に戻ることを切望するんだ。「隔離」されてる訳だから当然の、“自由”を願う方向になるのね。スムースに受け入れ、そう思い同調して観ました◆そしたら。すっごく意外だったのですが、『クワイエットルームにようこそ』の内田有紀は「あたしなんか鬱陶しいよね」と、『逃亡くそたわけ―21才の夏』の美波は「あたしなんか、めんどくさかろ?」と、言う。え。端から見て君たちは、鬱陶しくてめんどくさい人なのかッ!?◆美人でカワユスだからそんなふうに捉えなかった(笑)、っつーか、そうでなくとも同調した時点で解ってあげてしまってたんだ。この、「その身になってやる」は、精神科の患者のみならず、人との接し方の一つの正答かもなと思い知らされた次第です。
『この道は母へとつづく』
これから年末にかけて「孤児院もの」映画がめぢろ押す。日本は“赤ちゃんポストの設置”ってレヴェルで議論が起こるけど、映画界に孤児はフツーにいて施設も存在してる◆ディズニィアニメ『ルイスと未来泥棒』のルイスはタイムマシンに乗ってでも自分を捨てた母親に会いたがる。ドキュメンタリィ『マザー・テレサ:母なることの由来』ではマザー・テレサが預かった孤児が、とても嬉しそうな里親に引き取られていくさまが観られる。『僕がいない場所』は孤児院を脱走した子供が実の母と再会しながらも失望し、結局独りで廃船で暮らしはぢめる物語だ◆すなーち「孤児院もの」の肝は“里親か、実の母か”に、どーしてもなるみたいね◆本作『この道は母へとつづく』は、里親なんかソッコーで決まるよーな利発な子が、それでも実の母を捜すため孤児院を逃げ出すお話だ。なんと新聞に載った実話が基になってる◆Not onlyこのストーリィ,but also孤児たちが形成しているコミュニティのシステムがミドコロです。あと、結果こんぢょ悪の人は誰一人出てこないってのも素敵。はらはらわくわく観よ!!
『サーフズ・アップ』
世界中からぺんぎんが、ハワイがモデルと思しき場所(作中の固有名詞では「ペングー・アイランド」)にやってきて、サーフィンで競い合うお話です。奮っているのは見せ方の演出だ。実はこの映画はドキュメンタリィ(!)なんだ!CGアニメの分際で!!(笑)◆全編を取材クルーが撮ったものとして、それを編集した体で作られている。だいたいすべてのキャラクタは、初登場し主人公に絡む時にこっち(カメラだ!)をちら見する。主人公のコディはわざわざ「取材だから氣にしないで」って言うぞ◆ドキュメンタリィっぽく「インタヴュウの挿入」があるし、ハンディカメラで追っておろうシーンでは画面が手ぶれまでする、CGアニメなのに!◆そう思いはぢめると、迫力あるサーフィンのシーンでは、ああ、ボードの先端にカメラを据えたな、とか、巧い画が撮れたな、よくぞそこにカメラが来ていたものだとか、感心(笑)しちゃう。“ドキュメンタリィの理想”的な画を押さえきった映画なんだ。世のドキュメンタリィ作家がしたかった全部がここにある。もうこれドキュメンタリィに認定していいよ!
『幸せのレシピ』
キャサリン・ゼタ=ジョーンズと聞いて思い出す映画作品って、何? 僕のばやいはやっぱ『エントラップメント』ですね。美術泥棒の片棒を担ぐ、スタイリッシュでスマートな役だった。だから“アクションもできゆ女優”っぽいイメィヂが今なおつきまとってます◆アーロン・エーカットの出演作で一番印象に残ってるのは『サンキュー・スモーキング』です。煙草会社の宣伝マンが言葉巧みに反喫煙派を煙に巻く映画で、“聡明”且つ“ずる賢い”がないまぜになった印象を抱いてます◆その2人が本作では腕利きのシェフだ。ゼタ=ジョーンズはエーカットに憧れられる名シェフ。エーカットはイタリヤ料理のエキスパート◆まったく違う印象で覚えている俳優が、しかしシェフ役をやると、イメィヂがすっごいいい人方向(笑)に変わる! この2人の作った料理を食べた人が幸せそうだもの◆美味しいものを拵えて人を喜ばそうとの思いが根底にあるんだ。口調が乱暴でも、威張ってるっぽくっても、料理人は「善良」な職業だと解る。そいつらが自らも幸せになる展開の話です。美味しそうでハッピィだよ♪
『ジャッカス:ナンバー2』
身近には犯罪も殺人も戦争もない。SF的なこともファンタヂィっぽい現象も起こらない。不治の病で死別する悲恋や純愛にも縁がない◆映画を観る理由の一つってこれだ。自分ではしない体験を見せてくれる。我々は傍観し、疑似体験して、楽しく面白い♪◆例えばホラーもそう。本当だったらイヤだ、あんな世界。スクリィンの中で起こってるから喜んで恐がれる◆そして『ジャッカス』だ。このシリィズも同じ、我々がしないことをする。そのヂャンルとは「お下劣」「低級」「幼稚」です◆子供が考えるような、大人は敢えて考えないようにし続けるあまりにいつか考えることも出来なくなってしまったような、下品で痛くてばばっちいことを、ばんばんやるぞ。こんな奴らが周囲にいたらすっげい厭だ。自分に累が及ばなくて本当によかった。「助かった!」との喜びに打ち震えつつ、げらげら笑って眉を顰めて観よう。この人たちは笑われるためにやっている◆ひとつだけ注意をするなら、観て気持ち悪くなって、戻すかも(笑)。そこまでやる映画もレワだ、覚悟して観る価値きっとある、かもね(笑)。
『スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ』
西部劇は面白いのだと、思い知らせてくれる◆近年新たに作られる西部劇映画はイデオロギィ抜きにして語られることがない。当然だ、アメリカの西部開拓勢力と先住民であるインディアンとの間に確執があるんだ、それを無視して「鉄砲で撃ち合って殺し合うのが迫力」つって作ってけろっとはしてられまい◆本作は和製ウェスタンです。バックグラウンドは源平だ(笑)。壇ノ浦の戦いから数百年が過ぎた時代、しかし今なお源平が啀み合っている。今の日本で源平を出されて目くぢらを立てる歴史認識は一般的ではあるまい(笑)、故に純粋に「ガンマン同士の撃ち合い」を後ろめたくなく思うことなく満喫できるよ!◆本当にこの映画は「遊んで」いて、出演者が(ほぼ)日本人ばっかしのくせに全編英語だ。さらにプロモータさんに聞いたとこによると俳優本人が当てレコで入れた「吹替版」も上映するらしい(笑)◆せっかくだから、これ、109シネマズ名古屋で観るといい。本作に合わせて、ロビィで売ってるポップコーンにスキヤキ味があるよっ! 映画を映画として楽しむサーヴィスが一杯なのです♪
『スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー』
建築家フランク・ゲーリーの人となりと、手掛けた建築物が紹介されるドキュメンタリィです。「ガウディならともかく、そんな知らない建築家なんかクローズワップされてもねー」と思って臨んだ◆たらばさ!豈図らんや!この建築家の建築は凄い!! ぐねぐねしてる! 名駅のスパイラルタワーズみたいな異形(笑)の建物が大好きな人は必見!◆設計法にも驚いた。くしゃくしゃって落書いたくしゃくしゃを紙で立体に起こす。それに切るわ貼るわ、いや、なんてゆうか耐震とか強度とかはまだ考察しなくていいの?とヒトゴトながら心配に思う自由さで手を加えて模型を造りわげる◆それをでっかい、実物大にしたものが世界の各地に建ってるんだって。見たい! それを観せてくれるのがこの映画だ◆“自分のデザインのの隣に建つ、自分の趣味ではない既存の建物との(心の中での)折り合いのつけ方”なぁんてゆう建築家でもなければ思いもしないヂレンマの解も明かしてくれてる。独りで想像やトレースしたらえらいかかる一流の、一線級の思考も、簡単に与えてくれるんだ。知的な刺戟満載ですのよ!
『スターダスト』
「空から降ってきた(“流れ星”が姿を変えた)女の子を護り、ゴールまで連れて行くとイヴェントが発生する」ストーリィの構図は『天空の城ラピュタ』を思わせるからだろう、ちらしに「宮崎映画の実写版を観ているよう」の文字が並んでる。宮崎アニメが好きな人には必ず受けるよう!(断言)◆別に宮崎アニメを引かずとも魅力的な悪役は作品の宝ですね。本作ではそれはミシェル・ファイファーだった(ズバッ)◆先週「招福!きねま猫」で紹介した『ヘアスプレー』にもミシェル・ファイファーは出演してて、ヒロインのライヴァルでいぢ悪な女の子の母親役だ。『スターダスト』に於いては若返りのためにヒロインを狙い襲う悪い老魔女役だった。綺麗な女優さんなのに!悪者の役ばっかしかよ!!◆もちよん「凄い綺麗」も敵のレヴェルの高さを表現するファクタだ。そんなこと解ってるミシェル・ファイファーは、もう全力で、終いに罰が当たると観客の溜飲が下がるほどの邪悪な役に徹してるよ。綺麗なのは素材でクリヤしてるからあとはコンジョ悪の発揮だけだものね。いい女優だにゃあ!(感嘆)
『ストリングス〜愛と絆の旅路〜』
「世界人類がマリオネットだったらどんなことになるか」が考察され尽くしている。つごいぞ◆「王位の継承と陰謀の物語」が綴られるこの世界の初期設定は、“人は、無限遠の天空から垂れ下がる糸で操られ動いている”だ。まずたまげ、納得し、驚嘆することには“室内に雨が降る”!◆天井も屋根もあり得ないんだ、操り人形だから。すべての建物の建坪率は100%。2階とか地下室に類するものは存在しない。操り人形の立っている所はどこも青天井で雨晒しなのです◆「死」は“糸が切れること”。故に「自殺」は自分を吊っている糸を自ら切って行う。もちよん「誕生」も考えられているよ。どんなルールかは映画を観てのお楽しみ!◆“糸が切れる”に関連して。体の1パーツ、たといば手を吊ってる糸一本だけが切れてしまったらどーすんのか。その場合には、王制が敷かれているこの世界ならではの「方法」が使われます。合理的とゆうか残酷とゆうか、ドライだ◆もっとつごい、是非観て頂きたいのが「城門」のシステム。そして「牢屋」のデザイン。人の想像力って凄まじいと、思い知るだろう!
『世界最速のインディアン』
インディアンってのはバイクの名前です。アンソニー・ホプキンスがそれにまたがって世界最速を目指すぞ◆実在の、ニュージーランドに住んでたバイクが大好きなぢいちゃんがモデルで、バイクの大会に参加するため船に乗り、アメリカを横断して、会場に向かうのだ。はぢめて来たアメリカでいろんな出来事に出わう「善いぢいちゃん」の物語なのですね◆でもさ。アンソニー・ホプキンスが「善いぢいちゃん」を演じててもどーも信用できないよ、ハンニバル・レクターの印象がつおくって(笑)。いつ切れて暴れ出すかキガキぢゃないぢゃんねえ◆ただ、ハンニバル・レクターのタフさの故に、ぢいちゃんの長旅でもさほど心配しないでいられる。きっとやり遂げるぜ!と安心して観てられました◆逆に、アメリカで出わう人々がアンソニー・ホプキンスに親切なのが嬉しい。ぢうヴんにつおそうだつってもやっぱおぢいちゃんだからねー。「おぢいちゃんが行く先々のみんなに支持されて目的地を目指す」お話は氣分がいいです◆そうして。会場に到着しちゃえばあとは走るだけ! つげい迫力ウケアイだよ!!
『チャーリーとパパの飛行機』
「パパの飛行機」はパパがクリスマスプレゼントにくれた模型の飛行機です。模型と言っても真っ白な、“飛行機の形に彫り出した塊”みたいで、どーやって遊べばいいか一見してすぐには解らないだろう。でも大丈夫。これ、勝手に飛ぶんだ◆「勝手に飛ぶ飛行機」を手に入れた少年の冒険譚なのです。子供一人なんか簡単に運ぶし、閉じ込めると家のガラス窓をぶち破って逃げ出したりもする。ヂャンルで言うと、だからファンタヂィのようなSFのような、その辺りに位置する話ですね◆「空を飛ぶ」なんて『ET』を例に挙げるまでもなく楽しいに決まってる。観ててわくわくする。でも、観はぢめてすぐに思う。この、拡げはぢめた物語にどうけりをつけるんだろう◆この手の創作は閉じ方が腕のミセドコロだ。本作は、えー終わり方をします、安心して観られたい◆ちょっとだけ、ネタがばれない程度に方向性を明かすと、この“丸く収め方”は「フランス映画らしい」∩「ファンタヂィのスタンスに則った」エンディングだったよ。アメリカ映画でこー終わることは、あんまないだろーなーと思いました。
『チャプター27』
8日に公開されたドキュメンタリィ映画『PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン』でつくづく、ようやく思い知ったけど、ジョン・レノンすげえ。ビートルズの他の3人と折り合いよくやってゆける訳がないと判る“思想”ぐわいぢゃん◆反戦を謳って、もぢどおり歌って、アメリカに楯突いてたんだ。「ヨーコと俺に何かあれば事故じゃない」とまで言ってた、本作はそんな、国家と戦ったカリスマを殺した、チャップマンを描いた映画です◆チャップマンがニューヨークにやってきてからレノンを殺すまでの3日間が綴られる◆観ると、驚愕し、納得し、情けなさとやるせなさに包まれるだろう。チャップマンの役を演じるに当たりジャレッド・レトは体重を30kg増やしたそうだ。つまりちっとも特別な人間ぢゃないんだ>チャップマン◆立ち居振る舞いと行動で判る。そこいらにいる、つまんねえ、難儀な男だ。こーゆー鬱陶しい奴、現代にもいるよ◆ジョン・レノンほどの才能がこんな人間に殺されたとゆう事実を知っとくといい。人を殺さない、人を殺させないとゆうことが考えられるかもしれない。
『超劇場版 ケロロ軍曹2 深海のプリンセスであります!』
『電車男』の原作にて、電車男が04/04/24 09:58の投稿分で観ると宣言したアニメこそがこの『ケロロ軍曹』だ◆本編前に20分の短編『ちびケロ ケロボールの秘密!?』が観れるので「造型は知ってるがケロロの物語を観るのははぢめて」って方(僕のことだ)にはよいガイドとなろう。有名アニメからの引用がよく出てくると聞き知ってた通り『ナウシカ』を思わすカットもあるぞ!◆本編に関し、後で知ってすげい悔しかった情報としては、映画オリヂナルキャラのマールの声を辻ちゃんがやってた! ぎゃー。上映前にちゃんとちらしを見とくべきだ。観られる方は僕のような悔いを残されませんよう。
『デート・ウィズ・ドリュー』
自分のチャレンヂを自ら撮ったドキュメンタリィ、なのでつまり『スーパーサイズ・ミー』と同じ仲間ですね。低予算のアイデワ勝負って奴だ◆ドリュー・バリモアが大好きなお兄ちゃんが、ドリュー・バリモアとデイトしようと奮闘するさまを記録したものです。戦略も顛末も落ちも、全部が大事な映画のネタだから言うことができないのがもどかしー!!(もど!もど!<もどかしい擬音)◆内容ばれにならぬよう留意してご紹介すると、まず時代はこれ『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』公開前夜です。ちょーどドリュー・バリモアががんがん脚光を浴びてた時分だ。なるほど、会いたい心が触発されるはず◆しかし「ドリューとデイトがしたい主人公」のおっ母さんは「どーせならあの、ルーシー・リューでない方にしたら?」って進言するぞ(笑)。アメリカに住まう当時の人の(ごく局所的ではあるけども)ドリュー観が知れて、興味深い◆もちよん映画の割と冒頭のそんな横槍なんかに主人公は怯まない。ゼロからスタートするとはこーゆーことだと、友達の武勇伝を聞くように観ると楽しいよ。
『デス・プルーフ in グラインドハウス』
タランティーノは映画が大好き。本作で発揮したのは「映画館で観る映画が大好き」な嗜好だ◆「グラインドハウス」ってゆうのはかつてのアメリカで、インディーズ映画ばっかり2〜3本立てて上映していた映画館。そのテイストをリスペクトしたのがこの「in グラインドハウス」企画だ◆なにをもって「グラインドハウス」っぽさを表現してるかとゆーと「フィルムが傷々だ」「たまに(映写中に切れた体で)繋いであると思しき数こまが、飛ぶ」「1巻紛失したっぽくて、1ロール分モノクロになる(のは恐らく「やむを得ずテレヴィ放映された分を白黒テレヴィで録画したものからフィルムに起こし直した」かなんかの体だ)」など!◆内容も「扇情的なおねいちゃんがうっふ〜んと出まくり」「そんな部位を強調するカットやアングルばっかし」「そんなセクシィなおねいちゃんらをばらばらにぶっ殺す親父が出てくる!」「映画のラストではその親父がセクシィおねいちゃんにやられる」だ(笑)。前半も後半も、観る人によっては痛快極まりない! 僕は、こんなこったろーと判って観て、痛快でした!!
『転校生 さよならあなた』
尾道三部作の一作目だった『転校生』の再映画化、しかも監督は同じ大林宣彦です。はっっきりと、ヒロインの蓮佛美沙子は小林聡美よりよっっぽどカワユス!(萌え?♪)<失礼な!(笑) こいつの心が“男”になるんだ、素敵ね◆どこまで前作と一緒だろうと思ったら、存外「違う」。リメークした“意味”があるほど違う、但し大林宣彦節は守られている、もうテッテ的に守られてて、嬉しくて仕方がない。21世紀でもこれが作れるなんて◆舞台は尾道から長野に移っている。“純朴”が不自然でないロケイションをよくぞ見つけ出してくるものだ。ってゆうか大林宣彦だったら名古屋で撮っても、たといば四間道みたいなとこをロケ地に選んで“そーゆーいい画”を出現させるんだろうが◆そう穿ってみたくなるほど、長野市内が魅力的です。このまま長野三部作を撮ってほすいよ! つくづく思うは、この3月までレポドラをしてて、卒業後はSBC信越放送でアナウンサの職に就いた橋本祐佳が羨ましい!! 橋本はこの映画で語られるかの地にいるのだ、映画観たら行きたいぢゃん! いいなあ。いいなあ。
『伝染歌』
秋元康は多才だ。活動の場が本当に手広い。この映画ではそのうちの2つの力を発揮している◆まずはホラー映画作家としての才能ですな。ヒット作『着信アリ』は、ケータイに、もう死ぬばっかの自分から電話が掛かってくるホラーだ。「そんな身近なものを死に結びつけるか!」とゆう着眼点ですね、今回の『伝染歌』は「歌うと死ぬ流行歌」の話です◆本作の売りの2つめは、出演者に、やはり秋元康プロデュースのアイドルグループ・AKB48を起用していること。おニャン子クラブなどなどアイドルをどすどす送り出した秋元康がその手腕をこの映画に発揮したのだ◆監督の原田眞人は21年前に『おニャン子 ザ・ムービー 危機イッパツ!』を撮った人だ、このふたりのタッグで作られたAKB48の映画にアイドル萌えのファクタがない訳がないッ!! ガッコの廊下でひょうけとるAKB48たちは必見! 自分らが死ぬのかとショックを受けたメンバの一人が言う「こうゆう場合って靖国で会おうってことでいいんですか」って台詞、激萌え?(笑)。まんまと秋元康の策略にはまっちゃっておる訳ぢゃがな!
『トランスフォーマー』
予告や事前情報で興味を持った者は観ていい。決して期待を裏切らないしそれ以上だ◆問題なのは『トランスフォーマー』に興味を抱かない連中だ。勿体ない、食指が動かない人々にも観て欲しいし観せたい。これをつまらないと言う者の理屈が聞いてみたい◆僕は映画を紹介する場を4箇所持っている。紹介する映画を自分で自由に選べないものもあるが、それでも本作はそのうちの3つで採りわげた。8月4日on airの『ラジオでいこう!』内の「シネマでいこう!」を聴かれたし。8月17日付の中日新聞夕刊の『映画颱風』も読んでみて頂きたい。こんなに方々で推す映画って、稀有です◆普段は、できゆたけ多くの映画を紹介したく、かぶらないよう心がけているのが常です。でも。今週だったら、『トランスフォーマー』紹介しないでどーするよ!?ってレヴェルであるのだ◆スピルバーグはこんなのばっっかし作ればいいのに。作中で、落ちてきた隕石を喜んで見に走るガキが「すげえすげえ、『アルマゲドン』の100倍すげえ」って言うぞ(笑)。マイケル・ベイはこんなのばっかし撮ればいいのに!(笑)
『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』
タイトルで謳ってるから堂々と書くけど、ニキフォルって知らない。どんな絵を描くのか知りたい人は、名古屋市内での公開劇場である名演小劇場から錦通を西へ400m、芸術文化センタの地下2階「ナディッフ名古屋」にて3月9日まで原画展をやってるからゆくとよい。そっちは観覧無料だ◆たといば「モナリザ」みたいな、爆発的に万人受けする絵を描く画家だったら「知られざる」では済まないだろう、つまりニキフォルは「天才画家,but結構大勢いる」ってうちの一人かなと判断できよう◆それが映画化されたんだ、それなりの理由がある。まず“映画になる人生だった”こと。観てもらえば判るけど◆もいっこ。かつて、サルマ・ハエックがメキシコの女性画家を演じた『フリーダ』って映画で、一番の衝撃は「フリーダの眉毛が繋がっている」ことでした。これって映画になってアッピールするでしょう? 本作も、その手の「映画としての強み」を持っている。お爺ちゃん画家ニキフォル役を演じているのが女優さん(!!)なのだ! なんでも、容姿が生き写しだとゆうよ、もうこりゃ必見っしょ。
『パッチギ!LOVE&PEACE』
パート1に続き「在日朝鮮人が日本で生きていく」様子を描いている。舞台は京都から東京に移った。時代も1968年から1974年になった◆パート1の沢尻エリカが降板して中村ゆりにかあったことは知ってた。井筒監督も週刊現代4月28日號のエッセィ「頭突き、かましたろか!」にてその顛末を書いてるので興味のある人は読むとよいでしょう◆しかしさ。カミングワウトすると、『LOVE&PEACE』の完成披露試写を観た後、舞台挨拶に監督と中村ゆり、井坂俊哉が出てきて、そのトークを聴いてはぢめて知ったのだが、この物語はパート1の家族の後日談なのだそうだ。えッ!! 僕はパート1も観たし『LOVE&PEACE』もぢうヴんに楽しめた。でも「同じ家族の話」だとは氣づかなかった!◆キャストが違うもん。パート1で起こったいかなる出来事も引き継いでないもん(と思った)。だからこれは新しい話だ、と。そう観て何も支障はなかった◆パート1を観てない人にも面白いと、だから声を大にして表明したい! 僕のお薦めは国生さゆりです。あのキャラは素晴らしいなあ、宜しかったら、必見。
『パフューム ある人殺しの物語』
トム・ティクヴァ監督の98年の作品『ラン・ローラ・ラン』は凄かった。我が人生で観たすべての映画の中で、最も冒頭10分間の引き込みが優れておったぞ(もちよんその後の展開もすばらすいのはゆーまでもない!)。「映像でぐいぐい惹きつける」のに長けた監督さんなのね◆『パフューム ある人殺しの物語』は、超鼻の利く男が主人公だ。いっぺん嗅いだによいは再現できゆ、によいで人を追跡することができゆ◆ベストセラである原作を読んだラヂヨ制作部のプロデューサさんは言った、「こんな小説どーやって映像化してんだ?」と。僕答えて曰く、「こんな映画どーやって文章で面白く書いてんですか?」◆によいって、嗅いでなんぼのものを、いかに受け手側にイメィヂさせるかは創作者の腕のミセドコロですな。原作者の描写も(おそらくは<読んでませんので推測です)達者だったのだろうが、トム・ティクヴァの映像表現もちいとも引けを取っとらん! すげいダイナミックな見せ方で、映画に「によい」を導入しておる。この監督の起用はこの作品に、ばっちりとマッチしてナイスでしたな♪
『パリ、ジュテーム』
違う監督が撮った短編映画を一括りにしたオムニバスものって、好き。すべてが趣味ぢゃないってことは滅多にない。逆に、少数でもすんげい好きな作品があったらギザ萌ゆるス!◆『Jam Films』は14分の映画7本からなってた。『ユメ十夜』は10本の短編で出来てた。『セプテンバー11』はタイトルが謳っているとおり11分9秒のフィルム11本で構成されていた。それぞれに、ああ、あの作品が好みだったなーと思い出される◆そして。きっとこの映画はこの手のオムニバスものの一方の極となるであろう、全体の尺は2時間。撮った監督の頭数は、下記のデータ部の監督の項を見られたい。なんと、18人(つーか18組)だ。ぢゅぢゅぢゅ18て! 繋ぎとかがあるから1本のお話当たりの長さったら5分だ。ごごご5分!!◆各短編につけられたサブタイトルはすべてパリの地名になってる。縛りは、尺とパリ。この2つだけ。本当にいろんなパタンが観られる◆僕のお氣にーりはね、「エッフェル塔」でした。あと「16区から遠く離れて」。あと「チュイルリー」。3つ挙げてもまだこれこんで6分の1だぞ(笑)。
『人が人を愛することのどうしようもなさ』
『花と蛇』の石井隆監督の新作です。当然、エロスだ◆これを観ようと思うお客の大多数は喜多嶋舞のそーゆー、所謂“痴態”が目的でしょう。確かに冒頭からフルスロットルで見せてくれる。きっとその角度でも満足頂けよう◆しかし。実はこの映画は物語が凄い。構成が秀でている。こー言うとエロス作品を卑下してるみたいに聞こえるかもしんないけど「予想外にストーリィに度肝を抜かれた」のです◆喜多嶋舞の役まーりは女優だ。その女優がインタヴュウに答えて主演映画について語るとゆう作りになってる。さらに、その“主演映画”の中に劇中劇として2本の映画が入り込んでいるとゆう設定です。虚構が十重二十重と絡み合っているのだ、ここまで作ればどんなトリックだってできよう!◆どこまでが虚構か、どのシーンが現実なのか、とゆう線引きの答えはラストに到らないと解らないよう組まれている。いっそ、“そんなえっちな行為は現実にはそうそうないやろ”と思える、物語の信憑性を疑うようなエロス状況は「映画内映画の中の映画の話ですから!」でクリヤしてるんだ、巧いったらない!
『ふしだら慕情 白肌を舐める舌』
これまでに紹介した映画にもR指定のがあったが、一切言及せずにきた。本作に関しては、タイトルでお解りだろうがピンク映画だ、きちんと表明しよう。R18指定=18歳未満は鑑賞不可です◆子供向けだろうが大人しか観られなかろうが、お知らせする価値のある映画を紹介するのが「招福!きねま猫」のスタンスだ。今週は堂々とこれを推す◆ロケ地を博多、長野などと移してきた、映画館が舞台のピンク映画のシリーズ4作目で、今回のメインロケ地が上映館である名古屋・内田橋の南映なのです! 町並みも東仁王門通りとか豊田本町とかが出てくるぞ。名古屋でロケされたピンク映画って初!!だ、こんな、映画史に遺る映画観逃しちゃいかんよ(笑)◆本当はもちよんピンク映画館である南映は、本作の設定では名画座になってる。そこにヒロインの平沢里菜子がバイトにやってくるお話です。絡みのシーンは5カ所あったよ!◆28日には南映でイヴェントがある。南映での公開は5月3日までの一週間限りだけど、なんなら見逃した人は6月の6日と7日にシネマスコーレでも観られる。調べて行ってね。
『プラネット・テラー in グラインドハウス』
3週前に紹介した『デス・プルーフ in グラインドハウス』とは「in グラインドハウス」仲間だ。テイストは一緒。フィルムが傷々の映画をわくわく観たいとゆう“映画愛”に立脚した映画です◆そんなん、ネタはあらかた『デス・プルーフ』でやっちまったろうと思っていたら豈図らんや! ちゃあんと違うアプローチをする! 『デス・プルーフ』では“フィルム一巻分モノクロ”だったのが『プラネット・テラー』では「フィルム紛失しました、済みません」って字幕が出て、話が15分ぶんくらいぴょんと飛ぶ(爆笑)。それでなお、観られる、面白い映画を作ってるんだ! 最高に素敵◆『デス・プルーフ』との最大の違いは、こっちの方が“ストーリィがある”こと(笑)。生化学兵器に冒され体が融けた化け物どもがヒロイン(もちよんセクシィ!!)を襲って右脚を喰っちゃう(!!)。なんとか助かったヒロインはその脚にマシンガンをぶっ挿し、撃ちまくって化け物を倒していく、ってストーリィだ。わはははは! 「女の子がまずやられて、終いには溜飲が下がる」ってノリが健在なんだ、氣分いいぞよ♪
『ブリッジ』
凝ってるの。ちらしとかのタイトルロゴを見て頂戴。『ブリッジ』の「ジ」の濁点が「シ」の下に落ちているよ。内容を知ってるとこれは洒落ている。“ゴーユデンゲートブリッヂからの飛び降り自殺を撮ったドキュメンタリィ映画”なのだ◆撮り方は、“定点でずうとカメラを据えておいて、飛び降りたとこだけ使う”のと“こいつは怪しそうだと思う、うろうろしてる奴を捉えて撮り続けてる”ってのとありました。きっとそーやってカメラで追ってても飛び降りなかった人はいっぱいいたろう。それを思うと何故飛び降りを止められない?とゆう疑問は当たらないと解ろう、どいつが飛び降りるかなんて判らないもん◆本当に何人も飛び降り自殺を試みる人々が出てくる。でも、ちっとも共感できない。そんなに死にたいかあ?としか感じない。共感できてたまるか、できる者は飛び降りてるだろ、と言ってもいい。死ぬ者の氣になってやる氣なんかない◆だからこの映画で得たのは“遺された者の心の折り合いのつけ方”だ。こんな、体験したくないことをシミュレイトさせてくれてありがにょう!って思うよ。
『プレステージ』
『メメント』の監督の新作です。時間軸がごちゃごちゃにいぢられているよ。なので最初はいったい「何人の人間がメイン」なのかすら解らない。若い時も年を経た今も順不同で綴られるので人物の同定ができないのよ。でも最後まで観れば繋がるから、不明な箇所もどんどん棚上げして観続けていい。ってのは『メメント』の時と一緒◆2人の天才奇術師の話だ。奇術って早い話が大がかりな手品だからもちよんタネがある。そしてストーリィの中心に据えられるは“瞬間移動マヂック”です◆「凄いよ、観てね」ってんでは映画紹介として不親切に過ぎるが、なにぶん手品の映画だ、下手に説明するとトリックばれしかねない。どこに伏線を仕込んだかも仄めかしたくないなあ◆監修を、かのデビッド・カッパーフィールドがやっています。だから本当にできゆ奇術のタネは明かしてかまーない限りで見せてくれる。さらに本作最大のトリックには映画ならではのやり方が使われてて、こっちはカッパーフィールドと言えども、出来ないんだなあ。これが秀逸ですから! なにをやらかすのか、楽しみに参られたし。
『ヘアスプレー』
舞台は脳天気なまでにハッピィなアメリカを映像で表現できゆ1962年。ご機嫌なリズムで映画ははぢまる◆主役の女の子、トレーシーが可愛い! なにが可愛いって明るさが可愛い♪ この笑顔はすげい素敵だ、この子の夢が巧くいって欲しいと味方したくなる明るさ∩可愛さです◆プロポーションは「ちびでぶ」だ。でもそんなの関係ねえ♪ 持ち前の明るさでぐんぐん進み、望み通り大好きなテレヴィのダンス番組の出演権を得る◆テーマは、だから、コンプレックスなんて氣にしない、だ。外から目線で言えば「サベツなんて関係ねえ」になる◆これが後半で拡大される。アメリカの黒人問題に斬り込んでくる。ちびサベツ、でぶサベツを克服したいきよいで人種差別も撤廃しちまおう!って方向に進むんだ◆根が深い問題だけにトレーシーもずうと笑顔ばかりでもいられなくなる。でもごわんしん。ラストはとびっきりハッピィだ♪◆現実、こんな風に人種差別が解消できてはないけど、でもせっかく映画だ、描かれる理想を楽しもう。氣分よく観終え、提起された問題は心にインプットして持ち帰るといい。
『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』
映画は文化だから清濁あるのが当たり前。ここで取り繕ってもなんにもなんないからアケスケに言うけど、本作は“濁”担当です!◆カザフスタンのテレヴィレポータ、ボラットが、アメリカを横断しつつ方々で失礼極まりないフルマイに及ぶ物語です。特に得意としているのが差別だ。ユダヤ人を馬鹿にし、女性を蔑視する◆『ジャッカス』のシリィズは、同じように「不快や悪ふざけ」で笑っているといってもターゲットは演者自らだった。自分たちが痛い思いをするのを人に見せて喜んでた◆『ボラット』は周囲が迷惑することをやる。差別だもん、そりゃあ周囲は我慢ならんだろう。それを笑う映画だ◆なんか懐かしいなと思ったら、この手法は最も初期の「どっきりカメラ」の遣り口と一緒だと氣づいた。人が驚くさまを笑いものにする、アレだ。そうか、人間は、他人が困ったり嫌な思いをすると面白いんだと再確認させてくれる。これ以上悪趣味な笑いはないね。笑いの極北を示してくれてるのよ◆この映画ではヒトゴトだからと笑い飛ばしておいて、自分はこんな人物にはなるまいと、心に刻むとよい。
『マザー・テレサ:母なることの由来』
“没後十周年記念・ドキュメンタリィ2部作”として『マザー・テレサ:母なるひとの言葉』との交互上映です。『由来』は86年のデヂタル復刻版、『言葉』は葬儀まで収録した04年作品◆『由来』は83分、『言葉』は55分だ。時間があって、ひとまず1本観たい人には『由来』がお薦め。もちよん『言葉』だけでもいいし、なんなら片方の当日の半券を持っていくともう一作が1000圓で観れる<もともと一般でも1200圓だし、学生とシニヤは1000圓ぢゃが◆マザー・テレサが「不幸な人のために働いた」ことは情報としては知ってる。が、実際の行いを観ると凄まじく途轍もないよ。「お金を受け取らない」んだ。「マザー・テレサの名前で誰かが寄附を集めることを禁じる」んだ。汚職の入り込む隙がない◆“不幸な人”の具体例にも衝撃を受けた。「戦地の病院に置き去りにされた障碍児たち」だよ!? 我々が机上で考える不幸を遙かに超える不幸が世界にはある!◆理屈ぢゃなく、救済は現場で起きていたんだ。こう生きた人が実在し、その記録が遺され、観られることを喜ぶべきだ。観たらそう思う。
『街のあかり』
コイスティネンは夜景の仕事をしている。やがておっきなことをする、と口では言うが実際に動きをみせたりはしない◆ある時、女が近づいてきた。実はマフィヤの情婦で、コイスティネンが警備をする宝石店に押し入るための策略だったのだ。はめられているらしいことがぼんやりと解っていつつもコイスティネンは女の望むままにしてやっちゃう◆なんとなくサスペンスフルだ。淡々と語られているよーで、どーなるの?と展開が氣になる。終いまで観おあり、ああ、そこへ着地させたのかといろいろと感慨深く思い、さて、プレス資料に掲載されている監督のメッセイヂを読んで、たまげた◆「アキ・カウリスマキから、みなさまへお知らせ」と題された文章の書き出しはこうだ、「わたしの新作『街のあかり』は『浮き雲』『過去のない男』に続く敗者三部作の最終章です」。わ。はっははは敗者て!! 「敗者」をテーマに映画を撮ろうなんて(平坦)、なんて(語尾上がり)、なんて(語尾下がり)!◆確かに、そう、コイスティネンは敗者と称されてしかるべきか。ぢゃあ勝者って?と考えさせられようよ!
『蟲師』
大友克洋の、「画」に対するバランスは凄い。こんな「かつての日本らしい日本」が映画で観られるなんて、素晴らしいことだ◆自然の切り取りが優れている。単に田舎、ただの山でよしとしていない。「昔。but画になってる」ロケイションをちゃあんと見つけてきている◆主人公のギンコ以外は全員着物姿だ、ギンコだけはシャツにずぼんなの。そこで氣になったんだけど、物語の舞台は“100年前の日本”ではあるが、蟲とゆう架空の存在が出現する世界であるように、別段明治でも江戸でもない設定になってる。「そーゆーもん」と思って観るのがよいでしょう◆そうして、風景だけではない。実写化での最大のミドコロは「壁や床一面に動きまある筆書きされた文字を菜箸で捕まえては巻物に戻す淡幽」だ! 凄まじい!!◆このくないの長さのこのくないの重さを持つ物をこうぶん回すとこんな風に引っ張られたなびいてもってかれる、って計算がなされてんだ、もちよんそれがCGで描き込まれていんの。CGって、これをスムースに実写と融合させるために開発され今に至ったのだ!とつくづく思うよ。
『ユメ十夜』
十編の短編を十人の監督が映画化しました。この手のオムニバスものって監督にとって力のミセドコロだ。みぢかい時間で色を出さなきゃならないからね◆やり口としては「何を撮るか」もある。『セプテンバー11』とか『Jam Films』を観ると解ろう、こんな物語世界を展開するのはこの監督にちまいない!ってのが含まれてます◆しかし、この『ユメ十夜』では撮るものは決まっている。原作は漱石なのだ。だから監督の「らしさ」「ならでは」の加味は「どう撮るか」って点に於いて発揮される◆一番のお薦めは第六夜です(ズバッ)。松尾スズキ監督、阿部サダヲ主演によるこの「運慶の物語」は、今これが映画化された意味のある作風に創られているのだ◆原作を読んだことがある人は知っておられようが、はっきりと「運慶の物語」って『夢十夜』の中でも何が書かれているか、解り易い。ある意味“好き勝手な解釈”の余地がない話だ。そこで。松尾スズキが施したのは文字どおり「翻訳」だった! それまでの5本を観ている者にも、てーかそれらのやり口を経てきたからこそ、第六夜は斬新でしたぞ♪
『ラストキング・オブ・スコットランド』
今年のアカデミィ主演男優賞を獲った映画です。アミン大統領が主役で、ちなみに主演女優賞の『クィーン』はエリザベス女王の話で、だからどっちも「最高権力者の苦悩」ものだったってこっちゃ◆カミングワウトすると、アミンを演じたフォレスト・ウィテカーって俳優さんは大好きです。『ゴースト・ドッグ』の殺し屋役も『パニック・ルーム』の押し込み強盗役もよかった♪◆なんだか優しい目をした黒人俳優の人で、殺し屋をやろうが強盗をやろうが理知的で温かいキャラになんのだ、この人が演じると◆今回のこの作品での役柄は、当時「人喰い」の冠つきで呼ばれていたウガンダのアミン大統領です。そして、さすがフォレスト・ウィテカー、ちゃあんと「頂点に立つ者の苦悩」を表現しているぞよ◆観て、解ったの。アミンがしてた大量殺人ってのはアレキサンダー大王とかチンギス・ハーンがやってた侵攻と一緒、地位を維持するための“最大の防御”たる“攻撃”だったんだ。今の世だから許されないけど◆上の者って大変。『クィーン』と両方観て、下の者でよかった(笑)と思い知るとよいよ!
『ラブソングができるまで』
ドリュー・バリモアの(個人的な)ベスト1作品は『50回目のファースト・キス』です。アダム・サンドラーに曲を贈られ、ぽぁん(はぁと)となるドリュー・バリモアってばギザカワユス!◆ヒュー・グラントが出演してる映画の中で(個人的な)ベスト1作品は『ラブ・アクチュアリー』だ。イギリス首相のヒュー・グラントは『ジャンプ』をBGMに首相官邸狭しと踊りまくる。ポインター・シスターズが80年代に大ヒットを飛ばした曲のカヴァです◆これらのいーとこ取りをしてるのが本作だもの。ヒュー・グラントは“80年代に大人気を博したバンド「ポップ」のメンバ”。ヒュー・グラント再起のために歌詞を担当するのがドリュー・バリモアで、もちよんヒュー・グラントの歌声を聴きぽぁん(はぁと)ってなる。「面白い」が約束されてる手堅さぐわいではないか(笑)◆そして。ヘイリー・ベネット扮する大カリスマスターのスティヂがまた見もの! 東洋に傾倒してる設定で、でもこれがウケててもおかしくないかもって思わせる説得力(笑)だ。ヒュー・グラントの歌との対比が巧く展開するよ♪
『リンガー!/替え玉★大作戦』
酷い話だ。「金に困った主人公が知的障碍者のふりをして知的障碍者のオリンピック“スペシャルオリンピックス”に出場し、賭けで稼ごうとする」話だ。酷い。映画の中で登場人物も言ってる、「不謹慎だ」って◆解った上で、これはコメディなんだ、笑って観よう。出演する知的障碍を持つ人たちも映画の観客を楽しませる演技をしてる。もちよん「障碍を笑う」シーンなんてひとっつも無い。フツーのコメディ同様、登場人物の行動や主人公が翻弄される様子が面白い。シチュエイションが愉快。だから笑えばいい◆製作のファレリー兄弟にはポリシィがあるとゆう。曰く「日常生活の中で普通に出会う存在である障碍者が、しかし映画やテレヴィでは排除されている。いざ映る時にはテーマの中心に据えるとか悲劇性を強調するとかの“理由”や“意味”を必要とされる。これって排斥していることにならないか?」と。だから彼らの映画には障碍者がフツーに登場するのだ◆障碍者はフツーの人間だ。コメディのネタから敢えて外すことこそが差別的なんぢゃないのか? そのようにしてこの映画は作られた。
『レミーのおいしいレストラン』
原題は“RATATOULLE”です。プレス資料によると「南フランス流野菜の煮込み料理」のことだげなだ。観てからでいいから、この映画は「ラタトゥーユ」ってタイトルだったんだと思い出すと、ちょっとだけなるほどね、英題ならではだねって解るでしょう◆邦題の方は主役の「料理上手のねづみ」の名前が覚えやすい、ってのがメリットかな。予告編なんかで映像を観ると判るけど、このレミーが本当に楽しそうに料理を作る。こんなに楽しいんならと、この映画を観ると料理が作りたくなるぞ◆もちよん「ねづみが料理する」時点でビハインドだ、わくわくするストーリィテリングにマストな、「目的の前に立ちはだかる障害」は最初っから約束されたも同然。存分にはらはらわくわくできよう◆ついでに。ディズニー/ピクサーのアニメにつきものの本編前の短編、『LIFTED』が、(こゆこと聞いて無駄に過大な期待をしない方が本当は望ましいんだが)今回は本当に秀逸! よくぞあんなみぢかい時間内に、特殊な設定を、無声で、伝えられるもんだ! 達者だなあ。適度な期待(笑)で楽しみにされたし。
『檸檬のころ』
【問】先週紹介した『かぞくのひけつ』と、この『檸檬のころ』の共通項は何でしょう?◆《答》「谷村美月がヒロインである」。いやあ、谷村美月カワユス! ギザカワユス!! ギガントカワユスアガッシィ!!!◆『かぞくのひけつ』では大阪出身を存分に活かした大阪弁の明るい美少女キャラだった。『檸檬のころ』は大阪色は出さず、しかしやはり“清楚派美人”役の榮倉奈々との対比で“快活で明るく笑う”美少女を演じてる。こんないい子に惚れられる平川地一丁目の弟が憎いッ(笑)◆映画館で、こんなに元気でかわよい谷村美月の笑顔が観られるのは、しやわせなことだよ。つい最近まで谷村美月は映画本編の上映前に真っ正面からこっち睨んで「映画が盗まれている。感動も盗まれている。大切なものが、汚されていく」とか言って黒い涙を流した揚げ句「私は観ない。私は、買わない」つってたんだから! あの“海賊版撲滅キャンペイン”の女の子だったんだから!◆あん時の重暗さは微塵もない。『檸檬のころ』の明朗さの方が好ましいです、私。
『ロケットマン!』
写真を見て頂きたい。萌えまいか? 燃えようが。なんだこの実写版桃白白はッ。このタイトルの映画でこの写真で、期待せぬ者に用はない。これをやってくれるからタイ映画は好きよ!と嬌声を挙げる者のための映画であるッ◆説明は要らないだろう(笑)けど、せっかくなので簡単に紹介しよう。ミサイルに手綱をつけて乗っているのが主人公のロケットマンだ。実は牛泥棒。実は貧しい者の味方で、実は両親を殺した魔術師を捜している◆そう、ラスボスは魔術師なんだ。それもサイコキノだ(大笑)。ミサイルに乗ってるだけでは勝てないよ!遠隔操作で荷馬車とかぶん投げてくるんだもん(ぎゃっ)ってゆうか(笑)◆大ぢょヴだ(大ぢょヴだと思っておられただろうが)。ロケットマンは物語内で成長する。指に火打ち石を仕込んで、指ぱっちんで数多のミサイルを同時に発射できるよーになる。わははわはははは!◆そして、タイ映画の真骨頂はご期待通り格闘技、肉弾戦です。飛び道具と超能力を凌駕して決着をつけるは、キックだ!肘打ちだ!!膝蹴りだ!!! 再度言おう、桃白白の実写版かよっ!(嬉)
『AVP2 エイリアンズ VS. プレデター』
観たいのはバトルだ。それがこんなにも解って作られている映画は稀有だよ◆ホラー映画は怖いのがいいし、「癌で死に別れる」ものは泣きたい人が観に来ることだろう。観客は、期待を抱いて映画を観にござる◆『AVP2 エイリアンズ VS. プレデター』に期待されるのは「バトル」だ。いわば、怪獣映画だものね、どー襲い、どー戦うかに興味しんしん丸でしょうミナサマ!◆人間の出てくるシーンは「お膳立て」だ。プレデターがどんな能力と攻撃力を持っているのか。エイリアンがどんな風に襲ってくるのか。そこいらを示すために「人々が襲われる」に過ぎない◆今回、人間側は訳が解ってない。「何」が自分たちを襲っているのか、知らない。だから映画本編のどっっこにも“エイリアン”だの“プレデター”だのいう呼称は出てこないよ。それでいいの。この映画に興味を持った人は、調べて、制作サイドが複数のエイリアンたちと戦うただ一体のプレデターに名前を与えていることを知るだろう。でも、映画を観た限りではそれは判らない。それどころではないバトルの前に、名前は問題ぢゃないの。
『4分間のピアニスト』
映画で“演奏の巧さ”を描くにはひとアイデワ必要だ。“素敵なファッション”も同様。聞けたり、見えたりするものは出来が観客に捉えられちゃうからね◆“巧い料理”の表現はまんだ楽だ。「本当には美味しくなくていい」もんね。所謂“シズル感”が出てれば観客には伝わる◆2001年公開のイギリス映画『シャンプー台のむこうに』は美容師のコンテストの話だ。主人公側はラストで、当然、“途轍もない髪型”を拵えてみせる。それはもちよん映画の観客であるパンピィに「すげい!」と思わせねばなんないんだ。あれは度肝を抜かれたよ、観てみてね。ヒントは「事前の支度あり」のルールです◆そして本作、『4分間のピアニスト』は、殺人犯として刑務所に入ってる女の子が天才ピヤニストだったとゆう話です。タイトルで判るように、ミドコロは4分間の“すげい”演奏だ。ただ、映画の観客には絶対音感を持つ人から、音痴で音楽の素養のまったくない者までいる。そのすべてが「すげい」と思う演出をしないといけない。さあ、どんな趣向で来るのか◆そしてそれは大成功してる。観たらいいよ!